やはり仮想現実でも俺の青春ラブコメはまちがっている。 作:鮑旭
このデスゲームが始まった日の夜、俺は考えていた。
俺たちはいつこの世界から解放されるのか、と。
βテストの時、2ヶ月で到達出来たのは第八層までだった。簡単な計算でも百層攻略するのに2年以上かかる。
まあβテストの時とはかなり条件が違うから、実際のところクリアまでどれだけ時間がかかるかは未知数だ。プレイヤー数が増えたことでβテストの時より早く攻略が進む可能性だってある。
だが少なくとも、“あいつら”の卒業に間に合うことはないだろう。
無くしてみて、そして自分の死に直面してみて、よくわかった。
ぼっちだ何だと気取ってみても、結局俺は“あの場所”が気に入っていたのだと。何度も何度も戒めたのに、もしかしたら、と期待していたのだと。だから、もしあそこに帰ることが出来たら……。
いや、詮の無いことを考えるのはやめよう。
きっと、俺があの部室へと行くことはもうないのだ。
◆
アインクラッド攻略!
生き残るための、ハチの心得!
(1)ビギナーは訓練所を活用すべし!
モンスターとの戦闘において、ソードスキルは必須である。訓練所のカカシ相手にソードスキルの練習をし、安定して使えるようになるまで精進せよ。然る後に、万全の準備を持ってフィールドへと挑むべし。
(2)戦闘に自信のない者は、非戦闘系のクエストを受注すべし!
始まりの街には、お使い、採集、アルバイトなどの非戦闘系のクエストが存在する。クエストを完遂すればコルと、少量ではあるが経験値が手に入るので、まだフィールドに出ることが出来ないプレイヤーは活用すべし。
(3)狩りに出る前に情報収集をすべし!
SAOにおいて、狩りに出る前の情報収集は必須である。モンスターの分布、特性、行動アルゴリズム。加えてフィールドの特性、罠の有無。それらの情報を把握し、その対策を練って行動すれば百戦危うからず、である。逆にロクな情報を持たずにフィールドに出ることは、自殺行為だと心得よ。
(4)βテスト時の情報を鵜呑みにするな!
ゲームの最初期において死亡したプレイヤーたちには、多くのβテスターたちが含まれている。彼らは己の持つ情報を過信したためにその尊い命を落とすこととなった。βテストから正式サービスに移行するにあたり、随所で仕様の変更が確認されている。彼らの犠牲に学び、我々は情報の真偽をよく見極めるべし。
(5)前線の攻略に参加する自信のない者は、支援に回ることも考慮に入れるべし!
SAOには多くの生産系のスキルが存在する。鍛冶スキルや料理スキルなどで前線で戦うプレイヤーたちを支援することも、ゲーム攻略へと貢献する1つの手段である。多くのプレイヤーで一致団結し、アインクラッド攻略を目指すべし。
(6)狩りにおいて、安全マージンは充分に確保すべし!
安全マージンとは、狩りにおける安全度の余裕である。ゲームに慣れたプレイヤーたちは狩りの効率を優先しがちであるが、SAOにおいてはまず安全を優先すべし。
狩りでHPゲージが黄色まで減るような場合は、安全マージンが確保出来ていないと言える。常に余裕を持って狩りに挑むべし。
(7)狩り場は常に譲り合って使うべし!
狩り場の独占は争いの元である。そういったプレイヤー同士の軋轢が集団の足を引っ張り、攻略の妨げになることは想像に難くない。
狩り場の譲り合いなど、マナーを守った行為が結果的に攻略を早め、ひいてはこの世界からの生還に繋がるのである。
(8)自暴自棄にならず、冷静な思慮のもと行動すべし!
SAOは必ずクリア出来る。いくらか時間はかかろうとも、いつか必ずやゲームから解放される時がくる。自暴自棄にならず、生きるために各々が今出来ることを冷静に考え、行動すべし。
※以上、ガイドブックより抜粋。
◆
デスゲーム開始から約1ヶ月。
第1層、迷宮区手前に位置する街《トールバーナ》
街の中心に位置する広場には、石積みによって造られた半円形の舞台のようなものが設置されていた。その客席の端っこへと腰掛けた俺、比企谷八幡は視線だけで周りを見渡す。
「おお……。意外と集まるもんだな」
視線の先には、俺と同じように石積みの客席へと腰掛ける数十名のプレイヤーたち。身に着けている装備を見るだけでも、レベルが高いプレイヤーたちだということが分かる。間違いなく現時点では彼らがゲーム内のトッププレイヤーだろう。
そんな彼らを前にして感嘆の声を上げた俺とは対照的に、隣でプレイヤーの数を数えていたらしいキリトは微妙な顔を浮かべていた。
「俺らも入れて45人か……欲を言えばあと3人欲しいところだな。6人パーティを8つ組んで、48人のレイドを作るのがベストだし」
「いやそりゃその通りだけど、正直これ以上人数を揃えるのは厳しいだろ。初めてのボス攻略で尻込みしてるプレイヤーが多いからな……。つーか、俺も出来るなら参加したくない。帰っていい?」
そう、個人的には大変不本意ではあるのだが、今俺とキリトがここにいるのはこの広場で行われる予定のフロアボス攻略会議に参加するためだった。
先日、あるパーティがとうとう第1層のボス部屋を発見したという情報が入ったのだ。次いで、その攻略会議を行うためにめぼしいプレイヤーたちに召集がかけられたのである。第1層で活動しているうちになんやかんやでそれなりにレベルが高くなっていた俺たちにも情報屋を通じて声が掛かったという訳だ。
「お、始まるみたいだぞ」
俺のぼやきを無視したキリトが広場の中心に顔を向ける。つられて俺も視線を移すと、騎士風の鎧装備を纏ったイケメンが立っているのが目に入った。
青髪ロングというなかなかファンキーな髪型をしている男だ。非現実感漂うゲーム内だからだろうか、あまり違和感はない。
奇抜なヘアスタイルに反して男は爽やかな笑顔を浮かべ、周囲のプレイヤーたちを見回した。そしてこの場の注目を集めるように大げさな身振り手振りで語り始める。
「みんな、今日は集まってくれてありがとう! 俺はディアベル! 職業は、気持ち的にナイトやってます!」
その自己紹介に、すかさず周囲から「ジョブシステムなんてないだろ」というツッコミが入り、笑いが生まれる。とりあえず、今のやりとりだけでもあいつがリア充だということがわかった。
俺とは合わないタイプだな。ちなみに大抵の人間はこのタイプに分類される。
「先日、俺のパーティが迷宮区でボス部屋を発見した」
ディアベルと名乗った男は表情を真面目なものへと変えて、そう切り出した。プレイヤーたちの間に緊張が走る。この場にいる全員が息を飲んで続く言葉を待っていた。
「このデスゲームが始まってから1ヶ月……少しずつだけど、俺たちは前に進んでる。ここでボスを攻略して、このデスゲームにもいつか終わりが来るってことを始まりの街で待つ皆に教えてやろうじゃないか!」
ディアベルが力強く拳を突き上げる。それに呼応して広場のプレイヤーたちも歓声を上げた。ボス攻略前の演説としては上出来だろう。ちなみに俺とキリトも空気を読んで、何となく右手を上げておいた。
士気十分なプレイヤーたちの様子に満足したのだろう。ディアベルが笑顔を浮かべて大きく頷く。
「よし、それじゃあボス攻略会議を始めさせてもらう。まずは――」
「ちょお、待ってんか!!」
ディアベルの話を遮り、広場の中央に1人のプレイヤーが躍り出た。
「ワイはキバオウってモンや!」
小柄な男が、ディアベルの横に立つ。俺はキバオウと名乗ったそのプレイヤーに視線を移すと――衝撃を受けた。
何だ、あの頭。
トゲトゲとした髪型をしている。蘭姉ちゃんも顔負けのトゲトゲヘアーだ。いや、自分でも何言ってるか分かんないけど、それ以外表現しようがない。あえて言うならこんぺいとうだろうか。さっきは奇抜なヘアスタイルとか言ってごめんディアベル。こいつに比べたらお前は全然普通だった。
やがて俺は動揺を隠しきれず、隣に座っているキリトに声を掛ける。
「な、なぁ。あいつの髪型って、どうなって……」
「ハチ、うるさい」
「え、あ、ごめん」
何故か真剣な様子のキリトに注意された。
……え? なんでそんなしれっとしてんの? 俺がおかしいの? いやいや、確かに数々のマイノリティに属してきた俺だが、流石にあの頭は……。
という俺の思考を遮って、キバオウが話し始める。
「会議を始める前に、ワイはこの場で言っとかなあかんことがある!」
話すキバオウは随分と剣幕な様子だ。髪型の件はとりあえず頭の隅に置いておいて、俺もそれに耳を傾ける。
「こん中に、今まで死んでった800人の人間に詫びいれなあかん奴らがおるはずや!」
言って、キバオウはプレイヤーたちの顔を見回した。その言葉の意図を察し、俺の頭は急速に冷めていく。隣にいるキリトも硬い表情を浮かべていた。
「その……キバオウさんが言っているのは、元βテスターの人たちのことかな?」
隣に立つディアベルが神妙な顔で尋ねると、キバオウは大きく頷く。
「そうや! β上がりどもはこんクソゲームが始まった時、ワイらビギナーを見捨てて始まりの街から消えやがった! そん後もボロいクエストやら狩場を独占して、ビギナーのことはお構いなしや! こん1ヶ月で800人も死人が出たんは、β上がりどものせいや!」
憤懣やる方ないという様子で、キバオウは口早に捲し立てた。
現在、このSAOの世界には元βテスターと正式サービスからの新規参入者との間に確執が存在する。勿論全ての元βテスターがキバオウの言うような行動をとった訳ではないが、一部では事実でもあった。そのため多くのプレイヤーたちはβテスト経験者に不信感を持っているのだ。
まあゲーム攻略の上では元βテスターの力は欠かせないため、今まで明確な対立は避けられていたのだが、キバオウはそんなことはお構いなしとばかりに不満を爆発させていた。
「こん中にもおるはずやで! β上がりの奴らが! ここでそいつらに詫び入れさせて、溜め込んだ金とアイテムを差し出してもらわな、パーティメンバーとして命は預けられんし、預かれん!」
言いたいことを全て言い切った様子で、キバオウはプレイヤーたちの反応を待つように仁王立ちで腕を組んだ。それきりプレイヤーたちの間に険悪なムードが漂う。
……さて、どうしたものか。
元βテスターである俺としては色々と反論したいところはあるのだが、今この場でそれを言ってキバオウを納得させるのは難しいかもしれない。こういう対立は大体の場合、理屈の問題じゃなく感情の問題だ。俺みたいな青臭いガキが何か言ったところで納得はして貰えないだろう。
そして、そもそもこんな空気の中で発言するなんてぼっちにはハードル高い。なんかスゲー帰りたくなってきた。
「発言いいか?」
やがて沈黙を破ったのは、渋い大人の声だった。振り返ると、挙手する厳つい黒人のおっさんが視界に入る。頭は剃り上げてスキンヘッドである。
なに、あの人めっちゃ恐い。日本でゲームやってる奴の風貌じゃないだろ……。そう思ったのは俺だけではないようで、広場の中央に立つキバオウも若干ビビったような表情を浮かべていた。
「俺の名前はエギル。キバオウさん、つまりあんたが言いたいことは、今まで多くのプレイヤーたちが死んでいったのは元βテスターたちのせいで、その責任をとってこの場で謝罪と賠償をしろ、ということか?」
「そ、そうや!」
「そうか……。じゃあキバオウさん、あんたは“これ”を知っているか?」
そう言って彼がストレージから取り出したのは、俺も良く知っているある本だった。エギルの強面に若干萎縮しつつ、キバオウはそれに答える。
「……道具屋で配っとる、ガイドブックやろ? それがどないしたんや」
エギルは立ち上がって中央まで進み、全員に見えるように本を掲げる。
「みんな知っているか? これはあるβテスターたちが自主制作したものなんだ」
その言葉に、プレイヤーたちがざわついた。βテストの情報が載っているんだから少し考えればわかりそうなものだが、どうやら大多数の人間は知らなかったらしい。
「情報は開示されていたんだ。特にこの本の冒頭に書かれている《ハチの心得》。これはSAOのノウハウが全くわからなかった多くのプレイヤーたちの命を救ったはずだ。800人の死者が出たのは事実だが、この情報がなければもっと多くの人間が死んでいてもおかしくなかった」
集まったプレイヤーたちの多くもガイドブックを活用していたようで、所々から賛同の声が囁かれる。キバオウはばつが悪そうな表情で舌打ちをし、顔を背けた。
「それに、あんたの言うようにβテスターを特定して身包みを剥いだとして、この後の攻略はどうするんだ? 俺はもっと建設的な話が出来ると思ってここに来たんだがな」
エギルのその言葉がとどめになったようで、キバオウはうなだれて元の位置に戻っていった。話に納得した様子ではなかったが、少なくともこの攻略中に話を蒸し返すことはないだろう……と思いたい。
その後キバオウとエギルが元の位置に着席したのを認め、ディアベルが再び口を開く。
「えーっと……じゃあ仕切り直して、これからボス攻略会議を始める! まずは皆、6人パーティを作ってくれ!」
ほっとしたのもつかの間、ぼっちにとっての最大の試練が訪れたのだった。
◆
ボス攻略会議が終わり、俺とキリトは拠点にしている小屋に戻ってきていた。
SAO内では所々にこういった貸し出し可能な家や小屋があり、上手く利用すれば宿よりも割安だ。経費削減のために俺とキリトはこの小屋をシェアして使っている。他人と四六時中同じ空間に居ると言うのは抵抗があったが、懐事情は厳しく、背に腹は変えられないので妥協することになったのだった。
帰ってきた俺はまずシステムメニューを操作して部屋着に着替え、ゆっくりと自分のベッドへと沈み込んだ。
「あー、疲れた。やっぱ知らん奴と話すのは体力使うな」
「よく言うよ。ほとんど俺任せだったくせに……」
俺と同じように部屋着に着替えたキリトが呆れた表情を浮かべる。
「いやほら、俺女子と話をすんのとか苦手だし」
「いや、俺も苦手だから……」
攻略会議のパーティ決めの際、案の定俺とキリトは他の集団からあぶれ、同じようにあぶれていた1人の女プレイヤーと余り物同士3人でパーティを組むこととなったのだ。もちろん女子との会話が不慣れな俺は、彼女とのやりとりは全面的にキリトに委託することにしたのだった。
キリトは多少人見知りはするが、コミュ障というほどではない。本人に直接聞いた訳ではないが多分まだ中学生くらいだろうし、訓練次第で更にコミュ力は上がっていくはずだ。そういうわけで今後も他人のやり取りはキリトに任せていきたいと思う。
「……なあ、ハチ。今日の話さ」
俺がベッドの上でゴロゴロとしていると、キリトがなにやら真面目な表情で話を切り出した。仰向けになりながら、視線だけそちらに向ける。
「エギルさんの、あの話。何か報われたよ。わかってくれる人も居るんだなって……。俺たちのしてきたことは、無駄じゃなかった」
キリトの話し方はかなり曖昧だったが、俺はその意図するところを察して頷いた。ベッドから身を起こし、近くの小さな窓から空を見つめる。既に陽は落ち、頼りない光を放つ星々がそこに浮かんでいた。
「そうだな。でも……」
――800人は、死んだ。
俺がその言葉を続けることはなかったが、その意を察したようにキリトが口を開く。
「ハチ、それはお前が全部背負い込まないといけないことじゃない。俺たちは俺たちに出来ることをやって、それで救われた人が居た。それでいいだろ?」
「わかってるよ。そもそも俺が人助けをしなきゃいけない義理も義務もないんだ。俺は単にクラインとお前のお人好しに付き合わされただけだし」
俺は肩を竦めてそう言って、キリトに視線を向ける。目が合ったキリトは何故か呆れたような笑みを浮かべてこちらを見つめていた。
「ハチ、お前やっぱり捻くれてるよな」
「……ちょっと、ぶらぶらしてくるわ。先寝ててくれ」
「ああ」
何となくキリトの眼差しに居心地が悪くなって、俺はそこから逃げ出したのだった。
◆
デスゲームが始まった、あの日。
しばらく始まりの街に留まることを決めた俺たちは、クラインの知り合い4人と合流し、宿の一室で今後の方針について話し合っていた。
俺たちが取りうる選択肢は3つ。1つ目は外部からの助けや他プレイヤーの攻略に期待して、安全圏に閉じこもること。2つ目は積極的に攻略に参加して、ゲームクリアに貢献すること。そして3つ目は――
「なあ、オレたちで何か出来ねーかな? 他のビギナーたちのためにさ」
話し合いの中、意を決したようにそう口にしたのはクラインだった。荒い板張りの床に胡坐をかき、どこか遠くを見つめるように顔を伏せている。
「たぶん、ほっといたらこれから大勢死ぬ。右も左も分からないようなプレイヤーがよ。オレだって、ハチとキリトに会えてなかったらきっとそうなってた。他人事にゃ思えねーんだ」
そう言ってクラインは全員に視線を向けたが、俺たちは一様に堅い表情で黙り込んだ。
クラインの言っていることはきっと正しい。正しいが、それは困難な道だ。みんなそれを理解しているからこそ、簡単に頷くことは出来ない。
部屋に重い沈黙が降りる。やがてそれを破ったのは、クラインの隣でベッドに腰掛けていたキリトだった。
「クラインの言っていることはわかる。俺も出来ることがあるなら何とかしたいけど、正直1万人近いプレイヤーたち相手に何が出来るのか……」
「それはほら、希望者集めてレクチャーしたりとか……」
「いや、さすがにそれは無茶だろ。こんな超序盤でそんなことしたら収拾付かなくなるぞ。人数を制限したらあぶれた奴から逆恨みされるかもしれないし」
ひとまず成り行きを見守ろうと思っていた俺だったが、さすがにこれには口を出した。ここにいる俺たちだけで1万人弱のプレイヤーたちを直接的に指導することなど現実的には不可能だ。
そんな俺の否定的な言葉にクラインは項垂れ、小さくため息を吐く。
「そうか……。ハチは何か案はないのか?」
クラインに話を振られ、俺に注目が集まる。ちょっとキョドりそうになりながらも、努めて冷静に答えた。
「ないこともないけど……。つーか、その前に確認したいんだけど、その……人助け? するのは決定なのか?」
「ハチは反対なのか?」
「いや、反対というか……もし何かしらのアクションをとるなら、俺とキリトだけじゃなくてクラインとそっちの4人にも結構無理をしてもらうことになると思うし、それでも正直成果が出るかどうかもわからないしな……。だから、予め全員の考えを確認しておいた方がいいと思う」
言って、俺はクラインの後ろに控える4人に視線を向けた。全員見た目は20歳前後の男プレイヤーである。俺の言葉に頷いたクラインも、振り返って彼らへと水を向ける。
「正直に言ってくれていい。こんな状況だ。自分のことを優先しても、誰も責めらんねぇしな」
問われた4人は顔を見合わせる。やがてその中の太った男――名前は忘れた――が口を開いたのだった。
「むしろ俺たちは助けて貰う側だし……。それでもやれることがあるなら、俺も何かしたい」
その隣で他の3人も同意するように頷く。これでひとまず言質は取れたので、後になって文句を言われることはないだろう。内心ではそんな身も蓋もないことを考えながら、俺も頷き返す。
「そうか。それなら一応俺に案……っていうほどのもんでもないけど、考えはある。けどほんとに気休め程度だから、期待しないでくれ」
そう前置きをしてから、俺は自分の考えを語った。
俺が計画したのは、生き残るために役立つ情報を載せたガイドブックを作ることだった。誰でも思いつきそうな無難な手段だが、SAOの中で実際にこれをやろうとすると色々と問題に直面する。
まず文書を作成するための《書道スキル》を取得しなければならないし、これを道具屋で印刷して貰うためにもあらかじめいくつかクエストをこなしておかなければならない。当然印刷には費用もかかるので、ある程度の資金は必要になる。そしてなによりビギナーが躓きそうな問題について先取りして情報を与えるためには、これらをなるべく迅速に行わなければならなかった。
活動はその日のうちに始められた。《書道スキル》を取得する班、道具屋のクエストをクリアする班、資金集めにモブを狩る班に分かれて動き、明け方頃にはおおよその下準備が整ったのだった。
その後も休みなしで活動は続いた。まずは重要度の高い項目を《書道スキル》によって書き出し、道具屋に依頼して印刷して、号外として街中にばら撒いた。それが《ハチの心得》である。
命名はクラインで、8と俺の名前をかけたらしい。というか、俺やキリトがノウハウとして提供したのは6つまでだったのだが、クラインが語呂を合わせるために勝手に2つ付け加えて8つにしたそうだ。その辺りはクラインと他の4人に任せきりで俺は関与していなかった。
それでは俺とキリトは何をしていたのかと言うと、モブを狩って今後さらに必要になるだろう資金を貯めつつ、βテスト時の情報と照らし合わせながらフィールドをまわっていたのだ。
その後、ある程度の情報が集まってから本格的にガイドブックの制作を開始。ページ数もそこそこあるため、印刷にもかなり金がかかる。さらに道具屋に委託して配布するのにも手数料がかかるので、一時期は金欠でその日食べる飯にも事欠く始末だった。
その甲斐あってガイドブックは無事完成し、配布が開始されたのだった。
だが、それでも死者は増えていった。
◆
ボス攻略前夜。
キリトから逃げるように小屋を出た俺は、街の外縁に腰掛けていた。
売店で買った珈琲のようなもの――SAOのゲーム序盤には良くわからない飲食物が多い――を啜りながら、システムウインドウを弄り、メッセージをしたためる。
メッセージの相手はクラインで、内容は日課の定時報告である。まあ日課といってもキリトと交互に行っているので2日に1回なのだが。
1冊目のガイドブックが出来上がってからはクラインたちと完全に別行動をとるようになったので、こうしてメッセージでやりとりをしている。別行動をとりはじめたのはクラインからの提案だ。というのも――
「制作作業はひと段落ついたし、こっちはオレらに任せてお前らは好きに動いてくれ! ハチとキリトみてぇな強いプレイヤーが街で燻ってちゃ勿体無いしな!」
――というクラインの後押しにより、俺とキリトも本格的にフィールドへと乗り出すことになったのだった。
それでも正直俺は最前線の攻略にまで参加するつもりはなかったのだが、第1層の攻略は思った以上に難航していたらしく、キリトと一緒に活動しているうちにいつの間にか最前線に追いついてしまったのだ。
初動の遅れた俺たちは大勢のプレイヤーたちとリソースの奪い合いになり、しばらくはレベリングもままならず足踏みをすることになるだろう――というのが当初の予想だったのだが、実際には未だ始まりの街に閉じこもっているプレイヤーが多く、俺たちが危惧していたような事態にはならなかったというわけである。
そうして完全にクラインとは別行動をとり始めた俺たちだったが、毎日得た情報だけはメッセージで送っていて、資金も定期的に届けている。既にガイドブックも2度目の改訂版が出されているので、俺たちが居なくても活動は順調のようだった。
βテスト時の情報だけだが最新版にはフロアボスについても記載されており、昼間の攻略会議でも打ち合わせに使用されたほどだ。
「こんなもんか……」
独り言ちた俺はそのままメッセージを送り、定時報告を済ませる。次いで珈琲のようなものを一気に飲み干し、一息ついてから小屋に帰るべく歩き出した。しかし、門をくぐって街に入るところで見知ったプレイヤーを見て足を止める。
フードを被った女
明日のボス攻略でパーティを組むことになった、アスナとかいう奴だ。
「よ、よう」
「……」
アスナは無言で俺の横を通り過ぎていった。無視ですか、そうですか。まあこの程度の出来事は慣れている。問題ない。
その背中を何となく視線で追うと、彼女はそのまま街の外に出かけて行くようだった。俺はその行動に引っかかるものを感じ、意を決してもう1度話しかける。
「おい、お前どこに行くつもりだ? ……おいって。お、おーい? アスナさーん?」
アスナは俺の言葉に振り返りもせずそのまま歩いて行こうとしたが、名前を呼ぶとピクリと反応し、その足を止めた。
さすがにこれだけ話しかけてシカトされたら俺でも心が折れてたぞ……。そうして若干安堵しつつ、背を向けたままの彼女に更に声を掛ける。
「あー……なんだ、もしボス攻略が怖くなって出てくっつーなら別に止めないぞ。ただ、明日の集合時間に探し回るのは面倒だから、もし抜けるなら今ここで言ってくれ」
この時間に街を出ていくということは、きっとそういうことだろう。それについて責める気はない。嫌なことから逃げることは悪いことじゃないのだ。ましてや今回は命がかかることである。キリトが居なければ俺も逃げ出していたかもしれない。
しかしそんな俺の思惑とは裏腹に、アスナの口から出たのは否定の言葉だった。
「レベル上げに行くだけよ」
「……それならまあ、いい。でも明日のこともあるから、ほどほどにしとけよ」
正直明日のことを考えるなら今日はしっかりと休むべきだったが――SAO内では体力は消費しないが、意外と気力は消費する――まあ個人の自由なので、強く引き止めるようなことはしない。
とりあえず聞くべきことは聞いたので、もう用件は済んだ。そうして俺はアスナに別れを告げて帰路につこうとしたのだが、いつの間にかこちらに振り返っていた彼女に呼び止められる。
「ねぇ、あなた。どうして私の名前がわかったの?」
「は? パーティ組んでるんだから、表示されてんだろ? 左上らへんに」
「キ……リト? これ、あなたの名前?」
「俺はハチだ。キリトはもう1人の方な。……つーか、もしかしてパーティ組むの初めてか?」
その問いに、アスナはコクリと頷いた。俺は少し不安になって、もう1つ質問してみる。
「えっと……一応聞くけど、スイッチとかわかるか?」
「スイッチ?」
「マジか……」
彼女の返事に、俺は項垂れて頭を抱えた。これは少しまずい事態である。
俺たちのパーティに割り振られた役割は、人数が少ないこともあってボスの取り巻きへの対処という危険度の低いものだった。だが、流石にスイッチも知らないビギナーでも務まるほど楽な役割ではない。ましてや俺たちは3人だけのパーティなのだ。
ちなみにスイッチと言うのは、モンスターの攻撃を弾いてその隙に前衛と後衛が入れ替わる技術のことだ。回復などのためのローテーションを回すのに必要となり、パーティの戦闘では必須技術である。
「お前、明日のボス攻略はやめとけ。スイッチも知らないビギナーじゃ足手まといだ」
「行くかどうかは、私が決めるわ」
俺の忠告に、間髪入れずにアスナが答える。フード越しで表情は見えなかったが、彼女がムッとしたのは伝わってきた。気の強い女だな……誰かさんを彷彿とさせるわ。
いつもの俺ならこの時点で戦略的撤退を決め込むところだろう。だが、今回は命に関わることなのでもう一言だけ忠告することにする。
「ここで意地はっても、無駄死にするだけだぞ」
「……もしかして、心配してくれてるの?」
「は!? いや、まあ、その……人並みには、な」
盛大にキョドってしまった。死にたい。たがアスナはそれを意に介した様子もなく答えた。
「そう。ありがと。でもボス攻略には、参加するから」
「あ、そう……」
急に素直な礼を返されて若干たじろいだが、彼女のその強情さに俺はすぐに冷静になって頷いた。
これ以上の問答は無駄だろうと悟り、俺は諦めて家に帰ることに決める。しかし続くアスナの言葉によって、それは妨げられたのだった。
「だから、その……スイッチっていうの、教えてくれない?」
◆
「今だ! スイッチ!」
俺が声を張り上げるとアスナは恐ろしい速さで敵前へと飛び込み、対峙していたコボルトの喉を右手に持つレイピアで貫いた。その攻撃によって敵のHPは全損し、コボルトは一瞬硬直した後すぐにガラスのように砕け散っていった。
アスナは剣を収めて息をつき、振り返って俺の顔を覗く。
「こんな感じでいいの?」
「ああ、スイッチは上出来だ」
街中での一件から、俺はアスナにフィールドでパーティ戦についてレクチャーすることになったのだった。トールバーナから迷宮区の間に広がる森の中、なるべく開けた場所を選んで既に何度かの戦闘を繰り返している。
ここに来るまで俺の頭の中は不安でいっぱいだったのだが、実際に戦ってみるとそんな不安は一気に吹き飛んだ。
驚いたことに、アスナの戦闘技術はかなりのものだったのだ。剣捌きは速く、正確。まあよく考えてみれば当然か。パーティも組まずにこの最前線で戦っていたのだ。状況判断にまだ荒さが残るが、明日のボス攻略においては十分戦力になるだろう。
「『スイッチは』って、どういう意味?」
俺の言葉から耳聡く微妙なニュアンスを聞き取ったらしいアスナが尋ねた。槍を背中の定位置へと収めてから、俺はそれに答える。
「最後の一撃はオーバーキルだったな。残りのHPを考えれば、ソードスキルを使う必要はなかっただろ」
「オーバーキルの何がいけないの?」
アスナが可愛く小首をかしげる。その仕草に俺はドギマギしつつ、しかしそれを誤魔化すように口を開いた。
「あー……。えっとな、例えば複数の敵と戦ってる時なんかは、一体目を倒した後もすぐに動かなきゃいけないだろ? だから、基本的になるべく隙の少ない弱い攻撃でとどめを刺す癖を付けといたほうがいいんだよ。あと、ソードスキルって使いすぎると疲れるし」
「なるほどね」
「なあ、もう終わろうぜ。明日のために早く休んだ方がいい」
というか、俺が限界だった。知り合ったばかりの女子と2人きりとか……ぼっちには難易度が高すぎる。
まあそれを抜きにしても、もう良い時間だ。アスナも俺の提案に異論はないようで、どちらからともなく街へと向かって歩き出した。
「あー疲れた……。さっさと帰って風呂入って寝よ」
それは気を紛らわすために呟いた独り言だったのだが、何故かアスナはその言葉に過剰な反応を見せた。前を歩いていた俺の肩をアスナが乱暴に掴み、引き寄せる。内心ビビりながらも、俺は何とか口を開いた。
「な、なんだよ……?」
「お風呂って、あるの?」
「へ? あ、ああ。付いてるとこには付いてるぞ。この辺にはあんまりないけど……。俺が借りてる小屋にはついてんだよ」
妙に剣幕な様子のアスナから距離をとりつつ答えた。しかしアスナはさらにこちらに詰め寄って俺に質問を投げかける。
「あなたの家以外に、この辺りにお風呂に入れる所ってないの?」
「俺の知る限りじゃないな。じゃ、そういうことで、またな」
「ちょっと待って」
一刻も早く家に帰りたかった俺はこの場で別れを告げようとしたが、すぐにアスナに呼び止められる。だが彼女はすぐには要件を切り出さず、何やら悩んでいる様子だった。数秒の沈黙の後、やがて消え入るような声でアスナが口を開く。
「その……あなたの泊まってる場所のお風呂、貸してもらえないかしら……?」
◆
「ハチ、これは一体どういうことだ?」
「いや、なんつーか……成り行きで、としか……」
拠点としている小屋に戻ってきた俺は、既に部屋着に着替えて自分のベッドに腰掛けていた。同じようにキリトも自分のベッドに座り、俺と向かい合っている。いつもの光景だ。ここまでは。
「しかしハチが家に女を連れ込むとはなぁ」
「おい、人聞きの悪い言い方すんな。断じて俺が連れ込んだんじゃない、断りきれなかっただけだ」
「そんな自信満々にヘタレ宣言すんなよ」
今現在、アスナは我が家の風呂を使用中である。
パーティ戦についてのレクチャーの後、どうしても風呂に入りたいというアスナの要請を俺は断りきれなかったのだ。
それで渋々家に招いたのだが、アスナはろくに礼も言わず、絶対に覗かないようにと再三俺に釘を刺して風呂場へと入っていった。
というか、何故かキリトには何も言わず俺だけ注意されたんだけど……。解せぬ。あの女、俺の《絶対に許さないリスト》に追加しておこう。
「まあ女の子だしな。明日どうなるかわからないし……風呂くらい入っておきたかったんだろ」
「……そうだな。下手すりゃ、明日が最期になるかもしれないし」
キリトの言葉に俺はそう言って頷いた。会話はそこで終わり、静寂が訪れる。しかし、すぐにその静寂を破って玄関の扉からノックの音が響いた。
俺とキリトは顔を見合わせる。こんな時間の来客に心当たりはなかった。
だがまあ、ここは圏内であり命の危険はない。ややあってベッドから立ち上がった俺は特に警戒することもなくドアノブへと手を掛けた。
玄関前、薄暗い通りに佇んでいたのはフードを被った小柄な女だ。アスナと違って装備しているフードには顔を隠すような機能は無いようで、扉を開けた瞬間こちらを見つめる大きな瞳と目が合った。
「ヨォ」
「アルゴか……よくここがわかったな」
「情報屋舐めんなヨ? どこに引っ越してもすぐ見つけてやるヨ」
「こええよ。ストーカーか……」
「ニャハハ! ハチのストーカーなんかゴメンだナ!」
そう言ってアルゴは、何が可笑しいのかコロコロと笑っていた。
この胡散臭い喋り方をしている女は《鼠のアルゴ》などという通り名を持つ、アインクラッドでは割と有名な情報屋だ。《鼠》という異名は、こいつが鼠のような三本線のフェイスペイントをしていることからきている。
また余談ではあるが、端整な顔立ちとそのマスコット的な格好も相まって、一部のプレイヤーに熱狂的な人気を誇っているそうだ。
こいつとはβテストからの数少ない知り合いで、ガイドブック制作の折にもかなり協力をしてもらい感謝しているんだが……いかんせん考えが読みづらい相手なので、苦手意識は拭えない。
「おー、アルゴじゃないか。どうしたんだ今日は?」
「明日ボス攻略なんだロ? 激励しに来てやったんダヨ」
横から顔を出したキリトがアルゴを迎える。アルゴはそれに答えながら、俺の脇をすり抜けて部屋に入っていった。
「ヘェ……中々良いトコロに住んでるじゃないカ。ン? あっちの扉はなんダ?」
「ああ、あっちは風呂だ。今は、ハチが連れてきた――」
「今! 俺が風呂に入ろうとしてた所なんだ! 明日はボス攻略だからさっさと風呂に入って寝るつもりだったんだ! と、言うわけで、来たばかりで悪いが今日はもう帰ってくれ!」
キリトが口走りそうになったことを遮って、俺はまくし立てた。
この女に弱みを握られるのは不味いのだ。俺が家に女を連れ込んで、あまつさえ風呂を貸し出したとアルゴに知れれば、散々ネタにされ弄られるのは目に見えている。下手をすれば口止め料とか言って金をせびられる可能性も……。
と考えての行動だったのだが、むしろこの場では逆効果だったようだ。
「ふぅン。……それで、なにを隠してるんダ?」
フードの中でニヤリと笑みを浮かべるアルゴ。俺は背中に嫌な汗を感じながら……いや、ゲーム内に発汗のエフェクトはないんだが……まあそういったプレッシャーを感じながらアルゴに言葉を返した。
「何も隠してないっつーの。な、キリト?」
「あ、ああ……」
視線で釘を刺しつつ、キリトに話を振る。アルゴも俺たちの態度に思う所はあったのだろうが、1つ呆れたように息を吐くと諦めたように頷いた。
「……ま、無理に詮索はしないヨ。じゃー、お邪魔みたいだし今日のトコロは帰るとするカ」
「悪いな。あ、夜も遅いし送っていくか? キリトが」
「俺!?」
「心配しなくても大丈夫ダヨ。それじゃあ帰る――と見せかけテ!」
「あ! おい!?」
アルゴはこちらの一瞬の隙をついて、物凄い勢いで駆け出した。その足が目指すのは部屋の奥の扉――風呂場である。
俺は焦ってすぐにその背中を追いかけるも、スタートダッシュの差は埋まらず間も無くアルゴはドアノブに手をかけた。
「ニャハハ! このアルゴ様に隠し事なんて10年早いヨ、ハ……チ?」
アルゴは風呂場の扉を開け放ったままの体勢で固まる。
その後ろでアルゴを止めるべく追っていた俺は、そいつの視線の先……一糸纏わぬ姿のアスナと、目があった。
「え……? き、きゃああぁ!?」
その後、俺はアスナに罵詈雑言を浴びせかけられ、ソードスキルで小突き回され――圏内なのでダメージはない。但し、物凄い衝撃で揺さぶられるので非常に不快――その後、額に穴があくほど土下座をさせられて、やっと許して貰えた。
くそ……。こんなテンプレなラブコメイベントに巻き込まれるなんて、一生の不覚だ……。
このトラブルを引き起こした張本人であるアルゴは
「ニャハハ! いや、悪かったヨ。まさかハチが女を連れ込んでるなんて思わなくてナ!」
と全く悪びれる様子なく笑っていた。あいつも俺の《絶対に許さないリスト》に追加しておこう。
たが、帰り際に「死ぬなヨ」と告げていったあいつの顔は、柄にもなく真摯だった。
◆
翌日。
ディアベルに先導されて安全に迷宮区を潜り抜けた俺たちは、既にボス部屋の前へと到着していた。
巨大な鉄製の扉を前に、ディアベルを中心にして44名が半円状に集合する。ディアベルは集まったプレイヤーたちの顔をゆっくりと見回し、力強い笑顔を見せた。
「この場で俺から皆に言うことは1つだけだ……勝とうぜ!」
拳を振り上げたディアベルに呼応して、プレイヤーたちから気合の入った声が上がる。その熱が冷めやらぬうちに、ディアベルは扉へと手を掛けた。半自動的に、両開きの巨大な扉が口を開ける。
ボス部屋は縦に長い大広間だった。
45人のレイドが立ち回るにも十分な広さである。プレイヤーが扉をくぐると、薄暗かった部屋に明かりが灯り、大広間最奥の玉座に腰掛けていたボスモンスターがおもむろに立ち上がった。
《イルファング・ザ・コボルトロード》
その姿は体長3、4メートルはあろうかという巨大なコボルトだ。右手にアックス、左手にバックラーを携えたスタイルである。体毛のない赤い皮膚に丸みのある体は遠目にするとだらしなく太ったような体形に見えるが、その実あれは筋肉の塊だ。その膂力でもって、ボスは巨大な戦斧を楽々と担ぎ上げる。
続いてボスの前に小型――と言っても人間サイズ――のコボルトが数体ポップする。
《ルイン・コボルトセンチネル》
全員身に着ける鎧は同じものだが、武器はそれぞれの個体が異なったものを装備している。個体によって戦闘スタイルが違うことと、全身に纏った鎧のせいで弱点部位が狙いにくいことが厄介なモブである。
俺は遠目にそれら全てを観察し、今のところβテストと差異がないことに内心ホッとした。既に偵察隊からの報告は聞いていたが、この目で見るまでは安心出来ないでいたのだ。
「じゃあ俺たちは打ち合わせ通り、ボスの取り巻きの対処だ。もたもたしてると増援がくるから、さっさとカタを付けよう」
パーティリーダーであるキリトの言葉に、俺とアスナは同時に頷く。武器を構え、俺たちは先導するディアベルたちの背中を追ったのだった。
◆
「ハチくん! スイッチ!」
「はいよ……!」
アスナと入れ替わり、俺はすかさずコボルトセンチネルの喉を槍で貫く。その一撃で敵は絶命し、ガラスのように砕け散っていった。
「グッジョブ。順調だな」
後ろに控えていたキリトがそう声を掛けながら、周りに目を向ける。
俺たちを除いたコボルトセンチネルを担当している3パーティは、今だにHPの半分ほどしか削れていない。事前の取り決めで混乱を避けるために非常事態以外は他のパーティに横槍を入れないと決まっていたので、ペースの早かった俺たちはしばらく休憩だ。
しかし、ここにきて俺はキリトの強さが異常であることを再確認した。特に反応速度がやばい。普通は後ろに下がったり武器で受けたりする敵の攻撃を、逆に踏み込んで見切り、攻撃を加えているのだ。俺がやったら命がいくつあっても足りない芸当だ。
そしてそんなキリトには一歩及ばないものの、アスナもビギナーにしては相当強い。おかげで他のパーティの半分の人数なのに、倍のスピードでコボルトセンチネルたちを撃破していた。
さて肝心のボス攻略の方はと言うと、こちらも順調にダメージを与えているようだ。
ディアベルの指揮する4つのパーティは連携し、危なげなく確実に攻撃を加えている。ボスの残りHPはゲージ1本半といった所か。
ここまでは全て事前の打ち合わせ通りの流れであり、βテスト時との差異もなかった。この後も仕様に変更がなければ、ボスの残りHPがゲージ1本を切った所で最後の取り巻きがポップするはずだ。
そしてさらにボスの残りHPが減ってゲージが赤くなると、武器を持ち替えて攻撃パターンが変わる。持ち替える武器はタルワール。それ以降《曲刀》カテゴリのソードスキルを使うようになるが、あのパーティなら対処出来るはずだ。
まあ正直ここまで来てしまったらもう成るようにしかならないし、腹を括るべきだろう。それにこのレイドなら多少のイレギュラーには対応出来るだけの能力はあるはずだ。
……ただ、完全に別件ではあるのだが、俺には少し気になってることがあった。
「なあ、なんかお前今日人使い荒くない?」
露骨に俺から顔を背けているアスナに対し、そう声を掛けた。アスナはそっぽを向いたまま、抑揚のない声で答える。
「何? 何か文句があるの?」
「いや、ないけど……」
「そ。あと、お前はやめて」
「はい……」
めっちゃ怒ってるじゃん……。昨日あんだけ俺を小突きまわしといてまだ怒ってるとか、理不尽すぎる。しかもあの風呂シーンも前にアルゴが居たから肝心な所は何も見えなかったってのに。不幸だ……。
そうやってうなだれる俺に苦笑を向けながら、キリトが口を開く。
「ほら、無駄口叩いてるとケガするぞ。そろそろボスの残りHPが一本切るから、構えとけよ」
「……了解」
◆
事件は、ボス撃破までもう一息のところで起きたのだった。
俺たちのパーティが対応していたコボルトセンチネルも、もう虫の息というところで後方からモンスターの咆哮が響いた。
振り返って視線をやると、ディアベルの隊に囲まれたボスモンスターのHPゲージが赤くなっており、丁度武器を持ち替える場面だった。
こうなってしまえば、最早戦いは終わったようなものだ。武器を持ち替えると確かにボスの攻撃力は上がるのだが、持ち替えの動作の隙が大きく、その間にパーティ全員で囲んでしまえれば一気にHPを削ることが出来るのだ。
「よし! みんな、下がれ!」
しかしセオリーとは違うディアベルの指示が聞こえて俺は一瞬戸惑ったが、すぐに冷静に思い直した。相手が情報通りに動いてくれる保証もないのだ。それならば確かに一旦下がって様子を伺った方が懸命である。
だがディアベルがさらに続けた言葉に、俺は自分の耳を疑った。
「俺が出る!」
そう言って、ディアベルが単身ボスの前に躍り出る。若干戸惑う様子はあるものの、他のプレイヤーたちは全員ディアベルの指示に従って後ろに下がっていた。
「あいつ、どういうつも……ッ!?」
俺が気を散らした一瞬の隙に、コボルトセンチネルがこちらに肉薄していた。とっさに槍の石突で敵のメイスを弾き上げる。苦しい体勢だったがなんとか敵の隙を作ることに成功し、俺は後方に控えるアスナにスイッチを呼びかけた。
すかさずアスナの細剣がコボルトセンチネルを貫き、そのHPを削り切る。そうして敵を撃破したのを確認して安堵したのもつかの間、隣からキリトの叫ぶような声が上がったのだった。
「ダメだ!! 全力で後ろに飛べ!!」
俺はキリトを一瞥して、すぐにその視線の先を追う。
巨大な剣を構えるボスと、相対するディアベル。俺はその時初めて、ボスの構えるその剣がタルワールではないことに気付いた。あれは《カタナ》カテゴリの武器、野太刀だ。
――βテストと違う。
このままではディアベルが死ぬ。俺はそう直感し、気付いた時には駆け出していた。やや前方に、同じようにボスを目指して駆けているキリトの姿がある。
ボスとの距離は30メートルほど。だが既にディアベルとボスは互いにソードスキル発動の動作に入っており、次の瞬間にはもう技を放っていた。
袈裟懸けに野太刀を振り下ろすボスと、横薙ぎに片手剣を払うディアベル。
ソードスキル発動は両者ほぼ同時だったが、剣速はわずかにボスの方が速い。そしてそのわずかな差が、戦いにおいては決定的な差になった。
ディアベルの剣はボスに届くことなく、巨大な野太刀によって彼は斬り伏せられる。さらに返す刃で追撃を喰らい、大きく後方に吹き飛ばされた。
「ディアベル!」
そう叫びながら、キリトは飛ばされたディアベルの方へと駆けていく。走りながら器用にウインドウを操作し、HP回復ポーションを取り出していた。結果、俺は1人でボスと対峙することになる。
……え、ちょ、マジで?
と、そんな思いも過ったが、ぼやいている余裕もないので槍を構えてボスに突っ込む。幸いボスはソードスキル発動後の硬直に陥っていたので、体が大きい分いい的だった。
俺はソードスキルによって刺突2発と横薙ぎに一閃を喰らわせ、ボスを後方へと吹っ飛ばす。大したダメージは与えていないが、時間稼ぎにはなるだろう。
その隙に後ろを確認し――眼前のその光景に、俺は息を飲んだ。
キリトの腕の中で、ディアベルがガラスのように砕け散っていったのだ。
――ディアベルが、死んだ。
先ほどのボスの攻撃で、HPを削りきられたのだ。
その事実に、ディアベルの指揮下にいた4つのパーティのメンバーは全員呆然としていた。中にはへたり込んでいるものさえいる。俺でさえこれほどの衝撃を受けているのだ。彼と親しかったプレイヤーたちの喪失感は計り知れない。
撤退、という言葉が俺の頭に過った。しかし同時に、ここまで来てという思いもある。
俺たちプレイヤーは1ヶ月もの時間を掛けてフロアボスの下まで辿り着き、ようやく第1層突破という希望を見出したのだ。この戦いに敗れてその希望を失えば、プレイヤーたちが再び立ち上がるまでにどれだけの時を要するのか見当もつかなかった。
リスクを承知で押し切るか、否か。正解のない問いだ。しかし悩んでいる時間はない。既にボスは体勢を立て直しつつあるのだ。
どうすれば――そうして葛藤する俺の横に、いつの間にかキリトが立っていた。
「キリト……」
「ディアベルに、ここを託された」
死の間際に、何かやりとりがあったのだろう。悲痛な面持ちのキリトはそう言って、俺の顔を見た。
「ハチ……やれるか?」
聞いたキリトの瞳の奥には、強い意志が灯っていた。こいつはきっと、1人でもやるんだろう。それに気付いてしまった瞬間、俺の中にあった迷いは霧散していった。
「……まあ、やるっつーなら、付き合ってやらんこともない」
「ホント素直じゃないな、ハチは」
言って、キリトが小さく笑う。俺はそれを無視して槍を握り直し、低く構えた。
「私も、やれるわ」
いつの間にか隣に立っていたアスナが、そう言って剣を構える。事ここに至っても全く怖気づいた様子のない彼女に俺は内心で呆れながらも、同時に今の状況では頼もしくも感じた。
「わかった。でもアスナは奴の正面には立たないでくれ。あの刀スキルは、初見で捌き切れるものじゃない」
「わかった」
キリトの忠告に素直に頷いたアスナが、俺たちの後ろに立つ。間もなく、体勢を立て直したボスがこちらに向かって突進してきた。
「俺から行く!」
叫んだキリトが剣を構えて走り出し、巨大なボスモンスターと相対する。勢いのまま両者ともにソードスキルを放ち、次の瞬間大きな剣戟の音が響き渡った。
大きく剣を振り抜いた体勢のキリトと、攻撃を弾かれてノックバックを受けるボスモンスター。相手の使用するソードスキルを知り尽くし、かつ一瞬の判断力が求められる芸当だ。
俺は目の前の光景に内心で舌を巻いたが、今は驚いている余裕もないのですぐに頭を切り替える。キリトの脇から這うように駆け出し、態勢を崩したままのボスモンスターに一撃を放った。アスナもキリトのアドバイス通り正面には立たず、横から追撃を加えている。
ボスモンスターはすぐに体勢を立て直し、再びソードスキルを放つ構えを見せた。しかし俺にはキリトのようにソードスキルを見切って跳ね上げることは難しい。それを分かっていた俺は技を放たれる前に槍の先で相手の武器を巻き込み、横に跳ね上げた。その勢いのままに槍を回転させ、石突でボスの足を払う。少しでも体勢を崩してくれれば上々、そんな考えで放った一撃だったが、思いのほか当たり所がよかったらしくボスモンスターはその巨体を勢いよく転倒させた。
――チャンスだ。
大きく隙の出来たボスモンスターに対し、3人で示し合わせたようにラッシュを加える。数秒のうちに、みるみる敵のHPが削られていった。
「いけるわ!」
そう言って、最後まで攻撃を加えていたのはアスナだ。しかし一瞬、俺の背筋にヒヤリとした感覚が走る。
「おいバカ! 出過ぎだ!」
「え……!? きゃあ!!」
横たわったままのボスモンスターの長い尻尾が大きくうねり、その攻撃に足を取られたアスナが転倒する。その後すぐに立ち上がったボスモンスターは、傍らに倒れるアスナに向かって野太刀を振り上げた。次の瞬間その刀身に光が宿り、恐ろしい速さで振り下ろされる。
あの技は知っている。先ほどディアベルを屠った技だ。斬り伏せ、斬り上げる連撃。
俺の目の前で一撃目がアスナに直撃し、HPゲージが半分以上削られた。そして二度目の剣撃が彼女を襲おうとしたその時――アスナとボスモンスターの間に、俺は体を捻り込ませた。
「が……ぁっ!!」
斬り上げが炸裂し、無様なうめき声を上げた俺は抱えたアスナと一緒に上空に跳ね上げられた。辛うじて槍の柄で斬撃を逸らし直撃はまぬがれたものの、それでもHPは三分の一以上削られている。
吹き飛ばされつつも、俺はなんとか状況を把握しようと視線を走らせた。しかしその瞬間視界の端に捉えたのは、俺たちに止めを刺すべく跳躍するボスモンスターの巨体だった。
――やばい。
「届けぇええぇぇぇ!!」
俺の頭に死が過った刹那、耳を衝いたのはキリトの雄叫び。ボスモンスターの後方には、剣を構えて跳躍するキリトの姿があった。
放たれるソードスキル。空中でボスモンスターに追随し、青く輝きを放つ一閃が赤い巨体に深く食い込む。その一撃にボスモンスターは一際大きな咆哮を上げた。
眼前にまで迫っていた赤い巨体。しかしその右手に掲げた野太刀が俺たちへと振り下ろされることはなく――次の瞬間、ボスモンスターは青白いガラス片となって砕け散っていったのだった。
◆
「勝った……のか?」
「みたいだな……」
尻餅をついたまま気の抜けた声を発した俺に、同じく隣でへたり込んでいたキリトも力なく頷いた。
縦に長い大広間。この部屋の主である《イルファング・ザ・コボルトロード》の姿は既になく、代わりに俺たちの前にはでかでかと《Congratulation!!》のシステムメッセージが浮かんでいたのだった。
俺はフロアボスを倒したのだという実感が湧かず、しばらく呆然とそれを眺めていた。しかしややあって腕の中に抱えたままだったアスナがもぞもぞと動き、我に返る。
「あの、そろそろ離してくれると嬉しいんだけど」
「え、あ、うおっ! す、すまん、悪気はなかったんだ!」
「わかってるわよそんなこと……。その、ありがと……」
「へ? あ、ああ」
咄嗟にアスナから身を離した俺はそのまま土下座する勢いだったが、急にしおらしい態度を見せる彼女を前にして動きを止める。
彼女の顔を隠していたフードはいつの間にかなくなっていた。おそらく先ほどのボスモンスターの斬撃によって剥ぎ取られたのだろう。栗色の長い髪が胸元に落ち、色素の薄い2つの瞳はばつが悪そうに少し伏せられている。
つーか、昨日風呂場の事件でチラ見した時から思ってたけど、やっぱこいつ整った顔してんな……。
内心そんな色ボケに染まった思考を展開する俺だったが、しかしすぐに目の前に現れた厳つい黒人によってそれは塗りつぶされる。
「Congratulation! 素晴らしいチームワークだったぜ。この勝利はあんたたちのもんだ」
顔に違わずナチュラルな英語の発音で祝福してくれたのは、昨日の攻略会議であのこんぺいとうヘッドとやりあってくれたエギルという男だった。
「しかし、すまなかったな。途中、完全に敵に飲まれてしまって何も出来なかった」
「ああ、いや……」
申し訳なさそうに項垂れるエギル。しかし俺には曖昧に言葉を返すことしか出来なかった。キリトに声を掛けられなければ、きっと俺もディアベルの死を前にして頭が真っ白になったままだったはずだ。偉そうなことなど言えるはずもない。
なんとなく気まずくなった俺はエギルとの会話はそこそこに、周囲を見回した。プレイヤーたちの反応は様々だ。へたり込み、安堵に浸る者。興奮冷めやらぬ様子で歓喜する者。死んだディアベルのために涙を流す者。――そんな状況の中、やがて1人の男が叫んだ。
「なんでや! なんでディアベルはんを見殺しにしたんや!」
その声の主は、昨日の攻略会議で元βテスターを目の敵にしていた、キバオウだ。キバオウは何故かキリトに対して憎悪のこもった視線を向けていた。
「見殺し……?」
「そうやろが! 自分はボスがどないなスキル使うか、知っとったやないかい!」
その言葉を受け、キバオウの隣にいた男が「そういえばあいつ、ボスがスキル使う前に何か言ってたよな……」と呟いた。周りのプレイヤーたちがざわめき始める。
「ワイは知ってんねんぞ! ワレが元βテスターだっちゅうことはな! ホンマはあのボスの情報知っとったんやろ!? 知ってて黙ってたんやろ!!」
「違う! 俺は……」
キリトの抗弁はしかし、周りのプレイヤーたちのざわめきの前にかき消された。ざわめきは次第に大きくなっていき、終いにはキリトを糾弾する声に変わっていった。
――何だ、これは?
俺はその状況を、怒りとも困惑とも取れない感情と共に眺めていた。とんだ茶番だ。みんなまるで状況が見えていない。
キリトこそが、この場にいるプレイヤーたちを救ったのだ。そしておそらくこれからも、キリトはSAO攻略の核となって多くの人間を救うだろう。こいつはこの世界にとって、なくてはならない存在なのだ。
そんな人物を、場をかき回すしか脳のない男の扇動に乗って、吊るし上げようとしている。
「詫びろや! 這いつくばって詫びいれろや!」
「おいお前! いい加減に……!」
「他にもおるんやろ! 元βテスターども! さっさと出てこいや!!」
この時、既に俺の中にあった感情は明確な怒りに変わっていた。そして、俺は1つの決意をする。
キバオウを制止しようとするエギルの脇をすり抜け、未だ汚い言葉を喚き立てているそいつの前に俺は立つ。そして――手にした槍の柄で、キバオウをぶん殴った。
その瞬間、俺の頭上のカーソルはオレンジに変わり、ざわついていたプレイヤーたちが静まり返る。
「つぅ……! 何しやがんじゃ、ワレ!!」
尻もちをついたままのキバオウが、抗議の視線を送ってくる。俺はその剣幕にビビりつつも、狙い通り自分に注目が集まったことを確認して語り出した。
「俺は元βテスターだ」
その言葉に再びプレイヤーたちはざわついたが、それを無視して話を続ける。
「言っとくけど、ボスの事前情報に嘘はなかった。単純にβテスト時から、仕様が変わっていただけだ」
「う、嘘こくなや! 自分らはボスが使うスキルを知っとったやないか!」
「俺らはβテストの時に第8層まで行った。そこで刀を持った敵と戦ったことがあっただけだ」
これが事実であったのだが、キバオウは納得のいかない様子で俺を睨みつけていた。こいつは今、明らかに冷静じゃない。きっとこの場で俺がどれだけ言葉を重ねても納得はしてくれないだろう。それを理解しながら、俺は語り続ける。
「大体、お前が何に怒ってるのか知らないけど……ディアベルが死んだのは、ただの自業自得じゃねぇか」
「なんやと!?」
キバオウとディアベルの取り巻きであったプレイヤーたちが色めき立つ。俺は挑発するようにそいつらに視線をやった。
「お前ら、LAボーナスって知ってるか? ボスにとどめを刺したプレイヤーには、レアアイテムが手に入るんだよ。きっとあいつはそれを知ってたんだろうな。だから欲を出して1人で突っ込んだんだ。結果は返り討ちにされて無駄死に。これが自業自得じゃなくて何なんだよ」
「それはちゃう! ディアベルはんは――」
「ああ、自業自得より質が悪いか。下手すりゃ部隊が崩れて俺たちも巻き添え食ってたところだし……まあ、死んだのがあいつ1人で助かったよ」
「こ、こん……クソがッ!!」
俺の言葉が相当腹に据えかねたのだろう。激昂したキバオウが立ち上がり、剣を片手にこちらに突っ込んできた。しかし冷静さを欠くためかその動きは酷く単調だ。俺は難なく槍の先で剣を弾き、続いて石突で足を払ってキバオウを転倒させた。
「人に剣を向けたんだ。覚悟は出来てるんだろ?」
槍を構える俺と、倒れるキバオウの視線が交わる。怒りを孕んでいたキバオウの瞳は、突きつけられた槍に光が灯るのを見て取った瞬間、恐怖の色に染まった。
「死ね」
短い言葉と共に、ソードスキルを放つ。俺の持つ槍の穂先が一瞬にしてキバオウに肉薄し――次の瞬間、横からの斬撃によって大きく攻撃を弾かれた。
「何やってんだハチ!! 気は確かか!?」
俺の槍を弾いたキリトが、目の前で叫ぶ。予想通りに動いてくれたキリトに内心で安堵しつつ、俺はガタガタと震えて腰を抜かしているキバオウに視線を戻した。
「命拾いしたな。でもまた今度、的外れな理屈で状況をかき回して、攻略を遅らせるようなことしてみろ。次は本気で殺す」
キバオウに、そしてディアベルの取り巻きだったプレイヤーたちに目を向けながらそう釘を刺した。熱に浮かされたように糾弾を叫んでいたプレイヤーたちも、今や冷や水を浴びせ掛けられたように静かになっている。それを確認してから、俺は第2層に向けて歩きだした。しかし、そこにキリトが追いすがる。
「おい、待てよ! ハチ!」
「ついてくるなよ。お前ともここでお別れだ。つーか、始めから嫌だったんだよ。クラインとお前のお人好しに巻き込まれるのも、友達ヅラで一緒に居られるのも」
俺はなるべく厳しい言葉を選んだ。ここでついて来られてしまっては、意味がない。
「……じゃあな」
キリトが今どんな表情を浮かべているのか、直視することが出来なかった。そうして俺は振り返らずに、再び第2層へと向かって歩き出す。大広間には不自然なほどの静寂が降り、俺の堅い足音だけが響いていた。
全て、上手くいった。そう思った。背中に突き刺さる視線が痛かったが、こんなものは慣れたものだ。
次の層へと繋がる扉に手をかける。その向こうには薄暗い道が広がっていて、俺は独りでその道を歩き出した。
感慨はない。元のぼっちに戻るだけだ。
――あなたのやり方、嫌いだわ。
いつか誰かに言われたそんな言葉が、どこからか聞こえた気がした。