獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第九節

 歓呼の声が鳴り響いている大広間を埋め尽くす群臣たちの最前列には、帝国における文武の最高幹部たちが立ち並んでいる。

 

 その中で、武官の筆頭たるウォルフガング・ミッターマイヤーの傍らには、愛妻たるエヴァンゼリンと、彼女に抱かれた養子たるフェリックスの姿があった。

 

 

 当初ミッターマイヤーは、皇帝夫妻の結婚式において乳児であったフェリックスが泣き出しそうになったのを慮り、フェリックスの戴冠式への参列を見合わせるべきか否か、いささか悩んだものであった。だが、摂政皇太后であるヒルダにその事を相談した所、彼女は迷いなくフェリックスの参列を求めたのである。

 

「よろしいのですか? その……」

 

 明快なミッターマイヤーが珍しく言いよどむのを見て、皇太后陛下は柔らかに微笑する。

 

「元帥のお子様は、新帝の大事なご友人ですもの。戴冠式にはぜひ出席していただかないと、のちのち彼らに恨まれてしまいますわ」

 

 その言葉に、今や宇宙最高の勇将となった人物は恐縮しつつ一礼したのだった。

 

 

 かくして生後一歳三ヶ月半のフェリックス・ミッターマイヤーは、友人たる生後三ヶ月のアレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムの戴冠式における参列者のリストに名を連ねる事となる。

 

 なお、余談ながらフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトが軍最高幹部の面々の中ではミッターマイヤー一家から最も離れた位置に配され、彼の新帝を讃える歓声が皇帝夫妻の結婚式の時と較べて控えめであった裏の事情を知っていたのは、列席者の中のごく一部のみであった……。

 

 

「大丈夫ですよ、あなた。あのビッテンフェルト提督のお声を近くで聞いてもすぐには泣かなかったのですから。きっとこの子はロイエンタール提督の強いお心を受け継いでいるに違いありません」

 

 フェリックスが歓声に驚いて式の途中で泣き出しはしないか、と懸念を漏らした夫に、妻は穏やかに笑いながらそう答えたものである。

 

 後にそういった夫婦間の会話を知ったエルネスト・メックリンガーは、「ミッターマイヤー夫人(フラウ・ミッターマイヤー)は、宇宙一の勇将たるご夫君よりも胆が据わっておいでだ」と評した。それを聞いた同僚たちは大笑し、当の『疾風ウォルフ』(ウォルフ・デア・シュトルム)は少し肩をすくめつつ苦笑せざるを得なかったのだった。

 

 かつて自分たちの結婚式の際、父親は祝福に訪れた美丈夫たる親友ロイエンタールの姿を見て花嫁の目移りを心配したが、母親は夫の懸念を「うちの息子だってけっこういい男ですよ」と一笑に付したものであった。結局は父の懸念は杞憂に終わり、のちに家族間での笑い話の一つとなったのだが、どうもミッターマイヤー家の男が妻よりも小胆であるのは伝統であるらしい。さて、うちの二人の養子たちはどうなる事やら……。

 

 

 新帝即位の瞬間に大広間に満たされた歓声に、幼いフェリックスは驚いて周囲を見渡すような仕草をしたものの、養母の予想通り、感情を害したりはしなかった。ほどなく彼は、壇上の玉座に座している大公妃アンネローゼに抱かれた一歳年少の乳児に青い双眸を向け、しばらくはその視線を動かす事はなかったのである。

 

 その光景を玉座の傍らに立つヒルダは微笑ましく眺めつつ、彼女は偉大な敵将であった同盟軍のアレクサンドル・ビュコック元帥の事を思い起こしていた。

 

 

「わしは良い友人が欲しいし、誰かにとって良い友人でありたいと思う。だが、良い主君も良い臣下も持ちたいとは思わない。だからこそ、あなたとわしは同じ旗を仰ぐ事はできなかったのだ」

 

 マル・アデッタ星域会戦で勇戦の果てに敗北した老将は、敵手たるラインハルトからの降伏勧告に対し泰然としてそう答え、差し伸べられた手を謝絶したのである。

 

 その降伏勧告を進言したのは、当時はまだ皇帝首席秘書官であったヒルダ自身であった。彼女は「未練をあの老人に笑われるだけだ」と否定的であった主君にこう言ったものである。

 

「敗敵に手を差しのべるのは勝者の器量を示すもの、それを受けいれぬ敗者こそが狭量なのですから」

 

 だが、死を目前にしても気負う事なく、敵を讃えつつ不屈のまま死んでいったビュコックの姿は、狭量という表現とは無縁の極みというべきものであった。その傍らにたたずむ参謀長チュン・ウー・チェン大将に代表される、司令長官に殉じた部下たちもまた、悠然とした態度を最期の瞬間まで崩す事はなかった。彼らの堂々たる死を、主君と共に見届けたヒルダは自分の発言が浅薄なものだったように感じられ、今思い出しても恥じ入らざるを得ないのである。

 

 ラインハルトは老いた敵将の最期の言葉に対して、当初はその毅然たる態度ほどには感銘を覚えなかったらしい。「他人に何が解る……」という皇帝(カイザー)の低いつぶやきを、傍らにいたヒルダは耳にしていた。

 

 だが、それは無二の「良い友人」たるジークフリード・キルヒアイスを一介の「良い臣下」として扱おうとした結果、彼を死に至らしめた自分の愚行から無意識の内に目を背けてしまっただけなのかもしれない。「良い友人」という存在が、人生を豊かな、光彩に満ちたものにしてくれるという事を、ラインハルトも隣家の少年と知り合ってから一〇年以上も心身双方で実感していたはずである。そして一時の激情に任せてそれに背を向けたがために、金髪の覇者は赤毛の盟友を現世において永久に喪い、生涯にわたり消えぬ罪悪感と喪失感を心中に抱き続ける事になったのであった。

 

 

「ラインハルトには父親がおりませんでした」

 

 大公妃アンネローゼは、かつてヒルダにそう語った事がある。アンネローゼとラインハルトの父セバスティアンは、息子に言わせれば「娘を権力者に売り渡した唾棄すべき屑」であった。尊敬など論外であったし、憎悪し続けるにせよ、超克するにせよ、それらの対象として実父は卑小に過ぎる存在でしかなかったのである。

 

 その欠落した父性の最初の代替的存在となったのが、最愛の姉を強奪した皇帝フリードリヒ四世に代表されるゴールデンバウム王朝であった。だが、それらは巨大な復讐と超克の対象とはなりえても、敬意の対象にはなりえなかった。

 

 そしてラインハルトにとって「尊敬し超克すべき父性」を補完する存在となったのが、「互角の敵手」と彼自身が認めたヤン・ウェンリーやアレクサンドル・ビュコックといった自由惑星同盟軍の名将たちだったのではないだろうか。ラインハルトが戦術的には勝利し得ぬまま終わったヤンの名ではなく、自らの手で(たお)したビュコックの名を息子に与えたのは、「尊敬すべき父性」を超克したという感慨の、無意識の表れでもあったのかもしれない。

 

 ヤンはバーミリオン会戦後の、ラインハルトとの最初にして最後の対談で語った。

 

「私が帝国に生を享けていれば、閣下のお誘いを受けずとも、進んで閣下の麾下に馳せ参じていた事でしょう」

「あなたは違う。常に陣頭に立っておいでです。失礼な申し上げようながら、感歎を禁じ得ません」

 

 ビュコックはマル・アデッタ会戦後のラインハルトの降伏勧告に対し、返答の冒頭で告げた。

 

「わしはあなたの才能と器量を高く評価しているつもりだ。孫を持つなら、あなたのような人物を持ちたいものだ」

 

「尊敬すべき父性」に値する敵将たちからの、これらの偽りなき賞賛は黄金色の髪の覇者にとって誇りたり得るものであったに違いない。そういった最大の雄敵たち、そして最大の味方であった赤毛の盟友との邂逅と別離が、短い人生においてラインハルトの人格を陶冶する巨大な一助となったのは否定し得ないであろう。

 

 息子に「アレクサンデル」と「ジークフリード」という二つの名を与え、自身が死に臨むに際し、息子に「対等の友人を一人残してやりたい」と望んでフェリックス・ミッターマイヤーを枕頭に呼び寄せたラインハルトは、自分の三倍の人生、そして六倍の軍歴に匹敵する生を全うした老元帥の最期の言葉を、太くも短い人生の晩年において噛み締めていたのかもしれなかった。

 

 ヒルダは亡夫の思念の軌跡に想いを馳せつつ、抱えていた帝冠を、傍らに用意されていた台座の上に安置した。そして遮音力場(サイレンス・フィールド)の圏外へと、静かに歩みを進めてゆく。摂政皇太后たる彼女の双肩には、いまだ幼い息子の代理として全宇宙の指導者たる義務が課せられているのだった。

 

 

 戴冠式に続き、皇帝ラインハルト崩御後の内閣における新しい閣僚人事が公表された。

 

 まず最初に発表されたのは、閣僚首座たる国務尚書フランツ・フォン・マリーンドルフ伯爵の辞任である。

 

 マリーンドルフ伯爵家は、ゴールデンバウム王朝末期は門閥貴族内のいずれの派閥にも属さず、中央政権の中枢にも係わり合いになる事が少ない地味な存在でしかなかった。有力な門閥貴族の一角であったカストロプ公爵家とは親族関係にあったものの、公爵家からは距離を置かれていた。権力を濫用し私腹を肥やす事はなはだしかったカストロプ公オイゲンに対し、マリーンドルフ伯は事あるごとに苦言を呈していたため煙たがられていたのである。

 

 だが、それは結果としてはマリーンドルフ伯爵家に幸運をもたらした。オイゲンの事故死後にカストロプ家を継いだ息子のマクシミリアンが叛乱を起こして鎮圧された後も、従来より公爵家から忌避されていたのに加え、伯爵が単身でマクシミリアンの説得のためにカストロプ領に赴き、容れられずに拘禁されたという事実によって、親族にもかかわらず連座で処罰される事態を回避しえたのである。

 

 現在のマリーンドルフ家当主たるフランツは、実の娘であるヒルダのような才気煥発といった人物ではなかったが、そのヒルダの才気に掣肘を加える事なく育て上げた一例からも解るように深い知性と理解力を兼ねそなえており、穏健で誠実な為人(ひととなり)で領民や他の貴族からも手堅い人望を集めてもいた。そしてそれゆえに、ローエングラム王朝を創始したラインハルトから王朝の初代首席閣僚に任じられる事となったのである。

 

 初代皇帝による親政体制が布かれていた新王朝の黎明期において、皇帝の補佐機関である内閣の長たる国務尚書にラインハルトが求めたのは、組織内において運営や調整役を大過なく行なう事のできる堅実かつ公正な手腕と見識であった。そしてリップシュタット戦役勃発直前から、娘の進言によりラインハルトに従う事を表明していたマリーンドルフ伯はラインハルトの独裁体制確立後においてその存在感を強めており、その立場も含めて、若き覇者にとって首席閣僚として理想的な人物であったのである。

 

 ラインハルトの期待通り、国務尚書に就任したマリーンドルフ伯は儀典や国事をつつがなく運営し、閣僚間の意見や利害の対立を事あるごとに仲裁し、各省の官僚たちが手腕を発揮する環境を整え、けれん味のない着実な手腕で王朝の内政面において多大な貢献を果たす事となる。

 

 だが、色恋沙汰に関心が薄かったラインハルトに統治者の婚姻の重要性を喚起したり、ヤン・ウェンリーにより再奪取されたイゼルローン要塞への皇帝親征に対して控えめながら反対の意思を明言するなど、かつてのカストロプ公爵家に対してもそうであったように、マリーンドルフ伯は単なる誠実なイエスマンではなかった。必要とあらば上位者の感情を害する可能性のある諫言や忠告も辞さない人物である事を実際の言動で証明しており、その姿勢は主君や周囲からの評価を高めるものとなったのである。

 

 そういった為人の伯爵が、ヒルダの皇妃冊立が発表された後に「皇妃の実父が宰相級の地位にあるのは国家のために好ましくない」として国務尚書職の辞任を皇帝に申し出たのは当然の流れであったかもしれない。

 

 

 前王朝たるゴールデンバウム朝において、建国者ルドルフ大帝の崩御後に帝位を継いたジギスムント一世の実父が、ルドルフの長女カタリナの婿たるノイエ・シュタウフェン公ヨアヒムである事は史書の記す通りである。ノイエ・シュタウフェン公は新帝の補佐役たる帝国宰相として、舅に期待された通りの辣腕を発揮した。ルドルフの死を契機として続発した共和主義者による叛乱の全てをことごとく鎮圧し、息子たるジギスムント一世を有能な専制君主に育て上げ、比較的公正な施政を布いて社会体制と民心を安定させ、王朝の基盤を堅牢たらしめた功績自体は、賞賛されてしかるべきものであっただろう。

 

 だが、それは同時に、皮肉にも皇帝の外戚が国政を牛耳る事態を正当化する先例となり、ゴールデンバウム王朝が罹患した宿痾(しゅくあ)の一つともなったのである。

 

 王朝末期においては、フリードリヒ四世の女婿たるブラウンシュヴァイク公オットーとリッテンハイム侯ウィルヘルム三世が、皇帝崩御後に皇孫たる自身の娘を至尊の地位に就け、自らは摂政たらんと画策した。それが失敗した後は武力をもって「正当な地位を奪還」せんとして、帝国を二分する内戦を引き起こしたのである。世に言う『リップシュタット戦役』であるが、結果として二人を指導者とする貴族連合軍は当時の帝国軍最高司令官であったラインハルトによって敗亡に追い込まれる事となる。そして返す刀で表面上の同盟者であったリヒテンラーデ公爵一派をも排除したローエングラム陣営による独裁体制が誕生し、五〇〇年近い年月の間に内部が食い荒らされ、朽ち果てかけていた『黄金樹』(ゴールデンバウム)の事実上の倒壊を招いたのであった。

 

 

 二人の大貴族が外戚ゆえに権力欲を際限なく肥大化させ、その果てに旧王朝を道連れにして滅び去ったのはわずか数年前の事であった。その激動の時代を皮膚で体感したマリーンドルフ伯は自身は無論の事、後世の者たちにも彼らの轍を踏ませたくはなかったのである。

 

 信頼する首席閣僚からの辞意を聞き終えても、ラインハルトはわずかに眉を動かしたのみで、即答はしなかった。伯爵の思慮を明敏な皇帝が忖度するのは難しくはなく、ラインハルト自身も前王朝における、無能な外戚の専横に対しては侮蔑や嘲笑、そして嫌悪といった感情しか抱きえなかったから、伯爵の見識にも共感し、その至誠は敬意を払うに値するとも思った。かといって、そのまま素直に了承する訳にもいかない。

 

「辞任を申し出るからには、後任について考えぬ卿ではあるまい。予に何人をもって新たな閣僚首座にすえよと言うのか」

 

 やがて発せられた若い皇帝の下問に、マリーンドルフ伯は「恐れながら」と前置きしつつも、迷う事なくウォルフガング・ミッターマイヤー元帥の名を挙げた。

 

 意外な名を出され、皇帝は意表を突かれたような表情を浮かべた。が、やがて表情を消して国務尚書を注視しつつ口を開く。

 

「そうなれば、閣僚経験もない、政治家としての実績に乏しい高級軍人が閣僚首座に就任したという先例が後世に示される事になるな」

 

 主君のその言葉によって、今度は伯爵が意表を突かれたかのような表情を浮かべる事となった。

 

 

 ゴールデンバウム王朝においては、閣僚首座たる国務尚書の椅子は王朝成立直後の初代を例外として、他の閣僚の地位を最低でも一つは経て、他の閣僚たちを主導するにふさわしい政治的な実績を積み重ねた(と、みなされた)後に腰を下ろすのが常であった。歴代の帝国宰相や国務尚書の中には確かに軍部出身者も少なからず存在したが、そのいずれも、少なくとも軍務尚書という閣僚の座を経験しており、臣下の出自で統帥本部総長や宇宙艦隊司令長官、またはそれ以下の地位から一足飛びに宰相級の地位に就いた例は存在しない。

 

 一例としては、『止血帝』エーリッヒ二世に従いゴールデンバウム王朝史上最悪の暴君たる『流血帝』アウグスト二世の打倒に協力したコンラート・ハインツ・フォン・ローエングラム伯爵は軍部出身者であったが、エーリッヒ二世の即位後に閣僚首座の椅子に座ったのは、軍務尚書と内務尚書を歴任した後の事であった。のちにそのローエングラム家を相続したラインハルトにしても、帝国宰相に就任したのは帝国軍最高司令官として宇宙艦隊司令長官、統帥本部総長、そして軍務尚書の三職を兼任した後の事である。 

 

 ゴールデンバウム王朝最良の名君として知られる『晴眼帝』マクシミリアン・ヨーゼフ二世は、即位に際しオスヴァルト・フォン・ミュンツァー中将を辺境から召還し司法尚書に任命した。マクシミリアン・ヨーゼフは父帝フリードリヒ三世の『暗赤色の六年間』と呼ばれる治世の晩年以来、宮廷内に蔓延する腐敗と陰謀の一掃を推し進めるには、確かな才識と剛直かつ廉潔な姿勢を兼備した補佐役が不可欠であると判断し、即位以前から親交があったミュンツァーに白羽の矢を立てたのである。

 

 だが、この大胆な抜擢は、新帝の予想を凌駕する批判の集中砲火にさらされる事となった。

 

 これはミュンツァーが『弾劾者ミュンツァー』と呼ばれるほどの公明正大さゆえに、軍や宮廷の上層部に忌避されていた事だけが理由ではない。ミュンツァーは軍政家としても相応の実績を積んでいたとはいえ、それまでの軍歴における最高位の役職は帝都防衛司令部参事官どまりであった。軍務尚書はおろか軍務次官の経験すらない下級貴族出身の人物を、反対を押し切って閣僚に任命した事に対し、多くの関係者は懸念を表明せざるを得なかったのである。

 

 また、先立ってマクシミリアン・ヨーゼフは「正室たる皇后は、大貴族の一門から迎えるべきでは」という多くの意見を退けて、下級貴族出身の侍女ジークリンデを即位に際して皇后に冊立しており、その事も各方面からの反発の温床となっていた。そこにミュンツァーの司法尚書就任という事態も加わり、宮廷内外の敵対勢力のみならず中立勢力、そしてごく少数の好意的な勢力の内部からも、新帝への無視しえぬ不満や疑念を噴出させる結果を生んでしまったのである。

 

 庶子であり、帝位継承の可能性が低かった立場から登極したマクシミリアン・ヨーゼフの宮廷や軍部における支持基盤は磐石にはほど遠い代物でしかなかった。それゆえに、政権運営のためにも諸派閥に対し新帝は相応の譲歩を余儀なくされたのである。

 

 綱紀粛正のためにも、ミュンツァーの司法尚書登用は譲れない条件であったが、その代償として、ミュンツァーはマクシミリアン・ヨーゼフの事実上の宰相として改革に多大な功績を残しながらも、老齢で退官するまで役職は司法尚書の座から動く事はなく、帝国宰相や国務尚書といった地位に昇る事はなかったのである。軍人としての階級も上級大将にとどめられ、退任の際に次代のコルネリアス一世から元帥号授与の打診があったものの、ミュンツァーはそれを固辞して政治の舞台から去ったのであった。

 

 

 以上のような例から見ても、ゴールデンバウム王朝においてすら、軍部出身者の帝国中枢での政治関与はそれなりに慎重になるべき問題として取り扱われていたのである。旧王朝の超克を志したラインハルトとしては、こういった点を看過するわけにはいかなかった。

 

 確かにミッターマイヤーは閣僚首座を務めるだけの器量を有しているかもしれぬ。だが、平民の出である彼は、当然ながら大貴族のように領地経営に携わった経験はない。前王朝時代から高級軍人として軍政にも一定の経験を積んではいるが、比類なき勇将たる彼の本領は前線指揮にこそあり、後方勤務に関しては年長の同僚であるオーベルシュタイン、ケスラー、メックリンガーらの実績と名声には及ぶべくもなかった。

 

 それに、後に続く軍人全てが、彼のような公明正大な姿勢と柔軟かつ広範な識見を兼備しているはずもない。ラインハルトは常々「血脈にとらわれず、もっとも強大で賢明な者が支配者となるべきである」と語ってはいたが、武勲に驕り、政治的な定見や経験を持たぬ軍人に権力をほしいままにさせる道筋をことさらに作りたいとは思わなかった。

 

「外戚の専横は否としながら、政治的な実績を碌にも持たぬ高級軍人の専横は是とするのか」と無言の内に主君から問われたマリーンドルフ伯は返答に窮せざるを得ない。

 

 明晰なマリーンドルフ伯が後世における軍部出身者の専横の可能性について思い至らなかったのは、ゴールデンバウム王朝の歴史において皇族主導の武力ないし宮廷工作による政権奪取は数例が存在したものの、ラインハルトの台頭までは臣下である軍部出身者が、強大な軍権と武勲を背景にして政治権力を掌握した例は存在しなかった事が一因かもしれない。

 

 ゴールデンバウム朝の軍権は、大元帥たる皇帝が掌握するものとされていた。だが、建国者たるルドルフ大帝や自由惑星同盟領への親征を敢行したコルネリアス一世などの少数の例外を除いて、事実上は軍務尚書、統帥本部総長、宇宙艦隊司令長官といった『帝国軍三長官』によって三分されていた。さらにそれらの管轄下にある諸組織が伝統的に水面下で監視し合い、牽制し合ってきた事によって、軍部によるクーデターの勃発が未然に防がれていたという側面も確かに存在したのである。そして、末期においてラインハルト・フォン・ローエングラムが三長官職を独占して軍事的な独裁権を手中にした事によって均衡そのものが消滅し、ゴールデンバウム王朝は滅亡への急坂を転落していったのであった……。

 

 

「卿の推薦は一考の余地があるとも思うが、少なくとも今の時点では認めるわけにゆかぬ。他に推挙したい者はいるのか」

 

 自分の半分にも満たぬ年齢の主君にそう問われ、マリーンドルフ伯は引き続いて沈黙を余儀なくされた。

 

 伯爵の見るところ、現在の閣僚の中にも閣僚首座を務められるだけの経験と実績を有した人物は幾人かは存在すると思う。だが、ローエングラム王朝が成立してから二年にも満たない現時点において、政治を司る各省の体制は磐石に固められているとは言いがたい。むこう数年は現在の地位から尚書たちを異動させるのは得策ではなく、複数の尚書職を正式に兼任させるのも悪しき先例となるであろう。伯爵がミッターマイヤーを推薦したのは、戦乱の時代が終息に向かいつつある現在においてならば、ナイトハルト・ミュラーを筆頭とする後任候補が多く存在する軍部からミッターマイヤーが離れても問題は少ないであろう、と判断したのも理由の一つであったのである。

 

「それとも、思い切ってオーベルシュタインを推薦するか? そうすればミッターマイヤーが軍務尚書の後任となり、彼に閣僚としての経験を積ませる事もかなうが」

 

 明らかに冗談と判る口調で語り、マリーンドルフ伯を絶句させたラインハルトは短く笑った後、不意に不快を示す表情を浮かべる。その不機嫌の理由が、義眼の謀臣が政治的な補佐役となる未来図を想像したからなのか、自身の冗談の出来の悪さに対してなのか、あるいはその両方か、伯爵には判断できなかった。

 

 忌々しさを振り払うかのように、若い覇者は前髪をやや荒くかき上げた。そして表情を改め、命を下す。

 

「どうやら、他にはいないようだな。ならば辞任は認められぬ。当分の間は引き続き国務尚書の任を務めよ」

 

 軽く嘆息したいのを自制しつつ、黙然と伯爵は一礼した。かくして、マリーンドルフ伯は皇帝の崩御に至るまで首席閣僚の座に留まる事となったのであった。

 

 

 そして、それから七か月も経たぬ新帝国暦〇〇三年七月二六日にラインハルトが天上(ヴァルハラ)へと去り、皇帝とオーベルシュタイン元帥の葬儀が終わった後に開かれた臨時閣議において、伯爵は再び辞任の意向を表明したのである。

 

 それに対し、慰留の声は各方面から挙がった。特に司法尚書ユストゥス・ブルックドルフや民政尚書カール・ブラッケらは強く続投を求めた。

 

 マリーンドルフ伯がミッターマイヤーを国務尚書の後任に推薦したと当初に聞いたブルックドルフやブラッケは、短い驚愕の後に不審と不満を覚えざるを得なかった。

 

 ブルックドルフはミッターマイヤーに対し、公人としても私人としても悪意を抱いてはいないが、文官の重鎮の一人たる彼としては軍部出身の人物が閣僚首座の座に就く事に対し、懸念を抱かざるを得ない。戦乱が終結し、軍人皇帝たるラインハルトも亡き現在の帝国において、軍部が保有する巨大な影響力は縮小され、法律や官僚との均衡を確立してしかるべきなのである。

 

 ブルックドルフの意見にブラッケも同調した。ブラッケは故オーベルシュタイン元帥に次ぐ皇帝の武断主義への痛烈な批判者であり、新王朝における軍部の巨大な影響力に対し、かねてから懸念を表明していた人物でもあった。

 

 とはいえ、ブルックドルフもブラッケも、軍部との全面対決を望んでいる訳ではない。マリーンドルフ伯がミッターマイヤーを国務尚書の後任に推薦したという報は、軍部内では驚きと共に、おおむね好意的に受け止められていた。無論、『帝国軍の至宝』が軍から遠ざかる事に対する抵抗感や寂寥感は確かに存在したが、それ以上に宰相級の地位の後任候補にミッターマイヤーの名が挙がった事について、彼の部下にして用兵の弟子たるバイエルライン大将を始めとして『疾風ウォルフ』を慕う多くの将兵たちは、率直な喜びと興奮を覚えていたのである。

 

 その上、かつてブルックドルフには奸臣ハイドリッヒ・ラングの姦計に乗せられ、故ロイエンタール元帥に叛乱の疑いありとの告発に手を貸してしまった苦い過去がある。それ以来、軍の一部には司法省に対して敵意とまではいかなくとも隔意めいた感情が確かに存在していた。それを考えれば、司法尚書としては媚びるつもりはないが、必要以上に軍部の悪感情を刺激するのも避けたい所であった。

 

 皇帝亡き今、宇宙最高の勇将にして国家の重臣たるミッターマイヤーの名望は極めて巨大である事は、万人が認めるところである。ブルックドルフやブラッケとしては、彼の国務尚書就任に正面から反対はできないにせよ、せめて文官側の立場を固め、意思を統一する時間を稼ぎたいというのが本心であったのである。

 

 彼らとしては、考えても詮ない事と理解しつつも、前工部尚書ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒの横死を惜しまざるを得ない。才識にふさわしく、帝国宰相の座を狙っていた野心家でもあった彼が健在ならば、政治方面に進出すれば強力なライバルとなるミッターマイヤーの国務尚書就任に賛成はしなかったのではないか。新王朝の社会及び産業基盤を構築し整備する巨大な組織を完璧に運営していた異才の意見があれば、マリーンドルフ伯を翻意させる強力な一助となったであろうに……。

 

 

 一方で、内務尚書バルドゥール・オスマイヤーは、ブルックドルフらの意見に理解を示しつつも、マリーンドルフ伯の主張に積極的に賛意を表明した。

 

 

 オスマイヤーはラインハルトの評価に値する有能な行政官であったが、前王朝時代はその手腕と、平民の出自であるがゆえに狭量な大貴族出身の上司や同僚たちに疎まれていた。その結果として彼は辺境星区に配され、長年にわたり辺境各地においてインフラの整備や治安機構の構築などに従事する事となる。

 

 オスマイヤーは自分の才幹と見識に相応の自負を抱いていたが、それをまともに評価しようとしない上層部に失望し、自身の不遇を嘆かざるを得なかった。だが、それでも彼は自己に課せられた責務を放擲せず、行政家としての経験と実績を着々と、辺境にて積み重ねていったのである。

 

 そのような中で、オスマイヤーはウルリッヒ・ケスラーやカール・ロベルト・シュタインメッツといった、後のローエングラム陣営の軍最高幹部となる少壮気鋭の軍人たちと邂逅する機会を得る。上層部に疎まれて辺境送りになったという、似た境遇の彼らは才識を認めあって意気投合し、担当地域における治安維持や密輸の摘発、及び流通の安定化など、様々な局面で協力しあって著しい成果をあげる事に成功したものである。

 

 そして旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役において、ジークフリード・キルヒアイス上級大将麾下のローエングラム陣営の別働隊が辺境星域の平定に乗り出した際、いまだ辺境に在ったオスマイヤーは同じ境遇の行政官たちと語らって彼らを糾合し、進んで赤毛の驍将に協力を申し出たのである。中央に復帰していたケスラーからオスマイヤーの存在について聞かされていたキルヒアイスは、喜んで彼らを受け入れた。

 

 キルヒアイスは占領地を民衆の自治に委ねたが、支配される事に慣れ、自治そのものが未経験であった民衆による安定した自治体制が短期間で構築できたのは、辺境の行政事情に精通したオスマイヤーらの堅実な手腕と、彼らが長年辺境にて培ってきた人脈、そして骨身を惜しまぬ奔走が背景にあったのである。かくしてキルヒアイスの辺境平定に、オスマイヤーは行政面において多大な貢献を果たしたのであった。

 

 こうしてローエングラム陣営からの信頼を得たオスマイヤーは戦役終結後に帝都オーディンに召還され、帝国の独裁者となりおおせたラインハルト・フォン・ローエングラムと対面を果たす事となる。そして自らの目でオスマイヤーを見定めたラインハルトは彼の行政能力に満足し、彼を推挙したケスラーとシュタインメッツ、そして故人となったキルヒアイスの人物鑑定眼の正しさを確認したのであった。

 

 

 以上の点から解るとおり、オスマイヤーが新王朝における初代内務尚書に任命されたのは、オスマイヤー自身の力量と彼を登用したラインハルトの決断もさる事ながら、その力量を正当に評価してラインハルトに推薦してくれた軍最高幹部たちの存在も大きかった。

 

 王朝の黎明期において、軍務尚書オーベルシュタイン元帥および内国安全保障局長ラングとの間で国内治安の主導権をめぐってオスマイヤーが水面下で抗い得たのは、かねてから厚誼を結んでいた憲兵総監たるケスラーとの間に暗黙の連携を構築する事かできたからである。

 

 また、内務次官を兼任するようになり、上司たるオスマイヤーの地位を露骨に脅かす存在となったラングが己の策に溺れたあげくに失脚したのは、故コルネリアス・ルッツ提督がラングの言動に危惧を抱き、ルッツから相談を受けた同僚たる憲兵総監の綿密な調査がラングの不正を暴いた結果であった。

 

 オスマイヤーもラングの不正を全く察知していなかったわけではない。が、身内の不正を白日の下にさらす事への逡巡に加え、内務省内の各所にはラングの息がかかった人間も少なからず存在しており、彼らの妨害や非協力的な態度により内部調査は遅々として進まなかった。外部の存在である憲兵隊なればこそ、ラングという蛇蝎の尻尾を押さえる事が可能だったともいえる。結果としてラングの党与は内務省内から一掃され、内務尚書としては少なからず面目を失う事となったものの、オスマイヤーは安堵し、同時にケスラーとルッツに深く感謝したのだった。

 

 そういった事情から、オスマイヤーは閣僚の中では明らかに親軍部派といえる存在であった。もっとも、恩人の一人であるキルヒアイスの死の原因を作っておきながら後悔の色を見せず、ラングの跳梁をも黙認した軍務尚書オーベルシュタインに対しては虚心ではいられなかった。それゆえに、オーベルシュタインの死後は迷うことなく親軍部派の立場を鮮明にして、ミッターマイヤーを推すマリーンドルフ伯を支持する側に立ったのである。

 

 

 財務尚書オイゲン・リヒター、工部尚書ルツィアン・グルック、学芸尚書ヒエロニムス・フォン・ゼーフェルト博士、宮内尚書マクシミリアン・ローレンツ・フォン・ベルンハイム男爵、内閣書記官長フィリップ・マインホフ、そして軍務尚書臨時代行ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥といった他の閣僚たちは中立を保った。

 

 国務尚書の後任に推薦されている、当事者たるミッターマイヤーは同僚のエルンスト・フォン・アイゼナッハ提督の態度を模倣したかのように、会議中はしばらく口を緘し続けた。

 

 他の閣僚たちはというと、ブルックドルフやブラッケらの主張に対し、同じ文官の重鎮として少なからず理解や共感はするものの、同時に国務尚書や内務尚書と同じく、軍部に対して彼らが抱いている懸念は司法尚書や民政尚書のそれよりも強いものではなかった。少なくとも現在の時点では、軍部は文官側の職掌に露骨に介入するような真似は行なっていないのである。下手に軍部を刺激したくないという思いは、反対派のそれよりもさらに強いものであっただろう。

 

 また、オスマイヤーほどでないにせよ、軍関係者と浅からぬ交流を持っている者も中立派の閣僚の中には存在しており、それも彼らが反対に踏み切らない一因となっていたのである。たとえば、学芸尚書ゼーフェルトが芸術や文学といった分野の同好の士という関係で、『芸術家提督』エルネスト・メックリンガーと長年にわたり交誼を結んでいるのはその一例であった。

 

 ましてやミッターマイヤーは皇帝の葬儀の運営責任者という名誉をためらいなくベルンハイム男爵に譲るなど、文官側への配慮も少なからず示しているのである。そういった例に見られる至誠と見識を兼備したミッターマイヤーであれば、軍部の専横や暴走を許し、悪しき先例を作るような愚行は犯さないであろうという信頼感は深いものがあった。

 

 亡き皇帝の代理にして、この会議の主催者たる摂政皇太后ヒルダとしては、本心では父親に首席閣僚として補佐を務めてもらえれば、どれほど心丈夫な事かと思う。だが、父親の主張も正論であり、実の娘であると同時に摂政たる身としては公私の別はわきまえてみせねばならず、本心をありのままに吐露するわけにはいかなかった。

 

 かくして、皇帝亡き今、マリーンドルフ伯の決意を変える事のできる人物はもはや地上には存在せず、伯爵が翻意する事はなかったのである。

 

 説得の言葉を述べつくしたブルックドルフは軽く肩を落とした。ブラッケは軽く息を吐き、そして閣僚首座に問いかける。──では、国務尚書はあえて亡き陛下の御意を無視なさり、あくまでミッターマイヤー元帥を後任に推薦なさるおつもりか、と。

 

 マリーンドルフ伯は(かぶり)を横に振った。今でもミッターマイヤーを後任に推薦したいという意向は変わっていないが、亡き主君の指摘どおり、現時点では断念すべきなのは伯爵も認めざるを得ない。だが、建国者たる皇帝亡き今だからこそ、外戚たる自分が首席閣僚の地位に留まるわけにはいかないという決意も確固たるものであった。

 

 そこで伯爵が提案したのは、国務尚書職は一時的に空席として、摂政皇太后たるヒルダにその地位を代行させる。そしてヒルダの負担を軽減するため、補佐役として摂政首席補佐官という役職を新設するというものであった。

 

 その提案に対するざわめきを横に、マリーンドルフ伯はある一人の人物をその首席補佐官に推薦した。そして、その人物の名が自分のものであった事に、内閣書記官長マインホフは仰天する事となる。

 

 マインホフはこの年三六歳であり、この会議の出席者の中ではヒルダとミッターマイヤーに次いで若い。独創性では同年代であった先の工部尚書シルヴァーベルヒには及ばないが、ミッターマイヤーが存在しなければ、マリーンドルフ伯は彼を後任に推したかもしれないというほどの能吏である。だが、巨大な武勲と人望を有する、万人が認める建国の元勲たるミッターマイヤーに比べればその存在感は及ぶべくもない。年齢も政治家としての閲歴も上回る他の閣僚たちを主導するには、マインホフにはまだまだ貫目が不足していると言わざるを得ないであろう。

 

 そういった事情を考えれば、内閣書記官長の職も引き続き兼任させつつ、ヒルダの補佐役として国務尚書の職責を一部なりとも担当させるのは、いまだ少壮のマインホフにとって将来のためにも得がたい経験と実績となるであろうとマリーンドルフ伯は考えたのである。また、そうしてマインホフの価値を高める事により、軍部出身者の政治方面への進出に危惧を抱く文官たちの不安と不満を和らげようという配慮の一面もあった。

 

 伯爵の提案を受け、会議の参加者たちの間で白熱した議論が展開される事となった。

 

「マインホフの行政手腕から考えれば能力的には摂政補佐官と内閣書記官長の兼任は可能であろうが、この二つの職を兼任させるのは、先例的にのちのち問題とならないのか」「内閣を主導すべき首席閣僚の地位が、名目上とはいえ空席であるのはいかがなものか」「ミッターマイヤー元帥の国務尚書就任が見送られても、軍部の反発は問題ないレベルに抑えられるのか」などといった問題が次々と提起され、長時間の討論が行なわれた結果として、マリーンドルフ伯のこの提案は了承された。マインホフ自身は当初「身に余る」と恐縮しつつ辞退しようとしたのだが、皇太后や伯爵はおろか、他の閣僚たちからも強く要請ないし説得され、結局は受諾する事となったのである。

 

 

 かくしてマリーンドルフ伯爵は閣僚首座の地位を潔く退いたが、完全に公職から身を退いたわけではなく、替わりに名誉宮廷顧問官を始めとするいくつかの名誉職を与えられた。

 

 宮廷顧問官は皇帝及び閣僚の相談役に留まる、決定権を持たない存在に過ぎない。だが、伯爵の深い見識と表裏なき誠実さに裏打ちされた数多くの助言は、伯爵が国務尚書を辞した後のローエングラム王朝初期において多くの要人を陰ながら支える事となるのである。

 

 

 実戦部隊の長たる宇宙艦隊司令長官という、現在のミッターマイヤーの地位は彼の才幹に合致し、彼の志向を充足させる理想的な立場である。その立場から、三〇代前半という若さで離れるのはミッターマイヤーにとって本意ではなかったが、オーベルシュタイン元帥亡き現在、軍部の最高職たる軍務尚書の椅子に座るのはミッターマイヤー以外にありえない。それでも軍部に留まれるだけ、ミッターマイヤーとしては国務尚書職よりも心理的に受けいれやすかったのである。

 

 ミッターマイヤーの国務尚書就任が見送られたと聞き、首席閣僚就任を期待していたバイエルラインを始めとする軍人たちは落胆しないでもなかったが、その経緯を聞いて彼らの大半は納得したので、取りたてて問題とはならなかった。われらが『疾風ウォルフ』が実戦部隊から遠ざかるのは寂しくはあるが、替わって軍部の最高峰たる軍務尚書の後任に就かれるのは、それはそれで喜ばしいではないか。

 

 かくして、ウォルフガング・ミッターマイヤーは宇宙艦隊司令長官を辞して軍務尚書に就任する事となったのである。一部には軍務尚書と宇宙艦隊司令長官の兼任を求める声もあったが、ミッターマイヤーは点頭しなかった。彼としても、まったく心を動かされない提案だったと言えば嘘になる。だが、先のマインホフや帝都防衛司令官と憲兵総監を兼任したケスラーの場合はまだ解釈の余地があるが、軍組織の頂点たる『帝国軍三長官』の地位を臣下たる身が正式に兼任するのは明白な悪しき先例になる事は疑いなく、それを理解しえないミッターマイヤーではなかった。

 

 

 国務尚書 空席(摂政が職責を代行)

 

 軍務尚書 ミッターマイヤー元帥

 

 財務尚書 リヒター

 

 内務尚書 オスマイヤー

 

 司法尚書 ブルックドルフ

 

 民政尚書 ブラッケ

 

 工部尚書 グルック

 

 学芸尚書 ゼーフェルト博士

 

 宮内尚書 ベルンハイム男爵

 

 内閣書記官長 マインホフ(摂政首席補佐官兼任)

 

 

 かくして、初代皇帝ラインハルト崩御後における、ローエングラム王朝の新内閣の陣容は定められたのである。

 

 

 マリーンドルフ伯にとって、あえて国務尚書の座を空席にするという提案は窮余の一策であった。それはあくまでも一時的な措置であり、娘である皇太后の負担を考えても、伯爵としてはできるだけ早くにミッターマイヤーに閣僚としての経験と実績を積み重ねた上で、首席閣僚の椅子に着いてもらいたいところであった。そして蜂蜜色の髪の元帥は、伯爵のたび重なる腰の低い要請に抗しきれず、ついには数年後の閣僚首座への就任を約束させられたのである。

 

「柄ではないのだがな。生き残った者の責務、か」

 

 軍務尚書職の正式な辞令を受け取るべく、壇上に向かったミッターマイヤーは内心で嘆息した。

 

 六年前の旧帝国暦四八六年五月初頭。当時は皆、前王朝の一軍人に過ぎなかったラインハルトとキルヒアイス、ロイエンタールと自身の四人が初めて一堂に会した日の事を、ミッターマイヤーは終生忘れる事はないであろう。その時から金髪の若者は、ゴールデンバウム王朝の打倒と宇宙の統一という志を共有した、赤毛の友に次ぐ盟友として自分たちを遇してくれたのである。

 

 その四人のうち、今も現世に留まっているのは自分一人となってしまった。それを思えば深甚な寂寥の念を、ミッターマイヤーは禁じえない。

 

「俺に死ぬなと命令なさっておいて、ご自分だけ先に友人たちの下にゆかれるとはあまりではありませんか」

 

 亡き主君に対し不敬とは思いつつも、苦笑まじりにそう慨嘆もしたくなるのである。

 

 偉大なる皇帝は無論のこと、キルヒアイスとロイエンタールの二人が健在ならば、国務尚書どころか軍務尚書の後任にも自分の名などが挙げられる事はなかっただろうに、とミッターマイヤーは思う。

 

 だが、どれほど哀惜したところで、死者はもはや還らない。彼らの遺したものを守り、育て、伝えていく義務が、生者にはある。さしあたって、ミッターマイヤーはまず軍務尚書の椅子に座り、軍務省を掌握しなければならなかった。

 

 

 先の軍務尚書たる生前のオーベルシュタインはミッターマイヤーの国務尚書就任の話題を耳にして、積極的に支持を表明したりはしなかったが、反対の意思も示さなかったとされる。

 

 あるいは、名実ともにラインハルト麾下の比類なき勇将となりおおせた『帝国軍の至宝』が軍権から距離を置くのは、むしろ王朝の安定のためには好ましいと義眼の謀臣は計算したかもしれない。だが、それにはラインハルトがマリーンドルフ伯に告げたように、ミッターマイヤーに閣僚としての経験と実績を積ませる必要がある事を、オーベルシュタインも理解していたであろう。

 

 まさかとは思うが、オーベルシュタインが自ら死を選んだのだとすれば、それは軍務尚書の座を自分に譲るためでもあったのではないか、などとミッターマイヤーは不意に考えてしまった。

 

 

 摂政たる皇太后の御手から辞令を受け取り隣に戻った養父の、壇上に向かう前よりも厳しくなった表情を見て、養母に抱かれた幼児は不思議そうに青い瞳をまたたかせた。その視線に気づいた『疾風ウォルフ』は、亡き親友の血を受け継いだ養子を安心させるため、内心を押し隠しつつ微笑したのであった。


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