獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第七節

『ヴェスターラントの虐殺』はオーベルシュタインの予測通りに、以前から親密とはほど遠かったブラウンシュヴァイク公と彼を盟主と仰ぐ貴族たちから、民心が完全に離れる決定的な契機となった。

 

 ローエングラム陣営によって撮影された惨劇の映像は帝国全土に流され、民衆たちは戦慄し、恐怖し、そして憤慨した。

 

 その結果として、貴族連合軍の支配下にあった全領地において連鎖的に大規模な民衆暴動が発生する事となり、現地にて統治を行なっていた貴族とその一族郎党はことごとく駆逐された。そして支配者を打倒した民衆たちはこぞってローエングラム陣営へ帰属と庇護を求めたのである。無論、ローエングラム陣営がそれらに応じない理由は存在しなかった。

 

 支配領の離反により貴族連合軍は軍事物資の供給元を失い、彼らの根拠地たるガイエスブルク要塞は完全に孤立する事となる。それに加え、平民や下級貴族出身の将兵たちの脱走やサボタージュも多発し、これまでも敗北を重ねてきた連合軍は砂上の楼閣のごとく、急速に崩壊を始めたのであった。

 

 そういった不本意極まりない状況にブラウンシュヴァイク公は歯ぎしりしたが、周囲の貴族諸侯までも失望の視線を投げかけてくるに至っては、さしもの傲岸な公爵も人心の離反を皮膚で痛感せざるを得なかった。もはや感情に任せて「第二のヴェスターラント」を生み出す事もできず、いまだ戦意を失わない若い貴族たちと酒宴に興じて現実から逃避し、更に人望と判断力を損なっていったのである。

 

 そのあげくに無謀な青年貴族たちの扇動に乗った盟主は、最善と思われた要塞への籠城策まで捨て、全軍を挙げての最終決戦をローエングラム軍に挑んだ末に惨敗を喫する事となる。その果てに大貴族の道連れとなって滅びるのを拒否した麾下の兵士たちの投降や造反も相次ぎ、貴族連合軍は完全に瓦解した。

 

 かくして盟主たるブラウンシュヴァイク公は自決に追い込まれてガイエスブルク要塞は陥落し、リップシュタット戦役は終結したのであった。

 

 

 そして戦役終結後の戦勝式にてキルヒアイスが非業の死を遂げた数日後に、ローエングラム陣営の名将たちに率いられた高速巡航艦隊は帝都オーディンへと急行する。その結果、幼帝エルウィン・ヨーゼフ二世の身柄及び宰相府に保管されていた国璽の確保と、ローエングラム陣営の表面的な同盟者にして潜在的な敵対者であった帝国宰相リヒテンラーデ公爵とその一派の排除に成功し、帝国軍最高司令官と帝国宰相を兼任する事となったラインハルト・フォン・ローエングラム「公爵」による独裁体制が帝国にて確立したのであった。

 

 その新体制の成立において、ラインハルト暗殺未遂事件を逆用し、その首謀者としてリヒテンラーデ公を排除し政治及び軍事の全権を掌握する策を考案したオーベルシュタインの功績は高く評価された。かくして新体制下において、彼は実戦部隊の代表たる『帝国軍の双璧』の両提督に伍する地位を与えられる事となったのである。

 

 ラインハルトの皇帝即位後にローエングラム王朝の初代軍務尚書に任じられてからも、オーベルシュタインは変わらぬ辣腕を振るい続けた。完璧な軍政を運営し、実戦部隊の後方を安定せしめて王朝の人類社会統一に貢献し、冷徹な謀略をもって新王朝の直接的ないし潜在的な敵対勢力を次々と排除して帝権の基盤を磐石たらしめた実績は、彼を忌避している者たちも認めざるを得ないほどに巨大なものであった。

 

 そして新帝国暦〇〇三年七月二六日に発生したヴェルゼーデ仮皇宮襲撃事件に際し、オーベルシュタインは仮皇宮の二階の一室において地球教徒の投げ込んだ爆弾により致命傷を負う事となる。自身の死が不可避なるを察した彼は冷然と延命処置を拒絶し、淡々と自家の執事への伝言を残した後に四〇歳の生涯を閉じたのであった。

 

 

『ヴェスターラントの虐殺』に代表されるオーベルシュタインの冷徹な謀略家ぶりは当時及び後世に広く伝えられており、その機械的というよりは鉱物的な印象の風貌もあって、一部には感情の存在すら疑う者もいるほどである。

 

 だが、もともとは幼少期から体験した障害者への差別や冷遇が募らせた、「ゴールデンバウム王朝への憎悪」という感情こそが、彼が行動を起こした動機である事はいくつかの信頼できる証拠や証言から明らかであり、他にも彼が他者の前で感情の揺らぎを表した場面は、さほど多くはないが様々な資料に散見される。特にオーベルシュタインの部下であるアントン・フェルナーの遺した手記は、義眼の上官の感情面について言及されている部分が比較的多く、後世においてオーベルシュタインという人格の研究や考察に欠かせない一級資料のひとつと見なされる事となった。

 

 一例としては『バーラトの和約』後の同盟領への再侵攻に際し、オーベルシュタインが「皇帝(カイザー)の本領は果断速攻にある。座して変化を待つのは、考えなみれば皇帝には相応しくない」と理より情に傾いた言葉を漏らした事に対し、フェルナーは「意外の念を禁じえなかった」と回想している。

 

 また、ロイエンタールの叛乱終結後、ミッターマイヤーが何ゆえ自らの手で親友を討つ事を決意したのか推論を述べた後に「私も口数が多くなったものだ」と苦笑の表情を浮かべて部下の眼を疑わせたという記述もあり、フェルナーの述懐に従えば「にわかに氷の彫像が笑ったようなものだった」という事になる。

 

 フェルナーの手記の他の諸記録にも、リップシュタット戦役直前の貴族たちの動向を喜劇的と評したラインハルトに対し「ハッピーエンドで終わらなければ喜劇とは言えないでしょうな」と軽口めいた発言を返す、柔らかく煮た鶏肉しか口にしないような野良犬を拾って養う、機械的ないし化学的な洗脳を「野暮」「無粋」と切り捨てるといった、冷酷な効率至上主義者という一般的なイメージからは想像しにくい言動が伝えられている。

 

 新帝国暦〇〇二年八月二九日のラインハルト暗殺未遂事件において、オーベルシュタインが捕縛された暗殺未遂犯に対して「ヴェスターラントの虐殺」黙認の考案者が自分である事を明言し、語る必要のない裏面の事情をことさらに語った件も、関係資料が公表された後の後世の人々に意外の念を抱かせる事となった。あえて事実を語ったのは、生命を賭して復讐を遂げようとした暗殺未遂犯に対する「ゴールデンバウム王朝への復讐者」としての「惻隠(そくいん)の情」だったのではないかと推測する歴史家も存在するほどである。

 

 また、旧帝国暦四八七年のアムリッツァ会戦においても、猛将ビッテンフェルト提督率いる『黒色槍騎兵』(シュワルツ・ランツェンレイター)艦隊がヤン・ウェンリー麾下の第一三艦隊によって痛撃を蒙った際にラインハルトの参謀長であったオーベルシュタインに動揺の色が見られたという記録も存在し、その翌年のリップシュタット戦役終結直後の戦勝式においても、ラインハルトが刺客に砲口を向けられた際に主君の傍らにいたにもかかわらずオーベルシュタインは動きえなかった。後世の編纂資料やフィクション作品の中には、盾となるべく即座に主君の前に立ちふさがる描写がなされているものも存在するが、これらは「常に冷静沈着で自己犠牲も厭わない人物」というイメージや先入観によって作られた創作であり、史実ではない。

 

 そういったいくつかの不測の事態に即応できていない事例から「ヤン・ウェンリーと同様、オーベルシュタインは深慮遠謀の人ではあったが、必ずしも臨機応変の人ではなかった」と後世において評される場合がある。だが、戦勝式の襲撃に関しては動きえなかったのは標的となったラインハルト自身や、キルヒアイスを除く列席していた歴戦の勇将たちも同様であり、オーベルシュタインのみを酷評するのは公正ではないという反論もある。

 

 ともあれ、以上の点から考えても、口数も少なく表情に乏しいとはいえオーベルシュタインもまた「感情の動物」たる人間であり、「無感情の鉱物」という評価は明らかに誇張ないし偏見と言える。もっとも、当の本人は誤解を解く努力をまったく行なわなかったばかりか、むしろそういった印象を利用していた節もあった。フェルナーも手記の中で、ラインハルトの影として他者からの反感を一身に受ける「泥かぶり役」や「憎まれ役」を務めるために「冷徹で無情な謀略家」を演じている側面もあったのではないか、と旧上司の意図について推論を述べている。

 

 オーベルシュタイン自身は己の心情を他者にほとんど語る事なく生涯を終えており、彼の内面の多くは豊富とは言い難い証言や証拠から推測するしかない。そして、それは後世において研究者や創作家の知的好奇心や創作意欲を、むしろかき立てる結果となったのであった。

 

 

 軍務尚書の国葬には、皇妃(カイザーリン)ヒルダとその腕に抱かれたアレク大公(プリンツ・アレク)を始めとした帝国の重鎮たちが列席した。その顔ぶれは先の皇帝の国葬とほぼ同じであったが、大公妃アンネローゼは体調を崩したため欠席しており、代わって最前列の末席には、オーベルシュタイン家に長年仕えてきた老執事とその老妻が座る事となったのである。

 

 そして式場の建物の入口近くにおいては、葬儀の開始から終了まで、白い毛並みに黒い斑紋を全身にまぶした老いた雄犬が億劫そうに寝そべっていた。彼はオーベルシュタイン家の同居者でありながら参列を認められなかったのだが、特に残念そうな風でもなかった。ときおり首を持ち上げて式場の内部に視線を向けてはまたうずくまるその姿に、その世話を任された警備の兵士を始めとして式場に出入りする人々の多くは奇異の目を向けずにはいられなかったが、ダルマチアン種の老犬は悠然とした態度で人間どもの不躾な視線を無視し、大きくあくびをしたのであった。

 

 

天上(ヴァルハラ)までの皇帝の随行者(おとも)とは、奴には元帥や軍務尚書以上にもったいない身分だ。もっとも、あの辛気臭い(つら)戦乙女(ワルキューレ)たちに嫌われて、今頃は天上行きの戦車から突き落とされているかも知れんがな」

 

 国葬の会場に向かう途上において、ビッテンフェルト上級大将が発した朗々たる毒舌に同道していた同僚たちは苦笑したが、発言者も傍聴者も表情には精彩を欠いていた。彼らは程度の差こそあれ、一人の例外もなく義眼の謀臣を忌避していたにもかかわらず、誰も彼の死に歓喜や安堵といった感情を抱く事はできなかったのである。

 

 人格的には嫌っていても、軍務尚書が帝国にとって軍政家および謀略家として巨大な存在であった事は他の軍最高幹部たちも認めざるを得ない。偉大なる皇帝には及ばぬにせよ、その死によって生じた空隙もまた巨大なものとなる事は想像に難くなかった。

 

 それに、故意にしろ計算外にしろ、結果としてオーベルシュタインはラインハルトとその一家の身代わりとなり、皇帝の臨終の静謐を守って(たお)れた。この死が彼自身の計画通りであったとすれば、それは自分の進言が一因で夭逝した赤毛の驍将への贖罪という意味もあったのかもしれないという意見もあるが、それを聞いたビッテンフェルトなどは「奴がそんな殊勝なものかよ」と不機嫌そうに吐き捨てたものである。主君がリップシュタット戦役の戦勝式で刺客に狙われた際、ただ一人動きえたキルヒアイスが犠牲となった惨劇は、参列していたにもかかわらず即座に動きえなかった諸提督にとっても生涯忘れえぬ痛恨事であった。そういった背景も相まって、残された同僚たちの心中には主君に殉じる形で世を去った軍務尚書への嫉妬や羨望に似た感情も確かに存在し、彼らとしては嘆息や舌打ちを禁じえない心境であったのだった。

 

 

 オーベルシュタインの国葬において、葬儀委員長は軍務尚書であった彼亡き後の軍部の代表者たるウォルフガング・ミッターマイヤー元帥が務める事となった。皇帝の国葬における事実上の責任者たる立場を宮内尚書ベルンハイム男爵に譲ったミッターマイヤーの評価は文官の間で高まっており、今回の国葬の責任者就任について異論を申し立てる者は存在しなかったが、蜂蜜色の髪の元帥本人は自己の立場に苦く笑わざるを得ない。

 

「俺があの(・・)オーベルシュタインの葬儀を取りしきる事になるとはな」

 

 軍務尚書は同僚たちに嫌われていたが、無論ミッターマイヤーも例外ではなかった。皇帝ラインハルト存命中の三元帥の一人としてオーベルシュタインと同格の立場にあった彼はその公明正大な姿勢ゆえに、しばしば公の場において義眼の謀臣と意見を対立させたものであった。

 

「ヤン・ウェンリーよりもあの(・・)オーベルシュタインがいなければ宇宙は平和、ローエングラム王朝は安泰、万事めでたしめでたしだな」

 

 彼はかつて親友たる故ロイエンタール元帥との会話でそう毒づいた事があるのだが、実際にそうなってみても、他の同僚たちと同じくミッターマイヤーも「万事めでたしめでたし」という気分や展望は到底抱けなかったのである。どうやら生死を問わず、多くの人々にとってオーベルシュタインは悩ましく忌々しい存在であるらしかった。

 

 そういった心情や主君の死による悲哀や喪失感を抑え込みつつ、軍務尚書の葬儀の運営を粛々と行なっていた『帝国軍の至宝』は、幼年学校生の献花が始まった際、列に並んでいる一人の少年に無意識の内に視線を向ける事となった。

 

 

 数日前、皇帝の葬儀が終わった直後に同僚たちと会話を交える機会があったミッターマイヤーは、年少の同僚であるナイトハルト・ミュラーに何気ない風を装いつつ問いかけた。

 

「ところで、献花の時にケンプの息子の隣にいた少年を卿は知っているか?」

 

 白金色の髪の少年の傍らにいた、ひときわ背の高い少年の素性はミッターマイヤーも記憶しており、同時にミュラーが大黒柱亡き後のケンプ家を気にかけ、交流を持っている事も知っていた。そして少年の名と、彼がグスタフの親友である事をミュラーから聞き出す事ができたのである。

 

「誇り高いグスタフが親友と認めるほどですから、彼も優秀なのでしょう。二人ともども将来が楽しみですね。……彼がどうかしましたか」

 

 砂色の髪の勇将は主君の死によって曇っていた表情をわずかにほころばせつつ語った後、やや怪訝そうな口調で逆に蜂蜜色の髪の元帥に問いかけた。

 

「いや、やけに人目を惹く子だと思ったのでな」

 

「そうですね。初対面の際に私もそう思ったのですが、同時にそれ以前に会った事がある気もするのです。あれほど印象的な子ならば忘れるはずもないのですが」

 

『鉄壁ミュラー』はやや首を傾げつつ語り、『疾風ウォルフ』は「そうか」と頷きつつ、別の話題に話を切り替えたのだった……。

 

 

「ユリウス・オスカー・フォン・ブリュール……オスカー、か」

 

 蜂蜜色の髪の元帥は口の中で少年の名を反芻する。ミュラーと同様、ミッターマイヤーは皇帝の国葬で初めて意識したはずの少年の姿に既視感を覚えたのだが、それはミュラーが感じたものよりも強く、同時にある人物の姿が、一瞬ではあったが彼に重なって見えたのだ。

 

 彼の姿と名前を知った今、ミッターマイヤーは一つの可能性に思いを致さざるを得ない。まさかと思いつつも、故人となった親友の生前の行状を思い起こせば完全に否定はできなかった。現に自分の養子であるフェリックスという実例が存在するではないか。

 

 思考の迷路に入りかけたところで、ミッターマイヤーはその入口で足を止めた。今の所は個人的な印象のみに基づいた、何一つ具体的な証拠のない憶測でしかない。仮にその憶測が事実だったとしても、下手に追求すれば少年自身やその周囲に混乱と不幸を招く事にもなりかねないだろう。

 

 それに、ミッターマイヤーの執務室のデスクの上には国家の重鎮および軍の最高責任者として、取り急ぎ片付けねばならない重要な案件が山積しているのである。解決を急ぐ必要のない個人的な疑問などは、ひとまずはデスクの抽斗(ひきだし)に保管して鍵をかけておき、さしあたっては現在進行中の軍務尚書の国葬を無事に終了させねばならない。そう思いつつも、軍務尚書の棺に敬礼する白金色の髪の少年を意識せざるを得ないミッターマイヤーであった。

 

 

 ミッターマイヤーの思い描いた予定通りに、葬儀は大過なく終了した。そしてテロに斃れた軍務尚書もまた、主君の眠る丘陵地帯に隣接する戦没者墓地に、雲に覆われた夕空の下において埋葬されたのであった。

 

 なお、ラインハルトが埋葬された丘陵は、彼の存命中には完成しなかったフェザーンにおける新宮殿たる『獅子の泉』(ルーヴェンブルン)になぞらえてか、誰ともなく『獅子の丘』(ルーヴェンベルク)と呼ぶようになり、やがて正式な名称として定められる事となるのである。

 

 

 軍務尚書の埋葬を見届け終え、幼年学校への送迎のバスを待っているさなか、不意にグスタフはつぶやいた。

 

「オーベルシュタイン元帥は、皇帝陛下の忠臣だったのだろうか」

 

「……さてな。だが、元帥の死も計算通りの殉死だったのかも知れないとは思う」

 

「なぜそう思う?」

 

 親友に問われたユリウスは、二年前のバーミリオン会戦時のオーベルシュタインの動静を例に挙げた。

 

 バーミリオン会戦の中盤以降、ラインハルト・フォン・ローエングラムはヤン・ウェンリーの用兵の前に劣勢に追い込まれ、総旗艦ブリュンヒルトはその砲火の直撃をいつ蒙るか判らない状況だった。それでもオーベルシュタインは単身で脱出する事も、副官のシュトライトや親衛隊長のキスリングのように主君に退艦を促す事もしなかったと伝えられている。

 

 オーベルシュタインはかつてイゼルローン要塞が陥落した際にも、頑迷固陋な上官を見限って脱出している「前科」があった。それを考えれば、覇者としての矜持で自らの足を縫い止め、かたくなに敵に背を向ける事を拒むラインハルトを見捨ててもおかしくはなかったはずである。にもかかわらず、徹底的な合理主義者であるはずの義眼の謀臣は主君の決意に従い、停戦に至るまで金髪の覇者と共に激戦の渦中に留まり続けたのだ。

 

 それから考えれば、一般的な忠誠心とは違うのかもしれないが、少なくともひとたび主と定めた人物と命運を共にする覚悟は持っていたのではないか、とユリウスは思うのである。

 

「だから、その死も計算ずくだったのかもしれないとも思うのさ。あの人も案外、無自覚のうちに皇帝の放つ熱気にあてられていた部分もあったのかもしれないな」

 

 ユリウスはそういった後、空を見上げた。皇帝の国葬の時とは異なり、曇天の空模様は落日の余光が地上に降りかかるのを阻んでいるように見える。だが、厚い雲の裏からほのかに透けて見える黄昏の残照が、自分が推し量った軍務尚書の心情に似ているようにもユリウスには思えたのであった。

 

 グスタフは虚を衝かれたかような表情を浮かべ、軽く唸った。

 

「俺は単純にオーベルシュタイン元帥の事は好きではないからな。そんな事は考えもしなかった」

 

「俺だって好きではないんだがな。今言った事も推測に過ぎないさ。単なる不慮の死だった可能性も充分にありうる」

 

 ユリウスは苦く笑った。軍務尚書の死に仮皇宮の警備責任者だった憲兵総監が関与していたのではないか、という推測はさすがに口には出せない。

 

 グスタフのような正道を歩む人間がオーベルシュタインを嫌うのは当然の事だろう。ユリウスも堂々たる武人たらんという意志を持っているが、ひねくれ者を自称する彼は、同時に義眼の謀略家の立場や思考も共感はできないが、ある程度の理解はできるのである。そして理解できてしまう自身に対して憮然とせざるを得ず、義眼の謀臣に対しても単なる忌避感に留まらない、同属嫌悪とまではいかなくともそれに似た感情も抱いてしまうのだった。

 

 

 苦い気分になりかけたユリウスは別の話題を振ろうと考え、不意に砂色の髪の提督の言葉を思い出す。

 

「そういえばミュラー提督も初対面の時におっしゃっていたが、また背が伸びたんじゃないか?」

 

 毎日のように顔を合わせていると中々気付きにくいが、確かに言われてみれば、先月よりも体躯が大きくなっているように思える。

 

「……らしいな。近いうちに制服も仕立て直しが必要かもしれない」

 

 グスタフは左腕を軽く挙げる。袖丈の部分が目に見えて短くなっているのが判った。よく見れば、襟もきつくなり始めているように見える。

 

 顔立ちもまだまだ幼いが、成長と共に花崗岩の風格を謳われた父親の面影が色濃くなりつつあるグスタフは、体格もまた亡父のそれを受け継いでいるのは間違いないように思われた。ユリウスも同年代の中では背の高い部類に入るが、グスタフには及ばない。実年齢よりも大人びていると評されるユリウスも、自分より高い身長の友人を羨む年相応な感情を抱いている事を自覚し、苦笑せざるを得ないのである。

 

「ここ数年は弟からは兄さんばかり背が伸びてずるい、と会うたびに文句を言われるよ」

 

 グスタフは困ったような笑いを浮かべた。グスタフの弟であるカール・フランツは兄とは違って体格は母親に似たらしく、身長は標準の域を出ていない。父親に似ているのは、濃い栗色の頭髪くらいであろう。逆にグスタフの頭髪は父親や弟より淡い色合いで、母親のそれに近い。

 

「この間会った時も同じ事を言われてな。逆に俺はお前がうらやましい、お前が今のまま成長すれば、父さんが断念した夢を継げるだろうと言い返したら目を丸くしていたな」

 

「断念した夢?」

 

 ユリウスは首をかしげた。

 

「ああ」

 

 グスタフは語り始めた。

 

 

 カール・グスタフ・ケンプは幼少の頃から戦闘艇乗りに憧れ、一五歳を迎える年に帝国軍飛行学校に入学した。

 

 飛行学校は単座式戦闘艇ワルキューレなどのパイロットの二年制の養成機関である。入学者は下士官候補生として操縦・射撃・爆撃・偵察・撹乱などの技術や知識を叩き込まれ、卒業後は伍長に任官され正式にワルキューレへの搭乗資格を与えられる。

 

 士官学校でも同様の技術や知識を学んでパイロットになる事は可能だったのだが、軍人であったケンプの父親はすでに戦死しており、遺された母親の負担を少しでも軽くしたいと思ったカール・グスタフ少年は、士官学校よりも早く卒業できる飛行学校への進学を選択したのだった。

 

 卒業したケンプは順調に武勲とそれに伴う昇進を重ね、准尉に昇進した二〇歳の時点で撃墜王(エース)の称号に恥じない数十機もの撃墜スコアを獲得していたのである。

 

 が、その時点でケンプは一つの問題に直面していた。

 

 飛行学校への入学時点でもケンプは一八〇センチを超える長身であったが、ワルキューレの激しい機動に耐えるためにトレーニングを積み重ねた彼の体は、搭乗員資格を獲得した一七歳の後に一九〇センチに達してしまった。そして一般的な成長期を過ぎても身長は伸び続け、二〇歳の時点で身長は二メートルに届かんばかりになり、体の幅も身長の高さを感じさせないほどの筋肉で、はちきれんばかりに膨らんでいたのである。一応はパイロットの条件の中にも、身長一九〇センチ以下という項目は存在した。だが、資格獲得後に一九〇センチを超えるなどという事態は想定されておらず、超えた場合の資格の是非について規定は存在していなかったのである。

 

 パイロット・スーツは特注で対応できても、ワルキューレの規格や設計の関係上、従来以上に操縦席(コクピット)のスペースを拡張するのは不可能であった。ケンプの愛機の操縦席は彼の巨体を収める限界に近づき、操縦にも支障をきたしつつあった。それを自覚しつつもケンプはワルキューレを駆り続けたのだが、とある会戦で敵の駆る戦闘艇スパルタニアンとの格闘戦(ドッグ・ファイト)でウラン238弾の連射を操縦ミスで回避に失敗し、自機への被弾を許してしまった。僚機の援護で辛うじて母艦に帰投できたものの、これによりケンプは自身のパイロットとしての限界を認めざるを得なかったのである。

 

 かくしてケンプはパイロットとしての生命を終える事を決断した。上官からの推薦を受けて帝都オーディンの士官候補生養成所に入所し、一年後に少尉として士官としてのスタートラインに着いた後に艦隊勤務に転じたのである。後の『挽き肉製造者』(ミンチメーカー)ことオフレッサー上級大将にも劣らない体格と、それに見合った格闘能力を有していた彼には装甲擲弾兵総監部からの勧誘もあったが、「どうせ戦うならば、地を踏みしめるより宇宙を翔ける方が性に合っている」と言って辞退したのだった。

 

 門地もなく、軍幼年学校や士官学校出身でないにも関わらず、前線で武勲を重ねて三〇代前半で「閣下」と呼ばれる地位にまで昇進した事実は、ケンプの非凡さを証明するものであったろう。だが、平民出身の、まして下士官上がりの将官などは門閥貴族出身者が主流である軍首脳部からは忌避されてしかるべき存在でもあった。その上、剛直で公明正大なケンプは、軍内部の腐敗や怠惰を常々容赦なく批判しており、上層部の忌避に拍車をかけた。それゆえ当時の軍の主流派から疎外される事となったのだが、それは逆にラインハルトの知遇と得る一因となり、彼の麾下に招かれて軍最高幹部の一人として遇される僥倖(ぎょうこう)をも招いたのであった。

 

 

 ラインハルト・フォン・ローエングラム麾下の軍最高幹部のリストを、誕生年別で作成すると次の様になる。

 

旧帝国暦四六七年生 ラインハルト・フォン・ローエングラム

                   

旧帝国暦四六七年生 ジークフリード・キルヒアイス

 

旧帝国暦四六一年生 ナイトハルト・ミュラー

 

旧帝国暦四五九年生 ウォルフガング・ミッターマイヤー

 

旧帝国暦四五八年生 オスカー・フォン・ロイエンタール

                   

旧帝国暦四五八年生 フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト

                   

旧帝国暦四五八年生 アウグスト・ザムエル・ワーレン

                   

旧帝国暦四五七年生 エルンスト・フォン・アイゼナッハ

 

旧帝国暦四五六年生 アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト

          

旧帝国暦四五六年生 カール・ロベルト・シュタインメッツ

                   

旧帝国暦四五六年生 コルネリアス・ルッツ

           

旧帝国暦四五四年生 エルネスト・メックリンガー

                   

旧帝国暦四五四年生 ヘルムート・レンネンカンプ

 

旧帝国暦四五三年生 カール・グスタフ・ケンプ

                   

旧帝国暦四五三年生 ウルリッヒ・ケスラー

 

旧帝国暦四五二年生 パウル・フォン・オーベルシュタイン

 

 

 いずれも下級貴族ないし平民の出身であり、身分制という桎梏の強固な旧王朝の中でも栄達を果たした彼らは、かつてラインハルトが語ったように「帝国軍における人的資源の精粋」と呼ぶに相応しい面々であった。

 

 最年少であるラインハルト自身とその半身たるキルヒアイスは別格として、彼らに次いで若いミュラーは階級こそ同格ではあっても、軍最高幹部に迎えられた当初においての実績は他の同僚に及ばなかった。それゆえ第八次イゼルローン攻略戦では副司令官として同階級のケンプの指揮下に入ったのである。ミュラーが『鉄壁』の異名と共に、他の同僚に比肩し得る声望を確立するのはバーミリオン会戦後の事であった。

 

 旧帝国暦四五二年から四五四年生まれまでの軍最高幹部における五人の年長者の内、オーベルシュタイン、ケスラー、メックリンガーの三名は軍政家として優秀な手腕と、それに伴う実績と名声を有しているのは周知の通りである。オーベルシュタインはローエングラム王朝の初代軍務尚書として、軍務省をほぼ完璧に運営していた。ミッターマイヤーがオーベルシュタインの更迭を主君に進言した際、その後任として「ケスラーなりメックリンガーなりが任に耐えましょう」とも発言している。

 

 軍政家として名望高いこの三名は、当然ながら後方勤務が多く、逆に言えば前線において華々しい武勲を挙げる機会が他の同僚に比べて少なかった事が、他の年少の同僚と同程度の階級に留まっていた要因の一つであった。オーベルシュタインはそれに加え、旧王朝における身体障害者に対する差別意識によって、実績に比しての昇進が妨げられていたと思われる。

 

 一方、ケンプとレンネンカンプは前三者とは異なり、ミッターマイヤーやロイエンタールらと同じく前線勤務で武勲を立てる機会に多く恵まれていた。にもかかわらず年少の同僚と同程度の階級に留まっていたのは、やはり幼年学校や士官学校といった軍上級学校の出身ではなかった事が要因の一つであろう。レンネンカンプは後世上梓された『帝国将帥列伝』の彼の項目の一節に「彼ももともと戦士であったのだ」とある通り、軍専科学校卒業後に伍長に任官し、武装憲兵や陸戦隊員として勇名を馳せた下士官出身の軍人だった。そして後にケンプと同じく士官候補生養成所を経て士官となり、軍艦乗りに転身したのである。

 

 ラインハルト麾下の軍最高幹部の内、ケンプとレンネンカンプの二名のみが階級は上級大将に留まり、死後も元帥号を得るには至らなかった。これは両者共にヤン・ウェンリーとその一党の前に敗亡し、元帥への特進には値しないと主君から判断された結果であった。

 

 二人が究極的な敗北を喫したのは、ミッターマイヤー、ロイエンタールといった年少の同僚の後塵を拝した事に対する無念や焦慮に由来する、いささか過剰な功名心にはやった事が原因の一つに挙げられる。一部には「下士官出身者ゆえの劣等感」がそれを加速させたのではないかと推測する声も存在し、それを聞いたグスタフ・イザーク・ケンプなどは「父は功を焦ったのかもしれないが、そこまで卑小な人ではない」と憤慨したものであった。

 

 

 そのグスタフは父親の事情を語り終え、聞き終えたユリウスはやや呆然としたような表情を浮かべていた。ユリウスはケンプが飛行学校出身である事は知っていたが、パイロットを辞した理由までは知らなかったのである。

 

 ユリウス自身も学校の授業で戦闘艇のシミュレーターには何度も搭乗した事があるが、確かに言われてみれば、あの堂々たる体格はワルキューレの操縦席にとっては大きすぎたに違いない。過ぎたるは及ばざるが如し、という事だろうか。

 

 幼い頃からの夢を、努力や才能の不足ではなく体格の適正ならざるがゆえに、二〇歳という若さで断念しなければならなかったケンプの心情は察するに余りあった。

 

「ケンプ提督も無念だっただろうな」

 

「ああ。父さんは軍艦乗りになった事を後悔していなかったが、それでもパイロットだった過去に誇りを持っていた」

 

 その事を知っていたグスタフは、父の遺志を継いでパイロットの道を歩む事も考えた事はあるのだが、結局は断念した。理由の一つには、父譲りの体格から考えて、パイロットになったとしても結局は父親と同じ結末になる可能性が高いと思ったのもあったのである。

 

「近々レーンホルム科学技術総監閣下が直々に、同盟やフェザーンの技術者たちも巻き込んで次世代戦闘艇の開発に着手するらしいけど、操縦席が劇的に広くなるとも思えないしな」

 

 グスタフは軽く、たくましい肩をすくめた。

 

「だから、俺としてはカールがパイロットを志してくれれば、と思うんだ」

 

 グスタフも傑出した身体能力の所有者だが、その彼から見ても、カールは反射神経や動体視力といったパイロットとしての天稟(てんぴん)に恵まれているとの事だった。兄としての贔屓(ひいき)目があるかもしれないが、とグスタフは軽く笑いつつ「まあ、選ぶのはカール自身だ」とグスタフは最後に付け加えた。

 

 ユリウスはうなずいた。カールも考える時間は充分にあるだろう。なるべく悔いのない選択をして欲しいものであった。もっとも、それはグスタフや自分にも言える事だと彼は思う。どのような未来が自分たちを待ち受けているのか、あるいは自分たちがどのような未来を切り開くべきなのか。熟慮し、選択し、切磋琢磨しなければならないのである。

 

 

 永久に過去の存在となりつつも、なお絶大な存在感を有している皇帝ラインハルトとオーベルシュタイン元帥へ捧げる鎮魂曲(レクイエム)は終わった。だが、生ある人々は続いて新帝の即位式という新たな未来への前奏曲(プレリュード)を奏でなければならない。

 

 こちらに向かってくる送迎のバスを見やりつつ、二人の少年は未来に思いを馳せるのであった。









 シュタインメッツの年齢は原作では明記されていませんが、旧帝国暦四八六年(宇宙暦七九五年)九月の『レグニツァ上空遭遇戦』及び『第四次ティアマト会戦』を題材とした劇場用アニメーション『わが往くは星の大海』においては、二九歳(劇場用パンフレット4頁および『TOWNMOOK SFアドベンチャースペシャル 銀河英雄伝説≪わが征くは星の大海≫』43頁(徳間書店、1988年))もしくは三〇歳(アニメージュ文庫『ラインハルトとヤン 銀河英雄伝説─わが征くは星の大海─より』5頁(岸川靖編、徳間書店、1988年))と設定されています。

 これに従い、この二次小説においては『レグニツァ上空遭遇戦』と『第四次ティアマト会戦』の終結までに三〇歳の誕生日を迎えたと解釈し、シュタインメッツの誕生年月を旧帝国暦四五六年(宇宙暦七六五年)九月生まれと設定しています。

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