獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第四節

 仮皇宮での葬礼は終わり、皇帝の遺体が納められた棺はこれから葬儀用の地上車(ランド・カー)に載せられ、郊外の埋葬予定地に向かう事となった。

 

 

 ゴールデンバウム王朝において、「神聖不可侵」たる皇帝の遺体は帝室の権威を示すため、帝都近郊に壮麗な霊廟を建造してその中に葬られるのが、王朝の創始者たるルドルフ大帝以来の伝統であった。

 

 特に従弟であるカール大公から帝冠を奪い取って第七代皇帝に登極し、一部の廷臣や大商人と共に国家経済を私物化して国庫を一代で破綻せしめ、後世において『痴愚帝』などという不名誉な蔑称を与えられたジギスムント二世などは、生前にプラチナとダイヤモンドの巨大な棺を作らせ、その周りに死後の後宮の構成員として鋳造させた六〇〇体もの純金の美女像を侍らせて巨大な墳墓の中で永い眠りに就こうとしたものである。

 

 だが、その品性とは無縁な輝きに溢れた未来図は、皇太子オトフリートの造反によって引き裂かれる。皇太子は父帝の身柄を拘束して強制的に退位させ、一荘園に軟禁した後にオトフリート二世として即位し、父の即位以前への復古政策を掲げて国政の再建を断行した。先帝に追従して自らも私腹を肥やした廷臣や商人たちはことごとく全財産を没収された上で粛清ないし追放の憂き目に遭い、輝ける棺桶は解体され、麗しい黄金の乙女たちは無骨な金塊に還元された。不本意な退位を余儀なくされた痴愚帝は肥大しきった物欲を満たせぬまま悶死し、自らが予定していたよりもはるかに小規模な墓所にささやかな副葬品と共に葬られる事となったのであった。

 

 オトフリート二世は六年にわたって政務に精励し、政治と経済の混乱をほぼ収拾した後に急逝した。これは過労によるものと思われるが、一方で既得権益を奪われた貴族や商人による毒殺説もささやかれ、迷信深い者は我欲の権化である先帝の呪いではないかと密かに噂し合った……。

 

 

 後世『獅子帝(ルーヴェナルティグ・カイザー)』という尊称を奉られるラインハルトは、痴愚帝のごとき虚栄心や物欲とは生涯疎遠すぎるほどに疎遠であった。生前の彼は巨大な建造物で皇帝の権威を誇示する意図は毛頭なく、当初は自らの墓所も一般的な市民と変わらぬ規模のものでよいとすら考えていた。

 

 だが、功臣であるシュタインメッツ元帥が、当時は独身であった主君たるラインハルトに倣って家庭を持たないまま戦没した事や、シルヴァーベルヒの死後に工部尚書の座を引き継いだグルックの「皇帝があまりに質素な生活では、臣下が余裕ある生活を送れない」という忠告などを受けて、ラインハルトは考える所があったようである。病により自らの死期を悟った彼は皇妃や重臣たちと意見を交わし、その結果として墓所の敷地は広く確保され、それに伴って墓石も大き目の物が用いられる事となった。それでもなお、前王朝における皇帝のやたらと壮麗な霊廟に比べても、また、全宇宙の覇王となりおおせた偉人の眠る場所と考えても、あまりにもささやかに過ぎる墓所であったが。

 

 その墓石に記された内容も簡潔で、彫り込まれたのは生没及び即位の年月日と姓名のみであったが、皇妃(カイザーリン)ヒルダの提案により、後に墓石の傍らにはラインハルトの盟友たる故ジークフリード・キルヒアイス元帥の功績を称える顕彰碑が建てられる事となっていた。いつの事になるかは判らないが、いずれはヒルダ自身ももう一方の傍らにおいて永遠の眠りに就く事となるであろう……。

 

 

 機動装甲車に先導され、皇帝の棺を載せた地上車が緩やかな速度で仮皇宮の門をくぐる。その後を追って、新帝国の皇族や重臣たちも地上車に乗って墓地へと向かっていった。

 

 その道程では多くの帝国軍将兵やその家族、そして旧くからのフェザーン市民たちが、多数の警備兵が配置されている車道の両側を所狭しと埋め尽くしていた。将兵やその家族たちは公正で自由な社会体制をもたらし、戦乱に終止符を打った偉大な皇帝(カイザー)の崩御に悲嘆に暮れ、被征服民でありラインハルトに対しては複雑な心情が入り混じっている旧フェザーン市民たちも、空前の覇者の死に一つの時代の終焉を痛感して粛然とせざるを得ず、共に彼らは葬列を見送ったのであった。

 

 

 高級士官や軍関連学校の生徒たちは、先んじて墓地に到着し、葬列を迎えるべく道沿いに整列していた。時間は夕刻に入り、小高い丘陵上の墓所は地平線に近づきつつある落日に照らされて緋色に染め上げられつつあった。

 

 機動装甲車と皇帝の棺を載せた地上車の後に、最初に眼前を通過した地上車の窓越しにユリウスが敬礼しつつ見たのは、ローエングラム王朝の遺された皇族と外戚たちであった。献花の時には緊張でよく確認できなかった要人たちの姿を視界に収め、ユリウスの鼓動は高鳴る。

 

 皇妃ヒルダとその隣のベビーシートに乗せられたアレク大公(プリンツ・アレク)、そして皇帝の姉である大公妃アンネローゼと国務尚書にして皇妃の父たるマリーンドルフ伯が、それぞれ喪服をまとって座している。無垢な表情を見せる乳児を除き、誰もが沈痛な心情を、女性たちはかぶっているヴェールをもってしても隠しきれてはいないが、それでも死せる者が後顧の憂いなく天上(ヴァルハラ)へと旅立てるように毅然とした態度を保とうとしているように見えた。

 

 ついでユリウスが後続の地上車の中に見い出したのは、蜂蜜色の頭髪とグレーの瞳を有した、やや小柄だが引き締まった体格の青年の姿であり、さらに鼓動が速まるのを少年は自覚した。

 

 

 ウォルフガング・ミッターマイヤー元帥。

 

 

 この年三三歳を迎えるこの人物は、キルヒアイス元帥亡き後はラインハルト麾下の中で親友ロイエンタール元帥とともに実戦部隊の代表格として『帝国軍の双璧』と謳われ、ロイエンタールの死後は『帝国軍の至宝』と称えられる存在である。

 

 最高水準の戦術を臨機応変に使い分ける事ができる用兵家で、自他に対して厳しいロイエンタールをして「神速にして、しかも理にかなう」と絶賛せしめた。親友の評価する通り、その戦いぶりは剽悍かつ迅速きわまりなく、四年前のアムリッツァ星域会戦の前哨戦では麾下の艦隊の先頭集団の一部が追撃していた同盟軍アル・サレム中将率いる第九艦隊の後尾集団と一時入り混じってしまったほどの快足を見せ『疾風ウォルフ(ウォルフ・デア・シュトルム)』の異名を奉られる所以(ゆえん)となった。本質的には戦術家であるが、戦略家としても帝国軍宇宙艦隊司令長官たるに相応しい広く柔軟な識見を有していると評され、皇帝ラインハルト亡き今となっては、人類社会随一の名将というべき巨星である。

 

 その名将の隣にはチャイルドシートに乗せられた幼児の姿があり、さらにその隣には妙齢の女性が座っていた。女性はエヴァンゼリン・ミッターマイヤー夫人であり、幼児は故ロイエンタール元帥の遺児にして、ミッターマイヤー夫妻の養子であるフェリックス・ミッターマイヤーであろう。

 

 

 オスカー・フォン・ロイエンタール元帥。

 

 

 ダークブラウンの頭髪と『金銀妖瞳(ヘテロクロミア)』と呼ばれる黒い右目と青い左目という神秘的な印象を与える双眸の、貴公子然とした長身の美丈夫。もう一人の『帝国軍の双璧』たる存在で、智勇の均衡という点ではラインハルトすらも凌駕すると言われ、無二の戦友ミッターマイヤーをして「攻守ともに完璧に近い。ことに沈着にして広い戦局全体を見わたしながら戦いを運営する点で、俺はロイエンタールの足下にも及ばない」と絶賛させた用兵家である。ラインハルトの登極後には統帥本部総長として皇帝の代理にして首席幕僚という重責を背負いながらも主君の期待にほぼ完璧に応え、後に広大な旧同盟領を統括する新領土(ノイエ・ラント)総督に任じられて軍事のみならず行政にも卓越した手腕を発揮するなど、その信頼は厚かった。

 

 が、昨年の新帝国暦〇〇二年一〇月、皇帝ラインハルトがロイエンタールの招請に応じて新領土の中枢たるバーラト星系第四惑星の旧同盟首都ハイネセンへの行幸に赴く途上、ガンダルヴァ星系第二惑星ウルヴァシーにおいて叛乱部隊の襲撃を受けるという変事が起こった。世に言う『ウルヴァシー事件』である。皇帝は虎口を脱して新帝都に戻る事ができたものの、その代償として随員の一人である歴戦の勇将コルネリアス・ルッツ上級大将が皇帝の盾となって落命する結果となった。

 

 この間に事態をある程度は把握しているはずのロイエンタールは新帝都への出頭はおろか、一言の弁明も謝罪も行わなかった。自らの領土内での屈辱的な逃避行を強いられ良臣ルッツを失った皇帝は憤激し、ロイエンタールを叛逆者と断じてミッターマイヤーにその討伐を命じて軍を発した。ロイエンタールも「君側の奸」たる軍務尚書オーベルシュタイン元帥と内務省次官・兼・内国安全保障局長ラングの両名を排除する事を大義名分に挙兵するに至る。

 

 一一月二四日にミッターマイヤー軍とロイエンタール軍は旧同盟領の要衝たるランテマリオ星域において激突する。後世『第二次ランテマリオ会戦』もしくは『双璧の争覇戦』と呼ばれるこの会戦において、両軍は稀代の用兵家たる総司令官の指揮の下で一進一退の戦いを繰り広げていたものの、メックリンガー上級大将率いる別働隊の侵攻や麾下の一部兵力の造反により、最終的にロイエンタール軍は瓦解した。

 

 重傷を負いつつも延命のための手術を(うべな)わなかったロイエンタールは残存兵力をまとめてハイネセンに帰着し、一二月一六日に総督府の執務室において絶命する。三三歳であった。なお、彼の死を知らされたラインハルトは、新領土総督に任じたのはともかく、元帥に任じたのは誤りではなかったとして、ひとたび剥奪した元帥号をロイエンタールに返還している。

 

 

 ロイエンタールは生涯独身であったが、ラインハルトにより粛清された旧貴族の一門の令嬢との間に私生児である男子が産まれており、その子をミッターマイヤーは引き取って養子にしたのである。

 

 そしてもう一人、先月幼年学校を修了したハインリッヒ・ランベルツという今年一五歳の少年がミッターマイヤー家の一員となっているはずだが、彼の姿は地上車の中には見えない。自分たちと同様に整列して保護者たちを見送っているのであろうか。

 

 ユリウスらが去年入学した時期、ランベルツは最上級生であった。面識はなかったがロイエンタール元帥の従卒を仰せつかった事で同級生や下級生からの羨望の的となったのはまだ記憶に新しい。その縁からロイエンタールの叛乱終結後にミッターマイヤーの知遇を得、近年両親を失っていた事から被保護者として迎えられたのである。その事もまた羨望と嫉妬の種になっているが、実の父母を失った上での事であるし、『帝国軍の至宝』の養子という立場はとてつもない重圧たりうるであろうから、当人も幸福なだけでは済まされないだろう。

 

 そのような事を考えていたユリウスだが、不意に地上車の中の、宇宙最高の名将のグレーの視線がこちらに向けられている事に気付いた。それが自身に向けられる理由に心当たりがなかった白金色の髪と黒い瞳の少年は、自分の傍らにいる、同僚であった故カール・グスタフ・ケンプ提督の忘れ形見に向けられたものだろうと思った。

 

 続いてユリウスはその名将の隣に座っている、自分よりちょうど一〇歳年下の幼児と視線がぶつかった。その目は実父とは異なり、両方とも大気圏の鮮やかな空の色である。ロイエンタール提督の遺児であるという先入観のゆえであろうか、初めて直視したはずのその幼い顔立ちにユリウスは既視感を覚えたが、それも長くは続かなかった。黒い瞳と青い瞳の視線の交錯は数瞬のうちに終わり、ミッターマイヤー一家を乗せた地上車はユリウスの前をほどなく通り過ぎていった。

 

 

 続いて来た地上車の中にミュラー提督の姿を確認した時、ユリウスは横目で友人の様子を窺った。予想通り、その表情は敬意と憧憬に満ちたものであったが、不意に視線が厳しいものになったのを見て、ユリウスはその視線の先を追う。そこにはミュラーと共に座っている、帝国軍のそれとは異なる軍服──窓越しに見えるのは黒いベレーにジャンパー、アイボリーホワイトのスカーフ──を着た二人の人物の姿があった。

 

 一人は亜麻色の髪と、ダークブラウンの瞳をした端正な容貌の少年めいた印象の残る青年であり、もう一人は鉄灰色のおさまりの悪い髪型の、外見上は二〇代後半に見える青年である。確か名は、ユリアン・ミンツ中尉とダスティ・アッテンボロー中将であったか。その後続の車には、ミュラーの幕僚と共にオリビエ・ポプラン中佐とカーテローゼ・フォン・クロイツェル伍長が乗っていたが、この二人の名はユリウスの脳裏の人名録には記されていなかった。

 

 彼らはヤン・ウェンリーの死後も、ヤンの被保護者にして愛弟子たるミンツ中尉を後継の総司令官として民主共和制の旗を掲げて帝国に対し抵抗を続け、ついには皇帝ラインハルトとの間に和平を成立させてバーラト星系の内政自治権を勝ち取った、敬意を払うべき先日までの「敵」であった。

 

 

 ヤン・ウェンリー元帥。

 

 

 中肉中背で長めの黒髪と黒い瞳の、外見上は軍服を着用していても軍人らしく見えない温和そうな青年であったが、この人物こそがラインハルト・フォン・ローエングラムを筆頭とする帝国軍にとって最大の雄敵というべき存在であった。

 

 戦場においては魔術的な戦術を行使して敵を翻弄し、難攻不落のイゼルローン要塞すら二度もたやすく手中にしてのけ『魔術師ヤン(ヤン・ザ・マジシャン)』『奇蹟の(ミラクル)ヤン』と畏怖された不敗の用兵家。グスタフの父カール・グスタフ・ケンプを始めとして、多くのラインハルト麾下の一流の将帥たちがことごとくヤンの手によって、ある者は戦場で(たお)れ、ある者は戦死は免れたものの敗北の味が並々と満たされた苦杯をあおらされる事となった。

 

 常勝の天才たるラインハルト自身も例外ではなく、アスターテ、アムリッツァ、ランテマリオ各会戦ではヤン一人により完全勝利の美酒をことごとく苦味と酸味を加えたカクテルに作り変えられ、バーミリオン会戦にいたっては中盤以降は戦術的に主導権を奪われて敗死の半歩手前まで追い込まれた。当時ラインハルトの秘書官であったヒルダの献策により、『帝国軍の双璧』に首都ハイネセンを包囲された同盟政府の停戦命令がなければ、ラインハルトは後世「常勝」と呼ばれる事はなかったであろう。

 

 ヤンは自由惑星同盟が皇帝に即位したラインハルトの手によって二七三年の歴史に幕を下ろされた後、独立を宣言したエル・ファシル星系に身を寄せて革命軍司令官に就任し、民主共和制存続のために戦う意思を示す。再奪取したイゼルローン要塞に拠ってヤン艦隊はラインハルト率いる遠征軍に寡兵で勇戦するが、停戦後にラインハルトとの会談に赴く途中で帝国軍を装った地球教徒の襲撃を受け、ヤン・ウェンリーは三三歳の生涯を不敗のままで閉じたのであった。

 

 その訃報を知ったラインハルトを始めとする帝国軍の領袖たちは自らの手で斃し得なかった、生きていれば自らを斃していたかも知れぬ偉大な敵将の死を惜しみつつ、喪中にある敵軍を討つを潔しとせずイゼルローン回廊から悄然として撤退したのである。

 

 

 皇帝ラインハルトとヤン・ウェンリー元帥。それぞれ敬愛する主君と憎むべき仇敵である、時代を代表する二人の名将亡き後、グスタフのそれぞれの思いはどうなるのだろう、とユリウスは思う。

 

 前者への忠誠心は新帝となるアレク大公や皇太后となるヒルダ、そして彼らが継承する新帝国に向けられるに違いないが、問題は後者への復讐心である。あるいは後継者たるミンツ中尉やその周囲の人間に憎悪を引き続けて向けるのか。

 

 これはグスタフ一人に限った事でもない。ユリウス自身は周囲の知人縁者に戦死者や戦傷を負った人たちは確かに存在したが、軍人だった母方の祖父は退役まで生き延び、父方の祖父や父たちも徴兵はされたが後方勤務で兵役を終えているので、旧同盟軍やヤン一党に対してさほど負の感情を抱いてはいない。だが、長く続いた戦乱の時代において、戦場に朽ち果てた将兵は数え切れず、親や子、兄弟や友人縁者を失った人間はその数倍にのぼるだろう。平和や繁栄が訪れても、憎悪や悲哀が人々の心からただちに去るわけもなく、それが何かのきっかけで連鎖的に発火したらどうなるのか……。

 

 と、そこまで思いをめぐらした所でユリウスは内心で苦笑した。そのような事は亡き皇帝陛下や、摂政となる皇妃陛下を始めとする新帝国の重鎮たちは百も承知のはずである。いまだ軍人の卵として殻を破れてもいない自分がそこまで思いわずらって何になるのか。さしあたって自分は傍らの友人の事を考えるべきだろう。実際のところ、それすらも未熟な自分にとっては重荷かもしれないが。

 

 最近知ったことではあるが、第八次イゼルローン要塞攻略戦において、同盟軍の援軍の存在を知ったケンプ提督が実施した時間差各個撃破戦法を見破ったのは、なんと当時一六歳であったユリアン・ミンツ曹長であるという。これにより各個撃破に失敗して艦隊戦での勝機を失ったケンプはガイエスブルク移動要塞に撤退し、移動要塞そのものを質量兵器としてイゼルローン要塞を破壊する作戦を実施するが、これも成功せずケンプは爆散する要塞と共にイゼルローン回廊の塵と化したのであった。

 

 それを考えれば、ヤンの後継者という立場を抜きにしても、ミンツ中尉はグスタフにとって明らかな仇の一人といえる。

 

 だが、最初は反発していたミュラー提督に対して、今では揺るぎない尊敬の念をグスタフは抱いている。そのミュラーも当初はケンプ提督の復讐を望んでいたが、バーミリオン会戦終結後にヤンと対面し、その為人(ひととなり)に触れた後に偉大な敵将への憎悪を捨てたという。それゆえにミュラーはヤンの死に際しての弔問の使者となり、ヤン亡き後のヤン一党との交渉のパイプ役となったのである。今地上車にミンツ中尉たちと同席しているのもそれが理由であろう。あるいはグスタフの敵手への敵愾心も、共和主義者たちとの交流が深まれば、いつかは完全な敬意に昇華されるのかもしれない。

 

 

 そのような事を考えているうちに、ミュラーらを乗せた地上車は過ぎ去り、更に続いて軍部や内閣の重鎮たちを乗せた地上車が連なって通り過ぎていく。軍人を志す身としては、皇帝ラインハルトと共に戦場を闊歩して勇名を馳せた将帥たちにユリウスが意識を奪われてしまうのは無理からぬ事であっただろう。

 

黒色槍騎兵(シュワルツ・ランツェンレイター)』艦隊を率いる『帝国軍の呼吸する破壊衝動』フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト上級大将。

 

『芸術家提督』『文人提督』エルネスト・メックリンガー上級大将。

 

 義手の剛毅な用兵巧者アウグスト・ザムエル・ワーレン上級大将。

 

『沈黙提督』エルンスト・フォン・アイゼナッハ上級大将。

 

 憲兵総監・兼・帝都防衛司令官ウルリッヒ・ケスラー上級大将の姿は見えなかったが、警備責任者として別行動を取っているのだろう。あるいは最初の機動装甲車に乗っていたのかもしれない。

 

 

 地上車の列が途絶えた後、生徒たちは敬礼の手を下ろし、皇帝の埋葬を見届けるべく教師の指示の元に移動を始める。足を動かしつつ、ユリウスは傍らの友人にあえて問いを発した。

 

「ヤン・ウェンリー一党への憎しみは捨てきれないか、グスタフ」

 

 友人の問いに目を見開いたグスタフだが、先ほどイゼルローン軍の指導者たちへ向けていた視線を見られていたのを察したのであろう、憮然とした表情で地上車が走り去った方角を見つめた。

 

「……父さんの死をメックリンガー提督から聞かされた時は復讐を誓ったよ。泣き崩れる母さんの姿は今でも忘れられない」

 

 

 第八次イゼルローン要塞攻略戦の最終局面において、艦隊戦で敗退した総司令官ケンプ大将は起死回生の一手としてガイエスブルク移動要塞を最大加速でイゼルローン要塞に激突させ、要塞を完全破壊する作戦を決行する。

 

 それを予測していた敵将ヤン・ウェンリーは麾下の全艦隊に移動要塞の進行方向左端の航行用エンジン一基のみへの集中砲火を命じ、要塞本体に比べて防御力の低いエンジンを破壊させた。推力軸を狂わされた移動要塞は制御不能に陥った上にイゼルローン要塞主砲『雷神の鎚(トゥールハンマー)』の一撃をとどめに浴びせられ、ケンプは爆風で吹き飛ばされた破片により内臓に達する致命傷を負ったのである。

 

 総員退去の命令が発せられた後、参謀長フーセネガー中将を始めとする幕僚たちはもはや助からないにせよ、ケンプを司令室から連れ出して脱出しようとしたのだが、ケンプ本人が謝絶したという。

 

「こんな図体を担いででは、脱出できるものもできなくなるぞ。……この要塞だけでなく俺もまた、うすらでかい役立たずだったな。俺には似合いの棺桶だ……」

 

 ケンプは苦しげに自嘲しつつ、遺書が宇宙艦隊司令部の執務室のデスクの抽斗(ひきだし)に入っている事を告げ、それを家族に渡すように参謀長に頼んだ。家族の前では安心させるために「俺が今まで戦場に出て帰ってこなかった事があるか」と豪語していた彼だが、百戦錬磨のケンプは戦場における生命の儚さを知悉していた。特に戦闘艇乗りであった時期、先刻まで軽口を叩き合っていた同僚が刹那の間に火球となって散華するのを幾度も眼前で見ており、死はいつでも訪れると覚悟して戦場に赴くたびに遺書をしたためていたのである。

 

「それと、ミュラーに詫びておいてくれ。俺は彼の献策を生かせなかった……」

 

 第八次イゼルローン攻略戦当初、イゼルローン要塞には総司令官であるヤン・ウェンリーは不在であった。国防委員会の命令により、査問会に出頭すべく首都ハイネセンに赴いていたためである。戦闘中に得た捕虜からの情報によりそれを察した副将ミュラーは、要塞救援のために戻ってくるであろうヤンを捕捉すべく、三〇〇〇隻の兵力を割いて同盟領方面から見て死角となる宙域に配置させた。だが、主将ケンプはこれを認めず、敵側の偽報と断じて配置した戦力を戻させてしまったのである。この判断はその前に艦隊でのイゼルローン要塞への攻勢に失敗していたミュラーに対し、功を焦り気味のケンプが不満や不信を少なからず抱いていたのも一因であったと思われる。

 

 だが、同盟軍の増援艦隊と交戦するに及び、ミュラーの主張が正しかったのではないかとケンプは内心で後悔する事となった。敵の増援は明らかに警備部隊(ガーズ)巡視部隊(パトロール)の混成艦隊であるにもかかわらず統率が取れていて艦隊行動に乱れがなかった上、回廊の地形を生かした巧妙な戦術展開や、駐留艦隊との無言の連携の絶妙さから、やはりヤンはイゼルローンから離れており、救援に戻ったヤンが増援部隊の指揮を執っているのではないか、とケンプも考えざるを得なかったのである。

 

 ミュラーの当初の計画通りに兵力が配置されていれば、増援部隊の側面ないし後背を突く事が可能であったろう事は、多くの軍事史家が肯定する所である。三年後の新帝国暦〇〇三年二月に行なわれたイゼルローン共和政府軍と帝国軍の回廊内での戦いにおいて、イゼルローン要塞に肉薄せんとしたワーレン上級大将率いる艦隊の側面を、同じように索敵システムの死角に伏せられていたメルカッツ提督の指揮するイゼルローン軍別働隊が捉える事に成功した事実から考えても、ミュラーの伏兵案も成功する可能性は高かったと思われる。結果としてケンプは誤ったのだった。

 

 

 ──思い起こせば、俺は功に(はや)り過ぎていたかも知れん。ミュラーの失敗を過剰に責め、彼の意見のもっとも肝心なものを退け、大魚を逸してしまった。何と視野と度量の狭い男か。ここまでの大敗を喫するのも当然の帰結という事か……。

 

 かくして己の狭量と誤断が副将の思慮と将兵の勇戦を無に帰した事を悔いつつケンプは絶息し、闘将としての生涯を終えたのであった。

 

 葬儀の後、グスタフは自宅を訪問したフーセネガーから父が判断を誤り、それを悔いてミュラーに詫びの言葉を遺したという話を聞いて絶句した。副将が無能だったために父は敗死したのだと思い込んでいたグスタフにとって、それは受け入れがたい内容であったが、今にして思えばそれがミュラーへの認識を改める萌芽となったのかもしれない。

 

 

「……だけど、ヤン・ウェンリーはすでに亡く、共和主義者たちとは和平が結ばれた。どこかで区切りを付けるべきなのは、解っている。解ってはいるんだ」

 

 グスタフの低く呻くような、未整理な心情の率直な吐露に、ユリウスはうなずきつつ提案をしてみる。

 

「機会があれば、ミンツ中尉たちと会ってみるのもいいかもしれないな」

 

 グスタフは顔を軽くしかめた。

 

「……今はだめだ。会っても、この口が何を言うか自分でも判らない。とにかく今は時間が欲しい」

 

 かつて怒りに任せてミュラー提督を罵倒してしまった苦い経験がグスタフにはあり、その再現は避けたいという事なのだろう。何も今すぐ結論を出し、ユリアン・ミンツやその同志たちに会わなければならない理由もある訳でもない。心情を整理する時間は充分にあるはずであった。

 

 ユリウスは親友ならば正しい判断に至れるだろうと信じたが、その一方で自らの心の裡に、

 

「むしろ俺が親友と認めた奴ならば、これくらいの葛藤は乗り越えてみせろ」

 

 と友人を皮肉っぽく眺める自分と、

 

「そういうお前はどうだ。色々と屈折したものを抱え込んだままのお前に、この率直な男の親友の資格があるのか?」

 

 と自身を冷ややかに見つめる自分が並行して存在するのを自覚し、いささか苦い気分になった。

 

 グスタフ・イザーク・ケンプは知性は十分ながら、気質は単純明快な少年である。その公明正大で正道を歩まんとする姿勢は「ひねくれ者の自分とは比較にならない」と内心でユリウスに自嘲交じりの羨望を覚えさせる。

 

 もっとも、グスタフの方ではユリウス・オスカー・フォン・ブリュールの同年齢とは思えない視野の広さと柔軟な思考力を羨望していた。「単細胞な自分とは雲泥の差だ」と親友に対し嫉妬を感じ、亡き父から教え込まれた単純明快な価値観を恨みたくなる事もあるほどである。

 

 そのように己が持たないものを持つ親友を羨望し、無意識の内に互いに影響を与え合っている事に、二人の少年はこの時点では気付いていなかった。


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