獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第三節

 ゴールデンバウム王朝において、皇帝の葬儀は皇太子、またはそれに準じる立場の後継者がその責任者となるのが慣例であった。

 

 一例としては第六代皇帝ユリウスの死後、後継者たる立場を誇示すべく盛大だが空虚な葬礼を差配したのは「皇太曾孫」たるカール大公であった。もっとも、後にカールは玉座に座る直前に帝位継承権を放棄し、第二位の継承権を有していたカールの従兄であるブローネ侯爵ジギスムントがジギスムント二世として帝冠を戴く事が即位式当日に発表されて、裏の事情を知らされなかった当時の大多数の臣民たちを驚愕および困惑させたものである。

 

 ユリウスの急死は、一〇〇歳近くになっても健康に翳りすら見せない曾祖父に対し迷信的な恐怖に囚われたカールによる毒殺であり、それを知ったジギスムントの宮廷工作によってカールが帝位継承権を喪失したというゴールデンバウム王朝にとって不名誉な事実が暴かれたのは、王朝滅亡後の近年の事である。

 前王朝の例に従えば、ラインハルトの葬儀は後継者たるアレクサンデル・ジークフリードことアレク大公(プリンツ・アレク)がその任に就くべきなのだが、無論いまだ生後三か月にも満たない乳児に務められるはずもない。そして後継者が幼少の場合は、先帝から公認された後見人が代理として葬儀を取りしきるのもまた慣例であった。

 

 ラインハルトはことさらに前王朝の前例を踏襲しようとしたわけではないが、死の直前に遺した遺言のひとつとして、大公の母にして新帝即位時に摂政皇太后となる皇妃(カイザーリン)ヒルデガルドことヒルダを自身の葬儀の責任者に任じる事を明言していた。これは摂政としてのヒルダの立場をより強めるための、ラインハルトの配慮でもあったと思われた。

 

 皇帝(カイザー)の配偶者という立場の女性が摂政という国家を指導する立場に就き、あまつさえ皇帝の葬儀を取りしきる事に対し後々の影響を心配する一部の声もあったが、ヒルダの摂政就任はあくまでも彼女が新王朝にもたらした政治および軍事における多大な功績あってのものであり、皇帝の葬儀の運営責任者たる事も同様であると公式記録に明記される事でひとまずの決着を見たのである。

 

 とは言え、ヒルダの運営能力に疑念を差し挟む余地はまったくないものの、彼女は出産を終えてさして間もなく、崩御まで病床にあった夫の看病や乳児であるアレク大公の世話を皇姉アンネローゼと共に行なっており、夫の崩御の心痛もあって軽視し得ない肉体的及び精神的な疲労を残している事が懸念された。そのため、ヒルダはあくまで要所要所における最低限の指示や提案の提示のみに徹し、補佐役を置いて葬儀全体の運営はその人物に委任する事が決定されたのである。

 

 当初その補佐役として国務尚書マリーンドルフ伯爵が周囲から推されたのだが、伯爵は皇妃が皇帝の国葬の責任者となる以上、この上皇妃の父にして閣僚首座という、名目上は宰相に比肩する立場にいる自分がその補佐を務めるのは、外戚の専横を正当化する悪しき前例となりかねないとして、これを固辞した。本来は国務尚書の座すら娘の婚姻に先立って退こうとしたその思慮と誠実さは、多くの人々から好意をもって受け入れられたのである。

 

 次に推薦されたのは、宇宙艦隊司令長官ミッターマイヤー元帥であった。彼は軍務尚書オーベルシュタイン元帥亡き後、軍の最高位たる立場にしてマリーンドルフ伯から次期国務尚書に推挙されている身でもあり、その並ぶ者なき武勲と公明正大な姿勢はその任にふさわしいと思われたのだが、ミッターマイヤーもまた、辞退する意向を示した。

 

 というのも、ローエングラム王朝成立後、ほとんどの国葬やそれに準じる葬儀を取りしきっていたのが故オーベルシュタイン元帥であった事に対し、文官の一部から不満が出ている事をミッターマイヤーは知っていたからである。

 

 武官であるレンネンカンプ上級大将の密葬やルッツ元帥の国葬はまだしも、文官でありテロに(たお)れた工部尚書シルヴァーベルヒが同時期に戦没したファーレンハイト、シュタインメッツ両元帥と合同で弔われ、その葬儀委員長までも軍部の代表者たるオーベルシュタインが務めた事は、いかに弔うべき武官の方が多いとはいえ、「文官軽視の表れではないか」という無視しえない疑惑を一部で生じさせていた。

 

 ローエングラム王朝において文官は決して軽視されている訳ではない。むしろラインハルトは為政者としても独創性と見識と意欲に富んだ偉才と一般的に評価されており、それを支える文官たちの存在は重要なものであった。とはいえ、成立当初から軍人皇帝のもとで軍部による武断主義の傾向が強い新王朝では文官の存在が淡いものになりがちであるのは否定し得ない。

 

 ましてや卓越した才識と指導力を有したシルヴァーベルヒの横死後、彼のようなカリスマが文官側に存在していない事が一部文官の間に焦りを生じさせており、この上皇帝の国葬まで武官が葬儀を取りしきったとあっては、彼らの不満を顕在化させ、国家の両輪たる文官と武官の間に深刻な亀裂が生じる可能性もある。ここは軍部が一歩譲るという体裁が必要であると判断したゆえのミッターマイヤーの辞退であった。

 

 重臣間の相談の結果、マリーンドルフ伯とミッターマイヤー元帥は宮内尚書マクシミリアン・ローレンツ・フォン・ベルンハイム男爵に、葬儀運営における事実上の運営責任者就任を要請した。ベルンハイム男爵は前王朝においては宮内省や典礼省における一中堅官吏に過ぎなかったが、職務に忠実な旧王朝の故実に精通した人物で、五年前の前王朝の第三六代皇帝フリードリヒ四世の国葬を始め、幾人かの皇族や大貴族の葬儀運営にも携わった経験もあり、この一件にはうってつけの人材と言える存在と思われたからである。

 

 皇帝の国葬のほぼ全面的な差配という重責を背負うなどという事態は、ベルンハイム男爵の想像力の地平線の彼方にあった。前王朝において宮内尚書は皇帝の葬儀において重要な役割を果たすべき立場にあったのは確かだが、それはあくまでも皇太子など葬儀の最高責任者への助言・補佐を行なうまでに留まっていたのである。

 

 だが、人臣としての文武の最高責任者二人に頭を下げられて、誠実な宮内尚書はつつしんでの「諾」以外の返答の選択肢を持ち得なかった。ましてや、ベルンハイム男爵個人としても皇帝ラインハルトには恩義があり、その葬儀を取りしきる事については「望む所」という心情も確かに存在したのである。

 

 

 旧王朝の宮内省の一官吏であった時期、ベルンハイム男爵は無駄と思われる儀礼の簡略化や削減およびそれによる宮廷費の抑制を、精密な資料を作成して一度ならず上申した事がある。気質は剛性とは言いがたい彼にとって、これらの上申は持てる見識と勇気を総動員して行なったものなのだが、その行動はその時点では報われなかった。慣例を重んじ変化を好まない上司たちによって上申はことごとく却下され、逆に疎まれて典礼省へ出向させられたのである。典礼省は貴族関連の行政事務を処理する役所であるが、その職掌の多くは宮内省や司法省のそれと重複していたので、省そのものがある意味閑職とも言える存在であった。

 

 失意に肩を落としていたさなか、ベルンハイム男爵はひとつの仕事を命じられる。すなわち、二〇歳を迎えるラインハルト・フォン・ミューゼルのローエングラム伯爵家相続の事務的な責任者に任じられたのである。

 

 食うにも困る貧乏貴族の出自であったにもかかわらず、まぐれ続きの軍功と、当時の皇帝フリードリヒ四世の寵姫の弟であるという立場だけで出世した(と当時の大半の大貴族は信じていた)ラインハルトの伯爵家相続は、いかに皇帝の意思とはいえ大貴族にとっては非常に不愉快な事例であった。

 

 ある者は成り上がり者を嫌悪し、ある者は大貴族の憎悪の余波を向けられる事を恐れたりと、その相続の手続きを積極的にやりたがる人材が当時の典礼省におらず、省の上層部は白眼視していたベルンハイム男爵に厄介な仕事を押しつけたのである。だが、それは男爵にとっては、思いもよらなかった人生最高のロイヤルストレートフラッシュを完成させるエースのカードとなった。

 

 男爵は皇帝の寵姫の弟に対して、その鋭い眼光にやや気圧されながらも、媚びもせず、忌みもせず、ただ粛々と丁寧かつ誠実にラインハルトの伯爵家相続の手続きを行なった。その公正な態度と的確な事務能力に感心したラインハルトは、後に却下された男爵の宮廷費の削減案に目を通す機会があり、その旧弊を改めようとする意志と識見の深さに非常に感銘を受けた。これにより、ローエングラム王朝における初代宮内尚書の椅子は座るべき人物を得たのである。

 

 

 かくしてベルンハイム男爵は皇帝夫妻の結婚式の証人役という大役を務めたわずか半年後に、皇帝陛下の葬儀の事実上の運営責任者というさらなる大役を務める事となり、不満を抱いていた文官たちはそれを知ってある程度は溜飲を下げたのである。だが、篤実だが気の弱い一面のある宮内尚書本人は、やる気は充分ながら中堅官吏であった当時とは比較にならない重圧を両肩とみぞおちの辺りに知覚し、国葬の準備開始から終了まで胃腸薬を手放せない身となった。そして皇妃の体調への配慮ゆえにその補佐役となった自分の体調が思わしくないと公言する訳にもいかず、心身ともに穏やかならざる宮内尚書は宮廷医からこっそりと薬を受け取りつつ、外見上の最低限の平静を保つのにも少なからず苦労したのである。

 

 ヒルダは葬儀全体の基本的な運用は宮内尚書に委ねたが、皇帝の国葬として恥ずかしくない程度の格調を保ちつつ、できるだけ簡素にする事を求めた。ラインハルトは葬儀の規模についてまでは遺言では触れなかったが、それは皇妃に対する信頼の表れのひとつであっただろう。ヒルダは亡夫が前王朝における浪費と虚礼に満ちた式典を心の底から嫌悪していた事を知悉しており、それはヒルダ自身の価値観とも完全に合致していたのである。

 

 皇妃の意を受けた宮内尚書は「できる限り簡素な皇帝の国葬」という、前王朝の慣例を参考にしづらい匙加減の難しい課題に皇妃の意見を確認しながら四苦八苦しつつ、結果としてつつがなく仮皇宮の広壮な大広間で挙行された葬礼を終わらせる事に成功した。宮内尚書は式の終了後に皇妃から感謝とねぎらいの言葉を賜った後、人目のない場所で胸をなでおろし、なでおろした手を下げて胃の辺りを押さえたのであった。

 

 

 一方、葬儀の簡素さに反比例して豪華極まりなかったのは、列席者たちの顔ぶれであった。その人数こそ旧王朝の皇帝の葬礼に比べればはるかに少ないものの、皇妃ヒルデガルド、第二代皇帝となるアレク大公こと皇子アレクサンデル・ジークフリード、グリューネワルト大公妃といった皇族を始め、ミッターマイヤー元帥を筆頭とする軍高官や内閣を構成する尚書を始めとする高級文官や官僚といった、人類社会における歴史上空前の大帝国を動かしうる要人たちが、ただ一人の死者を見送るためにこの場に参上していたのである。また、その中にはごく少人数ながら帝国軍のそれとは異なる軍服姿──黒いベレーにジャンパーとハーフブーツ、アイボリーホワイトのスカーフとスラックス──も見られた。自由惑星同盟の滅亡および指導者ヤン・ウェンリーの死という苦難を乗り越え、新帝国との間に講和を成立させて民主主義の命脈を保ったイゼルローン共和政府の軍事指導者たるユリアン・ミンツ中尉と、その同伴者たちが賓客として参列していたのであった。

 

 そしてユリウスとグスタフも、幼年学校の学年代表の一員として葬儀の最後列に連なる事を許されていたのである。

 

 葬儀はユリウスと同じ名を持つ前王朝の老皇帝のそれとは真逆の空気──すなわち、簡素だが偽りない哀悼の念に満ちた──の中で最後まで進行した。文官代表のマリーンドルフ伯の弔辞を皮切りに、短いが真情の込められた追悼の言葉が次々と会場に響きわたり、参列者たちを一段と粛然とさせてゆく。士官学校や幼年学校といった軍関連学校の最上級生首席による弔辞も読まれ、いずれの生徒も過度の緊張と悲哀により、所々で声を詰まらせる場面が少なからずあったが、それはむしろ皇帝への深い敬意と哀惜の存在を示しているものと受け止められた。参列者たちは特殊ガラスの蓋のケースに納められ、低温保存されている皇帝ラインハルトの遺体を前にし、各々異なる思いを胸中に抱きつつ、死してもなお強い存在感を保つ覇者との最後の別れを惜しんだのである。

 

 無論、ユリウスもいまだ巨大な喪失感の虜囚たる存在であったが、その一方で、

 

 ──もし今、この式場で高殺傷力の爆発物が炸裂したら──

 

 などと不穏当極まりない事を、この皮肉屋としての一面がある少年は思考の一隅で考えてしまい、今こんな事を考える学生は自分くらいだろうな、と内心で苦笑した。三年ほど前に今は亡き黒と青の瞳を持つ名将が、似たような状況で似たような事を空想した事など、無論ユリウスは知る由もなかった。

 

 しかし、一笑に付してしまえる話でもない。身近な例では先日、国家の重鎮であった軍務尚書オーベルシュタイン元帥がテロの犠牲となっているではないか。警備責任者であるケスラー上級大将やその配下たちなどは、さぞ神経を尖らせ、葬儀の静謐を妨げないようにしつつ警備体制を整えているに違いなかった。

 

 

 ウルリッヒ・ケスラー上級大将。

 

 

 今年で三九歳となる彼は、茶色の頭髪の両耳の付近のみが白く、眉にも白いものが混じっており、実年齢にそぐわない印象がある。だが、八年前の旧帝国暦四八四年に法務士官の研修のため宇宙艦隊司令部から憲兵隊に出向していた当時の年齢は三〇歳を過ぎていたにもかかわらず「二〇代後半」に見えたという証言がある。実際、その当時の彼の頭髪や眉には白髪がまだ目立っては存在せず、それらがなければむしろ若い印象を与える容姿であった。彼の頭部に白いものがはっきりと現れるのは、当時の軍上層部に忌避された結果として辺境星域への赴任を命じられた時期からであり、辺境における心身への労苦の結果によるものと思われる。

 

 その容貌は「軍人というより敏腕の弁護士を連想させる」と言われる一方で、「歴戦の武人らしい精悍な風貌」という相反する記録も存在する。全体としては後年上梓された『ケスラー元帥評伝』を始めとして前者の評価の方が圧倒的に多いのだが、後者の評価はリップシュタット戦役終結後二年ほどの時期に集中して見られる。

 

 彼は辺境勤務において前線指揮及び後方支援の両方に豊富な経験と実績を積み重ねた後、旧知であったラインハルトに中央に呼び戻されてその幕下に入り、リップシュタット戦役では艦隊司令官として活躍した。戦役終結後、ケスラーはその実務能力をラインハルトに見込まれて憲兵総監と帝都防衛司令官の兼任を命じられ、活躍の場を地上へと移す事となる。

 

 だが、ケスラーは気質的には宇宙空間を往く事に喜びを見い出す行動型の武人であり、前線勤務から外された事に対し内心で忸怩たる思いを抱いていたのは事実である。地上勤務に就いてしばらくの間、前線の武人でありたいという願望が身にまとう雰囲気に表れた結果として「歴戦の武人」という外見の印象につながり、そしてそういった自身の欲求を徐々に抑え込んで地上勤務に精励した結果、「軍人というより有能な法律家」という従来の印象に回帰したのではないか、と後世の歴史家の一人は推測している。

 

 

 ユリウスの脳裏に、不意に一つの疑問が浮かんだ。

 

 オーベルシュタイン元帥がこのヴェルゼーデ仮皇宮の二階の一室において地球教徒のテロに斃れた際、その時の仮皇宮の警備責任者もケスラー上級大将であった。この時点で地球教は本拠地たる地球を始め各惑星の重要な支部もすべて壊滅させられており、テロの実行犯の人数は二〇名程度に過ぎなかった上、戦いぶりは狂信的であっても戦闘員としての練度は精鋭とはほど遠いものだったという。携帯していた武器も貧相なものであり、軍務尚書を死に至らしめた爆発物も光子爆弾でも中性子爆弾でもなく、原始的な手製の爆弾であった。

 

 ケスラーの治安責任者としての能力と実績は一幼年学校生徒のユリウスもよく知る所だが、その彼が警備を担当していたにもかかわらず、どうしてそんな少人数の、練度も装備も精鋭とは言いがたい集団の仮皇宮への侵入を許したのだろうか?

 

 その当時の夜、新帝都は猛烈な雷雨の渦中にあった。闇夜と嵐、そして雷雨による機械的な警備システムの不備の発生などに乗じたのを考慮に入れても、不自然なものをユリウスは感じた。

 

 まさかとは思うが、ケスラーは仮皇宮の三階の一室にいた皇帝一家の警備を万全なものとした上で、地球教徒どもを完全に覆滅するために、わざと外部の警備に穴を開けて隙を見せつけ、彼らを仮皇宮の内部に誘いこんだのではないだろうか。そして、軍務尚書の横死も、もしや……。

 

 この時点では、ユリウスは死んだ軍務尚書が地球教の本尊たる地球を破壊するという流言をもって、皇帝の身を囮にして地球教徒を仮皇宮に呼び寄せたという事実を知らなかった。知っていれば、軍務尚書と憲兵総監の間に地球教覆滅のための水面下での連携があった可能性に気付き、更なる戦慄を禁じえなかったであろう。

 

 ユリウスは心の中で頭を振った。断定するには自分が持つ知識や情報は質量ともに貧弱に過ぎる。単に想像の翼を広げ過ぎただけかも知れない。そう思いつつ、彼は心の一隅に抱く疑問をまた一つ増やしたのであった。

 

 

 なお、後世においてもユリウスと同じような疑問を抱いた歴史家は幾人か存在し「ケスラーが襲撃を奇貨としてオーベルシュタインを謀殺した」と主張する者や「オーベルシュタインとケスラーが地球教覆滅のため水面下で協力しており、オーベルシュタインは自ら囮となった」と唱える者もいるが、いずれの説も定説となるには証拠に乏し過ぎるとされている。

 

 ケスラー自身は「地球教徒の仮皇宮への侵入を許し、軍務尚書を守れなかった責任は私にある」と述べるにとどまり、この件について多く語る事はなかった。皇帝崩御直後に憲兵総監は警備責任者として皇妃に謝罪したが、皇妃はそれを咎める事なくその働きをねぎらい、皇帝の遺言通りに新帝の即位に際して他の上級大将と共にケスラーに元帥号を授与する事となる。

 

 

 式も終盤に差しかかろうとしていた。学生による献花が始まったのである。

 

 まず士官学校の生徒代表者たちが用意された花を手にし、棺の前まで歩み寄って一礼した後、献花台に花を置いて亡き皇帝に敬礼するのである。士官学校生徒のそれが終わった後、次に列を作ったのは軍医学校の生徒たちだが、その中にいる一人の人物に周囲の注目が集まった。

 

 今年一六歳のエミール・フォン・ゼッレであった。昨年の六月に幼年学校を卒業し、現在は軍医学校に籍を置いて医学を一心不乱に学びつつ、皇帝ラインハルトの近習を先日まで務めていた少年。

 

 宮内省は軍医学校生徒の弔辞を、最上級生首席の生徒ではなく彼に読んでもらう予定を立てていたが、エミールは「皇帝陛下の近習だったからといって、学校の先輩をないがしろにしては陛下に叱られます」と言って謝絶した。軍医学校の学年代表の一人としての立場は、彼の努力によって勝ち得たものであったが。

 

 ラインハルトの死後、エミールは近習を辞して軍医学校に戻り、勉学に精励する予定になっていた。戦死した父親が軍医であり、その背中を幼少期から見ていた彼が父と同じ道を歩む事を決めたは自然な成り行きであったが、かつて彼は至尊の冠を戴く前のラインハルトから「お前に私の主治医になってもらう」と言われ、感動して一層の努力を誓ったものである。

 

 もはやその約束は永久に果たされないものになってしまったが、それはエミールの医者としての歩みをかえって早ませる事となった。医学を学び、畏敬すべき皇帝の傍に近侍する立場にありながら、皇帝の最期を看取る事しかできなかった不甲斐ない身が、医師として大成する努力を怠って、どうして天上(ヴァルハラ)に赴いた際に皇帝に顔を合わせる事ができるだろうか?

 

 

 なお余談ながら、皇帝の近習であった時期のエミールの姓名について、資料や記録によっては貴族の出自を示す「フォン」の称号が省略され「エミール・ゼッレ」と表記されている場合があるが、これには事情が存在する。

 

 戦死した彼の父親はゴールデンバウム王朝時代の開明派と呼ばれた政治グループに参画しており、当時の開明派の指導的立場にあった現ローエングラム王朝の民政尚書カール・ブラッケと財務尚書オイゲン・リヒターとも交流のある人物だったのである。

 

 ブラッケとリヒターは貴族でありながら「フォン」の称号を省略する事で開明派の旗手たる事を表明していた。フォン・ゼッレ軍医もそれに倣おうとしたのだが、妻に反対された。ただでさえ開明派とつながりがある事で当時の治安当局からマークされているのに、さらに当局や門閥貴族から睨まれるような事は、自分たちだけでなく一人息子のためにも避けるべきだと訴えたのである。夫は妻の言い分に反論出来なかった。

 

 ゼッレ軍医は旧帝国暦四八七年、宇宙暦七九六年のアムリッツァ会戦で戦死したが、その志は息子に受け継がれた。

 

 旧王朝が倒れローエングラム王朝が成立した後、エミールの母は旧弊が打破された新時代が到来したのだから、もはや称号を捨てる事にこだわる必要はないのではないかと考えた。だが、エミールは開明的な時代を見ぬまま世を去った父親のせめてもの遺志を叶えたいと願い、息子が母親をようやく説得する事に成功したのは皇帝崩御後の事であった。そういった事情を知っていた周囲の人間は、正式な改名以前から彼のことを「エミール・ゼッレ」と呼んでおり、それがこの時期のエミールの姓名表記が異なる記録がいくつか混在する原因を作ったのである。

 

 

 この時点では未だ「エミール・フォン・ゼッレ」が公式な姓名である少年は献花を終え、棺の中の皇帝に敬礼した。その手が震え、両眼に涙が浮かぶのを見て、周囲の人々は痛ましいものを感じずにはいられなかった。

 

 

 幼年学校生徒による献花は最後であった。

 

 まず最上級生である五年生の代表たちが二列一組で棺の前へと向かって行く。下級生たちの範となるべく、彼らは緊張と悲哀を可能な限り抑え込んで献花に臨んだ。次いで四年生、三年生とその後に続き、ユリウスら二年生の順番が訪れる。

 

 ユリウスの隣にいるのはグスタフである。彼ら二人が式場の前列まで進んだ際、軽いざわめきが起こったのをユリウスは知覚した。カール・グスタフ・ケンプ提督の遺児であるグスタフの出自と、父親を彷彿とさせる堂々たるその体躯と態度がその原因であろうとユリウスは思った。

 

 ユリウスの洞察は半分は当たっていた。だが、実際の所はユリウス自身も注目を集める一因となっていたのである。明敏な少年であっても、年齢による洞察力の限界もあり、自分自身を客観的に見るのは難しいものであるらしかった。

 

 その白金色の頭髪と黒い双眸の幼いながら貴公子的な容貌と、緊張を感じさせないごく自然な優美な動作は、他の学生とは一線を画する忘れがたい印象を見る者に与え、傍らのグスタフと並んで歩く事でさらにそれを強くする結果を生んだのであった。

 

 特に最前列にいた蜂蜜色の髪の宇宙艦隊司令長官は、一瞬だが強い既視感(デジャヴ)に囚われて軽く目を瞠った。それはこの場に同席している亜麻色の髪のイゼルローン軍総司令官が、傍らにいる薄く淹れた紅茶色の髪の伍長と初めて出会った時にかつて感じたものと共通していたのだが、無論ミッターマイヤーはその事は知る由もない。そして外見ほどに泰然としていた訳でもないユリウスも、尊敬すべき元帥閣下の視線に気付きそこねたのである。

 

 やがて二人は棺の前にたどり着き、特殊ガラスの中の亡骸を眼前に見る事となった。

 

 

 ──この方が、あの皇帝なのか──

 

 

 白銀と漆黒に彩られた大元帥の軍服と純白のマントに包まれて横たえられた優美な肢体は、色とりどりの花々に覆われている。

 

 半神の趣がある元からの白皙の相貌は、完全に精気を喪ってその白さをさらに深いものとしており、雪花石膏(アラバスター)の彫刻のような印象があった。その三方を、豪奢極まりない癖のある長い金髪が包んでいる。

 

 常に剄烈な光を放っていた蒼氷色(アイス・ブルー)の両眼は閉じられ、二度と開かれる事はない。

 

 死してもなお、皇帝ラインハルトは美しく神々しい存在であった。だが、生命力と覇気に溢れ、一〇〇〇万将兵の陣頭に立って星々の大海を翔けていた、生前の(まばゆ)いまでの雄姿とは比べるべくもない。現在、皇帝の早すぎる死に対して悲哀よりも己の無力と死神の無情への憤慨が勝るかのような表情を浮かべている猛将ビッテンフェルト上級大将は、かつて皇帝の結婚式に際して僚友であるミュラー上級大将に「皇帝は花婿としてはただの美青年に過ぎないが、全軍の大元帥としてはまことに神々しい」と語ったものだが、この時の少年たちもそれに近い感慨を抱いた。

 

 もはや常勝の軍神は天上へと去り、地上にはいらっしゃらないのだ、とユリウスとグスタフは改めて思い知らざるを得ず、胸が締め付けられるような思いにとらわれたのである。

 

 短いが深い沈思の後、己を取り戻した二人は示し合わせたかのような動きで棺に一礼し、自然な動作で献花台に花を手向け、ユリウスはしなやかに、グスタフは力強く、それぞれ見事な敬礼を施した。そして踵を返し、堂々と皇帝の棺の前から歩み去っていく。

 

 その二人の表情には哀惜と共に、決然とした意志の存在も感じられたのだった。


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