獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第十六節

 旧帝国暦四八九年、宇宙暦七九八年一一月。後世の軍事史上に特筆大書される事となる、帝国軍による一大侵攻作戦「神々の黄昏」(ラグナロック)が発動する。

 

 カール・ロベルト・シュタインメッツ大将はフェザーン自治領(ラント)侵攻軍の第四陣の艦隊司令官として、帝国軍最高司令官ラインハルト・フォン・ローエングラム元帥率いる本隊の後背を直接守る責務を与えられる事となった。

 

 明けて旧帝国暦四九〇年、宇宙暦七九九年。自治領の無血占領を果たしてフェザーン回廊を突破し、自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)の領内へ深く歩を進めた帝国軍は「第一次ランテマリオ会戦」にて勝利を収める。その直後にガンダルヴァ星系第二惑星ウルヴァシーを占領し、一大橋頭堡を確保するのである。

 

 帝国本土と前線の距離、いわゆる「距離の暴虐」を除くならば、この当時における帝国軍の最大の脅威は疑いなく、守備していたイゼルローン要塞の放棄という代償を払いながらも行動の自由を得た「魔術師」ヤン・ウェンリー麾下の同盟軍一個艦隊であった。

 

 第一次ランテマリオ会戦ではがら空きだった後背を扼されて完勝を逃し、本土からの輸送船団も壊滅させられ兵站の不安定化を招くなど、帝国軍は的確に急所を突いてくるヤン艦隊の存在を意識外には置きえなかった。総司令官たるラインハルトは決断し、ヤン艦隊を撃滅する方針を明言する。

 

 そして最初にヤン艦隊を捕捉するという大任を命じられたのが、シュタインメッツ大将であった。

 

 ラインハルトは、ヤンが同盟全土を股にかけた「正規軍によるゲリラ戦」を基本戦略と為す事をこの時点で予測していた。そしてシュタインメッツは軍歴の大半を帝国内の辺境で過ごしており、神出鬼没の宇宙海賊どもを掃討してきた経験と実績は他の同僚たちよりも豊富であった。それゆえ、根拠地を定めぬであろうヤン艦隊の捕捉にはシュタインメッツが適任とラインハルトは判断したのである。

 

 また、辺境勤務が長かったがゆえに、シュタインメッツが艦隊指揮官として同盟軍と戦ったのは先の「第一次ランテマリオ会戦」が最初であった。それゆえ、彼に同盟軍との交戦の経験を積ませておきたいという主君の思惑もあったのである。相手は同盟軍最強の「奇蹟の(ミラクル)ヤン」だが、シュタインメッツとて歴戦の用兵巧者である。その手腕に期待してもよいはずであった。

 

 各方面からの諸情報を分析したシュタインメッツ艦隊は、最有力と思われた情報に従ってウルヴァシーとの連絡を密にしつつトリプラ星系方面に進軍する。そして三月一日、トリプラとライガール星系の中間に存在するブラック・ホールを覆うかのごとく、凸形陣を展開しつつあるヤン艦隊を発見したのである。

 

 シュタインメッツの司令部は、敵がブラック・ホールを背にしているのは迂回攻撃を防ぐ事と「背水の陣」によって将兵に不退転の戦意を持たせる事を企図していると結論した。今やヤン艦隊の敗北は、自由惑星同盟の敗北を意味する。その重圧ゆえに、彼らも決死の覚悟を固めているのであろう……。

 

 それにより、シュタインメッツ艦隊は敵をブラック・ホールと挟撃し殲滅すべく凹形陣を構築しつつ進撃し、同日二一時に両艦隊は交戦を開始する。当初は前進を続け、半包囲態勢を取りつつあるシュタインメッツ艦隊が優勢のように思われた。

 

 が、二日五時三〇分、戦いつつ後退していたヤン艦隊は突如として前進に転じる。ヤン艦隊は驚異的な機動力と砲火の集中によって、凹形陣を敷いたため相対的に薄くなっていたシュタインメッツ艦隊の中央部を一気に突破してのけた。そしてすぐさま反転して陣形を整え、シュタインメッツ艦隊をブラック・ホールへと追い落とし始めたのである。かくしてヤンの企図した「中央突破・背面展開戦法」は、後世の戦術の教本に載せられるほどの成功を収めたのであった。

 

 もし猛将たるフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトであれば、重厚な布陣による迅速な力攻めで敵をブラック・ホールに突き落とそうと図ったであろう。仮にシュタインメッツがそうしていたならば、さしものヤン艦隊も中央突破は困難であったに違いない。だが、情報を重んじるヤンはラインハルト麾下の最高幹部たちの戦歴や為人(ひととなり)も、高い精度で把握していた。剛胆ながらも慎重なシュタインメッツであれば、高確率で半包囲にて着実にブラック・ホールとの挟撃を試みるであろうとヤンは予測し、そしてそれは見事に的中したのであった。

 

 シュタインメッツ艦隊は一転して、ヤン艦隊の猛攻とブラック・ホールに挟撃されるという危機に陥った。ヤンと同じように前進して敵陣を突破しようにも、ヤン艦隊の砲火の集中は巧妙かつ苛烈であり隙が見い出せない。偽りならざる後退を強いられた艦艇群はほどなく光すら逃れられぬブラック・ホールの高重力に囚われ、乗員の必死の操艦もむなしく次々と「事象の地平」に引きずりこまれて現世から姿を消してゆく。

 

 逆境の中、敵後方のトリプラ星系方面からヘルムート・レンネンカンプ大将率いる艦隊が接近中との報告は、シュタインメッツにとって一縷の希望であった。だが、味方が戦場に到着するまで戦線を維持できぬ事を、ほどなく彼は交差する砲火の中で悟らざるを得なかった。もはや継戦不能と判断を下し、シュタインメッツは自身の動揺と敗北感を抑え込みつつ撤退の指示を出す。

 

 転進し、あえてヤン艦隊の火線に無防備な側面をさらしつつも、シュタインメッツ艦隊はブラック・ホールの脱出不可能領域の境界線すれすれに沿って突進した。ブラック・ホールの高重力を逆用した「スイング・バイ」航法により、双曲線軌道を描きつつ推力を加速させたシュタインメッツ艦隊の離脱速度は凄まじく、ほどなくヤンは後方から接近するレンネンカンプ艦隊に対応するためもあって追撃を中止させる事となる。かくして、シュタインメッツは多大な犠牲を払いながらも虎口から逃れえたのであった。

 

 ほどなくレンネンカンプ艦隊をも退けて勝者となったヤンは、窮地に陥りながらも思い切った手段で撤退を果たした敵将の判断を評価したものである。

 

 だが、その評を知ったとしても、シュタインメッツにとっては慰めにならなかったであろう。戦死者率一〇パーセントを越えた時点で「惨敗」とみなされる場合すらある事を考えれば、敗走し未帰還率が八〇パーセントというシュタインメッツ艦隊の現状は、まごう事なき大惨敗である。敗戦直後の彼は態度こそ毅然と保っていたが、未曾有の大敗による衝撃と戦死者への自責の念により、自軍の宇宙艦隊総参謀長を上回るほどに血の気を失った顔色は隠しようもなかった。

 

 悄然としてウルヴァシーに帰還したシュタインメッツとレンネンカンプは、主君から鋭い叱責を受けたものの処罰は受けず、新たな功績をもって敗戦の罪を償う機会を与えられた。先に本土からの輸送船団の護衛を全うできず、死を命じられたゾンバルト少将への処遇に較べると寛容に過ぎると思われるが、これはゾンバルト自身が主君に対し「もし失敗したら、この不肖な生命を閣下に差し出し、もって全軍の綱紀を正す材料としていただきます」と事前に明言してみせたがゆえである。彼は失敗に加えて大言壮語により生命を失い、生前の言葉通りに「全軍の綱紀を正す材料」となったのであった。

 

 三〇〇〇隻以下にまで撃ち減らされたシュタインメッツ艦隊は、そのまま単独行動を行なえばヤン艦隊の絶好の標的となるだけである。そのため、ラインハルトの命により他の各艦隊から兵力の一部供出を受けて「一個艦隊未満」と称せるだけの体裁を整えた。シュタインメッツとしては面目ない限りであったが、義務と雪辱を果たすためにはやむを得ない処置であった。

 

 そして同僚のアウグスト・ザムエル・ワーレン大将麾下の艦隊もヤン艦隊に大敗を喫するに到り、忍耐の限界に達した帝国遠征軍総司令官は一つの作戦を考案し、実行に移す。

 

 それは敵補給基地制圧を名目として主要提督たちの各艦隊を分散出撃させ、総司令官たるラインハルト自身も出撃し、自らを囮にしてヤンを包囲網の中に誘い出すというものであった。

 

 シュタインメッツも主君の下から離れ、寄せ集めの艦隊をなんとか統制しつつ敵補給基地の一つに向けて進軍する。そして基地を制圧し必要な処置を行なった後、シュタインメッツ艦隊は即座に主君の戦うバーミリオン星域へ急行した。

 

 実際には、基地を制圧するよりも先に諸提督の下には「バーミリオン星域にてヤン艦隊の所在確認」という情報はもたらされていた。

 

 しかし、ラインハルトは事前に「敵発見の報があったとしても、補給基地制圧を優先せよ」と厳命していたのである。これはヤン艦隊のバーミリオン撤退を想定した処置であった。もしヤンが撤退を決断したとしても、その周辺星域の補給基地が制圧され、集積されている物資が奪取ないし破棄されていれば、ヤン艦隊は物資不足のまま遠方の補給基地へと向かわざるを得ない。無補給のままラインハルトの追撃を受けつつ、帝国軍の大包囲網を突破し、はるか彼方の基地に到達するなど、いかに逃げ上手のヤン艦隊とてアムリッツァ会戦時の撤退戦以上に困難である。いずれ物資も尽きて動けなくなり、降伏を余儀なくされるであろう……。

 

 だが、この自身の敗退など考慮せぬ、覇気にあふれた判断は裏目に出た。包囲網の完成よりも遥かに早く、ヤン艦隊の果敢かつ巧妙な攻勢によってラインハルト麾下の艦隊は窮地に陥ったのである。短期間でリューカス星域制圧に成功したナイトハルト・ミュラー大将の来援すらも、ヤンの攻勢を完全に押し留める事は叶わなかった。

 

 そして、勝利を目前としたヤン艦隊が同盟政府の無条件停戦命令により矛を収めた事を、バーミリオンへ向かう途上にあった各艦隊の司令官たちは知らされる。結果としてシュタインメッツはこの遠征中において、ヤンに再挑戦する機会を得られなかったのであった。

 

 

 バーミリオン会戦終結直後の五月六日。ラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリーという時代を代表する二人の軍事的英雄が、帝国軍総旗艦ブリュンヒルトの艦内において歴史的な会見を果たした日である。

 

 白銀の艦の内部にはバーミリオンに在った帝国軍の最高幹部たちも、偉大な敵将を礼をもって迎えるべく集結していた。そしてその一人であったシュタインメッツは、シャトルから降りてきたヤンの姿を肉眼で初めて見る事となる。

 

 年齢は三二歳との事だが、外見は二〇代後半でも通用するだろう。黒い瞳とおさまりの悪い黒髪で、身長は平均的だが長期の戦闘直後のためか、少しやつれた印象がある。「同盟軍史上最年少の元帥」「不敗の名将」といった肩書や評価とは裏腹に、どう贔屓目に見ても一国の重要人物(VIP)とは思えぬ平凡な部類の容貌にして、武器よりも書籍を手にしている方が似合いそうな人物であった。

 

 その客人を会見の場であるラインハルトの私室に案内する役目は、バーミリオン会戦での勲功第一と認められたミュラーに与えられていた。かつてヤンに大敗を喫した砂色の両眼と頭髪の提督は遺恨なき姿勢で畏敬すべき敵将と接し、黒い両眼と頭髪の提督の方も自然と柔らかい表情と口調で応じたのであった。

 

 ほどなくミュラーに先導されて、ヤンは会見場へと向かう事となる。整列する諸将の間を、敬礼しつつ通り過ぎてゆく敵将の後姿を見送り終わったシュタインメッツは、

 

「俺はあいつに負けたのか」

 

 と、思わず上機嫌とは無縁な声と表情でつぶやいてしまった。自分にかつてないほどの苦杯を痛飲せしめた男ならば、軍人として非凡な威風を備えていてほしかったというのが、彼の偽らざる本音だったのである。

 

 同じくヤンの手で一敗地に塗れた経験がある三人の同僚のうち、ビッテンフェルトは面白くなさそうに鼻を鳴らし、ワーレンは軽く嘆息し、レンネンカンプはヤンが去った方角をしばらく睨んでいた。

 

 残りの最高幹部のうち、アーダルベルト・フォン・ファーレンハイト大将はそういった同僚たちの反応を見て、やや肩をすくめたようである。彼にしても、三年前にラインハルトの下で戦ったアスターテ会戦ではヤンに完勝を阻まれた経験があり、僚友たちの無念は実感として理解できたのであった。そして謀臣パウル・フォン・オーベルシュタイン上級大将は同僚たちとは異なって、平常通りの無表情である。ただ黙然としてヤンを観察し、その人物を見極めんとしているかのようであった。

 

 多少なりとも心情を口に出した事もあってか、シュタインメッツはやや失調していた平静を回復した。

 

 人は外見や第一印象のみで真価の全てを測れるとは限らない。その事は恋人のドレス姿の一件で、改めて身に染みていたはずである。そして、洞察力や想像力が至らなかったいう点では、ライガール・トリプラ間の会戦時も同様と言えるのではないか。敵将の構想を洞察しきれず、戦術の読み合いに遅れを取った事こそが、先の大敗の要因であった事は間違いない。ヤンを恨むよりも先に、まず自身を省みるべきであろう。

 

 それに加え、実際に眼前で見たヤンの姿もシュタインメッツの心情を沈静化させた部分もあった。目前の勝利を放棄させられた無念や、自分が破った敵将たちへの優越感といった感情を欠片も見せず、ミュラーと和やかに言葉を交わしていたヤンの態度自体には、シュタインメッツの不快感を刺激するものは存在しなかった。やや物珍しそうに艦内を眺めている、線の細い風貌のヤンに対して失望に似た感情と同時に、少なからず毒気を抜かれる思いもしたのも確かである。

 

 僚友たるナイトハルト・ミュラーは、自身を大敗せしめた敵将にわだかまりを示さず、偽りなき敬意を払ってみせた。自分も年少の同僚の大度を見習うとしよう……と、シュタインメッツは自身に言い聞かせたのであった。

 

 

 同盟首都ハイネセンに駐在する帝国高等弁務官と、「バーラトの和約」により帝国に割譲されたガンダルヴァ星系の第二惑星ウルヴァシーに駐留する艦隊及び基地司令官。ラインハルト麾下の遠征軍の大半が本土に帰還した後、事実上の属領となった同盟に睨みを利かせるためにも、この二つの人事は不可欠であった。

 

 当初ラインハルトはオスカー・フォン・ロイエンタールを高等弁務官の筆頭候補に挙げた。だが、謀臣オーベルシュタインが「帝国軍の双璧」は帝国本土の軍中枢に在るべきとして反対し、ラインハルトもそれを容れた。

 

 となれば、かつてヤン・ウェンリーに大敗した将帥たちに名誉回復の機会を与えるためにも、彼らの中から選ぶべきである。

 

 ビッテンフェルトは第一次ランテマリオ会戦、ミュラーはバーミリオン会戦でそれぞれ大功を樹て、少なからず汚名を雪いだとして除外された。

 

 残るはシュタインメッツ、レンネンカンプ、ワーレンの三名となる。その中で蒙った被害がもっとも少なかったワーレンが候補から外され、彼は本土に帰還し別の機会を待つ事となった。

 

 そして主君からの下問を受けたオーベルシュタインは、次のように進言した。

 

 シュタインメッツは麾下の艦隊を八割を喪失していたが、レンネンカンプ艦隊は第九次イゼルローン攻略戦における分を含めても、損失は三割前後に留まっている。それを考えれば、シュタインメッツ艦隊に各艦隊から供出していた兵力を元の艦隊に復帰させ、残存兵力をレンネンカンプ艦隊に統合し予備兵力を加えて一個艦隊の形を整え、レンネンカンプを駐留艦隊司令官に、シュタインメッツを高等弁務官にそれぞれ任命するのが合理的と思われる……。

 

 ラインハルトはその進言が理に適っている事を認めたが、採用はしなかった。それにはいくつかの思惑や事情が絡んでいた。

 

 一つには、ラインハルトが艦隊司令官としての自信と名誉の双方を回復する機会もシュタインメッツに与えるべきだと判断したからである。用兵家としての自負が傷つけられたのはレンネンカンプも同様であったが、損害の巨大さに鑑みれば、シュタインメッツの方がより深刻であろうとラインハルトは考えたのだった。

 

 もう一つの理由としては、ラインハルト直属艦隊の再編成にあった。

 

 カルナップは戦死し、トゥルナイゼンは転任を命じられ、グリューネマンは重傷により療養生活を余儀なくされるなど、バーミリオン会戦後のラインハルト直属の分艦隊司令官は過半数が不在となり、兵力自体もおびただしい損害を蒙った。そのため、当然ながら将と兵を補充する必要が生じたのである。そこで白羽の矢が立ったのが、若手の中で特に期待されていたレンネンカンプ麾下のアルフレット・グリルパルツァーとブルーノ・フォン・クナップシュタインであったのである。

 

 かくしてレンネンカンプの高等弁務官就任後、彼の二人の部下は二分されたレンネンカンプ艦隊の指揮権をそれぞれ引き継ぎ、ラインハルトの直属に編入された。

 

 そして、シュタインメッツはもう一方の要職であるガンダルヴァ駐留軍司令官に任命される。彼の艦隊はさらなる兵力供与により一個艦隊の形を取り戻し、惑星ウルヴァシーにて建設途上の基地を拠点として治安維持や軍事訓練に従事する事となるのである。

 

 シュタインメッツは名誉回復の機会を与えられた事を主君に感謝する一方、オーディンに在る一人の女性との再会が遠のいた事について、彼女につくづく申し訳ないとも内心で思った。

 

 ささいな私信のために、数千光年もの距離における超光速通信を多用する高級士官など、ゴールデンバウム王朝時代では珍しくもなかった。が、ラインハルトやその幹部たちは、基本的に戦地での私信は兵士たちと同様に時間を要する手紙で行なっており、ローエングラム体制成立後はその旨が正式に軍規で定められる事となった。配下の将兵たちは郷愁の念を堪えつつ軍務に従事しているのに、戦地で高官が特権を濫用しては示しがつかぬというのが彼らの考えであり、その姿勢が兵士たちからの信頼や敬意を高める一因となっていたのである。

 

 シュタインメッツも例外ではなく、彼もその点に不満を漏らしたりはしなかった。だが、辺境勤務や個人的なこだわりのために何年も待たせてしまっている恋人に対し、

 

「せめて手紙くらいは定期的に送るとしよう。愛想を尽かされたくはないからな」

 

 と、神妙に考えたのであった。

 

 

 ヤン・ウェンリーへの遺恨を捨てる。

 

 ゴールデンバウム王朝期にヤンに屈辱的な敗北を喫しつつも生還した帝国軍の主要提督たちの内、最初にその境地に至ったのはナイトハルト・ミュラーであった。無論の事、戦場で再びまみえれば全知全能を挙げて戦うと誓った上である。ほどなくカール・ロベルト・シュタインメッツとアウグスト・ザムエル・ワーレンも同じ結論に至った。

 

 血気盛んなフリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトは、「小癪な魔術師」への敵愾心を最後まで捨てなかった。だが、バーミリオン会戦前にヤン艦隊への対処を議論するに際し「そんなものは放っておいて、敵の首都を直撃すればよいのだ」と、ヤンとの直接対決に固執しない戦略眼を示したり、「回廊の戦い」の直前にヤンの謀殺を進言した部下に怒号を浴びせて黙らせるなど、敵意によって将帥としての判断力や矜持を曇らせる事もなかったのである。戦場での借りは戦場で何倍にでもして叩き返すのがオレンジ色の髪の猛将の譲れぬ面目であり、戦場の外で意趣返しを行なうなどという事は──通信文で「喧嘩を高値で売りつける」程度のものしか──ありえなかった。

 

 そして彼らの主君たるラインハルト・フォン・ローエングラムも、バーミリオン会戦においてヤンに事実上の戦術的敗退を喫し、勝利を「譲られた」あるいは「盗んだ」自らを(わら)った。だが、彼はその直後の会見でヤンを厚遇で傘下に招き、それを謝絶されても穏やかに許容するという覇者の襟度を示したのである。

 

 ただ一人、第九次イゼルローン攻略戦でもヤンに手ひどい損害を与えられていたヘルムート・レンネンカンプのみが、主君や同僚たちほどの柔軟性や度量を発揮し得なかった。それに同盟において帝国の権益を主張すべき高等弁務官の重責や、年少者にして上位者たる「帝国軍の双璧」や同僚たちへの競争心なども加わり、結果として実直が過ぎ融通が利かぬ傾向が強かったレンネンカンプの判断を誤らせたのである。

 

 かくして、六月二二日にローエングラム王朝初代皇帝となりおおせたラインハルトは、やはりオーベルシュタインの進言に従い、高等弁務官と駐留艦隊司令官の人事は逆にすべきであったかと後に悔いる事となった。

 

 

 レンネンカンプ上級大将は皇帝の代理人として、退役していたヤンの逮捕を明確な証拠なく同盟政府に「勧告」し、惑星ハイネセンにおける無秩序な騒乱の引き金を引いた。結果として彼は同盟政府と訣別したヤン一党の逆襲を蒙って虜囚となり、名誉なき自死に追い込まれるという結末を迎えるのである。

 

 ウルヴァシーの駐留艦隊司令部にて、「ハイネセンにて動乱発生、高等弁務官はヤン・ウェンリー一党に拉致さる」との報告を受けたシュタインメッツ上級大将は予想外の事態に驚愕した。

 

 駐留艦隊司令部とハイネセンの高等弁務官府は定期的な連絡を欠かしてはいなかったが、レンネンカンプは弁務官府内に緘口令を敷くと同時に同盟政府へ他言無用を暗に強要し、一連の経緯を可能な限り隠匿していたのである。恐らくは横槍を入れられる事を防ぎ、功績を独占するために報告や相談をあえて怠ったと推測された。

 

 大まかな経緯を理解したシュタインメッツは同僚の判断とその上での失態に呆れ、同時にその兆候をつかめなかった自身に歯噛みしつつも、必要な措置を採るべく迅速に行動した。まず帝国本土への報告を行なって指示を仰ぎ、彼は皇帝から高等弁務官代行の兼任を命じられた。

 

 シュタインメッツはハイネセンの高等弁務官府には正確な経緯の報告と軽挙妄動を慎む事を厳命し、同盟政府には事態の収拾への協力と弁務官府に所属する軍人や文官の安全の保障を求め、ハイネセンを離れ所在不明となったヤン一党とは通信で交渉を呼びかけた。こういった指示や渉外を、総書記リッチェル中将や副官セルベル中佐といった幕僚群とともにシュタインメッツは寝る間も惜しんで推し進めたのであった。

 

 ほどなくヤン一党との交渉の結果、レンネンカンプの死亡とその理由が判明した。そして指定があった宙域にて、低温保存された遺体を収容する事に成功したのである。遺体はすぐにウルヴァシーの基地に運び込まれ、本人確認と死因の特定が行なわれた。

 

 検死後に遺体安置所に足を運んだシュタインメッツは、死せる同僚に無言で敬礼をほどこした。手を下ろした彼は、新たに大本営が置かれた惑星フェザーンへ、迅速かつ丁重に遺体を送り届けるよう指示を出す。

 

 搬出され遠ざかっていく遺体保存用ケースを見やりつつ、シュタインメッツは嘆息を禁じえなかった。

 

 レンネンカンプの一連の強引な判断と行動の根底に、ヤン・ウェンリーへの遺恨という煮えたぎった溶岩が存在していたのは疑いない。その噴出を抑えられず、炎熱に灼かれて身を滅ぼした僚友に失望すると同時に、ヤンによって同じく敗者の列に立たされた経験を持つシュタインメッツは、その心情を少なからず理解できてしまった。また、仮に自分とレンネンカンプの役職が逆であったならば、事態もここまで悪化せず僚友も不名誉な最期を遂げる事もなかったのだろうかとも考えてしまい、溜息も深くなろうというものであった。

 

 副官セルベル中佐は気つかわしげな表情を作りつつ、次の予定について言及する。うなずいたガンダルヴァ駐留軍司令官・兼・帝国高等弁務官代行閣下は、副官を従えて歩き出すのであった。

 

 

 一一月一〇日。ハイネセンにおける一連の混乱を防ぐ事もあたわず、収拾すらできずに事実関係を隠蔽し続ける同盟政府の道義と能力の欠如を名分として、皇帝ラインハルトは全宇宙へ向け「バーラトの和約」の破棄と自由惑星同盟への再宣戦を布告する。

 

 シュタインメッツはその布告が発せられる数日前に、弁務官代行として同盟政府の非を問うべく必要最低限の随員のみでハイネセンに赴こうとした。多数の兵力を連れてでは同盟政府の動揺や猜疑を無用に引き起こすだけであろうし、所在が知れないヤン一党などによるウルヴァシー急襲の可能性も考慮に入れなければならなかった。留守居を命じられた副司令官クルーゼンシュテルン大将は血相を変えて危険を訴えたが、

 

「その時は、俺もろとも惑星ハイネセンを吹き飛ばせ。積年の混乱は、大半がそれで一掃される」

 

 と、シュタインメッツは平然と答えたものである。一人の女性の事が胸中になかったといえば嘘になるが、家族や恋人などとの再会を期しているのは麾下の将兵とて同じである。彼は死に急ぐつもりはなかったが、一軍を預かる責任者として、必要と思えば危険を冒す事にも躊躇はなかった。

 

 だが、シュタインメッツはバーラト星系へと向かう途上でラインハルトの宣戦布告を拝聴し、もはや自分が同盟政府を問責する必要もなくなった事を知った。主君が同盟との再戦を決断されたのならば、それに従うのみである。彼は急いでウルヴァシーへと帰還し、安堵の表情を浮かべたクルーゼンシュテルンの出迎えを受けたのである。

 

 シュタインメッツは改めて、あらゆる事態に即応が可能な態勢を整えた。そして皇帝親征軍本隊に先行してきたビッテンフェルト上級大将の「黒色槍騎兵」(シュワルツ・ランツェンレイター)艦隊をウルヴァシーに迎え入れて補給と休息の場を与え、情報の交換と共有を行なった。

 

 そして本隊も同盟領深くに侵出するに到り、「黒色槍騎兵」艦隊は先鋒として改めて進発を命じられた。そしてシュタインメッツ艦隊は引き続きウルヴァシー残留を指示され、同盟首都星ハイネセンや他の要衝に対する牽制および監視を抜かりなく行ないつつ、未だ途上であるウルヴァシーの基地建設を推し進めたのであった。

 

 そうして新帝国暦〇〇二年の一月を迎えても変わらずに多忙な中、シュタインメッツは一つの変報に接する。僚友にしてイゼルローン方面軍司令官たるコルネリアス・ルッツ上級大将から、ヤン・ウェンリーによって一四日にイゼルローン要塞を再奪取されたという通信がウルヴァシーにもたらされたのだった。

 

 シュタインメッツは大本営に急報すべく駐留基地の通信設備を最大限に稼動させた。そして「マル・アデッタ星域会戦」で同盟軍を撃滅したばかりの帝国軍本隊と、電波障害を排して回線を繋ぐ事に成功したのである。

 

 主君が蒼氷色(アイス・ブルー)の両眼に怒気を閃かせ、(なげう)たれたグラスが音高く床上で四散する。さらにその破片が皇帝の軍靴に踏みにじられる光景を前面の大型モニターの中に見て、剛胆なシュタインメッツも心身を固くせざる得ない。彼の背後にもモニターが存在し、そちらには僚友ルッツの青ざめた顔が映し出されている。

 

 ルッツ艦隊はいまだイゼルローン回廊よりガンダルヴァに向かっている途上であり、艦隊の通信設備では遠方のマル・アデッタ周辺とは直接連絡が困難であった。マル・アデッタは恒星の活動が不安定で恒星風が断続的に発生する上、総数が算出不能なほどの小惑星群も存在しているため、長距離通信を行なうには条件が悪すぎたのである。ウルヴァシーの大型通信設備を経由して回線を再接続するにも確実性に欠け、時間も惜しまれたために、このような一見回りくどい措置が採られたのであった。

 

 

 余談になるが、後世の編纂資料やフィクション作品には、マル・アデッタ星域会戦終結直後にルッツが艦隊とともにガンダルヴァ星系に到着していたと描写しているものも存在する。

 

 だが、イゼルローン要塞再失陥が確定してルッツ艦隊が回廊離脱を開始したのは一月一四日、その報がマル・アデッタに伝えられたのが一月一七日であり、三日でイゼルローンから直線距離で五〇〇〇光年近く離れているガンダルヴァに到るのは、たとえ「疾風ウォルフ」ウォルフガング・ミッターマイヤー提督や「ヤン艦隊の生きた航路図」エドウィン・フィッシャー提督の艦隊運用をもってしても不可能である。

 

 これは恐らく「シュタインメッツの背後でルッツがうなだれている」といった一部の一次資料の表現が招いた誤解であると推測される……。

 

 

 正式な処分は追って伝えるとして、ルッツはガンダルヴァ到着後に謹慎するよう皇帝に命じられた。主君との通信が終わった後、シュタインメッツはあえて僚友への露骨な慰めは行なわずに、事務的なやり取りを行なう。

 

 ルッツとの通信が終わった後、シュタインメッツは腕組みをしつつ静かに唸った。用兵家としてのルッツの堅実かつ冷静な手腕は彼もよく知るところである。その彼と一個艦隊および難攻不落の要塞の組み合わせをもってしても抗しえぬとは。

 

 シュタインメッツはヤン・ウェンリーの底が見えぬ軍事的機略に改めて戦慄し、同時にルッツに対して同情の念を禁じえない。シュタインメッツ自身も昨年ヤンに屈辱的な大敗を喫しており、僚友の失意や敗北感への理解は深いものであった。

 

 とはいえ、ルッツが得がたい将帥である事は、彼を引き立てた皇帝も充分に承知するところである。かつての自分などへの処遇を考えても、名誉回復の機会をルッツにも与えるに違いなく、いたずらに僚友の心配をする必要はないであろう。そしてイゼルローンの失陥は確かに痛恨事だが、少なくとも現在の時点では帝国にとって致命傷とは程遠い。逆に今や虫の息と成り果てているのは、マル・アデッタで「呼吸する軍事博物館」こと老将アレクサンドル・ビュコック元帥麾下の主力艦隊を喪失した自由惑星同盟である。シュタインメッツは精神のチャンネルを切り替え、主君の同盟完全征服を補佐すべく職務に戻るのであった。

 

 

 二月九日。シュタインメッツは麾下の艦隊とともに惑星ハイネセンの衛星軌道上にあり、主君を総司令官とする一〇万隻の友軍を迎える。

 

 その一週間前、統合作戦本部長ロックウェル大将を筆頭とする同盟軍の決起部隊によって同盟の最高評議会議長ジョアン・レベロが殺害された。政治中枢を掌握した決起部隊は、その旨とともに全面降伏の意思をシュタインメッツに伝えたのである。

 

「本職の一存では決められぬ。皇帝陛下にお伝えするゆえ、ご裁可を待たれよ」

「……我々の、いや、市民の安全と権利は保障していただけるのだろうか」

「わが主君は、無用な流血や混乱は望まれぬ。皇帝陛下のご到着まで、卿らには首都星の治安維持と市民の慰撫を求めたい」 

 

 シュタインメッツのその返答を都合よく解釈したのか、画面の向こうでロックウェルはわずかに安堵した表情を見せる。

 

 この時、シュタインメッツはロックウェルの態度に少なからぬ違和感を感じた。国家元首殺害という大それた事をしてのけたにしては、どことなく自分たちの行為におびえ、戸惑っているような印象があったのである。国家の滅亡に臨んで右往左往していた彼らが、高等弁務官であったレンネンカンプの政治的な補佐役たるウド・デイター・フンメルに焚きつけられて挙に及んだという裏面の事情など、この時点のシュタインメッツが知る由もなかった。

 

 だが、彼らの末路は容易に想像できた。一連の醜行自体もさる事ながら、そのような行為を皇帝が認めるなどと考えるのは、皇帝に対する大いなる侮辱でしかない。そのような事も理解できないのでは、惜しむところはないというべきであった。無論、そのような思考をロックウェルに対して示したりはしない。絶望と自暴自棄のあげくに、ハイネセン全土を巻き込んだ暴発などされてはたまらぬ。

 

 謹慎を解かれたルッツとその艦隊にガンダルヴァ星系の守りを委ね、バーラト星系方面に進出していたシュタインメッツ艦隊は皇帝に連絡を行ない、事情を過不足なく説明した。そして即座にハイネセンへと向かい、短時間で大気圏上を蟻の這い出る隙間もないほどに扼してみせたのである。

 

 シュタインメッツの保有する兵力をもってすれば、とうの昔に単独で無防備に等しいハイネセンを占領する事も可能であった。しかし、同盟征服の最後の仕上げは覇者たる皇帝じきじきの御手により行なわれるべきだとシュタインメッツは信じていたがゆえ、彼は露払いや裏方に徹したのである。そしてそれは、確かにラインハルトの意にかなっていたのであった。

 

 

 かくしてラインハルト・フォン・ローエングラムは、惑星ハイネセンに個人としては二度目、皇帝としては初の足跡を示したのである。

 

 事前にロックウェル大将らから出迎えの申し出があったが皇帝は冷然とはねつけ、彼らには治安維持の権限を帝国軍に委ね、指示があるまで官舎や自宅で待機するように命じた。市街地の警備は、同盟政府との交渉役であったシュタインメッツと親征軍の先鋒たるビッテンフェルトが分担する事となった。

 

 ロックウェルらの監視や市街中心部の警備の準備をビッテンフェルトとその司令部に任せ、シュタインメッツは武装兵四個師団とともに、皇帝の乗る地上車(ランド・カー)を国立墓地へと案内した。そして墓地の遺体安置所にて「同盟最後の最高評議会議長」の遺体との対面を終えた後で、ラインハルトはシュタインメッツをレベロの葬儀の責任者に任命し、その手配を一任したのであった。 

 

 ハイネセンでの変事発覚後、シュタインメッツは生前のレベロとは幾度となく通信で交渉を行なった事がある。生真面目だが精神的な余裕に乏しい印象であり、おそらくは非常時ではなく平時にこそ真価を発揮する人物なのだろうと思った。国難という重圧に振り回された末にこのような最期を遂げたのは気の毒ではあるが、故人となったレンネンカンプと共通する為人に鑑みれば、殺害されなくとも遠からず自ら命を絶っていたのではあるまいか。

 

 せめて誠意と礼節をもって葬送を執り行おうとシュタインメッツは思いつつ、安置所を退出する主君の背に付き従ったのであった。

 

 

 ロックウェル一派の処刑や同盟市民の人心の慰撫、新しい統治体制の構築など、征服者たちはハイネセンにおいて必要な措置を次々と打ち出し、占領行政を推し進めた。

 

 そして、二月二〇日。ハイネセンの国立美術館敷地内において、俗に言う「冬バラ園の勅令」が全宇宙に向け公布されるのである。

 

 自由惑星同盟の完全なる滅亡の宣言。そして現在、人類社会を正当に統治するはローエングラム朝銀河帝国あるのみ……。

 

 皇帝の朗々たる布告を聞きつつ、シュタインメッツは、胸中に広がる感慨の存在を自覚せずにはいられなかった。かつてジークフリード・キルヒアイスが彼に語った人類社会の再統一。それが名実ともにほぼ成し遂げられたのである。いかにヤン・ウェンリー一党を迎えてイゼルローン回廊を制したとて、独立を宣言したエル・ファシルなど亡国の残滓に過ぎぬ。

 

 フェザーン自治領、ゴールデンバウム朝銀河帝国、そして自由惑星同盟。永きにわたり人類社会を三分してきた政治体制は、この二年そこらの期間で次々と過去の存在となった。そして、その三大勢力全てに引導を渡したのが、主君たる金髪の若者なのであった。

 

 かつてラインハルトの戴冠式の際、遠く任地にあったシュタインメッツは臨席できぬ事を心情の一部で残念に思っていたのを、否定はできなかった。しかしこの瞬間、自分は歴史の巨大な転換点に立ち会い、同時にそれを為した空前の覇者の重臣であるという誇りに満ちた自覚は、ささやかな不満を拭い去るに充分なものであった。

 

 勅令を発し終えた後、歩き出した主君を讃える何万もの兵士たちの歓呼、緋色の落照と清冽なる寒気、そして咲き誇る冬バラの多様な色彩と芳醇な香気の中で、半神的な容貌の皇帝が片手を上げて将兵たちに応えている。歴史に名を残す名画家であっても、この荘厳にして熱気に満ちた雰囲気を歴史画として完璧に再現するのは不可能なように思われた。

 

 赤毛の驍将も天上(ヴァルハラ)からこの幻想的な光景を見守っているであろうか。いや、天上からではなく金髪の盟友の隣で見届けたかったに違いなく、ラインハルトもそれを願っていたはずであった。それを叶わぬ夢と為したのは他ならぬラインハルト自身であり、彼はこの瞬間にもその大罪に下された重き罰に苛まれている。

 

 そう思うと、シュタインメッツの瞼の裏はさらに熱くなった。もし自分が天上に往く事が許されたならば、キルヒアイス提督に語れるだけの事を語るとしよう。そのためにも、シュタインメッツは五感全てをもって、この日の記憶を心身に深く刻みつけたのであった。

 

 

 二月下旬に突如生じたロイエンタール元帥の叛逆疑惑や、三月一日にハイネセンポリスで発生した大火災など、立て続けの想定外の事態がひとまず収拾された後、皇帝ラインハルトは三月一九日にイゼルローン要塞に拠るヤン・ウェンリー一党の討伐を宣言する。

 

 その宣言に際し、ロイエンタールはヤン討伐後に統帥本部総長に替わり旧同盟領の総督という大任に就く事を命じられる。それに伴い、ロイエンタールの退任後は皇帝自らが統帥本部を主宰し、その補佐役として大本営幕僚総監が新たに置かれる事となった。

 

 そして、事実上の統帥本部総長とも言えるその幕僚総監にシュタインメッツが内定する。当初ラインハルトは首席秘書官ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフをその候補に考えたが、経験も実績もない身であると固辞され、主君もそれを容れた。ラインハルトは短い思案の末、総督府発足と同時に役目を終える事となるガンダルヴァ駐留艦隊司令官を補佐役に擬したのである。皇帝直属にして若手の有望株であったグリルパルツァーとクナップシュタインを、見聞を広めさせる意味もあって総督府に艦隊ごと転属させる腹案もあったため、シュタインメッツ艦隊を入れ替わりに編入できるという点も考慮された。

 

 無論の事、シュタインメッツ個人の資質と経験も、皇帝の軍事的な補佐役として充分なものと見なされていた。辺境赴任時代の海賊対策やリップシュタット戦役時においても武断的な手段のみならず、情報を重視した上での内部分裂、帰順の交渉などの工作も巧みに使い分けて大いに成果を上げており、同盟征服に際しても駐留艦隊司令官及び高等弁務官代行として、武力を行使せずに事態を適切に判断し処理してみせた手腕は評価されてしかるべきであった。

 

 そのため「シュタインメッツの資質は、戦術家よりも戦略家ないし軍政家に傾いていた」と後世において評される場合もある。その意味では、シュタインメッツにとって幕僚総監という役職は艦隊司令官よりも適任たりえたかもしれない。

 

 だが、この時点では彼はいまだ「ガンダルヴァ星系駐留軍司令官」であり、皇帝から艦隊司令官としてイゼルローン遠征への従軍を命じられるのである。

 

 来たるべきヤン・ウェンリーとの再戦に戦慄と高揚を覚えつつ、シュタインメッツは皇帝本隊に先立ってクナップシュタイン艦隊を伴ってハイネセンを発ち、ウルヴァシーに一時帰投した。

 

 フェザーン方面軍司令官に任じられたルッツと彼の艦隊を送り出したのち、シュタインメッツは皇帝の命に従ってクナップシュタイン大将にウルヴァシーの警備を委ねた。その補佐として駐留軍司令部総書記のリッチェル中将もウルヴァシーに残留し、途上である基地周辺の開発やイゼルローン遠征軍の兵站の手配などに携わる事を命じられる。

 

 そしてシュタインメッツは主君と合流すべく、彼にとって最後の戦場となるイゼルローン回廊へと向かうのである……。





 イゼルローンとガンダルヴァ間の距離は、

・「第一次ランテマリオ会戦」後に戦場を離脱した帝国軍が二・四光年を移動してガンダルヴァを占領(風雲篇第四章五)。

・イゼルローン要塞内の人物描写の後、「五〇〇〇光年をへだてた虚空で、急激な転回をしめした」と「第二次ランテマリオ会戦」の最終局面について記述されている(回天篇第八章一、二)。

・「第二次ランテマリオ会戦」終結直後、ハイネセンへ撤退中のロイエンタールの追撃準備をしているミッターマイヤーらが、ガンダルヴァ外縁部にてイゼルローン回廊を通過してきたメックリンガーと合流(回天篇第八章三)。

 といった作中記述を元に推測しています。

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