獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第十五節

 カール・ロベルト・シュタインメッツは士官学校卒業後、早くから有能さと勇敢さにおいて非凡と評されるだけの功績を示していた。

 

 だが、不運な事に配属先の上官のことごとくが傲慢極まりない貴族出身者であり、剛直かつ清廉な気質にして平民出身のシュタインメッツは、彼らとしばしば衝突せざるを得なかった。「三〇歳近くまで、あまり上官には恵まれなかった」というのは後年における本人の弁である。

 

 その結果、シュタインメッツは任官してわずか一年ほどで辺境星区への転属を命じられる。辺境への赴任期間は一応は三年と定められていたが、軍上層部に疎まれ辺境を転々としたまま軍歴を終える者も数多かった。彼もその例に漏れず、辺境各地をたらい回しにされる事となるのである。

 

 そのような境遇の中でもシュタインメッツは腐る事なく経験と実績を積み重ね、兵士たちや平民ないし下級貴族出身の同僚や部下から絶大の信頼を寄せられる存在として、着実に軍人としての評価を高めていった。

 

 

 そのシュタインメッツに転機が訪れたのは、辺境に赴任して九年、三〇歳を迎える旧帝国暦四八六年の事である。

 

 この年、第三次ティアマト会戦での勝利によって帝国軍大将に昇進した一九歳のラインハルト・フォン・ミューゼルに、大将への礼遇の一環として個人の旗艦たる新造戦艦ブリュンヒルトが与えられた。

 

 当初ラインハルトは腹心たるジークフリード・キルヒアイス中佐をその艦長に据える事も考慮したが、キルヒアイスが冗談めかして自分の忠誠心がブリュンヒルトに優先的に向けられてよいのならばと語ると、半ば本気で慌てつつ断念したものである。

 

 戦艦の艦長は中佐ないし大佐をもってその任に宛てる事が軍規で定められていたが、その要件とラインハルトの人物鑑定眼に耐えうる能力を兼ね備えた人材は、なかなかに見い出せなかった。心当たりのある人物は、別の任地にあってそこから異動させる事が不可能であったり、実績は充分ながら階級が低かったり、逆にすでに将官に昇進していたりと、ことごとく候補者リストから外さざるを得なかったのである。

 

 そのようないささか苛立たしい心境の中で、ラインハルトは知己であり、辺境に赴任していたウルリッヒ・ケスラー准将と超光速通信で会話を交わす機会を得た。久々の会話の中で、ラインハルトは件の人事について現状を述べた後、

 

「卿がまだ大佐だったならば、任地から呼び戻して旗艦の艦長になってもらいたかったところだ」

 

 とこぼし、ケスラーを軽く苦笑させたものであった。そして、ケスラーは不意に何かを思い出したかのように笑みを収め、ラインハルトに辺境で知己を得た一人の人物を推挙したのである。

 

 その人物こそがカール・ロベルト・シュタインメッツ大佐であり、長年にわたり辺境勤務に従事していた彼は、新任地に慣れぬケスラーに何かと助言してくれた存在でもあった。才幹も為人(ひととなり)も充分に信頼に値するとケスラーは太鼓判を押し、同時に彼が任期を終え、形式上の手続きなどを行なうために間もなく帝都に一時帰還する事もラインハルトに伝えたのである。

 

 通信を終えたラインハルトはすぐさまキルヒアイスと共にシュタインメッツの経歴について調べ上げ、ほどなく得られた情報はことごとくケスラーの推薦を裏付けるものであった。

 

 それでも自身の眼で相手を見定めたいとラインハルトは望み、彼は辺境帰りの一軍人と面会の約束を取り付けて対面を行なう事となる。そして長くもない対話の中で、シュタインメッツがひとかどの人物である事を若き帝国軍大将は確信し、彼の艦長指名を決断したのであった。

 

 その指名にも、シュタインメッツを引き続き辺境勤務に留任させる腹積もりであった軍上層部は難色を示したが、最終的にはラインハルトの強い要望を容れざるを得なかった。シュタインメッツが定められた赴任期間を満了するのは事実であったし、皇帝が寵姫の弟に与えた旗艦の初人事に水を差すのもはばかられたという事情もあったのである。

 

 シュタインメッツも、ラインハルトの事は辺境にてケスラーから「大器の所有者」と聞かされていた。そしてその金髪の若者と対面を果たした彼はケスラーの鑑定眼が正しかった事を悟り、自分より一〇歳以上も年少の大将閣下の指名を受諾したのである。

 

 

 辺境より久々に戻った帝都において、シュタインメッツ大佐は馴染みの店であった『ポンメルン』に足を運んだ。ブリュンヒルトの初代艦長は面識があった料理長に久闊を叙し、料理長はかつての常連客の出世と帰還を素朴に喜んだものである。

 

 そうした会話の中、シュタインメッツは厨房の中にコック姿の女性がいる事に気付いた。そして、その軽い驚きの表情を見た料理長は何気なく「唯一認めた女の弟子」を呼んで紹介したのである。このあまり劇的とは言えない邂逅が、カール・ロベルト・シュタインメッツとグレーチェン・フォン・エアフルトという男女の馴れ初めであった。

 

 

 エアフルト家はルドルフ大帝以来の名門貴族の一つであったが、本家はとうの昔に政争の渦中で爵位を失った末に断絶している。グレーチェンの実家はその傍流のまた傍流であり、かろうじて帝国騎士(ライヒス・リッター)の地位とささやかな財産を保った家柄に過ぎない。シュタインメッツの死後、彼の「愛人」の家名を聞いてもラインハルトや、その副官にして名門ブラウンシュヴァイク公爵家の旧臣でもあるシュトライト中将がさしたる反応を示さなかった事からも解る通り、エアフルト家の名はすでに歴史に埋没していたのである。

 

 祖父が事業にて先祖伝来の館を手放すほどの負債を抱え、父の代になってもその返済にいささか苦慮する家庭環境で成長したグレーチェンは、良縁を望む両親の願いをよそに二年制の調理学校への進学を選んだ。

 

 負債の清算にようやく見通しが立ちかけた程度の実家の経済状況では、縁談でまともな結婚を望めないのは明白であった。彼女が聞いた話では、二〇年ほど前にエアフルト家と古くから関係があったマールなんとかいう凋落した伯爵家の娘が二〇も年長の裕福な下級貴族に嫁がされ、夫との仲が破綻したあげくに自殺したというではないか。もともと祖父の事業の失敗はかの伯爵家の定見のなさが要因で、それ以降は絶縁状態になってしまっており詳しい事情は知らなかったが……。

 

 そんなろくでもない結婚をするよりは手に職を付けて自立した方がいいと、生来負けん気の強いグレーチェンは割り切った。使用人もいない家庭環境で育った彼女は家事に慣れており、料理にも相応の経験と興味があった事と、弟が希望していた大学への進学を手助けしたいという思いも決断を後押ししたのである。当初は反対していた両親も、弟の進学と家計の件を持ち出されては強く反論はできず、最終的には娘の進路を容認したのであった。

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国においては建国者ルドルフ大帝の価値観を反映して、男尊女卑の思想が深くその根を下ろす事となった。王朝中期の『晴眼帝』マクシミリアン・ヨーゼフ二世の改革などを経て幾分かは改善ないし緩和されたものの、それでもなお王朝末期まで、女性の社会進出には有形無形の制約が数多く存在していたのである。

 

 料理界も例外ではありえず、相応の報酬をもって遇される一流レストランや宮廷ないし門閥貴族の厨房には女性の料理人は至って少なく、志望者がいたとしても大抵の場合は門前払いを喰らわされるというのが当時の現状であった。

 

 伝手のないグレーチェンは思案の末、卒業後に『ポンメルン』の扉を叩く。評判の高い店の中において『ポンメルン』は、過去に少なくない数の女性の料理人志望者を受け入れた実績があったのである。もっとも、その志望者らは料理長の男女の区別なき厳しさに耐えられず、結局は辞めてしまったのだが。

 

 没落したとはいえ、貴族令嬢たる身の弟子入り希望には剛腹な料理長もさすがに驚いたようである。だが、グレーチェンの本気を看てとった料理長は「音を上げるようならすぐに叩き出す」と宣告し、彼女を受け容れたのだった。

 

 グレーチェンは数年間の下働きを行ないつつ、料理長からの容赦ない指導や叱責にも黙々と耐えた。一部の男の同僚たちからの、

 

「女、それも貴族の癖にここの厨房に入るとは」

 

 という揶揄や陰口には平然として、

 

「くだらない嫌味を言う暇があったら、料理の腕を磨いたらどうなんだい? あんたたちの手は口ほどには動かないだろうに」

 

 と、本人曰く「料理長から料理よりも先に伝授された」下町訛りで言ってのけ、彼らを赤面および沈黙させたものである。やがてその根気と仕事への誠意を料理長に認められ、彼女は少しずつ重要な仕事を任されるようになっていったのであった。

 

 そうして奮闘していたグレーチェンは、二二歳を迎える旧帝国暦四八六年にシュタインメッツとの出逢いを果たすのである。

 

 

 白銀の戦艦の手綱を任されたシュタインメッツはその能力に加えて、上司への直言もためらわない剛毅な為人もラインハルトに高く評価された。シュタインメッツの方もまた、己の能力を正当に評価し、諌言を容れる度量をも備えた若い上官への敬意を深めたのである。

 

 第四次ティアマト会戦後、ラインハルトは准将に昇進したシュタインメッツを幕僚にと望んだ。だが、この要望は容れられず、シュタインメッツは辺境への再赴任を命じられた。ブリュンヒルトの初陣が済んだ以上、もはや軍上層部はラインハルトにそこまで配慮する必要を認めなかったのである。また、有能にして辺境の事情に通じたシュタインメッツは上層部にとっては疎ましいのと同時に、辺境星区を安定させるための優秀な駒たりうる存在だったというのも理由の一つであった。

 

 この時期、シュタインメッツはすでにグレーチェンと恋仲と言って差し支えのない関係を築いていた。当初は意気投合した知人といったところであったが、交流を重ね、異性として好感を互いに深めていくのにさほどの時間を要しなかったのであった。 

 

 ラインハルトが「機を見て必ず召還する」と約束してくれたとはいえ、申し訳なさそうな表情を禁じえないシュタインメッツから辺境行きを告げられたグレーチェンは、

 

「ま、呼び戻すって約束があるなら、信じるしかないね。あたしも手に職はあるし気長に待つさ。ただし、辺境(むこう)で別の女なんか作ったらただじゃおかないよ、ロベルト」

 

 と言って、苦笑いしつつうなずく准将閣下を送り出したのである。グレーチェンはいつの間にか、恋人の事をミドル・ネームで呼ぶようになっていた。

 

 

 かくしてシュタインメッツは畏敬すべき上官と恋人との再会を期して、再び辺境星区の治安維持に従事する事となったのである。

 

 将官としてそれまで以上の権限を有する事となったシュタインメッツは、武断に偏らない硬軟織りまぜた手腕を存分に発揮した。彼が担当していた星域において跋扈していた宇宙海賊や密輸団などの非合法組織はほぼ一掃され、未然に防がれた叛乱や暴動も両手の指の数では足りないほどである。

 

 中でも、カストロプ公爵の半年にわたった叛乱に際して、その影響で生じた流通や治安の混乱に乗じ大規模な蠢動を図った辺境の海賊どもを一網打尽にした功績は特筆すべきものであった。

 

 もしシュタインメッツや彼に協力したケスラーら近隣の軍管区司令官たちの活躍がなければ、数日で叛乱鎮圧に成功したキルヒアイスは、引き続き海賊への対処を命じられる事となったであろう。そうなれば事態の収拾にはさらなる時間を要し、迅速に叛乱を鎮めたという印象は著しく薄れる事となったに違いない。それを理解していたキルヒアイスはシュタインメッツやケスラーに通信を送り、心からの謝意を伝えたのである。

 

 姓の頭文字が同じSである事にひっかけて、銀河連邦時代に海賊鎮圧で活躍したシュフラン(S U F F R E N)提督の再来と兵士たちから謳われるほどの武勲は、軍上層部も認めざるを得なかった。

 

 シュタインメッツはラインハルトの下を離れて二年足らずで中将にまで昇進し、複数の軍管区を担当する権限を有するに至る。これは彼の功績もさる事ながら、権限をある程度まで拡大させて彼に手腕を振るわせれば、辺境の安定につながるという上層部の思惑やラインハルトの推薦などが絡んだ結果であった。金髪の若者に言わせれば、功績に比して昇進が遅れていたので是正しただけだと言う事になる。もっとも、仮にシュタインメッツが順当に昇進していれば、彼がブリュンヒルトの艦長に就任する事もなかったはずである。それを思えば、皮肉な巡り合わせの妙にラインハルトも苦笑を隠せなかったものであった。

  

 公平に見て、旧帝国暦四八八年初頭の時点で大将に昇進していてもおかしくないだけの大功を、シュタインメッツは重ねていた。だが、まだ三二歳と若く、異例の昇進速度と兵士からの高い声望への嫉妬と警戒に加え、剛直な為人ゆえの上層部からの忌避、何よりも平民出身である事が栄達を妨げたのである。

 

 半世紀以上前の第二次ティアマト会戦において大量の高級士官の戦死者が出た後、帝国軍はその穴を埋めるため、上級貴族出身者のみならず下級貴族及び平民の軍人を引き立てる事を余儀なくされた。

 

 その結果として、軍における下級貴族や平民出身の高級士官の比率や影響力は増大してはいたものの、それでも身分制の壁は未だ強固な存在として彼らの前に立ちはだかっていたのである。それゆえに、当時の常識では大将以上の階級は皇族や門閥貴族の係累でもなければ、通常は三〇代もしくはそれ以下の年齢で任命される可能性は絶無であった。

 

「少なくとも、あと一〇年は昇進はない」

 

 と周囲からはささやかれており、当のシュタインメッツもその評が正しい事を知っていた。彼はいたずらに出世に執着するような人物ではなかったが、軍人として実力相応の矜持や自負は抱いている。自分の能力や実績の不足によらず昇進がままならないという状況への無念の思いを、完全には禁じえなかったものであった。

 

 

 旧帝国暦四八七年、下級貴族の出自ながら「当時の常識」をことごとく粉砕してのけたラインハルト・フォン・ローエングラム元帥が宇宙艦隊司令長官に就任した際、二年ほど辺境に在ったケスラーは任地から召還されローエングラム元帥府に艦隊司令官として迎え入れられたが、シュタインメッツは辺境に留められる事となる。

 

 これは来るべき門閥貴族たちとの対決に備え、ラインハルトが下した判断によるものであった。軍歴の大半を辺境各地にて過ごし、経験と人脈を培ってきたシュタインメッツが現地に最初から在れば、戦役勃発後の辺境の平定が迅速かつ容易になるとラインハルトは計算したのである。

 

 その点のみを考えれば、ケスラーも辺境に留めるべきではあった。だが、中央の艦隊戦力の大半を掌握した当時のラインハルトは有能な前線指揮官のさらなる増員を必要としていたため、やむなく辺境での経歴が短いケスラーのみを呼び戻したのである。

 

 シュタインメッツはそういった事情に不満を漏らす事なく、旧帝国暦四八八年のリップシュタット戦役勃発に際しては迷わずにローエングラム陣営への協力を表明した。そしてそれを行動で示すべく、同じようにローエングラム陣営への参加を決断した軍人たちを糾合し、貴族連合軍に属する勢力圏に侵攻して勝利を重ね、従来から管轄していた領域を含め一七もの星区を平定してみせたのである。

 

 やがてローエングラム軍の別働隊を率い、「辺境の王」と呼ばれるほどの破竹の勢いで辺境平定を進めていた宇宙艦隊副司令長官ジークフリード・キルヒアイス上級大将と合流を果たした彼は、キルヒアイスにその諸星区を委ねようとした。

 

 だが、キルヒアイスはシュタインメッツに辺境星域に留まり、オスマイヤーを筆頭とした行政官たちと連絡を密にしつつの、現地の治安維持や流通の安定化などを要請したのである。シュタインメッツもそれを快諾し、キルヒアイスは辺境平定後、後顧の憂いなく最終決戦の地たるガイエスブルク要塞へと向かう事ができたのであった。

 

 ブリュンヒルトの初代艦長であったシュタインメッツには、ラインハルトの副官だったキルヒアイスと身近に接していた短かからざる時期がある。それゆえ、目立たないながらも的確かつ迅速に補佐をこなすキルヒアイスの真価の片鱗をシュタインメッツは早くから感じ取る事ができ、同時にその為人にも好感を抱いていた。そしてキルヒアイスも「ラインハルト様はよい艦長を選ばれた」と、シュタインメッツの才識と人格を高く評価していたのであった。

 

 辺境にて再会を果たしたキルヒアイスとシュタインメッツは、事務的な話を一通り済ませてコーヒーを飲み交わしつつ、つかの間の歓談に興じた。

 

「ローエングラム侯は辺境の現状を憂慮されておられます。この内戦が終結し新体制が成立した後は、抑圧されてきた民衆は解放され、辺境も滞っていた開発が大きく進む事となるでしょう」

 

 それまでの軍歴のほどんどを辺境で過ごしてきたシュタインメッツは、そこに住まう民衆にも浅からぬ情を抱いている。ゆえにそのキルヒアイスの言葉は頼もしく、そして喜ばしいものであった。

 

「そして、分裂している人類社会が再び一つにまとまり、戦乱の時代が終わりを迎える日もそう遠くはないと私は確信しています。どうか提督にも、その力添えをお願いしたく思います」

 

 キルヒアイスが語ったその壮大な未来図に、豪胆なシュタインメッツもさすがに息を呑む。

 

 シュタインメッツはラインハルトや同僚となるロイエンタールのように、乱世の雄としての野心を抱いた事はない。だが、それでも「人類社会の再統一」という展望を聞かされて、自分は歴史を大きく動かす蓋世の英雄の下に在るのだと、胸の奥が熱くなるのを感じたのだった。

 

 そして、キルヒアイスの出立の日を迎え、見送りに出たブリュンヒルト初代艦長は、

 

「後方の事はお任せください。どうか心置きなく、ローエングラム侯と共に大貴族どもと決着をつけられますよう。……新しき時代のために」

 

 と力強く請け負い、「辺境の王」は穏やかにうなずいた。やがて二人は敬礼を交わし、赤毛の驍将は旗艦バルバロッサに搭乗すべく長身を翻す。シュタインメッツはその背中を、敬意を込めて見送った。そして、それが彼が最後に見たキルヒアイスの生前の姿となったのである……。

 

 

「あの二人がねえ」

 

『ポンメルン』で食事を楽しんでした二人の若者のうち、金髪の青年が傲慢な大貴族どもを打倒して帝国の支配者となりおおせた事に、大胆なグレーチェンもさすがに驚嘆せずにはいられなかった。

 

 同時に、もう一人の赤毛の青年が友を守って斃れた事に対しては、小さからぬ痛ましさを禁じえない。店でときおり見かけただけの自分ですらそうなのだから、浅からぬ交流があったシュタインメッツの心痛はいかほどかと、グレーチェンは慮ったものである。

 

 リップシュタット戦役終結後、シュタインメッツは自身が統括する辺境諸星区の支配権を勝利者たるラインハルトに改めて差し出し、念願の大将に昇進の上で帝都へと召還された。

 

 だがグレーチェンが憂慮した通り、シュタインメッツにとってキルヒアイスの非業の死は、恋人との再会と新体制の軍幹部として遇された事への喜びをいささかならず冷めさせる寒風となったのである。それに加えて、恋人にも語れない一つの疑念が、彼をさらに苦悩させていたのだった。

 

 キルヒアイスが辺境を平らげてガイエスブルクへ向かう途上で起こった「ヴェスターラントの虐殺」。

 

 それを端緒とした、貴族連合軍の自壊。

 

 その前後に、金髪と赤毛の若者たちの間に生じた亀裂。

 

 そして儀典時の銃の携帯という、それまでキルヒアイスのみに認められていた権限が取り消され、結果として彼はラインハルトを狙った刺客の前に素手で立ちふさがり、身代わりとなって落命した……。

 

 軍の最高幹部となりおおせたとはいえ、シュタインメッツは裏面に隠されている真相を全て把握できていたわけではない。だが断片的な情報と表層上の結果からでも、ほんの短期間のみ流布していた「ローエングラム陣営によるヴェスターラント虐殺黙認」という噂が事実であろう事を、シュタインメッツは悟らざるを得なかったのである。

 

 

 ある一日、シュタインメッツは帝都随一と謳われる高級レストランでの夕食(ディナー)をグレーチェンに持ちかけた。彼女は以前、そのレストランについて「一度くらいは『敵情視察』をしてみたいね」と冗談めかして語った事があり、シュタインメッツはそれを記憶していたのである。その誘いに女料理人はしばし唖然としたのち、破顔して受諾したのであった。

 

 当日、シュタインメッツは軍服姿でグレーチェンと落ち合った。そして現れた待ち人の姿に、今度は彼が唖然とさせられる事となる。

 

 青系統のドレスを着こなし、髪を調え、落ち着いた意匠の装飾品で飾ったグレーチェンは、シュタインメッツが見慣れていたおおらかな彼女の姿とは全くの別人であった。

 

 予約した時刻通りにレストランに到着し、支配人自らの先導で二人は席に案内された。なにしろ、今をときめくローエングラム体制の軍の重鎮とその同伴者である。下にも置かないもてなしぶりにシュタインメッツはかえって居心地の悪さを内心で感じたが、グレーチェンの立ち振る舞いは、充分に貴族令嬢らしく悠然としたものであった。

 

 やがて二人は豪華な食事を終え、支配人とその他大勢の大仰な見送りを受けつつ店を後にした。

 

「料理はさすがだったし、ワイン給仕人(ソムリエ)のワインの選択も良かったけど、もてなしが行きすぎて媚びになっていたの頂けなかったね」

 

 地上車(ランド・カー)の中でいつもの砕けた口調に戻ったグレーチェンは、遠慮なくそう批評したものである。

 

 同僚のエルネスト・メックリンガーに「忠誠心と卑屈さとの区別を厳然とわきまえていた」と、のちに評される事となるシュタインメッツは苦笑しつつ同意した。

 

 しかし、レストラン側もこれまで皇族だの大貴族だのと、機嫌を損ねれば全てを失いかねない人種ばかり相手にしてきたのだから無理もない、とも思う。シュタインメッツ自身、若手の士官時代に大貴族出身の上官に何度も逆らった結果として辺境に飛ばされたのである。これからの時代、そういった点もおのずと変わる事となるだろう。

 

 シュタインメッツは話を変え、今日のグレーチェンの優雅かつ堂々とした姿に驚いた事を率直に語った。

 

 彼女が苦笑しつつ言うには、両親から「貴族としての作法は身に付けていて損はない」と言われ、苦しい家計の中で工夫しつつ学ばされたとの事である。大将閣下は恋人の知られざる一面に触れて惚れ直すと同時に、人を外見や第一印象のみで測る愚かさを改めて自戒したものであった。 

 

 シュタインメッツはほどなく運転手に車を止めさせ、同伴者を促して外に降り立つ。ここちよい夜風を感じつつ二人は少し歩き、見晴らしのよい高台に足を踏み入れる。

 

 そこは帝都中心地区の夜景が一望できる場所であった。暗黒の(とばり)の下で無数の灯の連なりが美しく煌いており、その一つ一つが帝都に住まう人々の営みを示しているのである。

 

 その風景の地平線近くに、ゴールデンバウム王朝の皇城たる『新無憂宮』(ノイエ・サンスーシー)()った。

 

 だが、ローエングラム独裁体制の成立後は広大な宮殿の四大地区のうち、後宮である『西苑』と猟園である『北苑』は閉鎖され、政治の中枢たる『東苑』と皇帝一家の居住する『南苑』も、大半の建造物が無人と化した。貴族諸侯の参加する園遊会や、やたらと盛大な儀典などが行なわれる頻度は激減し、かつての不夜城の光輝は大半が失われ、ささやかな残照が夜景の中で存在を主張するのみである。  

 

「皇帝陛下がおわす宮殿も、ずいぶんと寂しくなったものだねえ。あのレストランで食事を堪能できた事といい、時代が変わったっていうのを改めて実感させられるよ」

 

「ああ。(ふる)い時代は終わり、新しい時代が始まりつつある。そして、それを為すのはローエングラム公爵閣下だ。閣下は遠からず人類社会を再び統一される。それだけの器量をあの方はお持ちだと、俺は信じている」

 

 アルコールでやや熱くなっている息とともに、それとは比較にならない熱のこもった言葉をシュタインメッツは静かに紡ぎ出した。そして彼は、確固たる決意を感じさせる表情でグレーチェンに向き合う。

 

「そして統一が為される頃には、閣下も伴侶を迎えていらっしゃる事だろう。二年も待たせておきながら、こんな勝手な事を言うのは心苦しいのだが……」

 

 そう前置きしつつ、シュタインメッツは決意と願いを披瀝した。

 

「大神オーディンへの願掛けとして、それまで俺も家庭は持たぬと決めた。どうか、今少し待っていてはくれないか」

 

 それを聞いたエアフルト家の令嬢が、幾度かのまたたきの後で相貌に浮かべた感情は、怒でも哀でもなかった。ただ苦笑を浮かべて、軽く肩をすくめたのみである。

 

 もし結婚という話ならば彼女はそれを喜んで受けるつもりであったし、シュタインメッツが望むならば店を辞めて家庭に入ってもよいと思っていた。シュタインメッツの言葉はいささか予想外ではあったが、聞き終わってみれば「ロベルトらしい」と、自然に受け容れる事ができたのである。

 

「古風だねえ。ま、そういうところも嫌いじゃないよ。ロベルトの好きにすればいいさ。できる事なら、あたしが白髪の婆さんになる前には迎えに来てほしいけどね」

 

 そう言って、グレーチェンはシュタインメッツの首元に両腕を投げかけ、それに応じて大将閣下も青いドレスの貴婦人を抱き寄せたのであった。

 

 

 この時点のシュタインメッツの心奥には、グレーチェンにも語らなかったもう一つの決意が存在していた。

 

 

 ローエングラム体制における軍最高幹部はいずれも、高級軍人としての情報収集能力、豊富な経験、そして非凡な知性ないし感性を備えていたのは万人が認めるところであろう。

 

 その彼らが『ヴェスターラントの虐殺』の前後や裏面における諸事情に、疑念を全く持たなかったはずもない。シュタインメッツ以外の武人としての矜持を持つ同僚たちも、恐らくはある程度の真相を察していたと推測される。

 

「どのみち、俺たちの人生録は、どのページをめくっても、血文字で書かれているのさ。今さら人道主義の厚化粧をやっても、血の色は消せんよ」

 

 これは猛将フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルトが、叛逆者となったオスカー・フォン・ロイエンタールと戦った後に語った述懐である。この言葉には、かつての僚友と殺しあった事だけではなく、昔日の『ヴェスターラントの虐殺』で大利を得た自身や自陣営への自嘲や自己嫌悪なども含まれていたかもしれない。

 

 それでもなお、彼らは自らの剣と忠誠を、ラインハルトに捧げ続けたのである。

 

 後に唯一、主君に叛旗を翻す事となるロイエンタールですら、その死に到るまでヴェスターラントの一件を公の場で話題にする事はなかった。ただ、僚友であったカール・グスタフ・ケンプの戦死後、主君にとって盟友キルヒアイス以外の部下は使い捨ての道具に過ぎないのではないか、という疑念を彼が抱く一因にはなったかもしれない。

 

 諸将のラインハルトへの忠誠心に致命的な翳りを生じさせなかった要因の一つには、謀臣パウル・フォン・オーベルシュタインの存在があるだろう。虐殺黙認が事実として、その発案者がオーベルシュタインである事は疑いないところである。最終的にその提案を容れたのはラインハルトであろうが、結果としてそれがキルヒアイスの死を招き、深い自責と後悔の念を見せる主君に比べ、オーベルシュタインの方は超然たる態度を崩す事はなかった。それにより諸将の反感や嫌悪感は、義眼の謀臣が一身に背負う事となったのである。

 

 

 ……自分では、いや、他の誰にもラインハルトにとってのキルヒアイスの代わりとなる事など不可能であろうと、シュタインメッツは思う。ならば、自分は自分にできる事をするしかない。主君のために最善を尽くし、その覇業に貢献する。それこそが、新時代を見る事なく世を去ったキルヒアイスへの弔いにもなると、彼は信じたのだった。

 

 仮に主君や、その謀臣が自陣営の利益のために二〇〇万もの民衆を見殺しにしたというのであれば、それを察しながらも沈黙し、忠誠を捧げ続ける選択をした自分も同罪である。もし地獄というものが存在し、大神オーディンの審判により主君がその最下層に墜ちるならば、自分もそこに往く事となるだろう。軍の士気にもかかわるため、うかつに公の場では口に出せたものではないが、もとよりシュタインメッツは軍人として大量の血を流してきた己の罪業を自覚しており、それから目を背けるつもりはなかった。

 

 ただ願わくば、自分の事はともかく、大神におかれては現世における主君の大罪のみならず、なにとぞ比類なき大功もご照覧あれ。そして、その御魂を天上(ヴァルハラ)へと戦乙女(ワルキューレ)たちに導かせ給わん事を……。


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