獅子帝の去りし後   作:刀聖

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第十四節

「ユリウス。明後日の休みは空いているか」

 

 

 とある下級生と上級生が戦斧(トマホーク)を交えてから一か月ほどが過ぎたある日、その下級生たるグスタフは、食堂にて昼食を共にしていた友人に問いかけた。割ったライ麦パンにバターを塗っていたユリウスは質問者に視線を移す。

 

「ん? ああ、これといった用事はないな。確か、おまえは外で家族と会う予定じゃなかったか?」

 

「いや、実はな……」

 

 キャベツの漬物(ザワークラウト)にフォークを刺しつつグスタフが言うには、彼の母親の知人が来月、オーナーシェフとしてフェザーン都心地区でレストランを開くらしい。

 

 その知人は開業前にケンプ一家を食事に招いたのだが、今日の朝に弟のカールが高熱を出して寝込んでしまい、母も看病のために家に残るとの連絡があった。グスタフが一人で行くのもどうかと思っていた所、さらにそのオーナーシェフから連絡があり、食材を無駄にしたくないから友人がいるなら連れて来い、と言われたとの事であった。

 

「味の方は保証する。なにせその人は「ポンメルン」の料理長(シェフ)が認めた弟子だからな」

 

「ほう……」

 

 ユリウスは感心したようにつぶやいた。

 

「ポンメルン」は旧帝都オーディンの帝都地区に存在するレストランの名である。皇族や大貴族が足を運ぶような格式は有していなかったが、家庭的な料理を提供する名店として、下級貴族や平民階級の間では旧王朝時代から評判は高い。

 

 そこの料理長は気風(きっぷ)のよい、平民出身の初老の男性であった。料理の腕前は折り紙つきで、弟子志望者はこれまで数多かったが、その厳しい指南に最後まで耐え独立にまで至ったのはほんの一握りに過ぎないと聞いている。

 

 ユリウスも家族に連れられて何度か「ポンメルン」の料理を堪能した事がある。確かに幼少の記憶であっても印象に強く残る美味であり、店の印象も良いものであった。ユリウスは目の前にある昼食へ無意識に視線を落とす。

 

 

 帝国を二分する内乱となった「リップシュタット戦役」以前の幼年学校の学食の味は、量はともかく味は貧相としか言えないものであったらしい。

 

 ゴールデンバウム王朝末期において、帝国軍内部の兵站における不備や不正の横行は珍しいものではなかった。杜撰な輸送計画による補給の遅延や途絶、および誤配などにより勝利や拠点を放棄せざるを得なかった事例など、枚挙に暇がない。そして軍需物資の横領犯や、規格より低品質の物資を納品して利鞘を稼ぐ悪徳業者、そして袖の下を受け取ってそれらを容認ないし助長する補給担当者といった輩も後継者難に悩む事はなかったものである。

 

 軍幼年学校もその例外ではなく、経理上の不正や備品の横流しなどの噂は常に存在していた。軍人志願である以上、戦地における粗食にも耐えねばならない場合もあるのは当然だが、それでも当時の学食の味気なさは学生たちにとって深刻な不満の種であり、不正の噂の信憑性を高める一因となっていた。一〇年近く前には、不正の真偽を確認すべく食料倉庫に潜入した学生が事故死し、管理責任の追及を恐れた当時の校長が隠蔽工作のため殺人に手を染めた事件まで発生している。

 

 当時の幼年学校においては、休日での外食をささやかな楽しみにしていた学生も多かった。大貴族出身の学生や教師の中には、密かに高級な食料品を学校内に持ち込む者も少なくなく、目に余らない限りは学校側も彼らの実家との関係をはばかりそれを黙認していたという。学校の最高責任者たる校長自身が私室にワインやキャビアなどを隠し持っていた事例すら存在していたのだから、その程度の目こぼしは当然であったのだろう。

 

 リップシュタット戦役後、帝国の独裁者となったラインハルト・フォン・ローエングラムは政治改革のみならず、軍組織の再編成や改善にも本格的に着手した。彼は従来からの兵站の問題点を正確に把握しており、軍隊内の流通におけるシステムの整備、監査機関の強化や綱紀の粛正によって先に挙げられたような不備や不正は激減する事となる。

 

 幼年学校校長に就任したロイシュナー中将もまた、精力的に学校内部の綱紀粛正と組織改革に取り組んだ。既得権益を主張したであろう大貴族出身の学生および教育関係者の大半は貴族連合軍に身を投じ、連合軍の敗滅と共に学校から完全に姿を消していたため、ロイシュナーは存分に改革の大鉈を振るう事ができたのである。

 

 そのささやかな成果の一つとして、学食の質も大幅に改善されたのであった。

 

 

 現在の幼年学校の学食の味は「可もなく不可もない」といったところである。が、軍関連学校はレストランや高級ホテルではないのだから、その点について不平を鳴らす筋合いはない。むしろ栄養価のみならず、味覚的にも充分に考慮された水準にまで引き上げてくれた事に、ロイシュナー校長や彼を起用したラインハルトに感謝すべきであろう。

 

 とは言え、時には舌鼓を打つほどの食事を楽しみたいという欲求くらいは抱いても咎められる謂れはあるまい。現在はあのルドルフ大帝の治世ではないのだから。

 

 

 前王朝の開祖たる「鋼鉄の巨人」ルドルフ・フォン・ゴールデンバウムは、皇帝即位までは質実剛健を旨として、独善的ながらも自己の心身を厳格に律していた。

 

 しかし、至尊の玉座に着いて巨大な権力と富を掌中に収めた後は自制心も緩み、巨大なテーブルに所狭しと並べられた佳肴や美酒を愉しむ食生活が常態化するのである。

 

 それでも初老の年齢までは健康診断を定期的に受け、軍事訓練や狩猟といった運動を欠かさないなど節制も充分に意識していた。だが、晩年にはそれも疎かとなり、「ひとかけらの贅肉も一片の脆弱さもなかった」鋼鉄の肉体とそれを司る精神に、赤錆が顕著に浮き始める。

 

 食事の改善を勧める侍医を遠ざけ、運動も怠りがちになった老境のルドルフが痛風などの生活習慣病に悩まされ、それが寿命を縮める一因となった事実は、王朝滅亡後の諸資料の公開により暴露される事となった。「玉体はなお強壮を保っていたが、全人類社会の統治者として重圧や後継者たる男児に恵まれなかった失意などの精神的苦痛が心臓に負担をかけ、崩御に至った」などというのは、王朝にとって都合の悪い事実を隠蔽するための美辞麗句に過ぎなかったのである。

 

 ルドルフやその周囲に侍る一握りの貴族たちは美食を大いに堪能する一方で、「我らのような選ばれた存在とは異なり、凡俗な大衆は物質や金銭に過度に接すれば、必ず汚染され堕落する」として、大多数の平民階級に対しては食事内容に関しても質朴たる事を強要したものである。

 

 だが、時代を経て締め付けもある程度は緩和され、王朝末期には平民たちもささやかな贅沢を享受するくらいの余裕は与えられていた。

 

 そして、同時期におけるルドルフと大貴族の末裔の大半は先祖の期待を裏切り、心身ともに余すところなく「物質と金銭で精神を汚染され」ていた。両手一杯に抱え込んだ権力と富によって視野を塞がれていた彼らは、その重みにふらついている自覚もないままに破滅への道程を歩む事となる……。

 

 

「分かった、お招きにあずかろう。無料(ただ)で美味い飯が食えるなら悪くない」

 

 オーディンから遠く離れたこの地で『ポンメルン』の味を継承した料理を味わえるという誘惑は実に魅力的であり、白金色の髪の少年は笑いつつ友の好意に応じたのだった。

 

 

 当日の正午前。

 

 天候は外出日和とは言いがたいものであった。鈍色(にびいろ)の雲に覆われた空からはまばらに粉雪が舞い降り、地面に落ちては儚く消えてゆく。

 

 惑星フェザーンは、人類発祥の地たる地球に比して気候は全体的に冷涼で湿度も低く、一年を通じておおむね過ごしやすい環境を有していた。

 

 とは言え、公転する恒星から見て地軸が傾いている以上、地域差はあれど四季も一応は存在している。ゆえに冬期ともなれば相応の寒気が生まれ落ち、中緯度に存在する中央市街区全体を支配せんと欲するのであった。

 

「先帝陛下と皇太后陛下のご成婚のときも、こんな天気だったな」

 

 冬の女王のささやかな息吹が感じられる風景をバスの車窓越しに見やりつつ、グスタフはつぶやいた。

 

 昨年の一月二九日に挙行されたその結婚式から、すでに一年が経過している。末永く幸福に在る事を多くの臣民から願われていた新郎新婦の内、新郎たる皇帝ラインハルトがその半年後に崩御するなど、誰が想像しえただろうか。

 

 外の景色にも劣らず表情を曇らせつつある友人に対し、隣に座っていたユリウスは言葉を投げかける。

 

「気持ちは解るが、これから食事を楽しもうというのに暗くなってどうする? そんな顔で店を訪ねたら失礼になるぞ」

 

「……ああ、そうだな」

 

 グスタフは素直にうなずく。ユリウスは雰囲気を変えるべく、別の話題を俎上に載せる事とした。

 

「雪と言えば、聞くところによると先帝陛下は()のビュコック元帥を新雪にたとえられたらしいな」

 

 

 自由惑星同盟(フリー・プラネッツ)最後の宿将たるアレクサンドル・ビュコックは、マル・アデッタ星域にて寡兵ながら老巧な用兵をもって大兵力の帝国軍に抗い、敗れた後は潔く散っていった。

 

 皇帝(カイザー)ラインハルトが自ら斃した敵将を「新雪」と評したのは、マル・アデッタ会戦後に上位者たる元首を殺害し、征服者に媚を売らんとした同盟の一部軍人たちの処刑を命じた直後であったという。彼らの醜行は、若き皇帝の嫌悪感を刺激すると同時に、彼がビュコックに抱いていた清冽な印象を更に強める事となったのである。あるいは、史上空前の覇王は老元帥の老いて白くなった頭髪からも、穢れなき雪を連想したかもしれない。

 

 そして、雪解けの後には春が来るものである。

 

 ビュコックの死は志ある共和主義者たちを悲嘆させると同時に、その遺志を継がんと彼らの精神を大いに鼓舞せしめた。溶け去った新雪は大地に還り、来たるべき季節を潤す大河(リオグランデ)の源流となりおおせたのである。

 

 そして自由惑星同盟の滅亡、ヤン・ウェンリーという巨星の消失という厳冬を乗り越え、新帝国との講和を勝ち取った共和主義者たちはバーラト星系にて民主共和制の命脈を保った。小なりといえども春を迎え、残された種子は芽吹いたのであった。

 

 第二代皇帝たるアレクサンデル・ジークフリードの名の由来たる人物という事もすでに公表されており、ビュコック元帥は旧同盟市民のみならず、敵の陣営であった帝国の将兵や一般市民の間でも敬意を向けられた存在となりつつある。それは、かつての雄敵を讃えるだけの余裕が生まれているという事でもあった。

 

 父のまぎれもない(かたき)であったヤンに対して、グスタフはまだ感情を整理し切れてはいない。だが、ビュコックに対してはグスタフも自然に敬意を払う事ができた。ユリウスとグスタフは、帝国公用語に翻訳されたビュコックの回顧録の内容を話の種として、しばらくの時間を会話に費やしたのであった。

 

 

 やがてバスは最寄りの停留所に到着し、そこから二人は白い息を吐きつつ徒歩で目的地に向かう。

 

 新しい首都星たるフェザーンの帝都中心街区は、好ましいとはいえない天気ながらも人々による活気に溢れている。帝国公用語や同盟公用語の表記や会話がそこかしこに存在しており、様々な出自の人間が希望や意欲を原動力として活動しているのが皮膚で感じられた。

 

 また、少なからず帝国の軍服を着た武装兵や憲兵の姿も見かけ、警邏や警備を行なっている彼らに近付くたびに立ち止まり、敬礼を交わさねばならなかった。

 

 ほどなく二人の学生は目的の店の前にたどりついた。ユリウスは何とはなしに店の看板を見て、しばしそれに視線を固定させる。

 

 が、グスタフに促され、帽子とコートの雪を軽く払い落としつつ店の入り口に歩を進めたのだった。

 

 

 暖かで落ち着いた雰囲気の店内で二人の少年を迎えたのは、白いコックコートに身を包み、青いコックタイを襟元に巻いた一人の若い女性であった。

 

 外見から見て二〇代の後半といったところだろうか。女性としては長身で肉付きがよく、くすんだ癖のある金髪は短めに切りそろえられている。表層的な容姿は「ありふれた美人」といった所であるが、その表情からは意思の強さと性格の朗らかさが看てとれた。

 

「じかに会うのは久方ぶりだねえ、グスタフ。またずいぶんと背が伸びたじゃないのさ。そのうち親父さんを超えるんじゃないかい?」

 

 その女性は笑いかけつつ、グスタフの肩を強めに叩いた。

 

「……お久しぶりです。痛いですよ」

 

 グスタフは少し顔をしかめつつ応えた。

 

「あっはっは、悪い悪い」

 

 淑女らしからぬ笑い声を上げつつ、女性は反省の色のない口調で謝罪した。その光景を白金色の髪の少年はいささか呆然として見つめていたが、

 

「で、こっちの子が友達かい?」

 

 という言葉とともに視線を向けられ、我に返る。青い瞳から放たれる興味の光にやや辟易しながらも、ユリウスは帽子を脱ぎ、名のりつつ挨拶した。

 

「へえ、どんな子かと思っていたら、随分と整った顔立ちをしてるじゃないか。比べてグスタフは少しごつすぎるねえ」

 

 妙に感心したような表情をしながら、目の前の女性はあけすけな評価を下す。ユリウスは返答に困り、グスタフはむくれた表情を作ろうとして失敗し、結局二人は苦笑を浮かべた顔を見合わせざるを得なかった。どうもこの女性には、憎めない人徳のようなものが備わっているようである。

 

 そう言った少年たちの心情に構わず、彼女はにっと笑ってユリウスに挨拶を返した。

 

「今日はよく来てくれたね。あたしはここのオーナーシェフって奴で、グレーチェン・フォン・エアフルトって言うんだ。よろしくね」

 

 ユリウスが軽く瞠目するのに気付かず、女主人は年少の客人たちをテーブルに着くよう促した。

 

「さあさあ、突っ立ってないで、二人ともこっちの席に座って待ってな。準備はできてるから時間は取らないよ」

 

 そう言うとグレーチェンは手にしていたコック帽をかぶり、幼い二人の客を案内する。

 

 二人の帽子とコートを預かり、席に着かせたのちに厨房へと向かうオーナーシェフの後姿を見つつ、ユリウスはやや小声でグスタフに尋ねた。

 

「なあ、あの人はもしかしてシュタインメッツ元帥の……」

 

「知っていたか。ああ、恋人だった女性(ひと)だ」

 

 

 

 カール・ロベルト・シュタインメッツ元帥。

 

 

 

 主に辺境にて功績を積み重ねたのちにラインハルト・フォン・ローエングラムによって中央へ召還され、軍最高幹部の一角として遇された名将であった。

 

 

 旧帝国暦四八九年に開始されたフェザーン自治領(ラント)と自由惑星同盟への侵攻作戦「神々の黄昏」(ラグナロック)において、シュタインメッツは第四陣の艦隊司令官として従軍した。

 

 その翌年の同盟の降伏後、彼は割譲されたガンダルヴァ星系の駐留艦隊司令官という役職を任される事となる。この人事は、先立ってライガール・トリプラ間の会戦で敵将ヤン・ウェンリーに大敗したシュタインメッツに対してラインハルトが名誉回復の機会を与えたという側面も存在していた。その主君の意図にシュタインメッツは感謝し、帝国の属領となった同盟に睨みを利かせる重責を果たすべく任地に赴いたのであった。

 

 ほどなく、新帝国暦〇〇一年と改められたその年の七月に同盟首都ハイネセンにて勃発した騒乱を契機として、新王朝の皇帝となったラインハルトは同盟領への再侵攻を全宇宙に向けて宣言する。シュタインメッツは主君率いる親征軍の到着を待ちつつ同盟政府の動向に対しての牽制および監視を怠らずに不測の事態に備え、ラインハルトの同盟完全征服に目立たないながらも重大な貢献を果たしたのであった。

 

 そして同盟滅亡後の新帝国暦〇〇二年三月一九日、帝国軍における新たな人事が皇帝ラインハルトの名において公表された。まず最初に示されたのは、統帥本部総長オスカー・フォン・ロイエンタール元帥の「新領土」(ノイエ・ラント)総督職への内定であった。そしてそれに伴い、ロイエンタールの総督赴任後は大本営を主宰する皇帝自身が統帥本部を司る事、そしてその補佐役として、駐留艦隊司令官の任務を終える事となるシュタインメッツが大本営幕僚総監に擬せられたのである。

 

 だが、結果として彼はその重職を生前に拝命する事はなかったのであった。

 

 その年の一月にイゼルローン要塞を再奪取したヤン・ウェンリー一党を討伐すべく、皇帝ラインハルトは大軍を率いてイゼルローン回廊に侵入する。

 

 その一翼を担ったシュタインメッツは「回廊の戦い」の中盤において、ラインハルト本隊を直撃せんとした敵の別働隊から主君を守るべくその前に立ちふさがった。そして彼は別働隊に痛撃を加えて潰走寸前まで追い込んだのだが、その直前に敵側の救援として現れた「魔術師」ヤン・ウェンリーと「ゴールデンバウム王朝最後の宿将」ウィリバルト・ヨアヒム・フォン・メルカッツという、当時の人類社会において五指に入る二人の名将と相対する事となったのである。

 

 巧妙と老練をそれぞれ体現したかのような左右からの攻勢は、極めて完成度の高い連携行動でもあり、その圧力は尋常ならざるものであった。加えて、敵別働隊とラインハルト本隊の間に速度を優先して割り込んだため、シュタインメッツ艦隊の陣形は伸びきって厚みと深みを著しく欠いていた。この状況もヤンやメルカッツの予測の範疇にあり、別働隊を指揮していたマリノ准将は皇帝本隊を直撃こそできなかったが、多大な犠牲を払ってシュタインメッツ艦隊に巨大な隙を作る事に成功したのである。

 

 それでも、先のライガール・トリプラ間での敗戦時とは異なり、シュタインメッツには撤退や後退という選択肢は存在しなかった。逆境の中、彼は背後の皇帝を守るべく迎撃と陣形の再編を試み続けたが、その非凡な指揮統率をもってしても麾下の戦線崩壊は食い止められず、シュタインメッツは艦隊中枢部を直撃されて五月六日に戦死を遂げるのである。三五歳の誕生日まで、四ヶ月あまりの時間を残しての死であった。

 

 その代償として、帝国軍の他の部隊が来援するだけの時間は稼がれ、戦線は再び膠着状態となった。かくしてこの時のラインハルト本隊の危機は去り、シュタインメッツは死して主君の盾としての役目を果たしたのであった。

 

 先立って戦死したファーレンハイトに続き、軍最高幹部の一角を失ったラインハルトは憂愁の色を隠せなかったが、ほどなく首席秘書官であったヒルデガルド・フォン・マリーンドルフを「第二代の」大本営幕僚総監に指名する。これは正式な就任前に斃れたとはいえども、あくまで「初代の」幕僚総監としてシュタインメッツを遇するという皇帝の意思表明でもあった。

 

 そして、同時にシュタインメッツはローエングラム王朝成立後における五人目の帝国元帥に叙されるのである……。

 

 

 そういったシュタインメッツの経歴に思いを致していたユリウスであったが、ほどなく成長期にある少年たちの食欲を刺激する、蠱惑的な匂いが漂ってきた。

 

 焼き立ての香ばしい玉葱のパイ(ツウィーベルクーヘン)

 

 特製のハーブドレッシングをかけた、カリカリに焼いた刻みベーコンとチシャ(フェルトザラート)のサラダ。

 

 様々な野菜とソーセージ入りのレンズ豆のスープ(リンゼンズッペ)

 

 溶けたバターとレモンの絞り汁にひたされた熱々の鱒と茸のホイル焼き。

 

『ポンメルン』料理長直伝である鶏肉のクリーム煮(フリカッセ)

 

 デザートは生地の歯ごたえと、果肉の甘みと酸味のバランスが絶妙な林檎のタルト(アップフェル・トルテ)

 

 女主人が手ずから次々と運んでくる料理の群れに対し、少年たちは健啖ぶりを存分に発揮した。テーブルマナーに気を配りつつも、皿の上から料理が消えていく速度は実に早い。完食にはさほどの時間を要しなかったであろう。

 

 そして食後のコーヒーである。少年たちは香り高いそれにクリームをたっぷり入れて、食事の余韻を楽しんだ。

 

 ユリウスは女主人にお礼の言葉と、「ポンメルン」の料理長の弟子という肩書きに恥じない味だったという感想を率直に述べる。グスタフが友人の言葉に同意し、弟が病床で悔しがっていたと母が言っていた、と告げた。

 

 同じテーブルに着き、片手のワイングラスを置いて女主人は礼と賛辞を鷹揚に受けた。

 

「二人が今日来れなかったのは残念だけど、カールが治ったら改めて招かせてもらうよ。それにしても、いい食べっぷりだったねえ。作った甲斐があったってものさ。先帝陛下とキルヒアイス元帥を思い出すね」

 

 その何気ない言葉の最後の部分を聞いて、コーヒーカップを口元に運ぼうとしたユリウスの手が止まる。グスタフの方は口に運んだ直後であったため、むせて咳き込んでしまった。

 

「……お二人と面識があったのですか」

 

 好奇心を隠し切れないユリウスの問いに「面識ってほどじゃないけどね」と、女主人は悪戯(いたずら)に成功した子供のように笑いつつ応じた。

 

 

 ラインハルト・フォン・ミューゼルとジークフリード・キルヒアイスの両名は幼年学校を卒業して任官するに際し、とある老婦人姉妹の家の二階を下宿先に定めた。

 

 前線勤務から帰還してオーディンに在る時期は、食事は下宿先の家主たちが作る料理の相伴に預かったり、軍施設の士官食堂で済ませる事が多かった。

 

 一方で外食の機会もそれなりに存在しており、格式ばっておらず、質の高い家庭的な料理を提供する「ポンメルン」は二人のお気に入りの店の一つだったのである。

 

 当時グレーチェンはもっぱら厨房に籠もっていたため、件の二人と直接に話した事はない。だが、ときおりホールで見かけるその姿は充分すぎるほどに印象的であり、豪奢な金髪と燃えるような赤毛の少年二人が並んでいる姿を、グレーチェンは今でも鮮明に思い出す事ができた。

 

 彼女自身は美形であっても年下にそこまで心を惹かれなかったが、彼らに対し様々な年齢層の女性客が低く嘆声を漏らし、注文を取りに伺ったウエイトレスの少女が頬を染めていた光景もよく憶えている。もっとも、当の本人たちはそういった女性陣の視線に、とんと気付いていない風ではあったが……。

 

 磊落な料理長はホールにも仕事をおろそかにしない程度に顔を出し、客と直接の交流を持ったものだが、件の二人も例外ではなかった。キルヒアイスの方はともかく、ラインハルトは気安く話しかけられる事に当初は不本意を感じていたみたいだが、孫に接するかのような当時の家主たちの態度と同様に、来店を重ねるにつれて慣らされてしまったようである。

 

 ある時は、料理長自慢のフリカッセを完食したラインハルトは作った本人の眼前で、

 

「ここのフリカッセは宇宙で二番目に美味しい」

 

 と言い放った。

 

 そしてそれを聞いた料理長は、少しはらはらした表情のキルヒアイスを横目に怒気を発するでもなく、面白そうに問いかけたものである。

 

「ほう、俺の精魂込めた料理が二番目か。で、一番目を作ったのは誰だ?」

 

 金髪の若者が姉だと悪びれずに答えると、きょとんとした表情を数瞬作った料理長はほどなく、

 

「なるほど。家族の愛情という調味料には勝てんな」

 

 と言いつつ、にやりと笑って放言を受け止めた。

 

 また、ある時はその日のお勧めメニューであった新鮮なチシャのサラダを、二人の少年のうち赤毛の方は注文したが、金髪の方はポテトサラダを選んだ。

 

 その理由を聞いた料理長は、ラインハルトがチシャを苦手としていると知って大笑いし、金髪の若者はいささか不貞腐れたような表情を浮かべた……。

 

 

 そういったいくつかの、宇宙を征服した覇王とその無二の腹心の逸話をグレーチェンは面白おかしく語り、二人の少年は時には興味深く、時には笑いをこらえながら、耳を傾けた。女主人が今日用意した料理は、全て金髪の覇者と赤毛の驍将が「ポンメルン」で注文した事があるメニューの中から選んだものであり、それによって女主人の話はさらに弾む事となったのである。

 

 話が一段落すると、女主人はそれまでの朗らかな表情に少しほろ苦さを加えつつ、

 

「そのお二方も、あたしより若いのに天上(ヴァルハラ)に去ってしまわれたんだねえ」

 

 と軽く嘆息した。

 

「まったく、軍人ってのは因果な商売だね。ようやく平和になったんだから、あんたたちは生き急いだらいけないよ」

 

 その言葉に含められている深さと重さを理解し、ユリウスはグレーチェンを見返す。その少年の表情を観察した彼女が、不意に微笑を浮かべた。

 

「その様子だと、あたしの事情も知っているみたいだね」

 

 ちらりと向けられた女主人の視線を受け、グスタフは少し慌てたように首を横に振る。

 

「グスタフには確認を取っただけです。元からシュタインメッツ元帥の事績にも興味がありましたし、何より店の名前が名前ですので」

 

「……ああ、なるほどね」

 

 ユリウスの返事に苦笑して答えつつ、女主人は手に取ったグラスを口元で傾けた。

 

 そして彼女は、シュタインメッツと自身の過去についても、静かに語り始めたのだった。


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