「今日から次の段階の修行に移る!」
それは、ユーマの練の時間が三時間を超えた時に言われた言葉だった。突如言われた幻海の言葉に、ユーマは思わず目をパチパチと瞬かせる。
(なんだ? どうしたんだ、婆さん?)
頭の中でそんな事を考えたユーマであったが、直ぐに現在の経過時間を思い出す。そう、先日幻海とビスケに言い付けられていた、3時間という課題を、ついに越えることに成功したのだ。これでやっと、次の項目に進むことが出来る。
ユーマはそう考えると、僅かに笑みを浮かべようとするが
「はぁ、はぁ、はぁ……はぁ」
何かを言おうとはしているのだろうが、口から漏れる言葉は唯の荒い呼吸でしか無かった。身体を虐め、体の限界ギリギリまで追い込んでオーラを出していたのである。
そのため体力は等に磨り減り、今にも前のめりに倒れこんでしまいそうなのだ。
「次の段階では、今回のように三時間の練を行った状態で始める」
「今の状態で――って、ウグ」
「早く慣れるんだね、そのうちにドンドン負荷を上げていくんだ」
後ろ手に組んだ格好の幻海はユーマに言うと、首を動かして付いて来るように促した。ユーマは唇を噛みしめると、足元をフラフラとさせながら付いて行く。
「コッチは準備出来てるわさ。何時でも始められるわよ」
幻海について移動したユーマだが、彼を待っていたのはドンっ! と腰に手を当てて仁王立ちをしているビスケだった。
相変わらず身につけている服装はフリルの付いたドレスだったが、今日は髪の毛を頭の上でお団子状に纏めていて動きやすさを意識している。
「婆さん、どういうこと?」
「どうもこうも、これからビスケと組手をしてもらうのさ」
「組……手?」
「本当は、オーラを受け止める練習からさせようかと思ったんだけどね、お前はコッチの方が性に合ってそうだ。――お前、普段から私に挑戦してくる連中との試合を見てるだろ? 要は、それと同じことを、これからすりゃ良いのさ」
「これからって――」
幻海の言葉に、チラッとビスケを見るユーマ。
ビスケは何が楽しいのか、ユーマを見てはニマニマと笑っている。
『ピク』
瞬間、ユーマの脳裏に、ビスケが現れた初日の出来事が思い返されていく。軽くあしらわれ、その上アッサリと打ちのめされた苦い記憶だ。
それが思い返されると沸々と怒りがこみ上げ
「やるっ! ぶっ飛ばす!」
ユーマは、自身のやる気に火が付くのを感じていた。
まぁもっとも……やる気と結果が伴うかどうかは、また別の問題であるが。
なにせ
「――フェイントに引っかかり過ぎだわさ」
この日は勿論、
「無闇に突っ込み過ぎだわ」
次の日も
「もっと頭を使いなさいな! 首の上に乗っかってるのは飾りじゃないでしょうが!」
そのまた次の日も。
「オーラの動きから目を逸らさない! 相手の動き一つ一つに集中する!」
その先もずっと……。ユーマはビスケにぶっ飛ばされ続ける毎日だった。元々の身体能力の差もそうだが、オーラの総量、そしてそれ等を扱う技術的な差。それは一朝一夕で埋められるものではなく、ユーマは立ち向かう度に叩きのめされていく。
「クソッ! ゴチャゴチャと!」
口汚く言い返しながら、ユーマは向かっていっては負け、防御に回れば打ち崩され、奇襲をかけようとすればアッサリと叩き潰された。
しかし、1週間
「らぁッ!」
2週間、
「なめんなぁっ!」
と続ける内に
(この子供……。身体を動かしながらの訓練だと、成長が恐ろしく速い!?)
目の前で自分に殴りかかってくるユーマを見ながら、ビスケは内心で驚きの声を漏らしていた。
最初の数日は当然のように、殆ど太刀打ち出来ずに叩きのめされたユーマだったが、それも日にちが経つにつれて変化が見られるように成ったのだ。
ビスケの攻撃に素早く反応し、時には先読みまでする。
もっとも
「今日こそ叩きのめすぞ! 人間山脈――」
「調子に乗るんじゃないッ!!」
本気を出したビスケには程遠く、潰される時はアッという間に潰されるのだった。
ビスケにノサれたダメージもそうだが、何度も何度もオーラを放出し、其の都度にビスケの能力である『桃色吐息』で回復されるユーマだったが、それでもやはり限界は来る。
ビスケの能力である『桃色吐息』は、30分の施術で凡そ8時間睡眠と同等の効果が出る。ソレによって消費したオーラを回復することは可能なのだが、しかしオーラとは無尽蔵に湧くものではなく、当然のように有限エネルギーである。
本人の体力や精神力が低下すれば、ソレを操る精度も低下するし、肉体の防御機能も働いて多くのオーラを出すことは出来なくなってくる。
要はどういう事か? と言うと、飲み食いが出来なければオーラは回復しにくい――ということだ。
現在はビスケと幻海の二人は食事の用意(と言っても、例の君薬)のために席を外しており、ユーマは一人道場に残されて床の上に大の字になっていた。
「畜生……勝てねぇ。というか、マトモに一発も当てられない。……体力が違い過ぎるのか?」
呆然としながら天井を視るユーマは、本日の稽古(イジメ)の内容を思い出していた。ビスケの放つ攻撃の一つ一つ、こちらの攻撃に対する防御や捌き、時折織り込まれるフェイントやオーラの攻防力の移動等。
思い出してみれば、自分に足りない部分は数多く存在する。
「オーラの移動からして桁違いか……。先ずは、その辺りから埋めていかなきゃな」
倒れたままの状態でそう結論づけたユーマは、自身の感覚に集中してオーラの移動――『凝』を行っていく。
移動させるオーラの量を決め、初めはユックリと正確に、次第にその速度を難なく出来るようになれば、速度を徐々に上げていく。
「ダメだな、こんな速度じゃ少しも追いつけない。もっと、速く、もっと速くだ」
ブツブツと零しながら、オーラの移動を行っていくユーマ。体力が少なくなってきている影響でそのオーラに猛々しさはないが、しかし何というか……逆に緩やかに流れる水のような落ち着きが有った。
「良い具合に変化してきたね」
ユーマを遠目から見つめながら、幻海は小さな声で呟く。
その口元には薄っすらと笑みが浮かんでいた。
※
「ホラ! 簡単にフェイントに引っかからない! 前にも似たようなことを言ったわさ!」
「グッ!?」
威力を抑えたビスケの拳を紙一重で避けるユーマだが、僅かに掠ったことで皮膚が裂ける。
(オーラ量を見誤った! クソ!)
苛立ちを口にしながら、ユーマはギリッと歯を噛みしめる。
そして「よく見ろ、感じろ」と自身に言い聞かせながら、ビスケの動きを注視して対応を行っていく。
高速で行われるビスケの拳撃や蹴撃、そしてそれに伴う体捌き。それだけではなく、身体を流れるように移動していくオーラを感じ取りながら対応をするユーマは、本人が思っている以上に成長を続けている。
もっとも、相手がこの道云十年のベテラン。人間山脈のビスケでは、それを実感するまでもなく潰されるのが落ちである。
しかし、この日のユーマは其のことも含めて考えがあるようであった。
「フッ!」
軽い呼気と同時に、力強く踏み込んでくるビスケ。
ユーマはソレに併せるように、振りかぶった拳をビスケに目掛けて打ち放つ。しかし、
「甘い!」
ビスケも、そんな攻撃くらいは軽く対応してくる。
踏み込んだ勢いは其の侭に、身体を無理矢理に捻り込んでユーマの拳を皮一枚で避けた。するとビスケは既にユーマの懐へと入り込んでおり、ユーマが其のことに冷や汗を流す瞬間、
ダォンッ!!
と、とても人が殴られた時の音とは思えない様な打撃音が響き、ビスケの一撃がユーマの身体を吹き飛ばしていた。
ゴロゴロと転がるユーマだったが、直ぐに起き上がって片膝を着いた。防御の間に合わなかったユーマだったが、辛うじてオーラでの防御には成功したのか、今の一撃でも気を失ってしまうと言うことはなかったらしい。
「ハァ、ハァ、ハァ……グ、かは」
「徐々に動きは良くなってきてるけれど、まだまだ完璧には程遠いわね。ま、それでもその流の速度は大したものだけど」
膝をつき、下から見上げるようしているユーマに向かって、ビスケは近づきつつ言った。ビスケが近づくに連れ、床板を歩くビスケの足音がユーマの耳を刺激して、少しづつその気持を逸らせる。
(今日はまだ、こんなもんじゃねぇ。取って置きの一発を御見舞してやる……)
未だ闘志の萎えないユーマはビスケを力強く睨みつけながら、ビスケが十分に近づく其の瞬間を待っていた。
とは言え、
(ユーマの奴……あの顔は何か、良からぬことを考えてるようだわね)
その視線を受け止めているビスケには、ある程度バレていた。
流石にどのような事を企んでいるのかまでは解らないようだが、少なくともユーマが未だに闘る気であることだけは理解したらしい。
だが、
(ま、何をしてくるか面白そうでは在るからね。ここは、誘いに乗ってやろうじゃないのさ)
ビスケは敢えて、その誘いに乗って行くことにした。
少なくとも今のユーマとビスケの間には、実力に随分な開きが存在するからだ。
「――ただ、まだまだ虚実を見極める技術が追いついてないわね。本物と偽物の違いを、瞬間で把握できるようにしないと……」
ビスケはユーマに説明をしながら、スタスタとユーマへと近づいていく。近づけば近づくほどに、ユーマの闘る気が増しているからだ。
「聞いてるの? ユーマ――」
「うるせぇッ!」
胸を張り、ユーマとの距離が数mとなった頃、ビスケでも一息で間を詰める事が出来ない距離で、ユーマは行動を起こした。
片膝を着いた状態で、ビスケに向かって銃に見立てた人差し指を突き付けている。しかも、其の指先には今まで『隠』という、オーラを隠す技術で抑えていたのだろう、高密度に圧縮されたオーラが渦巻いていた。
「ぶっ飛べぇ! 人間山脈!!」
ドォオンッ!!
声を張り上げた瞬間に、ユーマの指先からオーラの弾丸が発射される。これが、ユーマが隠していた秘策の種だった。
先日、自身が放出系であると聞かされてから、ユーマが子供なりに考えた結果である。
撃つ瞬間を相手に抑えられない様にするため、ある程度離れた距離。
今までのビスケの動きから、避けることの出来ないであろう弾速。
そして強かにダメージを与えてやろう――と放った、オーラの弾丸である。
撃った瞬間、ユーマは口元を緩めて笑みを零そうとした。
当たる、倒せる、そう思ったからこそである。それ程に、ユーマはこのタイミングを完璧だと踏んだのだった。
まぁ、何か問題が在るとすれば……それは、ビスケの実力を過小評価していたと言うことだろう。
撃ち放たれたオーラを前に、ビスケの行動は冷静で素早く、そしてスムーズだった。何故なら、
「ハァアーッ!!」
ゴッバン!!
ビスケは飛んできた弾丸を、気合の一声と同時に殴り、弾き飛ばしたのだから。
「なっ!?」
余りのことに絶句をするユーマ。弾かれた弾丸は明後日の方向へと飛んでいき、道場の壁に大きな穴を作る。しかし、必殺のつもりで撃ったユーマにしてみれば、それは有り得ない光景であった。
「うそ……だろ?」
思わず口を付いて出た言葉だったが、目の前でビスケが殆ど無傷で立っている以上、それはどうしようもない現実である。
「ふぅ、放出系だからオーラの弾丸か。発想は貧困だけど……ま、威力に関しては中々だったわね」
オーラを殴り飛ばした腕をプラプラと振りながら、ビスケはニコッと笑みを浮かべている。もっとも、ソレを向けられているユーマにしてみれば、何も面白いことなどアリはしない。
「ビスケ、お前……今まで手を抜いて闘ってたのか?」
「うん? 当たり前でしょう。私が本気で闘ってたら、今のアンタなんて一瞬で粉々になってるわさ」
「……こ、粉々」
「でもまぁ、正直な所さっきの一撃はちょっと危なかったわね。弾いた腕がまだ痺れてるし、前に見たことが在る技じゃなかったら貰ってたかもしれないわ」
「え? 見たことが、在るのか?」
驚いたように、急に目をパチクリとさせるユーマ。
しかし逆にビスケは首を傾げ、不思議そうな表情に成る。
「だって今のは、幻海が得意にしてる技の一つじゃないのさ。私は幻海と付き合い長いし、ソレくらいの技なら見たこと在るわよ」
「婆さんと、同じ技?」
「あれ? だって、ユーマも見たことがあるんでしょ?」
「……ねぇよ」
ユーマの答えに一瞬だけ驚いたビスケであるが、直ぐに表情を変えて小さく「へぇ」と呟いた。そして首を捻ると、今度は視線を幻海へと向ける。
「幻海?」
「なんだい、ビスケ?」
「ユーマの奴、自分で今の技に辿り着いたみたいだわよ。しかも、オーラの量に対して威力はカナリ高い」
「アイツの性質に合ってたんだろうね」
「まぁ、そうなのかもしれないけれど――ねッ!」
幻海との会話中に突然、ビスケは首を勢い良く横へと振って裏拳を放つ。
するとビスケの頭が有った場所をユーマの拳が通り過ぎ、裏拳はユーマを強かに打ち付けた。
「グガァ!?」
今度はオーラの防御も間に合わなかったらしく、ユーマは床板の上を滑るようにして転がっていった。ビスケはユーマの様子を確認し、這い蹲っているところを見ると溜息を漏らす。
「勝負中に余所見をする方が悪い――って、私もそうは思うけど、だからってヤラれて良い気はしなわさ」
ユーマを見下ろしながら、フンっと鼻を鳴らしたビスケ。ユーマはビスケに睨まれながら、
「クソ……がっ」
そう捨て台詞を残して、今度こそ意識を失うのだった。
ドサッと崩れ落ちるユーマを尻目に、ビスケは呆れを通り越して酷くガッカリしたような表情を幻海へと向ける。
「センスは良い、才能だって有る。……けどさ、幻海。私はやっぱり、失敗だったと思うわよ。コイツを弟子にしたことに関しては」
他人の弟子についてどうこうと、余り文句を言うべきでは無いのかも知れない。そう考えながらも、ビスケは幻海に言わずにはいられなかった。
ビスケは何も、爪先から頭までガチガチに固まった真面目君が良い――とは、思っては居ない。ただ単純に、ユーマの行動は礼に欠きすぎると思っているのだ。少なくとも教わる者の立場として、ある程度は低頭するべきだと。
しかし、そんなビスケの考えを、幻海は鼻で笑う。
「ビスケ、いつからアンタは、一端の教育者に成ったんだい?」
「教育者? 何言ってるのよ?」
「お前さんの言い様は、まるで悪い生徒の愚痴をこぼす、小学校の教師みたいだよ?」
「あのねぇ、幻海。私はコレでも、アンタのことを心配してるんじゃないのさ」
幻海の言い様にカチンと来たのか、ビスケはムスッとして言い返す。しかし、幻海がそれで堪えるわけでもない。
「前に言っただろビスケ? もしもの時は、私が自分でケリを付けるってね。」
「そりゃ言ったけどね、でもだからって、許容出来る範囲ってモンが有るでしょうが?」
「お前さんの、許容出来る範囲を超えたってのかい?」
「別に超えちゃいないわよ。さっきも言ったとおり、ただ心配をしてるだけだわさ」
「……心配ねぇ」
フン! と鼻を鳴らしてそっぽを向くビスケに、幻海はニヤニヤと笑みを浮かべた。
相手の反応に、随分と面白がっているようである。ビスケは幻海の表情に「ムー」っと唸るようにするが、途端に「はぁ……」と溜め息を吐いた。
「解ったわよ。まぁ……本当は、どうして? って気持ちが強いのかもしれないわね。だって、アンタは霊光波動拳の幻海よ? それこそアンタの技を身に付けたい――弟子になりたい――って奴は幾らでも居る。にも関わらず、どうしてこの坊主なのか? ってね」
「弟子にしたのがユーマだった理由かい? そうさね……他の奴らが駄目だった理由は、面白くないから、かもね」
「面白く、ない?」
納得の行く答えではなかったのだろうか? ビスケは不思議そうに首を傾げる。しかし幻海は何かを思い出すような表情を浮かべて、何やら疲れたような口調で言う。
「どいつもこいつも、やれ『幻海師範に於かれましては――』だの、『是非とも噂に名高い幻海師範に御教授を――』だのと、聞こえの良いコトばかり口にする。アタシは、そう云う表面だけを取り繕おうってのは大嫌いなんだ」
「それは、確かにそうだったわね。有名人だもんね、アンタってば」
自分も経験があるのだろう、ビスケは幻海の言葉に同意する。もっとも、ビスケの場合はそういうことが解った上で、相手を良いように扱う趣味が有るのだが。
「でもまぁ、ユーマの奴にも、そろそろガス抜きが必要かもしれないねぇ」
「そうだわね。今度、アンタに試合を申し込んで来るような阿呆の相手を、ユーマにヤラせてみたら?」
「そうするか。今のユーマなら、普通の人間が相手なら素の状態でも先ず負けないだろうしね」
と、ユーマが気絶をしている間に、今後のことが決まっていくのであった。