私の使い魔は最後の人類   作:[ysk]a

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二節

 どうしてこんなことに。

 先程からルイズの思考を埋め尽くすその言葉に、答えはない。

 気がついたら、というか、いつの間にか、というか。

 とにかく、ルイズの全く意図していなかったこの事態は、おおよそ最悪に近い状況と言って良かった。

 スズリの広場。昼食と使い魔との懇親を兼ねたそのささやかな食事会は、当初予定通りに恙無く進行していた。

 ルイズにとっても、それまで行方知れずであった使い魔の方から出向いてきたことや、軽くではあるが互いにコミュニケーションを図れたのは願ってもいない展開であったし、ある程度自分の使い魔である少女―――ステラの為人を知ることができたのは非常に大きな収穫であったと言える。

 

 だが、気がつけば、目の前の乱痴気騒ぎである。

 

 ステラと、とある一人の少年貴族を中心に、その周りを懇親会に出席していた生徒達のみならず、騒ぎを聞きつけてやってきた野次馬達が十重二十重に取り囲んでいる。

 中央で対峙する二人は、これから決闘を行わねばならないのだ。

 これは、この状況は。

 ルイズにとって到底許容できるものではないし、ましてや黙認するなどできるはずもないのに、周囲はその"水差し"を決して認めてはくれなかった。

 今やこの場にいる大半の生徒達は、まるで大量の薪をくべられて燃え盛る炎のように、これから行われる決闘という非日常的な行事に沸いている。もはや、この勢いを止める事はたかが"落ちこぼれ"一人の力では到底無理な領域にまで及んでいた。

 

 

 

「負けるなよギーシュ!!」

「貴族の礼儀を叩き込んでやれー!」

 

 

 

 事情も知らずに好き勝手喚く外野に、ルイズは頭痛に加えて目眩すら覚える。どうしてこうも脳みその足りないバカどもしかいないのだろうか。

 いや、例えまともな人間がいたとしても、この喧騒にわざわざ水をかけるような真似はしないだろう。藪をつついて蛇を出すなど愚者の行為なのだから。

 証拠にあのツェルプストーや、鉄面皮のタバサを始めとした"賢明な思考"の持ち主達は、熱に浮かされている輪から一定の距離を保って離れており、事の成り行きを静かに、しかし興味深そうに見守っている。

 その判断が間違っているとは思わない。むしろ、賢明な思考の持ち主であれば誰だってそーする。自分だってそーする。

 そう思えばこそ、藪どころか蛇そのものを足蹴にしたと言っていい己の使い魔の所業に、ルイズはどうしようもない苛立ちを覚える。

 つい先程までは平和極まりなかった懇親会が、どうしてこのような乱痴気騒ぎへと変貌したのか……。 

 事の切欠は、実に――――実に些細極まりない事であった。

 

 

 

 

 

 午前の授業の間から昼食の時間、その短い間に懇親会の準備は主にメイド達によって密やかに進められていた。

 新二年生だけとはいえ、その準備の量は決して少ないものではない。ましてや、昼食の準備を進めながら懇親会の準備を並行して行うというのは、おおよそ過剰労働とも言える領域だ。

 それでも、ルイズ達が軽く食事を摂り終えるまでに準備を整えてのけたのは、さすがといえよう。

 準備の疲れをおくびにも出さないメイドに案内されて、会場であるスズリの広場までやってきたルイズ含む新二年生達は、到着するなり各々好きなようにグループを作り、誰が何を言うでもなく懇親会という名のお茶会を始めている。

 無論、トリステイン魔法学院におけるボッチ代表ことルイズ・フランソワーズ嬢は、そんじょそこらの凡百貴族とは違い群れることを好まないがために、あえて―――そう、あ え て、会場の隅っこ、それもなるべく人目が避けられる場所に一人陣取り、優雅に紅茶を嗜んでいる。

 見た目は優雅その物。まさに大貴族の令嬢としてこれ以上ない程淑やかに、それでいて雅やかな物腰は、魔法の才能という一点にさえ目を瞑れば、おそらく男共からの引く手は数多であったことだろう。残念ながらそれは妄想であり、現実は非情であることをルイズは身を以て知っているが。

 

 さて、そんなルイズであるが、見た目こそ淑女バリバリあたくしこれでも貴族ですのよオーラ全開であったが、内心は王都の裏通りのゴロツキ共とて及ばない、黒々とした怨念を渦巻かせていた。

 何のことはない、昨日召喚し、今朝方ふらりと姿を消した己の使い魔の行方が、とんと掴めないのだ。

 故に、これからどうやってあの気まぐれわがまま猫のような、非常にめんっどくさい使い魔を見つけ出したものかと悩んでいたのである。

 まぁ、この場に使い魔を連れていないからと彼方此方でヒソヒソと何か言われていたりしても気にはしない。慣れきっているのもあるし、今は何よりも、あのアホ猫を見つけ出すことのほうが重要だからだ。

 ともあれ、お茶会の会場にやってきて、何もせずに去るのは忍びない。せめて紅茶の一杯でも頂いてから探すとしよう。

 そう心に決め、今に至る次第。

 

 ソーサーを片手に、カップを傾け紅茶の香りを楽しむ。甘い芳醇な香りと、澄み切った濃い目の紅色は、この紅茶を入れた使用人の腕前の良さを表している。

 使われている茶葉の等級は、恐らくブロークン・オレンジ・ペコーだろう。

 この懇親会を準備する時間はそれなりにあったであろうが、生徒達が揃い、スイーツを配るのに合わせて紅茶を振舞うとすれば、できるだけ抽出にタイムラグのないものがいい。そういう意味では、大きめの茶葉よりも抽出時間が短くて済む細かい茶葉が向いている。

 ただ、慣れていない者が淹れると、蒸らしすぎやあるいはその逆の理由で失敗してしまうこともままある。微妙な判断力と経験が必要であるという点では、扱いがやや難しいと言えるだろう。

 そして無論のことながら、ここ/トリステイン魔法学院の使用人に当然そのような粗忽者は存在しない。万が一存在しようものなら、七面倒な事態になるのが目に見えているのだから。

 フフン、それでも実家のソレとはレベルが落ちるけど、などとちょっとだけ優越感を覚えるルイズは、その紅茶が醸す芳醇な香りを楽しみながら、次いでゆっくりとその濃紅色の液体を口に含む。含んでしまった。

 

 

 

「見つけた、ルイズ」

「ぶーーーーッ!!!?!?」

 

 

 

 口に含んだばかりの紅茶をはしたなく吹き出してしまったのは、どうしようもない。不可抗力である。定められた運命という名の悪戯である。

 今の光景を母上に見られなかったことを始祖ブリミルに感謝しながら、ルイズは汚れた顔をハンケチーフで拭いながら振り返った。

 振り返った先に立っていたのは、つい今さっきまでどう探したものかと思案していた件の人物。いや、使い魔。

 

 

 

「なな、あああな、なぁああ!!」

「? どうしたの、ルイズ?」

「あんた!! ステラ!!!」

「なに?」

 

 

 

 言葉にならない震えをどうにか制御して、やっとの思いで使い魔の名前を叫ぶルイズ。

 そして、それをきょとんと小首を傾げながら、いかにも不思議そうな表情で返事を返す使い魔/ステラ。

 その能天気な受け答えっぷりに、ルイズの顔がたちまち手に持つ紅茶の色に負けず劣らず、真っ赤な色へと染まっていく。

 しかしルイズはそこで深呼吸をすることにした。ゆっくりとカップとソーサーをテーブルに戻し、落ち着け、落ち着くのよルイズ。ヴァリエールの淑女は狼狽えない。決して狼狽えたりなんか――――。

 

 

 

「ッ~~~すぅ~……はぁ~~………」

「どうかした?」

「どうしたもこうしたもあるもんですかこのアホ猫!!」

 

 

 

 しかし無理でした。ヴァリエールの女は癇癪持ち。それは誰もが知っているし、誰にも変えられない。

 元来怒りっぽいルイズがここまで我慢できただけでも奇跡なのだ。周囲で何事かと見守る生徒諸君からしてみれば、むしろ「おお、あのルイズが一瞬我慢した」と感心するほどに。

 だが、結局は"一瞬"の事。次の瞬間には犬歯を剥き出しにしてうがぁあ!!と、ルイズは噛み付かんばかりの勢いでステラの着る黒衣の襟元を掴み詰め寄る。

 それに対し、ステラは更に無表情なのに不思議そうという高等な感情表現をしてみせた。

 

 

 

「猫?」

「あんたの事よこのアホ使い魔!? 一体今までどこほっつき歩いてたの! 私がアンタをどう探そうかどれほど悩んでいたことか―――ッ!」

「…………あぁ」

「理解したようね。まったく、アンタね、私の使い魔のくせに主人をほったらかしてほっつき回るなんて、使い魔としての自覚が――――」

「寂しかった?」

「な――――にがっ! どうしてっ! そうなるのっ!! 違うに決まってんでしょーがっっ!!」

「……違うんだ」

 

 

 

 一言一言力強く吐き出しながら怒鳴り散らすルイズを、しかしステラはどことなく寂しそうな雰囲気で迎えた。心なしかツインテールがしおれているような気がする。

 なぜそこでしょんぼりする。ルイズはとことん目の前の使い魔の考えていることが理解できなかった。

 その落ち込み様はまるで急転直下の落差であり、何故だかそのまま傷心自殺でもしそうなほどの悲しみを背負い始めている。

 そのあまりにも予想外な反応に、沸騰していたルイズの頭は強制的に瞬間冷却されてしまった。

 さすがにいかなルイズといえど、雨降りしきる中捨て置かれた子猫のような目をする少女に対し、それ以上の追撃を行うのは憚られる。

 仕方ないので、ひとまず咳払いを一つ。次いで、掴んでいた襟を離し、一歩距離を取って再び椅子に座る。少しでも主人としての威厳を示そうとささやか極まりない胸を張り、自分より頭一つ分身長が高い使い魔を見上げる。それぐらいしかできなかった。

 

 

 

「それで、アンタ今まで一体どこで何してたワケ?」

「……私?」

「他に誰がいるのよ」

「そうだね」

 

 

 

 少しだけ、先ほどのネガティブオーラが弱まったような気がする。心なしか、笑っているように見えなくもなくもないような気がしないでもない。

 というか、今の問答のどこにホッとする要素があったというのだろう。

 やっぱり、この使い魔の考えていることはさっぱりわからない。ルイズは気が重くなった。

 

 

 

「観察してた」

「観察?」

「うん。この建物、周囲の地形、星の配置。あと――――この世界の人間」

 

 

 

 なんでわざわざそんなことを。

 反射的にそう問いただしかけて、ルイズはすぐに思いとどまった。

 代わりに、端的な問を投げかける。

 

 

 

「…………それで?」

「……」

 

 

 

 既に、ルイズはこのステラという少女が物狂いの類ではないことを理解していた。

 奇人変人の類ではあるかもしれないが、それでも学院のあちこちに転がっているような貴族の風上にもおけない"擬き"共よりはるかに聡明で、その蒼い瞳の奥に深い知性を湛えているのを読み取っていたからである。

 真に賢しい人間とは、その瞳の奥に澄み切った宝石を持つ。対照的に、愚昧で下劣な人間の瞳はドブのように濁りきっている。

 幼い頃から貴族社会の、それも超上流階級の世界に入り浸り、加えてその"才能"により畜生の糞便よりも汚らわしい人の暗黒面を見てきたが故に、ルイズは望まずともそういった"審美眼"を養っていた。養わざるを得なかった。

 そして気がつけば、ルイズは一目その人物の瞳を見れば、その本性が"賢人"か"愚者"かを判別することができるようになっていた。

 その審美眼が告げるのだ。この少女は、決して愚者などではない、と。

 故に、その次に継げられた言葉に、ルイズは言葉なく納得する。

 

 

 

「――――すごいね。たくさん人間がいるって、本当はすごい事なんだって――――そう思った」

「……」

 

 

 

 その言葉は、決してふざけているものではない。

 真面目に、純粋に、ステラはそう思ったからこそ、端的にそう述べたのだ

 

 

―――――「着飾る美人は美しい。だが、飾らぬ美人に勝ることはない」

 

 

 とある高名な、ガリアの肖像画家(無論、裸婦画がメインである)の残した言葉であるが、ルイズはその言葉に大きな感銘を受けた。

 言葉も同じで、あれこれと余計な修飾の混じった言葉よりも、ただ一言の本心から溢れる賛辞こそが本質なのだ。そして、本質である言葉に勝る美辞麗句はない。それが、ルイズの持論である。

 ステラはただ一言、感極まった面持ちで"すごい"とだけ言った。

 その一言には、言葉通りの"万感"が込められている。

 同時にルイズは、目の前の少女が、ここハルケギニアとは異なる"異世界"からやってきた"最後の人類"であることを思い出す。

 どう考えても誇大妄想甚だしい妄言であるが、そういう背景があると仮定すれば――――いや、違う。

 彼女の語った言葉は、正しい。正しいがゆえに、今の短い一言がこんなにも胸に強く突き刺さるのだ。

 もし、仮に。

 

 このルイズ・フランソワーズが、ここハルケギニアで"ただ独り"の存在となったことを想像してみる。

 

 …………それは、とてもとても、恐ろしい世界だ。

 怖いとか、寂しいとか、そういった感情を全てかき集めても表現しきれないほど、恐ろしい世界だ。

 幼い頃、あのヴァリエールの城で独り取り残された事があったが、あの時の孤独感を思えば――――それすらも上回る孤独を想い、ルイズは考えるのをやめた。

 そんな世界を、目の前の使い魔は本当に独りで生き抜いてきたというのか。

 ……バカバカしい。そんなこと、あり得るはずがない。

 単に、人の極端に少ない田舎で暮らしていただけだ。そうに違いない。

 

 でも、ちょっぴり。

 ほんのちょっとだけ。

 

 この使い魔の言葉を真面目に捉えてあげてもいいのかもしれない――――そう思えるくらいには、ルイズは目の前の使い魔を受け入れ始めていた。

 ただ、聞いておいて黙っているのも失礼なものである。ルイズは、ひとまず(ルイズにとって)当たり障りのない言葉を返すことで、内心の戸惑いを誤魔化した。。

 

 

 

「アンタ、ほんとに田舎者なのね」

「?」

「……ま、いいわ。とりあえず、そっちに座ったら? 今後の事でいろいろ話さないといけないし」

「うん」

「そこの貴方、ちょっといいかしら?」

 

 

 

 素直にルイズの指示に従って対面に座るステラ。

 合わせて、ルイズは近くを通りかかったメイドを呼び止める。ちょうど下げ物を片付けようとしていたところらしく、手で引くキッチンワゴンには食べ残しや空の皿が載っていた。

 立ち止まったのは、そばかすがうっすらと残る、この学院では非常に珍しい黒髪の少女だ。引いていたワゴンから手を離し、姿勢よくルイズ達のテーブルまで近づいてくる姿には、長年この学校で過ごしてきた慣れが感じられる。

 どこの地方から奉公に来たのかはわからないが、"悪趣味"な貴族に目をつけられようものなら、そのまま"お持ち帰り"されてしまいかねない容姿だな、とルイズは心の端で思った。 

 

 

 

「タルトを二人分お願い。あと、こっちの子にこう「ミルク、ある?」…………ミルクをお願い」

「かしこまりました」

 

 

 

 受け答えはしっかりしたもので、深々とお辞儀をすると、静かにその場から去って行った。

 なお、その間ルイズは終始そのメイドのとある部位を白い眼で見ていたのだが――――そのメイドが立ち去るや否や、ルイズはその記憶を(無意識に)抹消。思考をすぐにもう一つの案件へと移した。 

 

 

 

「……アンタね、なんでまたミルクなのよ」

「飲んでみたかったから。変?」

「別に、変ってわけじゃないけど……飲んでみたかったって、もしかして飲んだこと無いの?」

「違う。ここの文化様式から、牛乳が飲料食品として普及しているのか気になったから」

「? 変な事気にするのね、アンタ」

「そう?」

「自覚がない時点で十分変よ」

「そうなんだ」

 

 

 

 ルイズは、自身の考えとステラとの考えに食い違いがあることに気付かないまま、ステラを"相変わらず変なことを言う使い魔"という程度にしか受け止めていなかった。

 そのすれ違いはステラにも言えたことであり、この時ステラが考えていたのは"文化様式と実際の発展度合の参考に、元の世界の史実は信憑性に欠ける"というものである。

 つまるところ、この世界の見た目と、ステラの知識が一致していないという事実を確認するためであったのだ。

 ステラのいた元の世界において、牛乳が飲み物として当たり前になったのはおよそ19世紀の半ばより終わり。それも、ようやく普及し始めたという程度で、一般家庭の日常の飲料として広まるにはもう少し時間が必要であった。

 しかし、先ほどステラがざっと周囲を観察して見たところ、転々とではあるが、テーブルの上に牛乳と思われる飲み物の存在が確認できた。

 この世界の見た目――つまり、予想文化発展度――と、それに類するステラの時代のソレと比べた場合、まだ飲料物としての牛乳は普及していないはずだ。

 だが、現実にはほぼ一般的といえるレベルで流通しているらしく、おおよそ元の世界における文化発展度との類似点は、それほど当てにならないと考えていいだろう。そういう結論に達したのである。

 当然のことながら、それを一々ルイズに説明するステラでもなく、こうしてお互いに認識の食い違いがまたしても生まれてしまったのだが。

 

 

 

「それはそうと、アンタの言動を見ててものすごく不安になったから聞くんだけど……アンタ、貴族の意味わかってる?」

「君主から社会的特権を与えられた、特定の領地を支配する階級の人間」

「君主を始祖ブリミル、社会的特権ていうのを魔法に置き換えたら、まぁ概ねそんなところかしら……なんでか辞書っぽい説明にそこはかとなく不安を覚えたけど。ついでに補足しておくと、魔法を使えるかどうかは貴族足りうるための大前提よ」

「魔法が使えないと、貴族じゃない?」

「当然でしょ。というか、むしろソレが先にあったから、メイジは貴族になったの。隣のゲルマニアはちょっと違うけど、基本的にココ/ハルケギニアじゃ、魔法が使えなきゃ貴族としてはどうあっても認められないわ」

「逆に、魔法が使えても貴族とは限らない?」

「――――っ」

 

 

 

 するっと、抑揚なく尋ねられたその言葉に、ルイズは一時息を呑む。今の少ない説明で、そこまで理解してもらえるとは全く思っていなかっただけに、その鋭い考察の一言に、ルイズは驚かざるを得なかった。

 だが、それを悟られるぬよう表情を崩さず、少しだけごまかす意味を伴ってすっかり冷めてしまった紅茶を一口含んだ。

 

 

 

「…………その通りよ」

「なら、この学校は魔法が使えて、貴族になるための施設なんだね」

「ご明察。ま、そのうち何人が"真の貴族"足り得ているかは知らないけど」

「"真の貴族"?」

 

 

 嘲るつもり半分、自嘲を半分こめて、ルイズは嘲笑し、ステラが首を傾げて問いかける。

 別に、自分こそが"真の貴族"だと豪語するつもりはないが、しかし、外面ばかり気にして中身が伴わない"貴族擬き"ではないことだけは確信を持って言える。

 魔法が使えない以上、それは譲れぬ最後の矜持だ。由緒あるヴァリエールの娘として、栄えあるトリステインの公爵家の娘として、その程度の教養は持っているつもりである。だが、その一点故に、ルイズ・フランソワーズという人間は決して"真の貴族"足りえることはできない。それが、酷く歯痒い。

 それを目の前の使い魔の少女に言ったところで、理解してくれるかどうかはわからないので口にはしなかったが。

 

 そこで、メイドがルイズの注文した品を運んできた。

 

 今度は先ほどとは異なり、食器類を銀のトレイに載せている。

 手際よく、それでいて品よくトレイの上の物をテーブルに並べ、最後にタルトの乗った皿を置くと、再び静かに「何かあればお申し付けください」と残し、去っていった。存在は奇妙な程に印象的なのに、意識的に見ていなければ印象に残らない立ち振る舞いは、ルイズから見てもメイドとして良く洗練されているように見えた。

 

 

 

「資格だけじゃない。誇りと責任、そして覚悟を背負っている貴族の事よ」

「……よく、わからない。私は、まだこの世界の――――ルイズのいう"貴族"が何かわからない」

「そんなに難しいことじゃないわ。ま、アンタもしばらくここで暮らせばおいおいわかるでしょ。なんせ貴族しかいない魔法学院でしばらく暮らすんだし」

「そう。じゃぁ、そうする」

「少なくとも、私はそうあろうと努力しているし、実技はともかく座学は学年首位よ。…………でなきゃ、みんなに合わせる顔がないもの」

「ルイズは、努力家なんだね」

「とーぜんっ。由緒あるヴァリエール家の三女ですもの」

「小さいのにすごいね」

「むかっ」

 

 

 

 意外に飲み込みの早い使い魔だし、最後に主を褒めるあたりはそれなりに躾ができたような気がする。でも最後の余計な一言は無視できない。

 それは、ルイズの怒りが一瞬で沸点に達するには十分すぎる理由だった。特に最後の余計な一言が。

 ゆえに、我慢しようにも我慢できなかった怒りをぶちまけるのに、間は必要なかった。

 

 

 

「うっさいわねちっさいからってぬわんなのよ!?! そう言うあんただってちっさいでしょ! 身長ばっかりおっきいけど胸は私と同レベルじゃない!」

「? ごめん、ルイズが何で怒ってるのか理解できない」

「!?」

 

 

 胸の大小を気にしていない……ですって……!?

 これまで遭遇したことのないその価値観に、ルイズは刹那、頭を横殴りにされたかのような衝撃を覚えた。

 行く先々で、魔法が使えないことを笑われ、そこから派生して毎回と言っていいほどこの幼児体型すらも笑われ、もはや魔法の才能と併せて体型すらもコンプレックスその物になっていただけに、今のステラの発言には理解しがたいものがある。

 加えて、ステラは終始真顔だ。無表情に真剣さを貼り付け、それでいて馬鹿正直にその本音を吐露するものだから、その淡々とした迫力にルイズは自身の価値観に疑問を抱いてしまう。

 おっぱいは大きいほうが正義。それは誰が言ったか覚えてすらいないが、事実だと思っていた。

 それは、あのエレオノール姉さまが尽く婚約話を破談にされる中、必ずと言っていいほど不満に上がる問題点の一つでも在るのだ。なんど姉さまが「にくい。あのやまのような脂肪の塊がにくい」と呪詛を唱えていたことか―――思い出すだけで身震いがする。

 なのに、その世界の真理を打ち壊して余りある説得力が、この使い魔にはあr―――――

 

 

 

「ってちっがーう!! なんでそんなアホな事を真剣に考えだしてるの私!?」

「どうかした?」

「あんたと話してると頭がおかしくなるってことよ!」

「価値基準が深刻なレベルで違うからだと思う。だからこうやって擦り合わせをしている」

「……はぁ」

 

 

 

 相変わらず無表情なままバカ真面目にそんなことを言われては、ルイズはそれ以上怒鳴ることができなかった。

 空になった皿をどかし、ぐでーっとテーブルに突っ伏する。

 たった数分会話しただけでこれだけの疲労度だ。このアホ使い魔がルイズの価値基準に"擦り寄る"までの苦労を想像して、もう一度、しかし今度は今さっきのとは比較にならない大きな溜息を吐く。

 

 

 

「はぁあああ~~~~~~………なんだってアンタみたいなのが召喚されちゃうのよ」

「……迷惑だった?」

 

 

 

 ドキッとするほど、悲しそうにそんなことを聞かれる。

 ルイズは少しだけ、軽率だった自分の発言を反省するが、誤魔化すようにそっぽを向いて、小さく「……………そうね。でも、感謝してるわ」と呟く。

 ただ、それだけで終わらず、「アンタでも召喚されてくれなかったら、私今頃退学させられてただろうし」と憎まれ口風にもごもごと呟いてしまうのが、ルイズらしいといえばらしい。

 ステラは少しだけ微笑んで、しかしはっきりと言った。

 

 

 

「私は、ルイズに召喚されてよかった。そうじゃなかったら、今頃死んでたから」

「……だから、真顔でそんなぶっ飛んだことを淡々と言うのやめなさい」

 

 

 

 冗談じゃないだろうから心臓に悪いのよ。

 つまるところ、目の前の少女は、ちょっとばかし――と言っていいものか悩みどころではあるが――思考が予測不能な方向にぶっ飛んでいるだけであり、ついでに価値観がこちらと全く違うだけなのだ。それが元々暮らしていた"世界"とやらでの影響なのか、少女が元々備えていた素養なのかはわからないが、少なくとも常人を相手するというよりも、何も知らない赤ん坊を相手にすると考えたほうが、精神衛生上いいのかもしれない。 

 また、何事もバカ正直に受け止めて、それが虚偽なのか戯言なのかの判別ができない。だから、言うこと全てが嘘も偽りもごまかしもなく、全てが本音なのだ。その癖に、妙な具合に頭の回転が――それも恐ろしく――早い。

 たった一日に満たない時間、しかも会話を交わしたのは半日にも満たないにもかかわらず、ルイズは持ち前の洞察力で、目の前の使い魔の少女/ステラをそこまで分析していた。

 

 だが、そんな自身の観察が正しいとして。

 ステラの言う、今の言葉。

 

  "今頃死んでいた"

 

 それはつまり。

 本当に本気で、死のうとしていたのだろうか……?

 

 

 

「……」

 

 

  

 再び考えるのは、先ほど思考することを中断した"孤独な世界"の事だ。

 もしも本当に、世界でたった一人の生活を続けていたのだとしたら、ステラが言った言葉に理解が及ばないわけではない。

 何年も広大な世界でたった独りで暮らし続け、自分以外に誰もいない―――――いっそ、死にたいと思えるほどの孤独。

 

 ぶるり、と。

 

 ルイズは思わず背筋を這うような寒気に襲われ、勢いよく頭を振ってその思索を投げ出した。やはり、考えたくない。

 代わりに、この少女を召喚した事実について考える。

 今のところ召喚したメリットが"二年への進級"しかない以上、素直にこの出会いを喜ぶこともできない。ヘタをすれば、デメリットが上回りかねないのだから。

 たしかに人間を召喚したのはすごいことかもしれない。ルイズの記憶が正しければ、有史以来、ハルケギニアにおいて人間を召喚した事例など数える程しかないはずだ。

 ―――少しだけ、そのことに引っ掛かりを覚えるが、今は無視した。

 それよりも。

 いくら自分が希少な事例を引き当てたとは言え、召喚したのが自身と対して年齢の変わらない、ましてやメイジでもない平民の少女というのは、あまりにも醜聞につながりかねない事実である。

 できれば、他の使い魔なんかにはないような特技でも持っていてくれると、それだけでも慰めになるのだけれど……。

  

 会話は一旦そこで止まる。

 ルイズは体を起こして、いつのまにか入れ替えられた湯気が昇る紅茶を飲み、ステラはようやく思い出したかのように、目の前で若干温くなっていたミルクを飲んだ。

 しかし、ルイズの驚きは、ここから始まる。

 ことり、と小さく音を立ててカップをおいたステラは、次に皿の上のタルトを、目の前にあるフォークとナイフを無視して、鷲掴みにした。

 ぎょっ!とルイズが目を見開く。あまりの事態に、驚きすぎて声が出ないのだ。

 ルイズが驚く間にも、ステラはそのまま鷲掴みにしたタルトを口へと運び。

 

―――――あむ。もっきゅもっきゅもっきゅ…………ごっくん。

 

 と、一口で平らげてしまう。

 一瞬の出来事だった。唐突すぎる行動だった。想像のはるか斜め上を行くその蛮行に、ルイズは絶句するしかない。礼儀作法という言葉が羽をもってどこかへと飛び去っていく音がした。

 しかし、ルイズは後に後悔する。どうしてこの時、このアホ使い魔の頭をド突き回してでも止めなかったのか、と。

 無表情に8分の1カットされたタルトを一口で平らげたステラは、一瞬だけ惚けたようにぼーっとしたが、しかしすぐに我を取り戻したのか、静かにルイズに問いかけた。

 

 

 

「……ルイズ。もっと食べていい?」

「……へ?」

「もっと、食べて、いい?」

「え、ええ……それは、いいけど……」

 

 

 

 妙な迫力があったせいで、思わず頷いてしまうルイズ。ステラの瞳が爛々と輝いているのは決して気のせいではないだろう。

 そして、ルイズの承諾を得たステラの行動は、まさに電光石火だった。

 先程ルイズがそうしたように、その左手を高く挙げる。

 数刻とおかず、すぐさま先程タルトを運んできたメイドがやってきた。

 

 

 

「御用命でございますか?」

「さっきくれたこれ、まだある?」

「は、はい」

 

 

 

 どうやらメイドも、ステラの迫力に押されたらしい。若干声が震えていた。

 

 

 

「もっと食べたい」

「おいくつ、お持ち致しましょう?」

「あるだけ全部」

「―――」

 

 

 

 メイドが絶句する。

 縋るようにルイズを見るが、ルイズもどんな表情をしていいか分からず、傍から見ていればメイドと同じような表情でメイドを見返していた。

 どうしましょう?

 どうしたらいいのよ?

 そんな心の会話が聞こえてくるようである。

 しかし、ステラはそんなメイドの沈黙を別の意味で捉えていた。

 

 

 

「?? 言い方が違うのかな。今持ってきてくれたの、あるだけ全て。私が食べる」

「で、ですが、全てと言われますと、さすがにそれをお一人でというのは……」

「食べれる。持ってきて。可及的速やかに」

「……か、かしこまりました」

「ん、お願い」

 

 

 

 冷や汗を流しながら、メイドが静々と下がる。

 ステラはそれを見送りながら、なぜか何かをやり遂げたかのように、無表情のドヤ顔でルイズを見た。

 まるで「きちんとできたよ、褒めて褒めて」と催促するか子供のようである。 

 だがルイズは相変わらず石のように固まって絶句したままだ。

 そうしている間にも、先ほどのステラの注文を受けて、メイド達がガラゴロとキッチンワゴンを押しながらワラワラとやってきた。

 その数十三。そんな異様すぎるにも程がある光景に、ルイズ達のテーブルへ好機の視線が次々に集中する。

 ルイズは続々とテーブルの周りに到着するキッチンワゴンの群れを無言で眺める他ない。

 

 一体何だ、何が起こっている。

 

 奇しくも、その胸中で思うことは、今現在周囲すべての人間が抱くものと全く同じであった。

 一通りワゴンの群れが集まり、そしてルイズ達の座るテーブルに隙間なく、置けるだけのタルトを配膳したメイド達は、ひとまずその場から離れていった。

 完全に去ったわけではなく、空いた皿を下げる役と補充役が残った形である。その全員が、"本当にこのすべての量を食べきるつもりなのか"と一様に不安を顔に描いていた。無理もない。

 既に、ルイズの目の前にはタルトの森が出来上がっていた。

 

 

 

「はっ!?」

 

 

 

 い、いけない。思わず想像だにしなかった展開のせいで我を忘れていたわ!

 知らずと忘我の彼方へと飛んでいた事に戦慄しつつ、どうにか意識を現世へと引き戻せた自分を内心で褒めるルイズ。

 そして、再び目の前の惨状を目にして、意識がどこかへと飛び立ちそうになるのをどうにか押さえ込む。呆けている場合ではないのだ。 

 

 

 

「――――ちょっと待ちなさいこのアホ使い魔ッッ!!!」

「もきゅ。なに、ルイズ?」

 

 

 

 タルトの森の向こうから、心なしか不機嫌そうな声が返ってくる。つい今しがた持っていたはずのタルトは、すでにその手にはない。

 己の出自と環境故に、優雅にかつ上品に早食いするという奇妙な特技を会得しているルイズではあるが、それにしても、このステラの早食いには遠く及ばないだろう。そもそも咀嚼しているのか。タルトは飲み物ではない。食べ物のはずだ。

 そんな非現実的な光景を信じたくない気持ちがどれだけ強かろうと、現実は非情であり、ましてや時は無情である。

 再び反応がなくなったルイズを無視して、タルトの森を侵食する黒髪の腹ペコ少女。その勢いはさながら村を飲み込む土石流。あれは本当に飲み込んでいるんじゃなかろうか。にわかには信じがたいが、夢ではないのだ。

 ほんの数秒の戸惑いのうちにも、タルトの森はその一角の樹木を消滅させていた。この時点で、既にワンホールクラスのタルトが、少なくとも三つは消えている。

 そんな重爆撃級の火魔法でも叩き込まれた跡地を作り上げた少女は、更に戦禍を広げつつあった。

 手近にあったルイズの好物でもあるクックベリーパイを、あろうことかケーキナイフも使わずに手でもぎ取り、「行儀? いえ、知らない子だね」とばかりにそのまま口へと放り込む。

 

 もっきゅもっきゅもぎゅもぐ。ごくん。

 

 リスのように頬を大きく膨らませ、きらきらと無表情なのに幸せそうという奇妙な表情を生み出しながら、その口の中のものを即座に腹の底へと落とし込むステラ。無論、その手は止まることを知らない。

 それを呆然と眺めるルイズにようやく気づいたのか、ステラはまたしても右手で鷲掴みにしたタルト(今度はクォーターサイズ相当)を丸呑みにして、左手に掴んでいたもう一個を掲げながら言った。もはや、ルイズはマナーがどうのという気にもなれなかった。

 

 

 

「……ルイズも食べる?」

「いらんわッ!?」

 

  

 

 脊髄反射で淑女らしからぬ返答をしてしまう。慌てて咳払いを一つ。

 そして一度、二度とルイズはその慎ましやかな胸を大きく膨らませては萎――――もとい、深呼吸をして荒波に揉まれた心を鎮める。

 だが、ステラはそんなルイズの様子をどう勘違いしたのか、ほんの少しだけ逡巡の様子を見せると、口に放り込んだタルトを"飲み込みんで"言った。

 

 

 

「食べるならたくさんあるよ?」

「食わないって言ってんでしょ! アンタわざとやってんのッ!?」

 

 

 

 まるでわざとやっているかのような、ルイズの怒りという火に油を注ぐようなステラの言動。

 それに対して、条件反射的に噴火する火山のごとく怒髪、天を衝いてしまうのはルイズの悪癖故だ。

 どうにか思考をクールダウンさせようと努力しようにも、この無知な使い魔は己のしでかしていることをまるで理解していない。それが、心底腹立たしい。何故自分の使い魔が、こんなにも愚かなのか、と。

 

 

 

「? ルイズ、時々私はあなたの言っている言葉の意味が理解できない」

「私はあんたの価値観がつくづく理解できないわよッ!」

 

 

 

 ルイズはそう叫びながらテーブルを殴りつけたい衝動を必死にこらえる。やってしまえば、大惨事が生まれることは明白であったからだ。

 

 

 

「大丈夫。さっきも言ったけれど、それはこれからわかり合えばいい」

「その前に私の神経が擦り減ってなくなりそうなんですけどォ……ッ?」

 

 

 

 ぴくぴくと、こめかみの震えを全力で抑える。貴族として優雅たるためにも努力は欠かさない。

 しかしながら、この頭の悪いジョークを連発している小娘、多分――――いや間違いなく本心だ。本音だ。嘘偽りのない本気の言葉だ。

 なまじ相応の知恵と教養を持ち、一方で圧倒的に日常における常識が欠如しているが故に――――つまりは、やることなすこと全てに邪気がないせいで、ルイズもそれ以上怒ることができなかった。

 それでも見過ごすわけにはいかない。

 何より彼女/目の前の暴食娘は、このルイズ・フランソワーズの使い魔なのだ。その使い魔がこんな常識知らずの無礼者では、他に示しがつかないどころか"ゼロ"以上の汚名を頂きかねない。

 

 

 

「あんたね、いくらなんでもコレ/テーブルを埋め尽くすタルトはありえないでしょうが! しかも、手掴みって! せめてナイフとフォークを使いなさい!」

「なんで?」

「なんでって……あんたがどれだけ大食いなのか知らないけど、それでも物事には限度ってもんとマナーがあんのよ! 趣味と感性の腐った成金貴族じゃあるまいし、こんなのはその店の料理がうまいからって無理やりシェフを引き抜いていく暴挙と同じよ!? ましてやテーブルマナーは常識!! 手掴みで食べるなんて論外ッ!!!」

「……ダメなの?」

「ダメなんですッ! だから片付けてもらいなさい」

「……いま?」

「い ま す ぐ に ! 食べていいのはあとワンホールだけ!」

「……」

 

 

 

 それでもワンホールを残していいと許可したのは、ルイズとしては相当譲歩した判決であった。だが、それはあくまで、同じ価値観を共有する同類にだけ通用するものでしかなかったのが、敗因とも言うべきものになるだろう。

 しゅん、と落ち込んだように少しだけ俯くステラ。心なしかツインテールも萎びているような気がする。ステラにとって、ルイズの恩情甚だしい判決は、どうやら極刑に等しい宣告であったらしい。

 だが、裏腹に手に持つタルトを離す気配は全くない。というか、むしろソレとルイズをちらちらと見比べている時点で、未練が垣間見える。端的に言えば「それでも食べたい」と無言のうちに主張していた。

 いくら、淑女にとって甘いものは別腹という言葉があるにせよ、人一人が食べられる――それも一般的な――量には限度というものがある。

 そして、ステラのソレは既に一般的範疇を十二分に超えている。少なくとも、ここトリステイン魔法学院に、彼女を超える胃袋を持つ淑女は存在しな――――いや、例外が一人、心当たりがある。が、それはさておき。

 一体どこからそれほどの執着心と食欲が湧いて出てきているのかさっぱり理解できないが、同時に雨打たれて野ざらしになっている子猫のような無表情でこちらをちらっちらと見てくるステラの姿に、ルイズは多少なりとも罪悪感のようなものを呼び起こされる。

 最初は腕を組んでそっぽを向き、ステラの無言の抗議を無視していたのだが、しかしいつまでたってもステラはタルトとルイズとの間の視線往復運動をやめようとしない。あまつさえルイズを見つめる時間を長くしたり、タルトを見ては深々と溜息をついたりと小細工まで弄してきた。あ、結局大皿にタルトを置いた。

 今度はじーっとテーブルの上のタルトの森を眺め、ときおり、今度ははっきりと恨みがましく三白眼になってこちらを睨め上げてくる。この小娘、まったくもって譲る気はないらしい。

 このまま放っておいても、恐らくステラは自分から目の前の惨状を片付けようとはしないだろう。

 しばしの逡巡を経たルイズが、仕方なく現状の半数程度ならまぁ、許してやってもいいかもと思い始めた時である。

 

 

 

「先程からなんの騒ぎかと思えば――――また君かい、"ゼロ"のルイズ?」

「うげっ」

「?」

 

 

 

 横合いから、どことなく鼻につく――――というより、無理やり格好をつけて高い声を出している感じの嫌味な物言いが飛び込んできた。

 振り返ったルイズが思わず淑女らしからぬうめき声を漏らし、ステラはその姿を見て小首をかしげた。ただし表情は大事な話し合いを邪魔されたことに対して不満を覚えているのか、微妙に不機嫌そうであったが。

 

 

 

「なるほど。タルトを頼んでも届かないはずだ。こんな婉曲的かつ地味な嫌がらせを思いつくなんて、さすが"ゼロ"だね。いやはや座学首席の深謀遠慮には恐れ入る」

 

 

 

 嫌味がたっぷり載せられたギーシュの言葉は、大変喜ばしくないことに、現状が相応に面倒な状況に陥っていることを語っていた。

 おそらくは、今このテーブルにあるタルトは、先程ステラが注文した通り"あるだけ全部"だったのだろう。

 であれば当然、他のテーブルで注文が入っても届くことはない。

 そして今は懇親会の最中であり、甘いものやデザートに喧しい"自称"淑女連中がわんさかといる。問題にならないはずがない。

 その事について思い至らなかったわけではないが、こうも早く行動に移されるとは思っていなかった。

 それも、この服飾センスが壊滅的極まりない、軍人貴族グラモン伯爵家が四男坊――――、

 

 

 

「だが、その悪行もこれまでさ。この、ギーシュ・ド・グラモンが来たからにはね!」

 

 

 

 間抜けのギーシュに絡まれるとは。

 口にバラを模した短杖を咥え、ばっさぁ!とマントを翻らせながら決めポーズを決めつつある少年は、目を瞑ったまま非常に満足そうな笑みを浮かべている。

 そのむかっ腹の立つ笑みを、自慢の失敗魔法で爆破してやりたい衝動に駆られながら、しかしルイズは思わず頭痛で悲鳴を上げる頭を片手で抱え、盛大な溜息を吐いた。

 そう、この見るからに頭にスポンジか鳥の糞だかが詰まってそうなクラスのバカ大将筆頭、女好きのナルシストことギーシュ・ド・グラモンに難癖をつけられるとは、思いもよらなかったのだ。

 予想としては、クラス内でもルイズの次に座学の成績の良い、比較的まともな頭を持っているレイナールや、あのクソ忌々しいツェルプストー、そして学院一の小さな大食女/プチ・グルートンあたりかと踏んでいたのだ。それを見事に裏切られたことと、裏切られた相手がアレであることで、自身の見通しの甘さというか無様っぷりというか、諸々の事に怒りすら覚える。

 大方、現在口説いてる真っ最中の女の子からタルトが食べたいだのなんだのと言われたのだろう。

 当然ながらその品は現在、ルイズの使い魔が買い占めしたせいで品切れだ。そしてその原因を調べてここまでやってきて、今に至る。まぁそんなところに違いない。 

 

 

 

「君の嫌がらせのせいで、今、可憐な一輪の花がその花弁を萎れさせようとしている」

「……それは、あっちで座ってる過剰な巻き毛のモンモランシーのこと?」

「わかっているなら話が早い。それに、彼女だけの話じゃないのだよ。周りを見てみたまえ」

 

 

 

 言われて周囲を見渡してみれば、ちらほらとこちらへと視線を向けていて、かつ手元の皿が空の女生徒が何人か見受けられた。

 さもありなん。こうなることはわかっていたので、ちょっぴり申し訳なく思わないでもないが、普段自分が受けてきた嫌がらせを思えば、少しだけ溜飲が下がるところでもある。

 だが、そんなせせこましい優越感など一瞬のことで、次には即座に投げ捨てていた。

 

 

 

「わかっていただけたかな?」

「あー、うん、そうね。たしかに迷惑をかけたわ」

「ふふん、わかってくれたなら幸いだ。無駄な手間が省ける。さぁ、占有したタルトを返してもらおうか"ゼロ"のルイズ!」

 

 

 

 迷惑をかけているのは事実だ。それを肯定し、すぐにでも占有したタルトを返すことを告げようと、なるべく穏便な言葉を選んで口にしようとした時であった。

 

 

 

「――――ごぶッ?!」

「動くな」

 

 

 

 突然、それまで沈黙を保っていたステラが、疾風を伴って割り入った。

 蹴倒された椅子がけたたましい音を立てるのと、砂塵と土埃が舞うのはほとんど一緒だった。ルイズはそう認識している。周囲で決して小さくない悲鳴が上がっているが、どうでもよかった。

 気がつけば、先程までナルシスト節全開であったギーシュが大地と熱烈なキスをし、それにステラがのしかかるように、かつその首筋――恐らく、頚動脈――にフォークの先端を突きつけていた。

 考えるまでもなく、ルイズはステラを止めるべく声を張り上げる。だが、それはほとんど悲鳴のようなものだった。 

 

 

 

「ステラ!? やめなさい!!」

「三度目は必然。彼は三度、ルイズに敵意を向けた。だから、敵と判断した」

「え……は……?」

「敵? アンタ、一体何言って――――!」

 

 

 

 組み伏せられた本人は、何が起きたのか理解できていないのだろう。

 言葉にならない何かを呟くギーシュは、そこでようやく自身が地面に叩きつけられたことを悟る。同時に、右手を後ろ手にひねり上げられ、何故だかまったく身動きがとれなくなっていることにも。

 対して、ステラは至極平静に、足元でじたばたと暴れだした貴族の少年を手馴れた様子で取り押さえ、かつ淡々と自身の行動の所以を語る。

 誰もがステラの言葉の意味を理解できなかった。

 いや、言っていることはわかる。意味を咀嚼することはできるのだ。だが、飲み込めない。

 何が三度なのか。一体何を持って敵意と判断したのか。そもそも、何をどうして平民が貴族を取り押さえているのか。

 ただはっきりしているのは、今この瞬間、とんでもない事態が起きているということだ。

 

 

 

「いた、いたたっ!!? なんだ、何が起こってる!?」

「ダメよステラ! ギーシュを放しなさい!」

 

 

 

 ルイズの制止の声に、しかしステラはちらりと一瞥するだけだ。

 ギーシュを抑える姿勢は崩さぬまま、まるで感情のないゴーレムのようですらある。

 その寒々しい様子に、つい寸刻前までの大食漢で常識知らずな小娘の印象は欠片も残っていない。まるで、この一瞬で人が入れ替わったかのような豹変ぶりであった。

 

 

 

「ステラ、主の命令よ! 今すぐにギーシュから離れてっ!!」

「………どうして?」

 

 

 

 氷のように冷たい問いかけに、思わず言葉を飲み込みかけるルイズ。だが、ここで押し黙っては、きっと取り返しのつかないことになる。直感がそう告げる以上、そしてなによりも、彼女の主として、ルイズは声を張り上げる。

 

 

 

「やりすぎよ! そこまでする必要がない!! 早く離れなさい!!」

「彼は敵」

「違うわ!! アンタの"価値観"じゃどうなのかしらないけど、私にとっては違う!! だから離しなさい!!!」

「…………わかった」

 

 

 

 ルイズの剣幕に押されたのだろうか。あるいは、ルイズの意図するところを解したのか。

 ともあれ、ステラは長い逡巡の末、ギーシュの上から降りる。

 すかさずステラから逃げるようにして立ち上がり、無理にひねり上げられていたために痛むであろう肩を抑え、貴族にあるまじき薄汚れた形でこちらを睨めつける少年を、しかしステラは表情一つ変えることなく真正面から受け止めていた。

 あるいは、それはギーシュという"敵"に対する威嚇であったのかもしれない。フォークを握る手に適度に力が入り、それでいて自然体を装うその姿は、ルイズからしてみればいつでも攻撃できるように身構えているとしか思えなかったからだ。

 

 

 

「くっ、一体なんのつもりだ、"ゼロ"のルイズ!」

 

 

 

 ヒステリックに喚くだけならまだ可愛げがある。ましてや、杖を抜かなかった点は評価できるだろう。

 意外ではあったが、彼が普段から婦女子には決して手を上げないことを自評してやまないでいた事を考えれば、なるほど納得がいく。一応、貴族としての誇り―――ベクトルがどこに向いているかはこの際無視して―――を持っているのは、同じ同級生として感心できる美点だ。

 だが、状況は相変わらず悪いままであることに変わりはない。

 事の発端は自分の使い魔。手を出したのも自分の使い魔。相手に全面的に非がないとは言い切れないものの、どう状況を鑑みても、悪いのはこちら側だった。

 

 

 

「なんのつもりも何も、この子が過剰に反応しちゃっただけよ。それは謝るわ」

「そんな誠意のない謝罪で事が済むのならば、決闘という文化は育たなかっただろうね」

「……アンタ、本気で言ってるの?」

 

 

 

 ……前言撤回。やはりこのバカは救いようのないバカだった。同級生として感心? いえ、存じ上げませんわね。

 服の土埃を払いながらこちらを睨めつける少年の文句に、ルイズは思わず言葉を飲み込んでしまいそうになる。

 無論、内心では、普段から自分のことを"ゼロ"だのなんだのと虚仮にしくさってくれているナルシストが痛い目を見てざまぁみろと言いたいところなのは言うまでもない。だが、ここでその思いを吐露すれば尚更事態は悪化するだろう。少なくとも、その未来が想像できるくらいには、現状の空気が読める。

 そういう意味では、ルイズは今この状況をどうにか穏便かつ当たり障りのない方向へと持っていく考えではいたのだ。いわゆる平和的な解決手段、というものである。

 だというのに、この脳みそ御花畑の色狂は、自分のメンツを気にかけてとんでもない馬鹿をのたまっている。

 

 決闘? たかだかこの程度のトラブルで?

 

 あまりにも突飛すぎる馬鹿げた考えだ。まだステラの言う"人類の滅んだ世界"の方がマシに聞こえる。

 たかだかタルトを占有されて、それを注意して地面とキスすることになった程度で決闘だなんだと騒ぐその神経が、ルイズは心底理解できない。少しでも見直した自分が愚かで滑稽で、羞恥で顔が真っ赤になるのがわかるほどである。そもそもからして、こいつらは"決闘"の持つ本当の意味を、真に理解しているのだろうか。

 ……理解していないのだろう。だからこそ、こうも短絡的に"決闘"だのと口にできる。今この場にルイズの母がいれば、周囲一体が竜巻の刃によって切り刻まれ、その身に文字通り教育を刻み込まれていたことだろう。

 だが、さすがは学年首席のいじめられっ子、ルイズ・フランソワーズと言ったところだろうか。

 内心今すぐにでも杖を引き抜いて、見るのも忌々しいグラモン家のアホ息子に向かってお得意の"失敗魔法"をぶっぱなしてやりたい気分になるが、ルイズはもはや本日何度目になるかもわからない我慢でもって押さえ込む。代わりに、気持ちを少しでも落ち着けるために、周囲に気づかれないように深呼吸をする。

 

 本来――――いや、従来、と言ったほうがいいだろう。

 こういったトラブルが今までなかったわけではない。言い換えれば、こんな戯けた阿呆を相手に、事を穏便に済ませるやり方は心得ているのだ。今回も、それに類する程度の些事である。

 癪ではあるが、これ以上騒ぎを大きくしたところで自分にとって不利益があるだけであるし、多少の恥を被ろうとも穏便に片付けよう。

 そう、思っていたのに。

 

 

 

《――――――なっ!?!!?》

 

 

 

 

 その場にいた、漆黒の使い魔の少女を除くすべての面々が絶句した。

 パサり、という軽い布のぶつかる音。乾いた風に、さわさわと草花が控えめに詠う。

 抜けるような蒼穹に比例するかのように、その場には背筋が震えるような寒さが広がり、誰もが目の前で繰り広げられた出来事を信じられないでいた。

 少年ギーシュの顔にへばりついていた黒い手袋は、紛れもなく"ゼロ"の使い魔のもの。

 そして、平民が貴族に向かって"手袋"を"顔に向かって"投げつけるというのは、前代未聞の醜聞。平民の、貴族に対する最悪の形での侮辱。

 これを受けて平静でいられる貴族など居るはずがない。

 貴族とは、貴い血による特別な階級である。翻せば、その下には従える平民という名の階級があり、彼らに侮られるようなことは、決してあってはならないのだ。

 端的に言おう。

 今この瞬間、この場所で。

 ギーシュ・ド・グラモンという名の貴族の名誉は、よりにもよって"ゼロ"の使い魔である平民によって地に落とされた。

 誰もがそう捉え、誰もが確信したのだ。

 故に、その蒼空に、激昂した貴族の少年による、高らかな"決闘"の宣言が吸い込まれることとなり、冒頭へと至ったのである。 

 

 




ひとまず、改訂済みまで。

*エレオノールお姉さまのおっぱいを修正しました。ぼくわるくない!

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