+サイド 碇シンジ+
二度目の天井だ。
僕が目を覚まして最初に思ったのはそんな在り来りな感想だった。次に何気なく横に視線を移せばびっくりした。僕と同い年くらいの女の子がお見舞いに置かれていたのだろう、フルーツの中からバナナを取り出して無心に食べていたからだ。
僕がじっと見ていたのに気づいたのか、女の子はそっと食べかけのバナナを差し出してきた。
いや、食べないから。上げるにしてもどうして食べかけを選ぶわけ、それってかなり失礼だよ。
心で思ったことを口に出さなかったのがいけなかったのかもしれない。女の子はバナナを僕の口元に押し付けてきた。
何だよ、この子。頭が可笑しいんじゃないか。あ、バナナが鼻に入った! 痛い、鼻の粘膜が犯されて凄く痛いじゃないか!!
エヴァに乗ってから碌なことが起きないよ!! 今は化石の番長みたいなゴリラ少年に殴られるし、腰銀着の眼鏡少年には馬鹿にされるわ、まあ、その後友達になったけど。今回だって凄い熱い思いして死にそうになったのに起きたら痛い思いまでするなんてもう嫌だよ!! って、まだ、バナナを押し付けてきやがるこの女!!
「いい加減しろ!!」
久々に感情を爆発させてバナナを取り上げれば、女の子は表情を一ミリも変えずこう言った。
「あなたは死なないわ、私が守るもの」
意味が分からない!! というか、今君に殺されそうだったよ!!
+サイド今はレイの元おじい+
どうやらわしはまた無意識に行動してしまったらしい。まず、ここまでの経緯をわしなりに話そう。
病室に着いたわしはベッドで眠る少年、碇シンジの具合を確かめてからベッドの横についている慣用の椅子に座った。そして暇を持て余して周りをキョロキョロと見渡せば、お見舞いに付き物のフルーツセットを発見、出すもの出して、もちろん病室に来る前にトイレに立ち寄りうがい手洗いを忘れずに行った、お腹を空かせていたわしはこの後、戦闘になることを想定してバナナを一本失敬してしまう。決して自分本位の考えではなく、腹が減っては使徒を倒せぬという想いからだ。
気づいたら最後の一本になっていたバナナを食べていたら、シンジ君が目を覚ました。彼の目はわしの食べているバナナに釘付けだったのだが、残りはこの一本、わしは泣く泣くその一本を差し出したのに彼は食べようとはしない。そして唐突に思い出したのだ、あのアニメでの情景を。
彼は極端に心を閉ざしていた。そして他人の心に触れるのを極端に怖がっていた。それは彼の生い立ちに杞憂するものであったが、前世、それを見てわしは年甲斐もなく涙を流してしまったのだ。もし、わしがあの場にいたら孫にするよう優しく抱きしめて頭を撫でてやれるのにと。だが、その後の話でレイちゃんと心を通わせたのをテレビで見てこれまた年甲斐も無く感動して、安堵もしたのだ。
特にレイちゃんが言ったあの言葉は賞賛に値する。それをどうやら口に出していたらしい。
シンジ君は何故かバナナを鼻に詰めて顔を真っ赤にして怒っているのだ。怒りの矛先はもちろん、わしだろう。
困ったことになった、わしは元おじいだがレイちゃんなのだ。このままでは彼とわしが心を通わせられなくなってしまう。そうなれば、この先の使徒との戦いにも支障を来たすだけでなく、孫のような彼をもっと孤独にしてしまう。そんなことはわしがわしである限り、許せる事態ではない。子や孫ぐらいの年の子には自身がいかに大変な使命を帯びていても子供心を損なわせてはいけないのだ。つまり、甘えることが許される状況をわしら大人たちが作らねばならないということ。それが、子供に戦わせる大人の義務であり、ある意味、大人たちの心の安寧をもたらす贖罪でもあると言えるはず。
わしは彼と心を通わせるために死に物狂いで言葉を紡ごう。まずは彼の怒りと心に造られた壁を少し取り除こうではないか。
+サイド 碇シンジ+
「良かった、怒れるのね」
久々に感情を出して域も絶え絶えな自分に女の子はそう言った。
言葉の意味が分からず、急速に怒りが萎んでいく。次に沢山の疑問符が浮かび上がった。先ほどから彼女の言動の理由が理解できない。逆に理解が出来なさ過ぎて彼女に興味が沸いてくる始末だ。自分の心情なのに酷く驚いた。
これまで流されるように生きてきた僕が、これからもそうしていくのだろうと、漠然と思っていた自分が誰かに興味を持つなんて何年ぶりだろうか。
「あなた、私がいても表情一つ変えなかった」
君に言われたくない、と僕は思った。
「その口から言葉が出ない」
思っていることを素直に口から出さないだけ、それが当たり障り無く円滑に過ごせる秘訣だと僕は考える。
「あなた人形みたい」
彼女の口から出された言葉に萎んでいた怒りが膨らんだ。
「人形は君だろ!! 無表情で気持ち悪いよ!!」
怒り任せに言って、気づく。僕は彼女を傷つけたのではないかと。表情は変わらない、けれど纏う雰囲気は変わったような気がした。
「私は人形じゃない」
語尾を強めて言われ、僕の怒りはまた萎んでいく。
「え、あの……ごめん」
「でも、人形焼は大好き」
「はあ?」
「浅草の人形焼は元妻が好きだった」
「結婚しているの!? ていうか、妻って!!」
「今のなし、忘れて」
「ホント訳が分からない!!」
もう、何なんだよ。会話しても彼女が全然分からない。
「今の良かった」
「今度は何だよ!?」
声を荒げてそう言えば、彼女は僅かに口の端を上げてこう言った。
「子供らしい感情……そういうあなた好き」
不意打ち的に好きだと言われて僕の心臓が跳ね上がる。彼女の小さな微笑を見せられて、僕は彼女に対して淡く形容しがたい想いを抱き…。
「でも、元妻の方がもっと好き」
「僕のトキメキを返せ、馬鹿やろう!!」
抱きませんでしたよ、ちくしょう!
「ときめきは古いらしい」
「今度は駄目だしか!!」
感情を爆発させたせいか、僕の瞳からは涙が出ていた。それを見ていた彼女は椅子から立ち上がり僕が座るベッドの傍まで来ると頭ごと抱き込んできた。
咄嗟の接触に体を硬直させていると、それを溶かすかのように背中を撫でられた。
「怖かったね」
彼女のそんな一言がきっかけになったかのように僕の瞳から涙が次から次に流れ始めた。
「うううううう」
父さんに呼ばれこの町に来てから僕はこんなみっともなく嗚咽を漏らして泣いたことはない。
「シンジ君、君は泣かなければならない。泣いて君が心に溜め込んだ思いの丈を吐き出さなければ君が壊れてしまうよ。大丈夫、わしがすべて受け止めよう」
どうして僕の名前を知っているのか、どうして口調がいきなりオッサンぽくなったのか、気になることは沢山あるのにその言葉を聞いて僕は思いの丈を嗚咽交じりに吐き出した。
父さんに呼ばれて嬉しかったこと。
なのに、父さんは僕を見てくれなかったこと。
父さんに優しくされたいと思っていること。
戦いが怖いということ。
怖い思いはしたくないと思っていること。
彼女は他人なのに僕は血の繋がった父にも話したことのない深い想いを語ってしまった。多分、彼女の持つ雰囲気がそうさせたのだろう、僕という存在を包み込む優しい雰囲気、祖父の存在を知らないのに若干若作りのおじいちゃんに優しくされているような錯覚を起こしそうになる。もう、僕の理解の範疇には収まらないのかもしれない。それでも一つだけ彼女の事を理解できた。
彼女は人形なんかじゃない。僕の想いごと包み込む大きく、暖かい心を持ち合わせているのだから。
ようやく落ち着いて僕は彼女の胸元から離れた。恥ずかしさを誤魔化すように照れ笑いを浮かべる。きっと目は真っ赤で瞼も腫れているはずだ。それでも久々に泣いて、今は心の底から笑えている。
彼女がそんな僕を眺めて言う。
「泣き顔不細工」
「今心の底から感動していた自分を殴りたい気持ちだよ!!」
声を荒げて彼女にツッコミを入れながらも僕は笑っていた。
シンジ崩壊