小春日和とも言える、麗らかな陽気、清々しい空気とは対極に位置する世界が大きな倉庫に広がっている。
どんよりと濁った空気、鼻がもげる程の臭気、見るも無惨に転がる死体、鎖によって吊るされ、拷問によって欠損した部位を持つ死体、どの死体の顔も苦痛に歪み、その表情から、この世を呪うように死んでいったのだろうということが容易に伺える。
奥に位置する鉄格子に囲まれる牢屋には、薬物を投与され、生き地獄に落とされうめき声を上げ苦しむ男や、既に死してハエが群がる骸が転がる。
『死』を迎えられた者が幸せにすら見える。
人間がその手で作り上げた、狂った世界がそこに存在した。
「くっ………」
主水は顔をしかめ、視線を反らす。
あってはならない光景、人間の醜悪な悪意がつまったような光景、人間がここまで酷いことができるのか、力を持つと、人間はここまで外道になれるのか?
分かってはいた。
この世界は権力者の横行により腐りきっていると。
しかし、ここまでとは……
仕事の裏付けに感情を持ち込むことなど、言語道断ではある。
しかし、いつになっても慣れるものではなかった。
燃え上がるような怒りを堪え主水は、来るべき日を考えて、その場を足早に立ち去った。
―――――
「どうだったの主水。まあその顔を見れば聞くまでもないけどね」
お洒落なカフェの、外に面したテラスでソフトクリームを食べながら、待っていたマインと主水は合流した。
マインはナイトレイドの中でも顔ばれしていない為に、気兼ねなく市内に出ることができていた。
「ああ、真っ黒だ。とんでもねえドブネズミだったぜ」
そう主水が今回の仕事の裏を取る役目を負っていた。
未だに頭から離れない胸糞悪い光景を思い浮かべ、一層に顔をしかめて吐き捨てるように伝える。
「そう。じゃあ私はボスに伝えておくわ。主水にはまたラバックから繋ぎが届くと思うから、準備しておいてね」
「ああ、わかった…」
二人は簡潔かつ手短に、それだけ言葉を交わすとそのまま解散した。
暖かい陽射しが降り注ぐ、快晴な空とは裏腹に、主水の気持ちは中々晴れることはなかった。。
(こんなことは慣れたはずだったのにな。しかし、まさかこの世がここまで腐りきってやがるとは。江戸以上だぜ)
悪い雰囲気を撒き散らしていたのか、それほどおっかない表情をしていたのか、主水が歩くたびに、進行方向の人波が別れていく。
(気入れ直すか)
頬を叩いて気合いを入れ直すと、警備隊の隊舎に向かった。
―――――
主水が警備隊の隊舎につくと、道場の玄関先でタオルで汗をふく胴着姿のセリューが。子供のような容姿に似合わず、滲む汗を拭うセリューの姿は色っぽかった。
「あ、主水君どこいってたの。今道場でオーガ隊長が皆の指導をしてくれてるんだよ。早く行かないと」
(めんどくせえ時に帰ってきちまった)
主水は手を握り引き摺るようにセリューにつれていかれ、道場にいたる。
道場の中からは、悲鳴に似た声が聞こえてくる。
「ま、参りました」
「それで終わりか!つまらねえ。次!」
「はい!ギャアアァァア!!」
とても稽古とは思えない断末魔が響いていた。
「今日はねオーガ隊長も気合いが入っているみたいなの」
セリューは嬉しそうに主水に告げる。
それもそのはず、セリューの武道の師匠がそのオーガであり、純粋に尊敬しているからである。
(どうにかして逃げないと)
しかし、主水が気づいた時には、木刀を携え、稽古の順番を待つ列に連なっていた。
(いつの間にこんなことに)
辺りを見回すと、
「主水君ガンバってねー」
と手を振るセリューが。どうやらセリューのされるがままに従っていた為に、こうなったらしい。
「アタタタタ、腹が、厠に……」
主水の十八番と言える仮病。腹を押さえ列から逃れようとする主水だが、
「中村さん。一人だけこの地獄から逃げるなんて許されませんよ!」
しばしば使っていたために、警備隊仲間からは既にバレていた。そのため、隣に座り、青ざめた隊員に思惑も見抜かれ、退路を塞がれた。
主水は決して稽古が嫌いな訳ではない。実際に、奥山新影流、御嶽新影流、小野派一刀流、一刀無心流、等そうそうたる剣術を会得し、全てを皆伝にまで至らしめている。
しかし、今の警備隊は主水の仮の姿であり、自分の器量は隠さなくてはならない。
したがって、上手く負けなくてはならないのが、めんどくさくてしょうがないのだ。
――――
「ぬがああぁぁぁ!!」
主水の前の、退路を塞いだ隊員が壁まで吹き飛び、ついに主水の番が迫っていた。
「次、中村来い!!」
「はい、たああぁぁ~!」
「遅いわ!!」
「どわあぁぁ!」
主水は揉んどりうちながら、壁に叩きつけられた。
起き上がるや否や、
「参りましたー」
頭を床につけてギブアップ宣言。
「ちっ、危険種を狩ってきたというから期待していたんだが、とんだ期待外れだったな」
「運が良かっただけなので」
「ちっ腰抜けが!次!!」
主水は上手く受け身を取っていたので、全く痛くも痒くもないのだが、痛がるふりをしながら立ち上がり、道場をあとにした。
(あーあ、無駄な時間を過ごしたな)
道場から出て、道場内のむさ苦しく、濁った空気から解放され、外の綺麗な空気で深呼吸する。
「主水君大丈夫?」
心配そうに声をかけてくるセリュー。
自分が連れてきたから、主水は痛い目にあってしまったと責任を感じているようだ。
「いつも私と稽古してくれるときは強いのに」
悲しげかつ、残念そうに呟く。
主水は、セリューにはこのような死がつきまとう世界でも、死んで欲しくはないと思っているため、セリューとの稽古では少し力を出して、稽古していた。
「オーガ隊長が強すぎるんですよ」
「それもそうか。隊長強いもんね」
セリューは嬉しそうに繰り返す。
コロコロと変わる表情を見ているだけでも、心が安らいだ。
「皆限界みたいでしたし、もう一回オーガ隊長に稽古をつけてもらったらどうですか?」
「うん、そうするね。じゃあね主水君」
セリューは道場内に消えていった。
「じゃあ帰るか」
主水は警備隊隊舎を後にした。
焼けるような夕焼け、夕日が傾き、城に掛かり、長く大きな影が市内にかかる。
そこから生まれた闇が、夜を呼ぶように広がっていく。
(おっありゃあレオーネじゃねえか)
満面の笑みで、スキップをするような足取りで、食堂から出てくるレオーネの姿が。
その手には、何かぎっしりと詰まったような袋が。
「よっ!レオーネ!」
「ひゃう!!なんだ主水の旦那脅かすなよ!」
レオーネは不自然に驚き、急ぎ手に持つ袋を後ろに隠す、あからさまに。
「何隠してんだ、見せてみろ」
「や、やめろよ、主水の旦那!」
端から見たら、若い女性にまとわりつくように絡む男という構図だが、警備隊に口を出せるほど勇気がある者がいるはずもない。
ある意味悲しい現実でもある。
すったもんだあり、主水はレオーネの持つ物を取り上げた。
「レオーネいったいこんな大金どうしたんだ」
「い、いやあ、この帝都の厳しさを教えた授業料にな」
目を反らし、辿々しく説明するレオーネ。
自分が悪いことをしたということは、どうやら自覚しているらしい。
(こいつ、俺だけじゃなく他のヤツにも)
そうは思うが不良役人主水である。
「まあ、帝都の厳しさを教えてやったのなら、その謝礼として貰っておけばいいな」
「そうそう、さすが旦那、よく分かってるな」
笑顔で肩をバシバシ叩くレオーネ。
揺れる主水の体。かなりの腕力である。
だが、それだけで済ます主水ではない。
「なあレオーネ、前に俺はお前に奢ってやったよな」
「あ、ああ」
以前主水が貰った袖の下を、レオーネに大いに食い散らかされたあの一件を持ち出す。
レオーネはばつが悪そうな表情を浮かべる。この後の流れを悟ったかのように。
「じゃあ今回はその金で、奢ってもらおう」
主水は悪い笑みを浮かべ強気に要求する。前の借りは今返せといった所か。
「あ~あ、しょうがねえか、じゃあ行きつけの店で酒でも飲むか」
レオーネはため息をつきながらも、諦めたように肩を下ろして、主水と共に夜の町に消えた。