「そろそろ行くか」
主水は太刀と脇差しとアレスターを帯にさし、黒い同心羽織りに袖を通す。
準備を整えた主水が部屋を後にしようと扉に手を掛けると、不意に扉がノックされる。
またタカナ様か?と思いながら扉を開けるとそこにはチェルシーが立っていた。
「どうしたんだ?」
なぜチェルシーが来たのか分からない主水は問いかける。
「うん、主水が今日帝都に帰るって聞いたから顔を見たくて」
僅かに顔を赤くして微笑みながら答えるチェルシー。
なにか思う所があるようだが、主水はそこら辺の乙女心には疎いため、普通に返す。
「ああ、予想通り左京亮は俺のことをばらさなかったんでな、無事にイェーガーズで働けるってわけだ」
「そうか……」
微笑みから一転して僅かに表情が曇り、心配そうな顔をする。
「もう大丈夫なの」
「ああ、大丈夫だ。まああの怪我も俺の腕の未熟さが招いた結果だ。おめぇが責任に思う必要はねぇよ。おめぇはいつもの不適な笑顔を浮かべていればいいんだよ」
チェルシーは自分が失敗したことから、主水が無理をして自分を助けに入りそして、イゾウと左京亮の部下と死闘を演じ大怪我を負ったと責任を感じていた。
それを察した主水がフォローするように答えたのだ。
「ありがと……」
「泣くなよおめぇらしくない。おめぇは笑顔があってるぜ。じゃあな」
主水はチェルシーの肩に手を置いて通り過ぎた。
「待って主水」
去っていく主水にチェルシーは待ったを掛ける。
意を決したように。
「なんだ?」
主水は足を止め振り返る。
チェルシーは何かを口にしようとはするが、躊躇するようにモジモジしており、今までの飄々として大人びた感じはしない。年相応な姿はチェルシーの素の姿なのかもしれない。
「あ、あのね……気をつけてね」
「おう。おめぇも帝具はもうねえんだ。無理はするなよ」
チェルシーは言いたかった本心は言えなかった。
言ったらそれが主水の足枷になってしまうのではと機具したのだ。
主水は背を向けて手を上げると去っていった。
チェルシーは主水の背中が見えなくなっても物憂げな瞳で胸に手を当てて、主水の去っていった先を見ていた。
◇◆◇◆◇◆
主水が庭先に出ると、見送りに来てくれたナイトレイドの面々と、背中に自分の背丈以上の大きさの帝具〈アダユス〉を背負い、仕事着の黒い喪服のような着物を着たスピアの姿と、地に降り立っている特級危険種エアマンタの姿が。
「旦那気をつけてなもう怪我すんなよ。あとあの約束も守れよな」
「分かってらぁ」
レオーネは満面の笑顔で見送り、
「気をつけてねスピア」
「はい。行ってきます」
アカメに声をかけられ笑顔で返すスピア。
「もう準備は良いのですか?」
「ええ準備万端です」
スピアは主水の答えに頷くとエアマンタに飛び乗った。
主水も続いて飛び乗るのをスピアは確認すると、
「お願いしますマンタさん」
と軽くエアマンタの頭を撫でると、エアマンタは今まで見たことがないほどの勢いで大空に飛び立った。
「スピアさん申し訳ないのですが、今回の仕事内容を教えてくださいませんか。タカナ様はなにも教えてくれなったので」
「師匠らしいですね」
スピアはタカナを思い返して、思い当たることがあったように困ったように苦笑いを浮かべた。
それを見た主水はスピアも大変な目にあっているんだなと同情を禁じ得なかった。
「ではご説明します。今回のターゲットは医者のフヨウと、アヘンの売人バイヤーの二人です」
「フヨウ!!」
主水は『フヨウ』という名を聞いた途端に反応した。
そして瞬時に、タカナが今回自分を指名した訳を即座に理解し、不適に微笑んだ。
(探す手間がはぶけたぜ)
「どうかなさったのですか?」
急に大きい声をあげた主水に問いかけるスピア。
「いえ、続けてください」
「では」
スピアは主水に促されたので、聞き返すことなく話を再開する。
「フヨウはアヘンを精製するだけでなく、人の命をお金のあるなしで判断する外道です。お金のあるものには手厚く、無いものは見捨てるといった具合に。バイヤーは、フヨウの作ったアヘンを売りさばく売人です。またそれだけでなく、金で雇った傭兵崩れの男にフヨウの敵になったものなどを殺させたことも何度もあるようです」
「ありがとうございます。あと今回の的のフヨウですが。少し用があるので任せて頂けませんか」
主水は真剣な表情でスピアに告げるので、スピアも先程のことと関係があることを察して、快く了承した。
「この調子であればあと一時間ほどでつくと思われます」
スピアは主水にそう告げると日が傾き始めた空を見上げた。
◆◇◆◇◆◇
「ありがとうございました」
帝都から離れた荒野にエアマンタは降り立っていたおり、スピアがエアマンタの頭を撫で感謝を述べると、嬉しそうにエアマンタは戻っていった。
辺りは斜陽によりオレンジ色に染められ、頃合いで言えば、魔が蠢く時間『逢魔時』であった。
つまり、闇で仕事をなす仕事人にとっても調度よい頃合いであった。
「では参りましょうか」
「スピアさん帝都に行っても大丈夫なのですか?」
歩き出そうとするスピアに主水は問いかけた。
スピアは今では帝都で指名手配される身であり、また帝都は悲しい思い出のつまった地である。
故に主水は聞かずにはいられなかった。
「大丈夫です。『舞姫』として名は知られていますが、顔は見られていませんし、それに帝都を出た時よりも髪が伸びていて容姿も変わっているのでまじまじと見られなければ分かりませんから」
スピアが銀色に輝く髪を撫でると、さらさらと風に靡き、オレンジ色の日を受けキラキラと輝いた。
「それに、皆を苦しめる悪は放ってはおけません!」
光りを溢しながら髪を靡かせ振り返ったスピアは、強い決意を感じさせるだけでなく、斜陽に照らされ美貌がさらに引き立てられていた。
それも、主水も魅了され動きを止めるほどに。
(もったいねぇ。これだけの美貌を持ってりゃぁチョウリ様が望んだ幸せな将来も送れただろうに)
主水は今は亡きチョウリの面影を思いだし残念に思っていた。
◇◆◇◆◇◆
「私達には好都合ですが、無用心ですね」
帝都の前門に二人がたどり着いたのは夜の帳が落ち、辺りが薄暗くなった時だった。
そして、スピアが呟いたのは、警備が配置されていると予想していた前門に、警備の兵が誰もいないことに対しての呟きであった。
「まあ、私が勤めていた警備隊ですから」
「それは……」
主水のとても笑えない自虐的な冗談に言葉を詰まらせるスピアを見て、しくったなと思った主水は、
「行きましょうか」
と一言告げいち速く警備がいない前門をくぐり抜け、帝都に足を踏み入れた。
さすがに、帝都と言うだけあり、帝都内は明かりで満たされており、人目につきやすい状況であったので、主水とスピアは、人目を避けることができ、街頭がない裏通りを通り目的地に向かった。
賑やかな帝都であっても、スラム街のような裏通りはある。
この稼業に入りそれを痛切に知ったスピアは、うつむいて廃れたスラム街を歩いていった。
「ここか」
二人は目的地につくと、厳重に固められた屋敷の門に視線を送る。
まるで、病院とは思えない屋敷である。
「警備固いので、裏に回りましょうか」
「…………」
「どうしました主水さん」
急に黙り、目頭を押さえた主水に焦り問いかけるスピア。
自分がおかしなことを言ってしまったのかと。
だが、実際は逆であった。
主水は感動していたのだ。
今まで主水は度々ナイトレイドのメンバーと仕事をしてきた。
しかし、それは暗殺とは程遠く、どんなに警備が固かろうが、人目につきやすい所だろうが、構わず特攻するというもので、主水も最初こそは反論していたが、今では諦めていた。
そこへ、自分が間違っていなかったことをスピアが示してくれたのだ。
故に、主水は感動したのだ。
「ありがとうございますスピアさん。裏に回りましょう」
「は、はい」
なぜお礼をと疑問に思いながらも、スピアは主水に続いて裏に回った。
裏には、表と違い警備は一人しかいず、さらにはその一人の男は以前主水が警備隊の時にしょっぴいた事があった男であったので、主水が行くことになった。
「誰だ………'って旦那ですかい」
「久しぶりだな。おめぇはこんな所でなにやってんだ」
「いえ、なにも」
伏せていた顔を見上げると、男は隠していた後ろ手にドスを抜き、主水に襲いかかるはずだった。
しかし、顔をあげた先には主水はいない。
「まだこんなことしてやがって………次は閻魔の所に行くんだな」
男の胸から刀が突きだし、血液を散らしたのち、男は崩れ落ちた。
「すごい」
スピアはその主水の無駄のない仕事に感動さえも覚えていた。
そして自分との差をまざまざと感じさせられていた。
◇◆◇◆◇◆
薄暗く薬品の臭いの漂う一室で、ベッドに縛り付けられ、虚ろな瞳で涎をたらしながらグッタリと衰弱した男を、まるで物でも見るかのように見下ろす白衣の男フヨウと、黒服を着たアヘン売人のバイヤーが密談していた。
「どうだ私が精製したアヘンは」
「さすがです。精神錯乱と衰弱に至るまでの時間が長くなりながら、中毒性は強くなっている」
「当然だ。これで死ぬまで金を搾り取れるようになる」
フヨウはしたり顔で口許を吊り上げなら話すとバイヤーから大金の入った袋を受けとる。
「それだけじゃなくこんな献体も手には入るとは」
「ああ、貧乏人ならば、『お前の病は私にしか直せない』と少し脅せばすぐに言いなりになる。そして独身であれば、そのまま簡単に処分もできる」
自慢げにフヨウが話していると、
「先生、見てほしいという患者が来ているのですが」
戸を隔ててフヨウに尋ねる声が。
「金持ちなら通せ。貧乏人なら追い返せ」
「それはねぇんじゃねえか」
フヨウの答えに今までの男と違う声色で答えが来ると、血にまみれた男が戸をぶち破って部屋に倒れこんだ。
「なにもんだ!」
バイヤーが怒号を飛ばす。
このような場にやって来るのは商売敵ぐらいしかいないと思いながらも。
「貴方方の悪事は聞かせてもらいました。地獄に赴いてもらいます」
冷えきった声が室内に響き、フヨウとバイヤーの前にスピアが姿を現した。
「女…………そうか。今帝都で噂が流れている『舞姫』とか言う名の。おもしれえお前ら出てこい」
バイヤーの声に反応するように扉が開かれ、多くの傭兵崩れの男たちが入ってくる。
「お前らこいつをやっちまえ。俺の知り合いも何人かこいつに殺されてるんでな」
「おうよ」
男たちが各々の武器を取り出すのを見て、スピアも帝具アダユスを抜き、右足を引き、体を斜めに向け、アダユスを右脇に取り、刃を下に向け後方においた構えを取る。
(脇構えか。刃を後ろにし見えなくすることによって間合いやリーチを悟らせない構え。ただ太刀てあれば長さはほぼ決まっているために、あまり利がない構えだが、武器が間合いやリーチが分からねえアダユスならばこれほど利にかなった構えはねぇ)
主水は感心したように軽く微笑んだ。
「どうした、早くやれ!!」
(分かってねぇな)
傭兵たちはスピアの思惑通り、脇構えによって間合いが測れず動けないでいた。
その意図に気づかず痺れをきらしたバイヤーが声をあける。
バイヤーの声がとび男たちが覚悟を決め一斉にスピアに襲いかかる。
だが、スピアはそれより先に、先手を取るように、長い袖を翻す。
闇を体現するような黒い袖は、男たちの視界を遮り、一瞬男たちの動きを止める。
そして、袖が払われると、男たちの首にはアダユスの刃が添えられていた。
「ご自身のなさったことを閻魔様の前で懺悔してください」
男たちの背後からスピアの声が響きわたる。
刹那、スピアは容赦なくアダユスを自分の元に引く。
アダユスの刃は無慈悲に男たちの首を、命を刈り取った。
「ひいぃぃぃ!ゆ、許してくれ。か、金ならやる」
スピアの背後で、落ちていく傭兵たちの首を見て腰を抜かしたバイヤーが、今までの威勢のよさはかき消え、命乞いをする。
「往生際が悪いですよ。観念してください」
スピアは容赦なく命乞いを聞き流すと、
引き戻したアダユスで前方を薙いだ。
バイヤーの首が宙を舞い、それだけでなく、バイヤーの背後の全てが凪ぎ払われた。
振り返ったスピアの背後で、バイヤーの鮮血が桜の花びらのようにおぞましくも幻想的に舞い散り、凪がれた壁がガラガラと音をたてて瓦解する。
その美しくまるで演劇の終わりのように見える光景が、『舞姫』という呼び名を体現していた。
その裏で主水もフヨウさらっと取り押さえていた。
「スピアさん。こいつには幾つか聞きたいことがありますので頂いていきますね。しっかりと始末しますので、ナジェンダにはうまく言っといてくださいね」
主水がそうスピアに告げると、クスッと笑って笑顔で
「分かりました。うまく言っておきます」
と答えた。
先程まで冷酷に殺しをしていたとは思えない変わりように、殺し屋がいたについてるなとしみじみ思う主水であった。
「では、私は革命軍本部からの指令にあった、帝都の探索に備えてラバックさんとタツミさんと合流しますので」
スピアは主水に丁寧にお辞儀をすると、夜の闇に消えていった。
「さあ、こいつを叩き起こして尋問するか」
主水は薄暗い室内で黒い笑みを浮かべた。