爽やかな空気、麗らかな陽光、薄く棚引く雲、鳥の囀り、五感に感じる全てが、清々しさを感じさせる朝を迎えてはいた。
しかしながら、主水の気分は良いものではなかった。
酒豪の二人、レオーネとブラートにあの後もしこたま呑まされたために、あまり酒に強くない主水は、二日酔いに悩まされていたからだ。
(まさか朝まで呑まされるとは思わなかったぜ)
今頃、レオーネは、酒瓶を抱え、アジトで深い眠りについており、ブラートは、タツミと護衛対象の乗る竜船につき乗り込んでいる所だろう。
あれだけブラートも酒を呑んだのに、ピンピンとしていたことは驚きであ。
主水もふらつく足取りで警備隊隊舎にやっとの思いでたどり着いた。
「中村主水……出仕します……」
「どうしたんですか中村さん?顔が真っ青…酒臭い。中村さん朝から酒を呑んできたのですか!」
「耳元で声を出さないでください。頭がアタタタ」
高い声で耳元でギャアギャア騒ぐタカナに、主水は頭を押さえながら懇願する。
「はぁ、まったく先が思いやられますよ」
タカナも主水同様頭痛を覚え、頭を抱えた。主水の頭痛とは、全く正反対のものではあるが。
「そういえば中村さん。チョウリ様からお手紙と贈り物を頂いていますよ」
話題を変えたタカナは、持っていた手紙を主水に手渡すと、部屋を出ていった。
タカナは去っていったが、渡してくれたならば、見ていいのだなと解釈し、手紙を開く。
チョウリの人柄を表すべく、手紙の字は、達筆な字であり、お礼と今後について書かれていた。
『此度は本当に御世話になりまして、感謝に耐えません。今の命は私だけのものではないと思い、国を良くすることに全力を注ぐのはもちろんだが、清濁会わせ飲み、柔軟に対応し、命を大切にしようと思う。生きていてこそ、国を変えられるのでね。それと、私の命を助けてくれたお礼をタカナ君に預けてあるのでもらってほしい。僅ではあるが私の気持ちなのでね。それではまた宮殿で合えることを楽しみにしている。 チョウリ』
(清濁会わせ飲むか……国を良くしたいが、死ぬわけにはいかないから、大臣に睨まれないように汚ねえことにも目をつぶり、対応するってえことか。綺麗なだけじゃ、宮殿では生きていけねえってことだな。ん?それより宮殿でまたってえのはどういうことだ?)
チョウリの手紙を読み、少し考えていると、なにやら大きな菓子折りを、重そうに抱えたタカナが戻ってきた。
「手紙に書いてあった贈り物ですよ」
タカナに渡された菓子折りを開くと、主水は驚きで動きが止まった。
(マジかよ。いきなり清濁会わせ飲んでるじゃねえか!!)
よく裏の仕事の現場で見たものがそこにあった。
簡単な菓子の下に山吹色の菓子が……
「タカナ様……これは!?」
困惑してタカナに意見を求める主水。さすがに額が額なので、街で巻き上げる袖の下とは違い対応に困ったのだ。
「私は何も見ていませんよ。ただのお菓子でしょ。チョウリ様の気持ちというので、もらっておいたらいいのではないですか」
タカナも中身を知っていたのだろう、苦笑いを浮かべている。警備隊隊長という身分と、チョウリとの友人関係の板挟みに、悩まされているみたいだ。不憫である。
「ありがたく頂戴します」
菓子折りを天に掲げ、主水は頭を下げた。
これがあれば働く必要ないんじゃないかと真面目に主水が考え始めた時だった。
「中村さん。大事なお話があります」
タカナの声色が一変し、表情も真剣なものに変わる。
「一体なんでしょう」
「中村さんは明日から配置転換になります」
「配置転換…!!左遷ですか……」
主水の頭の中を『左遷』の二文字が駆け巡る。
何度か主水は左遷を経験していた。
中でも一番厳しかったのは、『山流し』と恐れ呼ばれた、甲府勤番であった。
何故『山流し』と呼ばれたかというと、遠島の『島流し』にかけたもので、甲府勤番に飛ばされたら華やかな江戸に、生きて返ることは出来なくなると恐れられていた。今では任期ができていたが、すぐに戻るなら、裏口として、賄賂を送るという方法しかなかった。地獄の沙汰も金次第、それ故、相当な高額で、実家が金持ちしかできない方法である。
飛ばされるのは江戸で素行の悪い者や、仕事が出来ないものである。
そのことから、主水は異常に配置転換を左遷と思い、恐れたのだ。
「いいえ左遷ではありませんよ。言ってしまえば昇進です」
「!?」
主水は想像だにしない返答に疑問符を浮かべる。
左遷なら思い当たることが様々あるが、昇進は思い当たることは更々ない。
チョウリの件もタカナから頼まれただけで、公の正規の仕事ではないからだ。
「私だって耳を疑いましたよ。あの中村さんが昇進だと言うんですから。全くどうなっているんでしょうね」
ボソッと愚痴を溢すと、懐から一枚の紙を取り出す。
主水が受け取った辞令と表に書かれた紙には、
『某月某日特別警察会議室に集合すること』
と書かれている。
主水の頭の中には、妖艶な笑みを浮かべるエスデスと、何かを企んでいるような笑みを浮かべるチョウリの姿が浮かぶ。
このような差配を出来るのは、主水の知る者の中ではこの二人だけであったからだ。
「あと、これは中村さんにとって朗報だと思いますが、セリューさんも一緒に昇進ですので」
(腐れ縁か…だがまだ面倒を見てやらねえといけねえから、一安心だな)
自然と主水の頬も緩んでいた。
その様子を見たタカナはやれやれといった感じで、主水を温かい眼差しで見つめていた。
主水にとってセリューがそうであるように、年齢に違いはあるが、タカナにとっては主水が『手のかかる子(部下)ほどかわいい』に当てはまっていたのだ。
「ということで、今日で中村さんは警備隊を脱退しますが、今はまだ警備隊の一員です。しっかり働いてくださいよ」
「はい!中村主水市中の見回りに行って参ります!」
敬礼して、主水は去っていった。
「面倒を散々かけられましたが、嫌ではありませんでしたよ」
タカナは今までのことを感慨深く思い返し、嘯くようにボソッと溢した。
――――――
これが最後の見回りかと思うと、散々行ってきた市中の見回りも、別の見え方がしていた。なんとも言えない感覚である。
「?」
警備隊隊舎を一歩出た時だった。
主水の足が自然と止まる。
違和感を感じ、目線を下にそらすと、草履の鼻緒が両足ともに切れていた。
(縁起がわりいな…)
嫌な予感を感じつつ、主水晴天の空を見上げるのだった…
◇◆◇◆◇◆
巨大豪華客船『竜船』にゆったりとした癒しを与えられるであろう音色が奏でられている。
しかし、それは乗船者を楽しませるための、船側の趣向ではない。
その音色が流れるごとに、甲板場に出ている、乗船客が次々と倒れ、眠りについていく。
その場にいた、タツミはなんとか精神力で持ちこたえてはいるが、足さえもふらついた状態である。
(なんなんだよこの音色は?耳を塞いでいるのに聞こえてくる)
耳を押さえながら周りに視線を向ける。
突如流れ始めた音色。
次々と眠りにつく乗船客。
あり得ない状況が目の前に広がっていた。
「隠れているのはダルかったぜ。おっ、まだ起きているやつがいたとはな」
突如甲板に響く声。
タツミが振り返ると、黒づくめの大柄な男、ダイダラが具合を確かめるように腕を回しながら歩みよってくる。
「催眠にかかってりゃ記憶は曖昧、生かしておいてやったものを…」
タツミは即座に敵であり、今回のターゲットと認識する。
「お前がナイトレイドの偽物か」
「そっちは本物さんかい!こりゃあついてる!」
厳つい顔が歪み笑みを浮かべる。
何かを期待するかのように。
ダイダラはおもむろに懐から何かを取り出すと、タツミに投げ渡した。
タツミに投げ渡された物は、一本の剣であり、タツミは困惑する。
敵であり丸腰のタツミに態々武器を寄越したのだから。
「なんのつもりだ?」
問い掛けられたダイダラは僅かに間をおくと、何かを思い出すように、語りだした。
「俺はさ、戦って経験値が欲しいんだよ。もうどんなやつが相手でも負けないように、最強になるためにな!!」
ダイダラは帝具ベルヴァークを背中から抜き放つ。
「かかって来いよ、この位置なら人も倒れてないしやりやすいだろ?」
タツミの形相が、殺し屋のそれに変わる。
「じゃあいい経験をさせてやる」
全力で床を蹴り、持ち前のスピードで、ダイダラに斬りかかった。