窓を通して朝日の陽光が射し込み新しい一日が始まることを告げる鳥の囀ずりが聞こえてくる。
しかしそんな清々しい朝がやって来たと言うものの主水は目の下に隈を作り疲れきった顔をしていた。
(腕が麻痺して眠れなかった……)
一睡も出来ず虚ろな目をした主水の真横には、主水の腕を枕として主水とは対照的に気持ち良さそうに静かに寝息をたてるセリューの姿が。
昨夜セリューの
「私を一人にしないで何時までも一緒に居て欲しい」
というセリューの問いかけに答えられなかった主水に対しセリューは、
「それなら私が主水君から離れなければいいんだ」
と主水から離れようとせず、家にまでついて来て、風呂やトイレ以外離れようとせず、主水の横に寝ているという現状に至っていた。
「セリューさん朝ですよ起きてください」
「う~~ん……主水君おはよう」
まるで小動物のような愛らしい笑顔で嬉しそうに抱きついてくるセリュー。
(これは!!)
セリューの髪から甘い芳香が漂い主水の鼻腔を擽り、女性特有の体の柔らかさが主水を刺激する。
主水にとってセリューは娘のような存在ではあるが、さすがにここまでされてしまったら男の性で何か微妙な気分になってくる。
しかも悪いことに朝特有の男の整理現象も起ころうとしていた。
「セ、セリューさん。早く起きないと遅れてしまいますよ!」
理性を総動員して自分を諌めセリューから離れ身仕度を始める主水。
セリューはそれを名残惜しそうに見ていたが、体を起こし主水同様身仕度を始めた。
ーーーーー
約一時間ほどで身仕度を整えた二人は家を出る。
そしてここでもセリューは主水の腕にしがみつきながら笑顔で歩いている。
二人にとっては、恐らく親子のような感覚で腕を組んでいるのだろうが、傍目から見ればそれは違う。
朝からバカップルがイチャイチャしているように見える。
そして、客観的に見てもセリューはその整った容姿から見た目的にも上位の部類に入る。
故に主水は羨望と嫉妬の目に晒されることになるのだった。
街の男達の思いっきり負の感情を込められた視線を背に受けつつ歩んでいく中で、大きな広場に近づいた際、なにやら怒鳴りあいのような喧騒が耳には入ってきた。
(なにかあったのか)
主水は朝っぱらから次々と起こるゴタゴタにため息を吐いていると男が走り寄ってくる。
初めて見る男は、主水を見た後セリューを見て明らかに不快そうにギリッと歯噛みした後、表情を戻し主水に告げた。
「お役人様良いところに、今広場で言い争いになっている者がいますのでどうか仲裁してください」
男は主水の手を掴むと走り出す。
男は何故か手が潰れるのではと思えるほどの力で主水の手を掴んでいた。
(何か背筋にヒヤッとするもんが走ったが……まあいい。こいつも他の奴等と同じで俺に苛ついたんだろうな)
再度疲れた顔で主水はため息を吐くのだった。
主水が広場に足を踏み入れると人だかりができ、その中心で怒鳴りあいをしている者が。
当事者らしきものは三名、一人は大柄な男、その傍らにオロオロしているショートカットの若い女性、対しているのが若い男、いや天閉であった。
そして、大柄の男と若い女性もどこかで見たことがある顔であった。
(天閉とたしか…………そういうことか)
合点がいった主水は横にいるセリューに辺りの人だかりを納めて欲しいと伝え、自分は人だかりを掻き分けて争いの中心に入っていった。
「おい、朝っぱらから騒動起こしやがってお前ら三人ともちょっと来い!」
主水は有無を言わせず三人を引き連れそして、呼びに来た男も事情を聞くということで伴い路地裏に消えた。
ーーーーー
路地に入り誰の目も、耳も届かなくなったことを確認した瞬間、天閉が瞳を吊り上げ主水に詰め寄った。
「どういうことだよイェーガーズ!俺が汗水流して働いて終わったことを伝えに行くとイェーガーズはあんな可愛い娘を家に引き込んでお楽しみでしたって、納得できねえぞ!!」
何故か涙目で堰を切ったように文句を主水に浴びせかける天閉、昨夜仕事の終わりを告げに来た時にセリューと腕を組んで家の中に入っていくのを見ていたらしい。
「天閉様、そのことは後ほど二人でお話になれば良いことです」
(二人?)
若い女性の発言で出た二人という言葉に天閉と二人で?と疑問が生じるが、時間もあまりないだろうということで問い掛けることはしなかった。
だが、その間もずっと主水を男が睨み付けていた。わなわなと体を震わせて。
「私とこちらの私の旦那は革命軍に属しています」
「ああ、一度ナイトレイドのアジトで見たことあるからな。俺を一人にして直接話が出来るようにするために、天閉と一悶着起こしたように装っていたことは分かっている。話してくれ」
「分かっておられましたか、さすが主水様。実は今回の人質交換なんですが大きな問題がありまして……」
やはりなと主水は例の資料を思い返して納得した。
そして、さらにまだナイトレイドが知らないさらに悪い情報があることも。
「今俺はナイトレイドのアジトに行くことは出来ねぇ。そこで、俺の家に行って机の上の資料と、事情を理解している天閉を連れて行ってくれ」
「ちょっと待ーーー」
「行きましょう天閉さん!!」
主水から鍵を受け取った若い革命軍の女性とその旦那に引き摺られて天閉はフェードアウトしていった。
その場に残されたのは殺意すら交じった侮蔑交じりの視線をずっと主水に向けている男と主水のみ。
主水は冷や汗が止まらない。
男が何者かうっすらと気づき始めていたからだ。
「あの時以来だね主水」
立っていた男を煙が包みこみ、その煙が晴れると屈託のない笑顔を浮かべたチェルシーの姿が。
ただし、目は全くの笑ってはいない。
逆に殺意さえ感じさせるほどの鋭さを感じる。
普段なら間違いなく、美しく見えるはずのチェルシーの笑顔だが、主水は見も凍るほどの恐ろしさを感じていた。
「…………」
「あ・の・と・き以来だね」
気圧され黙りこくる主水の眼前にまで迫り、『あのとき』を殊更強調しつつ笑顔を向けてくる。
依然として目は笑ってはいない。
勿論あの時とは、落ち込んでいたチェルシーを主水が慰めた時だ。
「お、おお」
主水は自分でも気づかぬ内に後退りをしていた。
チェルシーは逃がさないといった感じで一歩踏み出す。
「あの時私を愛してるって言ってくれたのに………これはどういうことかな?」
(愛してるなど言った覚えはないが……だがここで誤解を解かなくては社会的にも物理的にもマズイ気がする……)
しかし主水には誤解を解く自信がなかった。
チェルシーは主水とセリューの親子のようなただならぬ関係を知っていれば誤解も解けるかもしれないが知らない。
それだけではない、過去に姑のせんと妻のりつに浮気を疑われた時には、
「私がもてるわけないでしょう」
と強引に言うと
「たしかに種無しカボチャの婿どのがもてるはずはありませんねぇ。ホホホホホ」
と納得は出来ないが深く頷いて説得に成功したが、今回は違う。
実際に主水がセリューを伴い家に入っていくのを実際に見られたのだから。
そして朝セリューは満足げな表情で、主水は疲れたような表情で共に出てくるのも……
何かあったと思わないことがあろうか、いやない。
「話によっては………………ちょんぎっちゃうから」
チェルシーは薄ら笑いを浮かべ人差し指と中指をハサミに見立てて動かしている。
(マズイな……)
主水の仕事人としての勘が訴える。
少しでも対応を間違えば(男としても人間としても)死ぬと。
主水は気を鎮め冷静を装いつつ考える。
この修羅場を乗り越えるにはと。
(難しくとも誤解だと通すしかねぇか……)
主水は一度頭をかくと仕事の時と同様な真剣な表情をし、チェルシーを正面から見つめる。
普段とは一変する主水の雰囲気にチェルシーははからずも鼓動が高鳴り、頬が朱に染まる。
「誤解だ。俺は何もしてねぇ。俺はーーー」
「そんなはずねぇだろ!あんなに可愛いい女を連れ帰って何もしねぇ男なんていない!それがイェーガーズならなおさらだ!!」
「天閉おめえ!?」
連れて行かれたはずの天閉が何故か主水の背後に現れ、主水の言葉を真っ向から否定する。
瞳に悔し涙と怒りを滲ませながら。
「天閉様いつの間に!行きますよ話をややこしくしないでください!」
息をきらせてやって来た革命軍の女性に再び引き摺られて天閉はフェードアウトしていった。
「…………」
「だって主水」
半目で主水を見つめるチェルシー。
いい雰囲気で進みかけていたはずが、場の雰囲気は一転していた。
(しょうがねえ。あまりしたくはねぇが力業でいくか)
チェルシーは見た目的には力業でも軽くいなしてくると思われるが、このような状況でならと思い立つ主水。
チェルシーが主水に向けて一歩踏み出そうとした刹那、主水はチェルシーを強く抱き締めた。
そして耳元で囁いた。
「俺はおめぇだけを思ってる。じゃなくてはこんなことはしねぇ。この戦いが終わったらーーーーーー」
「……えっ…………う、うん………」
みるみるうちにチェルシーは真っ赤に頬を染めていく。
そして、嬉しそうにまた恥ずかしそうにコクリと頷いた。
「約束だよ。嘘ついたら……」
「ああ。じゃあな」
軽く肩に手を置くと主水は去っていった。
(なんとか修羅場を回避できたか……)
額に流れる冷や汗を拭うと主水は広場で整備を行っているセリューの元に向かった。
「騒動はもう起こさないようにしっかりと説教しておきました」
「ありがとう主水君。私の方も終わったよ」
セリューが言うように先ほどまてあった人だかりは消え、朝特有の静かな広場に戻っていた。
「じゃあ行こうか主水君」
セリューは主水の手を取ると笑顔で宮殿に向かって歩き出した。
主水は苦笑いを浮かべるが、知らなかったその様子をジッとチェルシーが見ていたことを。
◇◆◇◆◇◆
「おはようございます」
詰め所内には朝早いというのに既にエスデスが正面にその脇に控えるようにランが、ウェイブ、クロメ、スタイリッシュは着席した状態で揃い、詰め所内には緊迫した雰囲気が漂っていた。
「これで皆揃ったな」
主水とセリューが席につくのを見届けるとエスデスは口を開いた。
「ついに人質交換が明後日に来た。今日はその日の打ち合わせを行う」
「はい」
エスデスの言葉に呼応するようにメンバーの声が室内に轟いた。