その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第六十六話:月明かりのリコリス

 

 

 泡立つ雲間に影は蒼かった。

 満天の星空から散りばめられる光が雲の明暗をより深く刻んでいく雲海面。月は華のごとく咲き誇り、夜は冷たい水滴のように肌を濡らしていく。そして立ち込める静かな闇は、絹織りのように滑らかな肌触りで肢体へとまとわりついてくる。

 

 轟々と叫ぶ風の音に耳を澄ませながら、刑香はゆっくりと瞳を開いた。

 

 

「はたてと椛のおかげで、少しは善戦できてるみたいで良かったわ‥‥‥っと、気を抜いてられないか」

 

 

 聴こえてきた風の爆ぜる音を頼りにして、くるりと身体を反転させる。そして弾幕のスキマへと身体を滑り込ませると、そのまま螺旋を描くようにして降下した。身体をかすめるようにして過ぎ去っていく妖力弾だったが、そのいずれにも恐怖は感じない。頭の中で思い描いたとおりの回避ができているからだ。少しばかり身体の反応は鈍いものの、攻撃にさえ転じなければ対応は可能だろう。

 

 

「‥‥‥良かった、これならあの子に翼くらいは貸してあげられそうね」

 

 

 遮蔽物一つない天空の舞台。

 足元にも頭上にも、己を遮るモノは何もない。妖力は血液のごとく翼を巡り、胸の内側では心臓のように『あの焔』が脈動している。吹き付ける夜風で袖は膨らみ、月明かりが純白の髪を青白く輝かせる。身体に疲れは溜まっているものの心は軽い。身体を落ち着かせるために呼吸を一つ、それだけで空色の瞳は深みを取り戻していく。

 そして、そんな少女へと語りかける影もまた一つ。

 

 

「翼を貸すとは、何ともアナタらしい言葉ですねぇ。こういう時は手とか肩とか、胸やらを貸してやると口にするのが普通でしょう、刑香?」

「‥‥アンタと違って私は非力なのよ。手にしろ肩にしろ、あの子を支えるには役不足。それなら、貸し出せるのは翼くらいしかないでしょう?」

 

 

 繰り広げられる異色の攻防。

 それは一対の風神少女たちによる『弾幕ごっこ』。昼間に霊夢が宣言した新たな決闘法、それを幻想郷中にあまねく広げるための次なる一手。誰もが自分本位で、自由気ままな幻想郷(らくえん)幻想(ようかい)達。彼女らを振り向かせるには、賢者たちの権威だけでは不足だろうと予測されたがこその対策。説得した程度で話に乗ってくるはずもない妖怪や妖精たち、そんな彼女らを惹き付けるための祭囃子。それがこの決闘の意義であった。

 

 

「あやや、刑香の胸は殆どペッタンコですからねぇ。枕くらいにはできますが、それはそれで膝の方が‥‥‥おっと、危ない」

「単なる比喩を詳しく解説するのは止めなさいよ!?」

「まあまあ、そういうのが好きな殿方もそこそこいるので大丈夫ですよ。もっとも、いい加減な男だったら私が追い払いますがね。こんな感じで!」

「まったくもって興味ない、けどね!!」

 

 

 風に乗せたのは(つぶて)の軍勢。

 それを葉団扇の動きに合わせて、夜空へと散りばめる文。『風神一扇』は文字通りに扇を振るうような、或いは扇そのものに似た弾幕を放つスペルカードである。風を操る鴉天狗としてのチカラを表したソレは、まさに彼女に相応しいスペルだろう。

 しかし元々は文が考えたのを、先ほど刑香が拝借しているモノでもある。性能はあちらの方が高いとはいえ、使い手ならば攻略法もお手のもの。木の葉吹雪を思わせる光弾を最小限の動きで躱していく刑香。危なげなく全てを回避したのは、それから数十秒後のことだった。ほんの少しだけ得意げな笑みを浮かべ、攻守交代だと刑香はカードを袖口から引き出す。

 黒い少女の姿が視界から消失したのは、そんな一瞬の隙を突いてのことだった。

 

 

「風神『風神木の葉隠れ』」

「ーーーーぁ、いたぁっ!?」

 

 

 咄嗟に回避へと移ったのは正しかった。

 その肩を直撃したのは、生い茂る草木の色を宿した妖力弾。『風を操る程度の能力』を上乗せした超加速からの奇襲は、同じ鴉天狗でさえ目視するのが難しい。宣言しようとしたカードを取りこぼし、それが雲間へと消えていくのを見送る暇もない。

 取られたのは上空、押し付けられたのは低空。迫り来る弾幕自体は速くないが、位置取りが悪すぎた。これは自身を中心にして、全方位へと弾幕を撒くスペルカードである。術者は視認できず、ただ舞い散る葉のみが視界を覆う。その様子は森の木々に潜みて人々を幻惑したという、木ノ葉天狗のごとくにて。

 

 

「くっ‥‥‥結構痛いんだけど、これって本当に人の子と手合わせするための決闘法なのよね?」

「さすがに身体強化なり魔法防御なりは必要でしょうねぇ。私たちと戦うような人間なら、そのあたりの備え程度は可能だと信じておくこともしましょう」

「そうなると対戦相手にあらかじめ私の『能力』を使っておくことも考えておこうかな」

 

 

 連続してのスペルカードの使用。

 禁止されているわけではないので、むしろ油断してしまった己にこそ非がある。授業料が肩一つで済んだのも幸運だったと考えるしかない。血は出ていないし、骨にも異常はない。ただ大いに痺れるだけだ、痛みはあれど戦闘に支障はない。ぷらぷらと腕を振って感覚を確かめてから、刑香は腰に差していた葉団扇を引き抜いた。

 

 

ーーーねぇねぇ、屋台休むから私たちも遊ばない?

ーーーおお、そーなのかー

 

ーーー将棋の代わりに一戦どうだい?

ーーー最初からそのつもりで誘いに来たんだ

 

ーーー私たちもやろうよ、お姉ちゃん!

ーーーいや、アナタと戦うと心が読めないし‥‥。わ、分かったから無言で襲ってくるのはやめなさい!?

 

 

 光が泡立つ御山の空。

 黒い翼は闇に紛れ、白い翼は雲にまぎれて夜空を駆る。まばゆい弾幕は観る者を惹きつけては、その心に仄かな熱を宿していく。やがて儚げな輝きは少しずつ大きくなり、小川が漏れ出すように山の周囲へと広がっていた。

 月と星が語るのみだった幻想郷の夜、そこに生じた変化は留まらず。まるで蛍の飛び交う季節が、春を追い越して駆けつけたかのように。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 妖怪たちが闊歩する幻想の刻。

 耳をすませば草原の声が、肌に意識をやれば湖面の澄んだ震えが伝わってくる。闇は闇のままに、どこまでも黒の一色で水底に沈むような夜がどこまでも横たわっている。そのおかけで心には波一つなく、月光の下だというのに『能力』は落ち着いていた。

 

 文明という光が眠りを乱し、月夜を喰らっていた『故郷』とは似ても似つかない。夜に星を眺め、月に魔性を抱く、そんな当たり前が当たり前としてここにはあった。遥かなルーマニアの地は遠くかすみ、今や極東の地に鎮座している紅いお屋敷。その上空でフランドール・スカーレットは瞳を瞬かせていた。

 

 

「……キレイなお月さま、こんなに近くで眺められる日が来るなんて思ってもみなかったわ。昼間は身を焦がす太陽に怯えて、夜は心を狂わせる月を怖れる毎日だったもの」

 

 

 声一つに影二つ。

 胸元に手を添えながら、フランは宝石の羽をチラつかせる。このところは屋敷に閉じこもりがちだったので、久々の外出は気分がいい。こいしと戯れているのも楽しかったが、やはり吸血鬼は月夜に出歩くのが最も健康的なのだ。亡き父と母も、今より更に幼かった自分と姉を連れて夜に散歩するのが趣味だった気がする。

 故郷を離れて幾千里、幸せだった日の思い出は変わらずに、幻想郷の地で自分たち姉妹は何とか生きている。父と母は喜んでくれるだろうかとフランは思いを馳せた。すると何故か嬉しくなってきたので、背後にいた姉へと妹は微笑みかける。

 

 

「夜のお散歩は楽しいね、お姉様」

「ええ、そうね。誰かさんがうっかりチェス盤を叩き割った事実を忘れることが出来たなら更に楽しめそうよ、フラン」

 

 

 不満そうに羽を広げている姉。

 つい先ほどまでバルコニーで仲良くチェスをしていたのだが、飽きたので自分が姉を連れ出したのだ。負けが込んでいたのと、チェックを掛けられたのがいけなかった。ちょっと白熱してしまって、姉のキングをチェス盤ごと『きゅっとして』しまったのだ。物理的に崩御させられた王様は粉々の姿で床の上、主を失った家臣たちはテーブルの下で途方に暮れて転がっていた。今頃は美鈴かパチェリーが掃除してくれているだろう。

 

 

「ご、ごめんなさい……」

「まあ、反省しているなら次に活かしなさい。むしろ吹き飛んだのがチェス盤とワイングラスだけでよかったわ」

 

 

 ひらひらと手を振るレミリア。

 子供っぽい仕草は、姉が周りを和ませるためにする癖である。紅魔館の当主としての顔、やんちゃなお嬢様としての顔、そして吸血鬼としての顔。それらを使い分けた立ち振る舞いで、姉は紅魔館をまとめている。美鈴も空気を読むのは上手いが、本気を出した姉はそれ以上なのかもしれない。

 今の紅魔館のメンバーは、それぞれが『一人』で生きようと思えば生きることのできる妖怪ばかり。パチュリーも美鈴も小悪魔も、別段ここに拘る必要はどこにもない。やろうと思えば、どこでだって生きていけるのだ。それでも同じ時を過ごし続けているのは、姉のカリスマによるところが大きいのだろう。レミリアに惹きつけられて、皆がここにいる。

 

 

「ねぇ、お姉様」

「どうかしたの、言っとくけどチェス盤の修理代は来月分のおこづかいから差し引くからね?」

「ーーーえいっ!」

「わっ、ちょっとフラン‥‥!?」

 

 

 自分と背丈の変わらない姉。

 それなのに多くのモノを背負ってくれているレミリアへとフランは抱きついた。初めは驚いた反応を見せたが、すぐに柔らかく頭を撫でてくれる。ちらりと見上げた表情は優しげに目を細めて、フランを慈しむものだった。この顔だけは自分だけのもの、唯一の肉親である妹に向けられるものだ。

 衣服から漂ってきた甘い香水の匂いがくすぐったい。そういえば、文が刑香に見せる顔つきもこんな感じだった気がする。本当はあの二人も姉妹だったりするのだろうか。まさかね、とフランは笑う。

 

 

「始まってるね、弾幕ごっこ」

「そのようね」

「天狗さん達は平気かな?」

「刑香がいるんだから、最悪でも死にはしないわよ。まあ、仮に人間があの高さから落っこちたら『どんな形で』延命するのかは気になるけどね」

 

 

 円を描くように光が踊っていた。

 街の灯りは好きに成れなかったが、こちらは別だ。妖力で作り出した光弾は戦いを観戦しているというよりは、花火を見物するのに似た感覚がする。

 あらかじめレミリアから話はあったので、ある程度の想像はしていた。しかし、やはりというか実際に見ると印象は随分異なってくるものだ。

 

 

「……きれいだね、お姉様。まるでお星さまが降りてきたみたい」

「天狗は流れ星や彗星に例えられることもある妖怪だそうよ。貴女の感じた印象は的確ね」

「へぇ、そうなんだ‥‥」

 

 

 二羽へと向けられた掌。

 ここから妖怪の山までは、それなりの距離がある。指の間を行き来する小さな光、遊ぶような天狗たちは楽しそうだった。流石にここからは能力も届きそうもない。いや発動するつもりはないのだが、一応は自分で自分に制御をかけるのを忘れない。以前よりコントロールが利くようになったとはいえ、こいしと遊んでいる時にしても不安は拭えなかった。今までのようにチカラを振りかざす限りは、いつか綻びが生じるだろう。

 ぐりぐりと姉に頭を押し付けながら、フランは纏まらない考えを口にする。

 

 

「ねぇねぇ、お姉様はどっちが勝つと思う?」

「九割五分で射命丸が制するでしょうね。刑香に出来て、射命丸に出来ないことは殆どないわ。そもそも相性が悪すぎるのよ、あの二人」

「あー、確かにそうかも」

 

 

 ゆらりと光を宿す宝石羽。

 自分を取り戻すキッカケをくれた天狗たち、そのうちの二人が勝負をするとフランが耳にしたのは今朝のこと。『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を初めて回避した刑香と、消耗していたとはいえフランドールを真っ向から制してみせた文。どちらも願わくば、また手合わせしたいと思う相手である。飛び回るのは好きだし、妖力をぶつけ合う感覚も幼い吸血鬼の好むところなのだ。

 加減を誤れば『壊して』しまうかもしれないという懸念はあったが、そんな不安をスペルカードルールは溶かしてくれた。天狗たちの戦いを見つめていると、ウズウズと握りしめた手に力がこもってくる。

 

 

「アレなら私でも遊べるかな?」

「そうね、弾幕ごっこなら貴女でも相手を壊さなくて済むでしょうね」

 

 

 既に準備はしているし、練習だって美鈴のおかげでバッチリだと思う。少なくとも紅魔館でレミリア以外に負ける気はまったくしない。ぐっとポケットに手を潜ませながら、フランは緊張していた呼吸を整える。その中には、何枚かの『カード』が入っていた。美鈴に手伝ってもらい、丸一日かけて完成したフランだけのスペルが手の内にある。

 

 

「お姉様、私たちも………」

「見なさい、フラン」

 

 

 レミリアの指差した先。

 それは夜に沈む湖上、つまりは紅魔館のすぐ向かいであった。刑香たちに気を取られて気が付かなかったが、そこでも『弾幕ごっこ』が繰り広げられていた。ふわりと漂ってきた冷気が、そこにいる者が誰なのかを隠すことなく主張している。

 

 

ーーーほらほらっ、次行くよ! しっかり回避してよね、大ちゃん!

ーーーちょ、ちょっと待ってったらチルノちゃん!?

 

 

 目を凝らすと視えてきたのは、小さな妖精の姿。幼い少女たちが湖面を軽やかに滑っていくのは、蝶が花畑で遊ぶよう。二人の天狗少女たちに比べれば、子供の真似事のような駆け引きだ。しかし、そんなことはお構いなしに二人の妖精は楽しそうにキャンディ色の弾幕を振り撒いている。

 

 

「ほら、あっちでもやってるみたいよ。あの天狗二羽に触発されて血の気の多い連中や、祭り好きな奴らが騒ぎ立てているのでしょうね」

 

 

 あちこちで弾ける光の玉。

 玄武の沢、人里外れの林や平野、果ては迷いの竹林でも泡沫のような弾幕が現れては消えるを繰り返していた。少しずつ賑やかになる祭囃子のように、店先に掲げられる提灯のように、その数は徐々に数を増していく。

 そしてその光景をレミリアもどこか愉しそうに眺めている。口元から尖った牙がチラつき、うずうずと腕組みをしている手にも力が籠もっていた。

 それが自分とそっくりで、思わず吹き出しそうになった。口を押さえて耐えていると姉が何を考えているのかが、手に取るように分かってしまう。

 

 

「お姉様、私とスペルカードで勝負よ!」

 

 

 今度ははっきり言えた。

 手作りのスペルカードを勢い良く取り出して、レミリアから見えるように決闘を宣言する。そんな妹の行動に初めは目を丸くしたレミリアだったが、しばらくすると愉快そうに口角を吊り上げた。高まる魔力の波は了承したという返事なのだろう。紅魔の主のかざした掌に集まっていく紅い光はやがて結晶となり、カードの姿へと形を変えた。

 

 

「いいわね、やりましょう。でも手加減はしないわよ。せいぜいチェスと同じ末路を辿らないように、思考を深めなさい」

「むぅ、今度は私がチェックメイトを叩きつけてやるんだから覚悟してよね。………始めましょう、レミリアお姉様!」

 

 

 咲き誇るクランベリー。

 瑞々しい木々は使い魔たち、彼らから放たれる弾幕は収穫される果実のごとく。まずは小手調べ、この程度で苦戦するような姉ではないことは分かっている。軽々と回避しては、果実を摘むようにしてレミリアは魔力弾を爪で切り落とていく。

 

 

「こんなにも良い月なんだもの」

「長い夜にしないと勿体無いね!」

 

 

 あちらこちらで妖怪たちが遊ぶ宵闇。

 それをまるで『異変』のようだと呟いたのは、誰だっただろうか。これは異変のようでいて、そうでもない夢幻の一夜舞台。幻想郷に新たなルールを芽吹かせる種を運ぶための旋風(つむじかぜ)。後々に稗田の当主によって『天狗映山抄』と名付けられることとなる、何とも騒がしい過去と未来の境界線となる物語。

 

 

◇◇◇

 

 

「軽くいなしてあげるつもりだったのですが、ここまで付いてくるとは思いませんでした‥‥‥‥‥。随分と強くなりましたねぇ、刑香」

「これっぽっちも全力じゃないくせに、どの口が言ってんのよ。どうせなら、このまま勝たせてくれると嬉しいんだけど?」

「あやや、私にも意地がありますからねぇ。アナタの成長を喜ぶのと勝ちを譲るのは別のお話です」

「へぇ、それは何に対する意地なのかしら?」

 

 

 交差した錫杖と葉団扇。

 ギシリと、お互いの得物が重々しく軋みを上げる。交差するのは赤と空の眼差し、うちに秘めたのは冷静と情熱。艷やかな漆黒と清らかな純白を羽ばたかせ、鴉天狗の少女たちはお互いへと不敵な笑みを浮かべていた。

 押し合いはほぼ互角、但しそれは文が片腕で刑香が両腕であるからに他ならない。単純な筋力の差は歴然で、もし黒い少女が本気で応じれば即座に均衡は崩れるだろう。以前のことを考えるなら、それでも格段の進歩ではある。

 鬼神のチカラを宿した錫杖が刑香の弱点であった非力さを大きく補っているのだ。八雲紫と戦った時は制御が出来ず、使えば使うだけ主の身体を自壊させるという碌でも無い代物だったはず。それが改善されているということは、この短い期間で出力を抑える術を学んだのだろう。相変わらず妙なところで器用なことをするものだと、文は刑香の成長を素直に喜んでいた。

 

 

「古来より、鬼の血が染み込んだ武具は使い手に破滅をもたらしてきました。本来なら呪いの品もいいところなんです。そんなモノを好んで使うのは、今となっては物好きな退治屋くらいだと思いますよ?」

「それなりに長い付き合いのある錫杖だもの、多少のことで捨てるわけにはいかないじゃない。それに私に呪いやら毒は通じないのは知ってるでしょ?」

「そうですね、アナタには土蜘蛛の毒も橋姫の精神汚染も届かなかった。『死を遠ざける程度の能力』が大抵の厄災を撥ね退けるのは、ここで語るまでもありません」

 

 

 災いを祓う純白の鴉天狗。

 人も人ならざる者も分け隔てなく延命させ、大抵の呪術や毒を寄せ付けない。地底においてもヤマメの『病気を操る程度の能力』、パルスィの『嫉妬心を操る程度の能力』の効果を阻害していた。未だに大天狗として力不足なのは否めないものの、地底の妖怪たちと対等に渡り合える能力を持つのは大きな長所となる。加えて星熊勇儀のチカラを断片的にしろ使えるのならば、組織内で刑香を正面から軽んじる者はいないはずだ。

 

 

「便利な能力ではなく、鬼族や地底の者に対抗できる能力と見なされれば‥‥‥‥少しは安心できるかもしれませんね」

「戦闘中に何の話よ?」

「アナタが大天狗としてやっていけるかという話ですよ。もちろん、私やはたての支えがある前提ですけどね」

 

 

 これならば上等だろう。

 いくら天魔の後押しがあるとはいえ、天狗も妖怪である以上は弱者には従わない。いざとなれば自分がまた刑香に変装して、適当な同族でも叩きのめそうかと思っていたのだが、その必要はなさそうだ。今の刑香ならば、他の天狗どもから『便利な駒』扱いはともかく、『道具』として扱われる可能性は低くなるだろう。弾幕ごっこを利用して現在の実力を確かめておいて正解だった。自分とて、刑香のためにも無用な争いに足を突っ込むつもりはない。

 

 

「ようやく下っ端天狗の平均値を超えたといった程度ですが、ひとまずは上出来です」

「私の実力不足で申し訳ないんだけど、その程度でいいわけ?」

「天魔様の焔や錫杖の全力での解放、その他諸々を除いての評価です。その条件でコレなら十分すぎるでしょう。そんなことより‥‥‥‥‥気づいていますか?」

「ん、まあね」

 

 

 空から見渡した下界の姿。

 自分たちが山を飛び立った時は、明かり一つなかったはずの幻想郷。そんな世界が今や多くの灯火に覆われていた。面白そうだからと誘いに乗った者、そんな騒がしい連中を追い払うために応じた者、はたまた別の思惑がある者。幻想の郷で妖怪や妖精が住むとされる場所で、ところ狭しと弾幕ごっこが行われているのだ。八雲の主従が事前に『仕込み』をしたとは耳にしていたが、随分と順調に進んだものである。

 

 

「ここまでの規模となると、最初は物見遊山だった人里も大騒ぎでしょうね。妖怪の山だけだった光が、あれよあれよという間に幻想郷一面にまで広がってしまったんですから」

妖怪同士(あいつら)は遊んでいるだけとはいえ、人の子なら一撃で昏倒させるだけの弾幕だからね。人里の住人からすれば気が気でないかもしれないわ‥‥‥‥」

「とはいえ、今宵ばかりは耐えてもらうしかないのも事実ですよ。怯える以上の害もないのですから、アナタが心配する必要はありません」

 

 

 かくして目的は果たされた。

 これは幻想郷にいる妖怪連中に、『スペルカード』の有用性と関心を植え付けるための決闘。それ故に最低限の駆け引きを演じれば良く、自分たちは勝つ必要も負ける必要もない。あとは乗ってきた連中に任せておけば、朝まで祭りは続くだろう。それを山に帰ってから、縁側で盃でも片手に見物していればいいのだ。

 しかし刑香が錫杖を下げなかったので、やれやれと文もまた葉団扇を構え直す。

 

 

「せっかくなんだし、最後まで付き合ってくれると嬉しいわ。アンタが嫌じゃなければ、決着をつけてみたいとすら思ってる」

「まあ、そう言うと思っていましたよ。別に私としてもこのまま付き合うのは、やぶさかではありません。妹の成長を推し量るのは姉の役目ですからねぇ、もちろん負けませんけど」

「‥‥‥‥ちょっと、さっきアンタが言っていた『意地』っていうのは姉貴分として負けられないって意味なわけ?」

「あやや、バレてしまいましたか」

 

 

 隠すつもりもなかったくせに。

 そう口にしてから刑香は風を斬るようにして錫杖を一閃する。断ち切れた風はたちまちに蒼い妖力を帯び、真っ白な掌へと集束していた。周囲の大気は小さな渦を巻き、降る月光すらも呑み込んでいるようである。そよ風のような空気の流れは少しずつ大きくなり、徐々に熱を帯びていく。

 

 

「それじゃあ、せっかくだからその胸を借りようかしら。せいぜい付き合ってよね、文ねぇ」

「最後のところ、もう一度言ってくれたら嬉しいですねぇ」

「私に勝ったなら幾らでも」

「よーし、久しぶりに全力を見せてあげましょう」

「やる気になったようで何よりね。それじゃあ、行くわよ!」

 

 

 薪の弾けるような音が響いた。

 蒼かった妖力は太陽のような黄金(こがね)色へと変質し、暗闇を焚いて燃え上がる。こうして直接見るのは、刑香が大天狗となった会議以来であろうか。焔の大きさは自分や刑香の身体の半分もないのに、炎熱は果てしなく。その昔に多くの人々を護り抜いた彼女の祖父から譲られたチカラである。

 そして錫杖を握っている手には、新しいカードの姿。なるほど次に来るのが刑香の切り札であるらしい。鴉天狗としてではない能力をカタチにしたスペルならば、己とて初見での対応は難しくなるだろう。面白いじゃないですか、と射命丸文は初めて好戦的に笑う。

 しかしーーーー。

 

 

 

「ーーー随分と派手に暴れてくれたわね、二人とも?」

 

 

 

 

 幻想郷中で起こった弾幕ごっこ。

 これからは日常となる光景だろうが、今宵はまだ非日常の出来事。自分たちだけなら良かったのだが、ここまでの大事となったのならば『動かなければならない者』がいる。例え、全てが予定調和であり計画的であったとしても人々の不安を取り除くために飛ばなければならない者がいる。すぐそこまで迫っていた『その者』の霊気を感じ取り、射命丸文はどこか名残惜しそうに葉団扇を引っ込めた。

 

 

「あやや、もう駆けつけたんですか。ちょっとばかり約束の刻限より早いのでは?」

「えーと、思ったより‥‥‥そうっ、思ったより大事になってるから急いできたのよ!」

 

 

 幼いながらも自信に溢れた声。

 その響きだけで、弾幕ごっこを通じて鋭敏になっていた感覚が揺らいでいく。張り詰めていた妖力は霧散し、ただただ心臓の音が大きくなっていくのを感じた。声の主は自分のすぐ後ろ、にやにやと笑っている文のことを気にする余裕はない。「まさか」と淡い期待を抱きつつ、同時に湧き上がる「そんなわけない」と逸る気持ちを抑えながら振り向いた。

 

 

「この騒ぎの元凶はアンタたち二人よね。おかげさまで人里は蜂の巣を突いたように大混乱、妖怪たちも各々好き放題に飛び回ってて、幻想郷中が騒がしくって仕方ないわ」

 

 

 宵闇にあって鮮やかな紅白の色。

 赤みがかった茶色の眼差しが真っ直ぐに自分へと向けられている。あまり長く離れていたわけではない、それなのに酷く懐かしさを覚えてしまう。こみ上げてくる感情を表に出すわけにもいかず、刑香は少女の口にする言葉の続きを待った。

 

 

「ーーー人里の守護者たる博麗の当代巫女、博麗霊夢としてこの混乱は放っておけない。せいぜい覚悟してよね、刑香!」

 

 

 澄み切った視線は変わらずに。

 たった一ヶ月と少し、離れた期間は短けれど十年は経ってしまったような気がする。この再会は予想していなかったし、文から聞いてもいなかった。よくも黙っていたなと睨んでみても、「なんのことやら」と黒い翼の姉は呆けたふりをするばかり。この一件が終わった後で、抱えきれないくらいのお礼を伝えようと刑香は心に決める。

 

 

「ーーーここは我らの領域、妖怪の山の上空よ。踏み入るというのなら御山の守護を務める大天狗が一人、白桃橋刑香が受けて立つ。手加減してあげるから、せいぜい全力でかかってきなさい、霊夢!」

「ええっ、三日くらいは神社でお説教するから山には帰さないんだから!!」

 

 

 人間と妖怪、巫女と鴉天狗。

 妖怪を惹き付ける才能を持った人間の少女と、人間を救うチカラを持った妖怪の少女。きっと出会いは偶然でも、この再会は必然だったのだろう。

 盃から酒が溢れていくように月から光が流れ落ち、木漏れ日のように優しく輝く星辰の下。祭り屋台が立ち並ぶがごとく賑やかな地上と、紫陽花のように染まる雲の上。再会を祝した少女たちの弾幕ごっこは華やかに空へと舞い遊ぶ。

 

 

 二人の瞳が少しだけ濡れているように見えたのは、きっと射命丸文の見間違いではないのだろう。

 

 

 


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