その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第四十九話:別れ霜は香れども

 

 

 長い長い、夜が明けた。

 雲一つない空を染め直すのは、おぼろげな暁の薄明かり。夢の続きを促すような宵のまどろみが西の彼方へと押し流され、遅れるようにして爽やかな風が地上を吹き抜けた。小さな草花の芽吹く野原を揺らした朝の兆しは緩やかに幻想郷を満たしていく。

 幻想郷に住まう人間たちの朝は早い。水くみに畑仕事、炊事などの仕事は幾らでもある。人里にはぽつりぽつりと人影が現れ始めていた。何ということもない。

 妖の刻は終わり、今日もまた人の時間が巡ってきたのだ。

 

 

 

 

「‥‥‥そうか、アイツはここに帰って来ないんだな」

 

 

 うららかな日の光が差し込む寺子屋。

 涼やかな空気の中、頭に包帯を巻いた慧音はそう口にしていた。それは宵が地平の彼方に沈み、満月が空から消えた朝の刻。すでに一ヶ月に一晩だけのハクタクとしての能力は内側に潜んでしまっていた。

 昨夜、白狼たちから受けた傷は思ったより深い。一晩で全快とはならなかったようで、身体のアチコチには生々しい傷が残っている。完全に人の姿へと戻ってしまった以上、治癒力も大きく落ちた。あとは人間としての体力で回復していくしかない。そんなハクタク教師の隣には、紅白の少女が座っていた。

 

 

「お別れだって‥‥‥ごめんねって‥‥‥刑香が、言ったの。私、ちょっとだけ遅かったみたいで、わたしは‥」

「霊夢、お前は本当に頑張った。だからそんなに思いつめる必要はない‥‥ああ、違うな。お前はこんな言葉を欲しがっているはずがないのに‥」

 

 

 この身体では今日の授業は行なえそうもなく、寺子屋の軒先には「本日休校」の札が掛けられていた。傷の痛みに耐えながら慧音は布団から起き上がる。教師業は休むつもりだが、目の前で項垂れている幼い子供を放ってはおけない。

 

 

「‥‥参ったよ、昨日の今日でお前たち二人の泣き顔を見ることになるなんてな。私はまだまだ未熟者らしい」

 

 

 昨夜は空色の瞳で、今は赤みがかった黒い瞳。

 まさか顔見知りの涙を二日続けて流させることになるとは思わなかった。いつもの強気な巫女はどこかへやら、手のひらで目元を隠しながら霊夢は涙をこぼしている。

 正直に言うのなら、慧音はいつか二人に別れが来る可能性は予想していた。人間と妖怪、巫女と鴉天狗では立場が違いすぎる。いずれは霊夢が一人前の巫女になり、刑香がそれを感じ取って身を引く未来もあるだろうと。

 だがこんなにも早く、その時が訪れるとは思っていなかった。明らかに原因の一端は自分にある。

 

 

「‥‥すまない、私が迂闊だった。状況を見誤った、時期も逸していた。そのせいでアイツの過去を八雲殿に知られ、アイツと天狗の間にあった因縁まで再燃させてしまった。お前と刑香が別れることになった元凶は、私だ」

「‥‥‥あんたのせいじゃないわ、きっと紫のせいでも天魔のせいでもない。刑香が今まで抱えてきたものが表面化しただけ、いつか、遅かれ早かれ必ずこうなっていた‥‥‥はずだもん」

「霊夢‥‥」

 

 

 紅白の少女は強がって微笑んだ。

 確かに、今回のことは避けられない出来事であっただろう。地底にいる連中もそうだが、旧い妖怪たちの中には刑香の正体に気づいている者もいた。だから慧音が明らかにしなくとも、近い将来にはこうなっていただろう。それが分かっているから、霊夢は無理に自分を納得させようとしているのだ。

 この二人はもっと別の形で出会うべきだったのかもしれない。刑香が人間であったのなら、霊夢が天狗であったなら、姉妹のような関係になれただろう。そうでなくても巫女でなく、天魔の血縁でなかっただけでも、もっと穏やかな未来があったはずだ。

 窓の外へ視線を移すと、春の日差しの中で妖怪の山が白く輝いているのが見えた。上手くいかないものだな、と慧音は苦笑する。

 

 

「こうしていても仕方ない、とりあえず情報を集めてみよう。私は射命丸と姫海棠に話を聞いてみるとするよ。そろそろ次の新聞を届けにくる時期だからな。霊夢、お前も三羽鴉の発行する新聞のどれかは取っているだろう?」

「‥‥あの三人、じゃなくて三羽も妖怪だから監視の意味を込めて全員の新聞を見せてもらっているわ。人里に広める以上は巫女として手抜きはしてないわ。一応ね」

「くくっ、意外と厳格なのがお前らしい。特に四季桃月報には私はよく世話になっているよ。内容が授業にちょうど良いからな」

 

 

 幻想郷の自然などを中心に書かれた四季桃月報。

 発行頻度はひと月に一回程度で少ないが、幻想郷の自然についての記事は完成度が高い。草花の芽吹く春、深緑の薫る夏、紅葉の舞う秋、白い雪の眠る冬が鴉天狗ならではのカメラワークで収められている。その他にも地底の温泉を描いた記事もあったはずだ。過去の号は寺子屋の倉庫で多くが保管されている。派手さはあまり無いが内容は堅実で、記者本人の性格もあって人気はそれなりにある。

 ぐしぐしと手のひらで、霊夢は赤くなった両目をこすった。

 

 

「紫は私のために刑香を式神にして、八雲の勢力に取り込むつもりだったんだって教えてくれたわ。でも刑香の意志も関係なく、そんなことをするなんて間違ってると私は思ったのよ‥‥でも、ね」

 

 

 あの時、夏空色の瞳には決意があった。

 はっきりと霊夢を見据えて告げられたのは惜別の言葉。少なくとも問題が解決するまで、刑香は帰って来ないつもりだろう。しかし天魔との血縁が発覚し、大天狗へ選出され、それに伴って身に降りかかるであろう困難は多い。全て解決するのはいつになるのだろうか。

 数ヶ月後なのか、半年後なのか。それとも数年後かもしれないし、ひょっとしたら数十年後という可能性もある。人間と天狗の寿命の差は大きい。

 もう会えないかもしれない、そんな考えが涙腺を緩ませていく。頬を伝った涙がこぼれ落ち、畳を濡らす。

 

 

「私‥‥‥刑香が式神になっちゃってたら良かった、なんて今は思ってる。紫の作戦通りにそうなっていたら、ずっと一緒に、いられたんじゃないか、ってさ」

「霊夢」

「っ、私、自分勝手よね‥‥こんなのだから刑香も呆れて離れていったのかしら」

「落ち着け、博麗の巫女殿」

 

 

 包帯だらけの両腕が霊夢を引き寄せる。

 消毒のために染み込ませた酒の匂いが鼻をつく。伝わってくるのは刑香とは違う温かな感覚だった。まだ傷が痛むのに、慧音は苦悶の表情を浮かべながら霊夢を抱きしめてくれていた。すすり泣く声が止むまで背中を優しく撫で続けるハクタクの教師。しばらくして頭が冷えた少女が「もう大丈夫」と腕の中でつぶやくと、慧音はゆっくりと頷いた。

 そして無防備な霊夢の脇へと指が忍びこんだのは、その時だった。

 

 

「ーーーえ、なに、わひゃぁぁっ!?」

「あの刑香がそんな理由でいなくなるわけがないだろうっ。そんな下らない妄想をして、子供がいつまでも深刻な顔をするんじゃない!」

「ちょ、何すんのよーーッ。そこは弱いっ、弱いから!!?」

 

 

 真っ赤な顔で暴れる霊夢。

 そして部屋を満たしていくのは、幼い少女の笑い声。バタバタと手足を振り回すが、構わずに慧音はくすぐりを続ける。そして息切れを起こす直前、ようやく開放された霊夢はそのまま後ろへ力無く尻もちをついた。呼吸を整えながら、巫女はじろりとハクタク教師を睨みつける。

 

 

「はぁ、はぁ‥‥慧音、あんたねぇ」

「落ち込んだ時は思いっきり笑ってみると良い。どうだ、少しは気分が良くなったか?」

「こんな子供みたいな方法で何かが変わるわけないでしょ、私は巫女なのよっ!」

「少なくともお前はまだまだ子供だよ。形式的なものとはいえ、お前が正式に『博麗の巫女』として任命される式典だってまだ先だ。ひとまず刑香のことは私に任せて、そちらへの準備でもしておいたらどうだ?」

「今はそんなのに時間を使っていられるわけ‥‥」

「藍殿と刑香が苦労して整えてくれた、お前のための舞台なんだろう?」

「それはそうだけどさ‥‥何よ、大人ぶっちゃってさ」

 

 

 刑香が地底を訪れた理由。

 それは地底の代表者、古明地さとりを博麗の式典に『招待』するためだった。今は妖怪の山にいるようだが、いずれはさとりも神社に出向いてくるだろう。他にも八雲紫やレミリアを始めとする大妖怪たちが出席する。

 本来は巫女が代替わりしただけなら、ここまで大勢の有力者たちを集める必要はなかった。しかし今回だけは違う。

 

 これまでの幻想郷の形を変えてしまうルールが、その場にて話し合われる。

 

 命の奪い合いを『遊び』へと、実力よりも『美しさ』を重視し、そして肉体的な決闘を『精神的な勝負』へと変化させる。それこそが霊夢と紫が考案した『スペルカードルール』である。この幻想郷の存続のための話し合いに、有力者たちが集結するのだ。それがどうしたのかと口を尖らせる霊夢へと、慧音は続きを口にする。

 

 

「当たり前だが、式典には幻想郷最大の勢力である『天狗』たちも招かれている。それも天魔殿か、もしくは『大天狗』が出席する可能性は高い」

「‥‥そういうことね」

「ああ、上役が出てくるなら刑香にたどり着くチャンスはある。だから霊夢、今は博麗の巫女としてその日に備えてくれ。もちろん情報を集めるのもいいがな」

「うん、分かった。ひとまずは『そういうこと』にしてあげる」

 

 

 刑香が山に帰ったといっても、自分たちとの繋がりまで無くなったわけではない。今まで共にあった時間はここにある、それを灯りとすれば刑香へと続く道の一つくらいは見えてくるはずだ。まあ、あの刑香がこのまま大天狗を目指すかどうかは疑問は残る。あの白い鴉天狗は権力には殆ど関心がないだろうから。

 

 

「よーし、待ってなさいよ。絶対に手掛かりを掴んでやるんだから!!」

 

 

 腕を振り上げる幼い巫女は、ともかくやる気になったらしい。ひとまず文かはたてを取っ捕まえて情報を絞り出してやる、と恐ろしいことを言っているが慧音は気にしないことにした。元気になってくれたなら、それでいいと思いながら。

 

 その時、ぱさりと羽音が小さく空気を震わせた。

 

 そして軒先に止まっていた白いカラスが、妖怪の山に向けて飛んでいく。二人のやり取りを、空色の瞳をした使い魔が見守っていたことに霊夢と慧音は気づかなかった。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 いつの時代か、何処の場所か、何者かは書き残す。

 

 

『遥かに遠く遠く、人の及ばぬところ』

『夢か現か、妖怪が住まう幻想の(さと)

『現実に生きる愚者とは決して相容れず、外から招かれるは夢に沈む賢者のみ』

『七つ不思議の果ての果て、深い神秘の底にこそ幻想郷は存在する』

 

 

「‥‥何のことはないわ、よくある法螺話ね」

 

 

 古びたメモ帳は閉じられる。

 それは科学万能が掲げられて久しい現代において、あまりにも馬鹿げた妄想。この本も大学の寂れた研究室、その奥にあった本棚から出土した品である。まったく手入れもされておらず、崩れた表紙からは作者名が分からない。中身だって日焼けしており、読めなくなっているページも珍しくない。自分たちの入学が一年遅れていたら廃棄されていてもおかしくなかった。

 そうでなくても常人が手に取ったのなら、次の動作でゴミ箱に放り込まれている。まともな人間にとっての価値なんて一銭とてない、これは文字通りに無意味な書物なのだから。

 

 

「じゃあ、『まともでない人間』にとってコレはどう映るのかしらね?」

 

 

 古びたページを細い指が愛おしげに撫でる。

 そして快活な雰囲気をした黒髪の少女は片足をかばいながら、畳を踏みしめて立ち上がった。白い包帯が巻いてある下には、くっきりとした歯形が残っている。少女は昨日、まさに妖怪によって襲われたのだ。

 だがそんな宇佐見蓮子はプレゼントを貰ったばかりの子供のように、メモ帳を頭上に掲げて飛び跳ねていた。その表情に憂鬱そうな影は何一つ見られない。

 

 

「車も道路も高層ビルもない風景、そして妖怪やら空飛ぶ巫女がいるビックリ世界。ふ、ふふっ、私たち秘封倶楽部はついに『幻想郷』に辿り着いたのよ!」

「そうだと思うけど‥‥怪我したのに元気過ぎない?」

「仕方ないじゃない、こんなに楽しい気持ちはメリーと出会って以来なんだからさ。喜んでおかないと損よ、損。見たかっ、私たちを馬鹿にした科学サークルの部長め!」

「あ、それは同感」

 

 

 部屋の(ふすま)を開け放つ。

 流れ込んでくる自然の風とまばゆい陽光は、自分たちが今まで感じたことが無いほどに爽やかなモノ。サワサワと神社を囲む森が枝を鳴らし、所々から漏れ出した木漏れ日が地面に影絵を作り出す。都会では味わえない朝の気配がここにある、もはや自分たちの世界では失われた何かがここには息づいていた。そう、はっきりと分かるのだ。

 深呼吸をして、満面の笑みで蓮子はメリーへと微笑んだ。

 

 

「はしゃぎすぎている自覚はあるわ。でもね、こういう時は思いっきり騒いで笑ってやればいいのよ。メリーは思考タイプ過ぎるわ」

「まだ帰る方法も分からないのに‥‥ふふっ、蓮子といると退屈しないわ」

「でしょ? せいぜい感謝しなさいな」

「ぷっ、あははっ、もう蓮子ったら調子に乗らないのっ」

 

 

 つられてメリーも笑い出す。この親友と一緒なら、どうにか成りそうだと思えてくるから馬鹿らしいと思う。でも確かにここまで二人で辿り着いたのだ、なら二人で帰る方法をのんびりと探せばいい。今だけはそう考えていても良いだろう。

 

 

「確か、博麗神社だっけ?」

「そうね、ここの名前はそれで合ってるはずよ。私たちを助けてくれた巫女さんがそう言ってたんだし」

「あの子、メチャクチャ強かったよねー。ルーミアっていう妖怪が手も足も出ないんだもん。私は怪我の痛みのせいでボンヤリだけど、メリーはしっかり見てたんでしょ?」

「うん、凄かった‥‥けど、ちょっと怖いくらいだったかも」

 

 

 ルーミアから救い出されたメリーと蓮子だが、二人をここまで運ぶと紅白の巫女はどこかへ飛んでいってしまった。薬箱が置いてあったので、とりあえず蓮子の手当てはできたが何というか投げやりな対応だとメリーは思う。それほどに急がなければならない用があったのだろうか。

 それなりに大きな境内と本殿を持ち、周囲を木々に囲また神社はどこか陸の孤島のよう。この神社には人間も他の存在も、まとめて遠ざけようとするチカラがある。

 

 

「‥‥楽園の巫女様、か」

「ん? 何か言ったかしら、メリー?」

「何でもないわ、多分ね」

「それならいいけどさ‥‥おっと、こっちのタンスに新聞があったわ。ささやかな情報収集と行きましょうか」

「えっと、やり過ぎじゃない?」

「いいのいいの。後で直しておけばいいのよ」

 

 

 家主のいない隙に、手当たり次第に捜索をかける親友。後で元に戻しておけば大丈夫というのが本人の言い分らしいが、バレなければ何をしてもいいわけではないとメリーは思う。いつの間にか畳の上には紅白の巫女服や下着、何かの御札までぶちまけられている。

 これは触っても大丈夫なのだろうか。それにこれらをすべて元通りに片付けることが出来るのか。適当にタンスへ詰め込みでもしたら、持ち主からこっぴどく怒られるに決まってる。

 だが、蓮子はまるで気にしていないようだ。手にした新聞の束をメリーの方に手渡してきた。

 

 

「なになに、『文々。新聞』と『花果子念報』に『四季桃月報』か。それにしても三紙も取ってるなんてねぇ。私たちを助けてくれた子は随分な情報通みたいよ」

「うーん、何だか別の目的があるような気がするけど‥‥」

「まあ、とりあえず読んでみれば分かるわ。私はこっちの二紙に目を通してみるから、メリーはそっちの新聞をお願いね」

「はいはい、りょーかいよ」

 

 

 気のない返事をして、それをテーブルに広げる。

 上質な紙面はしっとりとした指ざわりで、インクのシミが一つも見当たらない。どうやら印刷技術は進んでいるらしい。この世界の雰囲気からして、せいぜい普及していても活版印刷くらいのモノかと思っていた。だが、この分だとオフセット印刷も使用されているのかもしれない。結論として、この世界の者たちの技術力は高い。そして肝心の中身の方だが、なかなかこちらも興味深そうだ。紫色の瞳が細められていく。

 

 

「四季の移ろいを捉えているのね。そして撮影者は常に一人で、自然の中に溶け込んでシャッターを切ってる。でも段々とそうではなくなってる‥‥のかしら?」

 

 

 徐々に色鮮やかになっていく写真。

 まるで記者である人物の心の変化を表しているようだった。美しくも寂しげだった風景には、新しくなるにつれて繊細な感情が多く見えてくる。はっきりと分かるわけではない、なんとなく感じられるくらいの変化である。どんな記者なのだろうと気になった。感受性が豊かでそのくせ控えめな性格、男性よりは女性の可能性が高そうだ。

 そんな役に立ちそうもないことを考えながら、ページをめくる指先は進んでいく。純白の翼をした少女の写真が目に入ってきた時、メリーの手は止まった。

 

 

「山伏に似た装束と頭巾、そして背中に生えた翼と錫杖。この娘ってひょっとして‥‥」

「何か見つけたの?」

「これよこれ」

「‥‥お手柄よ、メリー。これって鴉天狗でしょ」

 

 

 タイトルは『花鳥風月に舞う』。 

 これまでの四季桃月報の中で唯一、被写体として誰かが写っている号であった。燃えるような紅葉の舞う中、浮かび上がる純白の双翼。どこか浮世離れした美しさと、そして微かな畏怖のようなモノが感じられる一枚だ。ルーミアという少女もそうだったが、妖怪というのはこんなにも存在を目に焼き付いてくるのだろうか。

 トレードマークの帽子を手の甲で持ち上げ、蓮子が新聞を覗き込んだ。

 

 

「うーん、普通のカラスっていうのは黒いものだけどさ。その娘は違うのね、実際の鴉天狗はみんな白いのかしら?」

「‥‥どうかしら、そもそも白い生物は『吉凶』の象徴よ。古来から信仰の対象となっていたこともあるし、むしろ妖怪よりは神仏に近い感じだと思うんだけど」

「白ヘビとかが有名よね。まあ、わざわざ写真に撮られているってことは珍しい個体なのかもしれないわ。だとしたらスクープなのかも」

 

「綺麗な写真だしちょっと欲しいわ。こっそり切り抜いたらあの巫女の子は怒るかしら。どう思う、メリー?」

「そ、それは止めといた方がいいと思う。この新聞の記者に会えた時に一部貰えばどう?」

 

 

 自分たちが読んでいる新聞の記者が、写真に映っている本人だと二人は気づかない。明らかに空から撮影された写真もあるのだが、先に霊夢が空を飛んでいるのを見ているので疑問とはならないのだ。メリーと蓮子の中では、幻想郷の人間は誰しも飛行ができる存在になりつつあったりする。人里の住人が聞けば、全力で首を横に振るだろう。

 

 

「こっちの文々。新聞では『寺子屋の教師が男からプロポーズ、結婚間近!?』なんて記事があるわ。こういう地域密着型の内容から考えると、やっぱり幻想郷はそんなに広くないんでしょうね」

「それに政治関係のネタもないわ、蓮子。情報が規制されているか、それとも為政者が人里にいないのかもしれない」

「なるほどね、その可能性もあるわ」

 

 

 二人の推理は鮮やかだった。

 畳の上やテーブルに置かれている新聞はあまり量がない。それぞれの発行は多くても一週間単位、刑香の新聞にいたっては一ヶ月に一度だけなのだ。たったそれだけの記事から、秘封倶楽部は真実から決して遠くない情報を引き出していく。

 これまでも不足した資料で活動を続けてきた二人、推理力は常人より磨かれているのだろう。やがて、蓮子とメリーの瞳は『ある記事』でピタリと止まった。

 

 

「『山に立ち入るべからず』か、紙の状態からして一番新しいのがコレよね。そんなに古いものでも無さそうよ、せいぜいこの一ヶ月に発行されたものかしら?」

「ねぇ、それより三紙が同じような内容で一面記事を組んでるわよ。もしかしなくても、昨夜の私たちは思ったより危ない状況だったんじゃない?」

「山って、私たちが迷い込んでいた所以外には無さそうだもんねぇ‥‥」

 

 

 そのまま無言で顔を見合わせる二人。

 異口同音、三つの新聞は口々に「山への注意」を語っていた。理由は詳しく書いていないが、天狗の組織で何かがあったと(ほの)めかされている。山には天狗が住んでいて、その天狗たちには何かが起こっている。二人に分かるのはそこまでだ。

 これ以上は無理ね、と布団へ倒れ込む蓮子。あとは紅白の少女が帰ってきてから色々と質問すればいい。ルーミアに破かれた靴下は脱ぎ捨てているので、素足のまま掛け布団へと潜り込んだ。

 二人とも昨日の大雨に打たれたせいで私服はずぶ濡れだ。着ているモノはお互いに真っ白な寝間着である。神社のタンスから出てきたもので、巫女の少女の母親のものかもしれないと二人は考えている。

 もぞもぞと布団の中で動いていた蓮子は、しばらくして頭だけを出して口を開いた。

 

 

「まあ、ここには妖怪も来ないだろうから、のんびりしましょうか。お腹すいたし。あ、私は足を怪我してるから片付けるのはよろしく、メリー」

「もちろんダメ、新聞をたたむくらいなら座りながら出来るでしょ。ほらほら、起きないとメリー銀行の利子がまた上がるわよ?」

「げっ、アレって冗談じゃなかったの!?」

 

 

 ここに跳ばされる前にあったランチ騒動。

 結局、蓮子はメリーにお昼代を出してもらっている。それ自体は大した金額ではなかったのだが、メリーが冗談半分に設定した利子はトイチである。ちなみに意味は「十日で一割」で、紛れもない暴利だったりする。

 もちろん悪ふざけというのは分かっているのだが、メリーは一度怒らせるとかなり怖い。普段ふわふわしている人物が本気で激怒した時の衝撃はとんでもないことを蓮子は知っている。しずしずと起き上がって、片付けを手伝うことにする。

 だが開けっ放しの襖から見える空に何かを見つけた瞬間、少女は動きを止めた。

 

 

「ちょっと蓮子、お腹すいているのは私だって同じなんだからね。まじめに‥‥」

「いやいや、メリー。空から何か来てるわよ?」

「あの子が帰ってきたんじゃないの?」

 

 

 鳥居の向こう側に小さな人影が着地するのが、蓮子には見えていた。そしてその人物は腕いっぱいの大きなカゴのようなモノを抱えながら、こちらへ可愛らしく走ってくる。背丈は似ているが、服装がかなり違う。とんがり帽子やフリルの白黒スカート、そして箒にまたがった姿はまるでーーー。

 

 

「よっ、霊夢! この私が遊びに来てやったぜー!」

 

 

 まばゆい金髪が朝の日差しに照らされる。

 ハチミツ色の瞳と明るい声色、それは夜を吹き飛ばす太陽のように輝いていた。抱えているのは沢山のお菓子が詰まったバスケット、友人と一緒に食べようと持ってきたのだ。金髪とスカートを風になびかせて、魔法使いの少女は縁側へと上がり込む。そこで、ようやく部屋に見慣れない二人組がいたことに気づいて首を傾げた。

 

 

「‥‥お前らは霊夢のお客さんか?」

 

 

 幼い新緑が境内に芽吹く頃。

 夜の雨が降りしきる中で、白い鴉天狗は巫女の傍を離れていった。それとまるで入れ替わるように、霧雨魔理沙は博麗神社を訪れることになる。それはどこか甘い香りのする霜が立ち込める春の朝のこと。

 

 

 


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