その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第四十七話︰徒花とは成らずして

 

 

 スキマ妖怪が戦場を離れてそれなりの時間が経った。

 藍と刑香の戦力差は圧倒的で、しかも刑香は手負いの身。本来なら早々に勝負が着いていたはずだ。だが、二人の戦闘はまだ続いている。辺り一面には青白い狐火が押し寄せ、天つ風がそれを押し返さんと吹き荒れる。巨大な火の粉はデタラメな気流に乗って、舞い散る花びらのように燃え盛っている。静かな宵の空は、妖怪たちによって炎と風の舞い散る舞台へと変貌していた。

 

 

「で、りゃぁぁぁっ!!」

「来いっ、我が従者!」

 

 

 襲い来る炎を風で散らした刑香は、最高速度で錫杖を藍へと振りかぶる。だが、迎え撃つ九尾の手にあった神符、そこから這い出してきた『腕』に切っ先を弾き返された。傷ついた全身へと衝撃が走り抜ける。ブチブチと傷口から漏れ出た嫌な音、すぐに真っ赤な血がにじみ出てきた。

 

 

「い、っ‥‥‥くぅ‥」

 

 

 苦悶の声を漏らして即座に離脱する。

 ちらりと見えたのは、ぼんやりとした輪郭を持った『何か』だった。あまり悠長に確認してもいられない。痛む身体にムチを打って、どうにか速度を保ちながらバランスの崩れた体勢を引き戻す。ふらつく視界の中で見えたのは、先ほど亡霊のようだと思っていた何かが実体化していく光景だった。そして現れたのは、天狗である自分が最も恐れる存在。地底でも出会った脅威に声が震えだす。

 

 

「ここに来て、鬼な、んて‥‥‥」

「ああ、残念ながらその通りだよ。式神(ちぇん)ではなく、我が道具()である個体の一つ。その名はーーー」

 

 

 八雲藍を守るように立ちはだかる、たくましい二本の角を生やした怪物(おに)

 その名を『前鬼』、陰陽道において主を守る呪術の一つである。元々は妖怪退治のための秘術で、少なくとも妖怪が使っていいものではない。しかし八雲紫がそうであるように、式神である藍も習得しているのだろう。もしかすれば、鬼の亡骸そのものを素材にしている個体なのかもしれない。

 だとしたら無理だ。いくら鬼神である星熊勇儀のチカラが後押ししてくれているとはいえ、妖力が尽きかけた片腕の自分がコイツを倒せるわけがない。ギシリ、と鬼が筋肉を軋ませる音に思考が鈍る。

 

 

「こ、の‥‥‥‥‥くっ!?」

 

 

 背後から感じたのはぞっとするような殺気。本能的に軌道を修正した途端、そのままだと頭があったであろう位置を丸太のような豪腕が撃ち抜いた。それも近距離だ、掠めた拍子に純白の髪が二、三本、宙を舞う。大きく体勢が崩れ、巻き込まれるように錫杖が手から投げ出された。

 回収している余裕はない。また血の滲み出てきた脇腹を抑えつつ、敵の姿を確認しようと旋回する。視界に入ってきたのはもう一匹の『鬼』であった。うんざりした表情をした刑香へと、少し意外そうな様子で藍が口を開く。

 

 

「お前らしくもないが、どうやら知らなかったらしいな。前鬼と後鬼、この者たちは『二匹』いてこその術式だ。片方を従えているなら、その片割れが必ずいる。こんな程度で驚いているようでは、これより先は身が持たないぞ」

「っ、そんなこと知らないわよ。そもそも妖怪退治の術式を、どうして妖怪であるアンタたちがここまで使いこなして‥‥」

「これが八雲だからだ。私と紫様が織り成す幻想郷の一大勢力、妖怪でありながら妖怪を滅する術を持つが故に、我らは幻想郷の守護者足り得る」

「妖怪に馴染まず、かといって人里に深く関わることもない。アンタたちって本当に境界線の上にいるのね。それって、とても孤独なことだと思うけど」

「‥‥‥そうかも、しれないな。ああ、きっとそうだ」

 

 

 二匹の鬼が無言で立ちはだかった。

 前鬼と後鬼、それぞれが生前は名のある妖怪だったのだろう。亡者となって衰えているにも関わらず、伝わってくる妖力は並の天狗よりも格上だ。しかも小枝を弄ぶように、後鬼はこちらから奪い取った錫杖を手のひらの上で転がしていた。

 一手、また一手と追い込まれているのが分かる。それを如実に感じつつも、腰に差していた葉団扇へ刑香は手をかける。錫杖が奪われ、もう武器はこれしか残っていない。

 

 

「だからこそ紫様はお前を求めたのかもしれない、妖怪からも人間からも等しく距離をおいていたお前をな‥‥。このあたりで投了してみる気はないか、白桃橋?」

「ここまで来てそれはないわよ、それに紫にはアンタがいるし橙もいる。十分満たされているじゃない、そこに私は必要ない。そんなことはアンタが一番分かっているんじゃないの?」

「さて、どうかな。私の真意はどうあれ私たちに勝てなければ結果は同じだ。秘策の一つや二つは思いついてくれたか?」

「んなもんあったら苦労しないわよ」

 

 

 口ではそう言ってみる刑香だが、目の前の鬼だけなら倒す方法はある。

 勇儀と戦った時のように『死を遠ざける程度の能力』を流し込んでやればいいのだ。どこまで効くのかは流石にわからないが、少なくとも動きは封じられるだろう。そうすれば藍一人の攻撃をかわしつつ離脱できる。余力があれば、の話だが。

 それが無い以上は時間稼ぎに徹するべきだ。この周囲を覆っていた結界が崩れてきている今なら、逃げるための隙を見つけるまで粘ればいい。もしくはその前に慧音や霊夢、彼女らが呼び寄せた助けが来るかもしれない。しかし、そんな作戦を許すほど藍は甘くない。じっとりとした汗が首筋から流れてくるのを感じて刑香は「やっぱり見抜かれているみたいね」と呟いた。

 

 

「いくらでも会話には興じてやろう。しかし残念だが、こうしているだけでも戦局は私に傾くぞ」

「くっ、少しは手加減しなさいよ‥‥」

 

 

 狐火が夜の空を太陽の光で染め上げる。

 あまりにも膨大な熱に天狗装束からは白煙が上がっていた。汗ばんだサラシが胸元にへばりついて気持ちが悪い、こうしているだけで体力を奪われる。どうやら時間を引き延ばすだけでは意味がないらしい。

 妖怪でありながら、太陽の化身としての側面を持つ『九尾の妖狐』。そのチカラは夜を棲家とする妖怪たちにとって天敵だ。この周囲を覆い尽くす炎によって、更にチカラを絞り取られていくのが分かる。

 じわじわと眼球から水分が蒸発していくのを感じて、刑香の身体がフラつく。空での戦いで視力を奪われるのは致命的である、ひとまずは逃げるしかない。

 

 

「どうした、私は別に戦わなくてもいいのだが?」

「このままだと焼き鳥どころか干物になるでしょうがっ!」

 

 

 吸血鬼異変において、あらゆる属性を使いこなす魔法使いさえ打ち破ってみせた藍。しかし、彼女の戦い方は力押しに頼ることが意外にも多い。

 油断しているわけではないし、まして手を抜いているわけでもない。熟慮の結果として、藍はそうしている。

 ただ単に策を(ろう)するだけの必要性がない。圧倒的なチカラによる蹂躙、それだけで効率よく勝利を収められるのだから。

 

 

「これだから大妖怪って奴らは‥‥‥‥」

 

 

 思わず舌打ちをしてしまう。

 考えてみればフランドール、勇儀など今まで出会った大妖怪たちも同じだった。ただチカラを振るうだけで勝利する、その過程には一切の曇りがない。彼女らのソレは刑香ではいくら手を伸ばしても届かない領域だ。

 津波のごとく狐火が押し寄せ、牙をむき出しにした二匹の鬼が襲ってくる現状。正面から相手取るのは不可能である。雲海ギリギリを飛行していた刑香は葉団扇に妖力を流し込んで、振り向きざまに風の塊を藍の真下へと叩きつけた。

 

 

「まだ妖力が残っていたか‥‥!?」

「出し惜しみをしていられる状況じゃ、ないからね。かなり苦しいけどくれてやるわ」

 

 

 雲を利用した目くらまし。

 降り注ぐ狐火をも巻き込んで、小さな竜巻が九尾の狐へと食らいつく。雨雲を吸い上げて黒く染まった風たちがうねりを上げて藍を飲み込んだ。こんなモノで足止めできるとは思わないが、視覚くらいは封じられたはずだ。

 

 

「私の錫杖、返してもらうわよ!!」

 

 

 狙いは錫杖を持っている後鬼。

 急降下した先、レールへと降り立つと足袋から白い煙が吹き上がった。周りに浮かぶ炎によって金属の路線はうんざりするほどの高温になっている。はっきりと伝わってきたのは肉が焼ける感覚、あまりの痛みに足元が揺らいだ。だが、そのまま弱々しい掌底を鬼の腹へと叩き込む。

 

 

『ォ、ォオオオオオオッ!!?』

「悪いけど‥‥鬼と戦うのは馴れたものなのよ。鬼神さまのチカラさえ大きく削ぎ落とした私の能力、果たして鬼の亡骸なんかに耐えられるかしら、ねっ!」

 

 

 この世のモノとも思えない怨嗟の声。

 体内へと注がれた『死を遠ざける程度の能力』が鬼の肉体を打ち崩す。伊吹萃香と星熊勇儀、鬼の四天王でさえ身を焼かれたチカラに並の鬼が抵抗できるわけもなし。胴体から急速に広がった崩壊は止まることなく、それだけで後鬼は悲鳴一つあげずにその身を霧散させていった。

 だが鬼には鬼の矜持があるのだろう。せめて最後の拳をと、鬼は大きく肺を膨らませて全身の筋肉を脈動させた。

 

 

「‥‥‥させるわけにはいかないわ」

『ォ、ア?』

 

 

 剥き出しの喉元へと白い手刀が突き刺さる。

 能力のおかげで脆くなっていた皮膚だ。すんなりと指先から手のひらまでが鬼の肉体に入り込む。噴き出す血潮で紅く染まりながらも刑香はトドメとして更に能力を注ぎ込んだ。脱力し鬼の身体は灰となり、風に散る。最後まで残った目玉だけが恨みがましく少女を睨みつけ、やがて諦めたのか赤く爆ぜた。

 

 

「けほっ‥‥ここからどうしようかしら」

 

 

 その最期を見届けた空色の瞳に勝利の喜びはない。曇りなき色の少女が振り向いた先には、同胞を消されて復讐に燃える鬼。そして刑香が取り戻そうとした錫杖を、先にスキマで回収していた藍がいた。

 

 

 状況は、相変わらず絶望的である。

 

 

◇◇◇

 

 

「私が手こずったアイツをここまで簡単に‥‥見事なものね。実力以上、期待以上、彼女にしてみれば信じられないくらいの善戦じゃないかしら?」

 

 

 紅魔の大図書館。

 ゆったりと椅子に腰掛けながら、パチュリーは称賛の言葉を口にしていた。置かれた水晶玉には、どうにか鬼を撃退した白い少女の姿が映っている。先ほどまでは妨害されていたが、あちらの結界にヒビが入ったおかげで繋がったらしい。テーブルに刻まれた『遠見』の魔法陣は淡く輝きながら、中心に置かれた水晶玉へと映像を送り続けている。

 だが、まさかあの少女が八雲紫を一時的にでも、撤退に追い込むとは思わなかった。未だに信じられない気分である。テーブルを挟んだ正面、上機嫌そうに紅茶を口にしている吸血鬼へとパチュリーは怪訝そうな視線を投げかける。

 

 

「いつも以上に目つきが悪いわね。寝不足かしら、魔法使い様?」

「スキマの主従を相手にして、果たしてあの鴉天狗はここまで戦えるものかしら。もしかしなくとも誰かが、こっそり援護しているのではないのか。そういう仮説を立ててしまうのは自然だと思わない、レミィ?」

「ぷっ‥く‥‥‥‥あはははっ、それって本気で言っているのかしらっ? いやアナタはこういうジョークは思いつかない、大真面目で言っているに決まっているわよね!」

 

 

 テーブルの下で脚をバタつかせるレミリア。

 よほど可笑しかったのだろう。両手でお腹を抱えたまま、顔を伏せて子供のように笑い転げていた。そこまでされる意味が分からないと、パチュリーは首を傾げる。自分は何か可笑しなことを言ったのだろうか。目元に浮かんだ涙を拭いながらレミリアが起き上がったのは、それからたっぷり数秒後のことだった。

 

 

「あー、お腹痛い。アナタにこういう形で不意打ちを喰らわされたのな初めてね。油断していたわ」

「狙ってやったことでもないし、別に嬉しくも何ともないわね。意図せぬ結果というものは、現実にも魔法にも余計なモノだもの。それより鴉天狗をどうやって援護したのか教えなさいよ」

「今回に限って私は何もしてないわ。言ったでしょう、魔力に余裕がないの。今の私には運命操作が不可能なのはパチェだって知っているでしょう?」

 

 

 レミリアは嘘をついていない。

 親友なのだ、それくらいは分かっている。だがそれでも、あの娘がたった一人で八雲紫を撃退したなどと信じられるわけもない。吸血鬼異変において、レミリア・スカーレットさえ打ち破ってみせた幻想郷の大賢者。そんな化け物がパチュリーにとっての八雲紫のイメージだ。

 おまけに次はあの九尾と戦っている。先の異変で自分が大敗した相手で、伝説にて語られる九尾の狐。少なくともあの娘はそんな化け物たちと渡り合えるような天狗には見えなかった。

 

 

「でも、少なくない人妖のチカラを借りながらもあの鴉天狗は乗り越えてしまった。これでますます事態は混迷へと向かうでしょうね。何せ、この幻想郷で頂点に立つ存在の一人に一矢報いてしまったのだから」

「それでいいわ、千年分の遅れを取り戻すんだから引き寄せる運命の糸は多い方がいい。あの二人を同じ境界線に並べるためには、現状をかき乱す嵐はより大きく吹き荒れた方が良い」

 

 

 どこか遠くを見つめる二人の瞳。

 チェスで最初のポーンを動かした瞬間から、そのまま終局までの何千通りもの結果を一望してしまう。そんな先読みの紅い眼差し。きっと今、幼い吸血鬼には様々な運命へと繋がる選択肢が見えていることだろう。

 何千通りの理論から、蓄積された経験と知識で一筋の真実を導き出す。そこまでの過程を良しとする深い紫の眼差し。間違いなく、魔法使いの少女には最も困難な運命へと繋がる選択肢が見えているのだろう。

 

 テーブルの上では先ほどひっくり返した砂時計の砂が尽きようとしていた。さらさらと流れ落ちていく赤い粒子は上部にはもう殆ど残っていない。そのなだらかな表面を指先でパチュリーが撫でていると、レミリアが身体を乗り出して水晶玉をのぞき込んでいた。

 

 

 ーーどうやら、そろそろ時間切れのようね。ならばここからが運命の曲がり角、あなたの選択肢は果たしてどんな未来に繋がっているのかしら?

 

 

 そう心の中で呟いたパチュリーの視線の先。

 映像の中、白い花が散るように鴉天狗の少女が暗闇を裂いて墜ちていく。

 

 

 ◇◇◇

 

 

 プツリと糸が切れた。

 少々思うところはあるが、表現としては適切だろうと藍は考える。本当に突然だった、まるで操り手を失った人形のように墜ちていく鴉天狗。スキマで拾い上げようとも考えたが、在りもしない罠の可能性が頭をよぎり間に合わなかった。そのまま線路の上へと受け身も取らずに身体を叩きつけ、刑香は二回三回とバウンドして白い羽を散らしていた。あまりにも無様、巣から落ちた雛鳥のごとき落下である。

 

 

「‥‥‥おい、白桃橋?」

 

 

 レールの上に倒れたまま白い少女は動かない。

 純白の翼は横たわり、手足を投げ出して立ち上がる気配すらなかった。「まさか」と血の気が引いたが、仰向けに倒れているために見える胸がわずかに上下しているのを確認して藍は安堵する。そして同時に感じたのは小さな失望だった。

 

 

「ここまで、か。しかし私たちを相手にして、よくぞここまで耐えたものだ。そう、私はお前を褒めるべきなのだろうな‥‥」

 

 

 思ったよりも長引いた。

 それが式神、八雲藍の抱いた率直な感想だった。自分たち主従を相手にして無事でいられる妖怪など、この地上には存在しない。まして刑香は紫との戦闘で消耗していた、ならばとっくに決着がついていて当然なのだ。

 

 だが、藍個人としての想いは違う。手元には黒ずんだ神符が残り、そこに後鬼はもういない。大量に霊力を注いでやれば元に戻せるが、修復には数日かかるだろう。ここまで見事にやられてしまったのは久しぶりだ。だからこそ必要以上に期待してしまった。もしかすれば、と思ってしまったのだ。

 ため息をついて合図をすると、前鬼が刑香へと近づいていく。

 

 

「妙な抵抗をされても面倒なのでな。すまんが、全ての武具は外されてもらう」

「‥‥‥はな、しなさいよ」

 

 

 乱暴に少女を持ち上げる鬼。

 あっという間に腰に差してあった葉団扇が弾き飛ばされ、刑香が持っていた最後の武器が雲の下へと沈んでいく。そしてその衝撃で帯が解けて装束が前開きになる。サラシ以外は何も身に着けていない純白の肌、相変わらず死の穢れも生の汚れも感じられない。魔性と呼ぶには清らかすぎて、かといって神仏の神聖さに近いわけでもない。なるほど、これでは天狗社会で良い扱いは受けられなかっただろう。

 大抵の場合、異端な存在というものは冷遇されるか、祀り上げられるかの二択なのだ。刑香はただ前者であっただけのこと、別に珍しい話ではない。

 

 

「ひとまずはこれにて閉幕だろう。早く紫様と合流しなければな。くれぐれも白桃橋のことは丁重に扱えよ‥‥‥前鬼?」

 

 

 鬼からの返事は、来なかった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

「ーーーーこいしのバカッ、あのケーキは私のだって言ってたじゃない!」

「ごめんごめん、美味しそうだったから無意識に食べちゃった」

「うー、まさか何でも無意識だって言えば許されると思ってないわよね?」

「気のせいじゃないかなぁ」

 

 

 徹底的に破壊された本棚たち。

 数時間に及んだ壊す少女と壊れた少女との決闘はようやく終わりを迎えていた。つまらない理由から火のついたケンカだったが、結果はやはりレミリアの言っていたように痛み分けで鎮火したらしい。

 フランの『能力』は、こいしの『能力』を捉えきれず。かといって、こいしにフランを倒すだけの決め手はない。本気で戦えば決着はつくのだろうが、二人がそこまで熱くなるだけの理由もなかった。初めから遊びの一環だったのだろう。

 

 

「こっちと違ってあの二人は平和そうでいいわね、パチェ」

「そうね。じゃれついているのが瓦礫の上で無く、瓦礫が私の本棚でなかったのなら、さぞや心温まる絵面だったでしょうね。あまりの感動で涙が出てきそうだわ」

「魔女の目にも涙ってヤツかしら?」

「それをいうなら鬼の目よ‥‥‥はぁ」

 

 

 パチュリーがため息混じりに一言二言、呪文を唱えると図書館の再生が開始された。床に散らばっていたページたちはくるくると空中へと舞い上がりながら元の姿へと収束し、そうして修復された本たちはパズルのピースをはめ込むように自分の棚へと収まっていく。粉々になったモノであっても完全な形を取り戻させてしまうのだから、時間を巻き戻すのと大差がない。

 これだけでも、並の魔法使いでは一生辿り着けない領域である。そんな光景の中で無感動にパチュリーはレミリアへと、冷めた視線を傾けた。

 

 

「‥‥それで、どうするつもり?」

「別に何もしないわ。事の成り行きをただひたすらに、私は紅茶片手に観戦するだけよ」

「運命の袋小路は通り過ぎ、次なる道は示された。けれどもあの白い鴉天狗が本当に大天狗となるのか、それともイカロスの翼となってしまうのか、私にはまるで予測できないわ」

 

 

 それを聞いて小さく肩を竦めた幼い吸血鬼。

 銀色の髪を揺らし、紅茶のカップをコトリと置いて紅魔の主はため息をつく。もし大天狗となるならば、白い少女は本来の運命を取り戻せる。晴れて故郷へと戻り、何不自由ない生活が約束されるだろう。だが、組織の重役となってしまえば今までのような自由は許されなくなる。

 逆に、大天狗となる道を選ばないなら、あの老天狗との繋がりを修復するチャンスは二度と訪れない。

 

 

「どちらの運命も私の瞳には映っているわ、おそらくパチェも同じでしょう。どちらの未来を選んだとしても『別れ』が必ず待ち受けているってこともね‥‥‥まあ、古明地さとりは良くも悪くもやってくれたわ」

 

 

 もし今までと変わらないことを望むなら、

 白桃橋刑香を救い出すのは彼女の仲間たちで無ければならない。そうすればバカな騒ぎはここまでで、あとは吸血鬼異変や地底の喧嘩と同じような結末を辿る。八雲紫の企みは失敗し、胡散臭い笑みとともにスキマ妖怪は今回の騒動を誤魔化すだろう。元の生活に戻るにはそれしかない。

 

 そしてカタカタと震えだした水晶玉には、身体を両断される哀れな鬼の姿が映し出されていた。さて、どちらに転ぶのかとレミリアは送られてくる映像へと紅い瞳を瞬かせる。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 仕方ない、仕方なかったのだ。

 

 

 そう何度も心の中で呟く。

 かつての上役だった連中からの書状には『あの娘を大天狗に推薦する』という、頭を何かにぶつけたとしか思えない内容が書いてあった。若い天狗たちは先走っているようだが、古い組織の上層部にいくら欠員が出来ようとも後任は初めから決まっているものだ。家柄であったり、地位であったり、そういったモノで新しい大天狗たちは選出される。

 あくまでも勇儀に使いを送ったのは、顔を立ててやったに過ぎない。鬼が他種族の権力争いに興味を示すはずがないと高をくくっていたのだ。それなのに封を開けてみれば、思ってもみない名前が飛び出した。

 

 

 ーーーその手紙に名のある天狗は先ほど、スキマ妖怪に拐われたそうです。

 

 

 続けて告げられた古明地さとりの言葉。

 ただですら平静を欠いていた精神はそれで決壊した。ここまで動揺したのは跡取りを失って以来かもしれない。そこからは流れるように物事は進んだ。有無を言わせず部下たちをかき集め、鴉と白狼を問わずに腕利きの者たちを捜索へと根こそぎ動員する。

 途中、山に人間の娘たちが侵入したという知らせが入ったが無視した。そんなものに時間を消費している余裕はなかったからだ。「わざわざ追放者を助ける価値があるのか」と疑問を挟んできた者は、鬼からの書簡を理由にして黙らせた。そして手を尽くしても見つからず、徐々に焦りを感じ始めた頃に上空からわずかな気配を掴み取る。

 部下の制止を振り切って、老骨に鞭打って全力で空を駆け昇った。そして、

 

 

「ーーーーその娘に手を触れるでないわ!!!」

 

 

 男は一刀のもとに鬼を斬り伏せた。

 切っ先は止められることなく強靭な身体を両断し、そのまま迷いなく鞘へと収められる。『死を遠ざける程度の能力』の大部分を譲り渡したとはいえ、これくらいは可能だ。驚愕に表情を歪める鬼にくれてやる視線はなく、一切の戸惑いなく伸ばされた腕は投げ出された白い少女を抱きとめる。

 あまりにも軽く細い身体だった。傷だらけで血まみれで酷い有り様だ、しかし確かに生きている。それだけの事実が、どうしようもなく心を満たしていくのを感じた。

 

 

「やはり、来られましたか」

 

 

 そう口にしたのは八雲藍。

 仇敵の式神にして、本来なら跡取りと良き好敵手となっていたであろう存在。待っていたと言わんばかりの口調に、しかし男は何一つ言葉を返さなかった。老いた瞳は抱えられた少女から離れない。恐る恐るといった様子で空色の眼差しが向けられるのを、男はじっと見つめていた。ああ、こんなに近くでこの娘と目があったのは初めてかもしれない。

 

 

「‥‥‥天魔、さま」

「うむ」

 

 

 妖怪の山を支配する高位の妖怪、幻想郷における最大勢力である天狗。その上役たる八大天狗の総元締めにして、かつて天竜八部衆に名を連ねた仏法の守り神。この身を表す言葉は数あれど、この瞬間に名乗るべき名は一つだけ。

 

 

「今だけは白桃橋迦楼羅と呼ぶがいい」

 

 

 白い少女に向けて、老天狗はそう呟いた。

 

 

 

 

 


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