その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第四十五話:秘封幻想郷

 

 

 孤独な月が宵の空に浮かんでいた。

 暗く沈んだ闇にたった一人で輝く姿は、まるで目的地を見失った舟のように寂しげだ。こぼれ落ちた光は砕けたガラスの欠片のごとく、冷たくも美しい光沢を持って静かな夜へと沈み込んでいく。

 

 古来より昼の象徴たる太陽に対して、月は『魔性』の証とも伝えられてきた。

 

 その加護を一身に預かったのは力を使い果たした白い鴉天狗の方であった。空っぽになった妖力が回復していく。それは干上がった喉をわずかに潤してくれる水滴ののように微々たるモノ、そんな弱々しいチカラが肌を濡らしているのを感じた刑香は紫の腕を掴みつつ苦笑する。

 

 

「月の光が妖力を秘めているなんて言っても、それだけの回復量なんて本来は大したことない。それを頼みにしてしまう私は、笑っちゃいそうなくらいにカラカラでフラフラってわけよね」

 

 

 霞んでしまった視界は船酔いをしてしまったように右へ左へとグラついている。妖力が尽きかけているからなのか、それとも身体の方が限界なのかまでは分からない。息をするのも億劫で、心臓は弱々しく脈を打つ。

 霊夢はどうしているだろうか、あんな別れ方をしたのだから早く戻ってやらなければ心配させてしまう。そして戦闘中にこんなことを考えるくらい頭も回っていない。

 

 

「でも、ようやく全部終わりに出来そうよ。手持ちのチカラを全部、全部、喰わせてやったコイツで‥‥‥‥あんたに一矢報いてやるんだから」

 

 

 北極星に似た蒼い輝きが錫杖から吐き出される。

 それと共に発せられた熱は荒々しい息吹となって、雲間を怖ろしげに波立たせていた。周囲を満たしていくのは生命力に溢れた脈動と暴力的な怪異の波動。かつて地底で感じたそれは紛れもなく、星熊勇儀の持つ『怪力乱心を操る程度の能力』の欠片であった。

 

 ここに来て、初めてスキマ妖怪は冷静な表情を崩していた。掴まれている腕を振り払おうとするが、逃がすまいと刑香は更に強く握りしめる。ここを逃せばもはや勝ち目はない。もう『死を遠ざける程度の能力』を維持させるための妖力さえ、不足しているのだから。

 刑香の状態を見抜いたスキマ妖怪は少しだけ驚いたように声を上げる。

 

 

「貴女、残っていた妖力のほとんどを錫杖に注いだのね。そんなことをしたら、身体を維持するための『能力』が保てなくなることは自分がよく理解しているでしょう?」

「だって無茶の一つや二つ、重ねてやらないと届かないでしょう? 私なんかの攻撃をアンタに届かせるには、これくらいのことはしなけりゃならないって、わかってたもの」

「そんな理由で貴女は‥‥‥ぐ、ぅっ!?」

 

 

 ミシミシと軋んでいく腕に、紫が苦悶の表情を浮かべていく。ここまで近づいてしまったのは失策だった、列車も熱線もお互いの距離が近すぎては使えない。それでも八雲紫には幾らでも攻撃手段はある。しかし『死にかけた』刑香が相手では取れる手段が殆どない。どれも威力があって死なせてしまう。

 そこまで思考を進めてから、紫はため息をつくように言葉を吐き出した。痛覚を『能力』で一時的に遮断し、表情に余裕が戻っている。

 

 

「藍からの報告で星熊勇儀を下したことは聞いていたけど、それが原因で河童ごときの打った錫杖が妖力を得ていたなんて‥‥‥思いませんでしたわ」

 

 

 古来より妖刀は『呪い』によって産まれ落ちてきた。

 元は名刀であったものが鬼を始めとする大妖怪の血肉を浴びることで呪詛を帯び、その性質を変貌させるのだ。逸話に残る数々の妖刀はそうすることで誕生してきた。『伊吹ノ百鬼夜行』の副首領、茨木童子の片腕を切り落とした『鬼切』などはその筆頭である。

 

 ならば同じく鬼神である星熊勇儀の眼球を深々と抉った刑香の錫杖はどうなるのか。

 

 単なる金属の入れ物に『鬼のチカラ』を芽生えさせていても不思議ではないだろう。その証拠に錫杖は闇を払う月明かりのごとく妖力を湧き上がらせ、まるで青い蛇のように刑香の腕へと巻き付いている。その光景を観察してからスキマ妖怪は目を細めた。

 

 

大峰(おおみね)前鬼坊(ぜんきぼう)、かつて鬼神でありながら天狗になったという『大天狗』の一人。その伝説が示すのは、鬼のチカラと天狗の身体は相性が悪くはないということ。‥‥‥とはいえ、鬼の錫杖をここまで簡単に使いこなすなんて信じがたいわ」

「生憎と鬼のチカラを体内に取り込んだのは初めてじゃないの、そりゃ馴染むのも早いわよ」

「ふ、ふふっ、そういえば貴女は茨木の百薬枡も口にしていたわね。鬼や私と縁があるのは天魔の血筋だからかしら」

 

 

 磨き抜かれた水晶玉のように美しい紫色の瞳。

 月光が映り込み、まるで本物の宝石のように複雑な光沢を揺らめかせるソレが刑香へと向けられていた。だが、その瞳の奥にはどこか遠くを見つめている光がある。権謀術数を良しとするスキマ妖怪らしくない『後悔』を映した心の隙間。

 

 別の世界を見せてきた先程の行為もそうだが、もしかしたら紫は自分を恨んでほしいと思っているのかもしれない。その意図を理解しながらも、刑香はその願いを叶えてやることはできない。その答えとして、思いっきり一歩を踏み出した。

 

 

「いちいち恨んでいたら埒が明かないわ。まして『あったかもしれない世界』のことで思い悩むなんてバカバカしい。‥‥‥でも私も随分と傷めつけられたわけだし、仕返しとして一発だけ殴らせなさいよっ!!」

 

 

 憎しみの代わりにくれてやるのは、全力で振りかぶったこの一閃。白い少女は今までの因縁の全てを吹き飛ばすつもりで、スキマの賢者へと渾身の力を込めた錫杖を叩きつけた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「ーーー以上が、白桃橋刑香について判明した事実です。私見になりますが、あの娘が天魔殿の血族という可能性は十分にあるかと思われます」

 

 

 少しばかり時は遡り、長かった冬がようやく終わりを迎えようとしていた日。鳥たちのさえずりが幻想郷を満たし、冷たさを残した氷雪を溶かしていく陽射しの中。観念して布団から這い出てきた己の主へと、八雲藍は粛々と報告を行っていた。アクビをしている主を横目にして式神は話を続ける。

 

 

「彼岸の者へ探りを入れましょうか?」

「止めておきなさい。あの説教臭い閻魔もそうだけど、死神の方もアレでいて厄介な性格ですから無駄でしょうから‥‥‥ふぁぁ、ねむいわー」

「紫様‥‥」

 

 

 どうやら主人はまだ本調子ではないらしい。

 枝毛があちこちに跳ねている金の長髪、涙が浮かんでいる瞳は二度寝をしたくてたまらないように見えた。くすりと式は心の中で微笑んだ。そんな主が封印されているかのように眠り続けていた冬の間に、この幻想郷には様々なことがあった。

 

 

「ともかくお御髪(みぐし)()かしますから、あちらを向いてください」

「えぇ、まだいいわよ」

「そう言って布団に戻ろうとしても駄目です」

 

 

 ぐるりと後ろを向かせて、乱れた髪に櫛を通していく。ゆったりとした長髪のスキマからは色白のうなじが丸見えで、時々漏らされる吐息の一つに至るまでが艶やかだった。傾国の美女さえ惑わしてしまいそうな色気を主から感じつつ、毛先の一本一本を丁寧な手つきで整えていく。

 主には秘密だが、この一年に一度しかない時間が藍としては嫌いではない。

 

 

「‥‥白桃橋刑香を我が八雲の式として迎えます」

「そうですか」

「多少の抵抗は予想されるでしょうが、私が出向けばどうにでもなる。我が式、あなたもそのつもりとして備えておきなさい」

「承知致しました」

 

 

 主人の言葉には少しだけ躊躇(ためら)いが混ざっていたことに式神は気づいていた。いつもなら感情を読み取らせない八雲紫の声に潜んだ雑音は、微かな違和感と共に鼓膜を揺らす。それでも藍は全てを受け入れるだけだ。主が決断したのなら、式神である自分は従うだけで良い。自分の考えがどうであろうと、相手が誰であろうとも拒絶するのは望ましくない。

だから、今から口にするのは決して異議などではないはすだ。

 

 

「しかし、白桃橋はあまり強力な妖怪というわけではありません。術式を乗せたところで戦力強化はそこまで望めないのでは?」

「‥‥もちろん戦力としてではなく、その身体に流れる血だけを利用させてもらうだけよ。本当に天魔の血族であるのなら、天狗たちの組織を内紛に追い込むことが出来るかもしれない。分かってくれるかしら、藍?」

「そうですね、理解しました」

 

 

 分かりきった答えが返ってくる。人の世でも妖の世でも、後継者一人のために国そのものが燃え上がるなど別段珍しい話でもない。財産か名誉か、はたまた権力か。それらは羽虫を惹きつける炎のように、多くの愚か者たちを焚きつけてきた。その浅ましさに八雲藍は大いに覚えがある。

 そういった争いの起こし方と、そういった者たちの末路を誰よりも詳しく知っている。どうすればいいかなど分かりきっている、それなのに自分は尋ねてしまった。薄暗い闇を照らす九本の尾は左右へと揺れ、灼けるような黄金の瞳は鋭く細められていく。

 

 

「大天狗の候補者争いに白桃橋を絡ませ、そこを足掛かりにして我らが介入するのですね。確かにそれならば山の組織に一波乱起こせるやもしれません」

「やっぱりあの娘をこれ以上利用するのは反対かしら? わざわざアナタが『異議』を挟むなんて久しぶりでしょう」

「‥‥いえ、私はそんなことは」

 

 

 どうやら自分が一番、自分の感情について分かっていなかったらしい。吸血鬼異変ではフランドールの奇襲で致命傷を負ったところを助けられ、地底への手紙を届ける依頼も見事にやり遂げてくれた。それなりの借りがある相手で性格の相性も悪くない、それなりに会話も弾む。ならば情の一つや二つ沸いてくるのは自然なことなのだと胸のうちで苦笑する。紛れもなく、八雲藍は親愛のような感情をあの鴉天狗に抱いているのだ。

 しかし、それでもーーー。

 

 

「私は式神ですよ、主人(あなた)のお側に仕えること以上に幸福なことはありません。どうかご命令を、我が主」

 

 

 そう言って、九尾の妖狐は微笑んだ。

 何人もの人間の王を骨抜きにし、人の世を乱した伝説の大妖怪。強すぎる妖力は同族を遠ざけ、妖獣であるが故に人にも受け入れられることは無かった。それ故に財宝も権力も地位も、何もかもを手に入れておきながら空っぽだった心。そんな自分に居場所を与え、心のスキマを埋めてくれたのが八雲紫である。この主のためならば、自分は何を犠牲にしても構わない。

 

 もう少しで『友人』となれそうな白い少女との繋がりさえ切り捨ててみせる。そう決意を見せた自分に対して、ほんの僅かに残念そうな表情を覗かせた主の顔に藍は気がつかないふりをした。

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーやはりお前は大したヤツだな、『刑香』」

 

 

 そして月下の雲上にて、藍は己の主を受け止める。

 白い少女が放った一撃は、防御のために張った結界を根こそぎ喰い破って八雲紫へと届いていた。ナイトキャップに似た帽子は吹き飛ばされ、豊かな金髪からは流血が滴り落ちる。どうやら頭に攻撃が入ったようで、主人は身体を藍の腕に預けたまま動かない。気を失っているのだろうか。

 元々、冬眠から目覚めたばかりで本調子ではなかった。特に精神は別人と思えるほどに弱まっていたし、妖力も多少は制限があっただろう。それでも、よくもまあ一矢報いたものだと思う。九尾たる自分でさえ極めて困難なことを、あの少女は成したのだ。

純白の翼は月明かりに照らされて、淡い黄金に輝いていた。しばらくその姿を視界に捉えてから、藍は静かに語り出す。

 

 

「仲間に助けられ、友に導かれ、仇敵に見染められ、お前はここにいる。なるほど確かに独りでは非力そのものだが、他から光を受けて輝く姿は月にぞ似る。お前の在り方は妖怪としては異端ではあるが、眩しいな」

 

 

 ただあるだけで輝く太陽のごとき翼を持った父親や祖父とは違い、自らだけでは輝けぬ月のように白い翼を持って生まれてきた少女。その腰には文とはたてから託された葉団扇、胸元には霊夢から送られた博麗の護符、そして片腕には河童の錫杖と宿った鬼のチカラ。それらは困難を乗り越えて多くの者たちを味方に付けた証である。そして、それこそが白桃橋刑香の在り方なのだろう。

 願わくば、自分もその中にいたかったかもしれない。そんな気の迷いを再び切り捨てて、藍は空中を指でなぞって術式を結ぶ。

 

 

「ーーーー来い、橙!」

「ニャッ!」

 

 

 呼びかけに応じて、開かれたスキマから一匹の黒猫が躍り出る。そしてクルクルと空中で回転し、四足の獣は姿を変化させつつ九尾の隣へとしなやかに着地した。八雲藍とお揃いの帽子と、赤いワンピースから覗く二本に裂けた尾が特徴的な式神少女。

 

 

「はいっ、藍さま!」

 

 

 化け猫の式、(ちぇん)がそこにいた。

 吸血鬼異変でも、霊夢と一緒に留守番をさせられていたくらいには未熟で大切にされている九尾の式。『四季桃月報』を読み書きの教材として藍が使ったこともあり、刑香とも顔なじみである。九尾の妖狐は主を抱えたままでしゃがみ込んだ、黄金の瞳が幼い少女を優しげに映す。

 

 

「しばらくお前に紫様を預ける、全霊を持ってお守りして差し上げるんだぞ。こっちの戦いは私が引き継ぐ」

「え、でも‥‥‥わかり、ました」

「すまないな」

 

 

 ボロボロの刑香を目にして、辛そうな表情を見せたが橙はすぐに主人の命令を実行する。藍が抱えていた紫を託されて、緊張しながらその身体に触れていた。背丈に差があり過ぎるので子猫は、主人の主を上半身だけ背負って支える。それを見届けてから九尾は白い鴉天狗へと向かい合った。

 

 

「さて、待たせてしまったな。ここからは私がお前の相手をしよう、刑香」

「上等じゃない、主従共々ふっ飛ばしてやるんだから‥‥‥覚悟しなさいよ」

 

 

 片腕は力無くぶら下がり、妖力もほとんど感じなくなっている刑香。さっきの一撃の反動で肩が砕けてしまったのだろう。紫の結界を打ち砕くほどの腕力を華奢な身体に乗せたのだから無理もない。鬼のチカラは鬼の強靭な肉体にあって、初めて全力で運用できるのだ。これでは勝負にならないだろう、そんなことを藍は考える。

 

 

 この空間を隔離していた結界に亀裂が走ったのは、そんな妖狐の指先が術式を結ぼうとした瞬間だった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「やっぱり、天狗の妖気を追いかけてみても結局はここに着くだけね」

 

 

 空中に静止しながら、幼い巫女は肩を落としていた。

 どうにか気配を追ってたどり着いたのは妖怪の山、周りには白い鴉天狗の気配は欠片もなかった。雨は降り止まず、水を吸った前髪が顔にへばりついてくる。鬱陶しいとばかりに、結界を張ることで雨粒を打ち払う。

 

 やれやれと、そのまま霊夢は周囲を見渡しながら空中での雨宿りを始めることにした。

 勢いよく寺子屋を飛び出して来たまでは良かったが、こうも天候が悪くては刑香を探すどころではない。それに何度やり直しても、この山にいる他の天狗たちの妖気に惹きつけられてしまう。だが、しばらく考え込んでから霊夢は人並外れた直感で一つの推論に思い至る。

 

 

「もしかしたら、紫と刑香はこの山の周辺にいるんじゃないの? それなら私がここに惹きつけられるのも納得がいくわ」

 

 

 灰色の空から降る雨粒は、これでもかと言わんばかりに視界を覆い隠している。時折、ホタルの光よりも頼りない月光が漏れ出るだけの暗闇の世界が目の前に広がっている。もちろん周囲には白い翼とスキマ妖怪の姿はない。それでも間違ってはいないはずだと、巫女の勘は告げている。

 こういう時は考えるよりも感じるままに、ただ行動あるのみだ。結果は後から付いてくる。

 

 

『そーなのかー』

『いやぁぁああっ、何なのよコイツはーーー!?』

『は、早く走って逃げましょう!!』

 

「…………ちっ、こんな時に」

 

 

 降りしきる雨の中から、聴こえてきた声は三つ。即座に少女の瞳は足元に広がる山へと向けられ、そのまま何かを探すように視線が動いていく。どこにいるのかと、僅かな妖気と気配だけを頼りにして広大な夜の森を感覚だけを使って捜索する。

 目的のモノはすぐに見つかった。

 

 

「こんな時間に『人間』がこんな所を出歩くなんて、喰ってくださいって言ってるみたいなモノじゃない。せっかく新聞で人里へ注意喚起してもらったのに無駄だったのかしら。よりにもよって忙しい時に‥‥‥」

 

 

 面倒そうな様子で頭をかく霊夢。

 辺り一面はとっぷり暮れた闇の中、足元にあるのは鬱蒼とした深い木々の森。視覚はまるで役に立たず、聴力は雨音で遮られている。妖怪であるならともかく、人の子では何かを見つけるなど不可能なはずだ。

 何も見えてはいない、何も聴こえては来ない、しかし幼い博麗の巫女は暗い森の中で逃げ惑う『人影』を感知していた。ここまで来るともはや理論では成り立たない、そんなモノはこの少女には通用しない。

 雨水で濡れたお祓い棒を一閃し、霊夢は一直線に空から地面へと降下した。

 

 

『食べていい人間は珍しいの、だから大切にいただきま‥‥‥‥ふぇ?』

「ーーー待ちなさい」

 

 

 踏みつけた水たまりが飛沫を上げる。

 木を背中にして追い詰められていた人間は二人、それを追いやっていたのは小柄の妖怪だった。その間に霊夢は泥水を跳ね飛ばしながら着地する。そのまま素早く御札を取り出して周囲へと浮遊させ、少女は戦闘態勢を整える。鴉天狗との戦いでは不覚をとったが、もうあんな醜態を繰り返すつもりはない。

 それに対して、黄色い髪をした妖怪はコテンと首を傾けた、その仕草は幼い風貌と相まって脅威をまるで感じない。

 

 

「どうして邪魔をするの、博麗の巫女?」

 

 

 人喰い妖怪、ルーミアは鮮血のように赤い瞳を丸くする。敵意はなく、かといって友好的な色も宿っていない視線。背丈は今の霊夢と同じかそれよりも低く、妖力も紫や藍とは比べるまでもなく小さい相手。身につけた白黒の洋服とスカートや、頭にリボンのように結びつけられた御札のこともあって人里の子供たちと同じくらいの年齢に見える。

 

 

「逆にどうして邪魔されないと思ったのよ。流石に目の前で人喰いをやられたら目覚めが悪いわ、さっさと去りなさい」

「そーなのかー」

 

 

 そんなルーミアの周囲を黒いモヤが覆っていく。

 ここは星空は厚い雲に覆い隠され、光がほとんど無い山林の中である。その夜を暗闇よりも更に濃い『闇』が上から塗りつぶしていく。コイツはそこそこ有名な『闇を操る程度の能力』を持つ人喰い妖怪である。まず戦闘になったとしても負けることはないだろうが、霊夢は油断なく霊力を高めていく。

 背後にいた人間たちから悲鳴が上がったのは、そんな緊迫した空気が漂い始めた頃だった。

 

 

「ど、どうしようっ、あの紅白の子供も私たちをパクっとやっちゃう感じの妖怪なのかしら!?」

「どう見てもここはヒーローが駆けつけてくれたシーンに決まってるでしょ、不吉な例えは止めてよっ!」

 

 

 僅かな会話にどうしようもない違和感を覚えた。

 基本的に紅白の巫女服は『博麗の巫女』が代々受け継いできたもので、自分を知らない幻想郷の住民は一人もいない。妖怪に襲われていた人間が霊夢の姿を目撃したなら、その者は「助かった」と安堵する。それが普通の反応だ。

 それなのに今、自分の後ろにいる人間たちは博麗の巫女を妖怪と見なすような言葉を吐いた。幻想郷にて暮らしている人間ならば決して口にしないことを。ならば考えるまでもなく、自分が助けようとした者たちはーーー。

 

 

「アンタたち、外来人ね」

 

 

 振り返った霊夢の瞳に映り込んだのは二人組の少女たち。

 紫色のワンピースを身に身を包んだ大人しげな娘と、そして白と黒を基調とした洋服と帽子を身につけた茶髪娘だった。雨に打たれて水浸しの泥まみれ、それでも二人の服装は人里で暮らす住人たちとは比べ物にならない程に高価そうに見える。これなら別に助けなくても良かったかもしれない、と霊夢は気の抜けた溜め息をついた。

 

 

 

「お寺にいたはずなのに私たちどうして森の中で迷子になってるのよ、メリー!?」

「私だって知らないわよ蓮子!」

 

 

 いつの間にか雨は止んでいた。霊夢が博麗の巫女となってからの初めての幻想郷への迷い人。何かの拍子に境目の結界を踏み越え、或いは『導かれ』て招かれた厄介者。

 

 幻想を暴きし者たち秘封倶楽部、マリエベリー・ハーンと宇佐見蓮子は今ここに幻想入りを果たす。

 

 

 


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