その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第四十三話:神隠しの境界線

 

 

 波立つ雲を白い翼が駆け抜ける。

 夜空を往く風を読み、刑香は一息に限界速度まで加速していく。自分と紫との間に横たわっているのは月明かりに満ちた雲海だけではない。彼我の差は絶対的で、白桃橋刑香が八雲紫に勝てる可能性など極わずか。それを誰よりも理解しているからこそ初めから全力を尽くす。

 

 蜘蛛の巣のごとく張り巡らされるのは銀の路、その両端には洞窟のように暗闇を抱くスキマ。それらを渡りて鋼鉄のカラクリ達が轟き吼える。

 すでに始まりの警笛は吹き鳴らされた、あまり考えを纏めている余裕は無さそうだ。まずは小手調べに錆だらけの列車が走り来る。大気の乱れを感じ取り、刑香はそのまま本能に従って身体を横へ滑らせた。

 

 

「ーーーこの程度の速度なら、当たらないわ」

 

 

 思ったより回避は容易かった。金属のレールを打つ衝撃が空気にヒビを入れ、風を切り裂きながら車両がすれ違っていく。重々しい車輪から想像するに、一撃でも喰らえば致命傷になり得るだろう。そんな予感が頭を過ぎるが、それでも当たらなければ意味はない。

 スキマから光が見えて二秒、列車に距離を詰められるまでに三秒。他の妖怪ならともかく、これだけあれば避けることは可能だ。頭を下げ、空気抵抗を抑えて前へ前へと白い双翼は躍り出る。

 

 

「幻想郷最速の種族を舐めるんじゃないわよ、紫!」

 

 

 向かう先は銀色に輝く賢者の城。

 幾重にも入り組んだ廃線に囲まれた中心部、その場所を空色の眼差しは鋭く見据えて飛ぶ。大気の悲鳴が聴こえる、女王には近づけさせまいと列車たちが行く手を阻む、その全てを白い翼は流麗な軌道で飛び越えていく。

 

 出来れば戦いたくはない。しかし逃げると分かっている相手を逃がすほど、八雲紫は甘くない。それを理解しているからこそ、逃亡は刑香の選択肢には入らなかった。最後に突撃してきたのは「急行」と文字が書かれた列車、その屋根を踏みつけて一気に八雲紫の眼前へと白い少女は跳んだ。

 

 

「とりあえず先手は貰うわよ!」

「先手も何も、私はあなたと近接戦をするつもりはないの」

 

 

 渾身の力を込めた錫杖が空を切る。

 髪先を掠めるようなタイミングで、紫は腰掛けていたスキマへと沈み込んだ。逃がすまいとする刑香をあざ笑うように、そのまま金色の髪が不気味な空間に溶けるように消えていく。

 

 

「ーーラプラスの魔」

 

 

 同時に、頭上から熱線が飛来した。

 青空と夕焼けを足し合わせたような紫色をしたソレは、嫌というほど妖力を収束された流星の弾丸。まともな回避は間に合わないと判断した刑香は翼を折りたたみ、その光と光の隙間に身体をねじ込んだ。

 肌を舐めるような距離を灼熱が通り過ぎる。『能力』が発動したのを感じつつ、刑香は重い身体を引きずって再び翼で上昇をかけた。今のは危なかったと、刑香は焼かれた装束の袖を冷静に破り捨てる。

 

 

「距離は詰められないし、姿を眩ませて射撃されるし……やりにくい。賢者様の戦い方はこんなに嫌らしいものなのかしら」

 

 

 絶対的な力で正面から叩き潰してくる星熊勇儀やフランドールとは真逆。八雲紫は徹底してこちらを絡め取り、理論的に追い詰めてくる。それが刑香にはやり辛い。これでは『死を遠ざける程度の能力』を活かした、一撃離脱やカウンターといった戦法が取れないのだ。明らかに対策を講じられてしまっている。

 それでも空で負けるわけにはいかない。刑香は尚も続く攻撃を紙一重で避けつつ紫を探す。最速を誇る鴉天狗たちの中でも上位に入る速力、それこそが刑香の数少ない誇りなのだ。この程度で墜とされてなるものかと、葉団扇に白い指を絡ませて妖力を注ぎ込む。

 

 

「……っ、思ったよりキツイわね。これは」

 

 

 口元からは真っ赤な血が溢れていた。

 地底で内臓に受けた傷が傷んできているらしい。にとりから指摘された通り、外見は何ともなくても中身はまだ完治には程遠い。少しずつ底無し沼に沈んでいくような疲労感が全身を包んでいくのを精神力で払い除ける。

 

 休んではいられない、もう既に追撃の熱線が上空で輝いているのだ。じんわりと生命力を帯びた熱を伝えてくる錫杖を握りしめて、せいぜい立ち向かうとしよう。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 さめざめと夜の空が泣いている。

 せっかくの満月だというのに空には叢雲が立ち込めて、地上には月光の代わりに雨が降り注いでいた。激しい雨音は湖の畔に立つ紅魔館、スカーレット姉妹の居城を打ち鳴らす。

 吸血鬼には流水を渡れない弱点があるため、自分の主人たちはさぞや機嫌を悪くしていることだろう。大量の水が屋根から流れ落ちていく様子を眺めつつ、門ではなく軒先で雨宿りしている美鈴はそんなことを考えていた。

 

 

「雨、車軸の如しとは良く言ったもの。本当に雨足から車輪の(いなな)きが聴こえてきそうですねぇ。まあ、別の音も鼓膜を揺らしているわけですが……」

 

 

 この雨の中でもはっきりと聞こえてくる轟音。

 大図書館の方から、まるで落雷が連続で突き刺さっているかのような衝撃が伝わってきている。もう小一時間程になる、まだ遊んでいるのだろうか。「私は止めましたからね」と内心で呟いて、紅魔の門番はのんびりと腕を組んで空からの侵入者を見張る作業を再開した。

 

 

 

 

 

「きゃはははははっ、キュッとして―――!」

「あはははっ、当たらないもん!」

 

 

 魔法図書館を揺るがす二人の妖怪少女。

 ここには貴重なグリモワールから一般的な書籍まで、洋の東西を問わずに先代当主が収集した本たちが貯蔵されている。それは失われた禁書や焚書も含まれ、世の魔法使いたちが千年をかけて求めるモノまで存在する。ここは西方の名門、スカーレット家の誇る知識の泉なのだ。

 いつもはパチュリーと小悪魔が静かに過ごしている場所なのだが、どうやら今夜は違うらしい。

 

 

「ドカーンッ!!」

 

 

 フランドールが拳を握りしめるたびに本棚は爆散し、こいしは笑いながら破片を掻い潜る。そんな戦いがもう一時間は続いていた。

 空間に染み渡るのは、燃え盛るような『狂気』と凍りつくような『狂気』。満月の魔力にあてられた吸血鬼と、そんな少女に影響された覚妖怪がお互いを灰にせんと暴れまわる。『破壊』と『無意識』が純粋さを持って、お互いの存在を削り合っているのだから恐ろしいものだ。

 パチュリーはそう他人事のように考えていた。

 

 

「このままだと図書館に大穴が空きそうだわ、そうなれば先代から受け継いできた知識の泉が干上がってしまうかも。そろそろ二人に制裁を入れてくれないかしら、当主様?」

「どうせ本棚や書物には再生魔法をかけてあるんだからいいじゃない。一つ二つ穴が空いた程度で干上がる泉ではないでしょう。放っておきなさい、パチェ」

 

 

 魔法陣が描かれた円卓に着きながらパチュリー・ノーリッジは目の前の惨状からひたすらに目を逸らしていた。吸血鬼異変の時もそうだったが、どうして自分の領域がこうも荒らされるのか理解できない。空中で暴れ回る二人を視界に入れないようにしながら、大図書館の主は深い溜め息をついていた。

 

 

「はぁ……引きこもりがちな妹を運動させたいなら、ピクニックにでも連れて行きなさいよ。わざわざ満月の夜に友人と潰し合いをさせるなんて野蛮すぎるわ」

「いや、吸血鬼にピクニックを勧めるのはどうなのよ。それこそ野蛮で残酷な提案だわ」

「レミィは日傘一つで日光を防ぐじゃないの、ドラキュラの弱点無視じゃない。……そんなことより本当に止めないと一方が死ぬわよ、アレ」

 

「フランッ、今度は私からいくよ〜!」

 

 

 ハート型の妖力弾がフランを狙って打ち出される。

 初めの数発こそ避けたものの、残りをまともに受けて吸血鬼の少女が燃え上がった。手足をバタつかせて炎を払い落とすフランドールだが、明らかにダメージを受けて動きが鈍くなっている。

 

 吸血鬼を真正面から消し炭にできる火力、あんなものを覚妖怪が持つはずがない。心を読んでトラウマを刺激することこそが彼女らの本領であって、純粋な力比べは不得手なはずだ。しかし古明地こいしだけは違うとパチュリーはこの光景から推測する。

 

 

「哀れなものね。サードアイを使わないからこそ、その『余剰』の妖力を攻撃に回せる。それであのフランと互角に戦えるのは驚きだけど、妖怪としての本質が壊れているわ」

「くくっ、壊すのならフランの専売特許ね。地底で暴れた時とは違って、今夜みたいな満月の下だとまだまだお転婆なんだもの。妹同士、良い友達になれたみたいで嬉しいわ」

 

 

 にんまりと笑っている吸血鬼の姉。

 アンティークの椅子に腰掛けて、レミリアは楽しげに妹の姿を眺めていた。テーブルの周りには結界が張り巡らせてあり、ここだけは被害が及ばないようになっている。それがコロッセオの観客席にでも座っている気分になり落ち着かない、パチュリーは複雑な表情でレミリアに視線を送っていた。真紅の瞳が歪む。

 

 

「大丈夫よ、パチェ。あの二人の戦いは激しく不毛なの。一方は認識できないが故に攻撃が当たらず、一方は不死身を滅する手立てがない。本気を出すならともかく、今の二人なら決着は付かないわ」

「……貴女がそう言うなら、そういうことにしておきましょうか。別に心配なんてしていないけど」

 

 

 そうしている間にもフランドールは炎剣でハートの弾幕を焼き払っていた。また幾つかの弾が当たっているが、吸血鬼の再生力なら問題はないだろう。残酷なほどに無邪気な笑みで、友人を焼き尽くそうと飛び回っている悪魔の妹。こいしが来てくれて本当に助かったとパチュリーは思う、あの状態のフランドールを相手にせずに済んだ。このまま夜明けまで暴れていてくれれば、ありがたい。

 

 

「……レミィ、もう一つの戦いはどうするの?」

 

 

 その言葉に青みがかった銀髪が揺れる。しばらくの間をおいてからレミリアは答えた。

 

 

「言ったでしょう、これ以上は関わらない」

「死ぬわよ、あの白い妖怪」

「死なないさ、そんな運命はどこにもない」

「そうね、私にも何一つ見えないわ」

 

 

 二人の間に置かれているのは水晶玉と砂時計。

 水晶玉には何も映っていない、ひたすらに光のノイズを吐き出すだけである。いくら覗いても無機質な透明さを伝えてくるばかりだ。そこには先程まで寺子屋の様子が映し出されていたのだが、白い少女がスキマに呑み込まれてからは映像が途切れてしまった。コツンと、パチュリーは役立たずなクリスタルを指先で弾く。

 

 

「残念ながら、私でもあの鴉天狗が連れていかれた場所は探せない。貴女に言われた通りにこの数日間、ずっと監視していたんだけどね。あんな風に急な奇襲をかけられたんじゃ、お手上げよ」

 

 

 大魔法使いの声色は冷めきっていた。

 パチュリーとしては、白い少女がどうなろうと興味はない。あくまで刑香に拘っているのはフランと美鈴、そしてレミリアだけなのだ。二度だけ顔を合わせたことはあるが、それだけの相手にいちいち情を持つような甘さはパチュリーにはない。そんな少女に対して、吸血鬼の少女は口を尖らせる。

 

 

「……スキマの判断は見事だったわ。こんな雨じゃ私とフランは思うように動けないし、天狗たちの索敵能力も半減してしまうもの。急に動いたんじゃない、アイツは初めから計画していたのよ」

 

 

 降り注ぐ雨は吸血鬼の姉妹を封じ込め、白狼天狗の鼻を潰し、鴉天狗の視界さえ大きく削っている。今夜だけは、あの娘に手を貸してくれる可能性のある者たちが尽く力を発揮できないのだ。今宵だけは戦いに邪魔が入る可能性は極めて低くなる。八雲紫の判断は恐ろしいほどに冷静で、驚くほどに思い切ったものだった。苦々しそうな表情を隠しもしないレミリアに対して、パチュリーは涼しげに言葉を紡いでいく。

 

 

「手を貸したくて仕方がない、今の貴女はそんな顔をしているわよ。随分とご執心なことね。それなのにどうして、貴女は手をこまねいているのかしら?」

「言ったでしょ、私とアイツらは出会って半年程度しか経っていないのよ。部外者がこれ以上、刑香や天魔の運命に関与するべきじゃないわ」

「それはそれは、ずいぶんと古典的で模範的な解答ね。まるで、あらかじめ準備されていたように完璧な響きだわ」

 

 

 天魔との会談において、確かにレミリアは「たかが半年そこらの付き合いの自分が関わるべきではない」と告げていた。それ自体は至極まともで、礼節に則ったものだろう。しかし紅魔の当主らしくない言葉であった、この少女はもっと自分勝手な存在のはずだ。

 パチュリーはそっと円卓に置かれた砂時計をひっくり返す。

 

 

「そういえば貴女はこの幻想郷に来る前に一回、そして地底の件で二回、大きく運命の流れを組み変えていたわよね」

「……何よ、もう気づいたの?」

「当たり前でしょう、何百年一緒にいたと思っているのよ」

 

 

 サラサラと砂時計から音がする。

 上部に溜まった紅い砂が零れ落ち、少しずつ底へと積って小さな山を形作っていく。親友が嘘をついていることに、初めからパチュリーは気づいていた。天魔との会談ではああ言ったものの、本心ではこの状況を引っ掻き回したいに決まっているのだ。ならば、どうして動かないのか。その答えも既に出ていた。

 

 

「……もう余力がないんでしょ。運命干渉なんて、並の魔法使いなら一発で廃人になるレベルの荒事よ。それを何度も繰り返していたら、いくら吸血鬼でも平気でいられるわけがないわ」

「あら、そうでもないわよ。あと一ヶ月もあれば完全に回復できたし……でも、やっぱりスキマには先手を打たれてしまったわ」

 

 

 そうして落ち着かないのか、レミリアは小さな足をぶらつかせる。悔しそうな様子と相まって、まるで幼い子供のようだ。西方で恐れられた吸血鬼とは思えない仕草にパチュリーは人知れず微笑んでいた。

 そのまま二人で沈黙していると、紅い砂時計は動きを終わらせる。上部は何もなく空っぽで、下部には紅い欠片の集まった山が出来ていた。今のレミリアのようであると、それを眺めつつ魔法使いの少女は口を開く。

 

 

「ねえ、ワガママで欲張りな夜の王。確かに現状の貴女は蚊帳の外、どうあってもプレイヤーにはなれないわ」

 

 

 数百年の親友へ、知識の魔法使いは語りかける。

 

 

「でも貴女の築き上げた運命の流れは確かにここにある。たまには自ら操るのではなく、流れに身を任せてみなさい。七曜の魔女からのありがたいアドバイスよ」

「……そんなの、わかってるわよ」

「でも忘れかけていたでしょ?」

「ふんっ」

 

 

 それっきりテーブルに顔を伏せてレミリアは黙り込んでしまった。ナイトキャップに似た帽子と銀色の髪がテーブルを擦っている。そんな久しく見せる可愛らしい姿に癒されながら、パチュリーは手元に水晶玉を引き寄せた。そして短い呪文を唱えると、湖面に波が立つごとく透明な世界に色が宿っていく。

 

 そこに映し出されたのはもう一人の覚妖怪、古明地さとり。白狼天狗たちを取りまとめ、山を登っている少女の姿だった。そして紅白の巫女が妖怪の山へ飛んでいく様子や、茶髪の鴉天狗が黒髪の鴉天狗と合流する映像も浮かび上がっている。

 

 

「まあ、こうして眺めるくらいは良いんじゃない? あの鴉天狗のために少なくない人数が動いているみたいだし、彼女たちの活躍を観戦するとしましょう」

「……映像をこっちにも回しなさい」

 

 

 テーブルから頭を上げて、レミリアは水晶玉を覗き込む。手は貸せない、しかし見守るくらいはしてやろうと二人の西方妖怪は事の成り行きを見つめていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「そろそろ諦めてくれると助かるのだけど、そうもいかないようね。諦めの悪いところは祖父譲りなのかしら?」

 

 

 夜風に波立つ豊かな金髪をかき上げる。

 紫は少しだけ刑香より星に遠い高度、つまりその下に浮遊していた。空中での戦いにおいては相手より高空にいた方が有利になるとも言われているが、それは八雲紫にだけは当てはまらない。スキマを使えば相手との上下など、いつでも逆転させられるのだ。

 

 

「……張り巡らせた路線で飛行区域を制限し、威力を弱めた光線で上下左右から対象を包み込むように焼き払う。それでさっさと『能力』の余剰を削り落とせると思っていたのだけど、これは」

 

 

 頭上を旋回する白い少女を見上げながら、膨大な妖力をスキマへと集め、ほどほどに収束させてから撃ち出していく。青白い尾を引いて、それらは一射一射が流星のように降り注ぐ。例え翼を持つ妖怪であろうと、これを何度も躱すのは非常に困難だ。

 そのはずなのにーー。

 

 

「でりゃぁぁぁあああっ!!」

「この私が見くびっていた、ということかしら?」

 

 

 その白い装束を血に染めながら、こちらに急降下を仕掛けてくる少女。その姿を視界に収めて八雲紫は静かに瞳を細めていく。

 

 紫には二つほど誤算があった。

 一つは『死を遠ざける程度の能力』が思ったより強力なチカラであったこと。先代巫女を治療した時から、あの能力は『死』そのものに干渉することで延命効果を得るものだと考えていた。だが今ここに至って、その推測が不十分であったと確信させられる。

 

 

「死への干渉だけではない。それだけなら私の攻撃をここまで(かわ)せる理由になり得ない、ならば『死を遠ざける程度の能力』を構成する要素は最低でもまだ一つある」

 

 

 脳裏に浮かんだのは、前回の異変にて打倒した真紅の吸血鬼の姿。

 彼女はとても面倒な相手だった。正しき怪物としての身体機能、人ならざる思考速度、そして何よりも『運命を操る程度の能力』。結果的には勝利できたものの、もう一度戦いたい相手ではない。自分の望んだ運命を引き寄せるチカラは、それ程までに強力なものであったのだ。

 

 妖力のレーザーが刑香を迎え撃つ。

 緻密に計算された配置に抜けられる隙間など無いはずである。しかし白い少女は幾重もの光条を掻い潜る、わずかな誤差で生じた弾幕の綻びを正確に突いてきているのだ。一度なら説明できるが、それを何度も繰り返されるのはいくらなんでも異常だった。計算式にノイズが紛れ込んでいる。

 

 

「でもそのお陰で気づけたわ、あなたの能力はレミリアと似たようなモノが混ざっている」

 

 

 死という概念を遠ざけると同時に、そこに至る可能性にも干渉するチカラ。死の未来に向かう選択肢を潰し、その人物の世界を改変する限定的な『運命干渉』。それこそが『死を遠ざける程度の能力』に秘められた真価なのだろう。それなら能力を使用した後に刑香が大きく消耗することにも頷ける。世界や運命に干渉するなど、神か神に類する存在以外が行って良いことではない。

 

 

「まあ、私が言えたことではないのだけれどね。この幻想的とて小さな世界なのだから……そう、小さな小さな私の水族館」

 

 

 あと少しで刑香の攻撃が届くタイミング。

 そこで再び紫は身体をスキマに沈み込ませ、次の瞬間には別の場所に移動する。また両者の距離は広がってしまった。これで何回目だろうか、それでも白い少女に諦めた様子はない。震える手で葉団扇を構えている。

 

 

「っ……、『風神一閃』!!」

 

 

 風の塊が雲海に叩きつけられ、真っ白な竜巻が発生する。雲を巻き上げて、こちらの視界を塞ごうとしたのだろう。しかしーー。

 

 

「それも無駄よ、刑香」

「ーーーーっ、ぁっ!?」

 

 

 別の方向から灼熱が刑香の脇腹を通り過ぎていった。

 声にならない悲鳴を漏らし、血が蒸発する匂いを帯びて鴉天狗の少女が落下していく。『能力』が発動しなかったということは致命傷ではないだろう、しかし軽い傷でもなさそうだ。そのまま白い少女はレールの上にその身を叩きつけられた。

 流れ出る血で金属製の線路が鮮やかな赤に染まる。ここに来て、紫はようやく砲撃を停止させた。

 

 

「参った、わね。視界は……封じたはず、なんだけど、どうし……て」

 

 

 息も絶え絶えに問いかける刑香。

 とっくに限界だったのだろう。手足は脱力し、立ち上がることさえ危ういように思えた。何となくスキマの賢者は投げかけられた問いに答えてやることにする。

 自分も線路に降り立ち、そして人の頭部ほどもありそうな大きさの目玉をスキマから転がり出した。

 

 

「ラプラスの魔、それは因果律の終着点と呼ばれるもの。物理学の世界においては『全てを知る者』とも言われる存在よ。これはそこまで大仰なモノではない式神もどきだけどね、さっき雲の中に潜めておいたの」

「私が雲を巻き上げるのも、想定済みだったわけか。さすがに、腹立たしいかも、ね……」

 

 

 これはスキマに浮かんでいる目玉の一部。刑香が雲の中に逃げることを予測して、巨大な眼球を落としておいた。視界を大幅に広げることで、相手の死角を突くことを可能にする。戦闘だけではなく幻想郷中を見張る際にも利用している術式の一つ、そのため『全てを知る者』というのも大仰な名前ではない。

 ちなみに寺子屋を盗み見していたのもコレである。

 

 

「もうその傷では逃げ続けられないでしょう。おとなしく投降しなさいな」

「うるさいわね、逃げるつもりはない、わよ。どうせ逃げられるようには……してない、んでしょ?」

「もちろんよ、この一帯には何重にも結界を張ってあるわ。あなた程度では解くのは無理ね」

「やっぱり、逃げなかった私の判断は正し、かったわけか……くぅ」

 

 

 カシャリと線路の上に刑香は立ち上がる。

 やはり地底で受けた傷が完治していないらしい。勇儀に殴り潰された臓器の一部がまた傷ついてしまったのだろう。流れ出る血と共に、少女から妖力が急速に失われていく気配を感じた。傷口を抑えながら刑香は呼吸だけでも整える。

 

 

「っ、正直なところ参ったわ。勇儀様よりはマシかと思っていたのに、いざ戦ってみたら大差ないじゃない。鬼の四天王と互角とか本当に何の妖怪なのよ、アンタは」

「一応、スキマ妖怪ってことにはしているけど……。何の妖怪だったのか、そうでなかったのかは忘れてしまいましたわ」

 

 

 腕力は鬼に及ぶべくもなく、速度は鴉天狗に劣り、妖力とて幻想郷随一というわけではない。だが幻想郷の大賢者、八雲紫の実力はそういったモノでは計れない。

 恐ろしいほど緻密に計算され、組み立てられ、実行される幾多の戦術は

 

 粘ついた蜘蛛の巣に似て、

 頑強な檻のごとくに、

 出口のない迷宮のように、

 

 決して相手を逃さない。

 だからこそ鬼の四天王と同格かそれ以上、単なる力や速力を超えた何かであらゆる他の存在を圧倒する。血に染まった足袋でレールを踏みしめて、何とか身体を支える刑香に向けて八雲紫は告げる。

 

 

「もう終わりにしましょうか、刑香」

 

 

 

 


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