その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第三十七話:その心の求める先に

 

 

 天狗は極めて閉鎖的な種族である。

 同じ山に暮らす河童たちでさえ、誤って縄張りに踏み込めば命の保証はない。それほどに部外者や他種族への風当たりは強く、天狗同士での上下関係は更に厳しい。この百年において外敵よりも『仲間』に討たれる天狗の数の方が多いのだ。

 天狗という種族が幻想郷で最大勢力を保ち続ける裏には、溢れんばかりの闇と犠牲者たちが存在している。

 

 

「――以上が、地底で起こった事柄のあらましとなります。そして」

 

 

 ここは天狗の長老が住まう館。

 その座敷の奥で黒い翼の少女、射命丸文は地底についての報告を行っていた。どこまでも鋭く研ぎ澄まされた妖力は『三羽鴉』として親友たちと戯れている少女とは一戦を画している。若くして登り詰めた天狗の精鋭としての地位、彼女のそれは偽りではないのだ。

 

 そして隣にはガチガチに身を固めたツインテールの天狗、はたてが正座している。文はともかく彼女はこういう場には不慣れらしい。そんな親友を庇うように、黒い鴉天狗は一人で報告を続ける。

 

 

「我々は紅魔館の助力を受けて鬼を撃退し、古明地さとりからは地上へ出向くという約定を取り付けています。これは八雲だけでは不可能だったでしょう、我々が手を貸したからこその成果だと思います。そして誰一人欠けることなく帰還した次第です」

 

 

 上質な藺草(いぐさ)が香り立つ中、深々と頭を下げる鴉天狗の少女たち。日の光を嫌うように、襖が何重にも閉め切られた屋敷の奥部屋に彼女たちはいた。普段は長老が寝起きをするだけの場所なのだが、『とある事情』から今日は昼間に使われている。

 

 

「一人も欠けることなく、とは八雲の使者についても言えることか?」

 

 

 それまで無言であった部屋の主、天魔はぽつりと呟いた。

 

 

「はい、その通りです。あの者も無事に帰還しております、深手は負いましたが命に別状はないでしょう」

「それは残念だ。できれば八雲の勢力を少しでも削っておきたかった。いっそのこと鬼か土蜘蛛の仕業に見せかけて、貴様がアレを斬り落としてしまえば良かったものを」

「申し訳ありません」

 

 

 老天狗は少女たちへ視線を寄越さない。その手元には将棋盤、天魔はまるで報告に興味がないように髭を触りつつ駒を動かしていた。

 ドス黒い感情が胸の内を焦がすのを感じて、はたては歯を食い縛る。よりにもよって文に向かって親友の刑香を斬れと、この長老は命じたのだ。

 

 

「射命丸よ、その謝罪はどちらに対してだ。ワシの意図を汲めなかったことか、それともアレを斬ること自体ができぬということか?」

「両方です」

「いいか、アレは八雲に取り入ったのだ。おまけに近頃は博麗の巫女にも媚びておるようではないか、まさに天狗の面汚しよ。次は誤らず始末しておけ」

 

「っ、この、耄碌(もうろく)じじい…………もがっ!?」

「耐えなさい、はたて」

 

 

 どうせ我慢の糸が切れるだろうと思っていたらしい。文の行動は速かった。あっという間にツインテールの天狗を片手で黙らせる。ここで天魔を侮辱することは命に関わるほどの不敬なのだ、斬り捨てられても文句を言えない。「妙な真似をするな」と黒い少女が冷たく目線だけで警告する。

 

 

「ほうほう、姫海棠。何か申すことがあるようだな。さてはて貴様は地底で何を知って、何を思った?」

 

「決まってるでしょ、お前がとんだ下種天狗だったことよっ。よくも私たちを千年も騙して…………ふざけるなぁ!!」

「やめなさいっ、はたて!」

「離しなさいよ文、コイツだけは許せないっ!」

「っ、失礼しました天魔様。我らはこれにて下がらせていただきます。ほら、早く来なさい」

 

 

 このままだと友人は長老の逆鱗に触れる。それを恐れたのだろう。黒い少女ははたてを羽交い締めにして、部屋から引っ張り出していった。任務を果たしてきたとは思えない有り様である、そんな茶番劇を愉快そうに天魔は眺めていた。そして、

 

 

「…………アレは、良い友を持った」

 

 

 この男が微かに口元を緩めていたことに、二人の少女が気づくことは永遠になかった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「くくっ、わざとあんなことを言ったのでしょう? 思ってもないくせに酷い男ね。安い挑発にかかった天狗も悪いのだけど」

 

 

 将棋盤を挟んで向かい合う相手。

 まるでいない者として扱われていた少女は、あの二人が去ったことでようやく言葉を発する。悪魔羽を揺らしながら、レミリア・スカーレットは口元を歪ませていた。そもそも、この真っ暗な部屋は日光の苦手な彼女のために用意されたものである。

 

 

「あなたはさぞ残念だったでしょうね。せっかく『チャンス』をあげたのに三羽鴉たちは地底に留まらなかったんだから」

「……なるほど、ワシの目論見はその『能力』で筒抜けらしい。お主のような吸血鬼がいるのなら、これからの幻想郷は安泰とはいかんだろうな」

「そうでもないわ、牙が抜けるくらいの平穏は私としても好むところよ。少なくとも当面はおとなしくしてるわ」

 

 

 会話を続けながらレミリアは思考を巡らせる。真紅の瞳でボードを一望し、歩兵を相手陣地へと進めた。これはポーンと似た役割を持つ駒らしい。将棋はほとんどやったことがないのだが、今のところは自分の優勢で運んでいる。

 

 

「話を戻すわよ。あんたが託した天狗からの書状には大方、『三羽鴉を地底に置くように』という一文が入っていたんでしょう。そうでないと古明地さとりがあんな申し出をしないはずよ」

 

 

 どうやらチェスを元にした戦術がうまく機能しているようだ、自分のターンを終えたレミリアは視線を上げた。それに対して天魔は将棋から目を離さない。

 

 

「そこまで見抜いておるのか。まさか地底まで把握するとは、お主の『能力』は誠に強力無比であるな」

「いや、さすがにそれは無理。今回はパチェの魔法で覗いてただけよ。そしたら地霊殿の主があんなことを言い出すんだから驚いたわ。フランまで帰って来なくなったら困るもの」

「くかかっ、お主は本当に妹に甘いのう。まあ、ワシもあの話を風呂場で切り出すとは思わんかった。そういう意味ではワシも驚かされた側ではあるな」

「…………うん?」

 

 

 ぴたりとレミリアが動きを止めた。

 さとりが話をしていたのが『風呂場』だとレミリアは一言も発していない、それなのにこの男は正確に場所を言い当ててきたのだ。それの意味するところを理解して、紅魔の令嬢は冷たい眼差しを向ける。

 

 

「あんた、温泉を覗いてたの?」

「…………さてはて、何のことであろうな」

「天狗はあんたの部下だからともかく、あそこにはフランも後から来たわけよね。まさか私の妹を」

 

 

 露骨に目線を反らす老天狗。

 その頃にはレミリアの眼差しは穢らわしいモノを見るソレに変わっていた。自分が覗くのは好きだが他者が同じことをするのを嫌う、そういう自分勝手さがこの少女の性格の一つである。

 

 

「待て待て不埒な目的ではない、ただ必要であったから使い魔を放っていたに過ぎん。それにワシが目にしたのは古明地さとりとの会話までだ」

「へえ、それはそれは。黒いのはともかく、白いのを観察して鼻の下を伸ばしていたなんて、妖怪としてもアウトよ?」

「その流れでワシをアレと結びつけるのか」

「冗談よ、冗談」

 

 

 真っ赤な瞳がカンテラのように揺れる。

 そしてレミリアが指揮した『飛車』は、遂に相手の陣へと踏み込んでいた。ルールに従って飛車は『竜王』の駒と成り、その力を高めていく。手堅い守りと攻めを両立した吸血鬼の戦術は初心者とは思えない程に完成されていた。天魔でさえ唸りそうになる布陣である。

 

 

「それはともかく、お前はアイツの名前を口にしてあげないのね。どうして呼んであげないのか理由があるのかしら? ……さあ、王手(チェック)よ」

「ほう」

 

 

 既にレミリアの牙は王将(キング)を捉えていた。

 かなりの犠牲を払ったが、もう少しでチェックメイトに持ち込める。そこでレミリアは一息入れるために伸びをする。かれこれ一時間はこうしているのだ、凝り固まった身体は疲労を覚え始めている。だが、そのおかげで盤上にある駒は半数以下にまで減っているのでゲームは終わりに近い。

 悔しげに肩を震わせる天魔に対して、余裕たっぷりに少女は微笑んだ。

 

 

「さて約束よ、私が勝ったなら真実をもらうわ。お前の正体とアイツの過去を教え……」

「まだまだ勝敗を分けるには早すぎる。東方の駒遊びには西方にない規定があるのだ、このようにな」

「えっ、何それ!?」

 

 

 将棋において全ての駒が無くなることはない。

 それはそうだろう、相手から奪ったものを手駒として使えるルールがある。なので天魔は当たり前のようにレミリアから奪った駒を盤上へと指し出した。そして守りに片寄っていた布陣を大きく攻撃型へと変じていく。肩を震わせていたのは、ルールを知らなかった少女をバカにして笑っていたのだ。

 

 チェスでは無敗の少女も、相手がこの老天狗ではどうしようもない。『運命』を読もうとしても『先』が見えない程に追い詰められている。こんなことは初めての経験である。焦り出した少女を満足気に見下しながら、天狗の長老が憎たらしげに微笑んだ。

 

 

「くかかっ、まだまだ戦術が青いな。例え運命を読めたとしても、そこから広がる枝葉を全て切り取られては意味がなかろう。十手先であろうと二十手先であろうと、一つ一つ丁寧に潰してやろう」

「ま、待った、今の無し!」

「どこで覚えたかは知らんが、そんな規定はない」

 

 

 天魔はすでに『運命を操る程度の能力』について大筋の分析を終えていた。何のことはない、部下を使った諜報と先の異変の分析、そして天魔自身が今まで培ってきた数千年を越える経験が答えを弾き出したのだ。

 

 おそらくレミリアの持つのは『不可能を可能にする』のではなく、『極めて低い可能性を実現できる』能力なのだろう。多くの下準備(レール)を敷くことを前提に、思い描いた運命(ターミナル)へと対象(トレイン)を導くチカラ。極めて強力だが、分かってしまえば対策は容易い。

 

 

「う、うー、何よ何よ散々じゃないこれ……」

「脆いなレミリア嬢、しかし初見にてここまで指せるとは大したものだ。うむ、誉めてやろうではないか」

「……スキマ妖怪があんたを毛嫌いする理由がよくわかった気がするわ。最後の最後で全てひっくり返して嘲笑うとか、性格がイヤらしいのよ!」

「くかかっ、これが楽しくて辞められんのだ。八雲にも随分と辛酸を舐めさせてやったわい」

 

 

 もはやレミリアの布陣は崩壊している、ここからの逆転は厳しいだろう。それどころか戦闘もせずに『能力』を打ち破られた。これが八雲紫に並び立つ大妖怪なのだ、真紅の瞳は困惑に揺れていた。

 

 

「……まさか『運命を操る程度の能力』を、全てではないにしろ見抜かれるとは思わなかった。とんでもない妖怪ね、あんたは」

「お主が持つ能力の正体くらいは察しが付くわい。あまり年長者を侮るな。それでどうするのだ。もう勝ち目はあるまい、ここらで投了しておくか?」

「そうね、仕方ない。あと何手かだけ指して気が済んだなら降参(リザイン)するわ」

 

 

 そう言って進ませた竜王で香車を奪い取る。

 今更そんなものを取っても意味はない。首を傾げる天魔だったが、自分の手元から香車が一つもなくなったことからその意味を察する。そのまま次のターンで王手をかけられたレミリアは敗北したが、まだ話は終わらないようだ。天魔が深いため息をつく。

 

 

「伝えたいことがあるなら言霊に込めるが良い、ここはお主の国ではないのだ。言葉にて語れ、西方の支配者よ」

「…………中身のない宝石箱に価値がないように、空っぽの鳥かごを大事に抱えていても虚しいだけよ。私が伝えたいことなんて、それくらい」

 

 

 暗闇に浮かぶ真っ赤な月光が二つ。

 どこか憂いを宿して輝いている化生の瞳。それだけで感傷に浸るほど天魔は甘くない、だが目を離す気にもならなかった。レミリアはわずかに躊躇するような素振りを見せてから口を開く。

 

 

「地底にて因果の砂は満たされてしまった。できるなら自らの手でひっくり返すことをオススメするわ、あなたがやらないなら私がやる」

「驚いたな、アレにそこまで目を掛けているのか。せいぜい面白半分に手を出していると考えていたのだが、どこにお主を惹き付ける要因がある?」

「勘違いしないで、私はただフランのことでアイツに借りがあるだけよ。特別な思い入れなんてないわ」

「…………そうか」

 

 

 老天狗は思わず目を細めた。

 八雲の式神、山の仙人、博麗の巫女、そして西方の吸血鬼。追放されてから彼女が得た繋がり、そこから生じた想いが確かにある。それは全くもって喜ばしきことであると天魔は心の奥底で微笑んだ。やはりあの娘を外に出して正解だったらしい。

 

 

「私はフランや美鈴とは違う。できるならこれ以上、あんた達に肩入れしたくない。これはあんた達の解決するべき問題で、たかだか数ヶ月の付き合いである私が手を出すべきではないもの」

「…………そうか、その気遣いに感謝だけはしておこう。お主はまだまだ若い、せいぜいワシや八雲のようにならんようにな」

 

「ふんっ、余計なお世話よ。それと次があるならチェスで勝負しましょう、叩き潰してあげるから」

 

 

 べー、と銀髪の少女は可愛らしく舌を出す。

 そして同時にその身体が霞み始めた、自身が持つ特性の一つである『霧状化』を使ったのだ。まるで伊吹萃香の『能力』のように霧として身体が霧散していく。そしてその姿が掻き消えた時、そこに残ったのは老天狗が一羽だけ。広い部屋は静寂に包まれていた。

 

 

「…………あんな小娘に諭されるとは、そろそろ本格的に隠居せねばならんな。それに腰が痛くて敵わん、このまま醜態を見せては他の七柱に示しがつかぬわい」

 

 

 トントンと背中を叩いて老天狗は立ち上がる。

 そのまま障子を開け放ち庭に出てみると、キンモクセイの枝葉が風に揺れていた。秋にオレンジ色の花を付ける庭樹、それは妻が好いていた樹であった。「自分の名前の響きと同じだから好きよ」と澄ました顔で語る姿が脳裏に甦る。思えば恥ずかしがって、あまり笑った顔を見せぬ娘であった。

 

 

「アレはお前によく似ている、名前はともかく姿形は驚くほどにそっくりだ。地底に向かうところを見物していたが、どうやら性格まで似てきたらしい。なあ、ケイカ」

 

 

 誰もいない空間で名前を呼ぶ。

 共に過ごせた時間はあまりにも短かったが、彼女が隣にいて本当に幸せであったことを覚えている。あまりにも儚く逝ってしまった伴侶の姿を探して、真っ青な空を見上げた。そこには高く高く白い雲が浮かんでいるだけで、他には何もない。それが妙に悲しくて、老天狗は言葉を返すはずもない青空へと話しかけた。

 

 

「もはや『延命』の能力は持たんだろう、それはワシが一番よく分かっている。だから時間はないのは正しい。だが、それでもワシはお前に真実を打ち明ける決心がつかんのだ。すまぬ、刑香」

 

 

 浮き雲に白い翼が重なって見え、老天狗は目を細める。

 自分は憎まれても仕方ないことをしてきた。それでも彼女が生まれた日に、心の底から喜んだことを覚えている。その命が零れ落ちた日に、涙が渇れるまで泣いたことを覚えている。老天狗はシワだらけの掌を眩しい太陽にかざした。

 

 

 まだ何一つ思い出を作っていなかった。

 まだ一言も愛していると伝えていなかった。

 まだ一文字とて名前を与えても、いなかった。

 

 

 それどころか組織のために道具として利用したのだ。種族を治める長としては仕方なかったとはいえ、そんなものは言い訳になるはずもない。どんな理由があろうとも下種な行いは下種でしかないのだ。だからもう諦めなければならないはずだった。

 

 それなのに名前を聞くたびに、翼の色がちらつくたびに思い知らされてしまう。『能力』もそうだが、彼女は確かに己と愛する妻の血を継いでいる。たった一人の血族と共に過ごせぬとは、自業自得ながら何という運命だろう。

 

 

 

 どこまでも広がる幻想郷の空を一度たりとも、彼女と共に飛んだことはない。

 

 

 

 

 ◇◇◇

 

 

 

 森の中にある白い鴉天狗の住居。

 インクと森林の匂いが混じり合う古びた神社、そこで博麗の巫女がミノムシのように布団を被っていた。あちこちが傷んだ部屋は冷たく澄んだ空気に満ちて、少女は憎らしげにスキマだらけの壁を見つめている。

 

 

「……さむい、何でこんなにスキマ風が強いのよ。ちゃんと直して行きなさいよ、魔理沙のバカ」

 

 

 この三日ほど、霊夢は魔理沙と二人してここで遊んでいた。床に脱ぎ捨てられた白黒の魔女服や、ゴチャゴチャと置かれた魔法器具は友人の持ち物である。他には謎の液体が畳を七色に染めているのが強烈だが、壁がボロボロになっているのが一番問題だ。これはさすがに刑香でも怒るだろうな、と霊夢は素知らぬ顔で考える。

 

 

「まあ、ほとんど魔理沙のせいだけどね。アイツがここで魔法の実験なんてしてるから、失敗やら爆発で色々なものを壊しちゃったんだし」

 

 

 たったの数日間でこの有り様である。

 白黒の魔法使いはここを秘密基地か何かと勘違いしているようだ。自分の家で魔法を使うと白い目で見られるので、色々と自由にできる場所が欲しかったのだろう。刑香が留守にしてからやりたい放題だ。はー、と霊夢は手に白い息をかける。

 

 

「ああ、さむいさむい」

 

 

 くるりと刑香の布団で丸くなる。

 心地よい香りが染み付いていた。人間の汗のように不快なものではなく、妖怪らしくもない透き通るような香り。スキマ主従のように人を惹き付ける妖艶なものとは違うが、こうしていると心がとても落ち着いた。早く帰ってこないだろうかと、鼻をぐりぐりと枕へ押し付ける。

 

 

「……ぷは、カメラを使い魔が持って行ったから戦闘は終わったわよね。そろそろ帰ってきそうな気がするのになぁ、何やってんだろ。魔理沙も一旦家に帰っちゃったし、つまらないわ」

 

 

 寝返りを打つと黒髪が顔にかかってくる。

 少し鬱陶しかったが、わざわざ払う気にもならなかった。そして白い鴉天狗は帰って来ない、金髪の魔法使いも訪れて来ない。おまけに吸血鬼異変が片付いたばかりなので巫女としての仕事もない、なので霊夢はとても退屈だった。遊び相手が欲しいところである。

 

 

 ――おおっ、食べ物もあるから泊まっていけそうだぜ。なっ、霊夢!

 

 

 そう言って部屋の隅に置かれた米や野菜を、満面の笑みで指差していた魔理沙。それは刑香の持ち物だったのだが、地底に出発してから明らかに量が減っていた。つまり手を出されたわけであるが、その下手人もここにはいない。跳ねるような口調で霊夢へと言葉を紡いでいた白黒の少女、彼女は家族の元へ里帰りしてしまっていた。

 

 

「ふわぁぁ…………。眠いなぁ、もう」

 

 

 温かい布団に身体を預けてあくびをする。

 横になっていると、机の上に置かれている古ぼけた写真立てが視界に映り込んできた。キメ顔、ドヤ顔、ツン顔の鴉天狗たちが思い思いにポーズを決めている。黒色と茶色、そして白色のカラスたちは実に仲がよさそうだ。

 

 

「…………何だかんだで刑香が持っている中で、誰かと一緒に映った写真はアレしかないのよね。やっぱりあの二人は特別なんだろうな。千年も一緒にいたんだから当たり前だけど」

 

 

 博麗霊夢は特別な存在である。

 幻想郷の巫女であり、結界の管理者にして、人間と妖怪とを結ぶ架け橋になるべき者。将来的には霊夢がいなければ幻想郷は立ち行かなくなるだろう。考えれば考えるほどに、代わりのいない娘であり特別な立場にいる少女。

 

 それなのに、どうして一羽の鴉天狗にここまで入れ込んでいるのか。霊夢自身にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

「私の布団で何やってるのよ、霊夢」

「――――!?」

 

 

 突然、真上から降ってきた声。

 困ったような色を滲ませたそれに、うとうとしていた霊夢は飛び起きる。いつの間に部屋の中へ入ってきていたのだろうか、さっきの独り言を聞かれていただろうか。そんな驚きや心配をはね除けて、幼い巫女は子供らしい笑顔で声の主へと飛びついた。

 

 

「おかえりっ、刑香!」

「あ、えっと…………その、ただいま」

 

 

 どこか照れた様子の刑香がそこにいた。純白の翼と夏空の碧眼は見慣れた輝きで、その身に纏う雰囲気も何一つ変わっていない。枕にしていたように霊夢は刑香へと顔をぐりぐり押し付ける。雪と血の混ざった匂いがしていた、また大きな怪我を負ったのだろう。

 一方の刑香はまさか匂いを嗅がれているとは気づいておらず、少しだけ頬を染めて霊夢の黒髪を撫でていた。

 

 

「やっぱり正面から『いってらっしゃい』とか『おかえり』って言われると恥ずかしいものね。何て言うか胸の辺りがくすぐったいわ。ありがと、霊夢」

「ふふ、どういたしまして。期待通りの反応で嬉しいわ」

「なによ、もしかして私の反応を楽しんでたの? まったく仕方ないわね。それで、霊夢はこんなところで何してるの?」

「たまたま寄ってみただけ、そろそろ刑香が帰ってきそうな気がしたからね。私がここにいるのは偶然よ」

 

 

 さらりと嘘をつく霊夢。

 本当はここ数日間、暇に任せてここに通い詰めていたとは言えない。何だか恥ずかしいし、このままでは住居を荒らした容疑をかけられそうなのだ。しらばっくれる少女に対して、白い鴉天狗は貯めていたはずの食料を指差した。

 

 

「ねえ、あそこに置いてあった蓄えが減ってるんだけど、ネズミにでもかじられたのかしら?」

「そ、そうかも。白黒のでっかいネズミが出たのよ。とっても大食らいだったのね。うん、間違いない」

「減った量から察するに、だいたい人間の子供が二人で三日分ってところかしら。そうなると白黒だけじゃなくて紅白のネズミもいたかもね、霊夢?」

「う、うん、いたかも。…………ご、ごめんなさい」

「正直でよろしい」

 

 

 あっという間に見抜かれてしまった。野菜や米を使ったのが魔理沙なのは間違いないが、それで作った料理は二人で食べていた。だから刑香の言う通りネズミは二人で当たっているのだ。

 あっさりと認めた霊夢へと、刑香は「仕方ないわね」とため息をついた。そして七色に変わってしまった床の一部や実験器具を面倒くさそうに眺めている。

 

 

「これはまた派手にやってくれたわね。一応ここは鴉天狗の巣なんだから怖がりなさいよ。まあ、やってしまったのは仕方ない。どうやって片付けるか考えるわよ」

「魔理沙に全部やらせればいいんじゃない?」

「私も手伝えば数刻で終わるだろうし、あの子だけだと大変でしょ。……なんで笑ってるのよ、霊夢?」

「何でもないよ」

 

 

 人に縄張りを侵された妖怪が真っ先に行うのは、本来ならその人間への制裁である。妖怪は人間に恐れられてこその妖怪なのだから当然だ。天狗の領域に手を出した者の頭から下が無くなって帰ってきた、なんて話は珍しくない。

 それなのに刑香は『仕返し』よりも目の前の『掃除』を優先していた。そこに霊夢は可笑しさを感じてしまっている。人間だってこの惨状を見れば、まずはお転婆娘に拳骨の一つでも落としに行くだろう。甘いのか優しいのか、それとも子供への怒り方を知らないのか。いずれにしても、

 

 

「本当に刑香って変な妖怪よね」

「私の印象は何でもいいけど、掃除は手伝いなさいよ。あとでお駄賃代わりにお土産をあげるから」

「へー、お土産なんて買ってくれてたんだ。あれ、でも鬼の都の品物なんだよね。地上に持って来て大丈夫?」

「単なる双六盤よ。結局のところ博打に使うものしか売ってなかったから選ぶのに苦労したわ。正月か大晦日にでも遊べばいいんじゃない?」

「それなら毎年勝負しようね。それと……」

 

 

 さっきの答えが分かった気がした。

 結局のところ、自分はこの鴉天狗に少しばかり甘えているのだ。人間でありながら人里には住めない少女と、天狗でありながら故郷を追われた少女。人間らしくない人間と妖怪らしくない妖怪。そこに共通点を見つけたのか、それとも別の何かに惹かれたのか。はっきりしないが、他愛ない会話の中で霊夢はようやく理解した。

 

 

「私、刑香のことがけっこう好きみたい」

 

 

 それだけ伝えると気恥ずかしさで、霊夢は頬を染めて俯いた。しかし畳を見つめていても、いつまで経っても刑香からの返事はない。聞こえていないのだろうかと思い、そっと顔をあげてみる。

 

 

「な、なな、…………何を、言って?」

「私より真っ赤だよ、刑香」

「う、うるさいわね……。びっくりしただけよ!」

 

 

 耳まで真っ赤にした鴉天狗がそこにいた。

 そういえば正面切って好意をぶつけられるのは、彼女の一番の弱点だった。こちらに背を向けて肩を震わせているのは照れを隠しているのだろうか。この反応を見るためにもう一度言ってみてもいいかもしれない。そんなことを考えながら霊夢は真っ白な翼へと抱きついた。

 

 

 

 十数年後、博麗神社には二組の写真立てが飾られることになる。一つは白黒の魔法使い、悪魔のメイド、半霊の剣士、そして風祝の少女たちが映ったモノ。そしてその隣に置かれた二つ目は、幼い頃の自分と白い鴉天狗が並んで撮られた写真であった。

 本来歩むはずだった歴史よりも少しだけ、博麗の巫女には大切なものが増えたのだ。

 

 

 それはまだ遠い未来のお話。

 

 

 


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