その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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戦闘描写があります。
苦手な方はご注意ください。


第三十一話:されど花に伝う

 

 

 旧都の中心にそびえる地霊殿。

 その一室には冷たく澄んだ空気が満ちていた。割れた窓ガラスから吹き込む風は雪を帯びて、さとりの執務室を白い冬色に染めていく。滑らかなウッドテーブルに置かれたカップからは紅茶の湯気が立ち、しっとりとした寒さと静けさが宿る空間がそこには広がっていた。

 

 

「だからっ、早く鬼どもを止めてって頼んでるのよ! ゴタゴタ言わずに喧嘩の仲裁くらいしなさいっ。アンタが地底では一番偉いんでしょ、さとり妖怪!」

「できません」

「ふっ、ふざけてんじゃないわよ!!」

 

 

 そんな静寂を打ち破るのは少女の怒号。

 吐く息は真っ白ながらも熱を持ち、その瞳は激情に燃えていた。先程から何一つ進まない交渉に、はたては我慢の限界だと言わんばかりに怒りをぶちまける。その隣に座っていたパルスィは、真逆のゆったりとした口調で茶髪の鴉天狗をたしなめた。

 

 

「はたて、落ち着きなさい。紅茶でも飲んだらどうかしら?」

「あのねぇ、のんびり飲んでいられるわけないでしょ。こうしている間にもアイツらが危ないかもしれないんだから」

「だから冷静になりなさい。感情をむき出しにしたら、さとりの思う壺よ。あいつはアンタを揺さぶって心のスキマを暴こうとしてる、さっきから教えてるでしょ」

「それは、わかってるけど」

「なら冷静になるよう努めるべきよ、はぁ…………」

 

 

 そのままパルスィは向かい側へ座るピンク髪の少女へとため息をついた。猫と鴉の模様がついたマグカップを持ち上げるさとりは無表情で、はたてとパルスィの話には耳を傾けようとしない。その一方で、胸元に浮かぶサードアイは鋭い眼差しで二人を覗き込んでいた。完全に警戒されている。

 

 そして問題はそれだけではない。

 はたては上層部を相手取る文や、組織を敵に回して生きてきた刑香とは違う。交渉やら腹の探り合いというものが、どうしようもなく苦手なのだ。それは引きこもりであったがための弱点、さとりはその心の隙間を正確に突き崩している。それでもはたては負けじと説得を試みようとするが。

 

 

「でも、」

「鬼たちとの関係が悪化することは、地上との揉め事以上に避けなければなりません。私は基本的に彼ら彼女らの機嫌を損ねることには手を出しません。ですから喧嘩の仲立ちはしません」

「だったら、」

「不可能です。鬼の喧嘩に割って入り無事でいられる者など地底にはいません。故に紹介も出来ませんし、そんな時間もありません。諦めて下さい」

「う、うぐぐ…………こんの、頑固ピンクようか」

「安い挑発もまた無意味です」

 

 

 形にする前に言葉をむしり取られていく。

 はたては唇を噛み締める。『心を読む程度の能力』がここまで厄介だと思わなかった。これでは会話にならない、いや向こうは会話をする気がないのだろう。こちらの言葉を抑え込むような話し方は不快の一言に尽きる。いっそのこと無理やり連れていこうと思ったが、済んでのところで持ちこたえた。それでは意味がない。

 

 手詰まりだ。悔しそうにはたてが握りこぶしを固める。一方のさとりはペットたちの柄が描かれたカップの表面を指で伝いながら、こちらへ視線も合わせずに追撃をかけてくる。

 

 

「そもそも書状はこうして私が受け取りました。もう地上へお帰りになればどうですか?」

「バカじゃないの。文と刑香が鬼と戦ってんのよ、アイツらを助けないと帰れるわけないじゃない。天狗は仲間を大切にする妖怪なんだから」

「これは可笑しなことを口にしますね。『一』より『群』の生存を、『個』より『組織』の存続を優先するのが天狗でしょう。あなたは任務を果たした、ならば残りの二人は必要な犠牲だと割り切ってしまえば済む話のはずです」

「何、ですって?」

 

 

 それはあからさまな挑発だった。

 だが親友を見捨てることなど出来るわけがない、さとりの狙い通りに鴉天狗の少女は憤ってしまう。あの二人を見捨てて自分一人だけで帰るなんてあり得ないのだ。山の組織に馴染めず、閉じ籠ってばかりだった自分を連れ出してくれたのは文と刑香。今だってそうだ、あの二人を失ってしまえば自分は―――。

 

 

「『また独りぼっちになっちゃう』ですか?」

「――――!!」

「ふふっ、あなたたちの間にあるのはずいぶんと強い友情ですね。まあ、天狗としては失格でしょうが誰もが妬ましく思うほどに強固な繋がり。だからこそ、失うことが恐ろしい」

「あんたには、関係ないわ」

 

 

 ぬるりとした妖気が染み込んでくる。

 心を読み取りトラウマを抉り、獲物の精神を喰らうのが覚妖怪の本質である。声のトーン、タイミング、相手が持つ精神の波長に合わせて毒液を流し込む。ありふれた単語、使い古された言葉でさえも、さとりの口から放たれたならば急所を穿つ毒矢と化すだろう。その証拠に鴉天狗の少女からは動揺の色が透けて見えた。さとりはテーブルへと身を乗り出すと、サードアイで鴉天狗の少女を捉える。

 

 

「あの二人を死なせてしまえば、あなたの居場所は無くなってしまう。引きこもりで激情家、天狗らしからぬ精神を内に秘めた、そんなあなたを受け入れてくれる同族はあの二人しかいないから」

「っ、そうね、そうかもしれない。認めるわ、だからこそ私はあんたにアイツらを助けてくれって頼んでいるのよ」

「なぜ見捨てないのですか。…………伊吹萃香と出会った時、すでに白い方を一度『見捨てて』いるのでしょう。今さら一羽も二羽も同じだと、そうは思いませんか?」

「―――っ、私たちの思い出を踏みにじるのも大概にしなさいっ。覚妖怪ごときが!!」

 

「だから落ち着きなさいって、はたて。さとりもコイツを虐めるのはそこそこで遠慮しなさいよ」

 

 

 腰の妖刀にまで伸びたはたての腕をパルスィが抑えつける。ここで斬りかかってしまえば話し合いは終わりだ、さとりは交渉を打ち切って堂々と二人を追い出すだろう。それに正面から攻撃しても絶対に当たらない。すらりとした脚を組んで、さとりの少女は眠そうな半眼で鴉天狗を見据えていた。

 

 

「…………はたて、あなたのような妖怪は嫌いではありません。この私を相手にして見え見えの策略を弄し、媚びへつらう愚か者達よりずっと好ましい。友を想う心も、それに伴う激情も、私のサードアイにはとても美しい景色として映るのです。ですが、あなたの交渉術は子供のそれですね」

「う、やばい泣きそう…………」

「ちょっ、はたて!?」

 

 

 とりあえず上げて落とされた。そろそろ限界らしい鴉天狗は机に突っ伏してしまった。文と刑香が戦い始めてから、注がれてきた言霊の刃が心を弱らせている。茶髪のツインテールが弱々しくテーブルの上で項垂れていた。そんな様子を眺めながら申し訳なさそうに、さとりが呟く。

 

 

「…………それにスペルカードルールなどという奇妙なモノのために、私が地上に赴くのも御免です。もう私は人間にも地上の妖怪にも関わりたくないんです。お願いですから私たちには触れずに、どうぞ地上は地上で好きにしてください」

「そーいえばアンタも引きこもりよね」

「うるさいですよ、パルスィ」

 

 

 さとりの前には八雲からの書状が広げられていた。これははたてが刑香から託されたものである。しかし結果は見ての通り、紫、天魔、レミリアの連名ですら地霊殿の主を動かすことはできなかった。それは当然で、そもそも地上を嫌っている少女へ賢者たちの持つ権威は届かないのだ。残りの一通は天魔個人からの書状であるが、そちらも望み薄だろう。

 

 

「このままじゃ、アイツらが」

 

 

 それでもはたては身体を引き起こす。

 心はカラカラに渇いていて、おまけに時間がない。聡明な文が三人がかりで鬼と戦わずに、はたてを先に行かせた理由はわかっている。わざわざ戦力を分散させる愚を犯したのは、つまりは『三人』でも勇儀に勝てないと判断した結果だろう。ならば早く戦いを終わらせなければならない、そのためにさとりを連れて行かなければならない。何よりも優先しなければならないことだ、何故なら、

 

 

「射命丸文と白桃橋刑香は、私の大切な親友なんだから…………!」

 

「ちょっと待ってください」

 

 

 予想だにしていなかった名前を聞いて、驚いたさとりは思わず声を上げる。その拍子にティーカップが指から滑り落ちるのにも意識を移せず、愛用のカップが床に衝突して粉々に砕け散った。ペット達からの贈り物だったのだが、今のさとりには気にしている余裕がない。バラバラに砕けた破片は無機質な輝きを放つばかりである。

 

 

「白桃橋、刑香? 白い鴉天狗の家名が『白桃橋』だとあなたは言ったのですか?」

「ふぇ? そうだけど、それが何なのよ。…………ぐすっ、あんたには関係ないでしょ」

「関係ない? あなたは本気でそう思って、いるようですね。そんな馬鹿な…………白桃橋 迦楼羅(かるら)の血縁者が閻魔の言っていた鴉天狗なんて…………ありえない、です」

「…………さとり?」

 

 

 ゆらゆらと揺らめくサードアイの瞳。

 湖面に小石を投げ込んだように波立つ心。初めて動揺を見せるさとりに、はたてとパルスィは首を傾けた。良くわからない、白い鴉天狗の名前がどうしたというのか。そもそも刑香に身内はいないはずなのだ、いたのなら上層部たちから彼女を救っていただろう。それに『 迦楼羅(かるら)』というのも聞いたことのない天狗の名前である。すでに故人なのだろうか。

 

 

「姫海棠はたて、あなたは本当に知らないのですね。だとしたら何とも可笑しな話です。白桃橋迦楼羅といえばあなたたち天狗の『頭領』の御名であるというのに」

「あんたこそ知らないの? 私たち天狗の長は『天魔』のジジイよ、カルラなんて名前じゃない。しかもそれが刑香と同じ家名なんて笑えるわ。あの子がどれだけ組織から酷い目に会わされてきたか、私の記憶から読み取ったくせに」

「それは違います、あなたは少々誤解している。確かに白桃橋刑香の扱いには疑問が残りますが、『天魔』とはそもそも天狗の長としての…………いえ時間がない、今は止めておきましょう」

 

 

 何やら含みのある言葉を口にすると、さとりはソファーから立ち上がった。折れそうなくらい華奢な脚、そして履かれたスリッパが床でぺたんと可愛らしい音を鳴らす。交渉が始まってから微動だにしなかった少女が動いた、そんな光景を意外そうに見守る二人を置いてドアの前まで歩みを進める。そして優しく澄んだ声で、さとりは愛するペットの名前を呼んだ。

 

 

「お空、来なさ、ぶっ!?」

「待ってました、さとり様!!」

 

 

 勢いよく開いたドアに顔を打ちつける。

 さとりは堪らずに鼻を押さえて屈んでしまう。どうやら空は主人が心配で、部屋のすぐ外で控えていたらしい。それは主人思いで良いことなのだが、何事もタイミングは重要だ。この一撃で、先程までの妖怪としての古明地さとりの面目を丸ごと叩き潰してしまった。かっこよく呼び出そうとしたのに大失敗である。

 

 

「うにゅ、さとり様どうしたの?」

「…………何でもないから気にしないで、本当に何でもないわ。とりあえずお空、あなたの翼を貸しなさい。今から勇儀の元まで急行します。そして喧嘩を収めたら地上に向かう。それで文句はないでしょう、鴉天狗」

「え、もちろん。どういう風の吹き回しなのかは気になるけど、それは聞かないでおく。あと顔は大丈夫?」

「お礼も哀れみも要りません。私はただ古い知り合いと話をしなければならないと思っただけですから、私に家族や友人の大切さを偉そうに説いていたあの天狗に」

 

 

 さとりの変化に戸惑いつつも、はたてとパルスィは安堵する。これで戦いを止めることができるかもしれない、文と刑香を助けることができるかもしれないと。だがその時、さとりがどんな表情をしていたのか、二人は気づいていなかった。唯一それを察した空が、主人の手を心配そうに握りしめる。

 

 

「さとり様、かなしいの?」

「…………少し時の流れを感じただけですよ。私は変わりません、いつまでもあなた達とあの子を大切に思い続けるから安心してね」

「うにゅ?」

 

 

 どこか寂しそうに空の黒髪を撫でる。

 その瞳に浮かぶのは失望の色であった。さとりが妹やペットたちを何よりも大切に思う心、それと同じものを持っていたはずの『あの男』はもはや変わってしまったらしい。彼の変化が少女には堪らなく虚しかったのだ。

 あの『金色』の羽を持つ鴉天狗はどうしてしまったのだろうか、さとりには答えは出せない。なぜならさとりは『月の都』での戦いがあったのを知らない。多くの妖怪たちが命を落とした出来事を知る前に、山から離れて地底に来たのだから。

 

 

 旧都で巨大な火柱が上がり、さとりが思考を中断することになったのはその数秒後であった。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 灼熱地獄の上に、さとりの住居は存在している。そして地霊殿を中心にして、この都を東西に貫く大通りによって旧都は物流の流れを作り出している。これは平安の世にあった京の都と同じ構造、そこには鬼たちの不器用な想いが込められていた。かつて絆を結んだ人間という種族との、彼らはまだ絆を求めているのだ。

 そんな旧都の街道をフランドールは、縦横無尽に飛び抜ける。

 

 

 ―――日の傾く時、ぬめらかなトーヴは螺旋の角にて一面に穴を掘るだろう。

 

 

 穴だらけになった大地が悲鳴のように歌う。

 地表から立ち昇るのは硫黄混じりの匂い。温泉に独特なそれをフランは少し不快に思いながら、飛んできた巨大な『物体』を回避した。風切り音を鳴らした後、ティーカップのように地面で粉々に砕け散ったのは二階建ての家屋。まるで野菜のように家々を基盤ごと、一本角の鬼は引っこ抜いて投げてくる。豪快すぎる鬼へ呆れた顔を向けてフランは地面に降り立った。

 

 

「ずいぶんと品のない戦い方をするのね。まるでトロールかゴーレムのよう、それは力に任せた美しくない蹂躙なんだよ?」

「妖怪の戦いに『美しさ』を求めるのは、どうかと思うけどねぇ?」

「これからはきっと必要になるの。だってレミリアお姉様が言ってたんだから、相手を美しく制する戦いが主流になるんだってね。…………そろそろ鬼ごっこにも飽きちゃった。この戦いに終止符を打ちましょう」

「――――!?」

 

 

 言い知れぬ悪寒、それを感じた勇儀が身構える。

 フランが突き出した左手に視線を釘付けにされ、ここ数百年は覚えのない寒気が全身を覆う。鬼の肉体をも壊せる『何か』がフランの手のひらへと収まっていた。それはフランの切り札である『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』を発動させるのに必須たる世界の急所。危険性を理解した勇儀が突進してくるが、もう遅い。完全に壊さないように手加減しながら、フランはその『目』を握り潰す。

 

 

「きゅっとして………………ドカーン!!」

 

 

 大気を揺らしたのは破裂音。

 フランの能力は相手を必ず破壊する、例えそれが九尾の妖狐であろうとも鬼の大将であろうともだ。西方に君臨した最悪のチカラにして、満月の下でのレミリアすら打倒しうる最強の能力。ゆえに対象を捉えて発動させれば勝負は確定する。唯一の例外は白桃橋刑香のみ、フランは勝利を確信していた。

 

 

 だからだろう、倒したと確信していた勇儀の重々しい拳をフランは避けられなかった。

 

 

「―――――か、はぁっ!!?」

 

 

 小さな身体を走り抜ける衝撃。

 恐ろしいほどの腕力に押し出され、そのまま砲弾のような勢いで背後にあった茶屋にフランは突っ込んだ。茶色い茅葺きの屋根を突き抜け、机と椅子を粉砕して壁へと身体を打ち付けられる。

 信じられないが能力が避けられたらしいと、咳き込みながらフランは状況を分析する。身体の至るところに砕けた木材が突き刺さり、血と痛みに涙が流れ落ちる。埃っぽい空気を肺一杯に吸い込みながら、フランはぼんやりと霞む視界から勇儀の姿を探した。すると思いもよらぬ光景に言葉がこぼれ落ちる。

 

 

「それ、白い鳥さんの『能力』じゃない。何で鬼のお姉様が持ってるの…………けほっ」

 

 

 勇儀の身体から空色の妖力が漏れだしていた。ホタルのように儚いソレは、かつて刑香がフランの能力を防いだ光そのもの。見間違いではないだろう。『破壊のチカラ』を外すことができるのは、フランの知る限り『死を遠ざける程度の能力』しかありえないのだから。

 

 

「ん、こいつは刑香のヤツに仕込まれたものだよ。鬼である私には『死』を排除するチカラは毒みたいなもんだからね。それでさっき喰らったわけだが、どうやら役にも立つらしい」

「痛っ…………ずるいよ、そんなの」

 

 

 皮肉にも勇儀の力を封じるための策が、フランを妨害してしまった。運命の巡り合わせが悪かったと言ってしまえばそこまでだろうが、あまりにも酷い偶然だ。立ち上がれないフランは、あっという間に近づいてきた勇儀によって間合いを詰められる。二本歯下駄が床に散らばる屋根材を踏み砕く。

 

 震えるような威圧感を感じ、フランは悟った。

 どうして鴉天狗の少女たちが二人がかりでボロボロにされていたのか。それは簡単な話だった、星熊勇儀という鬼はそういう化け物なのだ。あらゆる力、戦う舞台、偶然の幸運に至るまで全てを味方につけて暴れまわる。それが彼女だったのだ。とある詩がフランの頭の中に響き渡る。

 

 

 ―――喰らいつく(あご)が引きちぎる、引き掴む鉤爪(かぎづめ)が抉り裂く。

 

 

 物語で語られた存在のように、自分などより恐ろしい怪物がいた。その事実にフランは心の奥底で微笑んだ。自分は本当に何も知らなかった、レミリアの言う通りに世界はどうしようもなく広かったのだ。ここまで来て良かったと思う。

 ひとしきり納得した後で、念のために用意しておいた『備え』を使うことを決める。にやり、とフランはイタズラを仕掛けた子供のように口角を吊り上げた。

 

 

「きひひっ、クロッケーの球みたいに飛ばされちゃった。そういうのはハリネズミの役割なのに、吸血鬼を使うなんて可笑しいわ。そのおかげで私はボロボロ、ここまでみたい」

「おいおい、手加減してやったのに諦めるのかい。もう少し根性を見せてみなよ、せっかく旧都まで来たんだ。しばらくすればアイツが喧嘩を止めにくる、その後で観光でもしていきな」

「もう無理だよ、脚も羽も折れちゃった。これじゃクイーンだって動けない、だから私は取られた駒なの。でもね、勘違いしないで『この私』がここまでなのよ?」

「どういうことだ…………お、何だい?」

 

 

 謎かけにも似たフランの言葉、それを考える素振りを見せた勇儀の目の前でフランの身体が霧になっていく。驚いて手を出した鬼だったが、雲を掴むようにフランは消滅した。

 まさか死んじまったのか、と固い表情で勇儀が茶屋の中を見回した。鴉天狗の少女たちとは違い、今回はできる限りの手加減を施していたのだ。それにも関わらず少女は命を落とした、その事実にしばし愕然とする。だが、空気が焦げる匂いが鼻をくすぐった。

 

 

「「「きひひっ、鬼さんこちら。私は一人取られたけれど、クイーンにはスペアがあるものよ!」」」

 

「こいつは、驚いたねぇ。お前さんは四つ子だった、なんてあるわけないな…………西方妖怪にここまで器用な分身を見せられるとは参ったね」

 

 

 じりじりと大気が焼ける音がする。

 黄昏に染まる旧都の空、そこには三人に増えたフランドールがいた。魔力の大きさも姿形も瓜二つ、本物と違わぬ魔術によって作られた分身である。前回の異変で刑香を捕らえてその翼をへし折り、そして文とはたてを同時に相手取ったフランの隠し玉。初めから勇儀と戦っていたのは分身であり、用心深く本体は控えていたのだ。

 まだフランは傷一つ負っていない。

 

 

「そうら、その手に持っているモノを使いな。心配することはないさ、街は燃やしたらまた作り直せばいい。この地底でのゴタゴタの始末は私たちが引き受けてやるから遠慮はいらない」

「「「なら遠慮なく、焼き尽くせ『レーヴァテイン』!!」」」

 

 

 降り下ろされた『三本』の魔剣。

 灼熱地獄の釜が開いたのだろうか。見る者にそう思わせる程に、焼けつく太陽が花火のように弾けては炎を撒き散らす。住民はすべて避難しているとはいえ、あまりにも容赦なく三ッ首の蛇が大通りを飲み込んでいく。並の妖怪では一瞬で灰にされる火力、だがそれでも鬼の大将は倒れなかった。黄昏に燃える大地の中で、青い光が彼女を護る。

 

 

 ―――かくて恐ろしき想いに立ち止まりし時、その瞳を夕焼け色に燃やしたる正体不明。 風切り音を鳴らして、いと深き森の移ろいをへし折りて、憤怒と共に迫り来たらん!

 

 

 ふと脳裏を巡るのはお気に入りの物語。

 フランの目に映ったのは、夕焼けの炎を掻き分けて韋駄天のように駆ける羅刹の姿。三方から吹き出る炎に身を焼かれながらもフランの分身を潰さんと跳躍する。そしてロクな抵抗もできず、爪で引き裂かれて一人目の分身が消される。その圧倒的な勇猛さに目を奪われ、幼い吸血鬼は空中で立ちすんでいた。

 

 

「あなた、まるで正体不明(ジャバウォック)みたい…………」

 

 

 ジャバウォックとは西方世界で語り継がれる『正体不明の怪物』。フランは正体不明の怪物と説明不能の妖怪とを結びつけた、そしてその例えは言い得て妙であるだろう。

 物語の化け物は理解できないから恐ろしいのだ。理不尽なまでに強く、あまりにも野蛮で、ため息が出るほど強大な存在、そんな妖怪が目の前で暴れている。これを怪物と言わずして何とする。

 

 しかも、である。願わくば間違いであって欲しいが、勇儀はフランが攻撃を当てるたびに『速く』なっている。想像に過ぎないが、おそらく刑香の『能力』が攻撃を受けるたびに『消費』されることで、勇儀に鬼としてのチカラが戻ってきているのだろう。そんなものは反則だとフランは思う。

 

 

「状況は不利ね。私の『能力』は当たらない、他の攻撃は当てるたびに相手を強くしてしまう。なら鬼のお姉様にチカラが戻る以上のダメージを叩き込んで、動きを鈍らせるしかない。…………そういうのって、できる?」

 

 

 流れ落ちる汗を拭っていると最後の分身が潰された。恐ろしいほど呆気なく拳のひと振りでバラバラにされてしまう。これで一対一になるのなら、フランにとってチェックメイトに近いものがあるだろう。頼みの『能力』が通用しないなら吸血鬼の再生能力を持ってしても、やがては押し切られる。だがフランに焦りはない、もう自分は独りではないのだから。

 

 

「美鈴、できるかな?」

 

「フラン様のご命令なら、この身に代えてやり遂げましょう。少しばかり援護は欲しいですけどね」

「なら私の『能力』で補助してあげるわ。二回、三回くらいなら『死』を外せるでしょうし」

「えーと、私も手伝わないと駄目ですか?」

「頼りにしてるわよ、あや姉?」

「あややや…………そういう使い方は卑怯です」

 

 

 そう、フランドールはもう独りではない。

 消えてしまった分身たちの代わりに三つの影。見慣れた門番の少女、そして黒と白の翼が、幼い吸血鬼を中心に集まっていた。最低限の魔力を温存しつつ、フランは時間を十分に稼ぐことができたようだ。

 

 

「くっ、あっはっはっ、大したもんじゃないか! この星熊勇儀を相手にまだ立ち向かってくる、しかもお互いのために死地に乗り込む気概を魅せるたぁ。お前さん達、まるで人の子みたいな絆を持ってるね」

 

 

 勇儀はあっけらかんと笑っていた。

 どこから出したのか、大きな盃で酒を傾ける。炎の中で渇いた喉を潤しているのだろう。ひょっとしたらフランの分身を潰していったのは、本体を見切った上でだったのかもしれない。かなり追い詰めたはずだが、まだこの鬼には余裕がある。

 

 

「大将、町の連中の避難は済みましたぜぇ」

「旧都を直すのはアタイらも手伝う。だから豪快にやってくれよ!」

「ついでに魁青のヤツも回収しておきやしたから、ご心配なく!!」

「多分まったく心配してねえだろうな」

 

 

 刑香たちと同じく追い付いてきた鬼たちが、口々に勇儀へと歓声を飛ばす。そこには先程までの悲痛な叫びはない。かつての人との絆は絶えて久しいが、今は似た想いを持つ者たちが現れた。

 鬼を打倒せんと団結して立ち向かう、その間に妖怪と人間の壁はない。ならばこれは妖怪同士の争いではなく久方ぶりの『鬼退治』。そう思いたくなる程に、彼女たちの姿は好ましいものだった。

 

 夜明けが近い。太陽の光が届かない地底において、妖怪たちは本能的に朝の気配を感じていた。日の出にはまだ早い、しかし月は消え始めている。もうすぐ夜が明けて、妖怪の時間は終わるのだ。

 

 

『頑張ってね、フラン』

 

 

 そして姿は見えずとも、道端に咲く花のように少女はそこにいた。

 鴉羽色の帽子に翡翠の髪、古明地こいしは数年ぶりの旧都にて、たった一人の友人の戦いを無感動に見届ける。そっと瓦にお尻を下ろして脚を伸ばす。ここへと接近してくる姉の妖気を感じ取りながら、こいしは気持ち良さそうに温風へと目を細めていた。

 

 

 やはりこの都は騒々しくも温かい。

 

 

 


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