その鴉天狗は白かった   作:ドスみかん

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第二話:境界(スキマ)の大妖怪

 

 

 早朝、散々と悩んだ末に刑香は博麗神社に向かっていた。

 チュンチュンと雀たちが元気良く鳴き声を上げる空を、処刑台に向かう罪人のような気持ちで飛んでいた。ここまで不愉快な飛行は久しぶりだ。具体的には妖怪の山から追い出された時以来だ。一晩じっくり休んで、ある程度の体力は回復している。といっても大妖怪や博麗の巫女と一戦やりあうのは御免被りたい。こんなことなら昨日、張りきって人間を十人も治療するのではなかったと後悔するが後の祭りだ。そもそも刑香は頼まれたら断れない性分なので、八雲紫の襲撃を知っていたとしても結果はあまり変わらなかったかもしれない。

 

 

 そうして無駄なことを考えながら飛び続けること数分後、博麗神社が見えてきた。当然のこととして博麗神社と刑香の寝床は相当の距離がある。巫女と妖怪が仲良くするなどあり得ない上に、頼る仲間のいない一匹天狗たる刑香が博麗神社から離れた場所に住居を設けるのは当たり前だ。

 だが文には敵わないとはいえ、刑香は同族でも上位に入るほどの俊翼を誇っている。人間がよちよちと歩いて何時間かかる距離だろうと、刑香の翼ならば時間はかからない。それに雲を切り裂いて、高速で飛ぶのはとても気持ちがいいので好きだ。しかし今回に限るならもう少し時間をかけてもよかったかもしれないな、と刑香は後悔していた。

 

 

 

 

「あらあら、早かったのね。まだ日も昇りきっていないのに。まあもう少し遅かったら迎えに行くつもりだったのですけど」

 

 

 博麗神社の鳥居近くに降り立った刑香に声を掛けたのは、『妖怪の賢者』八雲紫。昨日と同じように扇子で口元を隠したポーズであったが、今回は全身をスキマから出していた。そして品があるのと同時に胡散臭い笑みを顔に貼り付けている。

 

 

「あんたの話が気になって他のことをする気にならないのよ。それに嫌なことは早めに終わらせるのが私の主義だし」

「そんなに警戒しなくても大丈夫よ~。あなたが他の人間にしているのと同じように『とある人物』を治療してくれればいいんだから」

「とある人物を、治療するだけ?」

 

 

 チョイチョイと紫が指差した先は神社の境内だった。

 ここまで来れば刑香にもその人物の検討はつく。恐る恐るといった様子で境内へ踏み入ってみると、縁側で紅白の衣装を着た巫女がお茶を啜っていた。そのまま目が合った。どうやら無口な女性らしく、巫女との出会いに固まってしまった刑香と合わせて無言が続く。そしてお互いに一言も発しないまま数秒間。ようやく刑香が口を開いた。

 

 

「あんた、死にかけているわね」

 

 

 この数秒で簡単に巫女の状態を観察した刑香は、目の前の巫女が『死』に追い付かれていることを確信した。無言でたたずむ巫女の鍛え上げられた無骨な身体は逞しくも美しかった。しかし逆に身体の内側、そこから感じる生命力はひどく弱々しい。原因は病か呪いか、それとも寿命か。いずれにしても長くはあるまい、刑香は心の中でそう診断を下す。どうやら噂は本当だったらしい、この巫女はもうすぐ死ぬ。

 「もういいかしら」と紫が刑香へと近づいて来た。

 

 

「彼女の寿命を伸ばせばいいのね?」

「ええ、その通り。彼女があと少しだけ生きられるようにして欲しいのよ。次の巫女がせめて結界を維持できるように成長するまでは必ず………多くは望みません」

 

 

 

 『幻想郷の守護者』、八雲紫は決意を秘めた瞳で刑香にそう告げた。

 

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 ここ最近、八雲紫は焦っていた。

 きっかけは数ヶ月前、人里の医者から当代巫女の寿命が来たことを告げられてからだ。妖怪から負った身体的ダメージ、その身に受けた呪い、そして外界と幻想郷を隔てる博麗大結界を維持する負担に蝕まれ彼女の寿命は磨り減ってしまっていた。当代巫女は八雲紫の予想以上に、か弱い普通の人間だったのだ。

 

 しかし次代の巫女は修行中の身、歴代の誰よりも才能に溢れた少女だが今はまだ未熟過ぎる。とてもではないが当代巫女の代わりなど務まらない。適当な人物を拐って来て一時的な巫女代わりを作り出すことは可能だが、それでは本命である次代の巫女への継承に支障をきたす可能性があった。半端な人物に博麗大結界は任せたくない。次代の巫女に大きな期待を寄せている以上は、継承を完璧なものにするためにまだ当代巫女には死なれては困るのだ。

 

 手は尽くした。人里に留まらず妖怪からも巫女を治療できる医者を探し、式に命令して万病に効くという秘薬を片っ端から取り寄せさせた。しかしどれも結果は芳しくない、そうしている間にも当代巫女は顔には出さないが衰弱し続けていた。遂には雑魚妖怪の退治にすら影響がでるようになっていたのだ、それこそ刑香のような末端の妖怪の耳に入るほどに。若い頃は幻想郷を揺るがす大妖怪すら八雲紫と肩を並べて退治して見せた彼女が、こんなにも呆気なく死のうとしている。いよいよ後がなくなったと覚悟した時に、八雲紫はある噂を小耳に挟んだ。

 

 寿命を伸ばす力を持つ、吉凶の白い鴉天狗の噂。

 初めは眉唾物だった。組織に属し行動する鴉天狗が単独で、更には格下の生物と見下しているであろう人間を治療する。それは余りにも八雲紫の持つ知識にある鴉天狗像とはかけ離れていた。しかし、もはや僅かな望みであっても賭けるしかない。

 

 妖怪の賢者としてあるまじき、藁にもすがる思いで調べ尽くした結果、そこに求め続けた一筋の光明が射していることを知り歓喜する。

 

 『死を遠ざける程度の能力』。妖怪の山の鴉天狗どもを直々に問い詰めたところ、数年前に追放された者がその能力を持っていたことが判明した。八雲紫の友人である西行寺幽々子の持つ『死を操る程度の能力』とは真逆、死を先送りにする力を持つ鴉天狗の少女。

 

 

 

「これよ、これだわ! 藍、すぐにこの妖怪のいる場所を特定しなさい。私が直々に出向いて連れていくわ!」

 

 

 その時の八雲紫は素早かった。ものの数刻もしない内に白い鴉天狗の居住地を特定してきた優秀な式神、それを聞いて直ぐにスキマを使い林の中にたたずむ寂れた神社へと足を運んだ。

 

 幻想郷でまともに機能している神社は、博麗神社をおいて他にはない。その事実に違わず、その神社は形だけ残した廃屋だった。紫は扇子で口元を隠すいつものポーズで辺りを見回していた。部屋の隅に一式だけ布団が置かれている以外に生活感はない。後はその横に並べられている野菜やら調味料やらの食料が天狗の持ち物らしい。まるで妖怪らしさがない、人間が住んでいると言われたら信じてしまうだろう。鴉天狗ともあろう者が随分と質素なことだ、と思った。

 

 内密な話となるだろうから、鴉天狗が帰ってくるまでここで待っていよう、そう考えた紫は今日も結界の維持を優秀な式神に丸投げすることに決めた。

 そして―――。

 

 

「ようやく帰ってきたと思ったらもう眠るのかしら?」

 

 

 深夜に帰ってきて、そのまま布団へ横になった鴉天狗に話しかけた。耳元で言ったのは長時間待たされたことへの腹いせだ。白い鴉天狗は随分と驚いたようで、肌着のまま錫杖を構えて紫と向かい合った。表面は取り繕っているが動揺しているのが丸わかりだった。

 

 しばらくすると縄張りがどうとか、鴉天狗の力をその身に刻んでやるとか言い出したので少しだけ脅しておいた。最近の疲れのせいで思考が鈍り、誤って妖力を垂れ流しにしていたのは秘密だ。そして自分の妖力に怯えながら年頃の娘が肌着一つだけを身に付けて、必死に武器を構えて強がっているという様子を不覚にも可愛らしいと思ってしまったのも秘密だ。

 

 まあ、とりあえず要件は伝えたので良しとしよう。

 それに普通の天狗とは毛色が違うらしいということも判明したのだから悪くない成果だった。何せ天狗という連中は普段はヘコヘコしているくせにいつの間にか他者の弱みを握る。巧妙に実力を隠して大抵の場合では本気になることはない、といった面倒な気質を備えていることが多い。

 

 万が一にも巫女の治療に手を抜かれたり、巫女の治療を引き換えに後々に厄介な請求をされるのは困る。しかし天狗の組織から冷遇されて育ったらしい彼女は、そうした天狗の気質を良くも悪くも身に付けていなかった。それは今回の事態解決に際してとても都合が良かった。

 

 

 

 

 そんなこんなで翌日の早朝。

 白い鴉天狗が博麗神社に向かって飛び立ったということを式神から知らされ、もとい叩き起こされて身支度を数分で整えて彼女を澄ました顔で待ち伏せしていたわけだ。

 そして現在、内心で欠伸を噛み殺し、巫女の診察を終えたらしい彼女に話しかける。

 

 

「診察は終わったようね、巫女の身体はどうかしら?」

「かなり悪いわ、このままだと一週間と持たない。どうして、ここまでガタガタの身体で生活できているのか不思議で堪らない。人間とは思えなくて驚いたわ」

「………やはり、そうなのね。それで治療の方はどうかしら。もし必要なものがあるなら式に揃えさせるから早く教えなさい」

 

 

 巫女の寿命は間もなく尽きる、それが刑香の下した診察結果だった。だがそんなこと、八雲紫にはとっくに分かっていたことだ。必要な情報は巫女の治療が可能なのかどうか、それだけだ。博麗の巫女がこのまま死去してしまったら、幻想郷を支える要である博麗大結界が崩壊してしまうかもしれない。それは幻想郷の守護者たる八雲紫にとって自身の死よりも避けなければならないことだ。

 

 

「………寿命を伸ばすことは可能よ。でも普通の人間と同じ寿命を取り戻すなら、あの巫女に懸かっている負担みたいなモノを取り除かないと無理ね」

「もし負担を取り除かないのならば、残された時間はどれくらいあるのかしら?」

「だいたい一年と少しよ。それ以上はどうしようもない………な、何よ? そんなに目を見開いて………もしかして、失望したの?」

 

 

 あと一年。それを聞いた瞬間、八雲紫は脱力して倒れそうになった。刑香の力が期待はずれだったのではない。その示された時間は、充分過ぎる答えだったからだ。

 

 

 半年あれば、次代の巫女は結界の維持をモノにするだろう。

 

 

 刑香の示した残り時間は、それまで八雲紫が感じていた幻想郷崩壊の心配を吹き飛ばすに余りあった。ブーブー文句を垂れている次代の巫女の修行をゆっくりと確実なモノにできるだろう、そして友人である当代巫女との別れの時間だって作れるのだ。それはとても、とてもありがたいことだ。幻想郷の未来とは比べるべくもないが、友人との別れくらいは穏やかに済ませたい。

 心配そうな顔でこちらを伺っている鴉天狗に八雲紫は心から感謝した。足元を見られては厄介なので、巫女と博麗大結界の説明をしてやるつもりはないが。

 

 

「一年もあれば充分です。さあ、治療を始めてくださいな。頼みますわよ、白桃橋刑香」

「………私の名前、ようやく呼んでくれたわね。でもいいの? あの巫女に掛かっている負担を除かないと結局は一年しか持たないのよ?」

「もとより彼女も決意の上ですから」

「ふーん、そうなんだ」

 

 

 刑香はそれ以上の質問をしなかった。

 自分の患者が人間として許された寿命よりも、遥かに短い残り時間を選ぼうとしていることに。そして目の前の妖怪の賢者が悲しそうな顔で巫女の寿命を一年で充分だと言い切ったことにも。ただ頷いて、刑香は自分のやるべきことをするだけだ。その事務的な様子に八雲紫は自身の生真面目な式神を重ねて苦笑した。きっと、藍も同じような対応をしてくるだろうと刑香と姿を重ね合わせていた。

 

 

 そして治療が始まる。

 畳に寝そべった巫女の身体に触れた刑香の掌から妖力が流れ込んでいく。刑香の顔は真剣そのもので、発している妖力も相当のモノだった。それが乾いた砂に撒かれた水のごとく巫女の衰弱した身体に吸収されていく。それとともに巫女の青白かった顔色に血の気が戻っていく。巫女の内側から感じる霊力が増大したのも気のせいではなく、死にかけていた身体から感じるのは瑞々しい生命の息吹。

 

 その劇的な回復具合に八雲紫は驚愕していた。

 死の淵にいたはずの相手を最早、強制的とも言い表せる速度で生者の世界へと引き戻す。確かにこれは妖怪の山から追放させるのも理解できる。組織の調和を尊ぶ天狗どもにとって、この娘は同胞の命を繋ぐ幸運の翼であり、それ以上に災厄を招く厄介事の種だったのだろう。

 

 まず第一にこの能力、彼岸の連中が黙ってはいまい。

 閻魔から直々の許しを得ている幽々子ならいざ知らず、ただの妖怪が生命の『死』に干渉することは最大の禁忌の一つであることは間違いない。それは『境界を操る程度の能力』を持つ八雲紫でさえ踏み込めない領域だ。

 

 しかし、刑香の能力に問題があるのならとっくに何らかの処置が彼岸から下されているはずだ。それこそ死神が派遣され、刑香の魂を強制的に彼岸に連れていくかもしれない。あの四季映姫が黙っているはずがない。ならば逆に、刑香がこうして堂々と能力を行使している現状は連中から能力が黙認されていることの裏返しなのだろうか。それとも彼女らが手出しできない理由があるのか、それは八雲紫にもわからない。

 

 しばらく思考に沈んでいた紫だったが、治療を終えた刑香が振り返ると考えを中断した。いずれ調べておけば良い話なのだから。

 

 

「まあ、こんなものかしらね。私が能力を使うのを止めたら逆流が始まるけど、気をしっかり持つように巫女に伝えておいて」

「ちょっと刑香、『逆流』とはなんのことかしら?」

「私が遠ざけた死がまた追ってくるの。えーと、つまり何て説明すればいいのかしら? あとさりげなく私を名前の方で呼んだわね、紫」

「あら、私を呼び捨てにするの? やっぱり面白い娘ですこと、私の式の式になってみない?」

 

 

 八雲紫の冗談めかした提案に、一本歯の下駄をカランと鳴らして刑香は後ずさる。

 心底嫌そうな様子の鴉天狗に紫は小さく笑みを浮かべた。大妖怪たる自分と対等に話をしようとする者は少ない、最近は血気盛んな妖怪もとんと見なくなってしまった。そんな自分に対抗するように自分のことを「紫」と呼び捨てにしてきた刑香に八雲紫は微笑ましいものを感じていたのだ。

 

 

「ご遠慮させてもらうわ。代わりに化け猫を推薦してあげる、あなたの式神は猫好きらしいから」

「あら知ってたの? 藍ったら、いくら可愛らしいからって化け猫の妖怪を式神にするんだって言い張るのよねぇ。どうすればいいかしら」

「そんなの知らないわよ。少なくとも私は嫌よ」

「あんた、冷たいわね」

 

 

 刑香はハタハタと背中の翼をぎこちなく動かしながら会話に応じている。別に無理やりに式にしたりはしないのだから緊張する必要はないのだが。しかし扇子で口元を隠しながら意地悪く微笑んだ八雲紫は、この妖怪のことが少しだけ気に入っていた。彼女が望むなら式の式くらいにはしてやっても良いと思う程度には。またの機会に藍と引き合わせてみるのも面白そうだ。きっと仲良くなりそうな気がする。八雲紫は久しぶりに、明るい未来について楽しそうに思いを巡らせていた。

 

 

 それは当代巫女が亡くなり、次代の巫女がその跡を継ぐ一年前のことだった。

 

 

 

 


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