そういった内容が苦手な方はご注意を。
―――まったく、こんなに面倒くさい心の中は初めて見ましたよ。
それはもう何百年も昔のこと。
地底で最も嫌われ、恐れられていた妖怪は橋姫と顔を合わせた日にそう言った。何故二人が出会ったのかはわからない。孤独な妖怪同士が惹かれ合っただけかもしれないし、もしかしたらあの娘がパルスィを番人として利用しようとしていたのかもしれない。
―――あなたは誰にでも嫉妬できる、それはどんな相手からでも優れた長所を見つけ出せるということです。だからパルスィ、あなたは決して嫌われ者で終わる妖怪ではありません。その『心』に秘められた清らかさは私が保証します。
水橋パルスィはあの時に掛けられた言葉を覚えている。地底に堕とされたことで護るべき橋を失い、当てもなく放浪していた自分、橋姫としての性質すら奪われたパルスィを救った少女のことは決して忘れない。
古明地さとりは橋姫の閉ざされた心を確かに動かしたのだ。それから数百年、水橋パルスィはこうして地底と地上を繋ぐ道の番人として存在している。その全てのきっかけが古明地さとりとの出会いだと知る者は少ない。
「さとりも面倒なことを押しつけてきたわね。この私に頼るなんて、本当に厚顔で妬ましいヤツ」
手摺に腰かけて、パルスィは遠くの空で戦う鴉天狗たちをつまらなさそうに眺めていた。ここはパルスィがさとりから預かった橋の上、ここから先は旧都へと続く道が何処までも延びており、この橋こそが地上と旧都の境界線でもある。
「さっさと墜ちればいいのにあの白いヤツはよく粘るわね。おまけに茶髪の方も全力を出せてないみたいだし、仲間意識って本当に邪魔だわ」
確実に潰し合わせるなら、対象の『嫉妬』が増幅している頃合いを見計らって仕掛けなければならなかった。それなのに今回は半ば無理やり、あの娘たちの妬みの感情を呼び起こしただけなので効果が薄い。いつまでも終わらない同士討ちに、パルスィは煩わしそうに爪を噛みしめる。
だが、パルスィが不機嫌なのは何もそれだけが原因ではない。大空を縦横無尽に飛び回る鴉天狗の少女たちを見つめるたびに、じっとりとした眼差しは影を増していく。
「ああもう、妬ましいっ。あんなに速く飛べるなんて妬ましいわ、風を操れるとか格好良くて妬ましいっ。あいつら戦いながら私に見せつけているんじゃないの!?」
「いや、あいつらはパルスィの能力に影響されて戦ってんじゃん。本当に絶好調だよね、久しぶりに地上からのお客が来て嬉しいの?」
「嬉しいわけないでしょ!」
ケラケラと笑うキスメへ冷たい言葉を投げかけながら、パルスィは鴉天狗たちを油断なく観察していた。侵入者が来たのを知らせてくれたことには感謝しているが、正直なところキスメは鬱陶しい。土蜘蛛のヤマメと同じく、陽気で親しみやすく地底でも人気のあるコイツは自分とは反対側にいる妖怪だからだ。
人間やよそ者に対しては凶暴で、しかもドクロ集めが趣味だったりする釣瓶落としだが、そんなことは地底に住む妖怪としては可愛らしい程度のものなので気にされていない。
「というか、よく引き受けたよね。地上に関わるなんてパルスィが一番嫌がることじゃなかったっけ?」
「仮にも私はここの番人よ、さとり妖怪からの頼みが無くてもよそ者は追い払うに決まってるでしょ」
「へーえ、私たちには『命令』だったのに、パルスィには『お願い』だったんだ。前から思ってたけどパルスィは覚妖怪と仲良しだよねぇ。ふーん、そうなんだ。…………って、きゃぁぁぁっ、桶を蹴らないでよ!?」
頬をピンク色に染めたパルスィが桶をガンガンと蹴りつける。
もしかしたら、あの時のさとりは心を読んで自分を惹き付ける言葉を並び立てただけかもしれない。しかし不思議なことに、そんな事実はどうでもよかった。今の自分に居場所と役割をくれた少女をパルスィは、ほんの少しだけ気に入っている。
「うぅ、酷いよぅ。…………ところで覚妖怪からは『追い返す』ように頼まれたんだよね、あれだと死んじゃうんじゃないの?」
「どちらかが落命したなら、その時はその時よ。そんな程度の妖怪を送り込んで来た地上が悪い、それこそ私の知ったことじゃないわ」
この数年、さとりは元気がない。いや昔から覇気のようなモノは欠片も持っていなかったのだが、最近はますます倦怠感を帯びている。断じてアイツを「心配している」わけではない、しかしいつまでも暗い雰囲気でいられては面倒くさい。だからこそ、彼女の負担になりそうな侵入者はここで排除する。
「妹が行方不明なのは大変だろうけど、元気出しなさいよ。まったく世話が焼けるわね…………」
「あはは、だからお願いを引き受けたんだ。やっぱり優しいんだね、パルスィは」
「…………あんまり暗い顔をされると、鬱陶しいから協力してやってるだけよ。このくらいの厄介事は早めに払ってやらないと」
「はいはい、そうだよね」
ニヤニヤと笑う釣瓶落としだが、パルスィはもう気にしないことにした。それよりも、さとりへと向けられる自分の感情に戸惑いを覚える自分がいる。このむず痒い心の痛みは何なのだろうか。だいたい察しているキスメは呆れた顔をしているが、パルスィは至って真剣だ。しばらくそうしていると、キスメに肩を揺らされた。
「ねえねえ、お取り込み中に失礼するよ。何だか空が暗いんだけど?」
「はぁ、地底の空が暗いのはいつものことでしょ…………う!?」
―――カァカァカァ、カァァァ!!
空を覆い尽くす黒い影にパルスィは思わず舌打ちをした。
思考に没頭しすぎて、気がつくのに遅れたらしい。そして何事にも危機感の薄いキスメは警戒に関しては当てにならないことを忘れていた。
「ちっ、こいつら地上のカラス連中じゃないのよ!」
「お空の仲間じゃなくて地上のカラスなんだ。へぇー、珍しいねぇ」
呑気に空を見上げるキスメとは対照的に、パルスィは即座にその場から離れようと走り出す。カラスは鴉天狗たちの使い魔であり、その役割は概ね『偵察』と『哨戒』。ならば、自分たちを見つけた連中は必ず親玉を呼び寄せるだろう。
「キスメッ、あんたも早く逃げなさ…………遅かったか」
橋の下に隠れようとしていたパルスィはピタリと立ち止まる。もう逃げる意味を失ったからだ。自分たちの目の前、いつの間にか舞い降りていた鴉天狗の少女から身もすくむ殺気がバラまかれている。
「こんばんは、地底の妖怪殿。私は清く正しい射命丸と申します、以後お見知りおきを」
物腰は淑女然と、しかし周りに渦巻く妖気は吐き気がするほどの敵意に満ちている。
真っ白な天狗装束には一つのシワもなく、土蜘蛛たちとの戦いを経たとは思えない。これは間違いなく組織において上位に名を刻む天狗だろう。パルスィが思わず身を固くする。
「さて、挨拶はほどほどに。私の大切な友人たちを元に戻して貰いましょうか。さもなくば、その腕を斬り落として五条渡りにでも送りましょうか?」
強い光の宿った、真っ直ぐな瞳がこちらを射抜く。
一刻も早く解除させようと、妖刀を構えてパルスィへと向ける姿は思ったよりも余裕が感じられない。よほど焦っているのだろう。友を心配するが故の行動、そこに込められているのは先ほどまで自分がさとりへと向けていた感情に似ているような気がした。
「ああ、なるほどね。私がさとりに抱いていたのはこんなにも単純な思いだったわけか」
「…………何のことかは理解しかねます。しかし無駄話をしている時間はありません、渋るならこちらも容赦はしませんよ」
「わかったわよ。どうせ目の前まで来られたら私の『能力』は大して役に立たないし」
残念ながら、自分がさとりのために出来るのはここまでのようだ。だが構わない、これは『命令』ではなく『お願い』だったのだ。さとりもこれ以上のことを期待してはいまい、約束は果たしたのだから『能力』を解くとしよう。妖力を内へと封じ込め、広げていた呪詛を霧散させた。
それを感じ取ったらしい鴉天狗が「やれやれです」と妖刀を鞘に納める。一件落着な雰囲気を見せた鴉天狗に、しかしパルスィは一石を投じてやることにした。
「でも残念だけど、あんたの友人たちの戦いはすでに終結してたみたいよ?」
「―――!?」
明らかに動揺した文が振り向くと、すでに二羽の鴉天狗たちの姿は無くなっていた。パルスィが能力を解いたのはたった今、二人が刃を引いて空から地上に降りるのが早すぎる。だとすれば既に決着が付いていたということになる、どちらが相手を下しても勝利がない戦いに。
「さぁて、あの二人がどんな結末を迎えたのかを覗きに行ってみましょうか?」
「刑香、はたて…………まさかあなた達は」
パルスィとしては転んでもタダで起きるつもりはない。顔色を青く染めている鴉天狗の少女を拝むくらいの仕返しは許されるだろう、橋姫はクスクスと笑う。
◇◇◇
鴉天狗たちにとって『風』は使いなれた道具であり、決して裏切ることのない友である。
攻撃に使うだけではなく、その身を護る鎧となり衣となる。空を駆ける際にはどれだけの速さで自分が飛んでいるのかを教えてくれる。それは大気の声を聞くなどという人理の及ばぬ領域、そんな者たちが幻想郷には確かに存在している。
しかし今日だけは、その風の音をひどく耳障りに感じていた。まるで頭痛を訴えるように強くなっていく大気の嘶きは、自分への警告に満ちている。大切な『何か』を失ってしまうと必死になって呼び止めてくる。
「――――うるっさい、黙りなさいよ!!」
その全てをはたては咆哮によって叩き伏せ、雪の散りゆく暗闇を飛び越えていく。とてつもなく不愉快な気分だった、一刻も早く『彼女』を空から斬り落とさなければならないと心が叫んでいる。その衝動に身を任せ、はたては目下を飛んでいる白い鴉天狗を睨み付けた。
「待ってやってるんだから早く仕掛けて来なさいよっ、刑香!」
「いや、私から攻撃できるわけないでしょうが…………」
激情を振りかざす友人から距離を取りながら、刑香は冷ややかな声音で呟いた。
果たして自分を見下ろす顔に浮かんでいるのは怒りか憎悪か。いずれにしても、はたてが正気を失いかけているのは間違いない。
ひとまずは高さの優位を奪い返そうと、刑香は葉団扇を地面へ向かって振るう。そして真下に叩き付けた風の跳ね返りを利用してスピードを保ちつつ、はたてのいる高度まで上昇をかけた。
その時に背筋をヒヤリとさせたのは視界に映った刃の鋭い輝き、次の瞬間には甲高い音を鳴らして錫杖と妖刀が衝突した。勝てもしない力比べを挑むのはリスクが高い、しかし頭上を陣取られたままで戦うのも危険すぎる。それゆえに力の差で強引に押し込まれつつも刑香ははたてを気丈に迎え撃った。
「くっ、そんなに鍔迫り合いがしたかったのかしら?」
「あんたを確実に潰すために決まってるでしょ。せいぜい抵抗してみなさい、刑香」
「…………どうやら本格的にやられてるみたいね。なら私も手加減なしでいくわよ」
そして再びぶつかり合う鴉天狗の少女たち。鈍い打撃音と鋭い斬撃音、どちらも譲ることなく何度も何度も空中で火花を散らす。しかしそのたびに突き飛ばされるのも体力を消耗していくのも刑香だけだ。おまけにこの相手では『回避』が思うように働かない。
「まずは一撃ねっ!」
「ぐっ、アンタはやっぱり当ててくるか。どいつもこいつも私の脚か肩を潰してくるんだから…………」
何度目かの交差の後、妖刀の振るった一閃が真っ白な脚に赤い傷を走らせていた。流れ出る血液と痛みに顔を曇らせた刑香が距離を取っていくのを、はたては暗い笑みで追撃する。
『死を遠ざける程度の能力』。それは使用者たる者を外界から守り、時には病魔をも退ける厄除けの力。この力はかつてフランドールの持つ『ありとあらゆるものを破壊する程度の能力』すら防ぎきっている。単純に考えるのなら大抵の攻撃を避けることのできる、ずいぶんと強力な能力だ。しかし、その詳細を知る親友たちにとっては必ずしもそうではない。
「あんたのソレは弱点だらけ。知ってるわよ、千年も一緒に飛んでいて気がつかないわけもない。致命に至らない程度の傷に対しての回避力は随分と落ちるんでしょ、刑香?」
それこそが『死を遠ざける程度の能力』の穴、紅美鈴が刑香の片足をへし折ることができた理由であった。
もし対峙しているのが他の相手だったのならば、八雲紫が相手でも十分な時間稼ぎを刑香は成し遂げただろう。
しかし白桃橋刑香にとっての『天敵』は、自身にとって遥かに格上である八雲紫でも伊吹萃香でもない。恐れるべきは命綱たる『能力』の底を知る者たち、つまりは文とはたてこそが最も敵に回してはならない存在だったのだ。
「でりゃぁぁああ!!」
「くぅぅっ!!?」
激情を乗せて放たれる幾重もの斬撃、それに晒され続ける錫杖はボロボロに崩れ落ちていく。いくら河童特性の合金であっても年月を経た妖刀に勝てるわけもない。「このままでは両断される」と判断した刑香は腰に差している妖刀に手を伸ばした。
「~~っ、そんなことできるわけない!」
例え正気を失っているとしても、かけがえのない友へ刃を向ける。そんな非情さを刑香は持ち合わせていない。妖怪としての本能が警鐘を鳴らし始めたが、意図的に無視して妖刀から手を引っ込める。
代わりに葉団扇へと手のひらをかざし、決して少なくない妖力を注ぎ込む。これ以上武器はもたず、この後のことを考えるなら体力も心許ない。ならば時間稼ぎではなく、この勝負自体をすぐにでも終結させるしかない。そっと刑香は胸元に手を当てた。
「ちょっとキツイけど、切り札の出し惜しみはしてられないわ」
大木すら薙ぎ払う天狗の葉団扇は、一方で使用者の妖力を湯水のごとく消費し、油のように燃やし尽くす。通常の天狗ならば問題ないが、体力不足の白い鴉天狗にはツラい。もって数分といったところ、それで刑香の妖力は空にされるだろう。
「…………っ!!」
真上から放たれた風の刃、その鋭い一撃をわざと急停止することで回避する。そして失った速度を取り戻すために葉団扇に叩き込んでいた妖力を解放しようとした瞬間、
その時には既に、急降下を仕掛けていた茶髪の鴉天狗の刃が眼前にまで迫っていた。
「加速は間に合わない」と舌打ちをした刑香がその斬撃を受け止める、亀裂が走った錫杖の表面を滑らせるようにして妖刀を受け流した。しかし、すかさず再び距離を取ろうとした自分の腕をはたてが掴み上げたことに驚愕する。
「しまっ…………!?」
「―――ようやく捕まえたわ、刑香」
それは奇しくもフランドール・スカーレットとの戦いと同じ展開だった。連続での戦闘で体力を消耗したところを捉えられる。そして純粋に力で劣る刑香は一度捕まってしまえば相手から抜け出すことが難しい。つまり、
「これで私の勝ちよね、刑香?」
はたてが嗜虐的な笑みで刑香を嘲笑った。
幼い吸血鬼より優しく、しかし絶対的な腕力の差で白い鴉天狗を地へと引き摺り下ろそうと腕を引く。このまま地上に墜とされれば、最大の武器である『速さ』と『回避力』を失ってしまう。それはフランドールとの戦いと同じ結末を意味している。あの翼をへし折られた悪夢が再来する、それも今度は友人の手によってだ。恐怖に怯えたのか、刑香の碧眼がわずかに揺れる。
しかし幸いにして掴まれているのは片腕だけ、もう一つの腕は無事だ。あまり考えたくないが、今のはたては刑香を壊してしまうことにしか意識を割いていない。ならば、隙をついて腰にある妖刀を掴めば状況の打破は可能だろう。操られている親友の腕を斬りつける覚悟があるのなら。
「…………まあ、それができるなら最初からしているか。本当に私は甘いわね、自分でも嫌になるくらいには」
「さぁて、到着したわよ」
最後まで刀は抜けなかった。
その結果として刑香は地面を背にして、正面からはたてに押さえつけられていた。そのまま両腕を頭の上で固定され、自分の背中と大地に挟まれた翼はもはや動かせない。「早くしなさいよ、文」と頭の中でもう一人の親友へ呼び掛けるものの、こちらを見下ろしてくる親友はまだ正気に戻る気配はない。しかし、刑香の首もとに添えられた妖刀はカタカタと震えていた。
「…………どうしたの、さっさとやらないの?」
「っ、っ、ぅ、うるさいわよ!!」
「いくら拘束されていても、私は『能力』が切れるまで死ぬことはない。だから一度や二度、その刀で首を斬りつけようとしても外れるだけよ。何度も繰り返すなら、いずれはこの首を落とせるだろうけど…………あんたがツラいわよ?」
「お、お願いだから、黙っててよ…………」
あくまでも冷静に刑香は言葉を投げ掛けていく。
そのたびに、はたては顔色を青ざめさせて刃を首もとから遠ざける。やはり完全に操られているわけではないらしい、『嫉妬』を『殺意』にまで変えることのできる能力には驚かされたが限界も見えてきた。じっと刑香が見つめていると、はたての動きに迷いが生じている。刃が首もとから離された時に、刑香はもう一度口を開いた。
「はたて、私たちがお互いに命の奪い合いをするなんて無理よ。だからこの手を放して」
「…………そ、そんなことない。首はあんたの顔が見えるから気になって斬れないだけだ、から」
「あっ、ちょっ、あんた一体何を!?」
今度は刑香が動揺させられる番だった。
突如として装束の帯を切り裂かれ、サラシの巻かれた刑香の胸部が丸見えにされる。わずかな膨らみを持った双丘は年頃の少女らしいものだろう。ひんやりとした刃を押し当てられながらも、刑香は顔を真っ赤に染め上げる。じたばたと暴れるが、それでも両腕の拘束は解けそうにない。
「こ、心臓(ここ)なら一刺しに出来そうね」
トントンと、はたては刑香の左胸を刀の柄で叩く。
これなら目を合わせずに、刑香の言葉に惑わされることもなく、致命傷を与えられるかもしれない。顔さえ視界に入らなければ何とかなる可能性はある。カチカチと鳴る奥歯を噛みしめながら妖刀の刃を真っ白なサラシへと押し当てる。
「ごめんね、刑香…………」
その言葉を聞いて覚悟を決めたような表情をした刑香、そんな友を視界に映さないようにはたては刃を振り下ろす。続いたのは真っ赤な鮮血と小さな悲鳴、そして肉を切り裂く嫌な感触の―――はずだった。
「悪いけどフランドールにやられてから、私だって地上に墜とされた時の対策くらいはしてるわよ?」
涙に濡れたはたての瞳に映っていたのは、止められた心臓への一刺しだった。
振り下ろされた凶刃を防いだのは刑香の胸に巻かれていたサラシ、それはびっしりと裏に『霊術』の記された神符だった。そもそも吸血鬼異変でフランドールに捕まり、刑香は動きを封じられて翼をへし折られている。今回のはたてが取ってきた『死を遠ざける程度の能力』への対策はそれと同じものだったのだ。
しかし同じ手に二度も三度もやられてやるほど刑香は甘くない。青く発光した神符たちが鴉天狗の少女へと襲い掛かる、それを妖刀で斬り払おうとするも逆に手足へと張り付かれていく。同時に込められた霊力が妖怪としての姫海棠はたてを鎖のような術式で封じ込め、一切の抵抗を許さない理不尽ともいえる術式で縛り上げていく。
「いっ、痛い!? 何よコレ!?」
「霊夢の作った『妖怪退治用』の護符よ。いくら鴉天狗だろうと少しの間、動きを封じるくらいは訳もない。おとなしく拘束されてなさい」
一枚一枚に分離した神符が鴉天狗の少女を拘束する、丹念に動きを封じるソレは美鈴すらも脱出できなかった代物だ。これを確実にぶつけるために『わざと』捕まったのだが上手くいったようで安心した。何も覆うものが無くなった肌を隠しながら、刑香は立ち上がる。
「普段のあんたなら、これくらいは見切ってきたでしょうね。…………今回は私の勝ちよ、はたて」
それはどこか申し訳なさそうな色を含んだ声だった。
正気でない友人との望まぬ戦い、そんなものに勝ったところで何かしらの感慨があるはずもない。しかし結果として、はたてに大した怪我を負わせることもなく勝負を終結させることができた。「それくらいは誇ってもいいか」と刑香は心の中で少しだけ勝利を喜ぶことにする。
「まあ、あんたには大した怪我がなくて良かったわ」
左脚から流れる血液は止まらずに、刑香の足元に赤々とした水溜まりを作っていた。刀の傷は思ったより深かったらしい、そして土蜘蛛から負わされた方も未だに癒えていない。昔はここまで脆くなかったというのに難儀な話だ。応急処置くらいはしておいた方が良さそうだと刑香は他人事のように溜め息をついた。
「…………これはもう、二百も残ってないかもね」
ポツリと流れ出た言葉を聞き届ける者はおらず。文がパルスィの能力を停止させ、刑香たちと合流を果たしたのはこれから数分後のことになる。
今日もしくは明日に『番外編』としてお正月・大晦日のどちらかのお話を投稿します。
あくまでも予定となりますが、よろしければお越しください。