「テメエはッ!」
「あ、あなたは……」
マウント深山商店街を散策していたランサーとバゼット。彼らは目の前に現れた人物に思わず身構えた。
日本人離れした長身。濃紺の丈長の神父服。胸に十字架。
この男は冬木教会の神父である。しかしその男の印象は聖者からはほど遠い。男から漂う気配から善良さを全く感じ取れない。まともな感覚の人間であれば近づくのをためらう邪さを、この神父は全身から発していた。
「おや、ランサーのサーヴァントとそのマスターではないか。こんなところで出会うとは奇遇だな」
神父は陰気な笑いを浮かべながら話しかけてきた。バゼットの背筋に嫌な汗が流れる。隣にいるランサーに小声で耳打ちした。
「ランサー」
「どうしたバゼット」
「はっきりと思い出せないのですが……私はこの神父に酷い目に合わされた事がある気がします」
そう言ってバゼットはおもわず左腕を握りしめる。
ランサーも目の前の神父を嫌そうに睨みながら返事を返す。
「ああ、オレもコイツからあれこれと気に喰わない命令をされた気がする。どこで命令されたのか思い出せないんだがな」
「ええ。あの男に今こそ借りを返さなくてはなりません」
二人は揃って、さっと神父の方に向き直ると、
「言峰! ここで会ったが百年目。ここではないどこかの平行世界での因縁の決着をつけてやる!」
と、神父に向けてびしっと指をつきつけた。
「む?」
神父は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐににやりと笑った。
「ほう、ここで私とやりあおうというのかね」
「ええ。こんどこそ正面から受けて立ちましょう」
バゼットはそう言うが早いか、両手に革手袋をはめる。ランサーは自身の武器である赤い槍を具現化した。
だが言峰は、
「まあ、待ちたまえ」
とランサーとバゼットを制止する。
「うるせー。いまさら何を言ってんだ」
「往生際が悪い。覚悟を決めなさい」
今にも飛びかかろうとする二人に対して言峰は続けた。
「こんな商店街のど真ん中で戦闘を行う気か。聖杯戦争の存在は一般の人々から隠蔽して貰わないと困る。なにしろ私は監視役として君たちマスターとサーヴァントが起こした騒動の後始末に日々奔走しているのだ。余計な迷惑は起こさないでくれ」
「……む」
ランサーとバゼットは構えを解いた。ランサーが言峰に問う。
「なるほど。アンタが言うことも一理ある。じゃあ場所を変えるかい?」
「我々の対決にちょうど良い場所がある。案内しよう。ついてきたまえ」
言峰はランサーとバゼットに先だって、商店街の通りを歩き出した。
『紅洲宴歳館・泰山』
通りを進む事しばらく。そう書かれた看板の店の前で言峰は足を止めた。
「店名からすると中華料理店のようですが……」
「この店で勝負ってどういう事だよ、言峰」
不審がるランサーとバゼットに、言峰は薄ら笑いを返して店のドアを開けた。
「なに、この店は私のいきつけでな」
「いらっしゃいませアル〜」
三人が店内に入ると、店長の高い声が響いた。ちなみにこの店長
「店主、電話を借りていいか?」
「どうぞどうぞ、電話はあそこアルよ」
言峰はなぜか店の電話を借りてどこかに電話をかけている。
ランサーとバゼットは店主にすすめられて席につく。二人は店内をみまわしてひそひそ呟き合った。
「勝負の前に腹ごしらえってことか? 悪くねえが」
「ランサー、この店内の空気になんだか刺激臭を感じませんか……?」
店内には息を吸うだけで鼻や喉をひりつかせる何かが漂っているのだった。
そこへ電話を終えた言峰が戻ってきた。
「誰と話してたんだよ」
「監督役を呼んだ。しばらく待ちたまえ」
「監督役は貴方の事ではないのですか、綺礼?」
質問を無視し、言峰はテーブルに肘をつき指を組んで黙り込んでしまった。仕方なくランサーとバゼットもその場で待つ。
「いったい、誰を呼んだのでしょうか?」
———待つ事15分ほど。
「こんにちは!」
店のドアをがらっと開けて誰かがやってくる。
「な、セイバーのマスター!」
「おう、坊主じゃねえか」
ランサーとバゼットが目にしたのは衛宮士郎だった。
「言峰、おごってくれるんだって?」
と、言いながら士郎は店の中に入ってきた。
そしてその後ろから、
「神父、食べたいものを好きなだけ頼んで良いと。そのお心遣い感謝します」
礼儀正しくセイバーが、
「綺礼、アンタがどういう風の吹き回しよ。何をたくらんでるのかしら?」
こちらにキツい視線をとばしながら凛が、
「アインツベルンの料理にはかなわないでしょうけど、味見して上げるわ」
ちょっと偉そうにイリヤスフィールが、
「私は甘いモノを食べたいです!」
にこやかに桜が、
つまり衛宮家ご一行様がにぎやかに入ってきた。
「わざわざすまないな、衛宮士郎」
いままでじっと黙っていた言峰が士郎に声をかける。
「構わないよ、みんな喜んでるし。ところで俺は何をすればいいんだ?」
「私とそこにいるランサーとそのマスターとの勝負の監督役をしてもらいたい」
「なんでさ!?」
一方、士郎と言峰がそんなやりとりをしている後ろでは
「うーん、杏仁豆腐と胡麻団子は外せないわ。あんまんもすてがたいけど」
「ちょっと、リン。
「あの……。私、桃まんじゅうも注文していいですか?」
「面倒です。メニューの端から端まで全部頼めばいいではありませんか」
早々に席に陣どった衛宮家女子組が、メニューを囲んで姦しく注文をしていた。
「監督役ってそういうことかよ。それは構わねえけど、この店の中でどうやって勝負するんだよ、言峰?」
ランサーの言葉に言峰は唐突に一言。
「麻婆豆腐」
「「「は?」」」
ランサー、バゼット、士郎、三人の疑問がシンクロする。
言峰はにやにやと三人を見ながら続ける。
「この店の激辛麻婆豆腐10皿を早く食べきった方が勝ちだ。街を壊す恐れもないし、よい対決方法だと思わないか?」
「え……? それで対決って……」
とまどうバゼットに言峰が畳み掛ける。
「辛いものは苦手か?」
バゼットに先んじてランサーが返事を返した。
「オレは構わねーぜ」
「ちょっと、ランサー!」
「いいのか、ランサー? この店の麻婆豆腐まじで辛いぞ」
バゼットと士郎の制止にも関わらずランサーは余裕の笑顔を浮かべている。
「……ランサー、あなたがいいと言うのでしたら」
とバゼットは折れた。
「決まりだな」
言峰の低い声が店内に響く。言峰は椅子から立ち上がり両手を広げて宣言した。
「麻婆豆腐戦争の開幕を告げよう。負けた方がこの場の全員の食事代を全額持つ」
その背後では女子組の声が響いていた。
「すいませーん、海老蒸し餃子追加!」
「こちらにもフカヒレ餃子とシュウマイの追加おねがいします!」
「最後にさらっととんでもない条件を付け足されましたが、我ら赤枝の騎士はそんなことではひるみません。必ずや勝利してみせましょう」
「おう、当然よ!」
ランサー主従は戦いの前に気合いを入れ合っている。
「ところでランサー、私に策があります」
「なんだ、バゼット?」
「衛宮士郎によるとこの店の麻婆豆腐はとても辛いのだとか。それを早く食べるのは至難の業でしょう。
そこで、欠乏のルーンである
はっ!」
バゼットの横から刺すような視線が。
「君たちは麻婆豆腐をなんだと思っているのかね?」
言峰は厳しい視線でランサーとバゼットを見ている。
「う……」
そして、衛宮家ご一行様も冷たい視線でランサーとバゼットを見ている。
「ぬ……」
さらに、
「しかたがありません……」
バゼットが肩を落とす。
「そうだな……」
同調するランサー。しかし、バゼットは再び顔をあげた。
「ですが、まだ策は残っています」
「おおそうか」
バゼットはテーブルの上に置いてあるレンゲを持ち上げ、そこにルーン文字を刻み付けた。
「
「……本当に効くのか、ソレ」
ランサーとバゼットがそんなやり取りをしているところに、
「ハイ、麻婆豆腐10人前づつ、おまたせアル〜〜」
ランサー、バゼット、言峰の前に白い湯気をもうもうと放つ真っ赤な皿が並ぶ。地獄の釜のミニチュアのようだ。見ているだけでこめかみに汗がにじむ。
皿が並べおえると店長はテーブルから離れて厨房に戻っていった。
士郎は赤一色になったテーブルを見下ろした。彼らがなんでこんな勝負を始める事になったのか検討がつかないが、とにかく俺が参加者じゃなくてよかった。
「ええと、じゃあ全員分そろったみたいだから勝負はじめってことでいいか?」
と士郎は三人の顔を見る。
「おうよ!」
「私は構いません」
「私も問題ない」
「よし、じゃあ激辛麻婆豆腐早食い対決、スタート!」
士郎の号令と共に、三人は同時に麻婆豆腐と称する、ラー油とトウガラシを煮立てた汁にレンゲを突っ込んだのだった。
かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃ
はふはふはふはふはふはふはふはふはふ
店内に器とレンゲがぶつかる音と熱いものを必死で口に運ぶ音が響き続けていた。
言峰は水を口に含む事なく、修羅のような気迫で手にしたレンゲを皿と口の間で往復させている。
「ぬああああああああ!」
負けじとランサーもレンゲで麻婆豆腐を掬い続ける。
が、ランサーの隣では
「らんさー……わたひは、もう、むりれふ……」
バゼットが固まっていた。すでに口から火を吐きそうな状態に見える。魔術協会で恐れられる鬼の執行者といえども、舌までは鍛えていない。
「もうしわけありません……らんさー」
そういい残してバゼットはテーブルに突っ伏した。士郎の声が響く。
「バゼット選手は5皿目で脱落です!」
「らいじょうぶら、ばぜっと。ふぁとふぁまかへろ
(大丈夫だ、バゼット。後はまかせろ)」
ランサーは麻婆豆腐をかきこみつづける。もとよりランサーの敏捷ステータスはA。早さは他者にひけをとらない。レンゲを口に運ぶ早さだとしてもだ。
「ふ、これでランサー、おまえと私の一騎討ちだな」
言峰は全くペースを衰えさせる事なく麻婆豆腐を喰い進めている。さすがにこの店が行きつけだと言うだけのことはある。
常人とは感覚がかけ離れている神父ではあったが、味覚も人間離れしていた。
「ますらーのからきはおれがとふ!
(マスターの仇はオレがとる!)」
第一、人間相手に英霊のオレが負けていられるか。
ランサーは手にしたレンゲを振るう速度を上げた。
ランサーと言峰、両者の目の前の麻婆豆腐の皿は着々と空になっていく。
物理的に熱い戦いが繰り広げられるランサーと言峰の横のテーブルでは、
「うん、この小籠包美味しいわ」
「こっちのホタテ貝柱入りシュウマイもなかなかよ」
「この最後のちまき、いただいちゃいますね」
「美味しいのでおかわりを頼みましょう、店主!」
相変わらず衛宮家が点心を楽しんでいた。
そのテーブルの端で、
「ああ、杏仁豆腐のシロップが喉を癒します。甘いものはおいしいのですね、ランサー」
バゼットは口直しに衛宮家一同から分けてもらった杏仁豆腐をつまんでいた。目に感動の涙が浮かんでいた。
「おお、ばぜっと。あんらもあじがわらるよほになっらのら!
(おお、バゼット。アンタも味が判るようになったのか!)」
そんなバゼットの姿を見てランサーの瞳にも涙がにじむ。もちろん喜びのである。辛さの為ではない。
あの栄養さえ取れれば味はどうでもいいと言っていたバゼットが、ようやく味の大事さを理解したのである。
この戦いは無駄ではなかった。ランサーの瞳から熱い涙が流れ落ちた。そう、断じて辛いからではないのだ。
……もしかしたら、オレ、缶詰生活から脱却できるのかも。
かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃ かちゃかちゃかちゃかちゃかちゃかちゃ
カン! カラン!
皿が空になる音が鳴る。士郎の目の前のテーブルから麻婆豆腐が消滅した。
「ランサー選手、言峰選手、ほぼ同時に完食です!」
ランサーと言峰はどちらも一匙も譲らぬ速度で泰山特製、激辛麻婆豆腐10人前を平らげきっていた。
「ふー、どうら。あかえだのきひをなめれかかっらつけ、おもいしっらか
(ふー、どうだ。赤枝の騎士をなめてかかったツケ、おもいしったか)」
ランサーは回らない舌を氷水で冷やしつつ言峰を見る。言峰は目を閉じて腕組みをしたまま動かない。
「おい、言峰?」
ランサーが不審がって声をかけたその時、厨房の方から甲高い声の持ち主がやってきた。
「おまたせアル〜〜」
ごとん、ごとんと新たに湯気を吹き上げる赤い皿がテーブルの上に並べられる。
「追加の麻婆豆腐おかわり10人前づつ、出来上がりアル!」
「え」
絶句する士郎。
「なっ……」
絶望するバゼット。
「なんだとぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」
絶叫するランサー。
言峰が静かに目を開け、不敵に笑う。
「さて、延長戦といこうか。ランサー」
麻婆豆腐は終わらない。
誰かが頼み続ける限り、こうして永遠に運ばれ続ける。
———不実の味覚、虚ろな胃袋。
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ehwaz(エワズ)
象徴:馬
英字:Z
意味:馬を示し、移動を象徴するルーン。馬の自由気ままで躍動的な行動力を意味している。移動を意味するルーンは他にraido(ライド)があるが、raidoは目的の為の移動、ehwazは移動することが目的。住居や仕事など環境の変化という意味も持つ。
ルーン図形:
このままではランバゼならぬランダメになってしまいそうだ……というわけで、今回はランサー兄貴に頑張ってもらいました。