バゼットはアイルランド神話の本を読みふけっている。
———クーリーの牛争い。
この話はクーフーリンの物語の中でも特に有名なエピソードである。
神話の時代のアイルランドの国、アルスターとコノートはアイルランド一番の名牛を争って戦争をした。
名牛を手に入れる為にコノートの女王メイヴは軍勢を率いてアルスターに攻め込んだ。対するアルスターは呪いによって男たちが無力化されており、クーフーリンが一人でメイヴの軍勢に立ち向かったのだ。
「……おーい、バゼット」
古代社会では家畜として多くの牛が飼われていた。牛は力や財産の象徴でもあった。こうしたこともあってか、ルーン文字には複数の「牛」を意味する文字が含まれている。
「バゼット、行くぞー。そろそろ現実に戻ってこい」
気の抜けたランサーの声が聞こえて、バゼットは横からがくがくと肩を揺すられる。
「はい、そうですね……」
ようやくバゼットは現実逃避で読んでいた神話の本を閉じた。重い腰を上げてごそごそと仕事に出かける準備をする。
今回の仕事は気が進まない。というのも、この仕事を紹介してきたのは冬木教会のカレン・オルテンシアなのだ。
「あなた方が職にあぶれて困っていると聞いて」
そう言ったカレンは実に
「路頭に迷える子羊に手を差し伸べるのが教会の仕事ですから」
と、カレンはこちらから頼みもしないのに仕事を押し付けてきた。
「ある大きなお家で家事手伝いをしてくれる人を欲しがっています。もう話はつけてありますので、明日直接訪ねてください」
カレンはその屋敷の住所だけを教えてくれた。かなり古くて広い屋敷なのだそうだ。まあ仕事の場所などはこの際どうでもいい。それよりも気になっていることがある。
「カレンが紹介してくる仕事がまともとは思えません。何か裏でもあるのでは」
「それはそうなんだが、ここのところオレたちクビが続いてるしなあ」
確かにカレンに思惑があるにしても、バゼットとしてはこのまま無職の暇人としてこの館でアルバイト雑誌を読みあさる日々を続けたくはない。どのみちカレンが何か仕掛けているのならば実力をもってそれを粉砕するだけだ。
「しかたないですね、行きましょうランサー」
こうしてランサーとバゼットは今日も仕事を求めて街に出かけていった。
深山町の商店街を過ぎ、さらに住宅街の奥に進んだところにその屋敷はあった。
「この家ですね。おはようございます」
バゼットは屋敷の玄関のドアを叩く。ほどなくしてドアが開いてこの屋敷の家人らしき若者がドアの隙間から顔を出した。
「ああ、今日からウチに来る使用人だね。教会から話は聞いてるよ……って、うわあああ!」
家人の少年、間桐慎二は玄関前に立つ二人組の姿をみて思わず後ろに飛び退いた。
僕は今何も見なかった、そういう事にして慎二はドアを締めようと取っ手を引く。しかし素早くランサーがドアと玄関の隙間に靴先を突っ込み、ドアの端を手で掴んでこじ開けた。
朝の明るい陽光と爽やかな空気が間桐家のなかに流れ込む。それに合わせて、
「いよう、間桐の兄ちゃん! ここお前んちなのか」
「ここは間桐の魔術師の屋敷だったのですね。教会のカレンから紹介されて来ました」
手短な挨拶をしながらランサーとバゼットは間桐家に上がり込んだ。
慎二はがっくり肩を落として頭をかかえる。
「よりにもよってアンタらかよ! あああ、あの教会のシスターの紹介なんて、きっと何かあるに違いないと思ってたんだ」
ぐしゃぐしゃと髪の毛をかきむしる慎二。ちぢれ気味の頭がますます
「おい兄ちゃん、そんなに髪の毛をかきむしるもんじゃないぜ、ハゲるぞ」
「うるさい! まだそんな歳じゃない!」
軽口を叩いてくるランサーから慎二は眼をそらし、ブツブツ独り言を呟いている。
「ちくしょうあの教会の女め、面倒な奴らをよこしやがって!
———いや、まてよ。落ち着いて考えてみれば慌てる事はない。雇い主は僕で、使用人はあいつら。立場が強いのは僕の方さ!
そう、こっちがあいつらを恐れる必要はない。使用人に対しては堂々としなくちゃね。はははははははははは」
「……彼は何か言っているようですが」
「さっきは落ち込んでたのにだんだん元気になってきたな」
いぶかし気な顔をしているランサーとバゼットに向かって、慎二はくるりと振り向いた。すっかりいつも通りになっている。ブツブツ言っている間に気を取り直したようだ。
「ふん、まあいいさ。来たからにはちゃんと働いてもらうからな」
「ああ、まず仕事の前に」
慎二は部屋の中にランサーとバゼットを招き入れると、彼らの格好を頭のてっぺんからつま先までつつーっと眺めた。
バゼットはいつも通りの黒スーツ。ランサーは波止場で釣りをしているときのアロハシャツ姿だ。
「君たちさあ、そのセールスマンとチンピラみたいな格好は着替えてよね。そんな格好でウチのなかをウロウロされたら鬱陶しくて仕方ないから」
「セールスマンって……」
「なぬ、チンピラだぁ!?」
慎二の言葉にカチンときたランサーとバゼットだが、慎二はバカにしたように鼻で笑う。
「あっれー? 働く前からもう口答えですかぁ。 君たちホントにやる気あるの?」
「む……。今の雇い主は彼。言う事を聞くしかありません」
「まあ、兄ちゃんの言う事も一理あるか」
バゼットは反論を諦めた。ランサーはしゅっと霊体化すると、またすぐに現界した。さっきと服装が変わっていた。
「オレはこれでいいか?」
着替えて現れたランサーの姿はまるで高級な喫茶店の店員のようだった。慎二がほう、と感心する。
バゼットも驚く。ランサーはいつの間にそんな服を手に入れたのか。
「ランサー、その服はいったいどこで?」
「こいつは新都でウェイターをしていたときの制服でな。クビになるときに貰ってきた」
「ふうん。ランサーの格好は悪くないね。で、バゼットさんのほうは」
慎二はわざとらしくバゼットのほうを見た。バゼットは思わずたじろぐ。
「ええと、私はこういった服しか持っていなくて」
「やれやれ、ずいぶん手間のかかる使用人だねえ。仕方ないな。ライダーか桜のお古を貸してやるよ」
そう言うと慎二はガサゴソと部屋のタンスを引っ掻き回し始めた。あっれーここにあったと思ったんだけどな、ああ、ちょっと小さそうだけどこれでいいか、などと独り言を呟きながら一着の服を引っ張りだす。
「バゼットさん、はいコレ。そっちの部屋で着替えてきて」
「着替えてきました。ですが、何ですかこの服?」
エプロン付きのワンピースなのだが、やたらにフリルがついている。これは世間で言うところの……。
「メイド服だな」
「その通り。 見かけに寄らずわかってんじゃないかランサー!」
ランサーと慎二は満足そうにうなずきあっている。
メイドとは、つまりこういう大きな屋敷のお手伝いさんのことであり、そのメイドの為の服ということであれば家事に相応しい格好であるはずだ。だが慎二に渡されたその服は家事の仕事に向いているように見えない。
「あの、この服サイズがかなりキツいのですが。胸回りとか、それにスカートの丈も」
いちおう遠慮しながらバゼットは不便を訴えたのだが、慎二とランサーは、
「ははははははは! なにそれ、ぴっちぴっちじゃないか!」
「はっはっはっは!」
バゼットの姿を見て爆笑していた。
「あなたが出してきたんでしょう! それにランサーまで一緒に笑わなくても」
「ああ、わりいわりい」
ランサーは笑いながら謝る。慎二はさらに嫌味にニヤつきながら言う。
「この間桐家はねえ、500年もの歴史を持ってるんだ。そこいらの家とは格が違うんだよ。君たちにもこの家の使用人に相応しい格好をしてもらわないとね」
「この服がですか……?」
何かタチの悪い遊びにしか思えない、とバゼットは抗議しようとしたが慎二はすかさずそれを遮った。
「はいはい口答え厳禁。主従のケジメは服装からだ。ああそうだ、君たちはこれから僕の事をご主人様と呼ぶように」
「ご、ご主人様っ!?」
「え、態度でけえな兄ちゃん」
「返事は?」
問答無用、と上から目線で命じる慎二についつい気おされランサーとバゼットはぴしっと背筋を正す。
「はい!」
「わかりました、ご主人様!」
満足そうな慎二の表情にこれからの仕事への不安が否応なく高まっていくのだった。
慎二……いやご主人様は、まず洗濯から片付けろと命令した。ランサーとバゼットは手分けして洗濯物の山を分別している。
「この家はあの若者とご老人の二人家庭のはずです。そのわりには量がありますね」
「お手伝いを呼ぶくらいだからな。溜め込んでたんじゃねえの」
ぶつくさ言いながら洗濯物を適当に分別し終えた。
「それでバゼット、これどうすんだ」
「そうですね。まとめてクリーニングに出してしまえば」
「はぁ!? なに言ってんの」
慎二がひょいと顔を出す。二人の会話を聞きつけて口を挟みにきたらしい。
「クリーニング? 却下却下! そんな無駄遣い、ウチのお爺さまがお許しにならないね。全部洗濯機で洗ってよね。
あ、順番は僕のアウター、次にインナー、その後タオル類、最後におじいさまの服。全部別々ね」
「おい、細かけぇな!」
慎二は言うだけ言うとランサーを無視して素早く居間に引っ込んでしまった。はぁ……と溜息をつきつつバゼットは洗濯機のスイッチを入れる。
「それなりに広いお屋敷に住んでいるというのに。ずいぶんとケチですね……」
「じゃあ、さっさと片付けちまおうぜ」
ランサーは洗濯物のカゴを持ち上げようとしてひょいとしゃがみ込んだ。その時カゴの影から小さな生き物が飛び出していった。それはカサカサッとすばしこく逃げて洗い場の隅に消えていった。
「んっ?」
思わずそっちに首を伸ばす。
「なっ、何を見てるんですか、ランサー!」
がすっ!
「痛え!」
「急に足下に屈み込まないでください!」
ランサーが後頭部を押さえながら見上げるとバゼットが赤面しながら短いスカートの裾を押さえている。
「ちげーよ。覗いてねーよ! 洗濯物を持ち上げようとしただけだ」
「すみません。思わず……」
「それはともかくバゼット、さっき虫みたいなのがいなかったか?」
「いま足下を何かが横切りましたね。尻尾がみたいなものが見えましたし、ネズミでもいるのかも」
手間のかかる洗濯を終えて、ランサーとバゼットは居間の慎二の元に戻った。慎二は椅子に腰掛け、機嫌が悪そうにトントンとテーブルを小突いている。
「洗濯が終わりました、慎二……あ、いやご主人様」
ちらりと慎二に横目で睨まれてバゼットはあわてて語尾を直した。
慎二は苛立ちをわざわざアピールするように椅子をガタつかせて立ち上がった。
「あー、ようやく終わったのかよ。二人もいるのに手際が悪いな。フツーはお手伝いさんを頼みとこのくらいはさっさと済ませてくれるもんなんだけどねえ。
やる事はまだたくさんあるんだから、もっとテキパキ片付けてくれないと困るんですよね。買い物にお昼の用意、それからこの屋敷中の掃除」
文句を並べ立てながら慎二はバゼットに近寄る。
「はいこれ。次の仕事」
慎二はバゼットに一枚の紙を渡した。今朝の新聞に挟まっていたスーパー「トヨエツ」のチラシだ。今日の特売品コーナーにでっかくマルが書いてある。
「次は買い物。そこにマルつけてあるものを絶対買ってこいよ」
マルをつけられている箇所は、
**************
★お客様大感謝特売企画★
最高級A5ランク霜降り牛肉
本日限定タイムセール
店頭にて激安価格!
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「牛肉……ですか?」
「ただの牛肉じゃない。一番イイ牛肉を頼む。
ウチは高貴な家だからね。庶民の味なんてうけつけないんだよ。食事の材料も一流でないとねぇ」
慎二はなぜか自慢げに胸を張る。
バゼットとランサーはチラシを覗き込みつつヒソヒソと話す。
「ランサー、このA5とはなんでしょう?」
「ああそれはだな。この国でよい牛肉を示すランクだ」
「Aのいくつとは、まるでサーヴァントパラメータのようですね。ところで、それも聖杯の知識なのですか?」
慎二にバレない程度の小声で会話しつつバゼットは思う。このご主人様は庶民なんてと言いながら、やってることはとても庶民的ではないだろうか、と。
「あ? バゼットさん、何か言った?」
「いえ何にも。では行ってきます!」
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特売最高級牛肉 限定タイムセール!
10:00〜 11:00〜 12:00〜
3回開催。お見逃しなく!
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スーパー「トヨエツ」の入り口には目立つ宣伝POPがでかでかと張り出されていた。
店員のアナウンスが響く。
「最高級牛肉セール、第1回目は売り切れになりました! 次のセールは11:00からです!」
「って、今は10時5分ですよ。売り切れるの早すぎませんか!?」
ランサーとバゼットはスーパーの前に辿り着いたばかりだ。
特売セール品の獲得の為にはほんの数分の遅れも許されないらしい。庶民の生活はなかなか厳しい。
「うう、このままではまたしてもあのご主人様に無能扱いを受けます」
「まあ気にすんなバゼット。次もあるし、その間にほかの買い物済ませて待とうぜ」
うなだれるバゼットの肩をランサーがぽんぽん叩く。
まだセールは2回もあるのだからそんなに心配する事もないだろう。
「おや、ランサーとそのマスターではありませんか」
「ランサーにバゼット、あなたたちまで高級牛肉を買いに来ているのですか」
急に後ろから声をかけられて振り返ると、そこにいたのは知り合いの二人組。小柄な金髪少女に紫の長髪で眼鏡をかけた女。
「げ、なんでおまえらが」
「あなたたちも特売の牛肉を?」
言うまでもなく衛宮家のお使いサーヴァント、セイバーとライダーである。
「ランサーたちも来ているとは。士郎はこのセールがきっと激しい戦いになると言っていた。そのアドバイスは的確でしたね、セイバー」
「ライダー、あなたと共闘するのは気が進みませんでしたが、彼らが相手となるならこの判断は正解だったようだ」
セイバーとライダーは顔を見合わせて頷き合うと、揃ってランサーとバゼットに指をつきつけて宣言してきた。
「我々の高級牛肉は渡さない!」
「はあ!?」
2回目のタイムセールが刻々と迫る。
すでに数十分前からスーパーの精肉コーナーのまわりには特売品を狙う人だかりができていた。
「すげえ人数だなあ。1回目のセールがあっという間に売り切れになってたわけだぜ」
特売を狙っているのは日頃からこのスーパーに通う街の主婦たち。皆セール開始とともに特売品に殺到すべく、最前のポジションを維持しようと互いに牽制し合っているのだ。
「この熱気、むしろ殺気。スーパーと言えど油断がなりません」
人混みの最前列でランサーとバゼットはセールの開始を待つ。その隣ではセイバーとライダーもこれまたセール開始の合図にあわせて重心低くダッシュの構えをとっている。
「ランサー、あなた方に遅れはとりませんよ!」
「なんでそんなにやる気なんだよセイバー……」
そしてぴったり11時。
「2回目のタイムセールを始めます!」
店員の声と共に精肉売り場に集まった主婦たちは高級牛肉に向かって突進する。
無論、ランサーとバゼットもセール開始の声と同時に床を蹴り、獲物を捉えに走った。
ランサーは最速のサーヴァントであり、バゼットは脚に加速のルーンを刻んでいる。獲物をつかみ取るのに一瞬の時間もかからない。
はずなのだが、
「えっ、ええええ!?」
「なんだとおおおお!」
二人は一歩も動けずその場で床に転げ落ちた。
じゃらり。
二人の脚に鉄の鎖が巻き付いていた。ライダーの鎖である。急いでほどこうとするが鎖はまるで蛇のように脚に絡み付いて外れない。
そして床に転がってもがくランサーとバゼットの上を後ろから走ってきた多勢の主婦が容赦なく通過する。
「いだだだだだだだ!」
「ぎゃああああああ!」
ランサーとバゼットがライダーの鎖で動きを封じられている間にセイバーは牛肉を獲得していた。まるで絨毯のように主婦たちに踏まれつづける二人を尻目にセイバーとライダーは悠々と引き上げていった。
「まさか2回目のセールにも敗北するとは」
ランサーとバゼットは一時撤退してスーパーの外で作戦を練る。
「先ほどのライダーの鎖は論外としても、このセールにあつまる主婦たちからは善良な一般市民とは信じがたい圧力を感じます。……それにですねランサー」
考え込んでいたバゼットが少々恥ずかしそうに顔を上げた。
「何だ」
「さっき気づいたのですが、なんというかこの服装では激しく動きにくいのです。……ヒラヒラしすぎで」
バゼットの格好は慎二に無理矢理着せられたサイズのあってないメイド服のままだ。この格好のまま走ると腰回りが大変心もとないのだ。
ランサーはバゼットの瞳を真顔で、真摯に見つめて言う。
「恥を棄てろバゼット」
「そんな」
「気にするな。アンタなら大丈夫だ。それにこのまま負け犬として間桐慎二のところに戻るのか」
「う……」
戸惑いがちだったバゼットの眼に意志が蘇る。
「ええ、そうでした。赤枝の騎士の末裔である私が、よりにもよって牛争いに負けるわけにはいきません」
ついに3回目セールの時間である。
ランサーとバゼットは精肉売り場に戻り、戦いに備える。
「三度目の正直という言葉もあります。今度こそ」
「よーしバゼット、アンタに力を授けよう」
セール開始待ちの集団を前にして、ランサーはバゼットの背にルーンを描く。
野牛を意味するルーン
バゼットに、力がみなぎる!
「タイムセールを始めます!」
店員の合図の声が聞こえた。
「よし、行ってこいバゼット!」
「でりゃあああああああああ!」
バゼットは牛を目指して駆けた。短いスカートの裾をめいっぱい翻しつつ。
「はあはあはあ……。な、なんとか牛肉を獲得しました、ランサー」
「よう、なんとか任務達成できたようだな」
バゼットが両手に牛肉のパックを抱えて戻ってくると、ランサーはその間に何か買い込んでいたらしく、いっぱいになったビニール袋を下げていた。
「あれ、何を買っていたのですか? 」
「ああちょっとな。午後は掃除があるだろ? これも掃除道具だ。さあ間桐ん家に戻ろうぜ」
こうして、ようやく昼の買い物が終了した。
間桐邸に戻ったランサーとバゼットの次なる仕事は昼食の準備である。
「バゼット、包丁をつかったことはあるか?」
「短剣の扱いなら多少は」
「わかった。ないんだな! じゃあ料理はオレがやるからアンタは掃除を頼む」
「わかりました。では昼食は貴方にまかせて、私は館の掃除に行ってきます」
くるりと踵を返そうとするバゼットをランサーが呼び止めた。
「おっと、じゃあこれを適当に仕掛けてきてくれよ」
ランサーは先ほどのビニール袋をバゼットに渡した。
「これはさっきスーパーで買ってきたものですね」
「ああ、あれと同じヤツだ」
ランサーが台所の隅を指差した。床の上に紙細工の家の模型のようなものが置いてある。近づいていくと紙細工のなかでなにかゴソゴソと動いている。
「この紙細工は『ゴキブリホイホイ』というモンだ。これを壁際や家具の裏に仕掛けておくと虫が楽に捕まるらしい」
「なるほど。そういえば洗濯機のまわりにも虫が湧いていました。掃除の間に屋敷中にこれを仕掛けて一気に駆除してしまいましょう」
バゼットは部屋を掃除して回る前に廊下や柱の角に『ゴキブリホイホイ』を設置した。そのまま部屋の掃除に向かい、ひととおり掃除が終わってからその場に戻って様子を見てみる。
「大漁ですね……」
どの『ゴキブリホイホイ』にも丸々とした虫がかかってびちびちと跳ねていた。
バゼットは虫がかかった『ゴキブリホイホイ』をつまみ上げてはゴミ袋に放り込む。虫はキィキィと鳴き声を上げている。
ゴキブリって鳴く虫だったっけ? とバゼットは少し疑問を抱いた。
それにゴキブリというのは平たくて黒い虫のはずだが、この間桐家のゴキブリはメタリックな色をしていて、もっと立体的で———というか男性のアレのようなカタチをしていて、尻尾まである。国が変われば虫の姿もかわるものなのだろうか?
「それにしても本当に虫が多い。どこから湧いてくるのでしょうか」
この際だから徹底的に殲滅してやろう。そうすれば、あの偉そうなご主人様も少しは私を褒めてくれるだろう。そう考えてバゼットは虫の発生源を探す事にした。
虫の多そうな場所を探す事しばし、バゼットは怪し気な扉の前で立ち止まる。
「ここは、蔵?」
この屋敷の蔵らしきその扉にはしっかりした鍵がかかっている。実はこの場所は慎二から立ち入り禁止だと言われた場所なのだが、どうも虫はここを中心に発生しているように見えた。
「鍵開けのような細かい魔術は不得意なのですが……」
そう呟きつつバゼットは解錠の魔術を試した。
ガチャガチャ(10秒)、……ガチャガチャガチャ(20秒)、………ガチャガチャ(30秒)、…………ガチャ(40秒)
「
どんがらがっしゃーん!!!!
結局バゼットは
「侵入します」
扉の残骸を蹴り飛ばし、中に入る。蔵の中は薄明かりしかなく中がどうなっているのかよく見えない。だが、その暗闇の中でぞわぞわとで何かが蠢いている気配がする。
「なっ、ここは一体」
バゼットは目の前の闇が、ざわり、と波のようにのたうつのを見た。
「ランサー、オマエ見かけに寄らず料理うまいじゃないか!」
食卓には慎二と臓硯が座っていた。彼らの前に並ぶのはランサーとバゼットが苦労して手に入れてきた特売最高級霜降り牛肉のステーキである。
ランサーが腕をふるって歯の少ない老人にも食べやすいように柔らかく焼き上げた。その甲斐あってか臓硯老人も「うまいのう、うまいのう」と言いながら喜んで食べている。
「お気に召したようで幸いです」
ランサーはうやうやしく一礼した。
「日頃は港で魚釣りをする趣味もありますので、魚料理も得意です」
と言いながら慎二に食後の紅茶を給仕する。
「ご主人様、今日の紅茶はアイルランド風。アイルランドでは紅茶は血よりも濃い、と申します」
慎二はすっかり機嫌を良くしている。
「ランサー、オマエは正式に僕のサーヴァントにしてやってもいいぞ」
椅子に深く腰掛け、優雅に背を反らして紅茶のカップを口元に運び、眼を閉じて香りを味わう。高級感と優越感に包まれつつ、慎二はふと部屋の入り口の方に目をやった。
部屋によろよろと数匹の虫が入りこんできたのが見えた。
「ふああああああああああ!」
慎二の横で座っていた臓硯が叫ぶ。ほぼ同時に部屋の扉がバン!と勢い良く開いてバゼットが飛び込んできた。
「ご主人様! この屋敷に湧いていた虫を根こそぎ駆除してきました。おそらく蔵が虫の巣窟になっていたので、蔵ごと破壊してきました。もう安心です!」
バゼットの足下を傷ついた虫がヨロヨロと這いずっている。
「あ、ここにも虫が」
即座にバゼットは脚で踏みつけてぶち、とつぶした。
「ワシの蟲が、蟲がああああああああ!」
「お爺様、お爺様!?」
臓硯は急にしゃっきりと立ち上がると、今まで腰が曲がって杖を付いていたのが嘘のように慌てて部屋の外に走り出していった。慎二があわてて後を追っていく。
「あれ?」
バゼットは臓硯の後ろ姿を呆然と見送る。ランサーがバツがわるそうに頭をかきながら言った。
「あー、バゼット。あの蟲、どうもこの家の使い魔だったらしいぞ」
「なんと!?」
間桐邸からは「ふああああああああああああ…………」という悲し気な老人の悲鳴が聞こえてくる。
屋敷の前には法衣姿の少女が胸の前で祈るように手を合わせたたずんでいた。彼女は心地良さそうな微笑みを浮かべていた。
「ああ、本当にいい調べ。ランサーにバゼット、実に期待を裏切らない働きぶりでした」
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uruz(ウルズ)
象徴:野生の牛
英字:U
意味:野生の雄牛を象徴する勇気、変化のルーン。牛を示すルーンには他に
ルーン図形:
間桐家の皆さんのカッコいいところはいつか別の話で……。