ランサーはまた新しいアルバイトを始めていた。今の仕事はビルの夜間警備だ。賑やかさも華やかさもないけれど、深夜の誰もいないビルの中を見て回るのもランサーには目新しいことなのだ。
ランサーは今夜の警備を終えて帰宅する途中に警備会社の事務所に立ち寄った。
「所長、おつかれ!」
「ああ、ランサーくん。おつかれさま」
事務所では所長が何かのビラを眺めていた。ランサーが所長の手元を覗き込んでみると、そのビラは求人広告のようだった。先日から街のあちこちに張り紙をしているのだそうだ。
「新しく別のビルの警備の仕事が入ったんだが、人手が足りなくてね。だけどなかなか応募者が来ないんだよ」
「だったら、いいおまじないがあるぜ。所長」
ランサーはニヤッと笑うと、一枚の紙にさらりとルーン文字を書いた。門のような形のその文字は
「ランサーくん得意のアイルランドのおまじないか。ありがとう。じゃあコレを求人のビラの横に貼っておくかな」
「おう、きっと効果ばつぐんのハズだぜ!」
所長は事務所のドアに求人広告と
「ただいまっと。帰ったぜ、バゼット」
「おかえりなさい、ランサー!」
仕事帰りのランサーをバゼットが機嫌良く出迎えてくれる。今日はなぜかいつもより嬉しそうだ。
「ん? なんかいい事でもあったか、バゼット」
「ランサー、私も仕事が見つかりました!」
その質問を待っていました、とばかりにバゼットが答えた。
なるほど、嬉しそうなわけだ。バゼットは戦闘においてはどのマスターにもひけをとらないのに、他には何の取り柄もないと常に気にしている。それもあってやたら普通の仕事をしてみたがるのだが、なにぶん不器用でなかなか続かない。
今度のはバゼットに合いそうな仕事だといいのだがと思いつつ、ランサーはバゼットに聞いてみた。
「よかったな。何の仕事だよ?」
「警備員です」
警備員ならちょうどよさそうだ。バゼットの腕っ節の強さが存分に活かされるだろう。
「おお、アンタにあうんじゃねえか。どこのだよ」
バゼットは一枚の求人ビラを取り出した。ランサーはバゼットの見せたビラをみる。
あれ、どこかで見たビラだが……思い出した。
「それオレと同じバイト先だぜ」
「え、ランサーもこの警備会社で働いているのですか?」
「ああ。がんばれよ、バゼット」
驚いているバゼットの肩をぽん、と叩きながらランサーは微笑んだ。
いいねえ、さっそくオレの
翌日。バゼットは警備会社の事務所に出勤した。所長から仕事の説明を聞く為である。
仕事の内容は、要するに夜間のビルの中を決まった時間に巡回し、問題が起こっていないか確認する事。もし不審者の立ち入りがあれば排除するというものだった。
説明を一通り聞いて、この仕事内容ならば大丈夫そうだとバゼットは思った。監視や警備は日頃から慣れているし、細かい物を取り扱って壊してしまう心配もない。
「……説明は以上です。なにか質問はありますか、バゼットさん?」
「いえ、ありません」
説明を終えた所長にバゼットは自信を持って返事した。
「じゃあ今夜からよろしくね。職場は冬木センタービルです。どうも最近、夜中に勝手に侵入する人が多いらしくて」
「はい! お任せ下さい。不審者の撃退は得意です」
そう言い終わるとバゼットは事務所の椅子から立ち上がって踵を返し、がちゃりと事務所のドアを開けて颯爽と仕事場である冬木センタービルに向かった。
「やれやれ、人が見つかってよかったな。あの人は女の人だけどずいぶん強そうだし」
バゼットの後ろ姿を見送った所長はほっ、と一息つきながら事務所のドアをバタンと閉めた。その反動でドアに張ってあったルーン文字の張り紙がぱらりと床に落ちた。
「おっと、おまじないの紙が……。
あれ、これはどっちが上だったかな? これでいいか」
所長はルーンの紙をドアの上に適当に張り直した。
冬木センタービルは新都で一番高いビルだ。ごう、と風のうなる真夜中のビルの屋上に二つの人影がある。
「アーチャー、ここなら見晴らしがいいでしょ? 街の全景がわかるわ」
「ああ凛、私の目なら橋のあたりのタイルの数も見てとれる」
凛とアーチャーは屋上の端に立って街の夜景を眺めながら会話していた。その彼らの背後を急に眩しい懐中電灯が照らす。
「そこの赤いカップル! 屋上は立ち入り禁止です」
やべ、みつかった、と凛とアーチャーは後ろを振り向いた。そこにはなぜか知った顔の警備員が立っていた。
「ちょっと。何やってんのよ、バゼット」
「遠坂凛ともあろうものがこんなところに忍び込むとは。デートは他でやってください」
「違うわ! 聖杯戦争のための下見よ。むしろ、そっちこそ何でこんなところにいるのよ」
「仕事です」
真顔できっぱり言い放つバゼット。凛は呆れて思わずこめかみを押さえた。頭がいたい。
あんた執行者のはずでしょ……ていうか聖杯戦争……。
「こんな万年無職に構うな、いくぞ凛」
「待て、アーチャー! 何ですかそれは」
バゼットが吠えたが、アーチャーはうなだれる凛を抱えると、バゼットを無視して屋上の端からひらりと飛び降りて去っていった。
「ずいぶんひどい言われようだ。今回はまだ失職してません」
バゼットはアーチャー主従にぶつけ損なってやり場のない文句を彼らが消えていった夜の闇に言い捨てる。そして夜景に背を向けて屋上から下の階へ続く階段を降りて一階に戻った。
「このビルへの夜間の不法侵入は厳禁です。
凛とアーチャーは裏口から侵入してきたらしいですね。先ほどのような不心得者が現れないように、裏口を厳重に取り締まることにしましょう」
バゼットはビルの裏口の前に仁王立ちし、周囲を鋭く見回しながら警備を続けた。
突然、ガキィン!キィン!!と金属が激しくぶつかる音が響いた。まるで剣戟のようだ。ビルの正面の方向から聞こえてくる。
「何事ですか!?」
バゼットは急いでビルの正面玄関に駆けつけた。音の響く方を探ってビルの側壁を見上げる。なんとそこにはビルの側壁を蹴りながら上空に登っていく、二つの弾丸のような影があったのだった。
「なっ……!」
二つの影は互いにぶつかり合い、ガキィン!!と剣戟の音を響かせながらビルを登っていく。地上から眺めているとまるでビルの壁を使った巨大ピンボールを見ているようだ。ぶつかり合う影は次第に屋上へと近づいていた。
「まさかビルの側壁を登ってくる不審者がいるとは! それにしても到底人間ワザとは思えない」
なぜこのビルにはこんな厄介な不審者ばかりやってくるのか、と思いつつバゼットは急いでビルの屋上に駆け上がった。
がちゃり、とバゼットが屋上のドアを開けた。ドアの隙間から凄まじい風と目のくらむような光がドアの内側に流れ込んできた。
「くっ。この風と光は……」
思わず階段側に押し戻されそうになるのを堪えつつ、バゼットは屋上へ入り込んだ。
目の前にいるのは白銀の甲冑で武装したセイバーだった。その手に持っている聖剣は刀身を覆い隠している風王結界から解き放たれ、神々しい金色の輝きを放っている。
そして、セイバーが見上げる空の上には真っ白な天馬が翼をはためかせて宙を駆けていた。幻想種ペガサス。その背の上にライダーがまたがっている。ペガサスが大きく羽ばたくたびに屋上に居るものを軽々と吹き飛ばしそうな暴風が吹き寄せる。
バゼットはペガサスの突風に体をさらわれないよう身をかがめつつ、セイバーとライダーの会話に耳を澄ました。
「日頃のいさかいの決着をつけましょう、セイバー」
「望むところです、ライダー」
「ふふふ、セイバー。私の宝具は人目に付く。だからわざわざ貴方をここまでおびき寄せたのよ。ビルごと吹き飛ばして上げる」
「同感だ。ここならば、地上を焼き払う憂いもない!」
ライダーとセイバーはここで宝具を解放するつもりだ。まずい、阻止しなければ。
二人のサーヴァントは互いに睨み合い、相手の動きを探っている。まさに一触即発。ほんの小さな動きをきっかけに双方の必殺の一撃が繰り出されるだろう。
バゼットが身構えたと同時に、ライダーとセイバーは声高らかに宝具の真名を唱えた。
「
「
天からビルの屋上を打ち砕こうと駆ける天馬の軌跡と、
屋上から天を切り裂けとばかりに打ち出された黄金の光の刃が、
まさに空中で激突しようとしたその時、
「
次の瞬間、天馬は停止し、聖剣の光は消えていた。
「あっ」
「えっ」
ライダーとセイバーは驚いて周囲を見回し、ようやく警備員バゼットの存在に気づいた。
「憂いはあります! サーヴァント同士の喧嘩も他のところでやってください」
バゼットはライダーとセイバーをビルの屋上から夜空に叩き出した。
「まったく次から次へと不審者が侵入してきますね。
念のために家からフラガラックを持参してよかった。普通の仕事といえどまるで聖杯戦争並に油断がなりません」
ふう、と一息ついたバゼットの背後でヒソヒソ声がするのに気がついた。
「やばいぜ衛宮。オレは逃げるからな」
「待てよ慎二!」
バゼットが振り向くと少年二人が下の階に続く階段に逃げ込んだところだった。
「む、サーヴァントがいたということはマスターもここにいたのですね。そこの少年、止まりなさい!」
バゼットは少年たちの後を追う。ビルの廊下に彼らの足音が響いている。足音を追えばどこに逃げようとしているのかはすぐわかる。まもなく追いつくだろう。
「あの少年たちはこちらに逃げたはず、と?」
どん、とバゼットは何か壁のようなものにぶつかった。岩のように堅いが、微妙に生き物のような肌触りがした。
「マキリの蛆虫さん。あれ違うの? お兄ちゃん……でもないのね?」
暗闇の中で少女の声がした。バゼットは声の主を姿を探した。真っ暗なビルの廊下の微かな光によって少女の銀髪と白い顔が浮かび上がる。
「イリヤスフィール!?」
「まあいいや、やっちゃえバーサーカー」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!」
「えええええええええ!」
バゼットは冬木センタービルでの深夜勤務中にビルに侵入した不審者と格闘したものの、健闘むなしく敗北した。叩きのめされて気絶したまま翌朝に発見され、病院に送られた。
ついでに即日退職になったらしい。
怪我は大した事なかったので、バゼットは病院をさっさと出てきて、今はベッドの上で布団にくるまって落ち込んでいる。
ランサーはバイトに出かける支度をしながらベッドの上で布団のダンゴになってるバゼットをちらりと眺めた。
「やれやれ、オレが帰ってくるまでに元に戻ってるといいけど。
それにしても、なんでサーヴァントどもがそんなに集まってきたんだよ。ツイてねえな。
まさかオレのルーンが効かなかったのか?」
やや疑問に思いながら、ランサーはバイト先の警備会社の事務所に出勤した。
「おはようございまーす」
と挨拶しながらランサーは事務所のドアを開けようとして、ドアの張り紙に気がついた。
それはランサーが書いた
あ、あれ。これ上下逆に張ってあるじゃんか。ってことは……。
「逆位置じゃねえか———!!」
逆位置のルーン。
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mannaz(マンナズ)
象徴:人間
英字:M
意味:人間を象徴するルーン。人が肩を寄せあう様子を象った文字である。人間関係の調和、相互援助、チームワークなどを表している。適切な助言や、援助者を得る事を暗示する。
ルーン図形:
■ルーン文字の逆位置
ルーン文字によっては逆さまになると意味が逆転したり、悪い意味のルーンであった場合はさらに悪い意味になる。
マンナズの場合は人間関係の不調和を意味し、人の助けが得られないことを表す。
こんなビルの警備はイヤだw