ガンダム戦記 side:Zeon   作:上代

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第42話:得難い、休息の日(前編)

 軍隊というものは上下関係から成る組織である。

 上に昇り詰めればその分だけ良い思いが出来るのは万国共通のものであり、これは他の組織にも言える事で、誰しも一度は夢見る「将来の自分は」というやつだ。

 

 組織で上役に成れば権力を持ち、影響力を有するようになる。

 その力の及ぶ範囲が拡大するほど、身には責任という重荷が積まされるわけだが、これを正しく理解せずに転がり込んできた力だけに目がいってしまうのが、人間という悲しい生き物だろう。

 身の丈に合わない、目に見えない力に振り回されて、大抵は身を破滅させる路へと知らずに足を進める。

 

 では、自分はどうだろうか、とメルティエ・イクスは思う。

 

「俺は、真っ当な人間だ……と、思いたい……です」

 

 彼は今し方目覚めたベットの上で頭を抱えた。

 

 昨日は久方ぶりに穏やかな時間を過ごせる、と創設以降忙しく戦争の準備と戦いばかりであった部隊員らと語らっていた。

 用事や急用で一人、また一人とその場から離れても残った面子で賑やかな話し合いの場は終わる事無く続けられた。

 メルティエが秘かに懸念していたキキ・ロジータは現地協力者として部隊に受け入れられ、軋轢も無さそうだと安心していた時に、それは来た。

 

 蒼い少女、ロザミア・バタムの乱入と「おとうさん」発言以降は会話の矛先が全てメルティエに向かい、詰問される事態に陥ったのだ。

 

 加えて言うなら、退院直後に見も知らぬ地でメルティエの下へ辿り着いた行動力にも驚いた。

 彼はロザミアから経緯を聞いて「さすが挨拶直後に養子縁組を提案する子」だと納得した。

 ふらりと現れた副官のサイ・ツヴェルク少佐から「立て替えておきました」と言われて首を傾げていたのだが、その理由も判明して幾分スッキリもした。

 同様に財布の中身も軽やかになったわけだが。

 

 だが、それらでメルティエは頭を抱えていたわけではない。

 

 責められる事に困惑はしたが、ほとんど誤解であったしそれは既に晴れている。

 それに見目麗しい女性達に迫られるのは、若い男には刺激的だった。内容が相応しくないものだったが、それは致し方ないというもの。

 気心知れた仲間と私事にも一歩踏み込んだ関係になれたと思えば、悪い気はしない。

 

 問題はその後の出来事に在った。

 

 彼は起きてから、さっと自室を見た後に再び目を瞑っていた。

 先に言うならば、二度寝の類ではない。

 起きた後は瞑想を行う等の趣味や日課があるわけでもない。

 

「どうしてこうなった」

 

 さぁ、メルティエ・イクスよ。

 目の前に横たわる、不動なる現実を直視しようではないか。

 

 ベッドの中で自分に寄り添って眠る、()()の美女をその(まなこ)でしかと見よ。

 

 右へ視線を向ければ、飛び込むのは男を情欲に狂わせた肌理が細かい白い裸身。

 その上には彼女の甘い味を思わせる蜂蜜色の髪が乱れ、呼吸に従い起伏する豊かな胸は細い腕とベッドに窮されて淫らしくも形を変え、男の視神経を、その雄の本能を刺激する。

 あどけない無防備な寝顔を晒すのは、メルティエ・イクスの人生に不可欠で、大事な女性。

 

 アンリエッタ・ジーベルは寒さを覚えたのか、それとも離れた体温が恋しいのか。

 そっと彼女の顔を隠す髪を払ったメルティエの指先に触れ、擦り寄って来た。

 動きに合わせて艶めく腰がシーツから覗き、其処から現れたのは女性特有の丸みを帯びた臀部。行為に夢中になる弾力と肌に吸い付く感触が蘇り、男の血流が一部分に集結し始める。

 

 一呼吸置いて、彼は手を伸ばす。

 健やかな寝息をたてる彼女の身体に、ではなく。

 肌蹴たシーツをゆるゆると、アンリエッタの肩まで隠すように引いた。

 

(睡姦してどうする。目と目が合ってするからイイんだ)

 

 猛烈に抗議する分身の意見なぞ一蹴し、起きる前から拘束され続けている左腕に注意を向ける。

 

 豊かな髪がベッドに広がり、さながら薄紫色の海原に浮かぶ花の如く在る幼さの残る端整な貌。

 抱き枕と化した左腕を通じて襲い掛かる、男の脈動を促す触感。気を許せば、筋肉のしなやかさと女性の柔らかさを両立させたその肉体を、また堪能しようと動くに違いない。

 今も耳朶に残る、普段の淡々とした口調が生態の色欲に嬲られて乱れる声色は、それだけで情欲を昂らせるに足る。

 

 彼女とは時には苦言を呈し、時には身体を張って止めてくれる相棒のような間柄だった。

 

 その相棒と男女の関係になってベッドを共にしている事も、昨日の出来事が起因している。

 

 ロザミア救助の一件、顛末ではなく経緯を漏らしたのがいけなかったのだろう。

 闇夜の中でモビルスーツの上を疾駆する、その姿もモノアイの記憶媒体に映っており、人命救助に赴いて二次災害を起こす積もりかと問い詰められた。

 反射的な衝動だった、と白状したメルティエをベッドに組み敷いたエスメラルダ・カークスは、ジオン公国の軍人になってから男の行動は度を逸したものだと、命知らずだと指摘したのだ。

 

「残される者の気持ち、理解しろ。この馬鹿!」

 

 不機嫌にはなっても、ここまで激昂した彼女は見た事が無い。

 そのエスメラルダに言われて、漸く判った事がある。

 突き付けられたものは、メルティエ・イクスが愚者であり、本質が変わっていないのだという事だ。

 

 女は怒っている癖に、悲しみを男に叩きこんでくる。

 それはシャツを濡らす滴と、小さな躰から発せられる波紋のようなもので理解できた。

 

 彼は十年前に自身が消化するに苦労した想いを、今度は自分が他者に与えようとしていたのだと気付いた。

 エスメラルダの赤い瞳に魅入られながら、己を鍛えてくれた養父ランバ・ラルと教師役に付き合ってくれたクランプに申し訳なく思う。

 

 キャスバル・レム・ダイクンを喪って「そうならない為に強くしてくれ」と頼み込んだ少年は、肉体に関連する体力と技術を体得した。知識も現場主体のものだが豊富に学んだ。

 であるのに、大人になった後も意識改革が手付かずだったとは、どういう事なのか。

 

 エスメラルダの言葉が、正にその通りだった。

 

 メルティエは過去の「残された者の気持ち」で戦っていただけで「残される者の気持ち」を汲む生き方をしていなかった。

 暗礁宙域突破機行から始まる、最前線で身を盾にする行動と敵地に踏み込む行為は、過去を引き摺った男の有り様でしかなかった。

 思い出に引き摺られて、記憶に囚われて、何時まで友達を喪った子供のままで在り続けるのか。

 

 確かに、手の届く範囲で欲張った生き方をすると決めた。

 優れた技量を見せた連邦軍パイロットに降伏を促したり、助けを求めて叫ぶロザミアを救ったのはその為だ。

 

 だが、己が身を顧みる余裕はあっただろうか。

 無茶をしてはメイ・カーウィンに心配を掛けさせ、ユウキ・ナカサトに身を顧みない行動を咎められ、シーマ・ガラハウには他者に委ねる度量を身につけろと言われたではないか。

 

 半年ぶりに再会した、親父殿の視線を受けて、何も感じなかったのか。

 あの頼もしくも巌しい、子供時分に憧れた大人の表情に。

 戦場の真っただ中で疲弊した子を想う、親の顔をさせたのは誰の所為だ。

 

「いい加減にしろ、人は成長するものだ」

 

 今も耳に覚えがある、懐かしくも色褪せないものが、何処かで聞いた声が脳内に響く。

 金髪碧眼の少年が、もたついて歩けない背を押している。

 過日を振り返れば、その超然とした態度と、自信に満ちた声がとある人物に重なる。

 

 いや、まさかと男は思った。

 気になりはしたが、同じような声等はよくある事だ。

 

 だが、あの手合いが隔てずに気安く接する理由は、何処にあるというのか。

 

 広がる違和感に思考は高速で巡るが、それも長くは続かない。

 触れる人の温もりは、意識を引き剥がしに掛かってくる。

 逃避は許さない、と。

 自分を見ろと訴えているようで、下の男は上に居る女を捉えた。

 

「メル」

 

 見慣れた顔の、濡れた瞳と潤んだ唇がある。

 

「エダ」

 

 間違えた道を教えてくれた女性に感謝と敬意が溢れ、次にそれらを凌駕する愛情が芽生えた。

 

 関係を結んだ女が居るのに、胸の上で頭垂れる別の女を抱き締める。

 自らの不誠実な行動は、弱い男の(さが)を認めるものであった。唾棄すべき汚い男の側面であった。

 それを恐る恐る抱き返された事で、男を止めるものが一気に砕けた。

 

 呼気が直に当たる距離の小さな唇に吸い付き、その拒まれない様子が、男の劣情を掻き立てる。

 見慣れた互いの野戦服を脱ぎ散らし、瑞々しい肢体を好きにされては押し殺した声を可愛く漏らす姿が、筆舌し難い支配欲を獣に煽り続けるのだ。

 痛みに身を震えさせながら受け入れる女に、男は何度征服の証を注ぎ込んだか分からない。

 

 理解できたのはエスメラルダを手放す事は無いという確信と、烏滸がましい故に蔓延る独占欲だ。

 

「――――ふぅん」

 

 この男女が共有したのは繋がる悦びと、行為途中を第三者に見られる気恥ずかしさだった。

 男は少しの困惑後に「刺されるのは俺だけだ」と腹を括ったが、男の強靭な腰から身を上げない女は「我勝利せり」と涙目で相手に報告していた。

 

 第三者は演出用に手に持っていたアーミーナイフを溜め息と共に放り投げると、理解が及ばない男に言ってやった。

 

「責任はとってね。()()だけは認めないよ」

 

 綺麗な笑顔を見せながら、目だけで獲物の姿を射抜く。

 

 其処から先は、男と女がまぐわう体臭で頭の中が塗り潰されて、正直よく覚えていない。

 

 メルティエの心中を占めるのは「やっちまった」感が半端ない事と、二人を含めた周囲との今後の接し方、婚姻は戦時中は難しそうだというものだった。

 冷静を装って前向きな検討に傾倒しているが、それは自分が「複数の女を囲う」人間だと無意識に理解していた事に他ならない。

 

「可愛い嫁さんが二人も出来ました、そう言ったら親父殿達、どんな顔するかな」

 

 これも親孝行に入るのだろうか、と。できれば説教だけは勘弁してもらいたい息子であった。

 だが、この事態を認めてもらえるのであれば、親父殿の鉄拳制裁も甘んじて受ける覚悟だ。

 エッジとスナップが効いた養母の意識を刈り取る平手打ちすらも、臨むところである。

 ただ、恩師のクランプがその為体に嘆くのか、それとも全面協力するのかが気懸かりだった。

 彼は忠義篤く有能で、ラル達が世を忍ぶ時も共に耐える副官の鑑だ。

 

 心地よい疲労感に襲われながら、ラル隊に合流する時はクランプに先ずは話を通そうと決めた。

 橋渡しする存在はいつの世でも大事である。

 

 決して、養い親の攻撃に及び腰になったわけではない。

 

「あと、二人の家族にも面通ししなくちゃな」

 

 そう言い、ウトウトと微睡始めた為に男は、気付かなかった。

 

 独白の聞き相手が虚空ではなく両隣の女達で、男が寝入った後も熱い視線を寄越していた事に。

 

 眠りに就いたメルティエを見届けた二人は、顔を僅かに上げて目を合わせる。

 

「これは、宣言?」

 

「いや、メルの事だからね。隠す気はないって言いたかったんじゃないかな」

 

 概ね、その通りである。

 

「……すごい臭い。まずはシャワーを浴びたい」

 

「ん、そうだね。後で換気と掃除かな」

 

 起き上がるエスメラルダが、身の奥から響いた粘着音に、全身を真っ赤に染めた。

 同様のアンリエッタは頬を染めるが、動きを硬直させる事なく。シーツから抜ける。

 彼女は薄暗い中に裸身を晒して、末永い付き合いになるだろう同僚に手を差し伸べた。

 

「腰、辛いでしょ。手を貸すから」

 

「助かる。正直、これほどのものとは思わなかった」

 

 アンリエッタは、小柄な身体の彼女にはあの”獅子奮迅”は辛いだろうか、と思った。

 

 けれど、彼は”獅子”と呼ばれ、彼女は”虎”と称される人間であった。

 

「癖に、なりそう」

 

 エスメラルダの視線の先を捉えながら、順応性が高過ぎやしないか、と呆れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 クカット要塞の兵器生産プラントに詰めるギニアス・サハリンは、リアルタイムの報告を上げるノリス・パッカードに尋ねた。

 

「キシリア閣下子飼いの部隊が、我が方に降下中だと?」

 

 聞き捨てならないものが幾つかあり、作業の手を休める。

 彼は同要塞の保有する試作モビルアーマー、アプサラスの更なる改良と拡張を進めていた。

 そのアプサラスの試験場となった区域はシンタン基地といい、目標とする建造物は基地内で最も防御能力の高い兵器格納庫だった。

 重要施設は外観よりも内側に力を入れるのが普通であり、例に漏れずこの兵器格納庫も一見地味な倉庫に見えるが、幾重にも張られた構造は砲弾を撃ち込まれても貫通せず、内部で爆発したとしても他の棟に火災が広がらないように対策がなされている。

 基地に空爆があったとしても、唯一残る建築物が兵器格納庫だ。

 

 が、その堅牢な防御能力も、アプサラスの大型メガ粒子砲の前では紙の砦に等しい。

 

 触れれば差別なく溶融し、蒸発させ、消し飛ばす。

 この悪魔の兵器は基地攻略部隊の先触れとして投射され、想像以上の破壊力と戦果は開発者たるギニアスを魅せた。

 

 護衛部隊と共に降下し、防衛設備群の射程距離外から一方的に攻撃を行う。

 目標地域の破壊と殲滅のみに的を絞った最強の兵器が、アプサラスだ。

 

 ギニアスが思い描いていたものを形にしてから世に出す予定ではあった。

 それも「誰もがこの計画に価値ありと認める戦果を出すべき」と述べる男の意見と、これに賛同するノリスに後押しされ、初めて戦場に配備した。

 

 結果は、先述の通り。テストパイロットを務めてくれた実妹のアイナ・サハリンの協力もあり、現在のアプサラス計画はデギン公王のみならず、ジオン公国自体からも援助を受けるに足るものとされ、ジオン軍が抱える軍事プロジェクトの一つと正式に認定を受けたのだ。

 当然の事ながら、ギニアスはその責任者に任命されている。

 

 サハリン家の、自分の積み重ねた苦労が遂に報われた。 

 この想いに彼は酔ったが、技術屋の面を持つギニアス・サハリンは納得していなかった。

 

 ――――まだだ。アプサラスの、私の力はサハリン家を更なる高みへ昇らせることも出来る!

 

 家督を継いでから、蔑にされ続けた名家の当主の瞳が濁り始めたのはいつ頃か。

 彼の家宰であるノリスは、ギニアスの様子がおかしいとは思ったが分不相応な諫言はできない。

 二人の兄妹が幼少の頃から支え続けたこの無骨な男は、自身の揺るぎ無い忠誠心が主君の描く道筋に物申す事を躊躇わさせるのだ。

 

「はっ。ローデン大佐のネメアに、キシリア少将から戦勝祝いの品を預かって来た、と」

 

 ダグラス・ローデン大佐が統括する突撃機動軍特務遊撃大隊ネメア。

 彼らは最新鋭機のモビルスーツやグレードの高い改修機を扱い、配備された兵器機材は元より隊に配置する人材も秀でた、正に粒揃いの部隊であった。

 この精鋭部隊の多くが特異な人物で構成され、名目上はローデン大佐麾下だが、実質的な部隊長は蒼い獅子の異名を持つメルティエ・イクス中佐とされる。

 開戦以降頭角を現したこの蒼い獅子は、ジオン公国が発するメディアを通じて爆発的に広がり、今や知らぬ人間を捜す方が困難な存在となった。

 この中佐を筆頭に数々の戦歴がネメアの実力を内外に示し、特にヨーロッパ方面やアジア各地では験担ぎに機体を一部「蒼」で塗装する一種の信仰さえ広がっている。

 

 噂では、ヨーロッパ方面軍司令ユーリ・ケラーネ少将がこの()()に遭っているとされた。

 現地で戦い続ける多数の古参兵がガルマ派、蒼信者である為に同地の部隊を自分色に染める事を早々に断念したと聞く。

 作戦初期に地球へ降下した第一次降下部隊が今も士気高く、ガルマの残した物資循環策が機能しているとは言え戦線に綻びが見えないのは驚異的であり、かの両雄と轡を並べた事が無い将兵からすれば不気味でしかないだろう。

 

 軍事に関しては知識しか持っていないギニアス・サハリンも中部アジアへ着任した際に、施行されたガルマ・ザビの防衛策と建築したこのクカット要塞に敬服しているほどだ。

 

 連邦軍にもガルマとメルティエの影響力は傷跡として残り、遭遇した部隊やその生き残りは「撃っても倒れない蒼い獣、それを使役する死神」だと身を震わせて告げる。

 蒼い塗装が見えただけでも恐れる者が居るし、逆に一部分が蒼いだけなら「奴じゃない」と果敢に攻める者も居る。

 この実情は教材にも使われ、理知的な戦術だけでは戦場は回らないのだと訓示する生きた実例として若手育成の場で紹介されている。

 

 こうした両軍に与える有形無形の効果は、二雄が北米方面軍司令、遊撃部隊に分かれた今現在も敵味方問わず共に高い。

 

「ローデン大佐に? イクス中佐の間違いであろう。

 しかし、月のグラナダから地球へと、態々信を置く部下に送らせるとはな。

 ……ふん、キシリア閣下の懐刀はマ・クベ大佐と聞いていたのだが。

 果たして、誰がそうなのか判らないものだ」

 

 ギニアスはそう漏らした。

 これが優秀な配下を揃えた人間への嫉妬なのか、それとも女は気が多いと誹ったのか、もしくはその両方を内包しているのか。

 

 間違いないのは彼が不機嫌である、という事か。

 

「ギニアス様、僭越ながら申しますと。あまりその物言いは感心しません。

 シンパが居るとは思えませんが、少なくとも少将麾下の部隊が駐留する間は、言動に注意を」

 

 恐れず述べたノリスをギニアスは鋭く睨む。

 

「分かっている。ノリスの前だから言っただけだ、他では言わん。

 本国にアプサラスをお認め頂けたのだ、今更計画の妨げになるような事はなさらぬ筈だ。

 作業はこのまま続ける。すまんが、ノリスは彼らの動向を視ていてくれ。

 下手に刺激はしたくないが、何を運び込んだのかは気になるのだ。

 ……アイナの様子も見てくれると、助かる」

 

 苛立ちを自覚したギニアスは感情に熱が籠るのを実感した。

 だが、顰蹙を買うと知りつつ敢えて言うこの壮年の副官を信用しているし、信頼もしている。

 長い付き合いの人間に少し甘えただけで、実務もそうならば、また家族の問題で彼に頼る事を申し訳なく思いつつ、他に頼る人間が居ない青年将官は心中で頭を下げるしかなかった。

 

 妹のアイナは、戦闘時のストレスで塞ぎ込んでいる。

 致し方ないのだと、今にしてみれば思う。

 

 アレは元来優しい性質だ。

 自らが乗る兵器の性能が、どれほどの人命を奪ったか。

 それを風聞で知ったのならまだしも、しっかと目にすれば相当なショックを覚える筈だ。

 片田舎の娘であれば、それも許せる。身を置く場所が全く違う世界なのだから。

 だが、政界に必ずある政争に、サハリンの名前を持つ故に今後こういう事に関わるのは明白だ。

 自身の成したことに、どれだけの人間が巻き込まれ、人生が変化していくか。

 荒療治ではあるが、これは妹に必要なのだと、兄は思い込むしかなかった。

 

 自分も、兄妹でサハリン家を再興させる事で視野狭窄になっていた。

 アプサラス計画も、もう少しで次の段階に推移する。

 ギニアスは、アイナと話し合う時間を設けようとも考えた。

 

「いえ。お分かり頂けたのでしたら、小官からは何も申す事はありません。

 ――――小事はお任せください、ギニアス様。アイナ様の事も気を配っておきます。

 今はご自身のやるべき事を成就なさってください。

 では」

 

 厳しい顔の中で、目に優しさを残す軍人が去るとその空間をしばらく見つめ、背後の建造物を視界一杯に入れた。

 

 工事現場さながらの物々しい騒音は止まず、幾つもあるケーブルが各接続部から伸びるのは、彼の”夢”だ。

 

「せめて、最後の肉親を喪おうとも、サハリンの家だけは妹に遺したい」

 

 この夢が成された時には、ジオン公国の中でもサハリン家はそれなりの立場と発言権が許されるようになる。軍閥は作れないだろうが、名家として存続はできるのだ。

 後援者であるデキン公王と、秘密裏に通じたギレン総帥からもお墨付きを得ている。

 キシリア少将の部隊がネメア以外にも駐留するとなれば、地球攻撃軍は突撃機動軍の下部組織なので、派閥が異なるギレン総帥との連絡は一時中断するしかあるまい。

 

「――――うぐ、ごふっ」

 

 全身を苛む寒さと、胸の中を這い回る塊に、彼は口元を手で覆う。

 

 強く咳き込んだ彼の掌には、血がべたりと付着していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 思わぬ再会というものは、攻撃意識の無い不意打ち的な事をいうのだろう。

 事実として、同じ軍閥に在るキマイラの襲来はネメアの面々にとって好意的なものではない。

 連絡の一つも寄越さず、自分達の都合で参上されても困るのだ。

 

 軍隊というものはとかく、消費者である。

 軍事行動は当然の事ながら、移動だけでも相当な物資を消費する。

 聞けば月面基地グラナダより出航し、航行ルート上を哨戒する連邦軍部隊を撃破しつつ、最低限の補給のみ済ませて大気圏突入に臨んだというではないか。

 

 つまりは、ネメアと合流したら受領したものと引き換えに補給物資を頂くわけだ。

 無論、合流先の部隊から次の任務に必要な物資を分けてもらう行為はおかしくはない。

 彼らネメアも中東アジア方面軍からそれを受けているし、どの軍でも規模は違うが同じ事は何処もしている。

 

 問題は無断で地域を跨ぎ、金食い虫の軍艦で突入して来た挙句、その二隻の内の一隻を譲渡し、どちらも物資が空に等しいものを補給してくれと催促する面の皮の厚さである。

 

「ジョニー・ライデン少佐。私は他にやりようは幾らでも有ったと思うのだ。

 だがまずは、其方からの言い分を聞こう」

 

 顔色が悪いジョニー・ライデンは居心地も悪かった。

 罪状を聞こうとでも言わんばかりにテーブルに肘を突き、低い声で尋ねる初老の軍人を見る。

 伊達男の前に居る人こそ、完全に仕事モードに入ったダグラス・ローデン大佐である。

 

 金属の冷たさを覗かせる眼光に、しゃべる以外はぴくりとも動かない表情筋が言い知れぬ凄みを感じさせ、普段のダグラスを知る人ほど、その怖さが分かるだろう。

 

 現に真紅の稲妻を一目見ようと彼らが居る食堂に訪れたミーハーな連中は、しんと静まった室内の中心で尋問室の雰囲気を作るに至った人物と、お目当ての英雄が対面する現場に出くわした。

 そして、野次馬する勇気すら湧かなかったのか、即座に退散した。

 

「我々はキシリア少将より指示を受けまして、それに沿った行動をしたまでの事。

 指示書の内容を確認した我々は事を迅速に進めねばならなかったのです。

 確かに連絡を済ませずに来訪した件は我々に非が有りますが、物資不足でこの動きを止めるわけには参りません。

 指示書にある幾つかの指示には、少将が進めていた軍事物資の譲渡に在ります。

 受けてもらわなくては、我々はこの地を離れる事が出来ず、少将の命に背く事になります」

 

 発奮したジョニーの言い分に「ほぉ」とダグラスは目を細める。

 

「本拠地に近い宇宙とは違い、地球降下部隊は常に物資不足に悩まされている。

 ()()の将兵ならば、知らなかったで通じる事もあるだろう。

 だが、部隊指揮官の少佐が、()()真紅の稲妻が赴く地の情勢も知らず出て来たとは信じ難い。

 もしや、地上で困窮に苦しむ同胞に、関心を示さなかったという事かな。

 少将の御命令さえ有れば、地上部隊もすぐに物資を都合できると。

 ジョニー・ライデン少佐は思っているわけか」

 

 ジョニーは「あ、やべぇ地雷踏んだ」と胸中で呟いた。

 勢い込んで言った端々に「任務の事しか頭になく、他は気にしていない」と取れる言葉がある。

 更には、脅しも含んでいる事に気付いたのだ。

 

 キシリア・ザビに近い人間とされる少佐は、例に漏れず腕一本でこの地位まで来た人間である。

 実戦や部隊戦術ならば名うての軍人だが、事弁舌を用いるこの戦場は管轄外だ。

 対面に座る人物は実戦指揮官の経験豊富で、尚且つ弁舌や交渉術にも長けている。

 そもそもが勝負にならず、早めに「考え不足でした、ごめんなさい」すれば、ダグラスから口撃される事もなかったとも思い至った。

 

 今や苛立ちを隠さなくなった上官に、ジョニーは突破する糸口を掴み切れない。

 赴く際にイングリットやユーマが「ぽかするなよー」と言っていた事が、まさか事実そうなるとは。

 笑いながら「今日中に話を付けてくる。子供は大人しく待ってろ」と切り返した三時間前の自分を止めたい。

 今なら、投げ飛ばされてきたヘルメットや靴にダメージを負う事無く回避できそうな心地だ。

 無駄に派手な動きをせずに、腰を屈めれば回避できるだろうから。

 

 ダグラスから「抗弁はなしかね」と催促されたが、何を言っても良くならないだろう。

 嫌な汗が出始めた時に、歳が近い上官が現れた。

 

「遅れて申し訳ない。

 久方ぶりだな、ライデン少佐。何やらキシリア閣下から贈り物があるとか?」

 

 現れた青年に、ジョニーは助かったと思った。

 

「本当に久しぶりだ、イクス中佐。

 できれば、再会ついでに大佐を説得してもらえないだろうか」

 

「ん?」

 

 ダグラスの隣に座るメルティエに願い出たが、ジョニーは勘違いしていた節がある。

 

「説得も何も、指令書を盾に物資を強請ろうとしてるのは誰が見ても明白だろうに。

 間借りしている当部隊にはそのような余裕もない。贈り物は受けるが物資はこの地の駐屯部隊に都合してもらうのが正道だろう。

 としか言えんよ、幾らなんでも」

 

 彼はネメアのモビルスーツ部隊長であり、次席責任者である。

 これがガルマ・ザビであれば、友人の為にメルティエは各基地へ働き掛けるだろう。

 蒼い獅子と真紅の稲妻の間柄は、メディアが勝手に戦友の関係と謳っているが実際はただの知人である。情け容赦ないのが普通であり、正常であった。

 

 がっくりと顔と肩を落とすジョニー。

 

「まぁ、司令代行を執っておられるパッカード大佐へは願い出てみる。

 だが近日中には無理だぞ、こっちもカリマンタン攻略からそう日が経っていないのだからな。

 早急に動きたくとも、物事には順序が有る」

 

 がばっと顔を上げたジョニーは、メルティエの手を掴んだ。

 

「本当か! やはり、持つべきものは理解者だな、恩に着る!

 情報を入手する名目で滞在するが、それは許可してくれるんだろ?」

 

「あ、ああ? この基地には空き部屋もあるし、其処を共有スペースにすればいい。

 寝泊まりは軍艦の方がいいかも知れんな。重力下に慣れない間は疲労感に苛まれるし、住み慣れた場所の方が良い事もある。

 先にそちらの部隊員に伝えてくれないか? 自分の立ち位置が不明のままだと不安がるからな」

 

 連絡事項を幾つか伝え、足早に去る少佐を彼らは見送る。

 

 中佐は収まりが悪い後ろ髪を撫でながら、漸く平常運転に表情を戻した大佐を見た。

 

「ローデン大佐。確か、ライデン少佐が来た場合はこうする手筈だったのでは?」

 

 メルティエは自身が発案した事項に触れず、ジョニーを責め立てていたダグラスに目を向ける。

 

「なに、噂の稲妻は弁も立つのかと思ってな。つい、試しただけよ。

 これを経験に、角が立つ言い方をせぬようにしてくれれば幸いである」

 

 莞爾と笑う老練な男は、こうも続けた。

 

「それに、圧迫された後に助け舟を出されると、良い印象を与えると言うではないか。

 私は自分の繋がりを持っているが、中佐は確かに有力者と繋がりがあるかもしれない。

 だがそれも、狭いものしかないだろう。

 人脈は常に作りたまえ。良いも悪いも関わらず、だ。

 いつどこで役立つか分からん縁も、思わぬ時に重宝するものさ」

 

 彼は「だから。私が損な役回りをする間に、人との縁を作りなさい」と、若者の背を叩いた。

 

 そっと席を立ち、出入り口に歩を進めながら。

 

「私も誑し込まれたようだ。全く、油断も隙もないな」

 

 出来が悪い息子を想うように、ダグラスはふっと笑う。

 

 その背を、メルティエは見る事ができなかった。

 他者より向けられた厚意が有り難くて、頭を下げていたからだ。

 僅かに身を震わせた彼は、今の顔を見られたくなかったのかもしれなかった。

 

 何時までも動かない足元に、透明な滴が、音を立てて散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




区切ってこれまでの登場人物をちらほら出す予定でござる。

キャリフォルニア・ベース組は出るね、間違いなく。
現在いる人物は……結構居るね。

中東アジア組もそうだが、中々にカオス。

当作品は「この混沌具合、嫌いじゃないわ!」な読者様のおかげで成り立っております。
この場を借りて感謝(拝み倒しつつ、退路方向を模索する作者)

ところで、主人公が刺されなくて残念に思って居る人。
本当に、残念だったね(にこぉ)。

ジョニーが政治もやり手だとは思えなかったので(ジョニー・ライデンの帰還から察するに)、直情径行の人になりつつある。恐らくはジオン軍の前線で活躍する佐官って誰も彼もがこんな感じなのではないかと思うんだ。

戦争も政争もできる完璧超人は、劇中で居ただろうか。
シーマさんが舵取り上手い印象はあるな、他はどうだろうか。

しばらく物語の進みが遅くなりますが、ご勘弁を。

さて、次は主人公以外のところにカメラ回さなくては。
やはり、ガルマ辺りが有力だろうか。うちのガルマ、読者に人気あると良いなぁ。
例え、イセリナとよろしくやってても「モゲロ」コール来るどころか「幸せに暮らせ」と励まされるかも、しれない。

では、次話もよろしくお願いしますノシ

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