キャリフォルニア・ベース地下設備群の一つ、モビルスーツ工廠。
生産工程が満了し次々とモビルスーツが所定のハンガーに作業アームで固定される中、一つの目的の下に編成された部隊へと与えられる機体が、其処には在った。
MS-06P、ザクII狙撃型。
長距離支援用モビルスーツとして開発された本機は、突撃機動軍特務遊撃大隊ネメアに所属するエース、ハンス・ロックフィールド少尉のMS-05L、ザクI・スナイパーカスタムの実戦データ並びに運用データを骨子に設計、開発が進められ、遂に完成した”狙撃用モビルスーツ”の一つ。
通常のタイプとは違い、地形や気温情報収集性能の向上と共にセンサー有効範囲の拡大を高める為に頭部のモノアイを複合式に変更。これによりセンサー範囲内に限定されるが、コックピットのモニターはリアルタイムで戦闘区域の気象情報を取得できる。
また装甲面はJ型より劣るものの、軽量化と追従性が計られ機動性を確保。
この効果は開発陣の意図するものより大きく、十七メートルを超える巨人が微動、コンマのズレに反応し動く機構を作り上げた。
バックパックは専用のレーダー装置、光学レーザー通信機器を装備している。
条件が合致すればミノフスキー粒子下ですら明瞭な通信、情報リンクを可能とし部隊の目、耳となる機能を付随され、荒廃地等の戦闘支援車両や歩兵部隊では踏破できない場所での情報収集役を期待されている。
専用武装として主力戦車の大砲、マゼラ・トップ砲を改良した一七五ミリ狙撃用ライフル。
環境に左右されるが、同基地の兵器試験実験場の試射では威力による衝撃、弾道から約二十キロが射程距離とされている。
また、MS-06シリーズとは武装共有化が成されている為、各パイロット特性に合わせて搭載火器の変更を可能とし、狙撃用と謳っているが選択する武装によって如何様にも変えられる。
こうして開発陣がキャリフォルニア・ベースの最高責任者、北米方面軍司令ガルマ・ザビ准将の依頼に応え誕生したモビルスーツが本機である。
ザクII狙撃型は彼の直属部隊に配備、運用予定とされ前線を援護する支援戦闘部隊の編成を急いでいた。
そのモビルスーツを通路から見下ろす一人の男。
額の真ん中で分けた黒い長髪を首元で束ね、神経質な細い黒眼、細面の顔は生まれたばかりの真っ新なモビルスーツに向けられている。
襟元の階級章から男が中尉であることが分かる。地上に居る大半の将校がそうするように、人気があるが儀礼的な意味合いが強い刺繍入りマントはその背には無く、上から注ぐ照明で深緑を基調とした軍服が映えていた。
「ここに居たのか」
男は背後から掛けられた声に振り返り、静かに敬礼した。
「これはガルマ閣下。ロールアウトしたモビルスーツの下見ですか?」
男の外見に合う、低く掠れた声が空気に漏れる。
視線は基地唯一の将官であり、上官である若者に向けられた。
僅かな明度の中で光沢を持つ紫色の髪を後ろで束ね、端正な甘いマスクは微笑みかければ大半の女子を魅了するだろう。
穏やかな声も耳に気持ち良く残り、耳障りだと思う人間は居ないと断言できるものだ。
この基地で最高の戦績を有し、今も保持する歴戦の勇士が目前の彼だ。
ジオン公国に属する者、地球降下作戦参加者では彼を知らぬ者なぞ存在しない。
ジオンの大器、北米方面軍司令ガルマ・ザビ准将その人である。
「うむ。どうだろう、MS-06Pは?」
気に入ってくれたかな、と尋ねる上官に男は口を開く。
「カタログを拝見しました。データ上では最高です。試用運転が楽しみで仕方ありません」
ニコリともせず言う部下に、ガルマは小さく頷いた。
「これは私の友が贈ってくれたデータを基に建造されたモビルスーツ、その一つだ。
多機能化され操縦が複雑だと開発スタッフから聞いている。
だが、中尉の腕ならば安心して任せられると信じている。
編成する部隊の長は君だ。所属パイロット、支援人員の招集は一任するよ。
私の期待に応えてくれると嬉しい、ジャコビアス・ノード中尉」
細面の男――――ジャコビアスは軍靴を鳴らし、再度敬礼する。
「お任せを、ガルマ・ザビ閣下。
キャリフォルニア・ベース直属支援戦闘MS特務小隊長の任、全力を以て当たります」
後に「キマイラのジャコビアス、ネメアのハンス」と狙撃モビルスーツ乗りから語られる男、ジャコビアス・ノードはここ北米大陸で専用モビルスーツを前に胸を高鳴らせていた。
ポーカーフェイスで名が知れていた彼の内情を知る者は、少ない。
その中に、特異な二人の友人を持ち、人を見る目に定評があるガルマ・ザビは当然入っていた。
◇
ネメアから譲渡されたギャロップ級陸戦艇、その航行ブリッジにラル隊の面々は在った。
思わぬ所から移動拠点を手に入れたランバ・ラル大尉は、上官であるドズル・ザビ中将から頼まれた任務遂行の為に北米大陸、キャリフォルニア・ベースへ針路を向けている。
彼がドズル中将から直々に頼まれたものは三つある。
一つ目は、ギニアス・サハリン少将のカリマンタン攻略作戦への参加だ。
同作戦の目的は、戦果を挙げて宇宙攻撃軍の武威を敵味方に示す事ではない。
現在の連邦軍が前線にモビルスーツ、またはそれにとって代わる兵器を運用しているかをラルの視点から見定める事にある。
これはシンタン基地で鹵獲された連邦軍モビルスーツがある。
ドズル中将にこの件を報告し、ギニアス少将か彼が属する地球方面軍を指揮するキシリア少将と交渉してもらうしかない。これ以上はラルには踏み込めない領域だ。
戦術的問題ならば如何様にでも打破する気概を持つが、前線指揮官のラルは性格的にも政治は向かないし、その気も無い。
二つ目は、突撃機動軍直属特務遊撃大隊ネメアの戦力調査だ。
同部隊所属機、モビルスーツは各企業の最新鋭機を多数配備され、これを乗りこなすエースや準エースが多く所属する厚いパイロット層が他に比べ高い戦力を維持している。
専門エンジニア、メカニックを揃え支援体制も万全の稀有な部隊は現地改修機、専用兵装も多く見られ戦力が充実した部隊であった。
特に保有する優れた火器類には目を見張った。
メガ粒子砲を搭載するモビルスーツが五機存在し、その搭乗者はラルからしても良いパイロットだと思わせる人間ばかり。威力も戦場跡から確認でき、マシンガンやバズーカ等の実体弾とは違う貫通性は十分に脅威足り得た。
ただし、専用のメンテナンスや環境下で左右される兵器だと聞いている。
小隊規模のモビルスーツ部隊が持つには中々に難しい代物だと言えた。
多種多様な状況が発生する地上と違い、宇宙は一定の環境しかなくモビルスーツを運用する艦体そのものがメガ粒子砲を搭載する分、その性能を十二分に発揮できるだろう。
三つ目はザビ家の末子、ガルマ・ザビ准将への力添えだ。
彼が指揮を執る北米大陸キャリフォルニア・ベースは、地球連邦軍総司令部ジャブローが存在する南米の直上にあり、奪還作戦がいつ決行されてもおかしくはない位置にあった。
弟を溺愛するドズル中将が百戦錬磨のラルを送る事に、然程疑念は無い。
ドズル中将は策謀渦巻くザビ家の中で武人肌と異例であり、情に厚い御仁である。
属する組織こそ違えたものの、地球で戦い続ける弟の一助を行うに不思議はなかったのだ。
(最初通達を受けた時は、難儀な任務が下ったものだと思ったが)
ラルは前を見据えたまま、意識を別の事に割いていた。
(まさか、親のわしが息子の部隊を調査するとはな。
ドズル中将もお人が悪い……いや、息子の顔を見させてもらったと取るべきか。
髪の色も変わり、勇壮な面構えにはなってはいたが子は子だ。
わしにとっては十年前と何も変わらん)
亡き友人、フォッカー・イクスの遺児は彼の願い通りに強い人間に育っている。
しかし、今も時折横切るものがあるのだ。
あの子を、泣き虫坊主だった少年を軍人に仕立て上げて良かったのか、と。
ジオン公国は現在、地球連邦政府から独立を勝ち取るための戦争を続けている。
緒戦から戦い続けた息子は、気付けばジオン軍のエースパイロットに成長していた。
ラルの青から蒼を継いだ子、メルティエはひょっとすると最高戦力を有する部隊の長だ。
(フォッカー。わしは、間違った選択してしまったのではないかと、今でも思っている。
先に逝ったお前は、向こうでわしを責めてはおらんか)
瞼を閉じれば今際に頼まれた言葉が、男同士の約束を思い出せる。
――――私達の子を、強くしてやってくれ。
どう、とは言わず。
それだけを遺して力抜けていく友に、軍人の道しか知らぬラルは応えた。
(――――強さとは、何ぞや)
応え続けたその結果、息子は死に瀕する場面に何度も身を晒している。
敵と銃を向け合う軍人だ。
死ぬのも仕事の内だ、とも言う。
死なす為に強くしたわけではない。
だが、軍に身を置く以上はいつどこで簡単に死ぬか分からない。
(お前の言葉は難しいぞ、フォッカー)
ラルは胸中、故人に文句を言った。
「あなた、どうしました?」
司令席に座るラルは声に反応して顔を向けた。
肘掛けに置いたラルの大きく無骨な手。
その上にクラウレ・ハモンが自らの繊細な指先を添えていた。
「ん。特にどうという事はない。……いや、息子の事を考えていた」
「あの子の事を、ですか?」
首を傾げる内縁の妻。
ハモンと悩みを共有しようとして、ラルはその思惑に制止を掛けた。
あれは、男と男の友情であった。
であれば、愛する女にも伝える事は能わぬ。
「そう、あれのな。――――嫁は誰になるのか、とな」
「……確かに悩ましいものですね」
口元に指を当てながら、彼女は思案する。
ラルはといえば、何気なく言ってみただけだ。
軌道上で一悶着あったフェルデナンド・ヘイリン大佐との事が尾を引いているのか。
それとも戦争終わったら挙式だろうな、と思わせる息子の周りがいけなかったのか。
彼はきっと両方に違いないと思った。
「まぁ、当人同士が悩むべき――――」
「ジーベル家のアンリちゃんがリードしている感じかしら」
声が流れた方へ「うん?」とラルは尋ねた。
息子の幼馴染の名に、思わず聞き返したのだ。
「エスメラルダさんは、踏み込む機会を狙っているように見えますね。
元気の良いメイちゃん? だったかしら、あの子は兄妹の関係がまだ続きそう。
滞在中に基地へ乗り込んできたキキちゃんは、何かの拍子にくっ付きそうだし。
薄幸そうなオペレーターの子は、メルティエが踏み込めば受け入れそうでしたね。
ガラハウ少佐はメイちゃんと逆の姉弟の関係になってそうですね、面倒見が良さそうでした。
他には――――」
「は、ハモン? そんなに女子が居たか?」
「ええ、居ましたよ。候補者みたいな子達が」
「あの愚息は、何をしているのだ」
思わず呟き、顔の上に掌を被せる。
ハモンはその言動に頷いて、
「そうですね。男の甲斐性を見せるべきです、あなたもそう思いませんか?」
ラルの嘆息を別の意味で捉えていた。
「いや、ハモン」
困惑した彼は「お前が何を言っているのか、理解できない」と口の中で呟く。
外に出さなかったのは「男の甲斐性」辺りから女の視線がきつくなったからだ。
二人の養子、蒼い獅子メルティエ・イクスの交流関係は男女問わず広い。
キシリア・ザビ少将を始めとした突撃機動軍に属する者、パイロット達とは特に親しく異名持ちのエースとも友誼を結んでいると聞く。
直属の上司、キシリア少将からは最新鋭機を送られただけに留まらずパーソナルマークの図案化を自ら手掛けられる等、彼の烏帽子親が如く密接だ。
特務遊撃大隊ネメアの前身、第168特務攻撃中隊の隊員も彼女が各部隊から選抜したとされている。
パイロットで述べれば、真紅の稲妻ジョニー・ライデン少佐の名が上がる。
彼はメルティエが第一次地球降下作戦に臨む際に励ました、と情報誌に掲載されていた。
地球降下作戦を察知した連邦軍艦隊に大打撃を与える活躍も、戦友を無事任地へ送り届ける為に決死の覚悟で戦場を駆けた、と一面記事に載っている。
同じパイロットで言えば、赤い彗星シャア・アズナブル中佐も除く事はできまい。
演習訓練で互角に戦い、メルティエの実力を喧伝するに利用されたとシャアのファンは声高に叫んではいるが、この二人以外であの域まで戦闘を継続、魅せる動きを行えるかと問われれば、どのエース級パイロットでも難しいだろう。
戦闘最後に乗機の頭部を破壊された事で実戦データ収集に難が生じ、メルティエからデータを譲り受けて以来交友関係が結ばれたとされている。
情報源は互いのファン階層からだが、シャアとメルティエのファンが衝突した出来事は無い。
仲間意識のようなものが形成されたのかもしれない。
また、それら以上にガルマ・ザビ准将は無視できない存在だ。
地球降下作戦以降。中部、中東アジア、ヨーロッパ方面の制圧指揮で築かれた親交は、固い。
蒼いモビルスーツ、褐色のモビルスーツは同地域の連邦軍守備隊から死神として語られる存在になり、轡を並べたジオン軍将兵からは熱狂的な支持を受けている。
キャリフォルニア・ベース司令官に就任する際、直衛部隊にメルティエの名を挙げる等してその上司キシリア少将と確執を作り、関係者を大いに困惑させた出来事は余りにも有名だ。
一時的に専属部隊に持って来たが後にキシリア少将から特務遊撃大隊ネメアの編成、その部隊長に指名され、メルティエ自身が知らぬ間に配属が突撃機動軍、地球方面軍と行き来している。
中東アジアに派遣された今でも、仲は変わらず、ガルマはキャリフォルニア・ベースで建造された新型機を送り、メルティエは収集した情報、実戦データをキシリアの居るグラナダへ送った後にガルマへ渡している。
二人の蜜月関係に割って入れた人間は今も居らず、ガルマ・ザビがジオン公国内で勢力を作る際、招集される第一の人物としてメルティエ・イクスの名は各メディアから注目され続けている。
次に女性関係だが、これは初期から行動を共にする二人がすぐ出るだろう。
アンリエッタ・ジーベル大尉、エスメラルダ・カークス大尉は開戦時からの退かぬ仲だ。
それ以前から親密な関係があったのは確かで、メルティエが己の意見を曲げる、留まる際は必ず二人の姿があるとまで言われていた。
単独突出傾向にある蒼い獅子が部隊間の連携を大事にするのは彼女らのおかげ、とまで陰で囁かれている。
ネメアの部隊規模、階級からすれば三人とも別々に分けられ部下を持ってもおかしくはない筈だが、任務上別行動をする事はあってもメルティエ直属は変わらない。
メルティエを嫌う連中からは「気に入った女を囲う男」と叩かれてはいるが、逆に言うと其処しか叩くべきところがない。戦績、軍功、階級が髙過ぎる為、下手な事を言えば様々な罰則の下処罰されるのが目に見えているからだ。
彼を相手にするときは上役の二人から睨まれる可能性があり、反感はあるが尻込みして同じ舞台に立てない輩が多いのが実情であった。
アンリエッタの生家、ジーベル家がメルティエを気に入っている為、下手を打てば政界で干される事も忘れてはならない。
アンリエッタ自身の立ち振る舞いは、男に寄り添う女のそれだ。
献身的に支え、大抵は傍に居るアンリエッタはメルティエの内心を聞くに近しい位置に居る。
彼女がやんわりと窘め、励ます姿は恋人同士のものより夫婦を連想させた。
ちょうど、ラルとハモンのような関係が見れたのだ。
その事に気付いたラルは苦笑い。
「女の趣味も似たのか」と息子に問い掛けたくなった。
エスメラルダの静かに問題点を指摘する姿勢を二人は気に入っていた。
不必要に騒ぎ立てず、しかし修正を要する場合は口と、時には手を使ってでも止める姿は見ていて頼もしかった。
時折情が混ざる視線に、ハモンは鋭敏に反応していた。
待ち望んだものが得られない、飢えたものに似た瞳。
放って置いても関係を持つと踏んだ。
「静の質だと思ったら、動の人間だった」と彼女は語る。
次にネメアのエンジニア、メイ・カーウィン整備主任が挙がる。
メイの手掛けるモビルスーツはメルティエ専用機が多い。
特に彼女が現地改修したメルティエの専用モビルスーツ、グフM型は所属するジオニック社、資料機体として譲渡されたツィマッド社から高い評価を得ている。
ジオニック社は推進器、その配備列と制御プロトコルは多数のバーニアを状況対応で順次噴射、断続噴射させるに画期的な形式と褒め称えている。
ツィマッド社は機体強度の補強、限定的なフレーム交換で構造疲労が集中しない様分散させる事で類稀な急加速、急旋回に耐えうる性能に舌を巻いた。
現在は両社の同意の下、研究資料として互いにデータを提供し合い解析、次のモビルスーツ開発に活かされている。
その機体が、男を慮って十四の少女が再設計、完成させた機体である事は秘匿事項だ。
今は歳が離れた兄を追い駆ける妹、の関係ではある。
ただ、カーウィン家からザビ家との仲改善・修復を狙う親族から、キシリアやガルマと近しい男、メルティエとの婚姻を何時薦められるかは分からない。
東南アジアにある集落の少女、キキ・ロジータとの関係は親しい友人の域、だろうか。
会う為に軍事基地へ訪れる行為は褒められた事ではないが、話を聞けばメルティエが全面的に悪いと断じ、ラルとハモンは彼女の味方に付いた事がある。
少し前まで頻繁に連絡を取り合っていたが、急に音信不通になったと聞いている。
ジオン軍が陸路拡張政策を採りMS-06V、ザクタンクによる整地作業者の一般第一募集に参加、会える機会を待っていたと言うではないか。
そんな健気な子を放って置いた男は、ラルとハモンの説教という口撃で撃沈している。
慌てたキキが取り成してくれなかったら、二十歳を超えた男が体育座りで塞ぎ込む姿が晒されていたところだった。
凹んだ男を慰める少女の構図に、ハモンが満足そうに微笑んでいたのが印象的だった。
ネメアに所属する通信士、ユウキ・ナカサト伍長は判別するに難しい女性だった。
陰りがある表情で観察する眼差しは、メルティエに興味を抱いているのか。
メルティエ・イクスという男、蒼い獅子というパイロットのどちらか。
それともその全てにか。
ハモンでさえ彼女の着眼点が見えなかった。
ラルが見ていれば、判断できたのかもしれない。
彼女の目は、戦場から生還した時に酒場で迎えてくれる女が見せる瞳に似ていたからだ。
途中からネメアに合流したシーマ・ガラハウ少佐は良き姉のように思えた。
荒くれ者を配下に従えた彼女は自身が優れたパイロットであると同時に指揮官だ。
部下を率い、部隊運用に追われるメルティエと同じ視点で語れる理解者の一人であり、シーマも引き摺る過去があるのか、ふと酷く疲れた表情を露わにする。
メルティエも少年期に友人、キャスバル・レム・ダイクンを失った過去から解放されていない。
似たような傷を抱える者同士のシンパシーとでもいうのか、ネメアの流儀なのかは解せなかったが二人は歯に衣着せず言い合う事もある。
「ん、んむ。ハモンの言いたい事も分かった。
しかしだな、あれの周りに居る女はお前が思っているほど物分りが良いかわからんぞ。
考えても見ろ。ジーベル家にカーウィン家、地球の少女に、軍籍持ちと。
抱え込めば不利な点が色々と浮き彫りになるだろう?」
ラルの言を聞いて艦長席に座る副官のクランプが、真面目な顔で頷いていた。
彼は小さい頃からメルティエ少年を知っている。
その少年が成長し、パイロットになってからも陰ながら応援した男だ。
メルティエが不幸の路に進むなら、彼は体を張って止めるだろう。
「ええ、ですから先ほどから申しているではありませんか」
ハモンは綺麗な、しかし薄い笑みを浮かべて二人の男を見た。
「女を幸せにしてこそ、男の甲斐性。そうは思いませんか?」
◇
「うっ!? 何だ、急に冷え込んだな」
ぶるり、と震えた体に声を出しつつ、メルティエ・イクス中佐は操縦桿を握り締めた。
搭乗するMS-09、ドムのコックピットの中は適温に保たれていたし、彼は専用の蒼いノーマルスーツで身を固めていた。
冷気に晒されておるわけではないのに、寒気を感じたのだ。
地球に降下して以来、あちこち負傷はしたものの風邪等の病気を患いはしなかった。だが、知らぬ間に疲労が蓄積しているのかもしれない。
今日は帰投後すぐに休もう、メルティエは今後のスケジュールを修正、組立始めた。
「ユウキ伍長、聞こえるか? こちらメルティエ。敵戦力の索敵を頼む」
彼の蒼いモビルスーツは重厚な足で大地を踏み締め、熱核ホバーエンジンの空冷に入る。
夜の帳が晴れないこの森林地帯は、雲が月を隠している為に黒一色に塗り潰されていた。
熱された装甲板が夜風に当たり、その温度差から空気が歪む。
日中であれば、ドムの機体を包む蜃気楼が見れただろう。
その光景を見るものは、この場には居ない。
駆動音を途切らせた蒼い機体の周りには連邦軍の戦車部隊の名残が見られた。
砲塔部から真下まで溶融された穴が通り、操縦部が完全に消失している。
それが八つ。
破壊されたジオン公国軍輸送機、ファットアンクルの残骸を盾に展開していた敵の躯だ。
友軍輸送機が消息を絶った位置、そのポイント付近を移動していたメルティエに連絡が入り現地に急行。センサーに捉えた映像、炎を上げるファットアンクルの状況から突撃を選択した。
彼はドムの機動性で戦車の狙いを翻弄、ビームバズーカを搭載したバックパックを利用して急激な旋回を行いつつ、ヒートサーベルを次々と突き立てていったのだ。
機械的な作業速度で同胞の仇を討ち、現在は生存者捜索を続けている最中であった。
『こちらユウキ。中佐、そのポイントで存在する反応は中佐のドムだけです。
他に反応は無く、人間大の足音となると判別が難しい為、索敵に協力できません』
現在のポイントより離れた場所、
雑音が混じり、判別し難い声はモビルスーツに搭載された整音機能により、ノイズを幾分省かれたものとなってパイロットに伝わる。
つまり、微量ながらミノフスキー粒子散布下にメルティエ・イクスは居るのだ。
「生存者、少なくとも遺品を発見するまでは帰投できんな。
ユウキ、駐屯部隊に連絡を。捜索隊の派遣要請だ、俺は捜索隊が到着するまでこの場に残る」
陽が出るまで、気味が悪いがこの場に居る必要がある。
もし、生存者が居るならドムを目印に近づいてくるかもしれない。
『了解です。帰投したアンリエッタ大尉、エスメラルダ大尉がそちらに向かわれます。合流を。
捜索隊はビーダーシュタット隊が務めるそうです、ご安心ください』
ユウキの行動を見越した報告に、メルティエは表情を緩めた。
二人が来るなら、少し油断しても平気だ。
その上、ケン・ビーダーシュタット少尉率いるチームが来るならば護衛に不備はない。
万事上手く行くと思わせる、心強い仲間達だ。
「了解だ。現地の安全を確保しながら待機する」
メルティエはサイドボードに指を這わせ、低光量視野から赤外線視野にドムのモノアイを変更。
短い電子音の後にはモニター画面がサーモグラフィーに変わり、撃破されたファットアンクル内部から漏れ出る機関部の、戦車がヒートサーベルに貫かれた部分から発する熱以外に目を引くものはない。
「まるで、世界が眠ったみたいに静かだな」
パイロットシートに体を沈ませた時に、チャリ、と彼の胸元から響いた金属音。
ノーマルスーツの上から音の出所に手を置く。
其処に在るものを、彼はよく知っていた。
「キャスバル。俺はもう十分な人殺しらしい。殺したと理解しているのに、指がもう震えない。
手慣れてきた感じさえする。酷く、作業的にできるんだ。
あの”泣き虫兄さん”がだぞ? 笑っちまうだろ、アルテイシア」
”敵”を撃破した時に悲鳴に似た声を上げた人間はもう、居ない。
彼はモビルスーツを無駄なく移動させ、戦車にヒートサーベルを刺し込んだ。
時折聞こえる”声”にも慣れて来た。
それは言葉にならない、ただ叫ぶだけの声だった。
あれが良心の呵責による幻聴なのか、それとも死ぬ人間が現生に残す怨嗟の跡なのか。
今も彼は分からないままでいた。
「ん?」
メルティエは感傷に耽るのを止め、モニターを注視する。
メインコンソールにある集音マイクの感度を最大限に上げた。
「……何も聞こえない? さっきのは――――うっ!?」
ヘルメットに覆われた頭を抱える。
中の頭部にではなく脳内に。意識に刺さるものがあった。
――――けて。
”声”だ。
”声”が、聴こえる。
男なのか、女なのか。
子供なのか、大人なのか、老人なのか。
それは判別できないが、確かに”声”が聞こえる。
――――助けて。
何時もと違う”声”に、男は頭を左右に振り操縦桿を通してドムに指令を与える。
モノアイを鈍く輝かせたモビルスーツは、一時空冷が完了した熱核ホバーエンジンを起動。
自身が発する衝撃で木々を傾けさせながら、踏破する。
――――誰か、助けて。
男は”声”が聞こえる方へ急ぐ。
か細い声が、昔の記憶を掘り起し、迷子になった金髪の少女を連想させた。
共に探してへとへとになった金髪の少年と、笑い合う光景すら鮮明に思い出させた。
「ドム、お前の脚を痛める事になるが、勘弁してくれ!」
彼は重モビルスーツを浮上させる熱核ホバーエンジンを停止させ、地上に足が着くと同時に摺り足に近い動きで暗闇の奥へと進み続ける。
付近には山からのものか、岩石がありドムの足に細かく不細工な傷を付けた。
金属特有の金切音が、無様な歩きをさせられた愛機の抗議に聞こえる。
もしメルティエの脳に働きかける”声”が幻聴ではなく真実、声であるならば生存者が居る事を示すセンサーに他ならない。
ドムの熱核ホバーエンジンは約六十三トンもの重量を大地から浮上させる。
そして、蒼い獅子が搭乗する機体は試作ビームバズーカを搭載した超重量機。
現行のドムには起きる筈がない熱核ホバーエンジンの空冷は、この重量物の浮遊維持にエネルギーを必要とする事に起因する。
浮上、維持するに周囲に風圧をもたらす為、メルティエはドム特有の移動機能を停止させたのだ。
大の大人ですら、ドムが接近すれば体勢を乱されるのだ。
怪我人がその場に居れば、どうなるか。
出来れば、考えたくない類のものだ。
「”声”が弱くなった!? えぇい、待っていられるか!」
一際”声”が大きく聞こえた後に、弱くなった。
モビルスーツに立膝姿勢を取らせ、コックピット・ハッチが開放されるとサバイバル・パックを片手に、メルティエは夜闇の中へ飛び込む。
彼の姿を見る者が居たとすれば、奴は暗視でも持っているのか、と驚いたに違いない。
それほどまでにメルティエは寸分狂わずドムの腕、膝、脚の上を走り地上に降り立った。
「こいつか、俺を呼んだのは!?」
不時着ないし、撃破される前にファットアンクルから飛び出したのか。
メルティエは半壊した圧搾空気式リフト・ジェットを背に倒れる人間へと駆け寄る。
無意識の内に軍用拳銃を抜き、腰を低くして近づいた。
「おい、しっかりしろ、聴こえるか? おい!
――左腕、左脚が異常なほど熱い。骨折したのだな。発熱と発汗はそのせいか?
口から吐血のあとはなし、呼吸は少し早いが、正常か?」
メルティエに医療知識は然程ない。
精々が応急手当程度、簡易診断が出来るくらいだ。
「鎮痛剤……いや、身体が冷えると、この子が危ない。腕と脚に添え木、程度か。くそ!」
小柄な身体。正常な呼吸をしているのは上下する胸、口の動きで分かる。
彼は自身に悪態を吐きながらも、今できる処置を素早く行う。
不要のものとなったリフト・ジェット、そのベルト部をアーミーナイフで切り、折れた腕や足に負担を掛けないよう注意しながら外していく。
痛覚が刺激するのだろう、引き攣るような動きを断続的に見せる。ヘルメット、ノーマルスーツの中を汗で蒸らしながら今できる行動を速やかに終わらせていく。
サバイバル・パックから毛布を取り出し、体力を消耗していく体を包むと抱き上げた。
その軽さが、酷く不安を感じさせる。
「もう少し辛抱してくれ、必ず救ってみせる」
小さく語りかけながら、メルティエは自らの揺れる動きに腕を合わせ、振動を与えないように歩き始める。
黒い世界を進む蒼い人、その腕の中で痛みに苛まれる子。
その髪もまた、蒼かった。
閲覧ありがとうございます。
上代です。ご機嫌如何。
申し訳ない、改稿作業が遅々として進みません。
そちらも並行しながら執筆しています。結構な話数だけあって、大変です。ハイ。
遂に、遂にキマイラのジャコビアスさんが登場しました。
有名どころはフェンリル隊、イアン・グレーデン、合流予定のランバ・ラルと続きます。
ガルマ勢力、徐々に拡大中。
連邦軍はキャリフォルニア・ベース奪還できるのか!?
さて、今回はメルティエの身辺整理回とでも言うべきか。
40話近いストーリーだと、キャラも多いね。
まぁ、更に増えるんですがね(白目)。
次話で、救助された子が判明しますお。
読者の皆さんはすぐ想像がつくだろうと作者、信じてます!
では、次回もよろしくお願いしますノシ