ガンダム戦記 side:Zeon   作:上代

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第三十三話:枷は弱らせるものに非ず

 

 

 

 雄々しく繁る熱帯雨林。その上から日光が容赦なく地上を焼く。

 空調が効いたコクピットから覗く外界は、今日も外来者に厳しい対応のようだ。

 前面モニターに広がる密林、左側面モニターには激しく飛沫を叩きつける滝、右側面モニターはその滝から流れる河川を映す。

 ジオン公国突撃機動軍所属、特務遊撃大隊ネメアのモビルスーツ小隊長ケン・ビーダーシュタット少尉は、自らが搭乗するモビルスーツの足音が刻むリズムを聴きながら、左手で寄せたボード、その上の書面に記載された可動部の該当項目に「問題なし」とチェックをしていく。

 各モニターに現時点では特異なノイズも走らず良好だ。

 続いて機動テストに入り通常歩行、走行、跳躍し重心のブレを調整。

 メインモニターに表示された立体モデル、その横に流れる機体の状況報告に逐次目を通す。

 気になった箇所は一度機体を停止させ、手動で設定変更。モニター上の立体モデルに仮想動作をさせ、モーションに納得した上で設定を更新。

 大きなトラブルもなくチェック項目を潰していき、機動兵器として特に重要なテストへ移行。

 ランダムに機体を揺さぶった上でメインスラスター、サブスラスターの推進力、加速性を確認。今まで扱ったモビルスーツに比べて初動はずっしりと重い感じはするものの、運動性と機動力ではこちらの方が高く、日々進化する技術力に感嘆するばかりだ。

 ブレーキ、というか制動力には若干物足りなさを感じたが、それは致し方ない。

 このモビルスーツは運用試験中なのだから。

 機体とケン・ビーダーシュタットのコミュニケーションは今まさに実施中である。

 愛機となる巨人と対談し、機体の特性を教えてもらう。

 代わりに、ケンの操縦の癖を覚えてもらうのだ。

 そして、何よりも。

 この機体の本領発揮は、()()()()()()のだから。

 機動テストを確認後、設定された目標物がミニマップに表示。

 スラスターゲージを最大限まで上げた高速機動で移動すれば、密林の中で不自然に空いた場所に出る。

 其処には巨大な残骸を晒すビッグトレーがモニターに映り、目標物の表示も指していた。

 射程距離内を確認。照準を合わせ、ロックオン。

 サブモニター画面を緊張した面持ちで一瞥、操縦桿のグリップを押した。

 ――――キュィイン、ドゥ、ドゥ、ドウッ!

 発生した光源に無数の小さな光が収束し、放たれた三条の光線はビッグトレーの装甲板をいとも容易く溶解、貫通した。

 機関部にまでダメージが及んだのか内部から爆発が起きる。

 爆発時の衝撃でビリビリとコクピット内まで振動が入るが、ケンはその事よりも今さっき自身が発射した結果、その驚愕から戻ってきていなかった。

「……これは、すごいな」 

 数秒前と比べてエネルギーゲインに乱れが出るが安定域内に収まり、すぐに戻った。

 先ほどの光線こそ、メガ粒子砲。

 ミノフスキー物理学の提唱者、トレノフ・Y・ミノフスキーが発見したミノフスキー粒子がもたらしたものは、強力な電磁波妨害だけには留まらない。

 その一つとしてミノフスキー粒子に電磁波を流すことで生じる磁場、ビームを偏向する特性を持つIフィールドによって粒子を圧縮し、縮退・融合したメガ粒子が挙げられる。

 この変化の際に質量が運動エネルギーに変換、さらにIフィールドによって収束、打ち出すものがメガ粒子砲だ。

 現行の技術ではモビルスーツの核融合炉と直結する必要があるため専用機関を内蔵することが前提、その機関を搭載すれば重量が増すばかりか莫大なエネルギー消費や粒子の収束に威力が左右されるため地球環境下では更に取り扱いが難しい。

 しかし、メガ粒子砲はその名の通り戦艦等に搭載される火砲。

 威力はモビルスーツが携帯する、どの兵器よりも強力だ。

 現に連邦軍陸上艦艇、陸の化物と呼ばれたビッグトレーの装甲に穴を開け、内部まで至っている。

 地上ではメガ粒子の減退率が問題視されているが、十分に過ぎるとケンは慄いた。

 戦艦並の火力を、艦艇より小型で機動力に優れたモビルスーツが有する。

 その脅威は戦場に身を置くケンの背筋に、冷たいものを感じさせた。

「ロイド大尉、メイ。機体のテストはあらかたは終了だ」

 彼は思考を再起動させると、モニタリングしているであろう二人に声を掛けた。

 短い電子音の後に、メインモニター上に二つのウィンドウが開く。

『お疲れ様、ケン。こっちでもチェックしてたけど問題はなさそう』

 一つは見慣れた少女、メイ・カーウィン整備主任。

『お疲れ様です。テストの感じはどうですか?』

 眼鏡を掛けた長髪の男性、ロイド・コルト技術大尉はにこやかに訊ねた。

 ケンが搭乗する新しいモビルスーツ。

 水陸両用モビルスーツMSM-07、ズゴック。

 頭部に該当する部位が胴体と一体化した分、上半身はがっしりと下半身は細い印象を受ける。

 モビルスーツとは別の機動兵器をジオン軍に提供するMIP社が開発に成功した、唯一の水陸両用モビルスーツ。既存の水陸両用モビルスーツに比べても完成度が高い傑作機である。

 モノアイレールは全周ターレットとなり背部の視認性が向上している。出会ったばかりのため、今だ操作性に若干の戸惑いがあるが、後背を目視できるのは心強かった。

 背部には熱核ジェットと熱核ロケットを兼ねた推進器を装備。その機動力は陸上においてMS-06J、陸戦型ザクIIと同程度の軽快な運動性能を持つに至る。

 ジェネレーターの冷却を水冷式から水冷・空冷式のハイブリッドに変更。搭載する冷却水を減らしその自重は主力を争うツィマッド社のMSM-03、ゴッグより二〇トン近いの軽量化に成功している。その分、装甲面ではゴッグに劣るものの十分な防御力を誇り、水中では股間部分の水流ジェット推進器で航行。その速度はゴッグを凌駕する成績を上げている。

 有するパワーは既存のジオン軍モビルスーツと比べても桁違いと評されるほどであった。

「ザクとは比べるべくもないな。運動性が高いし、スラスターの燃焼効率は特に。少し制動が甘い感じがするが、機体制御で脚の踏み方を変えれば問題はない」

 ふむふむ、と頷きながらロイドは手元に視線を落とした。

 恐らく携帯端末に打ち込んでいるのだろう、キーを入力する軽快な音が入り込む。

『身体に掛かる負荷はどうですか?』

 この問いかけでメイの表情に陰が差すが、ケンは触れないでおいた。

「今までのモビルスーツとは加速が違う分、初速に手元がブレそうになるが平気だ。慣れれば気にもならなくなる」

『メガ粒子砲の具合は如何です?』

「これは強力だな。今までの武装に比べてダントツに。ミノフスキー粒子の収束が劣悪な環境下で威力、射程距離に影響されるところでは信頼性で他に負けるが」

『その場合は他の武装で戦ってもらうしかありませんね』

 ロイドは苦笑を浮かべるが、全くその通りであるため頷いてすらみせた。

『他の兵装は昨日確認済みなので、これで上がりますか?』 

「ああ、ここでは他に取るべきデータもなさそうだ」

『では、帰投してください。ジノビエフ曹長、ガンス軍曹も搭乗機のテストが問題なく終えたようですから』

「了解。念のため哨戒ルートに沿って戻る」

 熱心ですねぇ、とロイドが呟き微笑んだのを見て、ケンも口元に笑みを拵えた。

 元来手を抜かない性分であったし、このズゴックはレーダー索敵以外の探知能力を有していた。

 戦場では手探りで敵を探す事が多いため、感度や範囲を正確に知っておきたい。

 一機で攻撃と索敵が両立できれば戦術の幅が広がるし、威力偵察で大いに役立ってくれる筈だ。

(どうにかしてやりたい、とは思うんだがな)

 機体の状況報告をしている間、快活な少女の様子が気にもなっていた。

 彼自身も調子が今一つの部隊に戻り、その雰囲気に当てられたくはなかったのも理由の一つではある。変わらないのはシーマ・ガラハウ少佐麾下の隊員くらいなものだ。

 其処に居るだけで士気が上がる類の人間等、一種の超常現象と信じていただけに、存外身近に居るものだと気づいた時には笑ってしまった。

 その笑いには、苦いものが多分に入っていたけれど。

『ん、了解。音響探知(ソナー)のテストも兼ねるんだね?』

 メイはいつもの笑顔――――いや、やはりケンからすれば無理をしているように思えた。

「そういう事だ。戻ったらチェックを頼む」

 帰投後に機体を預ける旨に了解を得て、そのウィンドウが閉じた後、彼は重い息を吐く。

 ケンはサイド3に残した妻子が居る。

 家族とのサイド3移住権を獲得するため、この戦争に参加している身の上だ。

 メイの姿がその我が子を思い出させ、何かと手を貸したくなる。しかし、この場合はどうすれば良いのか、まだ若い父親の彼には見当がつかなかった。

 今も何とかしてやりたいと思考に出てくるものの、結局はまとまらずサイドボードに手を置き、レーダーとソナーによる併合探知をスタートさせるしかなく。

 ケンはズゴックの足音を鳴らして移動、時に止めてソナーの反応を睨みつつ、特筆する問題も現れないまま基地へと帰投。

 指定されたハンガーにズゴックを停め、作業アームの固定を見届けると降機。

 整備兵に何事か告げると搭乗機、隣接する既に固定されたモビルスーツを眺めていく。

 先に戻っていたガースキー・ジノビエフ、ジェイク・ガンスが近寄ると受領したモビルスーツの見解を聞き、今後の連携について意見を交わした。

「どうかしましたか、隊長?」

 不意に立ち止まったケンに、ガースキーは声を掛ける。

 ジェイクも振り返り、じっとモビルスーツハンガーを見つめるケンを待った。

「いや、何でもない」

 彼はそう答え、踵を返した。

 ガースキー、ジェイクもケンが見ていた方向に視線を向け、しばらくした後に先行したケンの背を追った。

 彼らの視線を留めていた場所。

 其処には真新しい、蒼い機体が在った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネメアのギャロップ一番艦。その航行ブリッジ。

 サイ・ツヴェルク少佐は艦長席に腰掛け、ブリッジクルーの様子を眺めていた。

 操舵士、通信士、情報分析及び管制士が己が業務に向かっている。

 余所見もしない姿勢は見ていて気持ちが良い。

「問題はないようですね」

「はい。航行に支障もなく」

 サイが声を漏らせば、オペレーター班のリーダーが応じた。

「それは重畳。もう少しで哨戒任務も終わります。それまで油断無き様に」

「了解です」

 それ以降は言葉もなく、サイは正面にあるモニターと外界の様子を見比べる。

 彼の下に送られる情報でも、特に問題点が見受けられない。

 今回の哨戒任務もほどなく終わりを迎える。

 先日の戦闘時もサイは此処で指揮を執ってはいた。

 全体指揮はダグラス・ローデン大佐で、サイは指示通りに動き、全うしたのだ。

 艦隊直衛のアンリエッタ・ジーベル大尉、シーマ・ガラハウ少佐とも連携を取り、粘り強い抗戦で連邦軍航空部隊を相手取り撤退に追い込んだ。

 無論、サイだけの戦果ではない。

 功績を述べるのであればダグラスが断然上だし、少数で敵と対峙続けたモビルスーツ隊の面々もそうだ。部隊進軍を察知したユウキ・ナカサト伍長、困難な夜間飛行を成し遂げたヘレン・スティンガー准尉らの活躍は知れ渡っている。

 援軍を諦めていたところに参陣した方面軍のノリス・パッカード大佐の横撃は鬼神が如しと謳われ、連邦軍に恐怖を与えた。それは連邦軍の防衛ラインが下がった事が如実に語っている。

 モビルスーツ二個小隊が無防備な側面を晒していたとはいえ、戦車一個大隊を蹴散らし戦艦一隻までも落としたのだ。恐るのも無理はないだろう。

 ネメアとしては援軍に大物を獲られた結果だが、誇るべき戦果であるのは確かだ。

 四隻の戦艦、十四機のモビルスーツ、十二機の爆撃機で連隊規模の部隊を打倒したのだから。

 その数も今は数を減らし、損傷の程度によって破棄が検討されるケースもあった。

 補充されるもの、修理が間に合うもの、予備パーツに分解されるものに分かれた。

 その中で部隊に新型機が回されたのは、戦果を評価してのものだと思いたい。

 我が方も損害は出したが、それも詮無きこと。

 戦争をしているのだから、負傷者も出れば戦死者もでる。

 用いる兵器が破壊されるのは、至極当然の事。

 何も失わず、傷つかない戦闘なぞあるわけがない。

 破壊されず、負傷もしない戦闘行為がある筈がない。

 あったとしても、それは痛みを与えないだけ今より酷くなるだろう。

 ヒトは痛みを伴うから恐れるのだし、忌避するのだから。

 それが無くなれば、きっとどこまでの非道になれるに違いない。

 例えば、後方で采配を執る指揮官なぞがそうではないだろうか。

 だから、痛みを知らないから()()()()撃てるのだろう。

 無残な敵前線基地には、連邦軍のスタッフの亡骸が蔓延していた。

 ジオン軍は防衛部隊と交戦に入っているが、砲撃で建造物を薙ぎ払ってはいない。

 つまりは、侵入したジオン軍もろとも、連邦軍は味方を撃ったのだ。

 戦略、戦術には味方を撒き餌に敵を誘引するものもある。

 それを前提にしたものならば、ジオン軍将兵も連邦軍へ畏敬の念を抱き、恐れるのみで済む。

 だが、非戦闘員をも巻き込むとはどういう事だ。

 彼らは民間協力者の立場が多い。

 戦闘行動に巻き込むことを回避するのが常道ではないのか。

 分からない。

 連邦軍が、分からない。

(当然のように、戦闘が起きたから仕方がないと、そういう事なのか)

 サイはそこで一度思考を切った。

 ちらり、と横の司令席を見る。

 其処に居るべき人物は、今回もこの席へ着いてはいない。

 ”赤い彗星”率いる部隊との演習を前にしたときのように、彼と話がしたかった。

 彼との会話で此度の所業に対する明確な答えが得られるとは思えなかったし、彼自身出そうともしていない。戦いに善悪など持ち出すことは愚かだ。

 ただし、好悪は存在する。

 自分を副官として迎え入れた彼の事は、今も見極めようとしているところで他の部隊員のように全幅の信頼を預けるまでは至っていない。

 ふわふわと浮かんでいる己に溜め息を吐きたくなるが、中立な立ち位置、客観的に見る人間は此処には必要だろうと正当性を持たせた。

 サイは顎に指を這わせ、思考に沈み込む。

(中佐。指揮官というものは中々に業が深い。あの局面で、指揮官があなたなら如何しますか)

 答えは、返っては来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 備え付けの椅子やテーブル、二台あるドリンクバー以外装飾品に乏しいミーティングルーム。

 室内から外の風景が見えるのが、せめてもの救いだろうか。

「ふぅ」

 ユウキ・ナカサトは黒髪を揺らし、ドリンクバーからコーヒーを取ると身近な椅子へ座る。

 グループは幾つかあるが、彼女の話し相手は居らず独りだ。

 彼女らは、衛生兵だろうか。

 それを示す十字の腕章をしているし、休憩中か。

 仲間、友人で固まり過ごす休憩に、彼女は縁遠い。

 ユウキはモビルスーツ隊のオペレーターを単身で担っている。

 戦艦の通信士に入る事もあるが、基本はモビルスーツ隊をサポートするために前線へ出ている。

 ホバートラックで現地情報を入手、通信を傍受する事ができる人材は貴重で彼女の存在が戦況を左右すると言っても過言ではない。戦場では防衛能力、火力が圧倒的に足りないために護衛を必要とするしミノフスキー粒子下では戦況分析を行うと移動も困難だ。

 ネメアの指揮官は前線へ彼女を伴う場合、後方支援機を護衛に当て前衛、中衛を突破されないよう心掛け、万が一にも抜けられる事がないよう各小隊ごとに次善策も整えている。

 目であり耳、通信距離を拡大するため口の役目も負っていのだ。大事にしないわけがない。

 モビルスーツ隊とは接する機会が多いので、何かと話すこともある。

 しかし、他の部署との会話に混ざれないのが目下の悩みであった。

 生来大人しく、物静かな彼女は割って入ることなぞしたことがない。

 あっても数回ほどである。人生の中で。

 人の輪を広げたい、その気持ちは確かにある。

 問題は引っ込み思案な彼女では、話を持ち掛けづらいのだ。

 会話に混ざろうとした挙句、ギクシャクしたとなれば目も当てられない。

 その考えが出たとき以来、積極的なコミュニケーションが取れないのだ。

 戦闘時はある種の使命感に促されて、初対面でも言えてしまうのだが。

(知り合い、来ないな……)

 ふぅ、とまた溜め息を吐いてしまう。

 見つけては話しかける人物も、今は出払っている。

 いや、一人、二人は居るのだが、何と理由を見つけて行こうかと悩んでいた。

「あ、中佐の意識が戻ったみたいだけど、何か知ってる?」

 聴こえた話し声に、ずい、と身体の位置を調整していた。

「んーと、喀血と打撲、額の切傷だったよね。確か」

「蒼い軍服が赤黒くなってたもんね」

「操縦桿握り締めてて離さなかったから、運び出すときだいぶ苦労したみたい」

「んー……軍人というか、武人みたいだね」

「喀血って、内臓も傷つけたって事? しばらく起きても辛いだろうなぁ」

「出血も増血剤あったから良かったね。献血してもすぐに人体には充てられないし」

「いやぁ。逆に増血剤で事足りたことに驚きだよ」

「そうかなぁ。中佐って体の作りイイからいけると思ってたけど」

「増血剤って、血を増やすんじゃなくて血を作る動きに働きかけるだけだもの」

「あー名前で勘違いするやつだよね、これも」

「ところで、体の作りがイイって、あんた何見たのよ」

「…ナニを」

「どさぐさに紛れてなにしてんの!」

「フヘヘ。羨ましかろう」

「痴女だ、痴女が出た!」

「嫉妬が心地いいわ。もっと喚けよ、プギィプギィとさぁ」

「うわ、目が据わってる。何徹したのか聞くの怖い」

 会話がヒートアップしたようだ。

 ユウキ・ナカサトは静かにコーヒーを口に含む。

 彼女の頬に朱が差したのは、きっと光の加減のせいである。

(……どうしようかな)

 猥談はちょっと、そうちょっとだけ気にはなるが、彼の目が覚めたのなら挨拶にでも行くべきだろうか。見舞いというのは嬉しいものだ、と以前寝込んでいた彼自身が言っていた。

(後で様子だけでも、見に行こう)

 そっと席を離れ、ダストボックスにコーヒーカップを入れるとミーティングルームを出る。

 ユウキが去った後も、衛生科の女性陣は話を止めてはいなかった。

「んまぁ、真面目な話。中佐の体すごいよ」

「な、なによ、大きいの?」

「いや、真面目な話って言ってるじゃんか」

「う、うっさい!」

「真っ赤な顔で可愛いわぁ…まぁ、男の勲章ってやつがさ」

「軍人なら傷の一つや二つ、珍しくないでしょ?」

「……ふーん。見てないからそう言えると思うけどなぁ」

 一人だけ声のトーンが落ちた。

 様子が変わり、周りも神妙な顔で先を促す。

「どゆこと?」

「傷の上に傷を作るって、壊した皮膚を更に壊すわけだから、痛いってことよ」

「……あ」

「浮いた話はあるのに、その手の話が進まないのは、そいう事なのかなーってさ」

 ――――勿体ないよね。

 その言葉以降、ミーティングルームに声が灯らなかった。  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「湿布くせぇ……」

「文句言わないの。五体満足で居る時点で何かとおかしい、って言われてるんだよ」

 メルティエ・イクスは目が覚めた瞬間、反応した嗅覚がもたらしたものに対して一言告げた。

 物音一つ感じなかった室内で、返事が戻ってきたことに微かな驚きを覚えていた。

 過剰な光を出さず、目に優しい照明が点いた天井から、その声が流れた方向へ視線を落とし、目が合うと痛む口元を歪ませる。

「や、アンリ。もう朝かな?」

「残念、夜だよ。午後二十二時でぇす」

 人差し指を立てて、どこか間延びした声。

 それが、ベッドに力無く横たわる患者へ時間を教えてくれる。

「時間感覚が大分、狂ったな……」

「昔から、メルの体内時計は正確ではなかったよ?」

 目尻が赤いままアンリエッタ・ジーベルは、くすり、と微笑んだ。腰掛けていた丸椅子から前に屈み、サイドボードに置いた水差しとコップを取る。

 彼の聴覚がコップに注がれる水音を拾う。身を起こす際、走る痛みが反射神経を。背に置かれた細い白魚のような指先が彼女の体温を伝え、触覚が機能していることを確かめた。

 視覚は、前に屈んだ彼女の胸部に吸い寄せられ、この明度が悪い中でも問題なしだと言わせて頂こう。

「っふう。ありがとう、しばらく何も摂ってなかったんだな、俺」

 水を一杯飲み干し、喉を通った水分が臓腑に行き渡る感覚を堪能した。

(――――生きている)

 たかだか水の一杯で大袈裟かもしれないが、メルティエの五感が回復し始めた今は、特にそう感じさせた。痛覚が体中からのダメージ報告を脳髄に叩き込んでくるし、ヒリヒリとしたのは筋肉の炎症か。通りで湿布の臭いが酷いわけだ。

「む。世界が揺れている。あ、なんか暗い」

 フラフラと上体が泳ぎ始め、視界が一時的に黒く染まったことに感想を述べる。

「立ち眩みみたいなものだよ。メル、いま血が足りないんだから」

 なるほど、最もな理由ではあった。

「はい、横になって。発熱してるとは思うけど、我慢だよ」

 コップを受け取ったアンリエッタがゆっくりと肩を押す。

 彼は抵抗せずに、仰向けに戻された。

 抵抗する力が出ない、が正しい。身体が鉛のように重たいのだ。

「どのくらい寝ていたんだ、俺は?」

「三日かな。あと少し遅れてたら四日目突入だったよ」

「みっ――――おうっ、何か動き難い!?」

 跳ね起きようとしたのだ、力を入れた筋肉が悲鳴を上げるのは至極当然。

 その痛みもメルティエにとってそれほど辛いものではないが、動きを阻害するものには不快感が出る。

「安静にしてなさい、ミイラみたいなんだから」

「ミイラ? どういう――――ああ、わかった。目は良い方なんだ、変わり果てた姿を見せないでくれ」

 化粧道具を取り出したアンリエッタが、メルティエに手鏡を向ける。

 其処には、包帯でぐるぐる巻きにされた、どこからどう見てもミイラの姿。

 しかし、そこには外傷はない。筋肉が炎症を起こした患部があるだけだ。

 包帯の下は、石膏のようなな鎮痛剤が塗布されている。直接皮膚に塗り、布を当てた上に包帯を巻き密着性を持たせ、浸透させているのだ。そのため鎮痛効果が上がるが、臭いもそれ相応にきつい。他の臭いを感じ取る事が不可能なほどだ。 

「理解したらすんごく蒸れてきたんだが」

「うん? 包帯変えるついでに、体も拭こうか。さっぱりするよ」

 ベッドの下から水桶とタオルを引っ張り、にこやかに彼女は告げた。

 何を言ってるんだ、と見つめるが彼女は意に介さないらしい。

「はぁい、脱ぎ脱ぎしましょうねぇ」

「ちょっと、衛生兵さんとチェンジしようか。看護士さんでも良いよ」

「僕、看護士さん。君、患者さん。OK?」

「No,Thank You.恥じらいを持つんだ――――おい、人の話を聞け! 脱がすな、やめぇ!」

 彼女はにこやかなまま、ミイラ男の包帯を指に絡ませ、スルスルと解き始める。

 抵抗したが、止める気はないようで、結局は為すがままとなった。

 包帯が取られれば、強烈な臭いを発するペースト状の薬剤。

 自分の身体に塗られてることもあり、メルティエには逃げようがない。

「こんなモン塗られてたのか。固形物みたいな硬さだな」

「そだね、塗り方も伸ばす感じだから中々の重作業だよ。()()()もあるしね」

「あ、太腿から下も同じような……ん?」

 ペリペリ、と皮膚から引き剥がされていく塗布剤。

 その下にはかぶれたのか、赤い皮膚が見える。空気に触れると冷たく感じ、身体が震えた。

 彼の上半身、其処には(おびただ)しい傷が刻まれている。

 鋭い切創もあれば、突き刺さった痕、火傷のような痕もある。傷の上に傷が存在し、綺麗な皮膚の場所を、箇所を見つけるのは難しい。首元にもうっすらと傷跡があり、普段は軍服やノーマルスーツ。開戦前後の私事ではコートを着ることで誤魔化していた。

 肩口より先は目立つ傷がないため、半袖でも問題はなかったのが幸いか。

 この醜悪なまでの傷跡で、実戦で負ったものは少ない。

 修練の結果、手酷い失敗をした時の代償がこうまで彼の体に消えない傷を残していった。

 戦闘関連の資質が乏しい彼は、生き残る術を養父から教授された後も、体に覚え込ませた。

 今では同じ武術の土俵でも素質が高い相手に、引き出しの多さで圧倒するまでに至っている。 

 その代償が、この体だ。

 悔いてはいなし、痛みの経験が有る分、ダメージに強い頑強な体躯の土壌となった。

 傷は武人の誉れ、男の勲章と言う。

 しかし、以前身体を盗み見た女性が上げた悲鳴が、今だ耳に残っている。

 異性関係でメルティエが慎重なのは、この身体も一つの原因ではあった。

 その傷跡を見ている女性が、今身近に居る。

 他にも聞かなくてはいけない事が出て来たのもある。

 聞きたくはないが、聞いてしまったからには訊ねなくばなるまい。

「なぁ、アンリ」

「ん~?」

 両腕が解放され、今は背中に付着したものを取ってくれている。

 皮膚が敏感になっているのか、彼女の息がくすぐったい。

「もしかして、毎回これをしてくれてたのか?」

「そうだよ~。今回の戦いは怪我と看護必要な人が多いからね、任せられる人は周りに頼んでるみたい。エダも、メイちゃんも手伝ってくれてたから。あとで御礼言ってあげなきゃ、駄目だよ」

(他にも居んのかよ、これじゃあ晒し者じゃないですかねぇ!)

 傷だらけの男は泣けばいいのか、怒ればいいのか迷った。

 彼女の言も事実であり、先日の戦闘に参加した兵士は大なり小なり負傷していた。

 比較的軽傷が多いが重傷もそれなりに居た為、手が空いている部隊員に手伝いを依頼しているのが現状であった。メルティエは筋肉の炎症は除くとしても昏睡と多量の出血をしていた為、定期的に軍医も往診に訪れていた。

 肌に赤みが差し、意識が回復する前兆を見せてからは往診の頻度が減った。

 他の患者に時間を割く為でもあるが、彼女らに気を遣った分もある。

 軍医も人の子。

 下手に邪魔をして、馬に蹴られたくないのである。

「はぁ……動けるようになったら、早めに言いに行かないとな」

 片手を額に当て、息を吐く。

 しかし、どんな反応をするのか。

 興味があるが、気が気ではない。何か要求されなければいいなぁ、と思う。

 タダよりも高いものはないし、異性に借りを作ると恐ろしいのだそうだ。

 数少ない友人の一人が語った言葉だ。

 本人がげっそりしていたし、重い口調だったのもあって体験談ではないかと思われる。

「……ん?」

 背中も涼しくなる頃に、彼女の指が左の二の腕あたりに触れていた。

 其処には、古い弾痕。

 右の太腿にも、同じようなものがある。

 他に弾痕はないため、一際目立つ。

「気にするなよ」

「……どうして?」

 背中に当たる感触。彼女の頭、額だろうか。

「”あの日”まで、こんな傷はなかったじゃない」

 彼女の声に湿ったもの含まれる。

「切っ掛けは、そうだな」

 何気なく、首元まで伸びた灰色の髪を弄う。

 ”あの日”からは、黒髪に灰色が混じったような頭髪であったと、感傷に浸る。

「なら責任、感じちゃうよ」

「必要だった。()()、必要としていたんだ。アンリが気に病むことはない」

「その言い方は、狡いと思う」

 背中に当たる感触が強く、胴に彼女の細い腕が回る。

「狡くても許せ。強くなる契機になった、アンリには感謝しているんだ」

「感謝?」

「ああ、大事な人を、人たちを守りたい。それが出来るようになった」

 彼女の柔らかい手に、そっと自らの硬い手を重ねた。

 少しだけ、彼女が震えた。

「思ってるだけじゃない、実行力を持てた。まぁ、進路を変更された時は恨んだがね」

 そのおかげで、踏ん切りがついたのは内緒にしておこう。

 灰色の青年は意地の悪い笑みを浮かべる。

 あの頃に養父はもとより、慕う大人たちに頭を下げた。言葉は飾らずに「強くしてくれ」と。

 内緒で話が進んだ事に不貞腐れたのと、背中を押す契機になった照れ臭さもあり。感情が上手く操作できない時期でもあったから、言いたい事をぶつけ合って関係が悪くなったときもあった。

 今はこうして、昔以上に近い関係になっている。

「……まぁだ、根に持ってる」

「当たり前だろうに。人生変わったんだから、これからも言い続けてやるぞ」

 そう言って、茶化してやる。

「ふふっ」

 彼女の腕に、僅かに力が籠った。

 いや、籠り始めた。

「どうし、うおっ」

 後ろに引っ張られ、そのまま倒れる。

 背からは柔らかい感触が消え、それよりも遥かに硬いベッドがメルティエの身体を迎える。

(怒らせてしまったのか、そんな様子は無かったのだが)

 彼女が部屋を出て行く前に、一言声を掛けようとするが、起き上がれない。

「じゃあ、ずっと言い続けてもらおうかな。近くで」

 彼女が、腹の上に圧し掛っていた。

 指を這わせれば食い込むだろうお尻が乗っかり、彼女の指先が彼の胸、その厚い胸板に走る傷を確かめるように沿う。

「アンリ?」

「僕は。私は、大事な人の傍に居たい。傷だらけの人を癒してあげたい」

 鼻先まで近づいた女の唇から、想いが吐息混じりに男にかかり、吸われる。

「お前、そういう事を言うと、抑えが効かなくなるぞ」

「うん、ライオンさんに食べられるしかないね」

 互いの目が合う。どちらが先か、もしくは同時に吹き出した。

「これからも無理はするし、無茶もするような輩だ」

「懲りない人。仕方ないなぁ、でも無謀はしないなら、良いよ」

 男は力が込めにくい手を伸ばし、女は身体を密着させた。

「好きに動くから、振り回されるだけだ。あとになって後悔する」

「メルは、私が離れても後悔しないのかな。寂しいね」

 男は女の言に異を唱えるように抱き寄せ、女は応じた男の頭をかき抱いた。

「一度掴んだら、離さない。離せないからな」

「うん。……大好き」

 情愛に濡れた瞳が、閉じられる。

 薄暗い室内で、男女の息遣いと軋む音が途切れることは無く。

 外が他の雑音で騒がしくなるまで、二人は求め合い続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




閲覧ありがとうございます。
上代です。ご機嫌如何。

ケンたちに新しいモビルスーツ。水泳部です。
小説版ではガースキーのみズゴックEでした。
本作品ではまず明らかになったのはケンのズゴック。
他二人は次話以降ですな。
蒼い機体は現在秘匿中。これも次話以降で分かります。


今回はサイとユウキに光を当ててみました。
指揮官とは、で揺れるサイと手持ち無沙汰なユウキです。
サイはともかく、ユウキは日常どんな感じが確定しておきたかったのでこんな場面を用意。

メルティエに枷が一つ付きました。
パワーアップしたねっ!(マテ)
エースの腕前、突出型のパイロットに「死ねない理由」が添付。
慎重な人物になるのか、敵に攻撃させず即殺するようになるか。
それとも変わらないままかは、戦闘局面までお預け。

外伝も徐々に執筆中。
ちょっと短めになりそうだけど、頑張りますお。

さて、次話で出す原作キャラの選定始めるかな…
執筆続けるポーズをすれば、包囲網も密度を濃くせんだろうヾ(*´∀`*)ノ

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