王子様にはなれなかった人の話   作:ノブナガ

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5 よく晴れた秋の日のこと

 俺は透き通ったような群青色の空を見上げる。のんびりとした雲が空にぷかりぷかりと浮かんでいて、穏やかな陽気だ。

 思わず両手を突き出して、大きく伸びをしてしまう。なんていい天気なんだろうか。今日ほど出かけるのに適した日もあるまい。散歩なんかには最適なんじゃないか?

 そんなことを考えながら、俺は財布をつかむと玄関で靴を履いた。

 履いたばかりの靴のつま先で二度、床を鳴らしてから玄関のドアを開ける。

 

「いってきまーす」

 

 俺は元気よくそう言ってから、家の敷地の外へと飛び出した。

 

 

 

 穏やかな風が頬を過ぎる感触が心地よい。

 近頃は暑さもなりを潜め、出かけるにはいい季節になったと感じる。

 9月の頃までは残暑が厳しく、日影から出るのも億劫な毎日を送っていたが、最近はかえって外に出る方が過ごしやすいくらいだ。

 木ノ葉の隠れ里は、どうやら俺の知らぬ間に季節の変わり目を迎えていたらしい。

 いつの間にか夏の気配は過ぎ去っていて、脇道から顔を出す草花もすっかり秋の気配を覗かせている。朝夕がめっきり涼しくなったと思ったら、気づいたときにはそのまま一気に秋になった。

 

 毎年、この時期になると外出する人間が自然と増える。

 商店街の通りには人が溢れており、ぼんやり歩いていると人と肩をぶつけてしまいそうになることもしばしばだ。

 本来なら今日はいのと一緒に出かけたかったのだが、彼女は実家の手伝いが忙しいらしく断られてしまった。まぁ、今日は花屋も大盛況だろうから仕方がないとは思う。

 他の人物を誘っても良いのだが、現時点の俺の友人はいのとナルトくらいなものである。

 いのに引っ付いていると、自然とシカマルやチョウジと一緒になる機会も多くはなるが、彼らはいのを介した友人と呼ぶのが正しい。

 頼めばついてきてはくれそうだが、生前女の買い物に付き合わされて酷い目に遭った経験がある身としては、無理強いはしたくない。

 特に、今日は場合によってはあちらこちらをブラブラする予定だ。ウインドウショッピングが好きな女子ならともかく、男性陣を付き合わせるのは心が痛い。

 という訳で、俺は一人で商店街に出かけることにしたのである。

 

 俺は商店街を歩きながら、通りの店を覗く。

 何かいいものはないかなとは思うが、気になるものは特にない。強いて挙げるなら、季節の果物が美味しそうではあった。食欲の秋だなぁ、なんて思う。

 しばらくあちこちを見て回ったが、結局めぼしいものを見つけることはできなかった。これ以上歩き回っても、多分結果は同じだろう。俺はそう判断すると、結局は最初に考えていたものを購入するにとどまることとなった。せっかくあちこち歩き回ったのにという思考がほんの少しだけ頭をかすめた。

 とはいえ、これが多分一番間違いがない。ベストアンサーだろうと、自分の買い物を心の中で褒め称える。

 買い物も終えたことだし帰ろうと俺が踵を返したとき、ふと、通りの向こうから見知った人物が歩いてきていることに気がつく。俺は無意識に足を止めて、その人物に声をかけていた。

 

「イルカ先生?」

 

 俺の視線の向こうに立っていたのは、アカデミーの教師イルカであった。

 

 

 

 

「奇遇だな。こんなところでどうしたんだ?」

 

 こんなところで、とイルカは言うがここは商店街だ。一人でブラブラしていたとしてもおかしな場所ではない。

 だから、多分、この発言は挨拶がわりみたいなもので、本気で疑問に思っている訳でもないのだろう。

 

「買い物です。先生は……」

 

 と、そこまで言いかけて、俺はイルカの手に持っているものに目を向けた。

 彼が大事そうに抱えていたのは、花束だ。

 

「……デートですか?」

 

 語尾を少し上げながら、俺はからかうように言う。自分でも、今の俺はさぞかし意地悪な顔をしているのだろうと思った。

 

「なっ! これは違うぞ!?」

 

 途端、慌てたようにイルカは否定する。

 そして、それは事実なのだろうとすぐに思い当たった。

 彼の持つ花束は誰かに贈るためのものではない。彼と同じような花束を持つ人を、俺は今日既に何度も見かけている。

 それらは人に贈ったり、お祝いのために準備したものとしては、どれも不適切であった。

 彼らの持つ花束には、どれも例外なく鮮やかな菊の花が映えていたのだから。

 

「これは、……墓参りのためのものだ」

 

 イルカが花束を見下ろしながら、そう告げる。

 本日の日付は十月十日。

 九尾が現れたその日と同じ日付である。

 

 

 

 一夜にして多くを奪っていったあの運命の夜から、既に十年以上の時が流れようとしている。

 アカデミーに通う子どもたちには、もうあの悲劇の一夜を記憶に持つ者はいない。

 あれは彼らが生まれて間もなく、もしくは生まれる以前に起きた出来事だ。物心つく以前のことを覚えている者など誰もおるまい。

 彼らにとって、あれは当の昔に過ぎ去ってしまった出来事でしかない。

 だが、全ての人が過去として忘却するには、まだあまりにも新しい出来事でもある。

 

 あの天災がもたらした爪痕は未だに大きい。

 表面上は、天災の跡など殆ど見えやしないだろう。建物は復旧され、物資の供給、里の運営、全てが天災以前と変わらず滞りなく行われている。

 けれど、それは所詮表面上だけの話だけなのだ。

 あの日、確かに厄災は木ノ葉を襲い、多くを奪い去っていった。

 

 家を、土地を、財産を。

 そして、家族を、友人を、生涯をかけて愛すべき対象を。

 

 その傷跡は、人々の心に未だ生々しく刻まれたままだ。

 あぁ、そんなこともあったのだと歴史の一ページにするには、まだ時間が足りていない。

 

 その証拠に、木ノ葉の里ではこの日になると、墓を参る者が増える。

 花屋が一年で一番儲かる日だと、あまり嬉しくなさそうな顔でいのが言っていたのは記憶に新しい。

 

 イルカもおそらくは、あの九尾の災害で誰か大切な人を亡くしたのだろう。

 彼の年齢を考えればそれは十分に有り得ることで、あの災害を知る者としては他人事ではない話だった。

 だからだろうか。つい口が緩んでしまったのかもしれない。

 

「イルカ先生はこの日に起きた厄災を恨んでいますか?」

 

 我ながら、何でこんな質問をしたのだろうと思う。

 買い物を終えた俺は、方角が同じだからという理由で、商店街の出口までイルカと連れ立って行動することにした。

 その道中、ふと思いついて、そのような質問をしてしまったのだ。

 イルカは俺の質問に驚いたようだった。

 当然だろう。俺が彼の立場でも驚いたに違いない。それは本当に突拍子のない質問で、質問した俺からしても唐突だと感じるものだったのだから。

 それでも、イルカは生真面目に考える素振りを見せた。彼は足元を見つめながら、何と返そうかと悩んでいる。

 子どもの戯言と、切って捨てても構わないような質問だというのに。きっと誠実な男なのだろう。

 そういえば、彼はアカデミーの中でもナルトを擁護する珍しい教師であるということを思い出した。彼は心根が優しい人物なのかもしれない。

 

「俺は、……恨みたくないんだと思う」

 

 少し思案した後、イルカは呟くようにそれだけを言葉にした。

 俺は思わずイルカを凝視してしまう。

 

『恨みたくない』

 

 なんて不思議な言葉なのだろうか。

 恨みたくない、と述べるからには恨んでも仕方がない理由があるということだ。

 それに先ほどイルカ自身が墓参りに行くと言ったばかりじゃないか。この日に行く墓参りの相手は、十中八九、九尾の災厄で亡くなった人物に違いない。

 それなのに、『恨みたくない』。

 何故、と俺は思わず口の中で言葉を転がした。

 

「恨むことはきっと簡単なんだろうな。でも、それじゃあダメだって俺は思うんだ」

 

 イルカは足元から視線を上げ、俺の方を向いた。彼の顔には温かな微笑みが浮かんでいる。語るイルカの口調はどこまでも優しい。

 

「俺はきっと過去ではなく、今を、そして未来を見たいんだと思う」

 

 そう告げるイルカの目に、俺は強い意思を感じてひるんだ。

 そんな考えを持ったことなんて、俺にはない。

 俺にとって、九尾は俺の大切なお姫様を、そして彼女の幸せを奪った恨むべき相手でしかなかったのだ。

 九尾さえ現れなければと思うし、また同じようなことが起きれば、今度こそヤツから里を守ってみせると思う。

 俺にとって、九尾は仇敵でしかない。

 それをイルカは恨みたくないと言った。俺と同じように、大切なものを奪われたであろう人物が、だ。

 それは俺にとっては、衝撃の発言だった。

 

 もし、この時俺が九尾のことについて、あるいはナルトの抱えるものについてもう少し詳しく知っていれば、この時のイルカの言葉も正しく理解できたのかもしれない。けれど、この時の俺はナルトが何故か里中から迫害されているという事実しか知らなかった。

 少し考えれば両者を結びつけることも可能だったに違いない。けれど、俺はこの時、イルカの発言にただただ驚くばかりで、二つの事実を重ねることができなかったのである。

 結果、俺は何も知らず、気づかないままで終わってしまう。

 真実に近いところにいながら、俺は結局、それを手にすることができなかったと言えるだろう。俺がよそ見をしている間に、指と指の隙間から真実は簡単に滑り落ちていってしまったのだ。

 

 

 

「先生は強いんですね」

 

 俺はイルカの発言に感嘆する。

 イルカは俺の発言に照れたように笑った。

 

「そうでもないさ」

 

 何せ未だに中忍だしな、と彼は冗談めかして言う。

 けれど、俺はそれを笑えなかった。

 イルカは心が強いのだと思う。それこそ、俺なんかが遠く及ばないくらいに。

 俺もこの人みたいに強くなれるだろうか。

 強くなって、それこそ過去よりも未来を見つめ続けることができるように。

 俺は心の中で自問自答する。勿論、今の俺には答えなんて出せない。

 ただ強くありたい、強くなりたいと純粋に憧れに近い感情が俺の心に灯ったのは事実だ。

 きっと、イルカは自分でも知らぬ間に俺の中に種を蒔いてしまった。

 そして、俺はその種を今後大切に育てていくことになる。それがどんな花を咲かせるかなど知らぬままに。

 しかし、それらはずっと未来の話である。

 今はまだ誰も先のことなど、知りやしないのだから。

 

 

 

 

「そういえば、サクラは何を買いに来てたんだ?」

 

 ふと、褒められて居心地が悪かったのか、話題を逸らすようにイルカが尋ねてきた。

 

「誕生日プレゼントを買おうと思って。だけど、何にしようか迷ってなかなか決められなかったんですよねー」

 

 結局タダ券をあげることにしました、と俺は頭の後ろを掻きながらイルカに告げた。

 実際、プレゼントなんて何をあげればいいのか、俺にはさっぱりだ。結果として、好物なら間違いないという結論に至った。

 俺に女の子らしい気配りなんかを期待してもらっても困る。相手が喜ぶものをあげようと思って、ここ数日ずっと観察していたが、これ以外何も浮かびやしなかったのだから。

 

「それって、ナルトにか?」

 

「そうですよ」

 

 イルカの疑問に、俺は即座に返事をする。

 ここですかさずナルトの名前が出てくるところが、如何にもイルカらしいというか。

 

「……ということはタダ券っていうのは、一楽のか?」

 

「はい、一楽のです」

 

 俺がそう答えれば、イルカは「しまった」と思いっきり顔をしかめた。

 その反応に、俺は小首を傾げる。

 苦い顔をしながら、イルカはおもむろに懐からとある紙を取り出した。

 

「俺も同じだ」

 

「げ」

 

 余談だが、その後しばらくの間、一楽にて連日ナルトの姿が目撃されることとなった……、らしい。

 ナルトが若くして生活習慣病にならないか、俺は密かに心配した。


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