世の中は往々にして理不尽であると俺は思った。
俺は姿見の前に立って、鏡に映った自分の姿を見据える。
鏡に映るのは肩まで伸びた髪、スカートを履いた女の子の姿。そう、今生に生まれ変わった俺はどこからどう見ても幼い『女の子』である。
性別なんてもんは生まれた時にはもう決まっているものだ。今更、性別に文句を言ったところで仕方がない。できれば男に生まれたかったというのが本音だが、それはもうどうしようもないだろう。俺がここでグダグダ言ったところで性別が変わる訳でもないし、女に生まれてしまったのはこの際もう諦めようと思う。
お姫様以上に愛せる存在は、少なくとも今の俺にはいない。そのお姫様も既に既婚なうえに鬼籍に入っている。故に、同性愛フラグはとりあえず立たない。だから、まぁとりあえず良しとする。
その点さえ除けば、俺は今の自分の境遇に結構満足していた。
自分に惜しみなく愛を注いでくれる両親がいる。身体は健康そのもので、病気や怪我とは無縁だ。里も前世の俺がいた頃に比べれば平穏で、少なくとも表面上は穏やかに見える。
幸福な少女というその生まれに不満などない。むしろ、俺には出来すぎているほど素晴らしい境遇だ。しかし、境遇そのものに不満はないが、だからと言って現状をすべて問題なく受け入れられるほど満足しているかというとそうでもない。
だから、そう。これは理不尽に対する反逆なのである。
誰に語るでもなく俺は心の中でそう反芻する。
あまりにもささやかな反逆だが、でも、これは子どものできる目一杯の反逆なのだ。
俺は自分の頬を両手で軽く叩くと、自分の足元に置いていたパンパンに膨れ上がったリュックサックを背負った。
そうして、部屋にメモ帳一枚分の書き置きを残し家を出た。心の中であばよと我が家に別れを告げながら。
俺が向かった先は友人である山中いのの家だ。
大きなリュックサックを背負って突然やってきた俺に、いのは大層驚いてみせた。
そりゃあ、普通、でっかいリュックサックを背負って突然友人が家を訪ねてきたら誰だって驚くだろう。けれど、彼女を驚かせたのは大きなリュックサックではなく、その持ち主たる彼女の友人(俺)が放った一言だったりする。
「家出ぇ?!」
思わずという風に、いのは突拍子のないことを言い出した俺の言葉をオウム返しに聞き返した。
俺は人差し指を唇に当てながら、そんないのに声のボリュームを下げるように指示をする。
ここはいのの部屋だ。
大声を出せばいのの家族にも声が聞こえてしまう。俺の家出がいのの家族に聞かれてはまずい。俺といのが親しくしていることはお互いの親も承知のことなので、彼らは互いに顔見知りだ。いのの親から俺の親へと情報が漏れてしまう可能性があった。
もし、そんなことになったら決行する前に俺の家出は阻止されてしまいかねない。
「家出って、何でまた?」
いのは声量を落として俺に尋ねた。
ヒソヒソ話をするような声量で話しているので、自然と顔を突きつけあうような格好になる。いのの部屋の真ん中で顔を付き合わせてコソコソ話し合う姿は、知らない人間が見ればなかなかに不可思議な光景だろうが、当人である俺といのは至極真面目である。
「反逆だ」
俺は簡潔にいのの問いに答える。
「反逆?」
俺はいのの言葉におもむろに頷いてみせた。
「俺は、大人たちの身勝手な意見にはそう簡単には従わない。その意思表明だ」
現在の俺はまだ幼女と言っても差し支えない年齢である。はっきり言って、親を代表とする一般に大人と部類される人間の庇護なしには生活はできない年齢なのだ。
となれば、周囲の大人たちが俺に色々意見を言ってくるのは当然の行為である。あれは危ないから触っちゃダメよ、あそこには一人で出かけてはダメよ、といった具合に。
俺も大抵のことに関しては大人たちの言葉に素直に従っている。基本的にそれらの多くは正論であるからだ。
俺は見た目こそ幼女だが、中身はれっきとした成人だ。それが正しいと思えば素直にそれに従う。俺は基本的には聞き分けの良い子どもであると自負していた。
けれど、従うべき言葉は俺が正しいと信じている言葉だけだ。どうしても納得のいかないことまで従いたくはない。いかに子どもといえど自我はある。きちんと明確な自分の意思を持っているのだということを、俺は声高に主張したい。
俺の主張を聞いて、いのは『あぁ、なるほど』と頷いてみせた。
彼女は彼女なりに俺と同様に親に不満があるらしい。
「それで、家出するほどの不満って?」
いのの言葉に俺はよくぞ聞いてくれましたとにんまり笑った。
「まず、俺の服がスカートばかりなのが納得いかない」
俺はそう言いながら、人差し指を立てた。
俺の現在の両親は我が子をとてもよく可愛がってくれる。そのことに不満はない。むしろ、ありがたいと思っている。
そんな愛情表現のひとつか、両親は衣服を一人娘のためにたくさん用意してくれる。子どもなんてすぐに大きくなるし、服を汚す機会も多いというのに、親馬鹿なのか、俺の服は家族の中で一番種類が豊富だ。
勿論、俺が服を買ってくれと特別ねだった訳ではない。勝手に両親が買ってきてくれるだけである。
申し訳ないような気もするが、愛情を受けているという自覚もあるので、服を買ってきてくれることには感謝している。問題は服の内容だ。
両親が買ってくる服は、いつも! いつも! いつも!! 女の子らしい服装ばかりなのだ。
個人的には汚れてもいい動きやすい格好がいいのだが、彼らはいつも少しおしゃれな服を買ってくる。そして、スカート率も非常に高い。もっと中性的な動きやすい服装にしてくれと言っても彼らは聞き入れてくれなかった。曰く、女の子を飾りたてて何が悪い、だそうだ。
今の俺は自分でいうのも何だが結構可愛いビジュアルだ。彼らの気持ちはわからんでもないが、飾り立てられる本人としては少しばかり鬱陶しいと思ってしまう。
「それから、言葉使いを直せって言われるのが嫌だ」
自分でも女の子にしては言葉使いが荒っぽいという自覚はある。一人称なんて『俺』な訳だし。
けれど、これは前世から使っている言葉使いなのだ。今更改める気は毛頭ない。
言葉使いくらいどうだっていいじゃん。別に死ぬわけじゃないんだし、というのが俺の意見である。
「おしとやかにしなさいって言われたり?」
これは俺の言葉じゃない。そう言ったのはいのだ。
どうやら女の子らしくというお小言をくらうのは俺ばかりではなかったらしい。
分かる分かる、と彼女は俺の言葉に何度も頷いていた。
スカート履いてる時はおてんばしないでじっとしてなさいとか言われるのよねーとは、いのの弁である。心から賛同させてもらおう。
「よし、分かったわ」
いのはそう言うと、立ち上がった。
「全面的に協力させてもらうわ。私はあんたの味方よ」
そう言って笑ったいのがいかに凛々しかったことか。なんと頼りがいのある友人なのだろうと、俺は思った。素晴らしい友人を持ったものだと我ながら思う。そして、その俺の思考は紛れもなく正しかったと後に知る。彼女は俺の最高の友人なのだ。
ともかく、そうして俺たちは互いに固く握手を行った。
その瞬間、俺たちの家出同盟は完成したのだ。
家出同盟を結束した俺たちは里の外れにある小さな森に出向いた。
この森はあまり人が来ず、ちょっとした隠れ家を作るのには最適なのだ。人が来ない分、よく言えば緑が豊かで、悪く言えば雑草生い茂る荒地一歩手前であるが。
土地が整備されていない分足元がほんの少し心もとないが、そこは腐っても忍者の卵。俺といのは危なげなく、家出用隠れ家に出来そうな場所を探してひょいひょい歩いて回る。
ふと、いのが何かを見つけて足を止めた。
「あ、あれアジサイじゃない?」
そう言って、いのが崖下を指差す。
その先を見れば、青い花を咲かせるアジサイが咲いていた。
綺麗だと思いはするが、アジサイ程度珍しいとも思えない。そんなもの、家の庭にだって咲いている。家が花屋のいのなら俺よりも見慣れているだろう。今更騒ぎ立てるほどのものでもない。
そんな俺の思考は表情に出ていたらしく、いのはいかにも『しょうがないわねー』という感じで肩をすくめてみせた。
「アジサイって結構品種が多いのよ? 店先に普通置いてないようなものだって結構あるんだから」
なるほど。さすが花屋の娘というところか。
じゃあ、あそこのアジサイは珍しい品種なのだろう。
「ちょっと待ってろ」
俺はそういうと草むらに足を踏み入れた。
アジサイはさし木でも育成できる植物だ。どうやら自生しているようだし、ほんの少しくらいなら手折って持って帰っても大丈夫だろう。
お礼も兼ねていのにプレゼントしよう。そう思って、俺は崖下へと下った。
それが間違いなのだと思う。
言い訳をさせてもらうなら、俺は今の俺の体にまだまだ不慣れだった。
以前の体のつもりで行動しようとして、できずに失敗することはままあったのだ。
何度も繰り返すが、いかに中身は成人していようとも肉体は幼女なのである。体力もなければ、反射神経も以前より劣る部分があることは否めない。
チャクラコントロールに関しても、なれない今の自分の体では同年代以上のコントロールは期待できないことは知っていたはずだった。今振り返ると、背負った荷物が重かったこともあるのだろう。
加えて昨日まで連日の雨だった。
それらの悪条件が重なった結果。
「――!」
簡潔に言えば、俺はぬかるんだ地面に足を取られてしまったのだ。
崖下に落ちていく瞬間、いのの真っ青な顔が見えて俺は彼女に申し訳なくなった。
間抜けな俺は受身をまともにとることもできずに、崖下に滑り落ちた。
ぶつけた場所は、最悪なことに頭部だ。意識ははっきりしているが、怪我した箇所に触れると血がついていた。頭を切ってしまったらしい。
「ちょっ! 血が出てるじゃない!!」
すぐさま崖下に降ってきたらしいいのはポケットからハンカチを取り出し、傷口を抑える。
アイロンがけされた綺麗なハンカチを血で汚してしまって『申し訳ないなぁ』なんて他人ごとみたいに俺は場違いなことを思った。
「意識はしっかりしているみたいだけど、歩ける?」
無理そうなら誰か呼んでくるしかないか、と呟いたいのの服の端を俺は咄嗟に掴んだ。
「何? 大丈夫よ、すぐに戻ってくるから」
俺が不安がってるとでも思ったのだろう。いのが励ますように、俺に言う。
俺は首を横に振った。
「ダメだ」
「は?」
「帰りたくない」
俺がそう告げると、いのが何馬鹿なことを言っているのかと叱りつけた。
いのの反応は至極当然のものだと思う。でも、俺は本当に家に帰りたくなかった。
家出は俺なりの反逆だ。
多少アクシデントが起きたとしても、そう簡単に白旗をあげたくはない。
「我が儘言ってる場合じゃないでしょ!」
そう怒鳴ったいのを俺は真っ直ぐに見つめた。
「ナルトに近づいちゃダメだって言われたんだ」
俺の言葉に、いのはぴたりと動きを止めた。
世の中は往々にして理不尽であると思う。
今の俺の両親は本当にいい人たちだ。
女の子っぽい服を買ってくることだって俺が可愛くて仕方ないからだし、言葉使いだの何だのと口うるさいのも親として当然の愛情がある故だ。口うるさいと思うことはあっても、それを本気で疎うことはない。嫌だと思いはしても、それは全力をもって抗議するようなことでもない。
彼らは今の俺にとって、すごく大切で、すごく大好きな人たちなのだ。優しくて、温かくて、俺に惜しみない愛情をくれる。
もし、それが例えば育児放棄をするようなロクデナシの親の発言だったならば、俺は一切耳を貸さなかっただろう。家出だなんて反抗をする真似さえしなかったに違いない。外道の言葉ならば聞かなけれないいだけのことだ。
けれど、そうでないから、そうでなかったから、俺は今ささやかながら全力で反抗している。
どうしてあんなにいい人たちが、善良な人々が、ナルトだけを疎外するのだろう。
「ナルトは馬鹿だし、いたずらばかりするし、突拍子もないこともするけど」
でも。
「悪い奴じゃないよ。すごくいいやつだ」
だから、俺は納得いかない。あんなにいいやつに関わるなと言った両親が信じられない。
ナルトと話をしたのはアカデミーに入って以降だから、別にそんなに付き合いが長いわけじゃない。でも、あの子はいい子だと言い切れる。別にナルトが俺のお姫様の忘れ形見だからじゃない。
あれは強がりで、寂しがり屋なただの子どもだ。いつかアカデミーで見た、孤独を押し殺していた俺のお姫様によく似た。
俺はお姫様を誰よりも見つめいていた。だから分かった。今回も一緒だ。ナルトを見ていればすぐに分かる。
だからこそ、思う。あんな寂しげな子どもに孤独を強いる大人たちが許せない、と。
「だから、俺は反抗するんだ。言いなりになんか絶対ならない」
子どもにとって一番の反抗は家出であると俺は思う。
だから、俺はその最たる手段を用いて徹底抗戦を宣言するのだ。
「俺は俺が正しいと思ったことをする」
俺にはそれが許される。
だって、俺はまだほんの幼女。小さな子どもだ。
青臭い正義を貫く権利を誰よりも持っているのは、子どもだと俺は知っている。
大人になれば、世間体やら外聞やら立場やら、いろいろなものに絡み取られて必ずしも正しさを貫けるとは限らない。
もっとも、そんなものは子どもにとって全くの無関係だ。だから、無茶が許される。そして、俺はそんな無茶を押し通す。子どもであるが故に。
大人たちは子どもたちにナルトを村八分する理由を語らない。
仕方ないだとか、子どもは知る必要がないとかそんな大人の論理を振りかざしながら。
だから、俺は子どもの論理で、子どもの手段で、そんな大人たちと戦う。
妥協と諦めという言葉を知ってしまった大人になんか負けるものか。
だって、俺は今度こそ物語はハッピーエンドで終わらせるのだと決めたのだから。
「自分の意思を絶対に曲げずに貫けるのは、子どもの特権なんだ」
そう宣言する俺の言葉に、いのは小さく笑った。
「なんかさ。まるで、それって一度大人になったことがある人みたいな言い方だよね」
呆れたようにいのが言う。
「でも、私にも何となく分かる気がする」
「いの」
「仕方ないから、私も協力してあげる。大人たちがナルトに関わるなって言っても、私も関わる。大人たちがいくらナルトを差別したって、私もナルトに普通に接してやるんだから」
私だって正しくありたいといのは言う。
そうやって笑ういのは野に咲く大輪の花のように美しかった。それは戦う人間の横顔だ。
いのは少し口うるさくて騒がしい女の子だけど、すごく優しくて気配りができる女の子だ。そして、強い正義感を持った女の子でもある。
彼女は弱いものを一方的に傷つけることが、理不尽であるということをちゃんと知っているのだ。
「シカマルやチョウジも仲間にしてさ。みんなで遊ぼう。キバとかも馬鹿だから、多分気が合うんじゃない? 一緒に加えてやろうよ」
だから、といのは続けた。
「帰ろう。だって、まずは怪我を治さないと遊べないじゃん」
あぁ、どうして俺はこうも――、女の笑顔に弱いんだろうか。
俺は気が付けば、いのの言葉に頷いていた。
結果として言えば、俺の反逆は未遂で終わった。
あれだけ意気込んでおきながら、怪我による途中退場だなんて情けない話だと思う。
けれど、俺の反逆は無意味ではなかったと俺は言い切れる。
だって、それがどれだけ小さくてもとても頼りになる味方ができたんだから。
「大丈夫、私はあんたの味方よ」
そう言って、彼女は力強く笑ってくれるのだ。
「だってサクラ、私はあんたの友達じゃない」
という訳で続きました。
オリキャラをぶちこんでもいいんだけど、サクラ転生です。
オリキャラをいれるには、スリーマンセルという仕組みがネックすぎると思うのです。
サクラは犠牲になったのだ。