赤い髪のあの子のことが大好きだった。あんなに人を好きになることはもう二度とないだろうと思う。彼女のことを想い、彼女の幸せだけを願い続けた人生だった。本当にそれだけしか誇れるものがない。
だけど、後悔はしていない。たった一つでも、俺みたいな凡人に誇るものがあったことの方が驚きだ。そして、それは彼女のおかげで、やはり彼女は最高の女だったと心から思う。
何度生まれ変わっても、俺にとって彼女以上の存在なんてない。そう、たとえ何度生まれ変わろうとも。
二回も同じことを口にするのは、それが重要なことだからだ。
何が言いたいのかと言うと、どうやら俺は生まれ変わったらしいのだと言いたい。
前世の記憶を思い出したのは、俺が五つになる誕生日だった。
ある時、ハッと我に返った。突然、俺の奥底から湧き出る泉のように前世の記憶が蘇ってきたのだ。
最初に思い出したのは、勿論赤い髪のあの子のことだった。次に思い出したのはあの子の王子様。そして、俺が“俺”であった最期の日。九尾の化け物。
記憶が蘇ると同時に、俺は走り出していた。
今の俺の両親が、俺を呼ぶ声がする。しかし、俺はそんな両親を振り返ることなく目的の場所を目指す。
向かったのは、慰霊碑だった。
今の“俺”の知識には、四代目が亡くなったという事実が存在する。奇しくもそれは俺が死んだあの日であったそうだ。彼は、あの日九尾を封じて亡くなったらしい。
では、あの赤い髪の彼女は? 俺のお姫様はどこに行ったんだ?
息を弾ませたまま、俺は慰霊碑の前に佇む。心臓が痛い。しかし、それに構うことなく、急いで上から順に目を走らせた。刻まれた名前を一つ一つ確かめながら、次々と指で名前を追う。
そこには過去の自分の名前も存在していたが、そんなものには構っていられなかった。自分の名などあっさりと通り過ぎ、目的の名前を探す。
なければいい。俺は祈った。
彼女の名前など、こんなところになければいい。
彼女は俺の人生そのもので、俺のすべてだった。彼女の幸せは、そのまますべて俺の幸せだった。
生きていて欲しい。ただそれだけを切実に願った。
四代目の名前を確認した時、俺は背筋を凍らせた。すぐ近くに、彼女の名前が刻まれていたからだ。
「……うそ、だろ」
思わず掠れた声が漏れた。彼女の名前に触れている指先が震える。
俺がすべてを思い出した時、一生を賭して愛した女は既に亡くなっていた。
その後のことを、俺はぼんやりとしか覚えていない。
今の両親は突然走り出し、うなだれて帰ってきた俺のことをたいそう心配してくれた。けれど、俺は繕うこともせず、ただ絶望に打ちひしがれていた。自分のことで精一杯で、周囲の心配に気づく余裕はまるでなかったのだ。
俺は齢五歳にして、既にどうやって生きていけばいいのか分からなくなっていた。
彼女のいない人生なんて考えたこともなかった。彼女だけが俺のすべてで、彼女のことだけを考えて生きてきた。彼女に出逢う以前の自分がどうやって生きていたのかなんて、既に覚えていない。
第二の人生を謳歌しようなんて気はさらさら起きず、気が付けば俺は縁側でぼんやりしながら毎日を過ごしていた。何かをする気力が湧かず、何をするにしても何を目的にすればいいのか分からなかったのだ。
両親はそんな我が子を心配はしたが、俺が何もする気がないのだから、どうすることも出来ない。
ただぼんやりするだけの我が子に何かの切欠が生まれれば、と、両親はやがて俺をアカデミーへ通わせることにした。
彼女を亡くした失意にあったが、俺だって両親が俺を想ってくれていることくらいは分かる。これは俺の人生だが、俺だけのものじゃない。今の両親はいい人たちだ。迷惑はかけられない。変わらなければ。
そうは思うのだが、俺の心はしおれたままだった。急に変わろうにも変わることなどできやしない。結局、穴の空いた心を抱えたまま、俺は何とかアカデミーにだけは通うことにした。
そして、そこで俺は重大な転機を迎える。
「よし、まずはお前たちのことを知りたい。みんな、一人ずつ自己紹介をしてくれ」
若い教師の言葉に、教室がざわめく。子どもたちは楽しそうに、あるいは不安げにお互いにお喋りをしていた。
しかし、俺はその輪に入る気もしない。自己紹介なんてもんにも興味なんて一切湧かず、結局は机に突っ伏していた。
そんな俺の前を、オレンジ色が通り過ぎる。
派手な色合いに、俺はなんとなく頭を上げた。そして、目の前の少年を見て、俺は固まる。
似ていた。
意志の強そうな瞳。その瞳は今、挑戦的にこちらを向いている。それはいつか見たお姫様のように。
その瞳の色は澄んだ青だった。それはまるで、彼女の愛した王子様のように。
そして、オレンジの髪。それはまるで、お姫様と王子様の髪の色を混ぜ合わせたような。
まさか。
俺は驚きに目を見開く。確かにあの時、俺のお姫様は大きなお腹を抱えていた。あの日、お姫様が臨月を迎えていたとしたら。彼女は、あの狂乱の最中、それでも、子どもを無事に産み落とすことだけは成し遂げた可能性はある。
だって、彼女だ。
俺のお姫様はただで転ぶような女じゃない。もしも、そうだと言うのなら。
俺の期待は、その少年が口を開いた時、核心に変わった。
「俺の名前はうずまきナルト! 将来、火影になる男だってばよ!」
「……は、ははっ」
うずまきという姓。特徴的なその語尾。火影になる、と断言する姿。
その全てが彼女に重なる。
少年――、ナルトの言葉を聞いた時、俺は思わず声を漏らして笑っていた。
俺のお姫様はもうどこにもいない。けれど、彼女の遺した忘れ形見が、そこにはいた。
俺は彼女の王子様にはなれなかった。そして、気がついた時には、守るべきお姫様は天災とも呼べる争いの最中非業の死を遂げていた。
俺は最後まで物語の隅にもかすらない兵士Bでしかなかった。
でも、もし兵士Bの物語に続きがあったならば、どうなるだろうか?
お姫様はもういない。けれど、きっと彼女にとって愛すべき子どもがそこにはいる。
俺は王子様にはなれない。そもそも、そういう柄じゃない。
だけど、騎士にはなれるんじゃないだろうか。お姫様の忘れ形見を守る騎士には。
いや、それが無理だとしても彼を支える友人Cくらいにはなれるかもしれない。
俺は世界がままならないもので出来ているということを知っている。世の中は総じて思い通りにはならず、現実はかくも世知辛い。
しかし、人はほんの少しだけでも希望があれば何とかやっていけるものだと思う。そう考えれば、世界は案外希望に溢れているのではないだろうか。
だから、そう。世界は案外捨てたもんじゃないと、俺は思った。