王子様にはなれなかった人の話   作:ノブナガ

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1 俺のお姫様と彼女の王子様

 その時、俺の目の前で一陣の赤い風が吹いた。

 

 勿論、それは比喩であり、現実には俺の目の前を横切ったのは長い真っ赤な髪だった。

 木ノ葉ではほとんど見ることのない赤い髪の少女は、俺の前を通り過ぎて黒板の前へと躍り出る。ふわりと棚引く赤い髪はあまりに綺麗で、俺は阿呆みたいに呆然と彼女を見ていることしか出来なかった。

 ぐっと彼女が顔を上げて、教室を見渡す。意志の強そうな瞳が印象的で、俺は気が付けば彼女を凝視していた。

 

 それが俺の長い片思いの――、引いては俺にとっての全ての始まりでもある。

 

 教師の紹介によれば、彼女は他の里から移住してきたばかりらしかった。通りで見たことがない筈だ。彼女は木ノ葉に来たばかりなんだから。

 今の時期に他の里から移住だなんて珍しいと俺は思った。いや、逆か。今みたいな情勢だからこそ、故郷を追われて木ノ葉に来るんだ。

 彼女は自己紹介の時も、その辺の事情を語らなかったから、詳しくは分からない。

 ただ、女ながらに火影になると豪語した彼女は強気であると同時に、どこか気を張っているようにも思えた。

 

 休み時間になると、俺は早々に彼女の元へと走り寄った。

 是非とも彼女の声を聞きたい、彼女と話をしたい。その時の俺の願望を表すと、そんなところだ。思春期らしい可愛らしい欲求だろう? ついでに、よければ親しい仲になれればという下心くらいはあったことも明記しておく。

 ただ仲良くなりたかっただけなんだけれど、クソ生意気な悪ガキだった俺が、素直に気になる女の子とお喋りなんか出来る筈もない。そもそも何を話しかければいいのか、まるで見当もつかないし、女の子とお喋りした経験さえほとんど皆無である。

 仲良くなりたいと思って彼女に声をかけたとき、俺の口から飛び出したのはまさかの斜め45度をいく「トマト女」だの何だのという罵倒の言葉だった。

 悪口を言って彼女をからかったのは、気を引きたい一心だったからだと、今ならば言える。

 当時は俺もまだまだガキだ。今、冷静に分析するならば「好きな子ほど意地悪したくなる」とかいうやつだったに違いない。

 まぁ、今から考えれば愚かな行為だ。そんなことをすれば嫌われるだけだということは火を見るよりも明らかである。バカヤローと、声を大にして当時の俺に言ってやりたい。

 素直に綺麗な髪だ、その髪に見惚れたのだと褒めれば良かったのに。

 要するに俺はこの時点で既に取り返しのつかない大きな失態を犯していたのである。

 

「やーい、トマト頭~!」

 

 当時の俺は、彼女の前でバカ丸出しでそう言ってはしゃいだ。それは俺の人生の中でも忘れ去りたい黒歴史の一つである。今思えば、周囲の目もいささか冷たかった気がする。恥ずかしい。

 とにかく、そうやってしばらく俺が彼女をからかっていたら、不意に彼女は肩を震わせながらうつむいた。

 

 あ、まずい。

 

 その時の俺の焦りをどう表現すればよいだろうか。俺の背中を冷たい汗が一筋伝った。

 まずいことをしてしまったのだと、さすがの俺も即座に理解した。

 目の前のうつむく少女。長い髪が顔にかかっているせいで表情こそ伺えないが、細い肩が僅かに震える姿は憐憫を誘う。

 

 その時、俺は彼女が泣いてしまったのだと思った。

 

 からかったのは俺で、そのせいで彼女が泣いたら、勿論それは俺のせいだ。しかし、俺だって惚れた女の泣き顔なんて見たくない。泣かせたかった訳じゃないんだ。俺は誰にでもなく、心の中で言い訳をした。まぁ、自業自得なんだが。

 

 結論から言えば、それは要らぬ心配だったとは言っておく。

 

 悪かった、ごめんと謝ろうと俺が彼女の肩に手を伸ばしかけた時、バッと彼女の頭が上がった。

 

 その時の俺の心境を何と言おうか。

 

 彼女はゴォゴォと炎を背負い、般若よろしくの顔で此方を睨みつけていた。そして、俺が驚き固まるその間に右ストレートが俺の左頬を貫いた。友人の声を遠くに聞きながら、俺が意識を飛ばしたのは言うまでもない。

 後に友人らから聞いた話では、俺は見事に潰れたトマトのように地面に突っ伏していたという。

 赤い髪のあの子は、その髪の色同様に苛烈な性格をしていたのであった。

 

 果たして、それで俺の恋心が冷めたかと言えば、そんなことは全然なかった。むしろ、益々燃え上がったと言ってもいいだろう。

 快活で気の強い彼女は、しかし、ふとした瞬間に寂しそうな表情を見せることがあった。その表情に俺の心臓は悪い病気にでもかかったかのように締め付けられる。

 断言しよう、俺はギャップ萌えというやつだったのである。

 

 人知れず彼女の瞳が悲しみに揺れるとき、強がりな彼女が一人故郷から木ノ葉へやって来たのだと思い知らされた。いかに苛烈な性格をしていようとも、右ストレートで同年代の男子を血の海に沈めようとも、彼女は孤独で守ってあげなければいけない女の子だったのだ。

 勿論、素直に守られてくれるような可愛い性格の持ち主ではなかったが、そんなところも愛しかった。鋼鉄のような強さと手折られた花の儚さを持つ彼女を、俺は愛していたのである。

 

 しかし、俺は彼女の騎士にはなり損ねたとだけ言っておこう。

 彼女の騎士、いや、むしろ王子様になったのは、同期でも頭一つ抜けた秀才で、顔も良し、性格も良しの非の打ち所のない男だった。

 神様は不平等だよな。あんなに美形で、才能に溢れているのに、性格までいいだなんて。俺なんかがかなう訳がない。実際に、俺のお姫様は王子様に惚れてしまった。

 

 しかも、二人の馴れ初めというのが、また物語みたいに良く出来た話で、攫われた彼女を王子様が運命の赤い糸で見つけ出し、救出したのだと言う。俺みたいなただの凡人が入り込む余地もない。

 その一件以来、二人は急接近だ。よく一緒にいるところを見かけるようになったし、二人がお互いを見る視線が熱い。気分的には団扇が欲しくなる程だ。

 俺のお姫様はそりゃあもう可愛くて、美人で最高にいい女だったが、王子様の隣にいる時は、それ以上の最上級で極上の女になる。笑顔の眩しさに度々見惚れてしまい、同期たちのからかいの種にされるくらいには。

 その笑顔を俺に向けてくれれば、と思うことはあったけれど、それは無理な相談だった。

 運命の赤い糸が彼らの小指を結んでいるのを見たなんて言うほど俺はロマンチストではなかったけれど、彼女と彼女の王子様は互いに運命の相手なんだということは否定しようもなかった。予定調和のように、彼らは出会うべくして出会ったのだ。

 

 その頃の俺は、悪ガキを脱却して、それなりに大人になっていた。世の中には出来ないこともたくさんあって、特にままならないものが人間の心だということを知っていた。だから、俺は俺の恋心が叶う日は来ないと、その頃には悟っていたのである。

 

 俺は告白なんてするまでもなく、失恋をした。

 

 俺の恋は人知れず終わりを告げたが、愛は永遠である。

 今更、お姫様とどうこうなろうとは微塵も思えなかったが、お姫様を想う気持ちは形を変えて俺の中に有り続けた。

 他人のものになろうが、お腹が大きくなろうが、彼女は相変わらず世界一の女だ。俺が愛すべき極上の女である事実は揺らがない。

 

 愛情は何も恋愛の一つではない。友愛、親愛、家族愛。愛情のあり方は多岐に渡る。

 恋敗れた今も、俺にとって彼女は愛すべき対象なのである。

 

 その頃には、彼女の王子様は年若くして里長に収まっていた。さすがは彼女の惚れた男だ。元恋敵ながら天晴れと思う。

 その調子で彼女のことも幸せにしてやれ。つーか、不幸にしたら絶対に許さん。その時は、お綺麗な顔をぶん殴ってやる。まぁ、俺じゃ返り討ちに合うのが関の山だ。せめて、顔岩に落書きくらいはしてやろう。イケメンを台無しにしてくれる。

 誰に言うでもなく、俺は心の中で誓った。

 

 一方で、その時期、俺は彼女には重大な秘密があることをなんとなく察していた。その重大な秘密というのが、里の最高機密レベルらしく一介の忍でしかない俺には詳しくは分からなかった。

 里の最高機密だなんて、彼女が抱えるものの大きさはどのようなものなのか。俺には想像も付かない。

 

 それでも、王子様ならば何とか出来るに違いないし、微力ながら俺も彼女の為なら陰ながら尽力しようと思った。

 いずれにせよ、王子様とお姫様の物語はハッピーエンドでなければならない。御伽噺の終わりには、幸せに暮らしました、めでたしめでたしの一言が必要である。

 

 俺は彼女の王子様にはなれなかった。最後まで俺は、町人Aでしかない。いや、せめて彼女を守るお城の兵士Bくらいにはなりたい。俺はなれただろうか。

 物語には必要ではなく、名前も持たないほんの脇役。それでも、その脇役は本気で彼女のことが好きだった。

 舞台に上ることもなければ、スポットライトを浴びることもない。お姫様の寵愛なんて以ての外だ。幸せに笑う王子様とお姫様を眺めることしか、俺には出来やしない。

 

 それでも構わなかった。

 

 恋は切なく苦いものだが、愛は尊く美しいものだ。

 王子様の横で幸せに笑うお姫様さえ見られれば、万々歳だ。俺はお姫様の笑顔が大好きなんだから。そして、それは王子様の隣にいる時、何よりも輝くんだから。

 だから、守ろう。お姫様の幸せを、お姫様の笑顔を。

 

 それは何の前触れもなく、木ノ葉の里を襲った。

 いや、そう思っているのは俺だけで、実は前触れはどこかにあったのかもしれない。けれど、俺はそれに気づくことはなかったし、知ることもなかった。

 

 いつもと変わらぬ穏やかな日常を送る木ノ葉を、突然地響きが襲う。

 見上げた空には、強大な姿をした獣がいた。

 それが、九尾の狐であると咄嗟に理解した者はどれくらいいただろうか。多くは、突然現れた化物に慄き、困惑したことに違いない。

 ある者は逃げまとい、またある者は状況は分からずとも、里のためにと武器をとった。そして、俺もそんな一人として武器を構える。

 現れた九尾の化け物を前に、仲間たちが次々と倒れていく。

 恐怖に足を竦める者、絶望に打ちひしがれる者、大事な者を亡くした悲哀に嘆く者。絶望蠢く狂乱の最中、俺はそれでも戦うことを選んだ。

 

 兵士Bの実力なんて知れている。真にお姫様を救うのは、王子様の役目だ。

 だが、兵士Bには兵士Bの役割があり、戦いがある。

 例え、この命尽きようとも、この愛を貫く。お姫様を王子様がちゃんと守り通せるように、俺は俺の仕事を為す。

 

 鳴り響く轟音。天を割る怒声。吹き飛ばされる建物、人間。

 九尾の尾が地面を凪払う。そのすぐ近くに倒れている人影を見つけて、俺は走り出していた。

 それは強大な力からすれば羽虫のような命だろう。あまりに脆く、弱い。けれども、小さくともそれは紛れもなく命であった。

 

「――っ!」

 

 仲間たちの声が遠くに聞こえる。それでも、俺は止まらなかった。

 無事に倒れていた人物に辿り着いた俺は、その人物を時空間忍術で送る。俺が送れるのは動かない人を一人が手一杯。自分自身は送れないし、そもそも消耗が激しくてすぐには体も動かない。

 それなりに修練は積んだつもりだが、四代目程の実力が付くことはなかった。彼に対抗心と憧れと尊敬を抱いて磨いた時空間忍術。結局、一人を救う力しかなく、その一人も愛すべきお姫様ではなかった。

 

 それでも、後悔はしていない。

 それが誰であれ、誰か一人の命を救ったんだ。兵士Bにしては上出来だろう。

 

 その時、九尾の尾が動き、俺の体は横から風圧を受けて宙に舞った。壊れたガラクタみたいに吹っ飛ぶ。宙を舞いながら、俺はその向こうに空を見た。

 脳裏を過ぎったのは長い赤い髪で、俺の目の前を赤い風が吹いていく。それは錯覚か、幻か。はたまた、走馬灯と呼ばれるものの一種か。俺には判断もつかない。鮮やかな赤は、いつかアカデミーで見た一陣の風だった。綺麗で、鮮やかで、俺はその赤に触れたかった。

 

 俺は最期の瞬間、無意識に手を伸ばしていた。あの美しい赤い髪を心に描きながら。

 九尾なんて化け物が現れて、あの子は無事だろうか。彼女の王子様はちゃんと彼女を守り通せているだろうか。

 俺は最期の最期まで、俺のお姫様の無事と幸せを祈り続ける。

 お姫様がどうなったかなど、地面に打ち付けられた時、もう地面の冷たささえも感じることはなくなっていた俺には知る由もない。


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