東京喰種[滅]   作:スマート

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#002「蟋蟀」改訂版

―群衆に紛れヒトの肉を喰らう、ヒトの形をしながらヒトとは異なる存在…人々は彼らを―『喰種(グール)』と呼ぶ。

 

 

 

 僕は両親の顔を知らない、生まれて来た時に見たであろう顔を僕は写真という形でさえ僕は持ってはいなかった。母乳の味も、その優しいであろう母の温もりすらも僕は知らずに育ってきたらしい。

 

らしいと言うのは、そのことに関しては余り鮮明には覚えてはいないからだが、どうと思う事は無いがそれでも矢張り何処かにいるかもしれない両親に思いを馳せることが無いとは言えない。最もそれは肉親に再開したいとか、明るい気持ちでは無く僕をこの生き辛い世界に何故産もうと思ったのか、その理由を聞きたかった。

 

この東京で生き抜くためにした苦労を、はたして何処かにいる僕の両親は知っているのだろうか。知っていて僕を生んだというのであればそれは理不尽以外の何物でもない、せめて人に任せず自分の手で独り立ちできる所までは育てて欲しかった。

 

他人に僕を預けたりせず、本当の肉親の元で育てて欲しかった。僕はきっと悪い意味で特別なのだ、だからこそ両親はそれを知ったうえで僕を見捨てたという事になる。無責任すぎる。正直、もし再会できたとして感動の再会になるかといえばNOだろう。

 

両親にもし会えたなら、悪態をついてから殴りかかるのだろうか。それとも感動に打ち震えて泣きながら抱き着くのだろうか。いやそのどちらも違うだろう、僕はきっと両親にあったとしても何も感じない、親愛の情もそれが憎しみに転じる事でさえないだろう。

 

そういうとまるで僕が冷徹な情の欠片もない親不孝者のようにも聞こえるが、僕がこの10年間歩んで来た道のりはそれほど辛く苦しいモノだったと言及しておこう。無責任な人達の所為で僕は今の幸せは奪われ、愛おしかった妹でさえも奪い奪われる関係に堕ちてしまった。

 

 

だから……僕は人間(ひと)を食べられない。

 

 

 

 

 

 

「くだらない」

 頭に浮かんでいた幸せだった時の情景をその言葉とともに吐き捨てる。今は感傷に浸っている場合じゃない。僕にはそんなくだらない、今考えても仕方のない事よりもまず先に行わなければならない重要な事があった。それは、肉体労働でもあり、江戸時代において武将の間で流行っていたスポーツであるところの、鷹狩りにも似ている。

 

いや狩っている獲物が害獣な分、鷹狩と言うよりは保健所の仕事代行と言った方が良いのかもしれない。彼らは其処に存在しているだけで人々に不幸を招くまさしく疫病神以外の何物でもない。

 

彼らを駆除する事は喜ばれこそすれ、疎まれることなど絶対にないだろう。

某動物アニメブームとして日本に持ち込まれて野生化したアライグマや、観賞魚として持ち込まれ飼いきれなくなって放流されてしまったブラクッバスの様に、本来の生態系を乱す有害な生物である彼らを僕は常日頃から狩る事にしていた。

 

それが僕が出来る、どこかで平和に暮らしている妹への罪滅ぼしだと信じて。

 

 真っ黒い夜の闇に溶け込むような、光沢のある雨合羽に、雨の日でも動きやすい滑り止めのスパイクがついた黄色いメーカーもののスポーツシューズ。それに加えて、漆塗りの陶器のような黒光りする、昆虫の頭部を模した丸い仮面を顔に貼り付け、僕は今日も暗い暗い、町の奥に存在する路地裏に立つ。

 

害獣駆除の為、妹の為、人類の敵を殺す為、僕は夜の冷えた空気を物思いに耽っていた所為ですっかり冷えて乾いた肺へと目いっぱい吸い込んだのだった。

 

「これは…いるな」

 

 生暖かい風を肌に受け、深呼吸をすると鼻に入ってくるのは、どうにも食欲を刺激する、鉄のような香ばしい匂い。自然と唾を飲み込み、呼び起こされる衝動を無理やり抑えつけ、僕はゆっくりと闇に溶けるように移動を開始する。

 

 忍者のように物音を一切立てないように、絶対に気付かれないように静かに、静かに目的の場所へと進んでいく。すると、路地裏の最奥、少し開けた場所に2つの人影が、月明かりに照らされて見えた。

 その内の一つは汚いゴミだらけの地面に横たわっており、生気を感じさせないものだ。

 

 だが、遠目からでもソレが辛うじてかつて生きていたモノだと分かるのは、この漂う匂いが、血の臭いだと知っていたからだ。何度感じても嫌な思い出しか浮かんでこない香りに眉を顰め、僕はあまり匂いを吸い込まない様に口での呼吸に切り替える。

 

そんな人影の側にひざを付けて今にも襲いかからんと口元だけ面をずらして口を開けているのは、兎のような面を被った小柄な人影…人が、人を食べようとしている。それはとても残酷で、人類史おいては絶対に犯してはならない禁忌であり、本能的に忌避すべきモノであるはずだ。

 

 

 俗に言うカニバリズムと呼ばれる忌まわしき行為を行おうとする人影は、そっと頭に被った兎の面をずらし、赤黒く染まった眼と、だらしなく唾の垂れた口を露わにする。

 

その表情はまるで大好きな食べ物の前で我慢できず腹を鳴らしてしまう子供の様で、とても人間の身体を目前としてするような顔では無かった。場に即していない酷い違和感を感じる、まるでここがレストランの一室だとでもいっているかのような不快な感覚、それが彼らと人間の大まかな見分け方。

 

 「確定だな…あれは喰種だ」

 

 言うが早いか僕は、雨合羽を脱ぎ捨て、動きやすい黒いスポーツウェアのまま、兎面の人影に接近した。音を立てずに移動するのは昔から得意だった、抜き足差し足でゆっくり近づくのではない。相手に接近を気づかせないような位置まで接近した後は、一転して一気に走り出すのだ。

 

これが意外と気づかれにくい、もちろんドタドタと汚らしく音を出せば気づかれるが、スムーズに足を運ぶ走り方さえマスターしてしまえば、後はゆっくりと近づいて緊張から洩れる呼吸音を聞かれない分、効率が良い。僕はその走りに加えて大きく跳躍し、兎面の人影へと一足飛びで距離を詰める。

 

 「はい、ごめんねぇ…楽しいディナーを邪魔しちゃって悪いけど。人殺しはもぉっといけないことなんだよぉ?」

 

「…っ!?」

 

 倒れた人影の首筋に今にも歯を突き立てんとしていた兎面の頭をつかみ、顔面ごと地面に押し付ける。コンクリートの地面と、柔らかい頭が地面に打ち付けられる、鈍い音が響き兎面の身体は大きく痙攣する。頭から外れた仮面がその衝撃でバウンドし路地の隅へと消える。

 

「あ…が…」

 

 兎面の人影はだが、直ぐに倒れた身体を捻って僕の手を振りほどき、十分に距離をとってゆっくりと立ち上がる。なるほど不意を突かれても直ぐに体勢を整え攻撃に打って出ようとする辺り、かなり手慣れた雰囲気を感じる。しかし、僕の先制は相手にかなりのダメージを与えたようで、兎面は額から流血を滝のように垂れ流して、頭を押さえていた。

 

 近づこうとする僕から距離をとろうと思ったのか、兎面の…少女は足を動かそうとして、思うように身体が反応してくれないことに気が付いたようだった。当然だった、勢いよく頭を地面に恣意的にぶつけてやったのだ。アスファルトの地面に空中から体重を乗せて叩きつけたのだ、普通の人間なら下手をすると、そのまま帰らぬ人となりかねない威力で…だ。

 

 脳髄を頭蓋骨の中でシェイクされれば、誰であろうと例え喰種であろうとも暫くは平衡感覚を失わさせることが出来る。それが食事前の飢えて力の無い喰種なら、尚更この攻撃は響くだろう。

 現に、兎面を被っていた少女は時折つらそうに足をふらつかせているのだから。

 

 

「おやおや、それで気絶しないなんて、あなたは不思議ですねぇ?そ・れ・と・あれれぇ…あなた眼が赤いですねぇ。

まるで…喰種のようだ。全く偶然です、実は喰種も全く同じ特徴をしているのだそうですよ?」

 

 これは茶番でしかない、言ってしまえば軽い挑発行為。相手が若い喰種なら、技能に長けた老獪な喰種に比べ感情的になりやすいので、少し怒らせて行動パターンを制限してしまえば、簡単に攻撃をいなせられる。

 

問題は素顔を見せないように、仮面を被っている喰種が一般的なため、年齢の特定がし辛いという事だ。今回はその点において非常に運がいいと言えるだろう。この兎面の喰種は、目の前の餌を前にして絶対に人間には見せてはならない素顔を僕に対して晒してしまっていた。

 

黒い髪を肩のあたりまで伸ばし、片目を隠すようなヘアスタイルに、切れ長の気の強そうな瞳。だが、歴戦の喰種と言った雰囲気はなく、その威嚇する相貌からは、どこか幼さが感じられた。強者の威圧と言うものでは無く、どちらかと言えば「小さい犬は良く吠える」といった意味合いが強いモノだ。

 

 まだ、中学生くらいだろうか。何れにしてももう顔と、体臭…それに動きの癖はしっかりと頭に入れたので、逃がしてもこの付近の外に出られない限りは残り香を辿ってまた追縋ることが出来る。

 

 あとは余裕に構えて、挑発という釣竿を垂らすだけで、舞台は調うのだ。

 

策を立てるのに面倒なのは相手の警戒心、どんなものが待ち構えているのかと周りを注意されていると非常にやりにくい。だからこそまずは戦闘の常套手段として相手の油断、怒りを誘い我を忘れさせてしまうのだ。

 

自己を保てず我を忘れて突っ込んでくる相手程、パターン化されて戦いやすい相手はいない。相手の実力が低ければ、攻撃を回避する必要もなく一瞬で蹴りをつけられるほど隙が生まれてしまうのだ。

 

 これに乗ってくるか、僕と自分の戦力差を冷静に見て、そのまま逃げ出すかでこの兎面の効率のいい堕し方が決まる。僕の希望としては後者は追いかけるのは無駄な労力と人脈を使うので、前者の方がよかったが、少女は運良く僕の挑発に乗ってくれたようだった。

 

 もう、ありがとうとしか言いようがない。

 ご飯が口を開けていたら勝手に入って来たとでも言うような、間抜けな図だった。

 

「…っ、ほざけ!」

 

 ズッ…それはとても深みのある、血が変化したかのような赤色だった。暗闇でも発光しているのかと言うほどはっきりと見ることが出来る赤は、兎の背中から霧状に発生していた。まるで赤い翼のようにも見える。

 『赫子(カグネ)』と呼ばれるそれは、忌まわしき種族が人間を捕食するときに出す捕食器官。カマキリの鎌や、ライオンの牙のようなものだ。

 

その流動する液状の赫子は見た目に反し非常に頑強で、そのうえ高い殺傷能力を持っている。柔軟性にも優れたそれはさながら『液状の筋肉』と称されるほどだ。

 

この少女の場合、天使というよりは羽の毒々しい色彩は悪魔や妖精のそれと似ているが、それでも攻撃性については折り紙付きだろう。

 

普通は喰種といえどそう簡単に発現させ得るものではない赫子。特にこのくらいの少女ならばまだ上手く使いこなせないと踏んでいたがそうか、この若い少女はこの歳にして使いこなすことが出来るのか。ふむ、これは挑発をしたのは失敗だったのかもしれない。

 

 食事前ということもあって、今まで見てきたソレとは大分形が崩れてきているが、だがまだ殺傷能力は大分残っている。そして、なまじ羽のような形をしているというのも、この場合少女の助けになっていた。注意するべき凶器の面積が大きい、それは戦闘において集中力を削がれる大きな要因となる。

 

「これはこれは、羽赫(うかく)ですかぁ…」

 

 

 例えるなら、一方通行の通路で無数の拳銃を持っている相手と対面していると考えて良いだろう。背中を見せて逃げることなど論外、隙を見せた瞬間に急所へと高威力の羽赫が迫ってくるだろう。

 

 特に、背中はまずい。そこは僕にとってかなり重要な急所となり得る場所だ。場所を誤れば心臓や脳を打ち抜かれるよりも手酷い有様になり兼ねない。

 

 そこを恐らく少女は計算ずくではないだろうが、もし背中を見せたとすれば躊躇なく羽赫を発射することはさっきまでの少女の態度から推測できる。腹ぺこの肉食獣ほど気がたっているモノは無い、だからこそ用心に用心を重ねた所でそれは過剰ではないのだ。

 

「兎の面に羽赫、あなたその意味を分かっていますか?」

 

「……」

 

 たとえ話をしよう。兎は、他の動物と違い、匹や頭ではなく羽で数えるという珍しい生き物だ。

そして、その理由は昔、修行の僧が戒律によって肉を食すことを禁じられていたとき、鳥だけは食べてもよかったので、近くにいた兎を耳が大きいから羽に見えるという事で、鳥とし捕まえて食べたのだという。

 

 つまりは、狩られるべき存在であり、それを暗喩しているという事だろう。いたいけな兎が、人を刈る世の中は絶対にあってはならないのだ。

兎は、狩られる側…美味しく頂かれる側でなくてはならない。

 

 「……あんた、なんなの…?それにしては動きが早すぎるし、でも…その態度はハトにそっくり。その私達を蔑んだ、害虫としてみている態度は…私達だって、生きてるの!」

 

「だから人を食べる、生きていくために必要だから…か?」

 

「あんた…知って」

 

「そんな事はずっと前から知っているさ、正確には生まれ落ちたその日から強いられていることだ…でもね、僕は人間が大好きなんだ、儚くてガラスのように柔らかい命が…愛おしい。だからさぁ、僕は人間を食べないのさ…」

 

正確には食べることが出来ない、というのが正しいだろう。だがそれを正直に少女にいう必要もない。どうせ今日で終わりの命に冥土の土産をくれてやるほど僕は甘くないし、それは死亡フラグだという事も知っている。

 

僕の言葉に少女は訝しげに眉をひそめた、分からないのだろう。

僕が、喰種なのか人間なのか。僕の臭いは、例え喰種であってもその判別を妨げる。

 

そして、僕は今人を食べないという発言をした。この言葉が、額面通りなら僕は人間だと少女は思いいたるだろう。だが、僕はワザと「人は」食べないとニュアンスをぼかした。

 

 今少女の中では、僕へどんな攻撃を仕掛ければいいのか迷いに迷っているはずだ。人間ならば手元かそのすぐ近くにあるある道具を警戒し、周囲に仲間がいないか警戒すればいい。そして相手が喰種なら、背中から発生する自由自在に動き回る狂器に注意して戦えばいい。

 

知識があるモノほど、こういう状況では理性的になりすぎて行動が遅れるのを知っている。そして、その時にもっとも致命的な隙が出来ることも……

少女は言わば、血に飢えた獣。餓死寸前の獣は生き残るためにどんな動きをするか分からない。

 油断は禁物であり、仕方なく僕も本気で少女に相対する。力無き少女に刃を向けるのはどうにも気が引けるが、彼女が今まで人間にして来た事を、身を持って自分で体験させるのだと思えばその気概もいささか楽になった。

 

 僕の嫌いな力、生まれ落ちたその瞬間から僕が持っていた、世界から忌み嫌われる力をつかう。

 

「ぬう…っがああああああ!!」

 

 息を力一杯吸い込み、体内で流動する血液を背中に込め、突き破るように自らから発生させる。ヌラヌラと真っ赤に輝く触手のようなモノが二本、僕の背中からズルリと服を突き破って現れた。

 

 「なっ!?喰種?」

 

 少女にとって僕の背中から生えるモノは予想外だったのか、少女は眼を見開いて一歩後ろに下がった。その判断は賢明だろう、一般的な格闘ならいざ知らず、喰種同士の戦闘において、公平というモノは存在しない。

 

 つまり生き残ったモノがその日の勝者で、死んだモノが敗者なのだ。

 少女が後ろに下がったのは、別に僕の赫子に恐れをなしたからでも、喰種同士の戦いに不馴れなわけでもないだろう。

 

 少女は間合いをとったのだ。矢張り何かの戦闘経験を積んできてはいるのだろう。恐らくはどこかの区で肩慣らし紛いのことをやってきたバトルマニアなのか。とっさの判断だろうが、僕の赫子の種類を瞬時に見抜き、羽赫が届き、かつ僕の攻撃が届かないギリギリの位置へ移動したのだ。

 

「ははぁ…今回の獲物は随分と頭が回るようだ?そう言うのを天才だとか、秀才とか言うんですよねぇ、羨ましいなぁ。さぞ、ご立派な両親に恵まれたんでしょうねぇ…」

 

 おどけながら前へと一歩出ると、少女が牽制なのか羽赫を小さな針状に変化させ、数本飛ばしてきた。

 

「おやぁ、おいたはいけませんねぇ?人に暴力を振るってはいけませんって、ご両親に言われませんでしたかぁ?」

 

 だがそれも、僕の赫子で簡単に弾き飛ばすことが出来た。一切傷付くことなく、また一歩足を進める。その間に僕と少女の間に、明確な実力の差があることに気が付いたのか、少女は腕を自らを抱くように合わせ、羽赫を消滅させてしまった。油断…ではないだろう、もう少女は自らの赫子を保てるほどの力がないほど、限界に迫っていたのだ。

 

 空腹時にエネルギーを使う赫子を出すだけでも、気絶しかねないほどにも関わらず、少女は張り詰めた空気の中10分近くもも赫子を維持し続けた。僥倖といっても言い、奮闘だった。

 僕はこの事を、この少女が死んでも数日間は覚えていようと思う。

 

「どうして、喰種の癖に私を狙う!あんたの狩り場を荒らしたのか?だったら謝るから…見逃して…」

 

「ふふ…勝てないと見ると命乞いかなぁ…、良いよその生きたいという意志はとても素晴らしいものだぁ」

 

 唇を噛み、気絶しそうになる身体を必死にこらえて踏ん張る少女の姿は美しかった。

 生きたいと願う純粋な気持ち、只それだけのみが、喰種と人間どちらにも共通する感情なのか。

 実に美しく、人間らしい。

 

 狩ることに慣れた喰種は、人間よりも自身が上位の存在だというように、傲慢になる傾向がある。

 それは人間でいうならば不平等だ、自然界において天敵が存在しない生き物などいないように…

 

 また、喰種にも天敵は必要なのだ。 傲慢をかき消すために、自惚れだ喰種に人間らしさを取り戻させるために。人間が大好きだからゆえに、僕は人を殺さず、人間のように傲慢さが消え、怯えて震える子羊に成り下がった喰種を喰らう。

 世界中にひっそりと生きる喰種全てに人間らしさを取り戻させて、また傲慢になる前に腹に収めて刈り取ってあげる。

 

 実に美しく、綺麗な行いだ。世界は潤い、人間は僕に感謝こそすれ、恨んだりはしないだろう。

 「悪い喰種は食べちゃわないと」

 ソレが僕の、生まれてきた意味であり、僕に課せられた大切な使命なのだ。

 

「あ……ああ、あんた、その黒いコオロギのマスクに真っ黒な服……一三区の!?」

 

「おやぁ、今更気が付いたのかぁ…それは出会った瞬間に気付くべきだったねぇ…?

もう逃げられない距離に迫られてから、気付いても、もう君の死は揺らがないぞぉ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 喰種を専門に狩り、その死肉を喰らい世の洗浄を歌う、狂った思想を持つ喰種の男がいる。

人間を食べる喰種の思想など大概が大いに狂ってはいるが、その中でも、東京全区全体に響きわたるほど、ソレの思想は独特で異質だった。

 

 美食でも、大食いでも、屍漁りでもない…只純粋な共食いのみを主とする喰種。

 

 同種の肉を喰い漁り、執拗に追い回し、ねらった獲物は例え逃げ切れても人生に絶望するほどのトラウマを負わす天性のサイコパス。暗闇に息を潜め、本当に最悪のタイミングで姿を現し、実に狡猾に獲物を狩っていく彼は、何時しか東京全土の喰種に知れ渡っていた。

 

 曰わく、その男は何時も闇に溶け込むような黒い服を着込んでいるという。

 曰わく、その男に捕まった喰種は、身体の…骨の一本にいたるまで、血の一滴もこぼさず平らげられたという。

 

 誰が呼んだか、「共食い蟋蟀(こおろぎ)

 

 昆虫の複眼のように虚無を映し出すマスクからは、何も感じさせない冷徹さへの恐怖の象徴として。

 同族であろうとも、何の感慨を抱かず、餌として貪り喰らう蟋蟀の暴食性を指して…

地獄の鬼さえ逃げ出しかねない、その共食い喰種特有以上の強さから…

 

彼は、闇に潜む地獄の裁判官…「閻魔蟋蟀」と呼ぶ。

 

 喰種を捌き、人間を愛する彼は、陰湿と名高い笑みを無感動な昆虫のマスクに隠しながら、月光を背にして、命乞いする少女の前に立ちふさがる。

 

「それでは、頂きます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……僕は人間を食べられなくなった。

 


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