ぴゅあ×ぜろ★みらくる   作:いぶりがっこ

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スノードロップの花言葉:
『希望』『慰め』『初恋のまなざし』


第八話「プリマ・プラムふたたび」

朧に揺らめく、柔らかな二つの月明かりの下、

重なり合う金属音に満ちた喧騒が、静寂を割いて渓谷に響く。

断崖より降り注ぐ矢の雨より逃げまどいながら、ルイズが叫ぶ。

 

「どうなってるの!? もう街は目と鼻の先だって言うのに」

 

「弓矢を射かけてくるならメイジではない!

 ……にしても、この地形、随分と要領のいい野盗のようだな」

 

短く応じながら、ワルドが『風』で矢を打ち払う。

 

「あら? 最近の賊はメイジ相手にここまで頑張るものですの?」

 

「…………」

 

魔法衛士隊長の沈黙、その意味する所に、キュルケが軽く舌打ちする。

敵が本当の意味で要領の良い物盗りであるならば、そもそもメイジを狙ったりはすまい。

彼我の実力差によるもさる事ながら、貴族に名を連ねる存在を襲う行為、

それ自体が夜盗風情にはリスクが大き過ぎるのだ。

まかり間違えて大貴族を敵に回そうものなら、軍による討伐は避けられない。

 

それを踏まえた上で、もしもこの襲撃が、

初めから計画されたものであったとするのなら……。

『姫殿下の極秘任務』の意外な重さにため息しつつ、キュルケが炎で断崖を照らす。

 

前衛で風の障壁を展開するタバサの顔もまた、一様に渋い。

もっとも彼女の苛立ちは、得体の知れない敵に対してではなく、

己の愚かさに対し向けられたものであった。

 

いかに町に程近いとは言え、崖の上を確認もせずに合流を図ったのは迂闊に過ぎた。

魔法を使えない平民相手ゆえに、ひとたび上空を取れば勝利は容易いが、

視野の制限される夜戦において、

降り注ぐ矢を避けながらシルフィードを飛ばすのは無謀に過ぎる。

 

「し、しかしこのままじゃジリ貧だ、何か……」

 

と、ワルキューレを繰り出し防備に専念していたギーシュが、

はっ、と何かに気付き顔を上げた。

周りのメンバー、そして崖の上の賊達すらも一瞬動きを止め、一時的に攻勢が弱まる。

 

いつの間にか、音も立てずに周囲に拡散していた淡い光。

蛍のようなか細い光が、いつしか群体を成し、うすぼんやりと周辺の闇を照らし始めていた。

奇妙に漂う燐光は、やがてある種の意志を持って、一カ所に集約を始める。

 

「ヴァリエール、それは一体?」

「えっ、きゃっ!?」

 

鮮やかな燐光のうなりに呼応するかのように、ルイズの胸が、

厳密に言うならば、胸元に下げられた手製の巾着袋が、内側より輝き始める。

光は周囲の燐光を引き寄せながら、

ルイズを中心に、まるで日中のような強い輝きを放ち始めた。

 

「――!? 見つけました!」

 

遥か上空より、少女の高い声が響く。

 

『――アクアドゥ・プルヴィナ!』

 

間をおかず、異国の詠唱が紡がれる。

たちまち断崖上に青白い光が走り、大地に鮮やかなサークルを描き出す。

直後、ドウッとばかりに圧倒的な質量が大地より噴出し、

天空に向けて一直線に駆け上がっていく。

 

「……水? って、きゃああぁぁッ!?」

 

呆然としたルイズをあざ笑うかのように、間欠泉のように噴き上がった水が、

今度は叩きつけるようなスコールへと変わる。

ワルドとタバサが素早く上空へと疾風を放ち、水滴を左右へと払う。

 

雨音混じりに聞こえていた喧騒が、徐々に静寂へと変わって行く。

野盗たちにしてみれば、現状はあくまで

地の利を抑えた事で優位な戦況を維持出来ていたに過ぎないのだ。

新手に上空を抑えられ、松明の明かりを奪われてしまった今、

尚もこの場に留まるような蛮勇の徒などいるはずもない。

 

「やれやれ、命拾いをした……、と言いたい所だが、

 君達の中に、今日この場に駆けつけてくれそうな、

 水系統の実力者を知己に持つ者はいるかい?」

 

「そんな都合のいい知り合い、居るはずもありませんわ。

 ……ただ、少々風変わりでおっちょこちょいで、お節介焼きの友人でしたら」

 

「おっちょこちょい?」

 

ワルドの問いかけに対し、

湿気を孕んだ髪を煩わしげに掻き上げながらキュルケが応じる。

通り雨の去った夜空を見上げながら、

「ああ」と、ルイズが腑に落ちたように呟きをこぼす。

 

「っくちゅん! うう、みなさん、ご無事ですか~」

 

ロバ・アル・カリイエ最強の魔導師、プリマ・プラム。

東洋の少女たち全ての憧れであると言う伝説のメイジが、

今、濡れ鼠となって鼻水を垂らしながら一同の前に姿を現した。

 

 

野盗との戦闘より一時間後、

渓谷の街ラ・ロ・シェールの高級宿『銀の杵』亭の一階では、

荷を下ろした一同がようやく食事へとありついていた。

 

「す、すいません、おまたせしました!」

 

宿から借りた厚手のローブに身を包んだユリーシアが、

パタパタと階段を下りてくる。

 

「なに、慌てずとも構わんよ。

 しかし、私の許婚者に、君のような変わった友人がいるとは知らなかったな」

 

苦笑交じりに、ワルドが着席を促す。

 

「改めて自己紹介させてもらおう。

 今回の任務でルイズの護衛を賜った、魔法衛士隊のワルド子爵だ」

 

「あ、わ、私は皐ローザです。

 私の方こそ、この間は……」

 

「この間?」

 

「い、いえ! 妹のユリーシアがお世話になりました」

 

「ああ、なるほど、あのやんちゃな女の子の姉君だったと言うわけか。

 確かに顔立ちがよく似ている」

 

然り、とひとつ頷いたワルドに代わり、ずいっ、とルイズが身を乗り出す。

 

「けれどもローザ、あなた、今日はどうしてこんな所に?」

 

「あっ、はい!

 実は今日、こっそり学院の方にお邪魔したんです。

 そうしたら、ユリーシアからみなさんの事を聞かされて、それで……」

 

「それはありえない。

 あの子は私たちの行く先を知らない。

 彼女の情報だけで、私たちの後を追ってくるのは不可能」

 

一切フォークの動きを止める事無く、ばさりとタバサが切って捨てる。

思わず表情に出そうになる動揺をぐっと呑みこむ。

大丈夫、幸い空の上にあった半日の間、言い訳を準備する時間だけは十分にあったのだ。

そう必死に自分に言い聞かせ、ユーリが胸の奥に用意した台本を読み上げる。

 

「――その、ユーリがルイズさんに託した『お守り』ですよ。

 私はそのお守りに込められた魔力を探知しながら、

 ここまでずっと追いかけて来たんです」

 

「えっ、この袋の中身って、そんなに便利なマジックアイテムだったの!?」

 

「そう言えばさっきの光、アレもこのお守りとやらの能力なのかい?」

 

「ふぅ~ん、ようやく合点が言ったわ。

 つまり、そもそもあなたが最初にトリステインを訪れた時も、

 ユーリちゃんに預けたコイツの気配を追ってきたってワケなのね」

 

思いもかけず話題の中心となった巾着袋を前に、

好奇心たっぷりの若者たちが、やいのやいのと考察を重ねる。

 

話題のそれた酒席を前に、ユーリがほうっと一つ安堵の吐息をつく。

真実を織り交ぜて語るのは勇気を伴う行為であったが、

ルイズたちを探す折に『しずく探索の言葉』を使ってしまった以上、

質問がお守りの中身にまで及ぶのは明白である。

それならば始めから、都合のよい真実だけを提示してしまった方が良いと言う事を、

ユーリは前回の反省から学んでいた。

 

「ふふっ、こうなると益々中身の方が気になるわね~。

 この袋の中には、一体どんな御神体が入っているのかしら?」

 

「わわっ! ダ、ダメですよ~、

 中を見たら御利益が無くなるのはホントなんですから!」

 

「え~、じゃあ……ちょっとだけ?」

 

「ダメったらダメですー!!」

 

「まったく、ゲルマニアの人間はデリカシーが無くて困るわね。

 他所様の信仰の尊さも理解できないのかしら?」

 

思いもよらぬルイズの助け船に、キュルケがちらと眉をしかめる。

ユーリが表情を軟化させ、再び溜息をつきかけた、が……。

 

「――だが、ミス・ツェルプストーの気持ちも分かる。

 その『お守り』とやらに限った話ではない。

 こうまで立て続けに奇跡のような力を見せつけられたのでは、ね」

 

「えっ?」

 

別方向からの追撃を受け、ユーリの心音がどくりと跳ねる。

そんな少女の心境を知ってか知らずか、ワルドがゆっくりと身を乗り出す。

 

「先に君が見せてくれた力……、一見、水系統の高位の魔法のようだったが、

 その詠唱、手順は、我々の使う魔法とは大きく隔たりがあるように思えた。

 しかもあの時、君は空を飛びながら、同時に魔法を併用していた。

 あちらの飛行魔法もまた、コモンマジックとは一味違うようだね?」

 

「あわわ、ひ、秘密です!

 私たちの魔法の事は、他の国の人には詳しく話しちゃいけいない決まりなんです」

 

「なるほど、確かにそれは賢明な判断だな。

 我々の世界のそれとは全く理の異なる魔法をひけらかす事は、世に無用の混乱を生む。

 最悪、先住魔法の類などと看做されては、お互い不幸は避けられないからね」

 

などと、口では秘密主義を肯定しつつも、

尚もワルドのしぶとさは一向に萎える気配を見せない。

 

「だが、ミス・サツキ、今はあまり悠長な事を言ってもいられない。

 先の野盗の例を出すまでもなく、我々は今、非常に困難な任務を背負っている。

 もしも今、貴方のような優秀なメイジが力を貸してくれるならば、

 どれほど心強い事かと思う」

 

「も、もちろん、私だってそのために来たんですから」

 

「そう思ってくれるならば、

 我々にその知識の一端だけでも披露してはくれまいか?

 君の力を理解する事は、そのまま戦術の幅を広げる事に繋がるのだからね」

 

「そ、それは……」

 

「君が、わが許婚者、ルイズとの友誼のために駆けつけたと言うのならば、

 重ねて無理を承知でお願いしたい」

 

誠意ある態度を崩す事なく、ワルドが片手を差し出す。

今の所、目の前の男の言葉は全て正論であり、

立ち居振る舞いも紳士の理想そのものである。

……にも関わらず、ユーリは何処か焦れつくような違和感を感じずにはいられなかった。

 

それは一人の男性が、幼子と年頃の乙女に、それぞれ接した時に生じる、

如何ともしがたい態度の差異であり、

図らずも彼女のステラウェバーとしての資質を示す証座であった。

 

あるいはこの時、ユーリに二人の姉のような人生経験が備わっていたならば、

男の秘めた真意の一端にまで触れ得たのかも知れないが、

未だ幼い少女は、ただただ己の心境に戸惑うばかりであった。

 

だが、差し出された左手が少女の指先に触れた瞬間、

不意に体を電流が走り抜け、ユーリはワルドの意図ではなく、

自分自身の持て余している焦燥感の正体に気が付いた。

 

 

 

――4月のレトロシェーナ、灰色に塗りつぶされた空、

――雨音に煙る街並み、静寂と、大きな木と、土の匂いと、冷たい雨、

――そして自分と、指先の温もりと、『 彼 』だけの世界――。

 

 

 

少女の守り通したい小さな小さな世界が、刹那、

脳裏に鮮やかにフラッシュバックして――、

 

「わ、私の『王子様』でもないクセに! 気安くしないで下さいッ!!」

 

「……え?」

 

そして同時に、皐ユリーシアの純潔が、現実を相手に爆発した。

 

シン、と静まり返る室内。

呆然と緑髪の少女を見つめる顔、顔、顔……。

 

テーブルに両手をついて、大きく息を乱したユーリであったが、

その内に自らの犯した失態に気付き、ハッと顔を上げた。

 

(わ、私……、今、なんて――?)

 

『王子様』。

興奮のあまり心のローザを忘れ、口を突いて飛び出した言葉にたちまち蒼ざめる。

その単語に秘められた特別な意味を、傍らにいる桃色頭の少女が見逃すはずもない。

 

「……なるほどね、どうりで何かおかしいと思ったら、

 そういう事情だったってワケね」

 

静寂の中、ぽつりとこぼれた呟きに、ユーリの両肩がビクンと震える。

おそるおそる、ルイズの表情を覗き込む。

感情を押し殺しているのだろうか、その両頬は耳まで真っ赤に上気しており……?

 

「……つまりローザ、

 あの幼いユリーシアが、妙に恋愛に聡かったり、

 何かと王子さまの話ばっかりするのは、全部あなたの影響だったのね?」

 

「……はい?」

 

「と、とぼけなくったっていいわよっ!?

 アンタにもいるんでしょ、その……、お、王子、さま。

 心に誓った、大切な想い人、が……」

 

「想い人ォ!?」

 

それっきり、そっぽを向いて硬直してしまったルイズに代わり、

素っ頓狂な声を上げたキュルケが身を乗り出す。

 

「や~ん! 何それ、ステキじゃないの!

 故郷に残してきた殿方に、操を立ててらっしゃるのね?

 東方の女性は慎み深いと聞いてはいたけど、まさかここまで筋金入りとはねえ」

 

「ふぇ、あ、あの、私は……!」

 

「ねっ、ねっ! 『王子様』はどんな人なの?

 背は高い方?おちびさん? 視力はいいの?もしかしてメガネ男子?

 夜はオオカミ? それともまさか、ヒ・ツ・ジ?」

 

「は、はわわっ!」

 

「鳴呼、ロマンティックねえ……。

 遥かなサハラを隔て、遠く引き離れされた恋人たち、 

 逢えない時間に募る激しい恋の炎」

 

「いや、彼女がトリステインに来たのは、

 せいぜい一週間かそこら前の話なんだろう?

 別に募る想いと言うほどの時間は――」

 

乙女心を理解できない若者の眼前で火球が爆ぜ、

無粋な元帥の三男坊が派手にひっくり返る。

 

「ああもう、店員さん、アルコールが足りないわ!

 この宿一番の最上級ワインを、この娘にジャンジャン注いでやって頂戴!」

 

「あわ、ダ、ダメです~!

 お酒はハタチになってからじゃないと、クロワに叱られちゃいます」

 

「ちょっと、無理すんじゃないわよツェルプストー!

 飲めない人間に薦めてんじゃないわよッ!?」

 

「ま、待った、君達! 僕の話はまだ……」

 

尚も不屈の執念で話を戻そうとしたワルドの視界が、

無情にもハシバミ草の山で塞がれる。

 

「ガールズトーク」

「…………」

 

フォークを動かす手を一切緩める事無く、青髪の少女がワルドの敗北を告げる。

ワルドの言動に何らかの違和感を感じ取ったのか?

何だかんだで東方の恋愛ロマンスに興味があるのか?

あるいは単にこれ以上、食事の邪魔をされたくなかっただけなのか?

その無常の瞳から、少女の真実を探る事は敵わない。

 

「……飲みましょう、子爵。

 こうなってしまったレディ達に逆らうのは、

 丸腰でオークの群れに飛び込むに等しい無謀です」

 

なし崩し的に隣のテーブルに追いやられたワルドのグラスに、

前髪が焦げ臭い若者がなみなみとワインを注ぐ。

国家の存亡を賭けた極秘行の第一夜は、盛大な女子会で幕を閉じるようだった。

 

 

――二時間後、

すっかり出来あがったキュルケをタバサが引き取った所で、

ともかくその日はお開きとなった。

二階の客間へと引き上げたワルドが、ふうっと大きくため息をつく。

 

「やれやれ、さすがに現役の女学生のパワーは凄いな。

 若さと言うのは羨ましいものだ」

 

「んもう、貴方もいけないのよ、ワルド。

 ローザったらさっき、何かすごい困ってたみたいだったもの、

 きっとキュルケも、アイツなりに気を使ってたのよ……、多分」

 

自分を咎めるルイズの声に、ワルドがやや大げさに肩をすくめる。

 

「ああ、確かに少しばかり申し訳ない事をした。

 衛士隊と言う職業柄、つい色々な可能性を考えてしまってね」

 

「可能性……って、ワルド、

 あなた、ローザの事を疑っているの!?」

 

「っと、少し言い方が悪かったかな。

 僕が彼女に抱いているのは、疑念と言うよりも、それこそ純粋な興味さ。

 彼女が使う魔法の可能性についてね」

 

「……確かに、物珍しい気持ちは分かるけれど、

 さっきあなたが言った通り、彼女たちの使う魔法は、

 私たちのそれとは理の違う異文化の代物。

 それ以外に、何か特別な可能性なんてあるかしら?」

 

「その、異なる文化、と言うのがミソでね、

 彼女の使う力は、自分がロバ・アル・カリイエの出身だと言う

 彼女自身の証言によって成立している。

 が、彼女の顔立ちや髪の色、服装などと言った特徴は、

 東方と言うよりも、むしろ我々、ハルケギニアの住人に近い」

 

ルイズが怪訝な表情を向ける。

単なる興味と語るわりに、今宵のワルドの言葉は、徐々に熱を帯び始めているようだった。

 

「例えば、こう考える事は出来ないだろうか?

 彼女たちの一族は、生まれつき特異な魔法を備えている。

 重ねて説明するまでもなく、他人に見せるには不都合の多い力だ。

 ゆえに、止むを得ず力を使わなければならない時のために、

 彼女たちは東方の民族のような姓を名乗っている。

 東方由来の魔法、と言う、誰にも真実を確認出来ない言い訳のために、ね」

 

「……言っている事が、よく分からないわ。

 彼女の持つ力は、やっぱり先住魔法の類って言う事なの?」

 

「いや、彼女がエルフや亜人の親戚なら、

 ああも我々の文化を受け入れ、溶け込んだりはしないだろう。

 ルイズ、ここから先は男の子が抱く、

 浪漫じみた冒険譚の延長として聞いてくれ」

 

そう前置きすると、ワルドはコホン、と一つ、わざとらしく咳払いした。

 

「……彼女たちの力、

 あれは伝説の【虚無】に由来するものでは無いだろうか?」

 

「虚無って、ワルド、あなた……?」

 

唐突に顕れた伝説、と言うよりお伽噺に類する単語に、

ルイズが思わずぽかんと口を開ける。

さすがにこれは下手な冗談なのかとも思い、

ワルドの顔をまじまじと覗き込んだが、その表情は意外にも真剣そのものであった。

 

「それは……、でも、やっぱりおかしいわよ。

 ローザが私たちの前に現れたのは、私がユーリ、彼女の妹を召喚したからだわ。

 伝説の虚無とやらが、そんな下らないアクシデントに巻き込まれたりするかしら?」

 

「その偶然そのものが、君の魔法の特異性に由来するとしたらどうだい?

 かつて、大いなる始祖が付き従えていた伝説の使い魔、

 その供えし能力の詳細を知る者はいない。

 ルイズ、もしも君自身が『伝説』で、彼女たちはその使い魔にすぎないとしたら?」

 

「――!? ワ、ワルド!

 あなた、一体何を言っているのよっ!?」

 

「言っただろう、ルイズ。

 他愛ない、浪漫じみた妄想の延長だよ」

 

ふっ、とワルドが目を細め、ルイズの小さな肩を叩く。

 

「随分と長話になってしまったが、

 僕が本当に興味があるのは、彼女の力の秘密ではない。

 僕にとって何より大切なのは、

 彼女たちの存在が、君自身の可能性に繋がっていると言う、その一点だけさ」

 

ようやくルイズにもワルドの言葉が理解できた。

彼の話は、まともに魔法を使えない自分を励ますためのものであったのだと。

 

そして、それを知って尚更、ルイズの心は重い。

ルイズはユリーシアとの間に『契約』を結べなかったのだ。

ワルドの仮説は、その大前提が間違っている。

彼女たちの存在が、いかな『伝説』に依る代物であったとしても、

その事実が、無関係の人間であるルイズの可能性に繋がる事はない。

 

「ルイズ、君はいずれ誰も追いつけないような立派なメイジになるだろう。

 そしてその時は、僕と共に歩んでほしい」

 

「ワルド……」

 

ワルドの言葉に、今のルイズは応える術を持たない。

ただその夜は、二つの月が無力な少女を照らすのみであった。

 

 

――翌朝。

 

今回の任務の目的地、『白の国』アルビオンへと渡る手管を求め、

ワルド、ルイズ、ギーシュの三人は、早々に桟橋へと繰り出していった。

 

キュルケはさすがに調子が戻っておらず、

付き添いのタバサともども残るのだと言った。

 

ユーリはと言えば、その日はルイズから、一緒に行かないかと誘われてはいた。

遊びたい盛りの少女にとって、異国情緒あふれる街並みへのお出かけは

大変魅力的な誘惑ではあったのだが、少女は断腸の思いでそれを断わると、

一人自室へ居残りしていた。

 

「ううっ、ユ、ユーリは子供じゃないもん、

 ルイズさんを助けるためにここまで来たんだから……」

 

一人室内でぼやきつつ、宿に用意してもらったグラスや受け皿を並べる。

それぞれに注いだ液体に、あるいは粉末を加え、

あるいはアルコールアンプを用いて熱を通す。

本来の彼女の年齢に比すれば、いささか危うい作業ではあるのだが、

こと秘薬の精製と言う仕事については、姉譲りの才能を持つユーリである。

慣れ親しんだ道具を使えないと言う一点のみに注意して、慎重に調合を進めていく。

 

「とりあえず、これ、で……と」

 

混ぜ合わせた液体を瓶へと移し終え、大きく息をつく。

ひとまずはこれで、『数年後の自分の姿を先取りする』と言う奇抜な効能を除けば、

フィグラーレにおけるごく一般的な変身薬が完成した事になる。

 

凝り性かつ心配性な姉・エレーナからは、ここから更に成分を抽出し、

携帯に向いた飴玉状に加工する処方箋まで与えられていたのだが、

さすがに旅先でそこまで手間を加えるのには無理がある。

小さな手で力いっぱいに栓をねじ込むと、そそくさと薬をポシェットへとしまった。

 

一息ついて、サンドイッチをもふもふと頬張りながら、呆然と窓の外を見つめる。

思いのほか作業に手間取ったらしく、すでに日も高い。

一仕事終えお腹も満たせば、そぞろ眠気も誘おうといったものだが、

『皐ローザ』を名乗る今の少女に、いまや安息の時間は無い。

 

「……うん、やっぱり、やるしかないよね」

 

意を決して窓を閉め、扉の施錠を確認すると、

ユーリは件のレシピ――『開かずの魔導書』を荷物から取り出した。

薄緑に輝くルーン文字が室内に踊る中、ユーリが目的の項目を探しだす。

 

「ええっと……、【アクアドゥ・プルヴィナ】

 周囲に水を生み出し、自在に操る言葉、

 水に惹かれる星のしずくの性質を利用して、

 熟練者は星のしずくを誘導する事も可能である――」

 

授業の一環のように目当ての項目を読み上げると、

それからユーリは静かにため息をついた。

 

「この言葉、まだ私の実力では使えないハズだったのに……」

 

 

ユーリがプラム・クローリスに入学して間もない頃、

現役のスピニアである姉・ローザが、特別講師として授業に呼ばれた事があった。

 

少女達が一心に見つめる中、ローザは『水を操る言葉』を用い、

自分の周りに大小数多の水球を生み出した。

中空に放たれた星のしずくは、彼女の指揮する水球と惹かれあうように天空に踊り、

虹色の軌道を描きながら、やがてそのレードルの上へと優雅に舞い降りた。

 

直後、わっと快哉が巻き起こり、

たちまちローザは未来のスピニアたちの間で憧れのスタアとなった……。

 

 

 

昨夜、渓谷で戦闘に巻き込まれたルイズを発見した時、

ユーリは咄嗟に、その時の『言葉』を思い出した。

 

本来ならば、それはまだユーリに使える言葉ではない。

だが、フーケ戦で使った『光を操る言葉』では、

広範囲を巻き込んでパニックを起こしかねない状況であったし、

他に有効な言葉も思いつかなかった。

 

もし、かつての姉の姉のように、水を自在に操る事が出来たなら、

水メイジの援軍を装って、ルイズ達を援護する事も、

松明の火を消して、敵の視界を奪う事も可能な状況である。

半ば祈るような気持ちで、ユーリはその時の『言葉』を口にした……。

 

――結果的に見れば、ユーリの試みは成功した。

思惑を遥かに超えた異常水量はともかくとして、

彼女は確かに、本来ならば使えないハズの力を行使したのだ。

 

あの現象が、何を意味する所であったのか。

部屋に戻ったユーリは、二つの可能性について考えてみた。

 

一つ目の可能性としては、このハルケギニアに来てからの数日の間に、

ユーリ自身の力が成長して、新たな言葉を習得していた場合である。

心の成長を拠り所とするステラスピニアが、短期間の内に急速に成長するのは、

決して珍しい事ではないのだと、かつてローザは教えてくれた。

 

だが今、手元にユーリのレシピがない以上、

その仮説が正しいかどうか判断する術は無い。

むしろ今考えねばならないのは、もう一つの可能性についてであった。

 

もう一つの仮説、それはハルケギニアの二つの月の影響がもたらす魔力によって、

一時的にユーリ自身が、本来の実力を超えた『言葉』を

行使できるようにになっている可能性である。

 

本来ならば他人の持つレシピは、

ある程度近い実力を持ったスピニアでなければ、開く事は叶わない。

逆に、そのルールに則るならば、この『開かずの魔導書』が開いた以上、

そこに刻まれた膨大の言葉の大半も、

今のユーリには行使可能と言う事になるのではないだろうか?

 

自らの才能を超えた力。

悪魔的な魅惑を前に、ユーリがごくりと生唾を呑み込む。

 

身に余る力の大きさに震えた、初めてのしずく取りの夜、

あの夜以来、月齢は日一日と満ち続け、それに呼応するかのように、

ユーリの魔力は日毎に増していく。

「次の満月(スヴェル)は二日後」と、朝食の際にワルドが言っていたのを思い出す。

満月の日、頂点へと達したフィグラーレの満月は、ユーリに何をもたらすのであろうか?

 

こんな時、少女の脳裏によぎるのは、

尊敬するステラスピニア、ローザがかつて、ユーリに教えてくれた言葉である。

 

 

 

『――ねえ、ユーリ。

 あなたにはステラスピニアとしての才能があるわ。

 ユーリには自覚がないかもしれないけれど、あなたの純粋で素直な感情は、

 心の在り方に力を左右されるスピニアにとって、何よりも重要なものなの。

 きっとユーリは、私や他のスピニアさん達が辿ってきた道を軽々と飛び越えて、

 次々と新しい言葉を使えるようになるわ。

 

『でもね、言葉を使える事と、使いこなせると言う事は、同じようでいて全然違う事なの。

 ただレシピに言葉が浮かんだだけではダメ、

 言葉の持つ力を学び、その力が本当に自分のものになったと確信できるまで、

 何度も何度も練習を繰り返す。

 そう言う当り前の繰り返しが、あなたの力を揺るぎない自信に変えてくれるの。

 

『……未熟な心のまま、強い言葉を使い続けるのはとても危険な事よ、

 強すぎる力は、それだけ大きく、使い手の心を揺るがせる。

 心が揺らげば力を制御できなくなる。

 そうなってしまえば自分だけじゃない、周りの人たちまで危険に巻き込む事になるわ。

 

『レードルが傷ついても、直す事はできる。

 周りに迷惑をかけても、償う時間はある。

 けれど、心の拠り所を失ってしまったら、きっともう、夢を見る事は出来なくなる。

 

 ただ強い言葉を望むのではなく、一歩一歩、確実に努力を重ねる事、

 本当に素敵なスピニアになりたかったら、そのひたむきさを忘れてはダメよ』

 

 

 

 

大好きな姉の言葉、

まるで今日の事を予見していたかのような、先達の教えが胸に染みる。

けれどもユーリは今、ためらいながらも、

その小さな手で『開かずの魔導書』のページに触れる。

 

(……ごめんなさい、お姉ちゃん。

 けど、私にはいつか、じゃない、今、新しい言葉が必要なの)

 

頭を一つ振るい、膨大なるルーンの海と向かい合う。

困難な任務に臨む、ルイズの力になれるだけの言葉、

求められるのは、ただ大きな力ではない。

体系だったハルケギニアの理論に負けない力。

咄嗟に使え、戦局に対する柔軟性があり、加えて過剰な揺り返しを持たないような力。

 

「――ええっと、【プルヴ・ラディ・エクレシア】

 広範囲に飛び去る複数の星のしずくを引き寄せ、まとめて水と分離させる言葉、

 す、すごい、すごいけど……、今回はさすがに役に立たないよね」

 

「――こっちは、【マテリアス・ウォルディ・ナティオ】

 対象の物質の温度を一瞬で氷点下まで凝縮し……って!?

 な、なにこれ? こんなの危険すぎるよ~!

 

「――うう、それにしてもこのレシピ、本当に誰のなんだろう?

 こんなにたくさんの言葉を使いこなせるのなんて、

 それこそあの、学校の伝説になってるスピニアさんぐらいなんじゃ……」

 

ぶつぶつと独り言を言いつつページをめくる。

いかにページを覆い尽くすほどの数を誇るとは言え、

それらは全て、本来は星のしずくを紡ぐために用いられるための言葉である。

戦闘に転用した場合の効力は一長一短、状況を問わずに使えるような力など……、

 

「…………」

 

文章を追いかける小さな指先が、ページの中央で不意に止まる。

 

知っている。

その言葉は、プロのスピニアですら使用できるものは少数と言う修得の難しさから、

プラム・クローリスの少女たちの間でも、一種のステータスとして話題に上る言葉である。

 

「……うん、やっぱり、この言葉なら」

 

説明文を目で追いながら小さくつぶやく。

評判の高さが示すとおり、その言葉は応用力において万能に近い。

他人を傷つけるような力は無く、それでいて一たび詠唱が完成すれば、

例え相手がスクエアクラスのメイジであったとしても抗えないだろう。

一筋の光明を見出した少女の瞳が、最後の一文でさっと陰る。

 

「使い方を誤ると……、危険?」

 

危険。

その言葉の意味について、今更理解を違えるような少女ではない。

 

「……うん、大丈夫、分かってるよ、お姉ちゃん」

 

ぶるぶると頭を振るい、再びユーリはページをめくる作業へと戻った。

 

 

膨大な言葉の海に溺れる内、いつの間にか、ユーリは眠ってしまっていたらしい。

ユーリが再び眼を覚ましたのは、部屋を叩くノックの音と同時であった。

 

「――ねえ、ローザ、部屋にいるの?」

「……う、うにゃ? ひゃあ!? ちょ、ちょっと待って下さい!」

 

あたふたと立ち上がり、慌ててレシピをポシェットの奥へと放り込む。

あわせて小瓶から取り出した飴玉を呑み込み、即座に詠唱を唱える。

部屋をもう一度見渡し、鏡で服装を見直し、ついでに跳ね上がった髪の毛を手櫛で抑える。

 

「お、お待たせしましたっ!」

 

息せき切って飛び出してきたユーリに、扉の前のキュルケが思わず苦笑する。

が、すぐにその瞳が真剣な色を取り戻す。

 

「どうしたんです、キュルケさん、

 もしかして、まだ体調の方が……?」

 

「二日酔い程度なら良かったんだけど、こっちはもうちょっと深刻ね。

 ローザ、すぐにここを発つから、荷物をまとめて」

 

「えっ?」

 

「周囲の様子がおかしい」

 

隣の部屋から出てきたタバサが言葉を引き継ぐ。

こちらは既に旅装であった。

 

「ええと、おかしいって、いった……!」

 

――ガシャアアッ、と。

 

ユーリの言葉を遮って、突如階下より喧噪が響き渡る。

怒号と悲鳴と、擦れ合う金属の音。

無言で三人が向き合い、階段へと走る。

 

 

階下では、既に戦闘が始まっていた。

店内目掛けて打ち込まれるおびただしい矢の雨に対し、

ワルド達はテーブルを盾にして持ちこたえていた。

 

「ル、ルイズさ……、ひゃあっ!?」

 

いきなり後ろからマントを引っ張られ、

不用意に飛び出そうとしたユーリが尻餅を付く。

同時に眼前に突き立った矢の尾羽がビイィィンと震える。

 

「ローザ、不用意に走らないで!」

「はわわ、す、すいません!」

 

短く詠唱を唱えつつ、タバサが疾風を打ち放ち、

矢のそれた隙をついてキュルケが火球を飛ばす。

敵勢が色めき立った間隙を這うようにして、ユーリが階下へと転がり込む。

 

「ワ、ワルドさん、一体なにが起こっているんですか?」

 

「執拗な野盗どものお礼参り、などと楽観的な事は流石に言えないね。

 極秘のハズの任務が、どうやら何者かに狙い撃ちにされてしまったようだな」

 

「やっぱり、王宮にも内通者が……」

 

ワルドの悲観的な分析に対し、背後のルイズが眉を曇らせる。

そんな彼女に何か声を掛けたいユーリではあったが、状況が許してはくれない。

 

「裏口が手薄」

 

そう言いながら駆け下りてきたタバサに対し、ワルドが無言で頷く。

 

「――心苦しい話ではあるが、今は、君たちの力に頼るしかないようだ。

 僕とルイズは裏口から脱出し、まっすぐに桟橋を目指す。

 君たちにはその間の足止めを頼みたい。

 少しの間でいい、ここで敵の目を引き付け、時間を稼いでくれ」

 

「……あんまり気乗りする策ではないけど、

 選り好みしている時間は無さそうですわね」

 

「お任せ下さい、子爵、あなた達の背後はこのギー……グエエッ!?」

 

「ギ、ギーシュさん、急に立っちゃダメです~!」

 

いきおい勇んで立ち上がりかけたギーシュが、

背後のユーリにマントを引っ張られて転倒する。

倒れこんだ少年を挟んで、ルイズとユーリの視線が交錯する。

 

「ローザ、あなたはどうするの?」

「わ、私は……」

 

お二人についていきます。

そう告げるべき口がとっさに動かない。

辺りを見渡せば、悲痛な叫び声を上げる店主に、部屋の隅で混乱に震える人々。

初めて知る戦場の喧騒が、少女のわずかな自信すらも奪い去る。

このまま自分が同行しても、先ほどのように足手まといになるだけではないのかと、

弱気の虫が少女の行動を阻害する。

 

「では、行動開始だ、健闘を祈る」

「……ええ、みんな、絶対に無理だけはしないでね」

 

ユーリの決断を待たず、ワルドの一声がタイムアップの時を告げる。

去り行くルイズの言葉を、ユーリはただ、俯いて受け止めるしかなかった。

 

「……さて、お髭の子爵さまの話じゃあ、

 適当な所でドロンしていいよって事だったけど?」

 

「このまま撤退は論外。

 敵が私たちの分断を狙って、陽動をぶつけてきただけの可能性もある。

 ……ユリーシアに合わす顔もない」

 

「あら、今日はずいぶんと男前じゃない、タバサ。

 ……この間の『アレ』1、2の3で試してみるわよ」

 

軽く笑いながら杖を振るって、キュルケが小さめの火球を生み出す。

作戦を理解したタバサとギーシュが、慌ててバリケードに張り付く。

 

「いーち、にい、の!」

 

秒読みと同時に火球を飛ばし、すかさずテーブルの後ろに身を翻す。

「あっ」っと事態に気づいたユーリも、慌てて頭を伏せ、めいいっぱいに瞳を閉じる。

 

「さん!」

 

キュルケの声と同時に、室内が白色の閃光に包まれ、

先ほどまでとは違ったパニックの声がそこかしこで上がる。

その間隙を縫うように、ギーシュとタバサが同時に動き出す。

 

「よ、ようし、行け、ワルキューレ!」

 

やや上ずったギーシュの声と同時に、七体の乙女が前線へと動き出す。

模擬戦のように優雅に、とは行かず、

あっちにぶつけこっちにつまずきの危うい吶喊で、

青銅の戦乙女が敵陣の混乱を押し広げていく。

 

対するタバサは流石に場慣れしたもので、テーブルの上で状況を見渡すと、

前線であぶれてしまったワルキューレ目掛けてエア・ハンマーを放った。

鉄槌で背中をぶっ飛ばされ、青銅の乙女がたちまち散弾となって敵陣を切り裂いていく。

 

「キ、キミイ! ぼくのワルキューレをなんだと……!」

「このままシルフィードと合流する」

 

抗議の声を上げるギーシュに視線を合わせる事なく、タバサが短く次の行動を告げる。

 

「あなたたちは、裏口」

 

タバサの言葉にうなずいて、キュルケがユーリの腕を掴む。

 

「ここは二人に任せて、私たちはルイズを追いましょう

 お次はプリマ・プラムの活躍も見せて頂戴な」

 

「あ……、は、はい!がんばります」

 

 

月明かりの下、遮る者の無い細道を、息を弾ませ二人が走る。

 

「あの、キュルケさん、さっきの魔法って……?」

「あら、さすがにバレちゃったかしら?」

 

ユーリの問いかけに対し、キュルケは悪戯が見つかった子供のように、

軽く笑って舌を突き出した。

 

「この間のあなたの魔法、少しばかり参考にさせてもらったわ。

 魔力によって生み出された炎、その光と熱のエネルギーを、

 一瞬で全て光に振り替えて、敵の目の前で拡散させる」

 

「ふぇ~、そ、そんな事が出来るんですか?」

 

「あんまり褒めないでちょうだい。

 思いついてさえしまえば、後はちょっとしたコツがいるだけの手品よ」

 

だがそれでも、タネが割れない内はこの手品は有効であろう。

謙遜する一方で、キュルケは『微熱』らしからぬ醒めた計算を続けていた。

 

戦闘の需要の中で磨かれてきた火の系統のメイジにとって、

生み出された高熱ではなく、副産物の光を武器に使うというのは、一種の盲点である。

本家の光球ほどの照度は無いが、狭所での不意打ちには却って有効であろうと言う事も、

先日、自称四系統最強の風メイジを相手に実験済みであった。

 

「……と、『桟橋』が見えてきたようね」

「ふぇ……、さんばしって?」

 

キュルケの指し示す大きな古木を、ぱちくりとユーリが見つめる。

近づくにつれて違和感をかもし出す大きな木の実、

その正体に気づいたユーリが、あっと驚きの声を上げる。

 

「キュ、キュルケさん! お船がぶら下がってます!?」

 

「そりゃあ、そうでしょう?

 風石を動力にした船なんですもの」

 

「ふ、ふーせき、ですか?」

 

きょとんと眼を丸くしたユーリの顔を、キュルケが訝しげに眺める。

 

(……もしも風石が、東方では産出されない鉱石と言うのであれば、

 確かに空を飛ぶ船なんて考えられないんでしょうね。

 そして、それを補うかのように、彼女たちは飛行能力に長ける。

 彼女の飛行魔法が向こうのメイジにとって一般的なものであるならば、

 少なくとも個人での移動に困る事はない、か)

 

「あの、キュルケさん、どうかしましたか?」

 

「いいえ、ちょっと余計な考え事をしてただけよ。

 ま、それはさておき……」

 

胡散臭げにキュルケが周囲を見渡す、

巨木の虚穴をくりぬいて造られた吹き抜けのホールは、

夜間と言う時間帯もあり、人の気配が一切感じられなかった。

 

「……ずいぶんと嫌な流れよね。

 タバサの直感が当たっていたのかしら?」

 

「な、何か良くない気配でも感じたんですか!?」

 

「いいえ、ここまでの展開も含めて作戦は順調よ、不自然なぐらいに。

 けれどローザ、あれだけ遮二無二攻撃を仕掛けてきた一団が、

 裏道から桟橋にいたるまで伏兵を配置し忘れていた……なんて、

 都合のよい状況が本当にありえるのかしら?」

 

「ええっと、誰かが私たちをここまで誘い出す事に、何か得があるんでしょうか?」

 

「そうね、例えば……」

 

そこまで言いかけたところで、キュルケがハッと顔を上げる。

見上げた螺旋階段の先で、大気が一瞬震える。

 

「――ッ! 止まって、ローザ!?」

「え……、ひゃあっ!?」

 

キュルケに勢い良く腕を引っ張られ、ローザがあたふたとバランスを崩す。

直後、パンッと言う乾いた音と共に空気が爆ぜ、二人の眼前を稲光が駆けあがる。

 

「な、何ですか、今の!?」

 

「【ライトニング・クラウド】、小型の稲妻を生み出す、相当上位の風の魔法よ。

 直撃してたら、今のはちょっと洒落にならなかったわね」

 

忌々しげにキュルケが瞳を細める。

見上げた螺旋階段の先には、油断なく杖を構える体格の良い男の姿。

顔面を覆う白い仮面により、その思惑を読み取る事はできない。

 

チッ、と短く舌打ちがこぼれる。

眼前に立ちはだかる仮面は、単に高位の風メイジと言うだけではない。

先の一撃、やや射程が遠かったとは言え、

その気があれば二人に火傷を負わせる事くらいは出来たハズである。

それを男は、奔放なる稲妻の動きを完全に制御して、威嚇に留めて見せたのだ。

油断なく立ちはだる手練を前に、つっと一筋の汗が流れる。

 

「キュ、キュルケさん……」

 

ユーリがちらと横目で吹き抜けのホールを見やる。

その意図を理解し、キュルケが小さく頷く。

 

「大丈夫、任せとい……ってぇッ!」

 

素早く詠唱を完成させ、小型の火球を三つ、鼻持ちならない仮面目がけて放つ。

仮面は油断なき動きで杖を差し出すと、口中で短く詠唱を――。

 

「――ッ!?」

 

不意に火球の一つが眼前で炸裂し、閃光が仮面の視力を奪い去る。

男の秘めた能力の高さは、この瞬間に如何なく発揮された。

空気の流れを感じつつ後方へと飛び退り、詠唱を完成させる。

ただちに生じた疾風の障壁が、迫りくる二つの炎を左右へと打ち払う。

 

『――アラ・ディウム・メイ!』

 

だが、二人の少女も同時に動き出していた。

言葉を発しながらレードルを構え、ユーリが吹き抜けのホールへと身を投げ出す。

魔力の発露と同時に落下が止まり、レードルが垂直に立ちあがる。

素早くフライを唱えたキュルケが、その両肩へと飛び付く。

ようやく視力が戻った仮面が見たのは、

男を置き去りにして真上に跳ね上がる二人の姿であった。

 

「くうぅううぅっ!? この間見た時から、

 絶対にあなたとタンデムだけはしないって誓ってたんだけどねぇッ!!」

 

「キュ、キュルケさ……、おっぱ、苦し……!」

 

「でしょうねえ! ルイズとはモノが違うのよ、モノが!」

 

やや下品に返しつつも、片手で杖を構えなおしたキュルケが背後を振り向く。

よもやコモンマジックで追ってはこれないあろうが、それでも未だ、

風メイジの射程から逃れたとは言い切れない状況であった……が、

 

「……え?」

 

ポツリ、とキュルケの呟きがこぼれる。

男の姿は、すでにどこにも無かった。

 

 

「そ、そんなぁ~っ」

 

はぁはぁと、大きく息をついて、ユーリががっくりと肩を落とす。

ようやく辿り着いた枝葉の先で見つけたものは、

無人と化したプラットホームから望む、ラ・ロ・シェールの景観のみであった。

 

「船、もう出ちゃった、の?」

 

「……やられたわね、あの仮面、今度会ったらタダじゃ済まさないわ」

 

「えっ?」

 

キュルケがほっそりとした指先を空中に向ける。

示した先には、月明かりの中を泳ぐ船影がちらりと見える。

 

「タバサの言葉が当たったのよ。

 敵の狙いは初めから、私たちの足止め……、戦力の分断にあった。

 恐らくはアルビオンにもアイツらの仲間がいる。

 私たちが再合流する前に、もう一度仕掛ける腹積もりなんでしょうね」

 

「そんな、それじゃあ、何とか船に追いつかないと……!」

 

狼狽するユーリに対し、微熱の醒めたキュルケが首を振るう。

 

「残念だけど、こうなってしまってはどうしようもないわ。

 今頃はタバサ達がシルフィードを回収しているハズよ。

 彼女たちと合流して、夜明けを待ちましょう」

 

「…………」

 

「……ローザ?」

 

やや不審げにキュルケが少女の名前を呼ぶ。

眼前の少女は思いつめたように、去りゆく船影と手元の杖を交互に見つめていたが、

その内にポツリ、と呟きを洩らした。

 

「何とか、なるかもしれません」

 

「何とか……って、ローザ?

 ああ見えてあの船、間近で見れば風竜並みに速度が出てるのよ。

 これだけ距離が離れちゃあ、あなたの魔法でも途中で力尽きるのがオチよ?」

 

「【裏技】を使います」

 

そう静かに言い放ち、ユーリがすっくと立ち上がる。

纏う空気を変えたプリマ・プラムの姿を、固唾を呑んでキュルケが見守る。

 

『――アペリオ・イア』

 

詠唱を唱えながら、差しだした右手をゆっくりと開く。

ふわり、と手元を離れたレードルが中空に静止する。

 

『クローチェ・デル・スド』

 

大切な相方に問いかけながら、

初めてその『言葉』を成功させた時の感覚を必死に探しだす。

フィグラーレでこの言葉を使った時は、

体内の力を振り絞るようにしてレードルへと注ぎ込んだ。

 

今は、大きな力は必要ない。

二つの月がもたらす恩寵を肌で感じ、あるがままに導いてやれば十分だ。

 

『――ルミニス・ルヴィ!!』

 

最後の言葉の完成と同時に、レードルが淡い輝きを放ちだす。

はっ、とキュルケが息を呑む。

光の中、レードルが静かに形を変えいく。

天使の羽のような可愛らしい装飾を持った銀杖は、

光の消失とともに、いつしか流線的な片翼を宿した姿へと変化していた。

 

「や、やった、できた、できました~!」

 

高潔なるプリマもどこへやら、

天真爛漫な少女に戻ったユーリがぴょんぴょんと飛び跳ねる。

その現金な姿に、キュルケもふっ、と苦笑する。

 

「ふうん、今の魔法って、どんな効力があるの?

 なんだかずいぶんとシンプルな形になったみたいだけど」

 

「さっきの魔法は、ええっと、この杖の性能を変える力があるんです。

 今の形態は飛行特化、他の魔法は扱いにくくなりますが、

 この杖ならきっと、ルイズさん達にも追いつけるハズです!」

 

「へえ! 不思議な形の杖だとは思っていたけど、

 やっぱり、この杖自体が一種のマジックアイテムだったって言うワケね」

 

「あ、でも……」

 

ユーリが微妙に表情を曇らせる。

その意図を理解したキュルケがおもむろに距離をとる。

 

「どの道、二人乗りじゃあ船には追いつけないって事でしょ。

 ふふっ、私だってもう一度タンデムだけは御免だわ」

 

そう言いつつ、キュルケが更に距離をとる。

 

「はう~、ご、ごめんなさい」

 

「構わないわよ、こっちこそ頼めた義理じゃあないけど、

 あのこまっしゃくれの面倒、しっかりみてやってあげて」

 

そう軽口を叩きつつ、更に更に距離をとったキュルケが物影に避難する。

 

「ハイ、任せて下さい!」

 

鼻息も高らかに、ユーリが力強くレードルを握り締める。

 

「行きますッ!

 アラ・ディウム・メ エ エ ェ え え ぇ え え え ぇ ぇ ――――ッ!!!!」

 

――直後、ドウッとばかりに枝葉を揺らし、爆風を巻き上げ絶叫を轟かせ、

プリマ・プラムがラ・ロ・シェールの風となった。

 

 

 

「……かはっ、ゲホッ! げほっ」

 

残骸と粉塵を掻き分け、埃塗れになった赤毛を振るいながら、

かろうじてキュルケが顔を上げる。

 

「な、なんだか……、こうなる気がしてたのよねぇ」

 

彼方より聞こえる、少女の残響に耳を傾けながら、

赤毛の少女は、この航海の無事を二つの月へと祈った……。




もっともらしく花言葉など載せてみたものの、ウチのタバサは喰いタン以外の仕事がありません……。

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