ぴゅあ×ぜろ★みらくる   作:いぶりがっこ

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ブーゲンビレアの花言葉:「情熱」「あなたは魅力に満ちている」「あなたしか見えない」


第七話「しずくをさがして」

――フリッグの舞踏会から三日。

 

夢のような一夜の残滓も、ようやく日常に埋もれ始めた頃、

トリステイン魔法学院の教室の一角では、

不気味さと怒りっぽさに定評のあるギトー教師の授業が続いていた。

折しも陽光の照らす午後の一限目である。

真剣に授業を受けている者は、

真面目が取り柄のルイズ・フランソワーズ他、数名しかいない。

 

彼女の傍らの小さな使い魔はと言えば、態度こそ勤勉そのものであったものの、

開いているのは教科書ではない。

おそらくは彼女の国の文字でしたためられた手製の手帳を相手に、

何やらうんうんと取り組んでいた。

タバサはいつも通りの無表情、

その姿勢が真実に真面目なものであるのかは読み取れる者はいない。

そして、一目で不真面目の塊と分かるキュルケは、

何やら心ここにあらずといった感じで、手にした杖をクルクルと弄んでいた。

先日の一件以来、高圧的な態度を取ったり、

挑発的な仕草でルイズをからかったりと言った悪戯はめっきり減ったが

ルイズには却ってそれが拍子抜けと言うか、不気味な姿に感じられていた。

 

「――時に、ミス・ツェルプストー、最強の系統は何か知っているかね?」

「……え? 私ですか」

 

ぼんやりとキュルケが立ち上がり、形の良い顎に人差し指を当てて思案する。

 

「『虚無』……と、言いたい所ですけど、

 かのロバ・アル・カリイエには、私たちの知らない、より強力な系統があるのかも……?」

 

「何だねそれは? 私は現実的な答えを聞いているのだ」

 

「それなら『火』ですわ、全てを燃やし尽くす炎と情熱、

 けど今は、別の可能性も感じていますの」

 

「ほう、ならばその可能性とやら、私に試して見る気はあるかね」

 

言いながら、スッ、とギトーが杖を引き抜き、教室がざわめく。

キュルケが小さくため息をつき、短く詠唱を唱える。

それを合図に、指揮棒のように振るわれた杖の先に、

ポン、ポン、ポンと、小さな火球がみっつ生じる。

 

フン、とギトーが鼻を鳴らす。

火メイジの全力ならばともかく、未熟な学生が力を分散するなど愚の骨頂である。

ピッと突き出された杖に合わせ、火球が弧を描いてギトーに襲いかかる。

ギトーは何ら動じることなく、静かに詠唱を始め……、

 

―― カッ!!

 

「ちょっ!? まぶ……ギャアアアァァァ―――ッ!?」

 

……そして教室には、断末魔の余韻のみが響き渡った。

ブスブスと衣服の焼け焦げた匂いが立ち込める。

今となっては何がしたかったのか分からない、

ギトーのあっけない最期を前に、一同が言葉を失う。

ありのままに起こった事を話すなら、

『教室がピカっと光ったと思ったら、ギトーが黒焦げになって悶絶していた』のだ。

 

あまりの気まずさに、そこかしこからどよめきの声が漏れる中、

ルイズ、タバサ、ユーリの、

フーケ討伐の顛末を知る三名だけが、まじまじとキュルケを見つめていた。

一方、惨事の元凶たるキュルケはと言えば、

ややバツが悪そうに巻き毛をいじっていたが、その内に小さく口を開いた。

 

「……思ったより便利ね、コレ」

 

 

幸いな事に、教室に満ちたいたたまれない空気は、すぐに払拭された。

 

直後に教室に入ってきたコルベールが、アンリッタ姫殿下の行幸を告げたためである。

気絶しているギトーも大したケガでは無かったため、

そのまま放置され、生徒たちの記憶から消えた。

そんな事より、今はアンリエッタ姫御一行を全力で出迎えるべき状況であった。

 

はたして数刻後、アンリエッタの一行はトリステイン魔法学院の正門をくぐった。

馬車から降り立ち、優雅に手を振るう薔薇のような笑顔に、

居並ぶ学生たちの歓声が上がる。

 

そして同時刻、そんな華やかな光景を本塔の屋根から望む、珍妙なコンビの姿もあった。

 

「う~っ、ここからじゃよく分かんないよ~」

 

「当然なのね! 

 こんな高い所から、人の顔が見えるワケないのね!」

 

「えーっ!? 最初にここに登ろうって言ったのはシルフィなのに!」

 

「きゅい!?

 『ぎょーれつ』が見たいって言うから連れてきてやったのに、何て言い草なのね!

 シルフィはお姉さま以外の人間の顔なんて興味ないの!」

 

つーん、と横を向いてしまった風竜に対し、ユリーシアがぷっくりと頬を膨らませる。

……先日の一件以来、ウマが合わないと言いつつも、何かと一緒にいる二人である。

 

半ば自爆に近い形で、韻竜の秘密を知られてしまったシルフィードであったが、

バレてしまえばどう言う事もない。

よくよく考えれば、自分が人語を話せるなどと言うのは、

使い魔仲間の間では周知の事実なのだ。

人間とは言え同朋、それも年端もいかない少女とくれば操縦も容易い。

お年頃のドラゴンの事ゆえ、そう思う余裕もできたなら、

折角できた格好の話し相手に、愚痴のひとつも零したくなる。

とは言え無論、タバサの前で失態をバラすワケにもいかないので、

話せる時間と場所は限られる。

例えばこのように、突然の全校集会で使い魔がハブられている時など、だ。

 

「ねえ、シルフィの翼で、ピューって近くまでいけないかな」

 

「本気で言ってるなら、ちびすけは相当おバカなのね!

 そんな事したら、たちまち『えーしたい』に追い回されちゃうの」

 

「む~、きっと大丈夫だよ、シルフィ可愛いし」

 

「きゅい! ちびすけにカワイイ呼ばわり、ちっとも嬉しくないのね!

 だいたい、こんな事をしてるってお姉さまにバレただけで、後で大目玉なのね!」

 

「……あ」

 

何事かに気付いたユーリが、酸欠の金魚のようにパクパクとジェスチャーを繰り返す。

だが、トークに乗ってきたシルフィードは気付かない。

 

「……具体的には、どんな目に合わされる?」

 

「きゅいっ、きっとごはん抜きにされちゃうのね。

 それはそれはとても悲しい事なのね」

 

「あ、あの~、シルフィ……」

 

「きゅい、でも、もしかしたらごはん抜きどころか、

 当分の間、三食全部ハシバミ草にされちゃうかもしれないのね……。

 そんな事されたら、もう生きてはいけないのね」

 

「そう……」

 

抑えの利いた諦観の呟きがこぼれる。

目も当てられない惨劇を前に、ユーリが両手で顔を覆う。

 

「それなら、今夜からそうする」

「きゅい……!」

 

唐突に聞こえた死刑宣告に対し、シルフィードが首を振るう。

視線の先では、彼女の小さな主が、無慈悲なる絶対零度の瞳を向けていた。

 

「きゅいっ!? お、お姉さ――!」

「あっ」

 

風竜の巨体が条件反射で起き上がる。

狭い屋根の上、必然的にユーリの体が押され……。

 

「ひ ゃ あ あ あ あ あ ぁ ぁ――っ!?」

 

落ちた。

とっさに伸ばしたシルフィードの前足も、タバサの杖も及ばない。

 

(あわわわ! レ、レードル、言葉、えっと、えっと……!)

 

眼前に広がる青空を前に、ユーリが一気にパニックに陥る。

指一本動かせないままに、衝突までの時を、

ユーリはまるでスロー・モーションのように感じ……、

 

(――!

 ううん、違う、これって……)

 

ふわり、と空気の流れが緩やかになったのを肌で感じ、

なすがままとなったユーリが、ふわふわといずれかの懐へ導かれていく。

 

「ほう、これはまた、ずいぶん可愛らしい刺客もいたものだ。

 あと十年遅ければ、このままサロンにでもエスコートしたい所だがね」

 

「ふぇ、しか、く……?」

 

ユーリがぱちくりと両目をしばたかせ、命の恩人の顔を仰ぎ見る。

逆光を遮る羽帽子が影を成し、その仔細を捉える事はかなわない。

 

「ふふ、怪我は無かったかい、お嬢さん?

 姫殿下を一目見たい気持も分かるが、ご家族に迷惑をかけるのはいけないな」

 

「……ひゃあ! す、すすすいません!

 わ、私もう大丈夫ですから、お、下ろしてください」

 

駆け寄ってくる衛士たちを片手で制し、男が何事か指示を出す。

そのまま羽帽子は行列を離れると、木陰の下にユーリを下ろした。

 

「ユーリ!?」

 

ほどなく、騒ぎを聞きつけた保護者の方が、息せき切って二人の下に駆けてくる。

ひゃう、っと思わずユーリが肩をすくめる。

 

「怪我は無いの、ユーリ!

 屋根から落ちたって、一体なにがあったの?」

 

「うう、ご、ごめんなさい。

 あの、えっと、この人が助けてくれたの」

 

「おお、誰かと思えば……! この子は君の知り合いだったのかい?」

 

「え……!」

 

男の声に気付いたルイズが、ハッと顔を上げる。

 

「ああ! 久しぶりだね、僕のルイズ。

 魔法学院を巡幸すると聞いたときから、もしやとは思っていたが」

 

「ワルドさま、ワルドさまですの?

 そんな、どうしてあなたがこちらに……?」

 

「ハハ、僕も魔法衛士隊の一員だからね。

 アンリエッタ姫殿下の護衛に務めるのも当然の事だよ。

 その任務の最中に、そちらのお嬢さんが空から降ってきたと言うさ」

 

「そうだったんですか……。

 申し訳ありません、主である私がもっと注意していれば……」

 

「なに、構わないよ、幸い何事も無かったワケだし、

 それに、おかげで行列を抜け出せて、君と再会できたのだから、

 こうして巡り合わせてくれた彼女には、むしろ感謝したいくらいだよ」

 

ワルドがワザとらしいくらいに爽やかな笑顔をむければ、ルイズが俯きがちにハニかむ。

思わぬ事の成り行きに、ユーリはただポカンと口を開けて

両者のやり取りを見つめ続けるのみだった。

 

 

――夜

 

自室に戻ってきたユーリに対し、今回の件でルイズから、深い叱責は行われなかった。

巡幸を妨げるほどのアクシデントには至らなかった事。

その後のワルドとの予期せぬ再会で、詰問が中途に終わってしまった事。

何よりあの無口なタバサが珍しく謝罪にきて、ユーリを擁護してくれた事が影響した。

 

とは言え無論、ユーリに反省が無いワケではない。

浅慮な行動が自分のみならず、

自らの保護者たるルイズの名誉まで傷つけかねない事を知ったのだ。

今後は子供のような無茶は控え、ルイズの立場も考え行動しなければならない。

当分の間、ハシバミ三昧の日々を送る事になるであろう友人を思い、そう心に誓った。

 

「あの~、そう言えばルイズさん」

 

「んっ、なあに、ユーリ?」

 

「昼間の『えーしたいちょう』さんとは、どう言う関係なの?」

 

「え! えっと、そうね、

 彼はワルド子爵って言って、領地がウチの近くなのよ。

 お父様たちと親睦が深くて、それで、家にもちょくちょく遊びに来てくれていたの」

 

「……でもワルドさん、ぼくのかわいいルイズ、とか言ってたような」

 

「ええっ!? そ、それは、その……、許婚、だから……」

 

「いいなづけ?」

 

途端、ユーリの顔がパアァッと明るくなる。

 

「そっか、あの人がルイズさんの『王子様かもしれない人』なんだ!」

 

「あうっ、許婚ったってこ、こ、子供の頃の話よ!?

 そ、それにお父様同士の冗談みたいなモンだし……」

 

「でもワルドさん、ルイズさんと会えてスゴイ嬉しそうだったよ。

 それに、大事なのはルイズさんの気持ちだよ」

 

「う、うぅ……」

 

ツンデレと言う、ガールズトークから最も遠いサガを背負った桃色頭の少女が、

おませな少女の喰い付きぶりを前に四苦八苦する。

同じ三姉妹の末っ子でありながら、このメンタルの違いはどこから来るものなのか?

今度ローザと出会った時には、妹の教育方針についてこっぴどく叱ってやろう。

そう心に誓いつつ、差し当たっては人生の先輩、大人の女性としてユーリに逆襲を試みる。

 

「そ、そう言うユーリこそどうなのよ?」

 

「ふぇ?」

 

「昼間、ワルド様に助けられて、ポ~ッとしてたじゃない?

 憧れちゃったんじゃないの?」

 

「ええっ!? そ、そんな事ないよっ!」

 

「嘘、お姫様だっこまでされちゃって、耳まで真っ赤だったわよ」

 

「ちッちがうもん! だって、だって……」

 

「だって……、何?」

 

ユーリはそこで言葉を切ると、それこそ耳まで真っ赤にして、精一杯に叫んだ。

 

「だってユーリには『王子様』がいるんだもん!!」

 

 

――それは、春の日の出来事でした。

 

はじめてのレトロシェーナで、私はすっかり浮かれてしまっていて、

気が付いた時には、ひとり、見知らぬ公園に立っていました。

 

どんよりとした雲に覆われた、うすぼんやりとした世界の中で、

しとしとと降る雨に濡れて、私はさみしくて泣いていました。

 

……どれほどの時間、そこにいたのでしょうか。

 

いつの間にか、私の上に降り注ぐ雨は、大きな傘に遮られていました。

 

「大丈夫?」

「……ふぇ?」

 

見上げると、背の高い、優しい目をした見知らぬお兄さんが、私の事を見つめていました。

 

「風邪、ひくよ?」

「…………」

 

「…寒くない?」

「……うん」

 

「えと、じゃあ……」

 

私がうまくお返事ができなかったから、

お兄さんも言葉に詰まってしまい、会話が途切れてしまいました。

 

『ユ、ユーリ? どうしたの!?』

 

少し困った様子で、けれど私を助けようとしてくれているお兄さん。

その大きな肩が、雨で濡れている事にようやく気が付きました。

 

「……おにいちゃん」

「え?」

 

「おにいちゃんがぬれちゃう」

「俺は大丈夫だから」

 

「……いいの?」

「うん」

 

「……ぐす」

 

――その人は、特別な魔法を使えるワケでも、

私のピンチを、颯爽と救ってくれるワケでもなくて、

 

『もしも~し! ユーリ、ユーリってば!?』

 

「……えと、誰か探してる?」

「……うん」

 

「お母さん?」

「……ねこ、黒い…… クロワっていうの……」

 

「黒猫……ここでいなくなったの?」

「……わかんない」

 

「そっか」

「ぐす、ひっく……」

 

――きっと私みたいな小さな女の子と、お話しするのも得意では無かったんだと思います。

 

『……あ~、結構、重傷みたいね……』

 

――けど、

 

「………一緒に探そうか」

「……ほんと?」

 

「うん」

「……ありがと」

 

――その日から、その人は私の特別な人になりました。

 

遠い世界の、名前も知らない、私の王子様……。

 

……もしも、もう一度、出会えたなら。

 

 

「……ぽわ~」

「…………」

 

ぼんやりと中空を見つめるユーリを傍目に、ルイズは大きくため息をついた。

 

「ぽわ~」

 

(……『王子様』との事は、ユーリにとって本当に大切な思い出なのね)

 

「ぽわ~」

 

(こんなにも大事にしている思いを、からかったりしちゃいけないわよね)

 

恍惚とした少女の横顔を前に、ルイズが密かに決意を固める。

 

(安心して、ユーリ、力不足かもしれないけれど、

 大切なあなたの恋心、私も全力で応援している……わ……!)

 

ずんっ、と不意にルイズの視界が暗転する。

 

(あ、ああ……、でも、その大切な夢を奪ったのは、私、でしたよね?)

 

がくりとルイズの両肩が落ちる。

 

魔法使いの夢と、王子様への再会の希望。

少女の未来を奪った外道は、他ならぬルイズ・フランソワーズその人であった。

 

(う、ううん、そ、それどころか、わ、わわ、わたし、は……!)

 

幽鬼のように真っ青な表情を浮かべ、ぎりぎりと首を回す。

視線の先に、ユーリの淡い唇が映る。

『王子様』へ憧れのまなざしを向ける可憐な少女。

その神聖無垢なる唇を、あろう事か力づくで奪い去った天魔がいると言う。

誰あろう、ルイズ・フランソワーズその人であった。

 

(う、う わ あ あ あ あ あ あ あ ぁ ぁ っ !!)

 

心の底で絶叫しつつ、ルイズが勢い良く机に突っ伏す。

あの日、心に秘めたる恋心を蹂躙され、ユーリは泣いた、当然であろう。

今ならば分かる、純真なる彼女のキッスは、何者にも侵されざるべき聖域であった。

 

なにが神聖なる儀式だ、そんな女衒を斡旋する輩は、

コッパゲだろうと学院長だろうと、必要あらば始祖であろうと正座で説教をくれてやる。

なにが留年だ、乙女の純情も理解できないような外種は人間を退学してしまえ。

 

もしも時間が戻せたならば、ルイズはまず、過去の自分を全力でブン殴りに行くであろう。

だが過ちとは、償う事もやり直す事も出来ないが故に過ちであるのだ。

 

(ううっ、死ね! 死ねっ! あたし死ねッ!!)

 

フォロー役不在の状況の中で、ルイズの思考がじゅぶじゅぶと泥沼の中に沈んでいく。

魔法学院の片隅に、天国と地獄を練り合わせた混沌たる空間が形成されつつあった。

 

 

――どれほどの時間が流れたのであろうか。

 

 

コンコンと乾いた音を立て、ルイズの部屋の扉が来訪者の到来を告げた。

規則正しいノック、初めに長く二回、それから短く三回――。

 

「……どよ~ん……」「……ぽわ~……」

 

だが、思考の海を漂う部屋の主達は、ノックの音に全く気が付かなかった。

 

ややあって、今度は先ほどよりも強くノックの音が響いた。

初めに長く二回、それから短く三回――。

 

「……どよ~ん……」「……ぽわ~……」

 

……思考の海を漂う少女達は、それでもノックに気が付かなかった。

 

外の困惑した気配が、扉越しにも伝わってくる。

しばしの沈黙ののち、ゆっくりと、物音をたてないようにノブが回され、

半開きとなった扉越しに来訪者がちらりと顔を見せた。

 

「……どよ~ん……」「……ぽわ~……」

「――ッ!?」

 

想像以上のカオスが、そこにはあった。

恍惚と中空を見つめる少女、頭を抱えて額をテーブルにめり込ませる少女。

二人の発する光と闇のオーラが、

テーブルを挟んでせめぎ合い、室内を魔境へと変貌させていたのだ。

来訪者はつとめて平静に深呼吸すると、

先ほど同様物音をたてないよう、ゆっくりと扉を閉め直した。

 

ややあって、こほん、と言う小さな咳払いが聞こえ、直後。

 

―― ドンドンッ! ドンドンドンッ!

 

「ヒィッ!」「ひゃあっ!?」

 

けたたましく打ち鳴らされる扉の音に、ようやく二人が我に返った。

 

「あうぅっ も、もしかして泥棒さん!?」

「お、おお落ち着いてユーリ、物盗りはノックなんてしないわッ!!」

 

途端に慌ただしく動き出した室内の空気に、かえって扉の外では安堵の吐息が漏れる。

少しののち、再び規則正しく、扉が叩き直された。

初めに長く二回、それから短く三回――。

 

「――! 大丈夫、ユーリ……けど」

 

いぶかしげに、ルイズがゆっくりと扉を開ける。

その視線の先、思わずはっと目を丸くしたルイズの口元を、細い指が制する。

するりと室内に滑り込んだ黒フードが、すかさずディティクト・マジックを唱える。

 

「姫殿下!」

 

ルイズの口から飛び出した言葉に、今度はユーリが目を丸くする。

 

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」

 

フードを脱ぎながら、そう涼しげに言い放ったのは、

昼間の話題の中心人物、アンリエッタ王女であった。

 

 

アンリエッタとルイズ

二人の馴れ初めは王女の幼少のみぎり、

年の近かった公爵家三女が遊び相手を務めた事から始まったと言う。

久方ぶりの再開に、すっかり恐縮するルイズの肩を、感極まったアンリエッタが抱く。

歳月の壁が往年の友情を前に氷解するのに、さほど時間はかからなかった。

 

二人が懐かしい日々を語らえば、私室はたちまち在りし日の宮廷の一隅に変わる。

すっかり童心に帰り、大いに語らい、大いに笑いあう少女たち。

そんな二人の冒険譚を、本物の少女であるユリーシアは、

ベッドの端にちょこんと座って聞いていた。

 

やがて、積もる話も一段落し、アンリエッタの瞳がユーリの視線と交錯した。

 

「ねえ、ところでルイズ、こちらのお嬢さんは?」

 

王女に問われ、ユーリの肩がピクンと跳ねる。

 

「ええ、この子はヴァリエール家の遠縁に当たる子で……

 ちょうどトリスタニアに来る機会があったので、

 私の許で数日ほど預かる事にしたのです、名前は……」

 

「あっ、さ……、え、えと、ユリーシアです!

 は、はじめまして、お姫さま!!」

 

やや上ずった声でユーリが応える。

『皐』と言う姓は、ことハルケギニアにおいては奇抜にすぎる。

少女が遠方から召喚された事を知っている学生たちはともかく、

表向きは、ラ・ヴァリエール家の縁故と言う事にしておいた方が良い、との

前々からのルイズの配慮を受けての返事であった。

 

「まあ……! よろしくねユリーシアさん。

 ふふ、ヴァリエール家の縁戚に、

 あなたみたいなお嬢さんがいたなんて、ちっとも知らなかったわ」

 

「え、ええと……」

 

「ま、まあ、縁戚と言っても本当に遠い外縁ですから、

 それこそ家族くらいしか知らなくて当然ですわ!」

 

言葉に詰まったユーリを取り繕うように、ルイズがフォローに入る。

そんな主従の様子を、アンリエッタはしばし、小首を傾げて見守っていたが、

その内に、瞳に悪戯気な光を宿して囁いた。

 

「……ね? 日中に現れた『刺客』さんって、もしかして貴方の事かしら?」

「しか……え? ええ!?」

「あわ、も、申し訳ありませんッ!!」

 

顔面を真っ青にして二の句が告げられないでいるユーリに代わり、

まさしく平身低頭と言った態でルイズが滑り込む。

 

「こ、この子の失態は主……じゃなくて、私の監督不行き届きによるもの

 ですから、巡幸の列に迷惑をかけた咎は……」

 

「あら、別に責めているわけではないのよ、ルイズ。

 優秀な衛士隊長殿の判断で、幸いその場は事なきを得たワケですし、それに……」

 

ふっ、とアンリエッタが含みのある笑みを見せる。

 

「それにどの道、私たちに彼女を叱る資格なんて無いのではなくって?

 この程度の事でいちいち罰を与えていては、侍従長が過労で倒れてしまうわ」

 

「……ああ~」

 

と、ルイズが頬を赤らめる。

お転婆が服を着て歩いているような少女であった彼女達にとっては、

思い当たるフシが多すぎた。

 

「本当に……、あの頃の私たちは自由で、思えば無茶ばかりしたものね」

「姫さま?」

 

どこか遠くを見つめるような、寂しげな王女の瞳、

その理由に一歩踏み込もうとしたルイズの視線が、ふっ、と止まる。

 

「ねえユーリ、悪いけど少し外してくれる?

 キュルケ……、いえ、シエスタの部屋で待っていてちょうだい」

 

「え……?」

 

咄嗟に反駁しかけて、しかし結局、返すべき言葉を見出せずにユーリが頷く。

単なる親戚の子のユリーシアに、この場に残るべき正当な理由などあるハズもない。

 

「……うん、それじゃあルイズさん、また後で」

 

 

扉を閉め、部屋の外でユーリが一つ溜息をつく。

 

最後にルイズは「シエスタの部屋で待て」と言った。

それ自体は不思議ではない。

同僚の貴族よりは学院付きのメイドの方が無理な頼みごとをし易いのであろうし、

何より当のユーリ自身が、シエスタによくなついているのだから。

 

だが、時刻はすでに宵の口である。

いかに外界と隔たれた施設内とは言え、

別棟のメイドの元に、少女を一人で行かせたりするであろうか。

 

(きっとルイズさんも、深刻な話になると思ってるんだ。

 そうじゃなくても、一国の王女さまがお忍びで来てるなんて、

 キュルケさん達には感づかれたくない、よね)

 

とぼとぼと一人、廊下を歩く。

友人との再開を大げさに喜ぶ王女の姿が、かなり無理をしているものである事は、

幼いユーリにも、十分すぎるほど伝わってきた。

 

戻らぬ過去への憧憬は、そのまま現在への不満の顕れでもある。

もしも王女の古い友人であると言うルイズが、

彼女の話を聞き、慰められるのであれば、それに越した事はない。

けれどもルイズは、そのアンリエッタ以上に生真面目で、

何でも背負いこんでしまう性格である。

先日のフーケ討伐の時のように、そのひたむきさゆえに、

再び自ら渦中に飛び込んでしまうのではないかと思うと気が気でならない。

 

(もしもルイズさんの使い魔が、私じゃなかったなら)

 

例えば、あのサラマンダーや韻竜の少女のように、

主の耳となり盾となれる存在であったならば、

主を守護する存在として、このような時に彼女を孤独にさせたりせずに済んだだろう。

 

いや、立派な爪や牙などなくとも、

あるいは自分が、二人の姉やクロワのような大人であったならば、

ルイズもあえて自分を遠ざけたりはしないはずだ。

はやる彼女を時にたしなめ、あるいは叱咤激励し、その孤独を支える事が出来たはずだ。

 

(私にももっと、できる事があればなあ……)

 

「あら、ユーリじゃない。

 どうしたの、こんな所で?」

 

「え……あっ?」

 

望外の声に、はっとユーリが顔を上げる。

廊下の角で出くわしたのは、まさしく今夜、

ルイズが警戒しているであろう学生第一位のキュルケであった。

 

「珍しいわね、こんな時間に、今日はあなた一人なの?」

 

「え、ええと、夜のお散歩、です。

 その、お星さまを見ようと思って……」

 

「へえ、よくもあの堅物のヴァリエールが許したものね」

 

「あ、あの、ルイズさんは何か、難しい勉強中みたいだから、

 だから、部屋にいても邪魔になるかな……って」

 

「……ふーん」

 

曰くありげに、キュルケが含みのある眼差しを向ける。

何かと察しの鋭い彼女の事、ユーリとしては、一刻も早く話を切り上げたい所だった。

 

「まあ、そう言う事だったら、私の部屋ででも待ってる?

 今日は『たまたま』予定を入れてないし、

 あなたが遊んでくれるならフレイムも喜ぶわ」

 

「ええっ!? あ、お、お気持ちは嬉しいけど、

 そんなに時間もかからないと思うし、少し外を歩いたら、すぐに戻ります」

 

と、挨拶もそこそこに、ぱたぱたとユーリが廊下をかける。

その危うい足取りを見つめながら、誰に言うでもなくキュルケが呟いた。

 

「あら、フラれちゃったわ。

 ……にしても、ヴァリエールはお勉強中、ねえ?」

 

 

「……ふう」

 

シエスタの私室にて、彼女の曾祖父が残した薬学書を眺めながら、

ユーリはその日、何度目かとなるため息を洩らした。

 

「どうしたのユーリちゃん。

 ミス・ヴァリエールの用事、そんなに気になる?」

 

「うん、それもあるけど……」

 

シエスタの問いかけに対し、ユーリの言葉尻が濁る。

許し合う証の存在を良い事に、

すっかりシエスタに甘え放題となっているユーリであったが、

さすがに今日の出来事を、正直に彼女に告げるワケにはいかない。

 

「私……、早く大人になりたいなって」

 

「あら、ユーリちゃんはスピニアさん達の学園の代表、プリマ・プラムなんでしょう?

 今だって十分すぎるほど頑張ってると思うんだけどな」

 

やんわりとしたシエスタの声に、ユーリがふるふると首を振るう。

 

「学園の上級生には、私よりも強い力を持った人がいっぱいいるよ。

 ……でも、それでも今年の、

【プリマ・アスパラス】には誰も敵わないって、みんなが言ってた。

 そうじゃなかったら、少し特別な勉強をしてるって理由だけで、

 私が代表に選ばれたりはしないよ」

 

そう言って、ユーリが再びため息をつく。

 

――プラム・クローリスとセント・アスパラス。

フィグラーレに長い歴史を誇る二つのスピニア養成学校の間には、

毎年それぞれの代表『プリマ』を学生たちの中から選出し、

星のしずくを取り合う対抗戦を行う伝統があった。

 

そして、今年のプリマ・アスパラスは、

学園の歴史が始まって以来の麒麟児と専らの評判であった。

中には今年の対抗戦は、戦う前から勝負が決まっているなどと、心無い事を言う輩もいる。

初等部のユーリがプリマに選ばれたのは、

本人の実力以上に、そうした周囲の事情が幸いしたためでもあったのだ。

 

「それに、私の知っている『言葉』って、こっちの世界ではあんまり役に立たないから」

 

そう言って視線を落とすユーリに、今度はシエスタが表情を曇らせる。

 

(……う~ん、これは思った以上に重傷かもね)

 

本来の皐ユリーシアは、プリマ・プラムに選ばれた事を、

何よりも誇りとしていたハズの少女である。

姉のようなスピニアになりたい、一番のプリマになりたい、

誇り高きプリマとして誰にも負けたくない。

そんな、キラキラと輝く夢をまっすぐに追いかける瞳こそ、

少女の為す奇跡の力の原動力であったのだ。

 

それがここまで自虐的になるなどと、

普段の溌剌とした姿からは想像もつかない事である。

だがその自信も、フィグラーレの守秘義務に阻まれ、

戦力外通知を出せれた現状では揺らぐのであろう。

魔法の使えないユリーシアなど、あくまで不安定な年頃の女の子に過ぎないのだから。

 

そっ、とシエスタがユーリの髪をなでる。

 

「……スピニアさん達の使う魔法、私は好きだけどな。

 ひいおじいちゃんが教えてくれたお伽噺、いつも布団の中でドキドキして聞いてた。

 二つの学園のプリマは、フィグラーレの女の子たち全ての憧れ……、でしょう?」

 

「でも、私たちの使う言葉は、

 あくまで星のしずくを追うための方法で、この国の魔法ほど便利じゃないよ?」

 

「素敵な魔法って言うのは、そういうモノなんじゃないかな?

 ハルケギニアの貴族の方たちが使う魔法は、確かに便利よ。

 産業も、医療も、文化も、

 今の私たちの生活は、魔法の存在なしには考えられないくらいに」

 

「だったら……」

 

ユーリの反論に対し、シエスタがゆっくりと首を振り、苦笑交じりにささやく。

 

「便利過ぎる力は、必ずしも人々を幸せにするものではないから。

 魔法を使える人と使えない人の間には、どうしても格差が生まれてしまうし、

 それに、何でも使える魔法は、良くない事にだって使えてしまうもの」

 

「……あ」

 

「この間の盗賊退治について行ったユーリちゃんなら、それが分かるんじゃないかな?」

 

諭すようなシエスタの声に、不承不承ユーリが頷く。

かつての授業において、ギーシュ少年が青銅のゴーレムを披露したとき、

ふくよかなシュヴルーズ先生は、

それを過酷な環境下や人手に余る重労働をこなせる魔法だと教えてくれた。

だがそれは同時に、どれだけ傷ついても平気な兵隊にもなり得ると言う事でもあった。

 

「でもね、ユーリちゃん。

 ハルケギニア、そしてこのトリステインも、

 そうやって何度も争いを繰り返しながら

 今日にいたるまで、六千年もの長い時間、繁栄を続けてきた。

 その理由は分かる?」

 

「……それは、どうして?」

 

「簡単な事よ。

 みんな本当は、争いが嫌いだから、それこそ貴族から平民に至るまでね。

 だからみんな、お互いの立場を理解できるよう、何度も何度も話し合いを重ねたり、

 住みよい国が作ろうと、何世代にも渡って努力してきた。

 それこそ、魔法の力の有無なんて関係なしに、ね

 だから今、ただの平民に過ぎない私が、ユーリちゃんとこんな時間を持てるのも、

 そう言う人達のおかげ、なのかな」

 

シエスタの言葉に対し、今度は素直に首を振る。

彼女の言わんとしている意味が、おぼろげに理解できつつあった。

 

「だからさ、

 きっと、どれほど強く願ったとしても、人はすぐには成長なんてできない。

 ただ、今の自分にできる事を、一つずつ頑張っていくしかないんじゃないかな?」

 

「今の自分にできる事を、がんばる……?」

 

「そう、差し当たって、今のユーリちゃんにはこれね?」

 

シエスタが木箱をユーリの前に持ってきて、油紙に包まれた器を取りだす。

包装を一つずつ紐解けば、ビーカー、フラスコ、試験管と言った、

おおよそメイドの私物にはらしからぬ実験器具の類が、テーブルの上にずらりと並ぶ。

 

「シエスタさん……、これって!」

 

「そっ、前に言ってた、ひいおじいちゃんの仕事道具。

 今日、学院に届いたの」

 

そう言いながらシエスタがフラスコの腹を、懐かしげに指先で撫でる。

 

「フィグラーレでの勉強は、無意味なんかじゃない。

 大人になんかならなくても、ユーリちゃんが出来ること、きっとあるよ」 

 

「……うん!」

 

所狭しと並べられたガラス器を前に、ようやくユーリは、この日一番の笑顔を浮かべた。

 

 

――結局、ルイズがその日の内に、シエスタの部屋を訪ねる事は無かった。

 

二人はその夜、先人の残した学術書を頼りに悪戦苦闘しながら、

それでもやがて、一つの試薬らしき物を調合する事ができた。

その頃にはすっかり深夜となり、

ユーリも眠い目をこすりながら、扉の方を見つめていたのだが、

シエスタにふわふわと髪の毛を撫でられている内に、いつしか深い眠りへ落ちてしまった。

 

 

その後、シエスタの部屋の扉が再び叩かれたのは、

ようやく朝日も登ろうかと言う明朝の事であった。

 

来客の到来を予感していたシエスタは、すぐに目を覚まし、

傍らでまどろむ少女を起こさぬよう、しずかに寝台を降りた。

 

果たして扉の外にいたのは、すっかり旅装を整えたルイズの姿であった。

 

「ごめんなさいシエスタ、こんな朝早くに」

「ミス・ヴァリエール……、いえ」

「……ユーリはまだ、寝ているかしら?」

 

シエスタが半身となって扉を開く。

視界の先で横たわる少女の姿を認め、ルイズが安堵の息を付く。

 

「こんな時間に、何かあったのですか?」

 

「実は昨日、実家から連絡があって……、

 これから火急の用事で、自領に帰る事になったの。

 学院の方は、おそらく一週間くらいは開ける事になってしまうから、

 その間、あなたにユーリの面倒を見て上げてほしいの」

 

言いながら、硬貨の入った袋を取り出す。

差し出された袋を見つめながら、シエスタが大きくため息をつく。

 

旅の目的が本当に帰郷であるならば、ユーリを置いていく理由がない。

異質な使い魔を召喚した事を、家族に隠匿していると言う可能性もあるが、

責任感の強い彼女は、むしろユーリの今後について話し合いたいと言っていたはずだ。

それに、そもそも急用で自領に帰るのであれば、物々しい旅支度など必要ない。

火急の用と言うならば、書き置きでも残して夜の内に発ってもよかったと言うのに……。

 

「ミス・ヴァリエールは卑怯です。

 ユーリちゃんの気持ちも考えてあげて下さい」

 

「……私だって考えてはいるわ。

 あの子の事も、今の自分にできる事も」

 

そう反発しつつも、ルイズの語気に力は無い。

魔法も碌に使えず、強力な使い魔も持たないルイズが、

王女の友誼とユーリの安否を天秤に掛けて、何とか折り合いを付けた最善が、

この程度の嘘でしかなかったのだから。

 

「足りませんよ、そんなんじゃ全然」

 

シエスタがあけすけに言い放ち、硬貨の袋を押し戻す。

 

「絶対に、必ず無事に戻って来てください、

 もしもの時には、貴族の誇りだの義務だの、そんなの全部ほっぽり出してでも」

 

「シエスタ……」

 

「表向き、どんなに私に懐いていても、

 あの子に本当に必要なのは、あなたなんですから」

 

「ええ……、ありがとう、シエスタ」

 

結局、押し返しかけた袋を懐の中に戻す。

学院に戻ってくると誓ったのだから、お礼はその時でも構わないだろう。

 

 

 

 

シエスタと別れ、ルイズが正門へと赴く。

本来なら人影などあるはずもない明朝なのだが、

そこには手慣れた動きで大型のグリフォンを撫でる羽帽子の姿があった。

 

「やあお早う、

 準備の方は大丈夫かい、ルイズ?」

 

「……ええ、もう大丈夫。

 すぐにでも出立しましょう、ワルド」

 

 

「ええっ!? そ、それでルイズさん、でかけちゃったんですか?」

 

「うん、そうなのよ。

 あの様子だと、何か本当に大変な事が起きたみたいね。

 なにせユーリちゃんに挨拶する間もないくらいに慌ててたから」

 

「そ、そんなぁ……」

 

起き抜けに失望の声をあげたユーリに対し、あっけらかんとシエスタが応える。

ユーリは一見、年相応に隙の多そうな少女であるが、

ステラウェバーの勉強を積んでいると言うだけの事はあり、

人の心の動きに敏感である事をシエスタは知っている。

余計な詮索を招かぬよう、不安な態度を見せるのだけは避けねばならなかった。

 

「ユーリちゃんの場合、かなり特殊なケースで召喚されて来ちゃったから、

 多分、実家が大変な時に、余計な心労を家族にかけたくないんだと思うの」

 

「……うん」

 

「大丈夫、今回の一件が落ち着いたら、次の機会にはきっと同行させてくれるわよ。

 だから今回は、私と学院でお留守番ね」

 

信じてもいない嘘を信じさせるため、シエスタが明るく声を重ねる。

もっともユーリは、昨夜ルイズの部屋で起きた出来事の一端を知っているハズである。

でまかせを重ねた所で、かえって少女を不安がらせるだけかも知れないと、

内心ヤキモキしてはいたのだが。

 

「それじゃあユーリちゃんは、今日から少しの間、私の部屋でお泊りね。

 もっとも日中はお仕事があるから、私もあまり付き合えないかもしれないけど……」

 

「平気だよ、シルフィやフレイムさん達もいるし……、

 あっ、じゃあ私、お食事したら、部屋から荷物を取ってきます」

 

そう言ってユーリは、笑顔でシエスタの部屋を出た。

 

 

 

――半刻後、

 

つとめて明るくシエスタの部屋を出たユーリは、

戻ってきた自室でひとり、大きく肩を落としていた。

もぬけの空となった主なき部屋、その机の引出しの奥に、

おそらくは伝説級のスピニアの物と思しき本を見出したためであった。

 

「……あの時のレシピ。

 これがここにあるって事は、ルイズさんの行先、やっぱり実家じゃないんだ」

 

呆然とユーリが呟く。

元々はルイズの母親、ヴァリエール公爵夫人の所有物だったと言う『開かずの魔導書』。

「次の帰京の時にでも、母様にお返ししましょう」と部屋の主は言っていたハズだ。

いかに急ぎの用事とは言え、学院長から託された至宝を持ち忘れる、

などと言う事がありえるだろうか。

 

昨夜のアンリエッタ、そしてルイズの表情。

きっと昨日、ルイズは何らかの秘密の仕事を託されたのだと直感する。

だが、土地勘も無ければ宮廷の事情も知らないユーリには、

ルイズの行先など追いかけようもない。

 

と、そこまで考えた時、不意に部屋の扉が叩かれた。

扉を開けたユーリの前に居たのは、

襟元が胡散臭くあしらわれた制服を着た金髪の少年であった。

 

「やあ、朝方からごめんよ……

 と、君はミス・ヴァリエールの使い魔の」

 

「あ、はい、おはようござます!

 ええと……『ぎーしゅ・も・ぐらどん』さん?」

 

「……人をモグラのモンスターか何かのように呼ぶのはやめてくれないか?

 さておき、ヴァリエールは部屋にはいないのかい?」

 

「ええと、ルイズさんは、何かしばらく留守にするらしいんです。

 私が眠っている内に、出かけちゃったみたいで……」

 

「そ、そうか、それじゃ先に出てしまったのか……」

 

馴染みの無い来客にどぎまぎするユーリを尻目に、ギーシュが腕を組み直す。

にゅっ、と横から呆れた顔で、キュルケが口を挟む。

 

「貴方がグズグズしてるのがいけないんでしょ?

 どうせ行先は判っているんだから、今から追えば合流できるわよ」

 

「そ、そんな事言っても仕方がないじゃないか?

 何せ姫殿下より直々に託された困難な任務だ。

 準備はいくらしたって足りな――っ」

 

「……えっ?」

 

タバサが横合いからサイレントで口を塞ぐも、一手遅れた。

口を開きかけたユーリの肩が、小さく震える。

 

「困難な任務って……、なんですか?」

 

「――ッ!」

 

「教えて下さい! 

 ルイズさんは一体どこに、何をしに行ったんですか!?」

 

「…………」

 

「……それを、今から確かめようと思っているのよ、ユーリ」

 

色んな意味で二の句が告げられないギーシュに代わり、キュルケがユーリを抱きしめる。

 

「そう不安な顔をしなくても大丈夫よ。

 こっちのモグラのお兄さんはとにかくとして、

 私もタバサも、腕には少しばかり自身があるんだから」

 

「キュルケさん……」

 

「こんな小さな使い魔を心配させてるしょうがない奴は

 私が縄にくくりつけてでも連れ帰ってきてあげるから、

 だからユーリも、この間みたいなやんちゃはしないで、大人しく待ってなきゃダメよ」

 

ぽんぽんと頭を撫で、キュルケが背後の二人に準備をうながす。

その背中をじっと眺めていたユーリだったが、やがて、はっ、と声をあげた。

 

「あの! ま、待ってください、キュルケさん!」

 

そう言って室内に走ったユーリが、やがて小さな巾着袋を持って戻ってくる。

 

「あの、ルイズさんに会ったら、これを渡して上げてください」

 

「なあに? 何か小瓶みたいな物が入ってるみたいだけど……?」

 

「ええと、お姉ちゃんが私にくれたお守りです。

 あ、中は開けないでください!

 その……、ご、ご利益が無くなっちゃうから」

 

「へえ……、あのローザがねえ」

 

キュルケはしばし物珍しげに袋を見やると、笑ってそれを懐にしまった。

 

「ふふ、あの子がお守りと言うんだったら、私たちの道中にも幸いがあるかもね。

 ありがたく借りておくわ、ユーリ」

 

ポン、と胸元を押さえキュルケが部屋を出る。

慌ただしい空気が廊下に流れ、やがて再び、室内に静寂が戻った。

 

 

……一人となると、ユーリはまず静かに瞳を閉じた。

 

ややあって、真っ暗なまぶたの裏の世界に、うっすらと白い光が顕れ始めた。

光はやがて階段を下り、扉を開けて中庭へと進んでいく。

 

「……うん、大丈夫、『星のしずく』の気配、ちゃんと追えてる」

 

ゆっくり瞳を開けて自答し、窓の外を見下ろす。

おりしも中庭では、キュルケ達がシルフィードの背に乗り込む所であった。

 

ユーリが託したお守りの中身、それは舞踏会の夜に獲った星のしずくであった。

 

ステラスピニアには個人差があれど、星のしずくの気配を探る力がある。

本来ならそれは、一流のスピニアにしか感じ取れぬほどの微弱な力であるのだが、

今回の場合、一度手にしたしずくの個性を、ユーリ自身がはっきりと意識している事、

加えて二つの月と言う、スピニアの力を助長する環境が、彼女の未熟を補っていた。

ともかくこれでユーリは、しずくの気配からキュルケを追う事が可能となったワケだ。

 

そそくさと、ユーリがポシェットを開く。

まずとり出したのは、飴玉のような薬の入った小瓶。

最初にトリステインを訪ねた日より、いくぶん数の減った変身薬の瓶であった。

 

(……旅先では、ずっと変身している事になるから、

 もしも長引いたら、数が足りなくなるかも)

 

姉に教わった素材を確認し、一つ一つ、ポシェットに詰め直す。

今は薬を作っている時間は無い。

必要があれば、道々調合をする事になるのだろう。

 

一通り持ち物を確認したところで、最後にユーリはルイズの机へと目を向けた。

引き出しの奥に入っているレシピ……開かずの魔導書に。

 

元々、ユーリの知る言葉の内、戦闘に転用できるものは限られている。

何が起こるか分からない任務の中で、

手元にあのレシピがあったならば、どれほど頼もしい事だろう。

だが同時に、これから『皐ローザ』として、

ルイズとの合流を目指すべきユーリがそれを持ち出す事は、

自分の正体、引いてはフィグラーレの秘密を知られるリスクをも孕んでいた。

 

長考の後、結局ユーリはレシピをポシェットの中へとしまい込んだ。

最悪、例えみんなに『秘密』が知られてしまったとしても、

いずれ姉たちと再会できさえすれば、

必ず良い知恵を出してくれるハズである。

それよりも今、レシピを置いていく事で取り返しがつかなくなる事態だけは避けたかった。

 

(それにきっと、このレシピの本当の持ち主は、私を正しく導いてくれる)

 

半ば確信めいた信仰で、顔も知らぬ伝説級のスピニアに思いを馳せる。

先日のフーケ討伐以来、この本は幸運を呼ぶアイテムだとユーリは感じていた。

 

「クローチェ!」

 

変身薬を一つ飲み込み、レードルを握り直す。

柔らかい光が、たちまち少女の体を包みだす。

 

「スピリオ・クローチェ・デル・スド」

 

力強く言葉を唱え、その身を母校、プラム・クローリスの制服に包み込む。

スピニアを目指す少女にとって、無限の力をくれる正装である。

 

「アラ・ディウム・メイ!!」

 

飛行の言葉を唱え、窓を開け放つ。

一息に飛び出しながら、レードルの上でバランスを取る。

 

「ローザ!?」

 

下方からの呼び声に、ユーリが中庭を見下ろす。

いつの間にかそこにいたシエスタが、必死に自分を止めようとしているのが分かった。

 

「約束したでしょう、ローザ!

 お願いだから無茶はしないで」

 

「ごめんなさいシエスタさん、でも……!」

 

ユーリが大きく息を吸い込む。

この段になっても偽名を忘れない気遣いに胸が詰まったが、今のユーリに応える術は無い。

 

「でも、この姿の私になら、出来ることがあるから!」

 

雲の向こうのしずくを追って、ユーリがレードルを走らせる。

たちまち少女の姿が蒼穹の彼方に小さくなっていく。

 

「ユーリちゃん……」

 

少女が消えた青空に、シエスタがポツリと呟きを洩らした。




長らくリストラの対象とされていたモ・グラドン氏ですが、
迂闊な事を言う役割が必要となったため、無事に残留が決まりました。
やったモグ!

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