ぴゅあ×ぜろ★みらくる   作:いぶりがっこ

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第三話「きえないやくそく」

『アラ・ディウム・メイ!』

 

短い詠唱ともにレードルに乗り、風を切って夜空へと飛び出す。

唱えた呪文は、天空を飛び回り星のしずくを追うための言葉・『アラ・ディウム・メイ』――。

 

「え……、きゃっ!」

 

だが、予想以上の出力に、唱えたユーリ自身が驚きの声をあげる。

詠唱の直後、飛び立つ所を他人に気取られぬよう、ユーリは速度を抑え、

ゆるやかにレードルを動かしたつもりだった。

にも関わらず、レードルは主の意思を裏切り、

暴れ馬のようにバランスを欠いて宙に跳ね上がった。

 

「くうっ」

 

振り落とされそうになったユーリが、慌ててレードルを握り直し、体勢を立て直す。

やや危なっかしくはあったが、それでようやく飛行が安定した。

 

「うう、きっと、久しぶりにレードルを握ったから、

 いけない、もっと集中しないと……」

 

ともすれば胸中を覆う不安を追い払うべく、ユーリが自分自身に言い聞かせる。

大きく息を吐いて顔を上げると、ユーリは光の示した方角へ向け、

夜風に乗るようにレードルを走らせた。

 

 

 

――辿り着いた先は、学院に程近い林の中であった。

 

ユーリが不安げに辺りを見渡す。

街灯ひとつ無い、周囲を包む木々の漆黒は、否応無しに人の恐怖心を刺激する。

だが、そんな闇色の世界の中に、ただ一点だけ異質な存在があった。

 

「あれは……」

 

ユーリがまじまじと目を見張る。

生い茂る木々の中、ぽっかりと開いたそこに見えたのは、小さな小さな泉であった。

おそらく普段は、通りがかった者の喉を潤す憩いの場なのだろう。

 

だが、今の状態を人々が目にしたならば、ユーリでなくとも不信を覚えるであろう。

湧水はいまや小川のようになみなみと溢れ出し、

泉はその面積に不釣り合いな底深き青を携え、月明かりできらきらと七色に輝いていた。

 

「間違いない、ここに、星のしずくがあるんだ」

 

はやる胸を抑え、足元を確認しながら泉へと近づく。

星のしずくは水と交わる性質を持ち、また時に、降り注いだ場所に不思議な現象をもたらす。

眼前に広がる幻想的な光景は、まさしくこの泉に、

今宵、星のしずくが落ちたであろう事を示していた。

 

きゅっ、とユーリがレードルを握り直す。

水と交わった星のしずくは、放っておくと、そのまま同化して消えてしまう。

そうなる前に、スピニアはレードルを用い、しずくを水から分離させねばならないのだ。

 

星のしずくのありかを確かめようと、

ユーリがゆっくりと水面を覗きこもうとした、その時……、

 

「あっ!」

 

突如、泉の中心から間欠泉のように水が吹き出し、水滴が周囲へと跳ねた。

思わず怯んだユーリの眼前で、中空に静止した水球が、神秘的な虹色を煌めかせる。

 

「星のしずく!」

 

驚きの声をあげたユーリを翻弄するかのように、

しずくが一直線に脇を抜け、背後の闇へと回り込む。

振り向いたユーリの視線を逃れ、今度は頭上、そして再び前方へ。

変幻自在なしずくの動きに、ユーリが内心で舌を巻く。

 

基本的に星のしずくは、その一つ一つが異なる性質を持つ。

動きの緩やかなもの、光が弱く見つけにくいもの、すぐに水に溶けてしまうものや、

中には双子のしずくと言った変わり種まで存在する。

そして、そんな様々な特徴を持つしずく達に対応できるよう、

スピニアは多様な言葉を行使するのである。

 

そして今宵、ハルケギニアの地に迷い込んだ星のしずくの特徴は――。

 

「……は、速い!」

 

ユーリが思わず息を呑む。

そのしずくは、ただ、動きが速いと言うだけに留まらない。

真っ直ぐにこちらへ向かってきたかと思えば、

慣性も無くぴたりと静止し、いきなり鋭角に軌道を変える。

 

高速かつ奔放、

かつてレトロシェーナのテレビ番組で見たUFOの挙動が、少女の脳裏にありありと蘇る。

初めてしずくと相対した駆け出しのスピニアにとっては、幾分、分の悪い手合いであった。

 

「……でも、それでも、やってみせる」

 

胸中で小さくうなずき、滞空する獲物にゆっくりと忍びよったユーリが、

大きくレードルを振りかぶる。

そんな少女の決意をあざ笑うかのように、しずくは高速で旋回し、ユーリの背後へと逃れる。

 

「くっ、やァー!」

 

気合い一閃、振り向きざまに放たれた横薙ぎのレードルが、

標的を捉えたかに見えた刹那、しずくは垂直に軌道を変えて跳ね上がる。

鮮やかに上空へ逃れたしずくに対し、むなしく空を切ったレードルに振り回され、

地上のユーリが尻もちをつく。

 

「あぅっ! うぅ、まだ、この体に慣れてないから……」

 

頭を一つ振るい、よろよろとユーリが立ち上がる。

一瞬、元の体に戻ろうかとも思ったが、すぐに考えをあらためた。

あれほど素早く動くしずくを、少女の短いリーチで捕らえられるとは思えなかったし、

それに、初めての星のしずくは、どうしても正式なスピニアの姿で手にしたかった。

 

「し、しずくは」

 

気を取り直して上を見上げると、

しずくは遥か上空で、ユーリをからかうように飛び回っていた。

 

「ううっ、でも、空中戦なら」

 

瞳に闘志を宿し、レードルを持つ手に力を込める。

空中のしずくを追うべく、ユーリは大きく深呼吸して、再び先の詠唱を唱えた。

 

「アラ・ディウム・メ……、きゃあ!?」

 

異変はその時起こった。

レードルは、担い手であるユーリの思惑を遥かに超え、一直線に上空へと駆け上がったのだ。

少女の体は瞬く間にしずくを飛び越え、トリステインの夜空をどこまでも昇って行く。

 

(こ、これ、何が起こって……!)

 

冷たい夜風が全身を突き抜け、衝撃で声一つ上げる事が出来ぬままに、ユーリが思考する。

確かに先ほど、ユーリは全力でしずくを追わねば、と、考えながら魔法を使った。

だが、仮にユーリが超一流のスピニアであったとしても、

今のレードルのスピードはありえない。

まして術者の意思を超え、高速で暴走するレードルなどと……。

 

手元の痺れをこらえ、必死でレードルにすがりつくユーリの視界に、

大きな双月がみるみる近づいて来る。

 

(ふたつの…… 月?)

 

瞬間、ユーリの脳内で、姉・エレーナ先生によるフィグラーレ魔法講座が始まった。

 

『――いい、ユーリ?

 もう授業でも習ったかと思うけど、

 フィグラーレの魔法は月の満ち欠けに大きな影響を受けるのよ。

 月が満ちる時、術者の魔力は大いに高鳴り、逆に月が欠ければ、その勢いを失う……。

 勿論それは、スピニアの使う【言葉】だけに限った話じゃないよ。

 

 例えば、私たちステラウェバーが秘薬に込める魔力も、当然月の影響下にある。

 極端なケースだと、秘薬の効能に、

 思いもよらないような副作用をもたらす事すらあるんだから、

 私たちのようにフィグラーレの魔法に携わる人間は、

 常に月の満ち欠けを意識しておかなきゃダメだよ』

 

月の満ち欠けを意識しておかねばならない。

月の満ち欠けを意識しておかねばならない。

月の満ち欠けを意識しておかねばならない。

 

――その考慮すべき月が、天空に二つ!?

 

「くっ! くううううぅぅぅっ!」

 

それ以上の考察を続けている余裕は、今のユーリには無い。

ありったけの力をレードルへ込め、目一杯に軌道を変える。

刹那、視界が一回転し、少女の体が鮮やかなトンボ返りを決める。

かろうじて星にならずにすんだユーリの眼前に、今度は猛スピードで地上が迫る。

 

「クローチェ!」

 

一声叫び、必死で軌道を反らしながら、全身でブレーキをかける。

レードルは衝突寸前で矛先を変え、大きく旋回しながら勢いを減じて大地に降り立った。

慣性で投げ出されたユーリの体が、ごろんごろんと地表を転がる。

 

「うぅ~、ク、クローチェ~」

 

情けない声を上げながらも、

かろうじて起き上ったユーリが、ふらふらとレードルを握り直す。

ようやく辺りを見渡してみるが、星のしずくの姿はどこにもない。

あるいは、既に水に溶けてしまったのではないかと、

ぞっとするような喪失感が、少女の胸を突く。

 

――と、その時、

 

「後ろです! ステラスピニア!」

 

「――え?」

 

「後方、頭上からきます!」

 

「はっ!」

 

 

突如、周囲に響いた女性の声に応じ、ユーリが反射的に身を翻し、レードルを構え直す。

その瞬間、星のしずくが矢のような勢いで一直線に飛んでくるのを、ユーリは見た。

 

驚く間もなく、交錯。

まばゆい光が視界を塞ぎ、強い衝撃が、レードル越しに両腕を襲う。

 

この時、突然の女性の声に反応し、一瞬早く体勢を立て直せた事が功を奏した。

ユーリが気付いた時、偶然にも星のしずくは、

あたかもレードルの窪みに吸い寄せられたかのように、ピタリと収まっていた。

 

「早く、分離の魔法を!」

 

「は、はい!」

 

我に返ったユーリが、慌てて意識を集中させる。

既にしずくは、ユーリの手の内を離れようと、レードルの上で小刻みに暴れ始めていた。

ユーリが静かに瞑目し、凛とした声で再び詠唱を発する。

 

『プルヴ・ラディ!』

 

詠唱が周囲の木々にこだまして、淡い光がレードルの先よりこぼれる。

 

星のしずくを水と分離させ、紡ぎ直すための言葉……『プルヴ・ラディ』

やがてすべての光が消えると、やんちゃだった星のしずくも、緩やかにその動きを止めて、

それでようやく、小さな泉に夜の静寂が戻った。

 

 

「はっ! い、いけない」

 

しばしの放心の後、我に返ったユーリが慌てて周囲を探る。

水と分離させた星のしずくは、スピニアの手で瓶の中に収めることで形になる。

だが、肝心の小瓶を入れておいたはずのポシェットが、どうしても見当たらない。

おそらくは先の不時着時に落してしまったのであろうが、

暗闇の中、片手で行方を探すのは至難であった。

 

「探し物はこれですか、スピニアさん?」

 

「……あっ!?」

 

目の前に差し出された白い手に、ユーリが意外な声をあげる。

眼前に現れたその女性は、日中とは異なり、

ブラウンのロングスカートに外套を羽織った私服姿であったが、

学院でも珍しい黒のショートカットを、よもや見紛うはずも無い。

 

その人物は今朝方、ユーリを水場へ案内してくれた学院付きの使用人、シエスタであった。

 

「あの、このポシェットの中の小瓶を使うのでしょう?」

 

「は、はい、そうです!

 あ、でも、瓶の蓋は私が締めないと……」

 

「え! そ、そうなんですか?」

 

なにぶん、星のしずくを収めるなど、互いに初めての経験である。

興奮気味にあれこれと騒ぎ立てながら、レードルの先端を恐る恐る瓶の口へと持っていく。

固唾を飲んで二人が見守る中、しずくはするすると降下を始め、

やがてビンの中心で緩やかに静止して、柔らかい輝きを漏らし始めた。

 

「…………」

 

「……やった!」

 

ぽつり、とユーリが呟く。

小瓶の中できらきらと漂うしずくの輝きが、ユーリの心の中の達成感を、

徐々に現実のものへと変えていく。

直後、満面の笑みを互いに浮かべ、どちらからともなく歓声をあげた。

 

「できた! わたし、私にもしずくを捕まえられました!」

 

「すごい! ステキです! おめでとうござます、スピニアさん!」

 

まるで童心に帰ったかのように(厳密に言えば、ユーリは元から童心なのだが)

二人が肩を抱き合って、時も場所も忘れてきゃっきゃと跳ね回る。

一切のてらいの無いシエスタの賛辞が、ユーリの悦びを無常のものにする。

 

途中、さまざまなトラブルもあったが、

ユーリはその年齢に見合わぬ勇気でやり遂げたのだ。

初めて相対した星のしずくを、お供の力を借りる事無く、

ハルケギニアの人々に知られる事なく成し遂げ……。

 

「…………!」

 

「キレイ…… 私、本物のしずくなんて初めて見ました!」

 

いまだ興奮冷めやらぬと言った風のシエスタに対し、

ユーリの思考が一気に現実へと立ち戻る。

 

見られた。

シエスタがあまりにも当然のように登場したために忘れていた。

フィグラーレ以外の異世界の住人に、しずくを獲るところを思いきり見られてしまっていた。

 

(お、おお、落ち着かないと! そう、こういう状況の時は、確か……)

 

頭脳をフル回転させ、プラム・クローリスでの教えを思い返す。

しずくを獲る所を見られた時の対処法は、ごく簡単なものだったはずである。

 

(確か、レードルで相手に触れれば……)

 

対象者の頭部にレードルの先端を当てれば、

それだけで、フィグラーレに関する記憶を消す事が出来る。

それは、ユーリが授業で幾度か習った、ステラスピニアの基礎知識だ。

 

覚悟を決めたユーリが、ぎゅっ、とレードルを握りしめ、

じりじりとシエスタの間合いへ近づいていく。

 

「……えっと、あの、どうか、なされました?」

 

ただならぬ不穏な気配を察知し、シエスタが警戒の色を見せる。

とくん、と、ユーリの心臓が高鳴る。

 

限界であった。

これ以上近づけば、勘の良いシエスタに逃げられてしまう可能性もある。

一つ覚悟を決め、ユーリがレードルを大上段に振りかぶる。

 

「ご、ゴメンなさぁいッ!!」

「えっ、キャッ! キャアアアァァ―!」

 

突如として一足一刀の間合いに踏み込んできたスピニアの凶行に、シエスタが驚愕する。

その時、幼い頃よりタルブの平野を駆け回って来たシエスタの健脚は、

本人も驚くほどの反応を見せた。

 

外套の動きにくさを感じさせない見事な所作で、ロングスカートを翻して後方へ跳ねる。

レードルの一撃はむなしく空を切り、無様に半回転したユーリが三たび尻もちを付く。

 

「……う、うぅ……」

 

「……だ、大丈夫ですか? スピニアさ……、えっ?」

 

「へ? あっ!? や!」

 

わが身の異変に気付いたユーリが、戸惑いの声を上げる。

シエスタが呆然と見つめる先で、異国の魔法使いの体が、次第に紅い光に包まれていく。

 

「や、ダメ! 見ないでくださぁいっ!」

 

両手を前方でクロスさせ、必死にユーリが身を隠そうとするも、時すでに遅し。

こぼれる光とともに、少女の手足は見る見る縮み、

光の消失と共に、若きスピニアは、元の幼い少女の姿へと戻ってしまった。

 

「……ぁ」

 

「……あの、ユーリ、ちゃん?」

 

最悪だった。

ユーリは星のしずくを獲る所のみならず、自らの正体までも知られてしまったのだ。

 

未熟な駆け出しスピニア、皐ユリーシアは、

無謀にも単身で星のしずくに挑み、そして、失敗してしまった。

破られた掟が、フィグラーレの人々にどれほどの迷惑を及ぼすものか。

小さな少女の胸より溢れた挫折が、涙となって双眸をじわりと満たし、そして……。

 

「う…… う わ あ あ あ ぁ あ ぁ ぁ ん !」

 

そして、ユーリが弾けた。

 

「ごめんなさい! ごめんなさい! ごめんなさぁい!」

 

「ちょ!? 落ち着いて、ユーリちゃん!」

 

シエスタのなだめる声など、もはや届きはしない。

暗闇の中、泣きじゃくる悲痛な声と共に、少女がぶんぶんとレードルを振り回す。

 

「大丈夫だから! 落ち着いて、レードルを抑えて」

 

「だって、だってだって! だっ……」

 

「危ない!」

 

 

身に比して長大なレードルに振り回され、ユーリの小さな体が前方に投げ出される。

素振りが途絶えた間隙を縫って、シエスタがその身をしっかりと抱き止める。

 

「離して、シエスタさん! こうしないと、私……!」

 

「大丈夫だから…… 落ち着いて、私の首筋を見て」

 

「ふぇ……?」

 

大きな瞳をしばたかせて、ユーリが肩越しにシエスタを見つめる。

ほっそりとした乙女の白い首、そこに青白く輝くのは、【契約の証】――。

 

もちろんそれは、シエスタがどこかハルケギニアのメイジと、

コントラクト・サーヴァントを行った、という意味ではない。

その紋様は、本来ならフィグラーレとレトロシェーナの人間同士で結ばれるはずの、

とある約束の証であった。

 

「あ……!」

 

咄嗟にユーリが思い出す。

フィグラーレの秘密を知られた際に、

相手の記憶を奪わずに事を収められる、もう一つの方法があった事を。

 

その方法とは、二人の間である詠唱を唱え、

他の者に秘密を漏らさぬと言う誓いを立てる事であった。

 

フィグラーレの人間は、心の底から通じ合える者、

たった一人とのみ、その約束を交わす事が許されるのだ。

相手が誓いにふさわしい者であったならば、魔法の効果でその首に約束の証が刻まれ、

晴れて二人は、フィグラーレの秘密を共有する事が許されるようになる。

 

(この人は、私よりも前にハルケギニアを訪れた誰かと、誓約を結んでいるんだ!

 だから、星のしずくと、ステラスピニアの事を知って……)

 

ふっ、と気の緩んだユーリの体を、シエスタが慌てて抱きかかえる。

 

(この人には、この人だけには、何でも打ち明ける事ができる……)

 

呆然と、シエスタの穏やかな瞳を見つめる。

底深い安堵感は、やがて、何か熱い感情へと変わって、少女の胸の奥からこみ上げてきた。

それは、見知らぬ異世界に放り出された幼い少女が、

ただ一人でこらえ続けた、最後の砦であった。

 

「うぅっ……! シ、シエスタさぁん!」

 

「……うん」

 

シエスタの胸の中で、ユーリの心はほどけ、そして少女は、再び泣いた。

ユーリの淡い緑髪を、そっ、とシエスタが撫ぜる。

 

「ごめん、最初に出会った時に、気付いてあげれば良かったね」

 

「シエスタさん! シエスタさん……」

 

全身を包み込む圧倒的な安心感から、ユーリはまるで、幼子のようにいくらでも泣けた。

宵闇の静謐な世界と、優しい女性の温もりだけが、そこにはあった。

 

 

シエスタは十歳の時、はやり病にかかった。

 

別段、難病という訳ではなかった。

知識ある水のメイジに診てもらい、しっかりと療養したならば、

命に関わるほどの病ではない、はずだった。

 

だが、ただ一つの問題は、この種の病を診れる医師が、王都トリスタニアにしかおらず、

彼女の実家であるタルブとは、距離が離れすぎていた事である。

 

夜明けを待って早馬を飛ばしたとして、

医師が到着するまでの数日の間、幼い少女の体力が持つかどうか……。

周囲を取り巻く状況は、徐々に予断を許さないものへと変わっていた。

 

 

 

――その日の夜中、曾祖父がシエスタの寝室を訪れた。

 

 

 

シエスタの曾祖父は、元は東方の生まれで、

ひょんな事故からタルブの地に流れ着いたという、異色の経歴の持ち主だった。

 

植物学に明るく、ともすれば山中に篭って二、三日は下りて来ない事もしばしばという、

いわゆる変人の類でもあったが、人当たりが良く医者としての腕も確かという事もあり、

彼に対する村人たちの信頼はすこぶる厚かった。

 

その曾祖父も今回のシエスタの容態に対し、一度は匙を投げたはずだったのだが……。

 

曾祖父は懐から小瓶を取り出すと、発熱でうなされるシエスタの眼前へとかざした。

小瓶の中に入っていた液体は、卓上のランプの薄明かりを浴びて、

キラキラと虹色に透き通っていた。

 

きょとんとした瞳を向けるシエスタに対し、

曾祖父はまるで、悪戯が見つかった少年のように白髪頭を掻いて、

「墓まで持って行くつもりだったんだがねぇ……」と、ぼやいた。

 

 

 

――翌日、シエスタの体は、嘘のように回復した。

 

 

愛らしい笑顔でスープを口元に運ぶ少女の姿に、

周囲の大人たちは目を丸くして、また、呆れたようなため息をついた。

シエスタはちらりと曾祖父の方をみたが、その時の彼は、お気に入りの安楽椅子の上で、

とぼけたようにパイプを燻らせるだけだった。

 

 

あの夜に起こった事は、二人だけの【秘密】だ。

 

 

それ以来、シエスタはたびたび、曾祖父の寝泊りしている山荘を訪れるようになった。

奇妙な実験器具の並ぶ掘立小屋の中で、彼は、生まれ故郷の話を聞かせてくれた。

 

――ハルケギニアとは魔法の在り方が異なる世界・フィグラーレ

――シエスタの命を救ってくれた薬の原料『星のしずく』

――さまざまな魔法を行使してしずくを集める、女の子たちの憧れ『ステラスピニア』

 

特にシエスタは、曾祖父の知人であるスピニアの話に夢中になった。

かつて曾祖父に星のしずくを託した、その人との思い出話は、

同時に、シエスタにとって大事な命の恩人の話でもあった。

 

曾祖父の話に耳を傾ける時、シエスタはいつしか、

星屑を追って夜空を駆ける少女の姿を夢想するようになっていった。

 

やがて、時は流れる……。

 

大好きだった曾祖父もいまや亡く、

シエスタの中でフィグラーレは、本当に遠い世界となった。

 

だがそれでも、夜空を流れる星屑を見る時、

シエスタは胸をざわめかせずにはいられなかった。

そんな時、シエスタの脳裏には、流れ落ちる星の行く先を見定めようと、

広大なタルブの平原を駆け抜けた少女の頃の記憶が、

まるで昨日の事のように思い出されるのであった。

 

今宵も星が降った。

常とは異なり、一際大きく、そして不思議な輝きを放つ星だった。

その輝きを目にした瞬間、シエスタの心は、たちまち無垢な少女のそれへと帰っていた。

 

星のしずく、レードル、魔法、ステラスピニア――!

 

もはや矢も盾もたまらず、彼女はたちまち自室を飛び出し、

流れる星の行く末を、かつてのように必死に追い続けた。

 

やがてシエスタは、ほの暗い闇の中、奇妙なきらめきを放つ泉へと辿り着き……。

そしてそこで、あの日の憧れの少女と出会った。

 

 

「シエスタさんのひいおじいさんは、ステラウェバーだったんだね……」

 

シエスタの独白の後、ようやく心を落ち着けたユーリが、ぽつりと呟いた。

その小さな手には、柔らかな光を放つ星のしずくが、今もしっかりと握られている。

 

「うん、私はひいおじいちゃんが大好きだったから、

 あの人の後を継ぐような仕事ができたらって、ずっと考えてた。

 ただ、フィグラーレは私にとって遠すぎる世界だから、

 全ては夢の物語だと、そう自分に言い聞かせて、半ば諦めかけていた所だったんだけどね」

 

「……そっか」

 

「ねえ、ユーリちゃん、

 その星のしずくを使って何をするのか、もう決めているの?」

 

「あ、ううん。

 何か、ルイズさんの役に立てれば、とは思うんだけど……」

 

言いながら、ユーリが満点の星空へと目を向ける。

人知れぬ努力を続けるルイズの力になるためには、

果たして何を願えばよいのか、少女の中で、答えは未だ漠然としていた。

 

しばしの沈黙の後、やがて、シエスタがおずおずと口を開いた。

 

「その、星のしずくを精製する仕事、私にも手伝わせてくれないかな?」

 

「……え?」

 

「ええと、あんまり役には立てないかも知れないけど、

 部屋には曾祖父の残してくれた本もあるし、

 それに、しずくを精製するお仕事は、私の幼い頃からの憧れでもあるから」

 

「シエスタさん……!」

 

そう言って、やや気恥ずかしげにうつむいたシエスタに対し、

たちまちユーリが瞳を輝かせた。

 

ユーリにとってシエスタは、この世界で全てを打ち明けられる唯一の人である。

その女性が協力を申し出てくれた事は、

まさに百人の味方を得たかのような頼もしさであった。

 

「も、もちろんです! こちらこそ、よろしくお願いします!

 あの、私はいずれ、フィグラーレに帰らないといけないから、

 どこまでシエスタさんの力になれるか分からないけど……」

 

と、そこまで口にした所で、不意にユーリの表情が陰る。

急に口をつぐんでしまった少女の横顔を、シエスタがまじまじと覗き込む。

 

「……どうかした、ユーリちゃん?」

 

「あの、シエスタさんのひいおじいさんは、フィグラーレに帰れなかったんだよね」

 

ユーリの胸中が、再び不安の渦で満たされる。

もしかしたら、ハルケギニアとフィグラーレをつなぐ【道】を作る事は、

非常に困難なことなのではないか?

だとしたら、もう、自分は二度と……。

 

「……あ! 違うのよユーリちゃん、心配しなくても大丈夫!」

 

「え?」

 

「こっちの世界に来てから半年くらいで、

 例のスピニアさんが助けに来てくれたって、ひいおじいちゃんは言ってたよ。

 でも、ひいおじいちゃんは帰らなかったんだって。

 

 それで、二つの世界はこれまで通り、距離を置いていた方がいいからって言って、

 それっきり、ひいおじいちゃん、二度とフィグラーレには戻らなかったそうよ」

 

「そ、そんな! どうしてですか?」

 

予想外のシエスタの言葉に、きょとんと目を丸くしたユーリに対し

シエスタはやや頬を赤らめ、その後、とびきりの笑顔を作って耳打ちした。

 

 

「……大恋愛だったんだって、ウチのひいおばあちゃんと」

 

 

 

 




誓約の魔法、トゥ・アローナについて、
本編を見た限りではどうもスピニア専用っぽい魔法なのですが、
本SSではステラウェバーも使える、と言う事で行きたいと思います。
ナツメさんが生涯許しあう女性を持てないってのも悲しい話ですし。

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