ISの技術が開発されてからは、世の中の様々な技術も発展しているらしく、医療技術もその一つのようだった。
俺が目覚めてからは、医療用ナノマシンが投与され、肩、腹部の傷は次第に治癒していた。
…残念ながら、傷痕だけは消えないみたいだけど…。
体がまともに動くようになってから俺がやっている事と言えば…
「Aランチお待たせしました!」
「新入り!次は25番にCランチだ!」
「はい!」
「ベーグルサンドも用意して!」
「はい!」
「ハルフォーフ副隊長からのお呼びだ!
コーヒーを持っていってくれ!
ホットドッグも一緒にだ!」
「はい!すぐに行きます!」
「AコートにDランチを四つ持っていけ!」
「了解です!」
ドイツ軍駐屯地にて全力疾走withランチセットを繰り返して今日で四日目だった。
その忙しさたるや、両手だけで運ぶのは足りず、肩や二の腕、揚句には頭の上にまで乗せての全力疾走だった。
…千冬姉による訓練の内容ではない。
かと言って、これが楽しくない訳でもない。
幼い頃から料理をしていたから、この手の仕事は寧ろ楽しいが、それも今は関係無い。
…寧ろ訓練の対価だ。
千冬姉もいつでも俺の為に時間を割り当てられるわけでもない。
訓練が出来ない時間帯は、俺はこうやって厨房で働いている。
千冬姉曰く、「ただで訓練をつけてもらえると思うな」との事。
だが、本音としては俺の作る料理の方が目的だろう。
…相応の訓練をつけてもらっているから俺も文句は言えないが…日給で給料ももらってるし…。
「ハルフォーフ副隊長、失礼致します」
「な!?す、少し待て!」
妙な返事だ。
けど、慌てている理由は俺は承知している。
ハルフォーフ副隊長の部屋には、日本のコミックだとか同人誌が大量に存在する。
先日、部屋にコーヒーを届けに来た際、偶然にも地震が発生し、本棚に並ぶ軍事雑誌の向こうから大量のブツが雪崩落ちた。
俺にそれがバレてしまい、一応は口止めされているが、その実は隊の全体に既に知れ渡っているとの事。
言い方は悪くなるが、ハルフォーフ副隊長は『海向こうのオタク』に分類される女性だ。
コミックや同人誌の内容を、日本の常識と信じてしまっている節が幾度か見受けられたのは少々心配だ。
その知識を誰かに植え付けたりしないかどうか、俺は心配していたりする。
部屋の中からバタバタと音が聞こえてから数十秒。
「入ってくれ」
との返事が聞こえ、俺はドアノブを握り、扉を開いた。
副隊長は涼しい顔をしているが、本棚はグチャグチャで、大仰な机の足元から日本の同人誌の一冊が半分程姿を隠しきれていなかった。
…見なかった事にしよう。
「ホットドッグとコーヒーをお持ちしました」
「うむ、ご苦労」
眼帯に覆われていない右目が俺の左手に視線を向けられる。
だが俺はそれを無視する。
今更過ぎるからだ。
手袋に覆われた左手の甲を気にしているようだが、あれから何も変化は無い。
埋め込まれた『何か』は取り除けていない。
「それでは失礼しました」
居心地が非常に悪い為、俺はとっとと厨房に戻る事にした。
「一夏、我々黒兎隊の駐屯地には慣れたか?」
「おかげさまで。
この数日で良くしてもらっていますから。
難点を言えば、女性ばかりで居心地が少しばかり悪いですけど」
「それは仕方ない、我々はISを用いる事を想定した部隊なのだからな」
それ故にドイツ軍最強の部隊との事。
アラスカ条約も遵守されてるらしい。
「む、そうなのか?
日本では『年頃の男は大量の女性に囲まれる事を日々夢に見ている』と聞いたが?」
…悪友の弾を思い出してしまった俺は悪くない。
そして副隊長…同人誌の読みすぎです。
「ハルフォーフ副隊長…日本の男性が全員そんな事を考えていたりなどしませんから。
至極一部だけです」
俺がカミングアウトしているのは弾だったりする。
あいつだったら言い兼ねんだろうな。
…やっぱりこの人が心配だ。
部下の前では副隊長然としているが、いつ同人誌の内容を常識としてシャウトするか判ったものじゃない。
そうなったら黒兎隊の隊長を通して不信任案でも提出してしまおう。
どうせ部外者の俺には無理だけど。
その隊長までもが副隊長の趣味に染められていたら…いや、それは無いと信じよう。
続けて訓練に使われているAコートにDランチセットを持って走っていく。
此処ではISを使った訓練がされている。
此処には俺と同年代の人も居る為、割と入りやすい。
「失礼します」
断りを入れてからコートに入る。
すると…
「動きが遅い!
もっと早く反応出来るようにしろ!」
「はい!」
「そこ!指示通りの動きが出来ていないぞ!
罰としてPICや一切の機関を作動させずにコート3周だ!」
「ひぃいいい!?」
「そこ!太刀筋が荒い!
そんな事では動きが先読みされるぞ!」
「申し訳ありません!」
…鬼教官がそこに居た。
訂正、千冬姉がそこに居た。
要らない事を考えると俺まで被害を受けそうだ。
「…織斑教官、頼まれていたDランチセットを持ってきました」
駐屯地では基本、千冬姉をそう呼んでいた。
訓練生の前ではメリハリをつけておきたいのだとか。
「む、もうそんな時間か。
各自伝えた訓練を終えたら食事に入れ。
…お前は休憩時間に訓練を見てやる。
厨房には話を通しているからな」
「了解」
頷いてからAコートに視線を向ける。
ガッチャガッチャと音が聞こえるが、あれは懲罰で走らせているらしい。
PICと呼ばれる機関で搭乗者はISの重量を感じずに動けるらしいのだが、それや加速用のスラスター等が使えなければISは鉄の塊となる。
その状態でこの広いコートを走らせるのだから千冬姉の鬼加減は恐ろしい…
バシン!
「痛っ!?」
何も言わずに千冬姉に頭を叩かれた。
「何かくだらない事を考えただろう」
相変わらず勘の鋭い人だ…。
ランチセットを食べている二人の訓練生、マリーとリズはクスクスと笑っていた。
…居心地が少し悪いが気にする程でもない。
ISが開発されてから各国のバランスが崩れたが、それは人間同士でも発生していた。
ISは女性にしか動かせない。
その為、『女尊男卑』の風習があちこちで広がりつつある。
『女性こそが偉い』と勘違いする人が増えているのが現実だ。
けれど、このドイツ軍はその悪しき風習を一蹴している。
その為、居心地の悪さは『若干』で済んでいる。
訓練生とは、あくまでも『親しい友人』のレベルだ。
俺は自分で購入しておいた野菜サンドに噛り付き、コーヒーを飲む。
落ち着ける一時だった。
が、それも長くは続かない。
休憩時間は限られている。
それすら俺は訓練に使わなくてはならない。
そして千冬姉の食べるペースも早ぇ…。
マリーとリズはDランチセットをリスの如く頬張ってるし…。
まあ、いいや。
近くに立て掛けている軍刀を左手に持ち、鞘をベルトに挟む。
すると…あちこちから訓練生や隊員がAコートに集まってくる。
たった四日で俺と千冬姉の剣術訓練の風景が日常風景になったのだとか…。
「始めるぞ」
「ああ、頼むよ」
鞘から右手で軍刀を引き抜く。
ドイツの軍刀はどこか日本刀に似ている。
籠鍔の違いは当たり前だが、刀身の反り具合が、日本刀のそれを思い出させるのかもしれない。
「はぁっ!」
横薙ぎに剣を振るう。
たやすくこれは受け止められる。
当たり前だ、千冬姉の剣術は特級品だ。
簡単に勝てる相手じゃない。
一度は世界最強の名を手にしていたんだから。
まだまだっ!
十文字に剣を振るい、鋭く突く!
その三度の剣もたやすく受け流された。
これは千冬姉から学んだ剣。
受け止められても、受け流されても当たり前の話だ。
「その技をそこまで向上させたのは見事だが、まだ速さでは私には追いつけていないな」
「…かもな…」
正直、悔しい。
だからこそ目指した。
その高みを。
必ず追い付きたい!
「腕だけで剣を振るうな。
視線で太刀筋を悟らせるな」
「判ってるさ」
鋭い横薙ぎの剣閃が襲ってくる。
それをバックステップで躱す!
チャキン、と音が聞こえた。
千冬姉が剣を腰の鞘に戻した。
あれは…『居合』の構えだ!
俺も咄嗟に剣を同じように鞘を戻す。
そして腰を少しだけ落とし、即座に抜刀出来るように構える。
「一夏、いつまで私の真似をするつもりだ?」
「…え…?」
「真似ばかりでは、向上しても追い付く事は出来んぞ?」
…そうだよな。
綺麗事ではあるが向上しても成長とは違うのかもしれない。
…なら…!
ベルトから鞘を抜き、左手に持つ。
流派の違う居合だ。
なら、俺はそれに賭ける!
「面白い、付け焼き刃だとしてもやってみろ!」
「やってみせるさ!」
千冬姉が、少しだけ笑って見えた。
それを合図に、俺は一気に走り出す!
間合いの直前に左手の鞘から剣を引き抜き、袈裟掛けに振り下ろす!
だがそれすらも千冬姉に受け止められる。
「まだまだぁっ!」
剣を振るった勢いでそのまま体を回転させる!
体を一回転させ、今度は逆袈裟斬りに振り上げる!
予想外の動きだったのか、千冬姉は剣の峰に腕を沿え、俺の剣を受け止めた。
「面白い技を考えたな」
「隙だらけになるんだけどな」
「なら、使わない方が良いかもしれんな。
一度は相手に背中を向ける事なる」
「それは承知しているよ。
だけど」
左手逆手に持った鞘を振り下ろす。
今度こそ完全に予想外だったのか、バックステップで回避された。
「本当に面白い事を考える…」
「もう千冬姉には通用しないけど、な」
千冬を下がらせた。
それは初めての経験だけに自信が出て来るが、それもたった一度だけだと理解する。
もう、見切られた。
付け焼き刃ではあるが、秘策はここで尽きた。
「…千冬姉にはまだまだ届かない、か」
「だが筋は良い、鍛えてみろ」
「ああ、そうするよ。
必ず追い付き、追い越す。
それまで、絶対に誰にも負けないようにするよ」
事実上の今回の降参宣言だった。
周囲から黄色い声が大量に聞こえてくる。
見物に来ていた人がいつの間にか凄まじい人数になっていた。
…どうやらまだ見たいらしい。
休憩時間が終わるにはまだ時間がある。
「まあ、良かろう。
もう少しやってみるか」
「…そうだな、そうしようか」
連休なので、投下してみました。
一夏君にはドイツ軍で厨房の仕事をしながら千冬さんに剣術の訓練を受けています。
さて、一夏君の居合のスタイルですが…もう既に原作から離れてますね。
『鞘を左手に持ったままの状態での居合』です。
はい『君子殉凶』のスタイルをそのままですね。
体の回転はオリジナルのつもりですが。
まあ、その話は置いといて、早速登場のハルフォーフ副隊長です。
ともなれば…はい、彼女も登場します、原作スタートよりも早いですね。
近いうちに登場してもらう予定です。
では次回にてお会いしましょう。