Ichika View
目を開けば、無限の蒼穹と鏡の大地。
輝夜の領域だとすぐに理解した。
そこに佇むのは、ラウンドベレットで素顔を隠す白い少女『輝夜』と、両手持ちの白い大剣をもつ白騎士だった。
それ以外には何も無い。
時間の概念すら存在しているのか怪しく思えることがある。
もしかしたら、現実世界での刹那でさえ、この世界では永遠に近いのかもしれない。
『輝夜は今は眠っていますよ』
「みたいだな」
鏡の大地で無造作に寝転がっている少女を見下ろす。
寝息はかすかに聞こえてくる程度だった。
眠っている時ですらその素顔をラウンドベレットで隠している。
思えば、この少女の素顔を見たためしがない。
まあ、それに関しては白騎士にも同じ事が言える。
素顔を見るのなら今がチャンスかもしれないが、さすがに自重しておく。
知られたらまたふてくされて展開指示にも応じてくれなくなったら面倒だ。
『貴方は、何のために力を求めたのですか?』
「何の為、か…」
二年前、俺は誘拐され、千冬姉の念願を奪い取った。
無力でいる自分が情けなくて、俺は力を求めた。
剣術や体術の稽古に明け暮れ続けた。
もう、後悔したくなくて…せめて自分の身くらいは守れるようになりたくて、力を求めた。
けど、いつのまにか目的が変わっていた。
誰かを守れるようになりたいという思いもあったのは否定しない。
けど、結局は『力』は『力』だ。
ふるえばそれは暴力のそれと変わらないだろう。
ましてや俺が握るようになったのは『刀』だ。
それは刃、戦場ともなれば、刀を抜けばどちらかが死ぬのは自明の理だ。
結局の所、身を守るどころか他者を傷つける以外に脳の無いものを持っているというわけだ。
だから
「誰も傷つかないのを望んでるから、かもしれないな」
そんな世界、有り得ないと判りきっているのにな。
傷つく者、傷付ける者、そんなのは世界中に履いて捨てるほどにいる。
物理的に、時には精神的に、それはほんの小さな諍いからも始まる。
基準の違い、価値観の違い、意見の相違。
物欲、依存、嫉妬もまた然り。
そう考えてしまえば人間なんて存在そのものが傷つけあう理由なのかもしれない。
誰もが手を取り合う世界なんて存在しない。
争いの無い世界など存在しえない。
一つの意思に統一された世界など存在できない。
不公平の存在しない世界など有りはしない。
一度手にしたものを手離せる者など居ない。
だけど、それらを否定するだけなら、それもまた間違いだろう。
まあ、早い話、争うよりも前に理解しあえなくても、どれだけ妥協しあえるかも必要になるわけだ。
「青臭い理由だと罵ってくれてもいいぜ?」
白騎士はゆっくりと首を横に振る。
『誰もが傷つかないのを望んでいるのにも拘らず、貴方自身が傷付く。
それは自己犠牲とも言えますが…譲れない意志を持っているからではありませんか?』
「自己犠牲、か…」
そんな風に言われたのは初めてかもな。
俺自身が誰かの役に立てれたらいい、そんな思いもあったのは否定はしないが『自己犠牲』は穿ちすぎだろうに。
それに、俺は目の前にいる人間を…手に届く範囲の人を守れたらいいとは思っている。
困っている誰かをわざわざ探しに行く程に物好きでもない。
目と手の届く範囲、それだけでもいいだろう。
「誰かの身代わりになる気は無いよ」
我ながら中途半端な男だとは思っている。
傷付かないように、そんな理想を思っても時には人を切り捨てたりもした。
篠ノ之に関しても時にはほぼほぼ『無関心』でいた時もあった。
あれはあれで精神的に傷つける行為だったのかもしれない。
まあ、後悔は無いがな。
今では妥協はしているというのも中途半端なのかもしれん。
『私達も、貴方を失いたくはありません』
「………」
『だから…』
鏡の大地に突き刺さった大剣が引き抜かれる。
両刃のそれにレーザーで構築された刃が光を伴って展開される。
「稽古をつけてくれるっていうのか?」
首肯する。
白騎士もすこしばかり不器用なのかもしれない。
『どうか、貴方が貴方自身を守れるように…私達も貴方を守れるように。
もう二度と、貴方を死なせたくないから…!』
「…わかった、稽古をつけてくれ」
俺もまた、生身のまま、雪片と雪華を引き抜く。
両刃の大剣と、片刃の刀。
作りも拵えも重量も違うであろうが、刃である事に変わりは無い。
「俺も、みんなだけでなく、今眼前にいるあんたも守りたい、そう思えるよ。
それに、…俺は俺自身も守れるようにならないと、な」
『だったら精々やってみろ。
それが本当に出来るのならな』
鏡の大地の一点に黒い雷が落ちる。
その中から現れたのは、もう一人の俺だった。
「…黒翼天…」
『…フン…!
御大層な言い回しじゃねぇかorigin!
この
違ぇだろ!
言ってみろ!テメェが隠したがっているソレをぉっ!』
『…それは今、告げるべきではありません。
それを知れば…彼は…!』
言わんとしていることは何となくだが理解はしている。
だからこそ、今は口を噤んでいるのだろう。
「そこまでにしてくれ。
言えないのなら…黙っていてもいい」
『正気かテメェはぁっ!!』
ギャギィンッ!!
俺の刀と黒翼天の刀が咬み合う。
手首どころか肩まで吹き飛ばされそうだ。
受け流すが顎下からの蹴りが襲ってくる。
後方に跳躍して刀と蹴りを同時に避ける。
そのまま着地…足元に違和感を感じた。
「此処は…!」
天を見れば黒雷を吐き出す闇色の雷雲。
無限の刃が風にさらされながら墓標のように佇む赤黒い荒野に変わっていた。
黒翼天の領域だった。
輝夜の領域から吹っ飛ばされたのか…!?
『テメェはまだ悟ってはねぇんだな』
「察しはしているつもりだよ」
掲げた誓いに違える何かをしてしまっていることを。
だから、白騎士は。
そして俺は…
『理解してるんだったら話は早ぇ』
黒翼天の領域に更なる雷が落ちる。
その激光に目が眩む。
落ち着いた視界は…
「今度はどこだよ、此処は…?」
雪が降り積もり続ける摩天楼だった。
足元は雪に埋もれて見えない。
摩天楼の外は見たことのない摩天楼が屹立していてどこを見ても見覚えの無い光景以外に何も視界に入ってこない。
足元のせいか、自分が本当に
自分の影すら雪に隠れ、何かを踏みしめている感触すら感じず、浮かんでいると言われても納得できてしまいそうだ。
『此処は、貴方自身の領域です』
白騎士の声がしたのは、刀…雪片からだった。
言われてから周囲を見渡す。
こんな領域がISコア…ESコアの中に存在するっていうのか…?
輝夜も白騎士もこの領域には入ってこれないのだろうか…?
「それにしても…呆れたな。
俺自身の領域ってのはこんなにも殺風景なのか」
辺りには人影も無く、摩天楼が天をも貫かんとばかりに屹立している。
にも拘らず、摩天楼の頂点や地上は雪に隠れてしまっている。
『原因はテメェ自身にある』
銀雪の世界に一点の黒が現れ、再び俺と同じ姿になる。
『テメェはテメェ自身の命に対して無頓着だ。
自分自身をも捨てようと考えるから、こうなっちまったんだろうが』
ああ、そうかい。
生存本能を持ち合わせていないって結構不都合なんだな。
『自分を持っていないのとほぼほぼ同じ』だと言われちまうような代物だったとは。
周りに流されてるだけのつもりは無いと思っていたんだがな。
「なら、自分ってのを持って見ればいいのか」
途端に世界が一新する。
白の世界の地上から、芽吹くかのように今まで刻んできた記憶が飛び回る。
摩天楼の壁面に記憶がスクリーンのように映っては消え、移っては消えを幾度も繰り返す。
いろいろと見えるもんだな、自分の領域ってのは。
それでも、降り積もる雪が消えることがない。
雪は今も降り続けている。
「こういう記憶が見えなかったってのは、なんでだろうな」
『テメェの風景の一つ程度に思い替えちまってたからだろう』
ああ、周りを見れば必ず見られる光景、あってもなくても変わりないとか思ってたってことかよ。
そりゃ莫迦野郎扱いされても納得できちまいそうだ。
そうやって次々に記憶が蘇り、領域内に嵐の如く吹き荒れる。
こういう思いも、大切にしていかないと、な。
だけど、降り積もった
まあ、降り積もる雪の下には、忘れたいもの忘れなければならない事もあるってことだろうと片づけておく。
それに、思い出そうとすると頭痛がする。
面倒だし、忘れたままにしておこう。
随分前に黒翼天が言っていた『消し潰した』記憶の片鱗なのかもしれない。
忘れたいことは忘れたままにしておこう、黒歴史とかも忘れたいし。
そして視界が変貌していく。
右に見えるのは無限の蒼穹と鏡の大地。
左に見えるのは黒雷と雷雲、無限の荒野に突き刺さる墓標の剣。
その狭間に俺は立っていた。
もしかしたら、俺の領域の中に記憶として現れているのかもしれないな。
「…ん?」
二つの領域の中に見覚えのないものも姿を現していた。
パッと見には、光の宝玉のようなものが幾つも浮かんでいた。
なんだ?
ひー、ふー、みー…
数え上げること20近く、いや、それ以上か。
俺に近づいてまとわりついてくる。
悪意のようなものは感じられない、むしろ好意的な何かを声無き声で訴えてくる。
その最中にも光の宝玉は数を増やしていく、なんだコイツら。
既に数は100を越えているぞ?
「おい黒翼天…あんな所に…」
かなり離れた所にスタスタと歩いて行っていた。
寝ているであろう輝夜を乱暴に肩に担いでいきながら。
子供はもうちょっと丁寧に扱ってやれよ。
いや、それでも眠り続けている輝夜が図太いのか、誰に似たんだか。
「仕方ない、か。
それじゃあ…」
雪片を構えなおした。
視線の先には大剣を握っている白騎士が居た。
「話を戻すけど、稽古をつけてくれないか」
『はい、喜んで』
この稽古でより多くのものを掴んでおきたい。
なにせ、都合よく死者蘇生が出来るか判らない。
次に俺が死んだら、もう後は残されていない。
そう思うべきだ。
死んだら終わり、物言わぬ骸になり果てる覚悟でいるべきだ。
まあ、こういうところは普通の人間と変わりないよな。
俺は少しばかり鍛えてるってだけだし。
「じゃ、いくぜ!」
体が揺すられているのを感じた。
おいおい誰だよ。
「…ん?」
目を開くと、アリーナ内のグラウンドの光景が目に飛び込んできた。
眠っている間に濃密な夢を見たようだ。
黒い雷と、白騎士が振るい続ける刃を濃密に思い出す。
思い返しつつ、首を左右に傾けるとゴキゴキと不健康な音が響く。
俺を揺すっているのは
「どうしたメルク?」
だった。
桜色の髪を揺らし、両目をウルウルさせながら俺に視線を向けてくる。
見覚えがあるなコイツのこんな様子。
あ、思い出した、デザートフリーパスを譲ってほしいとねだられた時だったか。
「ああ、やっと起きてくれました!
お願いです!脱いでください!」
「…うぇい!?」
いきなりブッ飛んだ事を言いやがったぞコイツは!?
っつーわけで
ポコン!
「はきゅっ!?」
額のど真ん中に手刀を振り下ろした。
いや、必要不可欠な処置だろう。
もののついでに地面に直に正座させた。
まあ、正座させたのは俺ではなく簪だったわけだが。
いや、あんなブッ飛んだことを言われたからだろうか、例のモードになりかけている。
なお、俺は驚いただけだ、いくらなんでも公衆の面前でそういう行為に及んだりはしないし、そんな事をして喜ぶような変態思考も性癖も持ち合わせていない。
「…で?」
簪は柔らかく微笑んでいるようだが、内心どう思っているのやら。
察しないでおくのも人情のうちだろう。
訊けば、借り物競争をしているらしい。
こういうお遊戯みたいな競技をするのも学園名物らしい。
で、メルクが籤で引き当てたお題が『ロングコート』らしい。
そういえば俺はロングコート式の改造制服を着たまま寝てたんだったな。
それならそうと言ってくれれば良かったんだが驚かされたぜ。
「ほら、持っていけ」
まあ、仕方ないので俺は上着を脱いでメルクに投げ渡した。
「あ、ありがとうございます!」
制服を丸めて持って走り去っていくのを見送った。
やれやれ、驚かされたぜ。
「メルク、慌ててたんだな」
「どれだけ揺すられても一夏ってば起きなかったんだもん、焦るのも仕方ないよ」
メルクの擁護も片付き、簪も気分を直していた。
さて、ほかのクラスは、と…。
お、鈴も走ってるな。
近くに置かれていた双眼鏡をもって覗き込んでみる。
なんでこんなもんが置かれているのかは知らないが。
えっと…なになに、鈴の持っているお題は…『ブルマ』。
…体育委員会、あんたらは何を考えてんだ?
好き勝手に書いたのかもしれんが、アグレッシブというかセンシティブというか。
この体育祭、すでに想定外事象が始まっているような気がした。
後であのクジの入った箱をひっくり返してみるか。
千冬姉の制裁が下されたとしても俺は知らないぞ。
なお
「ランジェリーを持っている者は居ないか!?」
「紐ビキニってどこにあるのよそんな代物ぉっ!?」
「
体育委員会って、1組は確か
あの人が仕組んでたりして…いや、考えすぎかな?
なお、この競技が
競技が終わったのを確認し、教員立会いの下にクジ入りの箱をひっくり返してみる。
「…見なきゃ良かった…」
ああ、ひっくり返したのを後悔したよ。
ほかのお題はというと…まあ、各自の想像にお任せしよう。
岸原さんは…ミッチリと搾り上げられたらしい。
体育祭が始まって昼にもなっていないが、混沌になっているような気がするのは…俺の気のせいではあるまい。
「さてと…」
「一夏、何処に行くの?」
「ちょっと野暮用だ」
まあ、この体育祭自体が生徒達のガス抜きみたいなものだし、そもそも俺は午前中は休場なんだ。
そこまで気にしなくてもいいだろう。
校舎裏に行って白騎士から学んだ剣術を現実世界でも振るえるようにしておこう。
足を向けたのは、アリーナの外。
「さて、やるか」