ヤングガン・オンライン   作:ゼミル

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18:トゥルー・バレット

 

 

ログアウトが完了するなり一登はベッドの上から飛び起きた。

 

枕元に置いてあったブローニング・ハイパワーを手に、急いで外出の準備を整える。拳銃を収めたホルスターを腰に巻き、ダッフル付コートを着込んでカモフラージュ。

 

チンピラ程度なら素手でも十分なのだが、相手は既に最低でも3人を殺している殺人犯。油断は禁物だが、堅気の詩乃の前で拳銃を振り回す訳にもいかないので他の武器も持っていく。銃はあくまで最後の手段だ。

 

選択肢としては、コンバットナイフと伸縮式の警棒。一瞬悩んだ結果一登は後者を選んだ。警棒の方が古流空手の応用を活かす事が出来る。

 

自宅を飛び出した一登は真っ先にエレベーターに向かったが、運悪く丁度一登の部屋がある階を通過した所だった。仕方なく非常階段を数段飛ばしに駆け下りていく一登。

 

一登のマンションから詩乃の自宅までは、徒歩でおよそ10分前後の距離。

 

辿り着くまでに朝田さんに何事もありませんように、と一登は非常階段を跳ね下りながら切に祈る――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――どうしてこんな事になってしまったのだろう。

 

上半身を弄られながら、詩乃は存在するかも分からない神か、或いはこの場に居ない誰かに向けて悲痛な疑問を問いかけた。

 

詩乃を押し倒し、覆い被さっている人物は、少女が安堵と信頼をもって自宅へと招き入れた新川恭二その人だ。彼の手には光線銃じみた外見の無針高圧注射器が握られ、詩乃の首筋へと押し付けている。注射器の中身は肺と心臓を即座に停止に至らしめるサクシニルコリンという薬品だ。

 

……新川恭二こそが死銃の共犯者だったのだと、彼が薬の中身と効果を嬉々として教えてくれた段になって詩乃はようやく思い至った。

 

優勝祝いを建前にあっさりと詩乃の自宅に家主自ら招き入れられた恭二は少ししてから突然本性を露わにし、注射器の先端を詩乃に押し付ける事で抵抗を封じたのだった。

 

少し気弱で繊細なイメージの持ち主だった少年の表情は、今や狂気と妄執醜く引き攣り、歪んでしまっている。

 

得体の知れない衝動に染まった両目はギラギラと異様に輝きながら血走っていて、現在の恭二の姿はまさに詩乃が昔射殺した郵便局強盗そっくりの異常な精神状態にあった。

 

数少ない信頼していた人物が狂気に満ちた殺人者の片割れだった事に対する衝撃、そこにトラウマの発端となった強盗の姿を髣髴とさせる恭二の態度によるフラッシュバックが重なり、少女の中の抵抗の意志がいとも呆気無く萎んでいく。

 

 

「公園では邪魔が入ったけど……あんな男よりも、僕の方が朝田さんに相応しいんだ。あんな、チヤホヤされてばかりで本当は何の力なんて持ってない、最後の最後に朝田さんを騙したアイツなんかよりもずっと……!」

 

 

何を言っているのだろう?詩乃は心底不思議に思った。

 

最後の対決を見ていれば、素手で死銃を圧倒してみせた一登が只者ではないと誰だって理解出来るだろうに――――いやきっと今の恭二には見たいモノしか見えていないのだろう。主犯……元殺人ギルドメンバーであり大会中<死銃>として戦っていた実の兄が敗北した事も、恭二の中ではなかった事にされている可能性が否定できない。

 

恭二は熱に浮かされたような口調で、更なる衝撃の事実を詩乃に対して告げる。

 

 

 

 

――――自分が詩乃に近づいたのは、彼女が本物の銃で人を射殺した過去に憧れたからだ、と。

 

 

 

 

「死銃の伝説を作る武器に54式を選んだのもそれが理由なんだ。悪人を射殺した事のある女の子が使った武器―――――まさにうってつけさ。そんな朝田さんは僕の憧れなんだ……・愛してるよ、朝田さん」

 

「そん、な……」

 

 

何て残酷で独りよがりな愛の言葉だろうか。詩乃のトラウマの元凶を使って伝説を作るのだと嘯(うそぶ)くその精神が、詩乃には全く理解できない。

 

どうして彼の本性を今の今まで見抜けなかったのか。どうしてこんな遠藤よりも危険で狂った人物を信頼し、自らの懐に招いてしまったのか。愚かな自分自身に絶望してしまう。

 

詩乃は、何もかも放棄したくなった。

 

五感も、自我も、魂も、朝田詩乃を構成するあらゆる感覚や要素を何もかも。

 

意識が、見る見るうちに詩乃の肉体から抜け落ちていく。もうこんな現実なんかと向き合いたくない。そう強く思えば思うほど全ての感覚が薄れ、周囲からの悪意と嫌悪に塗れた過去も、恭二が放つ狂気も、全身の内外を包む絶望も、詩乃が望んだ通り何も感じなくなっていく。

 

このまま己の生すらも捨ててしまえれば、これ以上辛い絶望を感じなくて済むのに――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

唐突に、家庭科室で食べた卵サンドの味が口の中で蘇った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねぇ、1つだけ聞かせて、新川くん」

 

「な、なんだい、朝田さん?」

 

「何で新川くんとお兄さんはゼクシードやたらこを殺したの?」

 

 

一見全てを受け入れる聖人の様な透き通った表情で詩乃は質問した。

 

恭二は喜びと忌々しさが入り混じった複雑な表情を浮かべながらも、上ずった声で殺人の理由を語り出す。

 

 

「全てはあのゼクシードが悪いんだよ。あのゼクシードの屑が、素早さ(AGI)型最強なんて嘘を吐くから僕のシュピーゲルは……今じゃ接続料すらも稼げない。GGOは、僕の全て、現実よりも大切な存在だったのに……!」

 

「だから、ゼクシードを殺したの?たらこやペイルライダー、他の人達はどうして?」

 

「そうさ!死銃で今度こそ<GGO>、いいや、全VRMMOで最強の伝説を作る為の生贄にはうってつけだったからね!たらこや今日の大会で殺したペイルライダー達だってそうさ。アイツらも死銃の力を証明する為の礎になって貰ったんだ!」

 

「………そう」

 

 

聞き終えた詩乃は恭二に組み敷かれる中、全ての抵抗を諦めたかのように彼女は全身から力を抜いた。

 

彼女の態度に何を勘違いしたのか、恭二は高揚且つ恍惚とした笑みに顔を歪ませながら、少女へ覆い被さっていく。右手は注射器を首筋に押し付けたまま、左手だけでシノンの着込むトレーナーをまくり上げようとしてみせる。

 

少年の行動に詩乃は抵抗するどころか、逆に恭二の後頭部に両手をそっと廻し、一見自ら口づけを行おうとしているかのような体勢を取った。狂気に染まっていた恭二の顔色がほんの一瞬、純粋な喜びに輝く。

 

 

「朝田さん……安心して、独りにはしないよ。僕もすぐ追いかけるから……2人で一緒になろうよ、朝田さん……!」

 

「新川くん、私……」

 

 

切なく囁きながら、後頭部に廻した両手をしっかりと組む。

 

そして詩乃は、雰囲気に似つかわしくない断固とした口調で決定的な言葉を告げた。

 

 

 

 

 

 

「――――貴方とは絶対、一緒にはならない……!」

 

 

 

 

 

 

詩乃は恭二の後頭部に回した両手を思い切り引き寄せた。併せて顎を引いて激突に備えると、覚悟していたにもかかわらず目の前で火花が散る程の衝撃が額を襲った。ぐしゃり、と腐った卵を粉砕したような感触も。

 

明滅を繰り返す視界の中で真っ赤な飛沫が散るのが映った。不意の頭突きを食らった恭二は顔面を真っ赤に染めながら大きく仰け反り、背後のテーブルを巻き込んで盛大な騒音と共に倒れこむ。

 

 

「う……」

 

 

予想以上の衝撃によって詩乃の脳と三半規管が揺さぶられ、半ば自爆気味にダメージを負いながらも恭二を身体の上からどかす事に成功した少女は、片手で熱く熱を帯びた額を押さえながらのろのろと緩慢な動作で身を起こした。

 

すると、同じように身体を持ち上げようとしていた恭二と目が合った。両手で顔面を押さえている。指の間から大量の血が漏れ出していて、激突の瞬間伝わってきた何かを砕くような感触は少年の鼻の骨を潰した時のものである事に思い至る。

 

鼻を襲う激痛と息苦しさに悶えながら、狂気に染まった少年は苦しみに満ちた声を発した。

 

 

「あ゛、あ゛ざだ、ざん、どうじで……」

 

「貴方は、貴方達はっ……ただ自分の自己顕示と楽しみの為だけに、人を殺しただけじゃないっ!」

 

 

家族を守る為に自分の手を血で汚せたシノンを尊敬すると、一登は洞窟で言った。

 

ただ自分の楽しみの為だけに関係の無い人を苦しめ、命を奪うような人間は殺された方が良い、とも言っていた。

 

一登の言葉には強い信念と決意が籠められていた。キリトの告白には詩乃と同じ、止むに止まれず人の命を奪った者特有の悔恨と重さが伴っていた。

 

それに比べて恭二の告白はどうだ?信念も無い、決意も無い、罪悪感など全く抱いていないようだし、命の重さも感じていない。

 

この世には『正しい殺人』が存在するのだという。

 

恭二と彼の兄が行った殺人は断じて正しい殺人などではない。紛れもなく無意味な快楽殺人だと、詩乃は確信していた。

 

――――だからこそ。

 

一登やキリト、そして自分自身という前例を知っているからこそ、妄執で人を殺した恭二なんかと一緒にされて堪るもんですか――――詩乃はそう強く思ったのだ。

 

 

「あざだざん……あざだざぁ゛ぁ゛ぁぁぁん!!」

 

「うっ!」

 

 

明確な拒否の言葉を叩き付けられた恭二が、血相を変えて再び詩乃へと圧し掛かろうとする。

 

逃れようとした詩乃だったが、鮮血のあぶくを潰れた鼻と口元に浮かばせながら伸ばしてきた恭二の腕に足が引っ掛かり、転倒。マウントポジションを取ろうとする少年の身体を蹴飛ばし、両手で振り払おうとするが上手くいかない。

 

抵抗の度に床やベッド、クローゼットやテーブルによって強かに身体を強打したが、今はその痛みや痺れすら忘れてしまうほど詩乃は必死だった。実際に詩乃の命がかかっているのだから、当たり前だ。

 

だが元々の体格差だけでなく、狂気に支配された事で肉体のリミッターが一時的に外れた恭二の筋力は詩乃の予想以上だった。もはや手加減など忘れた恭二は左腕1本でじりじりと詩乃を手繰り寄せつつ、注射器を握ったままの右手で少女の身体を殴打。衝撃で一瞬、息が詰まって力が抜けてしまう。

 

詩乃は抵抗し続ける。釣り上げられた大魚のように激しく身を捩りって恭二を振りほどこうと試みる度、狭い室内に置かれた家具に身体がぶつかって盛大な音が生じた。

 

少女の脳裏で不意に仮想空間内での決闘の記憶が勝手に再生された。たった1本のナイフすら失い、しかし素手の状態から見事に死銃を叩きのめしてみせた一登の戦いぶり。

 

あの時彼は、確かこうして――――

 

 

「う、うわあああああっ!」

 

 

固く握った小さな拳を恭二の首筋へ打ち込んだ。「ぐぅっ!?」と呻き声を漏らした恭二の身体から力が抜け、その間に再度彼の下から脱するべく立ち上がる。

 

が、執念深く恭二のもう片方の手が詩乃のトレーナーの裾をガッシリと掴んで逃亡を拒んだ。恭二も立ち上がり、今度は背後から羽交い絞めにされる格好になった。

 

 

「い゛がぜない゛ぃ、ぼぐど一緒だよぉ゛あ゛ざだざぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁん゛!」

 

 

鉄錆の臭いが混じった生暖かい吐息が首筋にぶつかる。強烈な悪寒が背筋を貫いた。

 

これ以上抵抗しようにも振りほどけそうにない。ならばもう1発頭突きを叩き込もうと身構えたが、2度目は無いといわんばかりに恭二の右拳が詩乃の頭部斜め後ろへと振り下ろされ、頭部を襲った2回目の衝撃で再び詩乃の視界と意識がぐらぐらと揺らいだ。

 

身体に力が入らなくなる。抵抗する為の力にも限界が訪れてしまった。揉みくちゃに暴れ合った少年と少女の口元から漏れる獣のような吐息だけが、短い静寂を取り戻した室内に響く。

 

――――もう、終わりなのか。必死の抵抗も実を結ばなかった。

 

死への恐怖、悔しさ、悲しさ、様々な激しい感情が頭の中で渦巻き、涙へと形を変えて外界へと溢れる。

 

ログアウト次第すぐ駆けつける、そう請け負ってくれた一登とキリトの助けはどうやら間に合わないようだ。

 

そういえばもし、彼らと恭二がこの部屋で鉢合わせしてしまったらどうなるのだろう?そもそも恭二を招き入れてしまった際にしっかり鍵をかけ直してしまったから、開錠しない限り少なくともこの部屋で遭遇する可能性は低いだろうが……

 

 

 

 

今迫りくる己の命の危機を棚上げし、少年達の安否に思いを馳せたその瞬間。

 

すぐ近くで盛大な破裂音が鳴った。その音は<GGO>では飽きるほど聞いてきたが、現実で耳にしたのは1回きり……強盗を射殺したあの日に耳にした音によく似ていた。つまりそれは銃声だった。

 

争っていた2人は揉み合うのを止め、同時に銃声が聞こえてきた方向、外に通じるドアへと注目する。ドアの外側で再び発砲音が連続したかと思うと、一瞬遅れて今度は何かが痛烈にドアを叩いた。バギン、と破滅的な音が耳に届く。

 

すると恭二の手でロック状態にされていた筈のドアが勢い良く開かれ、新たな人物が少年と少女の前に姿を現す。

 

 

「――――え」

 

 

その人物は、拳銃を手にしていた。その人物は目深にフードを被っていたが、フードの奥に見えたのは詩乃と恭二が知る相手だった。

 

 

 

 

――――公魚一登が両手で拳銃を構えながら立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大急ぎで駆けたつもりだったがそれでも少々時間がかかってしまった。

 

詩乃の自宅までの道のりを全力疾走しながら彼女に何事も起きていないよう祈り続けていた一登だったが、残酷にも彼の願いは無視されたらしい。

 

一登が詩乃の部屋の前に辿り着いた途端、室内から明らかに複数の人間が争っている音がドア越しに一登の元に届いた。

 

 

「くそっ!」

 

 

ドアノブに手を伸ばすが開かない。内側からロックされてしまっている。素早く錠の種類やドアの構造に目を走らせてから、もう1度悪態を吐く。

 

電子錠なのでピッキングは不可能。ドアも鉄製でしっかりと錠がドア本体に固定されていて、安っぽい見た目ではあっても抉じ開けるにはそれなりの道具が必要そうだ。ナイフがあれば刃を隙間に突っ込んでこじ開けれたかもしれないが、残念ながら一登は警棒を選んで持ってきてしまっている。

 

一登は僅かな時間、思案した。鍵がかかったアパートのドアをこじ開ける手段は一応まだ有ったが、それをしてしまえば引き返せなくなってしまう。詩乃と死銃の共犯者に自らの裏の顔を暴露するも同然だ。だが短時間にドアのロックを空けられる手段は他に思いつかない――――

 

自分の保身か、詩乃の命か。

 

ドアの前で悩んでいる間に、不意に室内から聞こえていた争う音が止んでしまった。理由は分かりきっている、争う必要が無くなったからだ。

 

最悪の予想が浮かび、一登は決断する。保身よりも大事な人物の命が優先だ。

 

 

 

 

 

 

一登は、右手でホルスターから拳銃を抜いた。

 

 

 

 

 

 

ドアの前からやや後退した一登は、ブローニング・ハイパワーの銃口を電子錠へと向けた。

 

正確には電子錠そのものではなく、電子錠とドア枠の間の鉄板部分だ。そこへめがけ銃弾を撃ち込む。乾いた銃声が真冬の空気を切り裂く。アパートの他の住人の存在もあるから可能な限り迅速に事を済ませる必要がある。

 

9mmパラベラム弾が安アパートのドアに容易く穴を穿つ。銃弾の貫通力はフィクションのそれよりも意外と高く、非力と思われがちな9mm弾でも車のドアなら反対側まで易々と貫通してしまうぐらいだ。

 

しかしドアの鍵というのもまた意外と頑丈で、実際の突入時には専用の道具か大口径の散弾銃を使ってドアや蝶番を破壊するのが常識である。

 

だから一登は、頑丈そうな電子錠本体ではなくドア側の突起――――デッドボルトを狙った。

 

施錠の際にドア側の錠ケースから突出し、ドア枠側に存在するストライクと呼ばれる穴の部分に差し込まれるかんぬきの部分をデッドボルトと呼ぶ。そこを連続して撃って、ドア表面の鉄板ごとデッドボルトを撃ち砕いていく。兆弾や飛散した破片に気をつけながら、仮締め用のラックボルト(三角形の突起)も一緒に撃って壊す。

 

マガジンの半分ほどを消費したところで、一登は渾身の前蹴りを繰り出した。

 

踵がドアノブのすぐ下に当たると、銃撃によってドア内部で崩壊寸前だったデッドボルト・ラックボルト両方がとうとう限界を迎えたのが伝わってきた。細い針金が折れたような感覚。

 

ドアノブに手をかけて引いてみると、僅かな抵抗感と共に隙間が生じた。部屋に入る前にフードを被ってせめてものカモフラージュ。

 

一登は用心しながら詩乃の部屋の中へ。土足のまま踏み込む事にほんの少し罪悪感を覚える一登。

 

入り口をくぐるとまずキッチンが目に入った。安アパートらしい細く狭い空間の奥に詩乃の自室らしく空間があり、詩乃と死銃の共犯者の姿もそこにあった。メガネをかけた少女を少年が羽交い絞めにしている。

 

反射的に一登はそちらへ銃口を向けるが、詩乃が盾になっていたので発砲を躊躇う。

 

奇妙な物体が少女の首筋に突きつけられていた。パームピストルのような改造銃かと思ったが、よく見てみるとボタンを押し込んで作動するタイプの高圧注射器だ。どんな薬品が充填されているのか、死銃の犠牲者の死に方を考えると想像は容易い。

 

 

 

 

 

 

「公魚先輩?」

 

 

人質にされているにもかかわらず、詩乃の顔には恐怖よりも純粋な疑問が宿っていた。遅れて首に当てられている注射器の存在、もしくは現在の状況がどれだけ自分にとって危険なのか思い出したのか、表情を盛大に引きつらせた。

 

少年の方は凶行を目撃された焦り以上に、信じられないものを見せられたとばかりに愕然としつつも詩乃を拘束している。よく見てみると一登の見覚えのある人物だった。公園で詩乃に抱きついていた新川恭二だ――――まさか彼が死銃の共犯だったのか?

 

開けっ放しになっているドアから冷たい空気の流れに乗って、微かな火薬の臭いが詩乃の元に達する。強盗を射殺した時の記憶が更に鮮明に再現された。あの時嗅いだ時とまったく同じ硝煙の臭い。そしてドアに刻まれた弾痕。

 

一登が握る拳銃が本物であると、詩乃と恭二は否応無しに理解させられた。

 

 

「朝田さんを、放せ」

 

 

真っ直ぐ拳銃を構えながら一登は静かに言い放った。

 

彼が持つのは<GGO>でも使っていたのと同じFN社製のブローニング・ハイパワー。シングルアクションの自動拳銃で9mmパラベラム弾を使用。装弾数はマガジンに13発、薬室に1発。

 

細身の短剣を思わせるデザインの往年の名銃、その照準の中に己が捉えられていると自覚した途端、詩乃の顔色が蒼白と化した。発作が起こる。心臓が不安定に激しく脈打ち、酸素が取り込めなくなり、視界が歪む。両脚から力が抜けてしまう。

 

だが――――

 

 

「大丈夫ですよ、朝田さん」

 

「ぇ……」

 

 

水面越しの風景のようにぐにゃぐにゃと歪んでいた世界が焦点を僅かに取り戻した。発作の原因である本物の拳銃を手にオーソドックスな両手撃ちの射撃姿勢を取っている一登の姿が、やけに鮮明に少女の視界の中心に映る。

 

彼は冷たい鋼鉄製の凶器を詩乃に向けていながら、まるで小さな子供を慈しむ聖人のように優しい表情を浮かべていた。

 

 

「さっき洞窟で朝田さんは僕とキリトに聞きましたよね。『死銃に撃たれそうになったらまた助けてくれますか』って」

 

 

優しい表情が真剣なものへ変わる。そのまなざしに籠められた思いや意思は狂気に堕ちた恭二のものとは比べ物にならないほど力強い。

 

 

「今がその時です。だから怖がらないでください。僕が朝田さんを必ず守りますから。僕の銃弾は朝田さんを傷つけないと約束します」

 

「先輩……」

 

 

詩乃の中で荒れ狂おうとしていた忌々しい記憶が瞬く間に沈静化していく。

 

一登のたったこれだけの言葉でどうして、と心底不思議に思う。遅れて、理解する。

 

彼が向ける銃口からは、殺気が全く感じられなかった。いや、正確には詩乃に対してではなく彼女を拘束している恭二にのみ集中して鋭い気配と視線を浴びせているのだ。

 

まるで放射能のように無差別に周囲に向けて狂気を振り撒いていた強盗や恭二とは全く違う、完全に制御された殺気。興奮も緊張もせず(少なくとも詩乃の目にはそう見えた)平然と落ち着いた態度で武器を構える一登の姿を見ていると、彼が詩乃の過去とは比べ物にならない規模と密度の経験を幾度となく積んでいるののが伝わってくる。

 

 

「何なんだよ……何で、何でよりにもよっでお前がぞの力を持ってるんだよ゛おおおおおおお!!?」

 

 

詩乃の背後で恭二が絶叫した。まるで信仰対象が全て嘘の存在だったと知らされた狂信者のように、今起きている物事全てを否定するかの如く悲痛な叫びが彼の喉から迸る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その時、外で生じた足音が開放されたドアを通ってハッキリと聞こえてきた。大急ぎで階段を上り、廊下を駆ける荒っぽい足音。

 

足音が詩乃の部屋の前で止まり、また新たな人物が転げるようにして室内へ入ってくる。

 

今度は完全に見覚えのない相手だった。やや長めの黒髪に黒のライダージャケットを着た、線が細い女顔の少年。

 

 

「大丈夫かシノン!」

 

 

飛び込んできた少年はそう叫んだ。

 

BoB終了直前に自宅の住所を教えたのは一登の他にもう1人だけ。消去法でライダージャケットの少年こそキリト――――桐ヶ谷和人であるとシノンは即座に悟る。

 

キリトはまず叫んでから室内の状況を目の当たりにし、予想だにしていなかったであろう光景……詩乃が人質に取られ、恭二が彼女を羽交い絞めにして注射器を押し付け、一登が2人へ拳銃を向けているという構図に一瞬思考を停止させ、その場に凍りついた。

 

キリトの出現に気を取られなかったのは一登だけだった。

 

 

「「!!」」

 

 

キリトの出現に詩乃も恭二も身を強張らせびくりと震えた。それによって恭二の手元が微妙に動き、詩乃の首筋から注射器の先端が離れる。

 

ほんの数mmに満たない隙間だったが、恭二の一挙一動に集中していた一登はそれを見逃さなかった。つまり今恭二がボタンを押し込んでも、致死的な薬品が詩乃の体内には流れ込まずに済むのだ。

 

 

 

 

 

――――詩乃の世界全てがスローモーションと化した。

 

 

 

 

 

「朝田さん!」

 

「っ!!」

 

 

一登の気配が一瞬膨れ上がり、詩乃は彼が今この瞬間銃を撃つつもりなのだと何故か感じ取る事が出来た。

 

ハイパワーの引き金に触れた指先がゆっくりと曲げられ、限界まで交代した引き金に連動して撃鉄がファイアリングピンを叩く。ピンに信管を叩かれた9mmパラベラム弾が秘めた威力を発揮し、炸薬が解き放ったエネルギーを受けてスライドが後退、空薬莢を弾き出すと同時に、マズルフラッシュを伴いながら弾頭が銃口から飛び出す。

 

それら1つ1つが瞬間且つ連鎖的に一登の手の中で動作する様子を脳裏で思い描きながら、詩乃は静かに瞼を閉じた。

 

恐怖は感じない――――彼の弾丸は自分には決して当たらないと分かっていたから。

 

 

「止せ!」

 

 

キリトの制止の声を合図に世界が元の時間の流れを取り戻し、室内に9mmパラベラム弾の乾いた銃声が鳴り響く。

 

一登、詩乃、キリト、恭二――――偽りの仮面と関係に終止符を穿つ真実の銃弾(トゥルー・バレット)

 

詩乃は衝撃を感じた。首もとのすぐ横を銃弾が通過する飛翔音と衝撃波もだ。

 

一登の放った弾丸は恭二の右手首に命中。右腕全体を貫いた着弾の衝撃と激痛に恭二は注射器を取り落とし、背中からひっくり返った。詩乃の肉体がようやく解放される。まさに獣のような絶叫をあげながら破壊された右手を抱えて悶え苦しむ恭二。

 

このままハイブリッドの仕事で普段やっているようにとどめを刺そうかと一登は考えたが、恭二の苦しみようからしてこれ以上抵抗は出来ないだろうし、堅気である詩乃とキリトの前で問答無用で射殺するのも心苦しいので(しかも恭二は一応詩乃の友人だ)、仕方なく恭二を殺すのは断念した。

 

詩乃とキリトに目撃されてしまったのは仕方がないと割り切る。白猫達にどやされるのは確定だろうし、せっかく今の学校に馴染んで詩乃とも知り合えたばかりにもかかわらずまた姿を消さなければならないが、詩乃の命を救えただけ良しとしよう。

 

たかが堅気の学生に実力行使を行うほど白猫は暴力的ではないので、詩乃やキリトが口封じされる可能性も低いだろう。何より塵八の元恋人や弓華の彼女という前例もあるのが大きい。

 

一登は奥へ進み、解放された詩乃を立ち上がらせて恭二の傍から離した。涙と鼻水と血で顔をぐちゃぐちゃにした恭二の胸倉を掴み上げる。詩乃の部屋を土足で踏み荒らした挙句血で汚してしまった事を申し訳なく思いつつ、もちろん注射器を遠くへ蹴飛ばしておく事も忘れない。

 

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛――――……」

 

「良いか、これは最後通告だ」

 

 

有らん限りの殺気を叩きつけながらハイパワーの銃口を額へ押し付ける。発砲によって熱せられた銃口を当てられた恭二は情けない悲鳴を漏らした。

 

 

「ひい゛っ!?」

 

「2度と朝田さんに近づくな。もしまた彼女に危害を加えようとした時は、たとえお前がどこに居ようと必ず見つけ出してこの手で殺す。こっちはそれが出来るだけの力を持ってる。その事を肝に銘じておくんだ。分かったな?」

 

「……!……!」

 

 

一登の頭が壊れかけたゼンマイ仕掛けの人形のようにガクガクと上下に振られる。

 

遠くからパトカーのサイレンが近づきつつある。キリトか、それとも銃声を聞きつけた近所の住民が通報したのだろう。

 

そろそろ潮時だ。最後に傷の痛みと恐怖に震える恭二のこめかみにハイパワーのグリップを叩きつけ、意識を奪うと立ち上がる。

 

人目を考え、開いたままのドアではなくベランダへ向かった。アパートの裏手は真っ暗で、密かにこの場から離れるにはうってつけそうだ。詩乃とキリトの視線から逃げるように足早に窓へ近づき、ベランダに出る。

 

 

「公魚先輩!」

 

 

少女が名前を呼ぶ声を背に受けた一登は1度だけ振り返った。ショックからまだ覚めきれていない詩乃とキリトはその場に立ち尽くしたまま、呆然と一登を見つめていた。

 

 

「先輩……」

 

「こんな形になっちゃいましたけど……多分これでお別れです」

 

「あ……」

 

 

彼を引き止めようと詩乃が手を伸ばすが、正体を明かした若い殺し屋の少年には届かない。

 

 

 

 

軽々とベランダを飛び越えた少年の背中が夜の闇へと消える。

 

 

 

 




今回のサブタイは原作に肖って逆転した意味を持たせてみました。

次回エピローグ予定ですが書きたい事も多いので、もしかすると分けるかもしれません。

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