ヤングガン・オンライン   作:ゼミル

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12:BoB(3)・煉獄の片隅でアイを叫んだ少女

 

都市廃墟エリアの北へ向かって黒髪の少年と水色の少女が逃げる。

 

もっと正確に言えば逃げているのは主に少年の方で、少女の方は少年の両腕に支えられながら横抱きに運ばれる格好だ。

 

力無く運ばれるばかりのシノンの状態にただならぬものを覚えたキリトは、両足を可能な限り全速力で動かし続けたまま、叫ぶようにして質問する。

 

 

「シノン!?大丈夫なのか、シノン!」

 

「…………」

 

 

返事は返ってこない。今わの際の病人のように細く掠れた吐息と、焦点が合わぬまま茫々と無言で見つめてくるだけ。

 

シノンの今の状態は単にスタン弾で麻痺させられただけでなく、どうやら精神にも重大なダメージが及んでいるとしか思えなかった。舌打ちしたい衝動に駆られたが、今は舌打ちする余裕すら与えられていなかった。

 

腕の中の少女に意識を集中させた分、突然の奇襲に対する驚きも大きかった。後方から飛来した大口径弾が唸りをあげて掠めていったのだ。見えない場所からの銃撃の恐ろしさを改めて実感する。

 

焦燥感がキリトの中でポンプに繋がれた風船よろしく急速に膨れ上がる。今の彼はシノンを抱えているせいで応戦できない状態だ。背後から飛んでくる銃弾が自分に当たらないよう祈る事しか、今は出来ない。

 

 

「何とか耐えてくれ……!」

 

 

反射的にそんな言葉を発したキリトだったが、それはシノンに向けたものなのか、それともこの状況に対する祈りの言葉だったのか、発したキリト自身よく分からなかった。

 

壊れた乗用車やバスが幾つも放置されたメインストリートを、駆ける。地平線に沈みかけた虚構の夕日が、メインストリートの両側に並ぶ荒れ果てた廃墟を真っ赤に染め上げている。

 

まるで煉獄――――このエリアそのものが紅蓮の炎に覆われているかのようだ。

 

キリスト教において、煉獄とは信者でありながら罪を犯した者が落ちる地獄であるとされている。ならシノンを抱えて逃げ回るキリトは火炙りという罰から逃げ回る罪人、といった所か。

 

キリトの罪――――SAOで人を殺めていながら、その記憶を忘却しようとした事。

 

本当の死とは、全ての人からその存在を忘れ去られる事なのだという。

 

そう考えると、キリトが自ら手にかけた人間の記憶を封じ込めようとした事は、真に許されざる行いだったのかもしれない。

 

そんなキリトが、手にかけた人々と同様にSAOで殺し合った相手である死銃にこうして追い掛け回されるという展開は、壮絶な皮肉以外の何物でもなかった。

 

 

「(我が家はキリスト教じゃなくて仏教徒なんだけどな!)」

 

 

胸の内で愚痴っても状況は一向も改善されそうにない。とにかく今は限界まで両足を動かし続ける以外に有効な手立ては無さそうだ。

 

すると走り回った甲斐があったのか、進行方向に2人の救いになってくれそうな存在が出現した。朽ち果て汚れに文字が覆い隠されかけてはいたが、まぎれもなく無人営業のレンタル乗り物屋の看板だ。もしかすると使える乗り物が残っているかもしれない。

 

 

「よし……!」

 

 

キリトの中に期待と安堵の念が広がっていく――――その時だった。

 

どこからともなく近づいてくるエンジンの雄叫び。

 

次の瞬間、キリトの斜め前方の建物からガラスを突き破って車両が飛び出してきた。

 

大型のピックアップトラック、いや無反動砲で武装したテクニカルだ。カースタント宜しく低くジャンプしつつ、大量のガラス片を撒き散らしながらメインストリートに登場した車両はタイヤが地面に触れるなり180度ターン。行く手を塞ぐ様に車体の横っ腹をキリトへ向ける格好でテクニカルは停車した。

 

 

「な、くっ!?」

 

 

――――他のプレイヤー!?こんな時に!

 

歯噛みするキリト。思わぬ邪魔者の登場に、彼の腕の中でシノンも顔を青褪めさせる。

 

しかしすぐさま2人の考えが早とちりであったと2人は思い知らされた。聞き慣れた声がキリトとシノンの元に届く。

 

 

「良かった、間に合った……!」

 

「一兎か!?」

 

「援護します!2人とも早く乗って下さい!」

 

 

一登/一兎がサイレンサーとACOGサイトを装備したSIG・SG552アサルトライフルを手に呼びかける。

 

テクニカルはキリトとシノンに対し助手席側――元が海外製のゲームらしく登場車両はバギーのような一部の例外を除いて基本左ハンドル――を向ける形で停車している。一登は運転席から素早く助手席に移ると勢い良く助手席側の扉を蹴り開ける。

 

助手席から飛び出すなり一登はSG552を構え、発砲。死銃は既にキリト達の元から100m足らずの距離まで距離を詰めてきている。発砲間際、弾道予測線の照射を受けた死銃は近くに放置されていた大型トラックの陰へと逃げ込み、一登の銃弾は的を外す。

 

銃撃をトラックへ加え続けながら、一登はキリトとシノンの元へ距離を詰める。キリトが一旦シノンを地面に下ろして足を支えていた分の腕を放すと、横抱きからシノンに肩を貸す体勢に移行。一登も反対側からシノンを支える。

 

 

「運びますよ!せぇ、の!」

 

 

少年2人に両側から支えられる形でシノンの身体が車両の元まで運ばれる。キリトが肩から下げていたシノンのヘカートⅡも纏めて助手席へ。

 

テクニカルの元となったピックアップトラックは車高が高く、座席もそれなりに高い位置にあったので、動けないシノンを乗せるのに2人は少し手間取ってしまう。その分のタイムロスが、死銃が照準を定めるに充分な猶予を与える結果を生み出した。

 

背後から強烈な殺気。

 

一登が振り向いた瞬間、弾道予測線が一登の顔面へと浴びせられた。可視化された死の光線になぞられた顔を走る、怖気を誘う冷酷な錯覚。ここまで一登が相手にしてきたプレイヤーとは桁が違う――――予測線から滲む本物の殺意。

 

 

「……っ!」

 

 

咄嗟に思い切り首を横へ倒す。

 

銃声も無しに放たれた大口径弾が衝撃波を伴って一登の耳元を通過する。頭があった空間のすぐ後ろ、弾道上に在ったテクニカルの助手席側フレームに着弾。大きな火花が散り、目の前での着弾に肝を潰したシノンが引き攣った悲鳴を上げた。

 

本当に、危ないタイミングだった。弾道予測線によって頭部をピンポイントで狙われていると分かったからこそ、ギリギリの瞬間最小限の動作で回避に成功したのだ。

 

 

 

 

 

 

危険な状況下にもかかわらず、ふと一登は豊平琴刃の事を思い出した。一登ともそれなりに因縁深い彼女は、敵の殺意を赤い光線として可視化出来る能力の持ち主。

 

もちろん彼女自身の素質が飛びぬけていたからこそ弓華をも倒せるだけの実力を得たのだろうが、似たような力を得てみると成程中々ありがたい。だがこの能力は一登に限らず敵も平等に与えられているから条件はイーブン。特にBoBの様な個人同士の戦いで最終的な勝敗を決めるのは、プレイヤー1人1人の純粋な強さだ。

 

だが、強さの定義にも色々な意味がある。

 

腕っぷしが強い、格闘戦に強い、銃撃戦に強い、咄嗟の対応に強い……

 

戦いとは自分の強みを如何に活かし、逆に敵の強みを如何に潰して封じこめるかどうか、どちらが相手の上手を行って圧倒できるかをどうか競い合うという事だ。

 

そして敵の上手を取る為には、何より敵の情報を可能な限り詳細に収集しておかなくてはならない――――

 

一登は立体駐車場の屋上から目撃したマスク男――――死銃の装備を思い出す。

 

ボロボロのフードに全身を包まれていたせいで包帯でグルグル巻きにされた両腕とゴーグルマスクしか見えなかったが、所持していた武器はこの眼でしっかりと確認している。

 

死銃のメインアームはアキュラシー・インターナショナル社製のL115A3ボルトアクションライフルにサイレンサーを装着。サイドアームはロシア製トカレフの中国版である54式拳銃。

 

銃声が聞こえなかった点と車体に命中した時の着弾痕の大きさ、銃の適性距離から今死銃が撃ってきたのはL115A3の方に違いない。ボルトアクションは精度の高さと引き換えに再装填に時間がかかり連射が利かないのが弱点だ。リロードのタイムラグに一登は賭ける。

 

SG552を手放し、肩からスリングで吊るして両手を開けるとタクティカルベストの手榴弾用ポーチから発煙弾を取り出す。なるだけ身を低くし、背中を丸めて的を小さくしながら発煙弾からピンを引き抜くと、アンダースローで前方へ投じる。

 

身を翻して運転席に回り込む。その際、一登の背後を死銃が放った銃弾が通り過ぎていった。中々リロードが速い。それなりに扱いが難しいボルトアクション式ライフルを上手く使いこなしている。

 

やがて一登達と追跡者の間に白煙の壁が生じた事で銃撃は途切れた。その間にそそくさとテクニカルに乗り込んで逃げる準備を進める。

 

 

「キリトは荷台に!」

 

「わ、分かった!」

 

 

生憎一登が乗って来たテクニカルは2ドアだったので、仕方なくキリトには荷台で我慢してもらう事に。

 

 

「揺れますからね。しっかり掴まってて下さい!」

 

 

運転席に再び乗り込んだ一登はまず道路に対しやや斜めに停車していたテクニカルの鼻先を一旦白煙の方へ向け、車体の向きをストリートと平行に合わせた。

 

即座にシフトレバーを操作しバック。レンタル乗り物屋の前を通り過ぎ、ある程度加速がついた所でハンドルとアクセル、サイドブレーキを駆使して荒っぽいが見事な180度ターンを決める。

 

その際、「うおおおお……!?」と不安定な荷台で横Gに振り回されるキリトの悲鳴が聞こえた。一瞬罪悪感を覚える一登。車両の鼻先を死銃とは反対方向に向け終えアクセル全開――――を実行する前に、キリトがボンネットを叩いて一登の注意を惹く。

 

 

「待ってくれ!あそこの店に使えそうなバギーと馬が置かれてたんだ!あれを壊しとかないとまた追い掛け回されるかもしれない!」

 

 

レンタル乗り物屋に放置されていた乗り物の状態を、キリトは店の前を通り過ぎさまの僅かな時間で目ざとく見抜いていた。

 

一登のアサルトライフルやキリトの拳銃では火力不足。シノンのヘカートⅡは使い手共々助手席に放り込んだのでキリトの手元には無く、手榴弾を投げつけるには遠過ぎる。

 

――――だが乗り物を壊すにはうってつけの代物が荷台に据え付けてあるではないか。

 

 

「今バズーカを使って壊すからそのまま車を停めててくれ!」

 

 

正確にはテクニカルの荷台に設置されているのはバズーカではなく無反動砲なのだが、ともかく言うが早いかキリトは無反動砲に取り付くと発射準備に移る。

 

テクニカルに搭載された無反動砲はゲームオリジナルのデザインで、砲身の中間付近に発射用のグリップとトリガー、トリガーのすぐ斜め上に光学照準器を備えたシンプルな機構。銃火器に関してはほぼ素人のキリトでも一目で大体の使い方が分かる程度に操作方法も簡略化されている。

 

照準器を覗き込むキリト。十字線の中央にレンタル乗り物屋前に放置された馬――馬といっても機械式のロボットホースだ――を据える。馬の傍には3輪バギーも停めてある。間隔は近いからどっちを狙っても砲撃に巻き込まれて破壊される筈……

 

慣れない大砲をぶっ放す準備をキリトが終える一方、荷台のキリトが何をしようとしているのか反射的に確認しようと一登は運転席の中で振り返る。

 

 

 

 

……そして、無反動砲の後端部分が車両の前部方向を向いているのに気付くなり真っ青になった。

 

 

 

 

無反動砲やロケットランチャーは基本、後方に発射ガスを高速で放出(液体や粉末を放散させるタイプも存在)する事で反動を軽減するという仕組み。

 

銃弾よりも遥かに大型の弾頭を発射する為、必然発生する発射ガスも強烈だ。直撃を浴びれば重傷は免れない。死ぬ事例だって全く珍しくない位だ。故にあらゆる無反動砲・ロケットランチャーは発射の際に射手の真後ろに立ったり、狭い屋内からの発射を極めて厳しく禁じている。

 

しかし安価な対戦車ロケット砲が紛争地へ大量に出回った結果、未熟な兵士や民兵が不注意から強烈且つ高温の発射ガスの直撃や壁に反射した衝撃波を浴びて自爆するというトラブルは現在も後を絶たない。

 

そしてキリトは無反動砲を撃つ場合の注意事項などこれっぽっちも知らないど素人。

 

発射ガスが噴き出る無反動砲後端がシノンが収まる助手席側へピタリと向いている事を、キリトは全く念頭に置いていない様子。

 

 

「撃つな!!!」

 

 

一登は普段の言葉づかいもかなぐり捨てて制止の叫び声を上げた。

 

叫ぶと同時に、シノンの腕を掴んで思い切り引き寄せる。固定する手間も惜しかった為、彼女を乗せた時にシートベルトを締めさせなかった事が逆に幸いした。

 

小柄な少女の身体がすっぽりと一登の腕の中に納まる。

 

 

「な……!!?」

 

 

突然の一登の奇行に目を見開く少女の都合など知ったこっちゃないとばかりにシノンへ覆い被さり、少しでも車内を通過するであろう衝撃波から遠ざかろうと運転席に強く身体を押し付ける。

 

そして遂に、キリトが無反動砲を発射してしまう。

 

飛び出す砲弾とバックブラスト。レンタル乗り物屋前で爆発が起き、テクニカルの車内も爆発が起きたような有様と化した。

 

案の定、一登の予想通り1番の被害を受けたのはテクニカルの助手席側だった。高熱のバックブラストに炙られて座席全体は真っ黒に焦げ、ヘッドレストはどこかに吹き飛び、助手席側の扉が外れて落ちる。もちろん全てのウィンドウは粉々に粉砕されてしまっている。

 

車内の2人はといえば、すぐ隣を通過した爆風の衝撃覚めやらぬといった体で両耳を押さえながら首を何度も振っている。特にシノンは何が起きたのやら未だ理解できない、といった表情で目をパチパチとさせてから、自分を抱き締めたままの一登をおもむろにじっと見つめた。

 

どうやら自分はまたまた彼に助けられてしまったらしい。愛銃もどうにか無事だった。本当に一登には助けられっぱなしね、と自嘲が混じる。

 

一登の方はシノンの視線に気づかずに怒声を上げる。

 

 

「こ、殺す気ですかぁ!!?」

 

 

これにはさしもの一登も憤慨を抑えきれなかった。味方の自爆で危うく死に掛け、しかも一登だけならまだしも、よりにもよってシノンまで巻き込みかけた事が一登には許せなかったのだ。

 

自爆も同然に仲間2人を殺しかけた張本人であるキリトは、背後で起きた事態の元凶が自分であると悟ると慌てて謝罪する。

 

 

「ご、ゴメン!こ、こんな事になるなんて……・!」

 

「ああもう、とにかくこの場から離れますよ!」

 

 

至近距離で爆撃を受けたような有様のテクニカルだったが、エンジンと足回りは無事だったので自走はまだ可能だ。

 

少年2人と動けない少女を乗せた武装車両は荒廃したメインストリートを突っ走り、北部の砂漠地帯へと走り去る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死銃から逃げ切った3人。

 

一登達が臨時の避難場所として選んだのは、砂漠地帯に点在する岩山に掘られた洞窟だった。砂漠エリアには衛星スキャンを避ける事が可能な洞窟が存在している。ここならば治療の間、生き残った参加者の目を誤魔化すだけの時間は稼げそうだ。

 

 

「キリトは周辺に他のプレイヤーが居ないかチェックしながらタイヤの痕を消してきて下さい。シノンの治療は僕が」

 

「わ、分かった」

 

 

洞窟の入り口前にテクニカルを停車させた一登は荷台から飛び降りたキリトに指示を飛ばす。

 

バックブラストの存在を忘れて一登とシノンを誤って死なせかけ、内心気まずかったのだろう。そそくさと言われた通りに深く刻まれたタイヤ痕をブーツで蹴り散らしつつ、岩場から離れていく。

 

遠ざかるキリトから一登は視線を外し、ボロボロの助手席で膝を抱えていたシノンの様子を確かめる。

 

 

「シノン、動ける?」

 

「……ええ。今はもう動けるわ。大丈夫」

 

 

言葉とは裏腹にシノンの声はまったく生気を欠いていた。

 

こりゃ拙い、と思った一登はシノンが自分で車から降りようとするよりも先に、彼女の背中と膝裏に腕を差し込んで持ち上げる。今のシノンは無理をさせるよりも一登が運んだ方が負担が少ない、そう考えての行動だった。

 

 

「だ、大丈夫だから降ろして……!」

 

 

シノンは顔を赤くして一登に講義する。キリトに運ばれた時と違って自分の足で歩けるだけの体力を取り戻せた分、恥ずかしさを覚えるだけの余裕が戻っていた。

 

 

「無理しないで。奥まで運んだら治療しますから」

 

 

洞窟の中もかなりの砂に侵食されていて、足元にも荒い砂が広がっていた。

 

何度か足元を蹴って砂の質を確かめた一登は、この砂の質なら足音を消さずに洞窟前まで近づける敵はまず居ないだろうと判断。治療に専念する為。腕の中のシノンを地面に横たえる。

 

シノンが撃たれたのは左腕。彼女の左腕に突き刺さっていたスタン弾は効果が切れた時点でシノンが自分で引き抜いている。だが狙撃用ライフルの大口径弾の威力は腕に当たっただけでも最悪死に至るほどだ――――

 

だから一登は、ついこんな事を言ってしまった。

 

 

「じゃあ、傷の治療をしなきゃいけないので服を脱がしますね」

 

「はぁ!!?な、なにいきなり口走ってんのよアンタ!?まさかこんな時にかこつけてやらしい事を……!」

 

「違いますよ!服を脱いでくれないと傷口の詳しい状態が――――あ、そうか。ここ仮想空間だから応急処置しなくても大丈夫だったんでしたね!変な事言ってすいませんでした!」

 

「驚かさないでよもう……麻痺も抜けたし、治療ぐらい自分1人で出来るわよ」

 

 

筒型の救急治療キットを取り出したシノンはその先端を首筋に当て、反対側のボタンを押し込んで中の回復薬を体内に打ち込んだ。本戦開始時に参加者全員へ初期支給される治療キットは、投与後180秒かけてHPを30%回復する効果を持つ。

 

 

 

 

 

空っぽになった筒型の容器をシノンはしばし手の中で弄んだ。茫然と見つめながら、ボソリとすぐ隣に腰を下ろした一登へ声をかける。彼女の口から出てきたのは感謝の言葉だった。

 

 

「……スタジアムではありがとう。一兎があの時撃ってくれなかったら、私はきっとキリトが駆け付ける前に死銃に殺されてた……」

 

「やっぱり、シノンを襲ったアイツが死銃だったんですね」

 

「一兎も死銃の事を知っていたの?」

 

 

疲れが滲むシノンの顔に驚きの表情が浮かぶ。

 

 

「噂程度ですけど、エントリー前にBoBの事について下調べをしてる内に死銃に関する情報も偶然見つけて、興味を惹かれたんで調べてみたんです」

 

 

ネット上の不確かな噂のみならず、白猫から死銃に関する警察や総務省の捜査資料も見せられている事は勿論伝えない。

 

 

「何でアイツを一目で死銃だと見抜く事が出来たの?」

 

「うーん――――殺気、かなぁ」

 

「殺気……・?」

 

「シノンとキリトを拾いに駆けつけて危うくヘッドショットされかけた時、感じたんですよ。あんな強烈な殺意なんて、遊びで参加してるプレイヤーにはまず放てない気配でした」

 

 

――――なら貴方は何で殺意を見分ける事が出来るの?

 

喉元からせり上がってきた疑問の言葉をシノンは寸での所で、呑みこむ。

 

指の間でクルクルと廻していた使用済み容器をおもむろに投げ捨てる。積もった砂から覗いた岩の部分にぶつかった注射器はパリンと音を立てて砕け散ったかと思うと、エフェクトを伴いながら綺麗さっぱり虚空に消え去った。

 

――――今の私はさっきの容器と同じだ。氷の狙撃手シノンという、<GGO>で養ってきた強さの廠長は死銃との遭遇とトラウマの再発によってほぼ失われ、残されたのは儚く脆いシノンの抜け殻だけ。

 

自覚した途端、涙が溢れそうになった。すぐ横に一登が居なければ恥も外聞も無くこの場で泣き叫んでいた。唇を噛み締めて嗚咽を漏らすまいと、シノンは必死に耐えた。

 

そんなシノンの変化を、一登が気付かない筈がない。

 

昼間の公園でも、開始前の酒場でも自分の発言のせいでシノンを激昂させてしまった事を気に病んでいた一登は、これまで以上にシノンの気配の機微に気を遣っていた。だからシノンが今にも泣きだしそうな表情を浮かべているのも、すぐに見抜く事が出来た。

 

 

「だ、大丈夫ですかシノン?」

 

「……大丈夫だから、放っておいて」

 

 

出来るだけ冷淡ににべも無くシノンは言い返したつもりだったが、実際にはとても弱弱しく震えた声しか出てこなかった。

 

 

「放っておける訳無いじゃないですか。その、スタジアムでの事をそこまで気に病む事は無いですよ。誰だって不意を突かれる事はありますし……」

 

 

一登が発する単語のひとつひとつがシノンの耳を素通りしていく。

 

ただ、彼に慰められているという事だけは否応無しに理解できた。今此処には居ない光剣使いと同じく、自分と比べて格段に<GGO>歴が浅いくせに、妙に戦闘能力と判断力に優れた素人プレイヤーである筈の学校の先輩に、だ。

 

……仮に今、隣に居る人物が光剣使いことキリトであったとしたら、朝田詩乃は自分の半身たる氷の狙撃手・シノンとしての体裁を少しでも保ち続けようと、毅然とした態度を取り繕ったであろう。

 

けれど一兎、公魚一登は朝田詩乃としてのリアルでの顔も名前も――――そして、今日まで<GGO>の中では必死に隠してきた詩乃の弱さも知っている。初めて出会ったあの日、トラウマによる発作を起こす姿を一登は間近で目撃している。

 

トラウマによる発作は一登よりも以前から現実世界で仲良くしている新川恭二にも知り合った当初に数回目撃された事はあったが、<GGO>内ではあくまでシノンとしての態度を貫き通してきたし、発作も起こしていない。

 

つまり現実と仮想、両方の世界で詩乃/シノンの弱い姿を目の当たりにした事があるのは、現在シノンの隣に座るこの少年のみという事になる。

 

 

 

 

 

 

――――もう、今更じゃない。

 

『シノン』の脳裏で、『朝田詩乃』がそう囁いた。

 

――――彼女を支えていた最後の柱が脆くも崩れ去る。

 

 

 

 

 

 

 

「…………………なんでなのよ」

 

 

限界だった。

 

感情の奔流が溢れ出る。

 

 

「この世界でなら、強くなれるって、そう思ってたのに……何でなのよ、私は、結局、強くなんか、向こう(現実)と同じ、弱いままで……う、うああああああああああっ……!!!」

 

 

慟哭が、止まらない。少女は哀しみの感情を吐き出し続ける。

 

これまで積み上げてきた『シノン』のイメージを完全にかなぐり捨て、突然の号泣を聞きつけて慌てて戻ってきたキリトの帰還にもまったく気付く事無く、少女はひたすら泣き叫ぶ。

 

 

「――――弱い事は悪くありませんよ」

 

 

何時の間にか、シノンは一登に抱き締められていた。

 

慟哭する少女を優しく抱き締め、後頭部に廻した右手で彼女の頭を繊細なタッチで撫でるその姿は、予選1回戦後の待合室での光景の焼き直しだった。違うのは場所が無機質な待合室ではなく砂漠の中の岩場に存在する洞窟の中である点と、シノンとキリトの立場が入れ替わっている点ぐらいか。

 

泣きじゃくる少女を慰めながら、若い殺し屋は耳元で囁く。

 

 

「大事なのは、自分の弱さを思い知った上でまた立ち上がれるかどうかなんです」

 

 

 

 

師匠を殺されて絶望しながらも立ち直って復讐を遂げた小暮塵八のように。

 

恋人を目の前で陵辱された復讐を誓う鉄美弓華のように。

 

或いは惨敗して重傷を負いながらも、死に掛けの身体を押して最終決戦の場に駆けつけて活路を開くきっかけを作ってみせた毒島将成のように。

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――生きてる限り、チャンスはある」

 

 

 

 

 

 




※無反動砲のバックブラストに注意しないとこうなる
ttp://www.nicozon.net/watch/sm15552503

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