ゼロの忠実な使い魔達   作:鉄 分

40 / 50
第四十話 脱出

 

 

 

 

ロマリアを出自とするマザリーニは異国であるトリステインにて宰相の位に登り詰めるまでに様々な経験を積んできた。出自を理由とする謂れなき差別、宮中における政争や貴族間の熾烈な人間関係など、これまでに潜り抜けてきた修羅場の数は少なくない。御年60を大きく超え、その容貌もより威厳を増すように老成している。痩せこけたその容姿を皮肉って市居の人々は鳥の皮という渾名で呼称するが、その呼称も信頼の裏返しである。冷静な思考と積み重ねた経験。よっぽどのことが発生しない限り、トリステイン宰相マザリーニが狂乱することは無い。

 だが、今、そのマザリーニは狂乱の極致に追い詰められていた。普段は後ろに流して整えられている白髪も振り乱されその面影を残していない。必死の形相で馬車を動かしている馬使いへと指示を出す。普段の冷静な容貌はどこへやら。ありありとした混乱と困惑がその表情に浮かんでいた。

 

「(――どうする?! ――どうすればいい??)」

 

 

 頭を必死で働かせ現状を打開できるような策がないかを考える。だが、考えれば考えるほど現状は絶望的だった。マザリーニの周囲では死を怯える兵士の声と巨人の上げる恐ろしい唸り声、その砲門から放たれた弾丸が空を切る風切り音が混ざり合い狂騒曲を奏でている。何処を見渡しても希望など存在していない地獄の光景。何もかもを諦めてその場で蹲ってしまいたくなるような絶望をマザリーニは感じていた。だが、宰相であるマザリーニはトリステイン軍全体を統括する統帥権を持っていた。未だ未熟であるアンリエッタ姫殿下を補佐するという形式を採っているが、軍を指揮している立場にあることは動かしようがない事実である。マザリーニの双肩にはトリステイン軍五千人の命が圧し掛かっている。その責任が折れそうになるマザリーニの心を何とか紡いでいた。

 

「――――姫様ッ!! 御気を確かに! 確かに苦しい状況にありまするが、決して後ろを振り返ってはなりませんぞ!!」

 

 マザリーニの傍には項垂れてしまったアンリエッタ姫殿下が控えている。蒼白な顔色からはまともな生気すら感じ取れなかった。それも当然だろう。女王であるとはいえ彼女はまだ十分な経験を積んでいない。あの地獄の光景を目の当たりにして生気を失わない訳がない。鋼鉄の巨人数十体による一斉攻撃。ドラム缶のように巨大な弾丸が雨のように降り注ぐ地獄の風景。全身が引き千切れ、解体されるアルビオン兵達は収穫される麦のように根絶やしにされていた。その虐殺はアルビオン兵のみならず、トリステイン側にも及んでいる。自軍の兵士たちからの悲痛な断末魔はアンリエッタの鼓膜にもしっかりと到達していた。

 ショック状態に陥ってしまったアンリエッタには何かの行動を期待することは出来ない。自分が何とかしなければとマザリーニは発奮するが、街道を遡る馬車の足は速くない。動かないのではなく動けない。その厳しい現状を踏まえたマザリーニが出した指示通りの結果だった。鋼鉄の巨人たちによって構築された包囲網に脱出できるような穴は無い。せめて、自分たちの退路を塞ぐ巨人だけは弱い個体であってくれればまだ望みはあったかもしれない。けれども、そのような都合の良いことはめったに起こらないものなのだった。

 

 

「(――――どうする?!)」

 

 

 マザリーニが発する心の叫びは切実だ。トリステイン軍の前方に聳え立つ巨大な影はマザリーニ率いるトリステイン軍が近付くにつれより大きさを増していく。10階建てのビルよりも巨大なその躯体。全身に満載された破壊武具の数々。シコルスキー・CH-53Eスーパースタリオンをトランスフォーミング元としているそのトランスフォーマーは他のトランスフォーマー同様鬼のように恐ろしい容貌を持っていた。個体識別ネーム、グラインダー。シコルスキー・MH-53 ペイブロウ、ブラックアウトと同型機のトランスフォーマーだった。ディセプティコン内でも有数の実力を持つ彼は招集に応じてその戦力を存分に発揮していた。軍用ヘリに搭載された強力な武装。その利点を活かした戦闘は強力だ。幾らメイジであろうとも一介のトリステイン兵に対抗できるものではない。グラインダーは胸部に格納されたキャノン砲や手首のローターブレードを展開し、退路を拓くべく先行するトリステイン兵を刈っていた。その様子は戦闘ではなく虐殺である。一方的なワンサイドゲームは見る者が清々しさすら感じてしまうほどに凄惨だった。刈り取られるトリステイン兵は何かしらのダメージを与えることすら敵わず、その命を散らしてしまう。

 

「――――ぐうううッッ。」

 

 

 その儚いトリステイン兵の末路を見てマザリーニは呻いた。逃げられない。どうすることも出来ない。このまま残存する兵士たちを幾ら投入しようが焼け石に水で終わることは目に見えている。こちら側とあちら側の彼我の差は、先ほどまで対立していたアルビオン軍がかわいく思えてしまう程に隔絶していた。目の前に聳え立ち進路を遮る鋼鉄の鉄壁。この鉄壁をどうやって乗り越えればいいのか。打開策となる指示を飛ばそうとマザリーニは必死で考えるが、答えは未だに導き出されていない。

 そうこうするうちに、アンリエッタ姫殿下が従軍する本陣が立ちはだかるグラインダーまで到達してしまう。既に幾百もの兵士を亡き者としたグラインダー。屍となったトリステイン兵士たちを踏みつぶし、更なる殺戮へと身を染めるべくアンリエッタ一行へと迫る。掲げられる破壊の断頭台。戦艦砲のように巨大で重厚なキャノン砲、その禍々しい砲門をまじかに見た時マザリーニは自らの死を覚悟してその目を閉じた。

 

「――――?」

 

 しかし、そのギロチンが振り下ろされることは無かった。絶体絶命の窮地に立たされ、自身の死を覚悟したマザリーニ。彼がその双眸を閉じようとしたその刹那、目に飛び込んできたものは飛行する青い飛竜と吹き上がる土砂の防壁だった。青い飛竜から加えられる遠距離からの攻撃と、地盤を揺るがす地中よりの攻撃。二つの攻撃が障壁となりグラインダーの攻撃はマザリーニ達へと届かない。新たに出現した敵対勢力を前にして慌てるかと思いきやグラインダーは即、反撃を開始してきた。多彩な武装を有するグラインダーにとって対象となる敵が近いか遠いかは関係がない。機銃による掃討射撃とテールローターブレードを変形させたエナジーブレード。近距離と遠距離攻撃を組み合わせた咄嗟の対応は適切で隙がなかった。流石はグラインダーだと評するべきだろう。戦闘に長けたディセプティコンの中でも有数のその実力は伊達ではない。水と風を司る優秀なスナイパー・タバサと地中を泳ぎ回る黒蠍の怪物・スコルポノック。両者と同時に戦い、尚且つ両者を上回るほどの戦いを繰り広げていた。

 

 

「(――――今しかないッ!!)」

 

 眼を見開いたマザリーニは目の前に広がる千載一遇の好機を見逃さなかった。目の前にいる巨人は空中と地中へと意識を注いでおり、自分たちへ払う注意が損なわれている。如何な鋼鉄の巨人であるとはいえそれは一つの単体でしかない。注ぐことが出来る意識の量にも限界があるのだろう。注意が分散されている現状であれば、脱出の間隙を縫うことが出来るかもしれない。絶体絶命の窮地にも拘らず援軍が現れたことも始祖ブリミルの思し召しだ。自身に追い風が吹いていることを察知したマザリーニは乾坤一擲と指示を出す。指示を受け取った馬使いは鞭を加え、全速力で馬車を走らせた。

 

 鋼鉄の巨人が立ち塞がる街道を擦り抜けるようにして脱出を試みる。猛然と疾駆する馬車の一軍。他勢力に気を取られている今であれば間隙の隙を付けるかと思われた。マザリーニの決断は間違っていない。しかし、グラインダーはその程度の不意打ちで出し抜けるほど甘くはなかった。大胆にも自身の傍を通り抜けようとする一群を確認すると、スコルポノックへと向けられていたその武装を構えなおした。

 

「■■■■ッ?!」

 

 

 だが、その隙を逃すほどスコルポノックも抜けてはいない。外された狙いを察知してスコルポノックは餓えた獣もかくやという勢いでグラインダーの腰元へと食らい付く。高速回転する剛爪が叩きつけられ、脚部を構成する駆動機構をずたずたに引き裂いた。苦悶の声を発するグラインダー。その巨体がよろめくことで一行が擦り抜けられるだけの隙が生まれた。グラインダーの脇を通過するアンリエッタ一向。巨体の影を通り抜ける際は生きた心地すらしなかっただろう。けれどもスコルポノックの強襲もあり、一行はその包囲を命からがら抜け出すことができた。

 

「■■■■■」

 

 だが、死線はまだ終わっていない。自身の態勢を建て直したグラインダーは損傷範囲を調査した。その結果、修復可能であり戦闘続行が可能であることを理解する。下等な有機生命体に一泡食わされ、無事に逃げられるなどディセプティコンにとっては痛恨の極みだ。包囲を掻い潜ったアンリエッタ一行は未だグラインダーの戦闘範囲内。ならば、グラインダーが攻撃の矛先を一行へと集中することは道理だった。網から漏れた有機生命体の一行を討滅するべく改めて攻撃目標を定めたグラインダー。右手に装着された六連の機関銃。禍々しい多連装砲身を定められた攻撃目標へと向けて狙いを付けたその時。グラインダーは搭載されたセンサー群に映る一群を確認した。

 

 

「血路を拓けッッ!! 死線を乗り越えろッッ!!」

 

 驚くべきことにその一群は包囲網から離脱することなくグラインダーの前に立ち塞がっていた。居残ることなど、只の自殺行為に他ならない。一介のメイジがグラインダーを真面に相手取ることなど不可能だからである。それは居残った彼ら自身も十分に承知していることだろう。にも拘らず何故彼らはその場から逃げ出さなかったのだろうか。恐らくは彼ら自身も理解していたのだ。国体の象徴たるアンリエッタ姫殿下が死亡すればトリステインは終わる。逆に言えばアンリエッタ姫殿下さえ生き残ることが出来ればトリステインという国家の命脈は保たれることが出来るのだ。だからこそ、彼らは残った。忠誠を誓った国体が繋ぐ未来への希望に懸けたのだ。護衛隊長の一喝とともに、時間稼ぎを目的とした最後の悪あがきが行われた。護衛のメイジ達は杖を構え、決死の覚悟で魔法を放つ。

 

 

「「「「ファイヤーボールッッ!!!」」」」

 

 

 繰り出されたファイヤーボールは互いが混ざり合い結合を繰り返しながらより巨大な焔へと成長していった。数十人の魔力が込められた一撃は強力だ。出所が如何に非力な有機生命体であろうとも関係ない。巨大な火球の直撃を受けるグラインダー。当たり所が悪かったためか搭載するセンサー群にも一定のダメージが与えられていた。視界にノイズが走り、ロックオンしていた有機生命体の一群をロストしてしまう。自身の生命活動自体に何らの問題はないが、これ以上の追撃を十分に行うことは出来なかった。足止めとして居残った彼ら有志の努力は一行が脱出する時間を稼ぐに十分なものだった。アンリエッタ姫殿下一行は無事、その死地を脱出することが出来た。これは一つの奇跡だろう。戦闘に長けたディセプティコン数十体が構成する包囲網からの脱出。スコルポノックやタバサの救援と勇敢な兵士たちの尽力。そういったこちら側に有利な要素を鑑みてもこの脱出成功は十分奇跡に値した。

 

「いいぞッッ!! 畳み掛けるんだ。相手に再帰する余裕を与えるなッ!!」

「■■」

 

 よろめくグラインダーを見て、徐に沸き立つトリステインの護衛メイジ達。彼らの心中には自分たちも生き残ることが出来るのではないかという希望の芽が首を擡げていた。

 有機生命体からの攻撃によってふらついてしまうなど本来であれば業腹だろう。戦闘に長けたディセプティコンにあるまじき状況だ。しかし、機械生命体であるグラインダーは合理的な存在である。怒りであるとか悲しみであるとか、そのような非合理的で感情的な思いを彼が有することは無い。そのような思いに一々振り回されることもなく冷静に合理的に現状に対処する。センサー群からもたらされる情報を鑑みて冷静に廃滅目標が有する戦力を推察する。10%の戦力で対応できないのであれば、その倍の戦力で対応するだけのこと。普段と特に変わることは無い。非常に冷静で落ち着いた性格を持つグラインダー。彼が歓喜する有機生命体の一挙一動に反応を見せることなどありはしないのだった。

 

 

「――――――」

 

 

 グラインダーを中心として射出された何かは護衛兵士たちが持つ微かな希望の芽を根こそぎ刈り取り焼き尽くしていった。胸部格納庫から現れた一つの砲門。その砲門から射出された青白い波動は波状に広がると周囲にある様々な物体へと纏わりついた。そして、物体を構成する蛋白質をその最奥から細胞膜一つ一つに至るまで分解し、その組成を崩壊させてゆく。広域殲滅用に用いられるプラズマ放射砲。グラインダーが搭載する強力な武装の一つだった。強力な武装を数限りなく搭載するグラインダーを相手取ることなど土台無理だったのだろう。身体を内側から焼かれた護衛のメイジ達は末期の断末魔すら残さずに焼け死んでいった。

 

 確かにアンリエッタ姫殿下一行は何とかその死地を脱出することが出来た。トリステイン国家の命脈は寸でのところで保たれたのだ。しかし、その為に要した犠牲も甚大だった。出発する際には五千人居たトリステイン軍が、今や僅か数十騎のみである。行き先の知れない兵士も含めればその殆どが死亡を被った。どうすればこの夥しい犠牲を生み出さずに済んだのだろうか。この結果をだれが予想できただろうか。

 

 姫殿下脱出ために時間稼ぎをすると具申した護衛兵士たちをマザリーニは止めることが出来なかった。彼らが居残り戦ってくれれば生きながらえることが出来る。自分が死なずに済む。そういった昏い欲望が完全になかったといえば嘘になる。国家を支える宰相にはあるまじきことだが、心のどこかで安心してしまった自分がいることをマザリーニは感じていた。やむを得なかったとはいえ、自身だけが抱える後ろ暗い事情もある。自らの身命を懸けて闘った彼らにどうやって顔向けすればよいだろうか。騎乗にて一人、マザリーニは苦悶する。

 

 そして、アンリエッタだ。呆然と項垂れ、ただ目の前にある悪夢が終わることだけを祈っていた。女王としての適格を疑われるが、それも致し方ないだろう。女王であるとはいえアンリエッタはまだ十代の少女である。先陣と責任を担うことを求めるのは酷すぎた。そうして周囲に全てを放任し、何をするでもなくただただ自分を守っていたアンリエッタ。だが、何処かから聞こえる呼び声を聞いて、ふと後ろを振り返る。アンリエッタが向けた視線の先。そこにはつい先ほどまで自身を護衛していた兵士たちが焼け死んでいる地獄の光景が広がっていた。兵士たちの無残な死様が網膜に映り、人間の焼ける饐えた臭気が鼻腔を刺激する。その光景を見て、アンリエッタは悟った。他者が払った夥しい犠牲の上に自分は居るのだということを。綺麗ごとではない、どこまでも現実的で悲惨な覚悟。兵士たちの屍が幾体も積み上がる肉の丘。その犠牲がなければ、今の自分の生は無い。その現実をアンリエッタは生まれて初めて、言葉の上ではなくその心で理解した。

 そして、まだ幼い女王はその地獄から視線を離す。騎乗の上から前を向くその横顔は凛として美しかった。そこに、幼い少女としての甘えを持ったアンリエッタはもうどこにもいない。統治者としての風格と冷たい威厳を備えた女王アンリエッタがそこにいた。身体を内側から焼かれた彼らが末期の言葉を発するなどありえないことではある。だが、アンリエッタの耳孔には確かに彼らが叫んだ今際の際がこびり付いているのだった。その断末魔がアンリエッタに挫折することを許さない。こびりついた断末魔がアンリエッタを突き動かすのだ。

 

 その戦争が終わった後、アンリエッタは女王として即位した。そこには甘えや言い訳とは無縁の王が立っていた。鉄の女王として君臨した君主はその後様々な改革を断行し、内政に励んだ。旧勢力の抵抗を打ち破ったその苛烈な手法は政争の教科書としても取り扱われるほどだった。周辺諸国からは与しがたい狡猾な女王として、トリステイン国内では様々な旧弊を打ち破った名君として語られた。市民に女王として持て囃されてもその冷たい表情が破顔することは殆ど無かったという。時たま浮かべる申し訳なさそうな微笑みも彼女が鉄の女王として呼称される理由の一つになっている。子を成しトリステイン王家の血脈を次代へと受け継いだが、その生涯を未婚で貫き通した。縁談の申し込みは国境を越えて殺到したがそのことごとくは拒絶された。噂好きの市居の人々は様々な理由を妄想するが、そのはっきりとした理由は未だ定かではない。

 

 もしかすれば、そこには勇敢に闘ったトリステイン兵士たちに対する贖罪の念があったのかもしれない。彼女が自らに背負わせた呪縛から解放される日が訪れたのか、その事実を知る人は何所にもいなかった。

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。