ゼロの忠実な使い魔達   作:鉄 分

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第三十七話 虚無の光

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 とても不思議なことではあるが、それはいつも決まっている。誰かが裏で定めている訳でも何者かによって仕組まれている訳でもない。それはまるで自然の摂理のように起こるべくして起こる。生まれるべくして生まれる。襲い掛かるべくして襲い掛かってくる。これまでの人生で誰でも一度は体験している岐路。避け得ることの出来ない当たり前。降り注ぐ雨を人々が躱し切ることが出来ないように、その襲い掛かる凶事を未然に躱すことは難しい。人々に許されている領域は多くない。ただ怯え、その脅威から逃げ惑うだけである。

 災厄とは、最悪な時機を伴って訪れるからこそ災厄なのだ。

 

 

 

 アルビオン軍とトリステイン軍との戦争の火蓋は切って落とされた。一斉に襲い掛かる攻撃のアルビオン軍と、陣を敷いてそれを待ち受ける守備のトリステイン軍。自国の領村まで攻め落されているにも拘らず守勢に徹するなど傍から見れば随分と悠長なことだと呆れてしまうが、少しでも有利に戦いを進めるために数に劣るトリステイン軍が守りに易い街道に陣を敷くことは自然な成り行きであった。

 

「総員構えをとれっ! 来るぞッ!」

 

 

 守りの強固な陣営を築き相手の攻勢を捌きつつ機会を狙う。タルブの村を奪還したいトリステイン側にとってそれは苦渋の決断でもあった。そうして地の利を獲得しているトリステイン側が通常であれば有利になる。

  だが、それは対峙する両軍の戦力が拮抗している場合のみの話である。

 

 

「一斉に畳み掛けろッ!! 連中は真面に戦ったこともない弱腰揃いだッ!!」

 

 

 前線に控えるアルビオン陸軍部隊隊長の声が飛ぶ。幾つもの激戦を乗り越えてきた彼らにとって目の前にあるトリステイン軍など手頃な餌も同然だった。部隊隊長の指示に従って次々と進撃を開始するアルビオン兵士達。侵攻を遮る堀の存在など直ぐに乗り越えてやるとばかりに威勢よく押し寄せた。山津波のように迫るアルビオン軍六万人はそのような不利な要素を忖度することはない。

 守りの固められた陣を攻めることや侵攻を邪魔する堀の存在など、六万という圧倒的な軍勢にとっては枝葉のように些末なことだからだ。

 

 しかし、アルビオン軍はまだ知らない。

 

 対峙する程狭い街道には陥没した大地以外にも巨大な何かが出現していた。突如として出現した異物がアルビオン軍の暴虐が振るわれることを許可しない。国家の趨勢を左右する一大決戦。その重要な岐路にて、甦りしアルデンの鬼はその本性を如何なく発揮した。

 

 

「■■■■ッッ!!!!」

 

 

 巨大な黒華が土砂を巻き上げながら咲き誇る。地獄の窯の底。奈落の闇を根城とする鬼のようなおぞましい絶叫がタルブの草原に響き渡った。戦場となったタルブの村において六万を超えるアルビオン陸軍とスコルポノックの小競り合いが始った。

 

  従軍するメイジが少ないアルビオン軍は目の前にある堀を渡りきらなければトリステイン軍を攻撃することは出来ない。だが、その堀を渡ろうとするアルビオン軍を邪魔するように大量の土砂が巻き上げられた。吹き上がる砂の集塊はまるで壁のようで、トリステイン軍を歯牙にかけようとするその凶刃を寄せ付けはしない。トリステイン側からは攻撃が止んだ安堵の息が漏れ、アルビオン側からは御預けを食わされた忌々しげな憤懣と目の前の現象に対する驚きが発せられた。

 

 

「一体何が居やがるんだッ?!!」

 

 

 居並ぶ兵士たちから驚愕の声が飛ぶ。巻き上げられる大量の土砂に隠れて黒蠍の恐ろしい暗影が垣間見られた。土中を闊達に泳ぎ回る巨大な蠍。その異常な光景を見た兵士たちの表情が凍りつく。自分たちが目の当たりにしている異物は何者なのか。その恐ろしさと異様が砂塵の間隙から頭を覗かせていた。

 

 

「臆するな! 堀さえ越えてしまえば、数に勝るこちらが有利なのだ。メイジ部隊前へ! 土砂を錬金し、移動経路を作り上げろ!」

「「「はっ!!」」」

 

 だが、アルビオン側のメイジもただ黙ってはいない。堀を渡るために錬金の魔法を使い鉄製の橋を建てようと試みる。如何なる怪物がいたとしても砂を巻き上げることしか能がないのであれば幾らでも対処の方法があるからだ。しかし、黒蠍の怪異はその越境を許そうとはしなかった。バカリ、バカリと花開くスコルポノックの黒槍。巨大な黒華が咲き乱れ、射出された三連の迫撃砲が橋脚を破壊する。鉄製の頑強な橋桁が崩れ落ち、兵士を移送しようとしたアルビオン側メイジの目論みも藻屑と化した。

 

 

「馬鹿な…………。錬金した鉄の橋脚を打ちこわしただと!? あの怪物は一体………………。」

 

 

 無残な姿を晒す橋桁の残骸は黒蠍の異様さをこれでもかと際立たせていた。砂塵を遮り、その途上を横断しようとする試みを黒蠍の怪異は徹底的に阻害した。突如として現れた黒蠍の怪物。ルイズが率いる使い魔であるスコルポノックの働きがなければトリステイン軍がアルビオン軍の脅威から免れることは到底叶わなかっただろう。

 

 

「(凄い………………。やはり、あの時私は遊ばれていた。あの黒蠍の実力はまだまだ計り知れない。)」

 

 

 その縦横無尽の活躍をタバサは遥か上空から無言のまま確認していた。シルフィードに乗り、滑空するメガトロンの背後に着けているタバサからでも黒蠍とアルビオン兵たちの小競り合いを見てとることが出来た。見るものが千人力と錯覚してしまう程の俊秀な働き。あの異様がこちら側の戦力でいてくれてよかったとタバサは心から思った。狂気とも思える執拗さでアルビオン軍の侵攻を邪魔するその様子を見てその上でタバサは自らの思考を構築していった。

 

 

「(あれが働き続ける限り、トリステイン軍への配慮は必要ではない。残りの一体がキュルケの補佐についている以上それも同上。…………その他に不確定要素が見受けられない限り、私は私がするべきことへ意識を集中するべき。)」

 

 

 自らの思考を組み立て終えるとタバサは下ろしていた視界を持ち上げて再び前を向いた。視界には旗艦レキシントン号から飛び立つ無数の竜騎士隊が写り込んでいた。艦載砲での攻撃も行えたはずだが戦列艦による直接の攻撃は行われなかった。戦列艦からの一斉砲撃はともすれば眼下に展開している自軍への被害を齎してしまう可能性がある。再度行われた竜騎士隊の展開もそのリスクを考慮した結果のものだろう。戦場の中に障害となる飛行体を見てもアルビオン空軍は慌てず冷静にその対策を行った。

 下された命令に沿う形で行われた軍全体における滑らかな行動の変遷。その様子だけ見ても、精兵だけではなく全体に戴く将校までにも一流が揃っていることが分かる。矢張り、浮遊大陸を本拠とするアルビオン空軍の有する実力は伊達ではなかった。

 

 

「それでも、私は――――――負けない。」

 

 

 相当の苦戦を覚悟した上でタバサは一騎単独で編隊を組むそれらアルビオン竜騎士隊へと突撃していった。

 タバサの仕事は竜騎士隊たちの注意を逸らすことである。遠巻きに攻撃を加えるだけでは充足しないため、注意を引きつけるためにはどうしても自ら編隊に近付いていかなければならなかった。非常な危険な行為であるがタバサはルイズから委託されたその依頼を普通に受け入れていた。ルイズが何を企んでいるのかは判然とはしていないが、それでも依頼を受領することに躊躇いはなかった。何故ならば、何かしらの当てと目論見があった上で自身に依頼したのだと簡単に察せられたからである。

 メガトロンの強力な力を利用せずともに済む何かがある。ならば、タバサが気を窶す必要など何もなかった。聡明なルイズと培った自らの技量を信じて、依頼を達成するのみである。

 突撃してくるタバサに反応して雲霞のように湧き上がり空を埋めるアルビオン竜騎士隊。トリステイン竜騎士隊を仕留めた先程の勢いそのままに突っ込んでくる哀れな風竜へ向けて殺到した。

 

 

「敵は一騎だ。編成を崩さず、そのまま包囲せよ!!」

 

 

 編隊を組んだアルビオン竜騎士隊が遠巻きにタバサを囲い込む。手練れの彼らにかかれば単騎の竜騎士など赤子の手 を捻るようなものだろう。先程燃え堕ちて行ったトリステイン竜騎士隊の二の舞である。だが、タバサとて無為無策でただ特攻するほど愚かではない。

 それを証明するように彼女の右手には新たに獲得した力があった。揺るぎのない鉄の質感が確かな安心感を与えてくれる。獲得した新しい武器と培った経験があるからこそタバサは臆することなく危険な任務へと臨むことが出来るのだった。

 

 

「狙いは―――――――翼ッ!!」

 

 

 射出された弾丸は音速を超えて飛翔し、定められた部位を過たず貫通した。着弾した鋼鉄の弾殻は翼の付け根、もっとも筋繊維が集合し束ねられた重要な個所を引き千切る。如何に訓練を受けた軍用の火竜とはいえ飛行する際に負担のかかる部位を傷つけられてはたまらない。損傷した翼膜の激痛に耐えきれず火竜は咆哮した。狙いを付けられたアルビオン竜騎士は通常飛行を維持することすら叶わず、痛みに喘ぐ火竜に引きずられる形で戦場となった空をそのまま離脱していった。

 

 

「命中――――次弾装填。命中――――――、命中――――――、命中――――――。」

 

 

 距離の離れた位置から一方的に攻撃を加えることが出来るのはこの戦場において狙撃銃を持つタバサのみに許された特権である。精練のアルビオン竜騎士でも音速を超えて飛来する弾丸を避けることなど叶わない。同じ要領でタバサは次々と攻撃を加え、編隊を構成するアルビオン竜騎士の数を減らしていった。

 

 

「――あれは一体何を我々に放っているんだ?!」

 

 

 次々と数を減らされている現状に驚愕したアルビオン竜騎士の一人が忌々しげに叫んだ。その叫びすら無視してタバサは弾丸を放ち続ける。スコープから覗いた照準から殆ど逸れることのない正確な射撃はタバサ独自の構えから行われたものだった。片膝を立て腰を落とし、予め工夫を施された構えを取ることで体軸を安定させる。締められた右腋と落された腰・膝をそれぞれの支点と作用点とし台座の要領で固定。その安定した構えから行われる狙撃は正確な命中を保証した。

 

「(吸血鬼への狙撃を行った経験がここに来て活きた――。)」

 

 様々な経験を通して獲得した知悉と絶え間のない切磋琢磨を依代として、ドクターより受け取ったその新しい力をタバサは完全に自分のものとして使いこなしていた。だが、アルビオン竜騎士隊もタバサ同様精鋭である。いつまでも遣られ放題に甘んじてはいない。風竜からの狙撃を掻い潜り、複数の竜騎士がその牙をタバサへと向けて振り下ろす。

 

 

「たかが一騎に何時まで手間取っている!! 囲いを狭めろ!!」

 

 

 竜騎士を束ねる騎士団長からの激も飛び、タバサを包囲する覆いはより一層堅固なものとなる。傍から見ればその状況は既に詰みの状態だった。タバサに許されている打開策は残されていないとも思われた。しかし、タバサの持つ力は狙撃銃だけではない。その手に持つもう一つの武器。タバサ本来の持ち物であるその節くれだった杖は迫る危機に対応して練られた良質の魔力を解放した。

 

 

「ウィンディアイシクルッ!!」

「ぐああッ!!?」

 

 

 タバサの詠唱と共に充溢した魔力が無数の氷矢へと変換され放たれる。太陽光を反射して鮮烈に輝く透明の槍はタバサをその牙にかけようとする竜騎士部隊に襲い掛かった。距離を詰めて一斉攻撃に臨んだことがアルビオン竜騎士隊にとって裏目と出た。如何に彼らが精兵揃いだとしても回避する猶予すらない入り乱れの場において、餓えた獣のように迫るその氷矢を躱すことなど叶わない。当然のように氷矢が突き刺さり、飛行が困難となったアルビオン竜騎士隊は次々と撃ち落されていった。

 

 

「私は負けない。自分の存在を果たすまでは、――――――絶対に。」

 

 

 遠距離にある敵に対しては正確無比な狙撃で攻撃し、近距離に迫る敵に対しては杖を用いた拡散する攻撃魔法で対応する。ドクターから与えられた新しい力と既存の魔法を組み合わせることで、タバサは遠近に対応した隙のない戦闘スタイルを確立することに成功していた。タバサの実力は更なる高まりを見るに至った。滑空する風竜に乗り、騎乗にて長大なスナイパーライフルを構えるタバサ。その雄姿は歴戦の兵士と遜色がない勇ましいものだった。精兵が揃うアルビオン竜騎士隊を前にして、確立した自らの戦闘スタイルを存分に発揮するタバサは間違いなく精兵の揃うアルビオン竜騎士隊と対等以上に伍する実力を兼ね備えていた。

 

 

「タバサ、ありがとう。貴方の活躍を決して無為にはしない。」

 

 

 手傷を負い戦場を離脱する竜騎士部隊の数が増加する。スコルポノックの様な縦横無尽の活躍を披露するタバサの勇ましい姿は、メガトロンのコックピットに乗るルイズからも確認することが出来た。その活躍もあってアルビオン竜騎士隊の大半がタバサへかかり切りになっている。タバサの安否が気がかりだったが、現状ではサポートの手段が残されていない以上、ルイズはタバサの持つ実力を当てにするほかなかった。

 

 

「■■■■ッッッ!!」

「この機会を逃すな! あの怪物が暴れているすきにこちらもあらん限りの魔法を奴らへ攻撃を叩きこんでやれ!!」

 

 

 激しさを増す空の戦いに連動するようにして、地上における戦いもより激しさを増したものへとその様相を変えていく。アルビオン軍とトリステイン軍が互いに遠距離魔法を打ち合っているのだろうか。直接確認することは出来ないが、戦場の白熱した緊迫感が遥か高空にいるルイズにまで届いていた。戦場特有の独特な雰囲気がタルブ一帯を支配する。息苦しくなるほど濃密な空気が充満する中でも一切怯むことなく、ルイズは前を向いていた。

 

「(メガトロンもキュルケもタバサも皆が一緒に戦ってくれているからかな。大丈夫――――。怖くない。)」

 

 戦場の空を飛んでいるというのにルイズは落ち着いていた。

 

 その表情は確かな覚悟を決めた戦士のようでもあり、大切な親友と交わした約束を果たそうと必死になる一人の少女のようでもあった。滑空をするエイリアンタンクコックピットの中でルイズは秘宝の古書を半ばから捲り、溢れる魔力に意識を注ぎ込む。古書から溢れる魔力と自身の中を流れる魔力が共鳴することでコックピット内には魔力が回遊しその魔力そのものが増殖するサイクルが成り立っていた。

 

 

「やって見せるがいい。」

 

 

 これから何をしようとしているのか、ルイズが説明した時メガトロンはにべもなくそう言った。その言葉がどのような意味を持っているのか、仔細はルイズには分からない。だが、それでもあのメガトロンから了解を貰うことが出来たのだ。悪い気持ちではない。絶対の信頼を於いている使い魔からの後押しはこれ以上ないほどの安心となってルイズを支えてくれる。

 

「準備はいいな? あのターゲットへ向けて接近するぞ!」

 

 その了承を裏付けるように巧みな飛行と回避を繰り返してルイズをサポートするメガトロン。アルビオン竜騎士隊からの追撃を掻い潜りながらも、平常運航に保たれたコックピット内でルイズは集中して自らの試みに集中することが出来た。オスマンより賜った秘宝『始祖の祈祷書』。その秘宝から溢れる魔力はルイズの内側を流れる魔力と共鳴して、より濃密かつ強力な奔流となって辺りに満ちる。ページを繰る際に指先から伝わる古書の質感を感じながら、ルイズは考えた。

 

 

(ねぇ、メガトロン。私は―――――貴方の期待に応えることが出来たのかな? いつもいつもあなたに振り回されてばっかりで、全然御主人様らしいことは出来ていないけど。)

 

 

  ルイズは考える。メガトロンの要求に答えることが出来ただろうか、と。自身はメガトロンと主従の契りを結ぶに足る存在なのだろうか。メガトロンの求める故郷、自身の中にあるメガトロンの記憶の存在、闇で手招きをする災禍の顕現。ルイズが抱える課題は山積し、答えを出さなければならない問いは依然目の前に聳え立っている。解決する兆しは見えないし、ルイズが求めて止まない答えは未だ先のない霧の中にあった。

 

(でも、私は諦めない。私はなって見せる。貴方の期待に応えられるような立派なマスターに。)

 

 だが、それでもルイズは前進することを辞める訳にはいかなかった。何故ならば、ルイズには守るべきものと貫きたい自らの誇りがあるからである。タバサやキュルケ。学び舎を共にする互いを信頼し合える大切で親友が共に戦っている以上、ルイズが戦うことを辞める訳には行かなかった。スコルポノックやラヴィッジ。信頼し、自分の命以上に大切に思っている使い魔達が身体を張って戦っている。その影に隠れて一人こそこそと安息を貪ることはルイズの誇りが許さなかった。

 

(そして、貴方のマスターは私なんだって胸を張って言えるようになれたら。――――貴方に臆面なく向かい合えるような私になれたら。その時は、)

 

 そして、メガトロン。最高の武器であり最高の使い魔であるメガトロンが居てくれる限り、ルイズが負けることはない。貫くべき自らの誇りとかつて夕暮れの丘で結んだ誓いを守るためにルイズがその歩みを止める訳には行かないのだった。メガトロンに対して自らを証明することが、無理やり召喚してしまった彼に対して払うべき最低限の敬意であると同時に責務だからである。

 

 

(貴方に謝りたい。本当にごめんなさいって。貴方に感謝したい。私の召喚に応えてくれてありがとうって。絶対に絶対に言ってみせるんだから。)

 

 

 記憶を収奪し、目指すべき悲願を強制的に忘れさせてルイズはメガトロンを使役している。その悲劇は一種の事故のようなものであったがそれでもルイズは自らが背負う罪に対して言い訳をしなかった。未練がましい言い訳はルイズが貫くべき誇りに含まれていない。使役してしまった過去を変えることが出来ないのであれば、前を向き未来を変えなければならない。その覚悟を以て、祈祷書に浮かび上がった文字をルイズは読み上げる。ルイズの中にある魔力と共鳴して浮かび上がったその文字は淡雪のように儚げで、呟かれたルイズの声音に反応してしとしととコックピット内に降り注いだ。

 

 

 ■

 

 ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ

 

 序文。

 

 これより我が知りし真理をこの書に記す。 この世の全ての物質は、小さな粒より為る。 四の系統はその小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化しせしめる呪文なり。 その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為る。神は我に更なる力を与えられた。 四の系統が影響を与えし小さな粒は、さらに小さな粒より為る。 神が我に与えしその系統は、四の何れにも属せず。 我が系統はさらなる小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化しせしめる呪文なり。 四にあらざれば零。 零すなわちこれ『虚無』。 我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名づけん。

 これを読みし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐものなり。 またそのための力を担いしものなり。 『虚無』を扱うものは心せよ。志半ばで倒れし我とその同胞のため、 異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。 『虚無』は強力なり。 また、その詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗する。 詠唱者は注意せよ。 時として『虚無』はその強力により命を削る。 したがって我はこの書の読み手を選ぶ。 たとえ資格なきものが指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。 えらばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。 されば、この書は開かれん。

 

 ■

 

 

 トリステインの命運を左右する一大決戦に臨んでいるというのにルイズは笑ってしまった。混迷を極める戦場においてあるまじき場違いな態度ではあるが、それでもルイズは笑わずにはいられなかった。事ここに至って、何故自身がメガトロンを召喚したのかという疑問が一部ではあるが、やっと氷解したからである。

 

『志半ばで倒れし我とその同胞のため、 異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。』

 

 何のことはない。ルイズとメガトロンは類似する目的を課せられた同志だったのだ。目指すべき目的もそこへ至るべき方法もメガトロンとルイズでは全く異なるが、それでも両者は本質的に同様の本懐を持っていた。

 

 目指すべき故郷復活の為に自身の持つ全てを捨てたメガトロン。

 虚無を継ぐ者として聖地奪還の悲願を課せられたルイズ。

 

 二人は結ばれるべくして結ばれ、出会うべくして出会った。召喚者と使い魔はサーヴァントの儀式を行う際、様々な要素を勘案して召喚者本人に類する使い魔が召喚される。ルイズとメガトロンの二人もその例外ではなかった。誰に定められたわけではなく、二人の出会いは必然だった。そして、二人の出会いがもたらす変化もまた必然である。

 

 ■

 

 以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。

 

 初歩の初歩の初歩。 『エクスプロージョン(爆発)』

 

 ■

 

 

 坦々とした呟きとは対照的に、ルイズから発せられる魔力の奔流は濃密なものだった。溢れ出る源泉のようにこんこんと噴出し、辺りに満ちる。そのコックピット内に満ちる魔力の大本は間違いなくルイズだった。ルイズはまるで歌うようにしてその詠唱を続けている。

 

(このエネルギーは何だ? 俺様の持つダークマターエネルギーとはまた一線を画すパワー。これまでに感知したどのような波動とも異なる力がルイズから発せられている。そして――――――何だ。俺様の中に何かが流れ込んでくる? エネルギーに含まれるこのヴィジョンは、光景は一体――――。)

 

 

 のびやかに淑やかに紡がれる言の葉を受けてメガトロンに刻まれたルーンが迸る切先のように瞬いた。自らが受け継いだその力を用いようとすることでルーンが反応し、メガトロンとルイズとの間に繋がれている経絡路がより太くなって交差する。普段は乾ききった水路のように行き来がない往来が久方ぶりの活況に沸きたった。交差した経絡路を通じて互いの思考が入り混じる。ルイズにはメガトロンの思考が流れ込み、メガトロンにはルイズの思いが流れ込む。

 

 ルイズの持つ誇り、気概、思い、想念。

 

(知っている。俺様はこの光景を知っている。だが――――何故だ。何故俺様はこの光景を知っているのだ。見たこともない光景を何故俺様は知っている――――?)

 

 そして、その身に背負う覚悟と責務。

 それらルイズの持ち合わせる心の全容を知った時、メガトロンの中に何かが芽生えた。その芽生えの発端はあの日、夕暮れの丘で始まった。巨大な力を見ても屈しない小さな尊さ。

 

 子供たちを守りたいと奮闘するマチルダや、友人を思うキュルケ。憎しみに身を焦がすタバサ。誇りに殉じたウェールズ。生まれ故郷を愛する健やかなシエスタ。そして、自らの誇りを貫くべくその身を窶すルイズ。

 

 メガトロンの中に芽生えた何かは、このハルケギニアにて出遭った人々が垣間見せるひた向きな生き様を通す中で次第に成長しメガトロン自身が自覚する以上に大きくなっていった。

 メガトロンは知らない。人間の持つ小さな尊さ。自身の中にある小さな萌芽。その光景が自身の親友であるトランスフォーマー。オプティマスプライムを想起させるものだということを。

 

 

「――――これが伝説に謳われた虚無の力。とても、私から生じているものとは思えない。でもこれが。このエネルギーが私の力なんだ。」

 

 

 メガトロンの献身的ともいえるサポートもあってルイズはその詠唱を無事に完了することが出来た。旗艦レキシントン号を中心とする戦列艦も、精兵揃いのアルビオン竜騎士隊も滑空をするメガトロンを手中に収めることは叶わない。最高の使い魔であるメガトロンはその存在自体が最高の武器を兼ねている。そのメガトロンを捉えることなど何物にも出来はしなかった。

 

 二つの秘宝と大量の魔力を依代とし、必要となる詠唱をくべることで虚無の魔法は完成した。コックピットに満ちる魔力と始祖の祈祷書に記載された文言が証明している。そして、ルイズも察することが出来た。この詠唱によってどのような結果が齎されるのかということを。

 

「――――――ッ。」

 

 刹那の間、ルイズは逡巡した。

 

 この場で踏みとどまるか、踏み出すか。その一歩は紙一重だが、その差は彼岸よりも遠い。年端もない少女には重すぎる選択肢ではある。だが、ルイズは決断出来る者だった。始まりの一歩を踏み出すことが出来る者。ありとあらゆる艱難辛苦をその身に背負い彼岸の果てを踏破する。それが、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブランド・ラ・ヴァリエールであり、虚無を継し伝説を紡ぐ者である。

 

(さようならワルド。――――――貴方は私の初恋だった。)

 

 そして、その決断は既に為されたものである。自身の初恋の人を自身の手で以て亡き者とした時、ルイズは永遠とも思える彼岸の果てを見た。湖に浮かぶ小舟の中でただ一人、孤独に泣いていた少女はもういない。自らの誇りと大切なものを守るために、ルイズは修羅の道を歩むことを選択したのだ。

 

 培った覚悟と責任が、その一線を踏破した。確かな覚悟と責任を以てその右腕を振り下ろす。右手指に嵌められたアルビオン王家の誇りがその選択を後押しするよう微かに瞬いた。

 

 

「――――エクスプロージョン――――」

 

 

 ルイズの右腕が振り下ろされたとき、それは忽然と現れた。コックピットに充満していた濃密なエネルギーが二つの秘宝を介して変換される。すると、一つの火球が現れた。音もなく前兆もなくそれは瞬き、そして内に秘められた赫奕とした極光を解放した。辺り一帯に撒き散らされた極光は目も開けられぬほどの強烈な光となって人々の眼を晦ませた。その極光は留まるところを知らず、遂には山のように巨大な旗艦レキシントン号をすらその内に飲み込んでしまうまでに至る。周囲を航行する戦列艦にまで影響を及ぼすところでやっと力を失ったようで、徐々に緩やかな勢いとなって落ち着いた。メガトロンのダークエネルギーに伍するとは言わないが、それに比肩しうる可能性を持った破壊の光。

 その影響力は絶大で、交戦を続けていたアルビオン・トリステイン両軍の切っ先を強制的に収めさせた。そうして、火蓋が切られた国家を左右する一大決戦はたった一人の少女の手によってあっけなく終了する。

 

 

 かつて夕暮れの丘にて一人の少女の強がりから始まった虚構の誓約は、虚無の再来という伝説の狼煙でもって幕を閉じることとなった。

 

 

 主従を結ぶに足る存在であると自身を証明できただろうか。ルイズは薄れゆく意識の中でそう考えていた。虚無の魔法は多量の魔力を消費する。もう一度今の魔法を行えと言われても無理だろう。それこそ、自分の命を消費するまでのことをしなければ余分の魔力は生み出せない筈だ。それこそ事を成し終えた今であれば考える必要のない心配である。心地の良い充足感がルイズを包み込む。やるべきことを成したのだという安息が脳髄の内側まで広がっていた。

 

 痺れるような安息をたっぷりと味わいながらルイズは思った。目を覚ました時、必ずメガトロンに謝罪をしようと。メガトロンの記憶を奪ってしまった事実をこれ以上黙っては居られない。一人の人間としてこの罪悪感から逃げ続ける訳には行かないとルイズは思ったからである。メガトロンは怒るかもしれないし、自分を見限るかもしれない。だが、それでも自分勝手な虚構を貫き続けることに比べればまだ増しである。

 加えて、ルイズにはこれまでの自分を乗り越えることが出来たという自覚があった。口だけは一丁前で、使い魔が戦う陰に隠れていたこれまでの自分とは違う。メガトロンの付属品だったこれまでの自分ではない、一人の戦力として戦うことが出来るようになった自分。自身の受け継いだ伝説を自覚した今であれば。かつて結んだ誓いを果たした今であれば。面と向かって臆面もなくメガトロンと向き合えるかもしれない。その朧げな希望的観測を以てルイズの意識は闇へと沈んでいった。まるで手招きをされた先へ導かれるように。

 闇はどこからともなく現れる。

 

 

「…………これで終わり。」

 

 

 そう小さく呟いて、タバサは狙撃銃に残された残弾を確認しながら燃え堕ちるレキシントン号の残骸を見やっていた。アルビオン竜騎士隊の注意を引くために戦列艦外延から離れていたため、あの極光に呑まれずともに済んだのだ。ルイズから行われた事前の連絡通り竜騎士隊の注意を引きつつ移動することには成功した。だが、まさかここまで劇的な展開になるとは戦闘経験豊富なタバサにとってもその結末は露とも予想できないものだった。旗艦とするレキシントン号を失って呆然とする残存のアルビオン竜騎士隊。その哀愁を誘う後ろ姿を同情の入り混じった目で見ると、タバサは救援活動に従事しているはずのキュルケをサポートする為にシルフィードに命令して目的の方向へ向かうようその舵を返した。

 

 

「ルイズ・フランソワーズ……? 凄い……まさか貴女が虚無を受け継いだ者だったなんて…………。」

「あの異質過ぎる使い魔もそれを暗に証明していたということでしょう。何の意味もなくあれほどの使い魔を召喚するとは考えづらいことですからな。たった一人で戦争を終結させるなど、伝説に謳われたガンダールブの再来のようです。この大戦果はそう考えなければ辻褄が合いません。これからも彼らがトリステインにとって貴重な礎となってくれることを祈りましょう。」

 

 

 アンリエッタは街道沿いに敷かれた陣の最奥にて、先ほど犠牲となったトリステイン竜騎士隊のように、アルビオン艦隊が燃え堕ちる木の葉となって全滅する様を呆然と眺めた。

 心ここに非ずといったアンリエッタとは対照的に並んで立つマザリーニはその光景を見て自軍の勝利を確信していた。制空権を欲しい儘としていた空軍の消失は現存のアルビオン陸軍にも強い衝撃を与える筈だ。空軍が大損害を被ったところで六万と五千という彼我の差は埋まらないが、ついさっきまで健在だった友軍が突如出現した謎の光を受けて大ダメージを受けてしまったのだ。アルビオン側が抱える精神なダメージは相当のものがあるだろう。ここで講和なり協定なりを持ちかければトリステイン側に有利な条件を引き寄せることが出来るかもしれない。手段はいくらでも残されていた。マザリーニはそのような現実的な視点に立脚して早くも次に打つべき方策を練り始めていた。

 奇しくもマザリーニの持つ考えはルイズが抱くものと同様だった。自軍の戦力と犠牲を勘案し、トリステインにとってどれだけ有利な条件を引き出すことが出来るか。それら現実的な視点を以てルイズとマザリーニはこれから迎えるだろうアルビオンとの第二ラウンドに臨む腹積もりであった。

 

 

 だが、来たるべき未来は二人が想定したものとはまるで異なったものだった。

 

 

 スコルポノックと小競り合いを起こしている部隊は前線にいる兵士達のみである。アルビオン陸軍が六万という大部隊であるが故に、混迷を深めはじめたこの戦場においても地上に展開する大部分の兵士は未だ一度も剣を交わっていなかった。スコルポノックと前線の兵士たちが、タバサと竜騎士隊達が交戦を続けている中にあって、手持ち無沙汰に待機を続けていた兵士たちの中から次々と戸惑いの声が漏れ始めた。あまりに急激に行われた目の前に広がる光景の変化に大多数の兵士たちは付いてゆくことが出来なかったからである。災厄とは、まるでタイミングを見計らうようにして最悪な時機を伴って訪れるからこそ災厄なのだ。

 

 

「……おいおい、さっきの爆発で友軍どころか勢い余って太陽まで吹き飛んじまったのか?」

「馬鹿野郎、幾ら凄い爆発だったからってそんなことが起こる訳ねえだろ。日食だよ日食。月が太陽と重なって一時的に日光が遮られているだけだ。」

「馬鹿はお前だ。日食が起こるのは数日先だ。月が太陽と重なるまでまだまだ日時があるのに太陽が陰る訳がないじゃないか。それに日食はもっとゆっくりだ。こんなに急に起こらねえよ。」

「…………じゃあ、…………あれは何なんだよ。」

 

 

 本来の日食であれば空が急に暗くなることはない。月と太陽が完全に重なるまで若干の猶予があるからだ。徐々に徐々に月が競りあがり日輪を完全に覆う。それが本来あるべき日食の経過だ。だが、アルビオン軍を含めタルブの草原に集った全ての陣営の前には奇怪な光景が広がっていた。本来では見ることが出来ない何か。あり得ない存在の異常がタルブの空を覆い尽くしていた。地上にいる兵士たちは皆白痴のように呆然と空を見上げ、唖然とする。それほどまで彼らの前に広がる光景は異常極まりないものだった。

 

 それは巨大な大孔だった。地上に展開している軍勢と太陽との間を遮るほどに巨大で、射し込んでいる日光を完全に遮蔽するほど濃密な闇を孕んでいた。大孔の輪郭線では強力なエネルギーが脈動し、溢れ出すマグマのように迸っている。輪郭線より中心には先の見えない濃縮した漆黒と果てしのない闇がどこまでもどこまでも広がっていた。その果てしのない闇が何を意味しているのか、その先に何が潜んでいるのか。この場にいる者の中でその救いのない終わりを知っているのはピンクブロンドの少女、ただ一人のみである。

 

 

「「………………。」」

 

 

 その様子を見て兵士たちが困惑してしまうのも無理はないだろう。旗艦レキシントン号が太陽のような光球の出現によって燃え堕ちた、と思ったら次に現れたものはその光球を塗りつぶすような闇だったからだ。制空権の喪失という衝撃も大きいが奇怪な闇の出現はそれ以上の衝撃を兵士たちに与えていた。煌々と輝いていた太陽が瞬く間に姿を消し、青々とした大空が果てのない闇に覆われる。放たれた眩い光が濃厚な暗黒に覆われる。そのような馬鹿げた現象など、ハルケギニアにあるどの建国史を探しても記載がないほど異常なものだった。その光景は神話の領域。ちっぽけな人間では介在することすら許されない 伝説の領域だった。人々はひたすらに怯えただ逃げ惑うだけである。

 

 その闇に対して困惑していたのはトリステイン側も同様である。両軍を隔てる堀を介して行われていた魔法の打ち合いも止み、空を覆う闇を前にして幾許かの静寂が訪れた。激しい戦闘が繰り広げられていたこれまでの雰囲気が虚構だったのではないかと思えてしまう程の不気味な静寂だった。だが、その静寂の向こう、薄皮を剥いだ内側には獰猛な暴力が息を潜めてその時を待っていた。眩い光から漆黒の暗闇へと塗りつぶされた兵士の眼窩。目の前に広がるありえない異常な光景。急激な変化に脳が追いつかない兵士たちが案山子のように呆然と突っ立っている中、その時は過たずやってくる。兵士たちの都合など一切鑑みることなく、終末の日は始まりの狼煙を高らかと歌い上げたのだった。

 

 

 闇から出現した終末、それは降り注ぐ鉄塊の流星群だった。

 トリステインとアルビオン。両軍が国家の趨勢を決める戦争を繰り広げる中、ハルケギニアの終末を告げる死が燦然と来臨した。

 

 

 

 

 


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