ゼロの忠実な使い魔達   作:鉄 分

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第二十五話 決別

 

 キュルケとタバサ、二人の手練れメイジを容易に完封できるほどの実力をワルドは持っている。最強の系統である風を極めたワルド。スクウェアクラスとしての頂に登り詰めたと自負するほどの修練と経験をこれまでに積んできていた。

 

 そのワルドだからこそ理解することが出来る。

 目の前にいる鋼鉄の猛獣。この獣の実力はスクウェアクラスである自らがその本領を発揮しなければ倒せない、と。礼拝堂をおぞましい咆哮が震わせる。鋸の様な乱杭歯を口内からのぞかせながら、鋼鉄の猛獣はその本能を剥き出しにしてワルドへ襲い掛かった。

 

 

 

「■■■■ッッ!!!」

「けだものが喚くなッ!」

 

 

 

 七人の偏在が瞬時に散開。礼拝堂内を所狭しと飛び回る。

 散開することで猛獣に攻撃の狙いを絞らせず遠巻きに攻撃を繰り返して削りとる。それがワルドの基本的な作戦だった。こちらが攻撃を仕掛ける側であり猛獣が逃げ惑い刈り取られる側だ、というワルドの思惑。ワルドの思惑そのままに、偏在それぞれが杖を構え自慢とする速攻を猛獣へ向けて叩き込んだ。

 

 

 

「「「「ライトニング・クラウド!!!」」」」

 

 

 

 紫電が滞空し濃密な魔力がその場に満ちる。四人の偏在が杖を振るうと四筋の電撃が迸った。

 ワルドが得意とする風系統の雷撃魔法だった。人間が直撃すれば間違いなく即死するほどの強力な威力を持っている。風を極めたスクウェアメイジのワルドが放てば威力は更に倍増である。大砲の弾丸よりも速いその稲妻を回避できる存在などいる訳がない。

 ――――その筈だった。

 

 

 

「ギィヤアアァアアァアッッ!!腕ッ?!腕がッ?!僕の腕がアアァアァアァアッッ?!!!」

 

 

 

 猛獣の背後に回り込もうとしていたワルドから絶叫が飛ぶ。

 持っていた杖ごとその右腕を齧り取られ、貪られた右腕の傷口から噴水のように出血していた。前腕から除く白い前腕骨がプラプラと揺れている。

 

 鋸の様な乱杭歯を噛合せながら猛獣は肉を磨り潰していた。ぐちゃぐちゃと筋繊維を切断し咀嚼する粘着質な音が猛獣の口内から発せられている。見れば元々猛獣がいたであろう場所には猛獣の足形が彫り込まれていた。石畳を削り取るほどの力を持ったその剛脚。巨体を覆い潰すようにして放たれた雷光、その悉くを猛獣は躱し切っていたのだった。

 

 信じられないものを見たとばかりに残りの偏在は驚愕の表情を浮かべている。一筋の悪寒がワルドの背中を走る。だが10年来の復讐をこの程度の慄然で諦める訳にはいかないのだった。杖を構え直し即座に自身の計画を修正する。

 散らばっていては猛獣の攻撃に対応しきれない、ならば――――、

 

 

「けだものがッ図に乗るなァッ!!」

 

 

 散開していた偏在を集合させ、ワルドは残った六人を使って二人組のペアを構築した。各個撃破を免れるため、一人一人ではなく二人一組で互いの動きを援護する。

 

 そして偏在全員が攻撃に回り猛獣を仕留めるという基本原則をワルドは捨て去った。

 全員の一斉攻撃すらこの猛獣は躱してしまうかもしれない、攻撃の後の隙をその都度狙われてしまっては最悪全滅も考えられた。

 ならばとワルドは覚悟を決める。幾つかの偏在を盾として使い捨ててでも猛獣を仕留める。致命傷を与えてしまえば如何な鋼鉄の使い魔だろうと再起不能にすることが出来るだろう、とワルドは新たに目論んでいた。

 

 

「「エアニードル!!」」

 

 

 風の刃を纏った杖が猛獣へ振るわれた。

 閃光の字名を持つワルドの刺突はその二つ名に違わない速度を持っている。左右からまるで鋏のような鋭利さで以てその息の根を断とうと猛獣へ迫った。間近に迫るワルドを前にして猛獣も黙してはいない。咀嚼していた肉片を吐き出して凄まじい吠え声と共にその巨体を躍らせる。

 猛獣と二人のワルドの視線が交差する刹那、紅の単眼が深い傷痕のように迸る。突き出されたエアニードルを鋸の様な乱杭歯が迎え撃った。網膜を焼切るような強烈な火花が散華する。交わされた数合の鍔迫り合いの後に、突き出したエアニードルが鋼爪によって弾かれる。そして、

 

 

「グギャアァアアァアッッ!!」

 

 

 勢いそのままに飛び掛かる猛獣はワルドの顔面を貪った。痛みのあまり偏在は絶叫を上げて石畳を転げまわった。もう一人のワルドもエアニードルを振るって猛獣に襲い掛かるが、全身を覆った鋼鉄の装甲が風の刃を通さない。ただの鉄であればワルドに傷つけられない訳がない、だがワルドが相手取っている猛獣はハルケギニアには存在しない超硬を誇る金属生命体である。一人は腕を食い千切られもう一人は未だ苦戦を強いられている。

 

 だがそれはワルドの計略の内だった。

 

 依然猛獣と剣戟を交わしあっている偏在が、突如として何処かへ杖を放り投げていた。杖を無くし無力化した偏在、その隙を猛獣が見逃すことはない。肩の肉ごと首筋を噛み千切ろうと鋸の様な乱杭歯を突き立てる。大量の鮮血を吐 き出した偏在だったが、首筋を食い千切られそうになりながらもニヤリとした笑みを浮かべている。

 ―――――そして、

 

 

 

「ゴボォッ!い゛ま゛だッ!!!」

「「「「エアハンマー!!!」」」」

 

 

 一人のワルドが合図を出したと同時に残り四人のワルドが一斉に杖を構え魔法を放つ。

 空気の鉄槌が混ざり合いまるで一塊の波濤のようにして押し寄せる。身動きを封じるためか、首筋に食いつかれながらも偏在は猛獣に抱きついていた。

 

 偏在を囮として使い捨て、猛獣諸共魔法を命中させる。如何に猛獣だろうと四連のエアハンマーが直撃すればただでは済まない、与えた損傷を利用して四人が一気呵成に魔法を叩き込み決着をつける、というワルドの計画に抜かりはなかった。

 

 猛獣は押し寄せる波濤を回避しようとするが、そのワルドの目論み通り偏在が重石となって有する敏捷性が殺されていた。抱きつかれたままその場を動こうとしない猛獣。その様子を見て四人のワルドは魔法の直撃を待たずに追撃を仕掛けようと即座に前へ出た。

 だが、その性急さが仇になる。

 

 

 

「何だとッ?!!」

 

 

 

 ワルドの死体だけが、波濤の直撃によって石壁に叩きつけられていた。直撃の影響によって巨大なローラーに均されたように肉体がぐずぐずに潰されている。

 猛獣は何処へ消えてしまったのか、とワルド達は急ぎ辺りを見渡すが、重石になっていた偏在を踏み台として波濤の直撃を猛獣は既に回避していたのだった。

 

 剛脚を弓形に撓らせながら跳躍、銀影を浮かび上がらせるその巨体を中空へ躍らせる。ギョロリと動く紅の単眼が遥か高所から得物を見下ろしていた。後脚部へ搭載されたガトリングガンがワルドを追尾し、一瞬の内に狙いを定め火を噴いた。乱射された無数の鋼弾が雷光のように迸る。

 

 降り注ぐ鋼鉄の雨によって次々とハチの巣状に刳り貫かれていく偏在達。

 

 前進を選択し意識を前方へと集中していたため、偏在達は急な回避行動をとることが出来なかった。一瞬早く躱していたためワルドは刹那の差で命拾いをしていた。だが原形を留めていない見るも無残な偏在達、その惨状を見て本体のワルドは自身の命の危機を悟る。

 多種類のセンサー群を搭載している猛獣に身代わりは通用しない。どの偏在が本物なのか、容易に見抜き本体のみを常に目標として猛獣は攻撃を加えていた。本物のワルドが生き残ることが出来たのは、偏在を盾として使い自身の身を常に守っていたからである。

 だが、猛獣の手によって偏在は全て失われてしまった。残るワルドは本体のみである。偏在を再び作り出す呪文詠唱の間を猛獣は与えてくれないだろう。ワルドの運命は定まってしまったように見えた。

 しかし、

 

 

 

「けだものがァッ!!動くなッッ!!これが見えないのかァッ?!」

 

 

 

 ワルドの叫びが響き渡るとガトリングガンの連射が停止した。

 見れば白い前腕骨をプラプラとぶら下げた隻腕のワルドがルイズを拘束している。その腕を貪られた一人目の偏在。猛獣によって腕ごと砕かれたはずの杖をどうしてか持っている。恐らくは猛獣の重しになった偏在が放り投げた杖を新しく手に入れたのだろう、錬成されたゴーレムとは異なり一人一人が本人その物である偏在の魔法だからこそ出来た捨て身の裏ワザだった。

 

 隻腕のワルドは風の魔力を纏った杖をルイズに突き付けている。ほんの少しでも力を込めればルイズの首筋は切り裂かれてしまうだろう。猛獣の動きが留まったことを確認して隻腕はニタニタと笑みを浮かべている。貪り取られた右腕が痛むのかびっしょりと玉のような汗を張り付けていた。

 

 

 

「ラヴィッジッ!!私はどうなってもいいから!!ワルドを倒してッ!!」

「五月蠅いッお前は黙っていろッッ!!」

 

 

 ルイズは叫ぶが、隻腕のワルドの手によって石畳へ叩きつけられてしまう。

 その衝撃でルイズの脳天に星が廻った。ルイズからは見えていないが鼻から少なくない量の出血も確認できる。

 しかし、叩きつけられた衝撃に喘ぐ暇もなく、石畳に倒れ込んだルイズの上からワルドが覆いかぶさる。魔法の使えないルイズだからとてワルドは一切の遠慮をしなかった。強烈な猛獣への狼狽からワルドも保てる余裕が殆どないのであろう、拘束の手腕を緩めようとはしていない。

 膝を起点として背中に体重を乗せた状態でルイズは拘束されていた。身動きすることすら叶わず、僅かに呻きを漏らすことしか出来なかった。

 

 

 

「私はどうなってもいいからッ!!」

「このッ!黙れと言っているんだッッ!!」

「う゛ああッ、」

「よーしよしよし、」

「ハハハハッ、そうだいいぞ!!そのまま動くなよ?動けばどうなるか分からないからなお前のご主人様をズタズタに引き裂くことなんか簡単に出来るんだぞ?」

 

 

 

 

 そのルイズの姿を見て、つい先ほどまで礼拝堂内を縦横無尽に暴れまわっていた猛獣は借りてきた猫のようにおとなしくなってしまった。

 

 石畳とワルドの膝に挟まれてルイズの身体はミシミシと悲鳴を上げている。しかし、その身体の悲鳴を無視してでもルイズは叫ばずにはいられなかった。不甲斐無い自分が原因となってラヴィッジが集団で甚振られるなど、想像することすらルイズには耐えられなかったからである。

 

 猛獣が動かない合間を使ってワルドは杖を振るい失われた偏在を再び生み出した。十全に魔力は残っていなかったのか、七体全てを再生産することはしなかった。だがそれでも五人の偏在が散開し、猛獣へ向けて杖を向けている。

 

 

 

「そんな!どうして?!わたしのことなんて何も考えなくてもいいのよッ?!」

 

 

 

 動かなくなってしまった猛獣へ向けてルイズは猶も叫び続ける。

 だがそれでも猛獣はその場を動こうとはしなかった。

 皮膚をびりびりと刺激する程の濃密な魔力がその場に満ちる。呪文詠唱が終わり五人のワルドは杖を振り下ろした。その場に満ちていた全ての魔力が猛烈な雷撃へと変換され、放たれる。ライトニングクラウドよりも更に強力な威力を誇る風系統呪文がその場を動こうとしないラヴィッジへ向かって餓えた獣のように突進した。

 

 

 

「「「「ライトニング!!!!」」」」

 

 

 

 五人のワルドが放った紫電の剛槍は過たず命中し猛獣を撃砕した。

 轟然たる稲妻が迸り次々と猛獣へ降り注ぐ。猛獣の全身は鋼鉄によって構成されている。伝導体であるその身体は雷撃にとっては最適なターゲットであった。雷撃は猛獣の全身を指先から足先まで隙間なく蹂躙し、ダメージを蓄積させていった。

 

 ラヴィッジは凄まじい俊敏性を持っているが、反面その防御力は余り高くない。

 その俊敏性が発揮されている限りは防御力の低さが問われることはない。だが現状は違った。如何に全身が鋼鉄で出来ている金属生命体でもその生命としての限界は存在する。濃密な魔力が練り込まれた雷撃は相応の威力を持っている。回避することを禁じられ連続でその雷撃を食らい続けるラヴィッジは確実に死へと近付いていた。

 

 抵抗を封じられただただ痛めつけられている自身の使い魔を見てルイズの心は張り裂けそうになっていた。

 夥しい電影は鋼鉄の身体を彩り続ける。

 ルイズの叫びが瀕死のラヴィッジへ届くことはない。

 

 

 

 

「ラヴィッジッ!!」

 

 

 

 

 何故ラヴィッジはワルドに従ったのだろうか、それはラヴィッジ本人も分からなかった。

 ラヴィッジの思考は下された命令を達成することのみに傾注されている。無駄な感情や余分な思考をラヴィッジが抱くことはない。実際にキュルケやタバサが手酷く痛めつけられようと、ラヴィッジは何も感じなかった。ルイズの身辺警護という下された任務にはキュルケやタバサの命は含まれていないからである。

 

 ルイズがワルドに取り押さえられようとラヴィッジは慌てていなかった。この状態からでもワルドを倒し十分にルイズを奪還することが出来るだけの戦闘能力をラヴィッジは持っている、恙無くワルドを倒し任務は無事に達成されることになる。

 

 

 ただし、それはある程度までのルイズの負傷を考慮すればの場合であった。

 

 

 隻腕のワルドは杖をルイズに突き付けている。如何な手段をとったとしても無傷のままルイズを救出することは不可能だった。至極当たり前で当然の結論。順当に思考パターンを進めこの考えに辿り着いた時、ラヴィッジは動くことが出来なくなってしまった。猛獣の無意識が反応したのか否かは判然としない。

 

 無機質で無感情の金属生命体ラヴィッジ。

 忠実なディセプティコン兵である彼にいったい何が起こったのであろうか、

 

 如何な犠牲を払おうと任務達成を至上のものとするこれまでのラヴィッジでは考えられない行動の変化である。召喚されたあの日から始ったルイズと過ごしたこれまでの日常が、何かの影響をラヴィッジへ与えていたのかもしれない。ルイズへ危害が及ばないように自らに縄をして首輪を嵌めた猛獣は、どこまでも健気で相手の攻撃をただ耐えているその姿はどこまでも哀愁を誘った。

 

 

 

 

「「「ライトニングクラウド!!!」」」

「「ライトニング!!!」」

 

 

 

 

 依然として降り注ぎ続ける雷閃の雨。

 とうとう強烈な電撃に耐えきれなくなったのか、躯体の各部から饐えた黒煙が登り始める。深い傷痕のように迸っていた紅の単眼が終いには点滅し始めた。ラヴィッジが死の淵に立たされていることを証明しているのだろう、今や身じろぎすらしていない。迸る雷撃に抵抗することすら出来ないのか蹂躙されるがままに身体を委ねていた。

 

 

 か細い声を上げて鳴いているラヴィッジを見てルイズは泣いていた。零れる涙は止まらずに瞳を濡らしている。襤褸の様に使い魔が痛めつけられていても、ただ黙って見ていることを強制される。

 

 そのルイズの瞳を無力感が支配する。

 

 自身の無力さを呪う気持ちは煌々と煌めいていたルイズの瞳を曇らせた。意思の強さを感じさせた瞳の光が分厚い雲に覆われる。その様子をワルドは見逃していなかった。ルイズの瞳に宿る強い意志を挫かせることで、ワルドはその清廉な軛からようやく解放されたのだった。

 

 

 

「ハハハハハハハハハハッッ!!アッハハハハハッッ!!やった!!やったぞォッ!!とうとう穢してやった!!僕は解放されたんだァッ!!!自由だあゝッッアッハハハハハッッ!!」

 

 

 

 十年来の悲願を達成した喜びは如何ばかりか、狂喜に震えながらワルドは快哉を叫んだ。

 乗り越えるべき障害、決別するべき過去は音を立ててワルドの前から崩れ去った。十年越しの悲願を達成し自身の勝利を確信したワルド。その昂ぶりを抑えきれていないのか、今もなおこれまでの鬱憤を晴らすようにして雷撃を浴びせ続けている。

 

 まるで狂ったようにして猛獣へ向けて魔法を放つ、最早ワルド達はルイズを見ていない。杖も持たない幼い少女であるルイズなどどうとでも出来ると思っているのだろう。ルイズを拘束していた隻腕のワルドまでもがその凌辱に参加していた。

 

 

 大切な使い魔がこれでもかと暴虐の嵐を浴びせられているにも拘らず、助けることも何かをすることすら出来ない自分。そのあまりの悔しさからルイズは口内を噛みしめていた。皮膚を噛み切ったのかジワリと舌の上に滲む鉄の味。口の中に染み渡る生暖かい液体を躊躇わずルイズは一息に飲み干した。

 

 自身の目の前でウェールズ皇太子殿下が心臓を貫かれようと、大切な友人であるキュルケとタバサが赤子の手を捻るように叩き伏せられようと、その最後の一歩を踏み出す覚悟を抱くことは出来なかった。

 

 だが、自身の大切な使い魔の存在がルイズの中で一線を踏み越えるその覚悟を固めさせた。集団で痛めつけられるその様子が、無抵抗を強いられるその悲哀が、苛まれ悲鳴をあげるその身体が、淀んでしまったルイズの瞳に失われた光を取り戻す。

 

 聡明なルイズが今まで持ち得なかった漆黒の光。

 澱のように溜まっていくどす黒い感情が清いだけだったルイズを更なる高みへ導いた。

 

 

「ハハハハハッッアッハハハハッッこのけだものがァッ!!よくも僕の身体に傷をつけたなその報いだ思い知れェッ!!」

 

 

 生まれ持った清廉さと培った憎しみが混ざり合い、渾然一体となって昇華する。

 再び火を灯したルイズの瞳、復活したルイズはその右腕を自然太股へと添えていた。

 

 スカートの陰に隠されたその鉄塊を、ゼロと蔑まれていた以前までのルイズは所持していない。

 右太股に吊られた鉄の塊が、その肌から伝わる鉄の質感が教えてくれる。

 

 ヴァリエール伯爵邸に設けられた中庭、誰も訪れない湖に浮かぶ小舟その中でただ一人孤独に泣き伏せる少女はもういない。

 

 その肌に触れる鉄の質感。揺るぎのない確かさをそのままに新しい力をルイズは構えた。

 隻腕を加えた六人のワルド、そのどれが本物なのかをラヴィッジの残した爪痕が教えてくれる。

 頬に傷跡が刻まれているそのワルドへ向けてルイズは照準を定めた。

 培った覚悟と責任が、その指先を動かす。

 

 

 

「う、ううう、……う゛あ゛あああああああッッッッ!!!!!!!」

 

 

 

 頬を伝う落涙をそのままにルイズはトリガーを引き続ける。

 溢れる涙は視界を歪めるがこれまで積んできた修練を身体は忘れていない。留まることなくあとからあとから涙は頬を伝い続ける。その頬を濡らす涙にはどのような感情が込められているのだろうか。ラヴィッジを助けたい、ワルドが憎い、新しい力への喜び、そしてそのどれでもない決別の気持ちをも洗い流すようにして湧き上がり続けるルイズの涙。

 だがどれだけルイズが涙を流そうが、銃口の照準を定め撃鉄を戻しトリガーを引く、何度も積み重ねてきたこれら一連の動作は僅かの齟齬もなく滑らかに行われ続けた。

 

 

 

「あ…………?、え?」

 

 

 

 何が起こったか分からないというように、ワルドは呆然としていた。

 何かが焼け焦げたような生臭い匂い。その匂いが身体にぽっかりと空いた銃創から漂っているのだとワルドが自覚した時、その場にいた偏在が掻き消えるように霧散した。

 

 心臓の拍動と共にどくどくと血液が溢れ出る。赤い奔流は留まることを知らずあっというまにワルドの体力を奪い取る。胴体の急所に四発、杖を持っていた利き腕に一発の銃弾が撃ち込まれている。残された腕を使ってワルドは必死に傷口を押さえているが血が止まる気配はない。痛みを堪えるように顔を顰めるが、余りに強い痛みを身体が受け付けていないのかもしれない。ワルドは苦痛よりも困惑の表情を浮かべていた。

 それも当然だろう、スクウェアメイジである自分が何者かに倒される、それも魔法すら使えない幼い少女に倒される姿など誰が想像できるだろうか。

 残弾の数を確認しながらルイズは無造作に歩を進めワルドの脇へ立つ、そして取り戻した瞳の光をワルドへ注いでいた。しかし、ワルドはルイズを見ていない。ただ只管に何が起こったのか分らないと困惑し続けている。

 

 

 

「ゴホッゲボッ、これは……?何…で?………僕、の身体………が?え?」

 

 

 

 ワルドが歪んでしまったのは何故だろうか、始まりは本当に些細なことだった。

 ワルドは人一倍出世欲の強いごく普通の青年だった。

 より多くの権威と名誉が欲しいと願うごく普通の性格が災いし、ワルドは自領地にほど近い大領地を誇るヴァリエール伯爵家に狙いを定めることにした。

 

 

 ヴァリエール公爵家が誇らかな三人の娘たち。

 その中で最も年が近く容易に誑かせそうな出来の悪いお転婆な末娘。

 領地を並べるフランシス家とヴァリエール公爵家との交流が深まる中で、その末尾に名を連ねるルイズにワルドが粉をかけようと狙いを定めるのは当然のことだろう。

 

 

 何れの日かヴァリエール家に取り入って所有する資産と名誉を掠め取る。

 浅はかだが明確なその目標のためにワルドはルイズを拐すことに決めた。手慣れた様子でルイズに接近し、あらん限りに褒めそやす。土砂降りの様な自己肯定の雨。この年代の女の子に対しては効果は覿面だろう。

 

 

 幼いとはいえワルドも貴族の一員である。歯の浮くようなセリフを駆使して女性を籠絡する技術など当然のように身に着けていた。整った容姿という素養もワルドは持ち合わせている。周囲に対する気配り等々抜かりはなかった。

 お転婆な末娘など簡単に取り入れる。ワルドはそう確信していた。

 

 

 

 

「子爵様の御心、その何処を探しても私は見当たりませんわ、」

 

 

 

 ヴァリエール公爵家が主催した何時の日かのパーティー。それに参加した折ワルドはその言葉を送られた。

 心の内を見透かすような清廉な瞳。ワルドから投げ掛けられた数々の讃嘆がまやかしであるとルイズは早々に看破していた。出来が悪いと周囲から疎んじられている少女。その利発さを初めて見出したのがまだ若きワルドであったことはこれ以上のない皮肉だろうか、

 

 

 身体を支えている心芯に一筋の亀裂が生まれる感覚。

 

 

 お転婆でじゃじゃ馬だと見下していた少女のその言葉。思えばそれが契機となってワルドの歪みは成長を始めたのかもしれない。その後どのような手管をもってしてもワルドはルイズを自身の影響下に置くことは出来なかったし、どれだけ努力を積み重ねようともその清廉な瞳の光を忘れることは出来なかった。周囲が理解出来なかっただけでルイズは生まれ持って明達だったのである。

 

 

 

 ワルドがどのような経緯を経て組織へ加入するに至ったのか、それは誰にも分からない。

 ハルケギニア全土を支配し聖地奪還を掲げる組織、レコン・キスタ。

 ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。

 他人より偉くなりたいという強烈な願望を生まれ持っていたが故の屈折した欲求か、はたまた自身を射竦める清廉な瞳からの脱却を実現するためか、トリステインに誇る魔法衛士隊グリフォン隊隊長を務めながらもワルドは組織の重要な先兵を担っている。

 

 

 ワルドが所属するレコンキスタという組織にどのような目的があるのか、その組織に所属しているワルドには背負う何かの理由があるのではないか、とルイズは考える。

 だが、最早そんなことは関係がないのだった。

 ウェールズを殺し、仲間を痛めつけ、使い魔を瀕死に至らしめた張本人であるワルド。

 ルイズが抱く漆黒の意思が情状酌量の余地を許さない。

 ただこれまでの修練の成果を繰り返すだけである。

 

 

 

「貴方が私に向けていた好意は全部嘘っぱちで、虚構なんだって分かってた。けれどワルド。どんなに苦しくても諦めず直向きに修練を繰り返していた貴方は嫌いじゃなかったわ。まともに魔法が使えない私がそれでも魔法の練習を継続し続けることが出来たのも、模範として貴方の姿を見ていたお蔭かもしれない。そのことだけは感謝してる。」

 

 

 

 弾を込め直し、額に銃口を密着して突き付ける。

 リボルバーの弾倉が回転しその時が来たことを示していた。

 

 

「さようならワルド、貴方は私の初恋だった。」

「ま、まってく――――ッッ?!」

 

 

 

 トリガーを引くルイズの顔は驚くほど冷静だった。

 自分が何を思い、何を為そうとしているのか。その事実をしっかりと把握し受け止める覚悟をルイズは持っていたからである。自らの平静を保ち、額から流れ出る血液の筋を確認する。燻る消炎の煙がルイズの鼻腔をくすぐった。

 

 手元から伝わる確かな手応えと石畳に飛び散る白い脳漿がワルドの絶命を教えてくれる。

 暴走を始めたワルドの狂気は、狂気の原因となった少女の手によって止めを刺された。

 まるで初めから定められていたような自然な結末、その様子を見届けるものは誰もいなかった。

 

 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ヴァリエールはここに生まれて初めて人を殺めた。

 それは偶然でも避けることのできない事故でもない、確かな覚悟と自らの意思で以て行われた明確な所業。

 自らの誇りと大切なものを守るために、ルイズは修羅の道を歩むことを選択したのだ。

 

 脳天を射抜いて打ち倒されたワルドと共に、湖に浮かぶ小舟の中で一人孤独に泣いていた少女もこの場で失われてしまったのかもしれない。自分だけが知る拠り所、その秘密の場所を必要とする少女はもうどこにも見当たらなかった。

 寒風を浴びる岩稜のような高潔さと清廉さ。その雰囲気を身に着けた現在のルイズを見てただの幼い少女だと評する者は恐らくいない。

 

 

 

 

 

 確かな覚悟を持った者だけが、伝説を紡いで行くことが出来る。

 その覚悟を手に入れたルイズによってここにハルケギニアに語り継がれる伝説の幕があがった。

 開幕の狼煙は朗々と、そしてどこまでも凄惨に血塗られていた。

 夥しい血に塗れた茨の道を。氷点下まで冷却された十字架、その覚悟を持ってルイズは進むことになる。

 

 

 

「おい!!ここにまだ残党が残ってるぞォッ!!!」

 

 

 

 戦場の足音が礼拝堂にまで及んでいた。ニューカッスル城は反乱軍の手によって陥落したのだろう。ニューカッスル本棟より最も離れたこの礼拝堂にまで戦火が届いていることが何よりの証拠だった。ワルドの加入していたレコンキスタという組織と反乱軍との間にどのような関わりがあったのか、ルイズには分らない。だが六万人を僅か300余りの人員のみで相手取った王軍側は既に壊滅しているだろうことだけは理解することが出来た。

 

 

 

「おい!こいつ杖を持っているぞ!!メイジだ!気を付けろよ!!」

 

 

 

 礼拝堂の中には続々と傭兵たちが集合していた。

 ニューカッスル城にて餌にありつくことが出来なかった者たちがせめてものお零れに与ろうと報奨金目当てに残党狩りへ精を出しているのだろう、眼を皿のようにして金目のものがないかを確認している。

 礼拝堂内には今ルイズの仲間は誰一人いなかった。キュルケやタバサは未だ意識を取り戻しておらず、ラヴィッジとウェールズも地に倒れ伏している。所持していた弾丸は全て打ち尽くしており太股に吊られている拳銃は文字通りただの鉄塊になってしまった。

 だが礼拝堂内にいくら傭兵たちが集結しようとルイズは一切慌ててていなかった。ウェールズ以外のアルビオン王族や忠臣の人々も各々の誇りに殉じることが出来ただろうか、と危機感すら抱かず思案に耽る姿はいっそう清々しかった。

 

 

 傭兵たちはルイズを囲みじりじりとその距離を詰めている。

 何れ倒れ伏しているキュルケやタバサにも気づくだろう。ワルドの脅威を退けることが出来たルイズたちだが、再びその命が失われる瀬戸際に追い込まれていた。

 

 

 そしてルイズは選択をする。

 

 

 人の生命がまるで玩具のように扱われる凄惨な世界。その修羅の道を歩むには早すぎる年齢だった。

 しかし、自身の誇りと大切なものを守るために、最早ルイズは自らの意思で修羅の道を歩み始めたのだ。

 傭兵たちへ向けてその右手を振り下ろす。

 清と濁を併せ持ち渾然一体となした瞳の光はそのままに血塗られた伝説の幕があがった。

 

 

「彼らを殺しなさいッ!メガトロンッッ!」

 

 

 確かな意思と覚悟を以てルイズは命令を下した。

 それは使い魔召喚の日、あの草原の丘で召喚契約を結んでから初めてのことだった。覚悟と責任を備えた今であれば命令できる。鋼鉄の使い魔を使役するとはどういうことか、ここに来てルイズは初めて理解することが出来た。

 

 

 

「あ?、めが……何?、こいつは今何を言った――――ッッ?!!!」

 

 

 

 そうしてルイズと最も距離が近い場所にいた傭兵は全身を引き裂かれ四散した。

 天井を踏み抜いて礼拝堂に破壊が現れる。出現したのは死と破壊を司る破壊大帝だ。

 鋼鉄の装甲が全身を覆うその巨人の登場は傭兵たちの末路の決定を意味していた。

 

 引き千切り、叩き潰し、両断し、目の前の得物を肉塊へと加工する。

 

 吹き荒れる鋼鉄の暴風、重装の傭兵十数人が血煙となって跡形もなく消えていく。

 悲鳴を上げる間すらもそこには存在していない。この鋼鉄の巨人は何なのか疑問を差し挟む隙間すら生まれなかった 。

 体軸を中心に身体を旋回、エナジーブレードとチェーンメイスが豪風と共に唸りをあげる。叩きつけられる鉄塊は傭兵たちをその場の石畳ごと刳り貫いた。麦を刈る農夫のようにメガトロンは破壊を振るう。メガトロンの本性は破壊そのもの。降り注ぐ自然の雨を躱すことが出来ないようにメガトロンの破壊から逃れられるものは存在しない。周囲に飛び散る臓物の雨。元々が人間であったことを示す欠片すら残すことなく傭兵たちはこの世から消え失せる。 十数人いた傭兵たちは瞬く間に肉へと変わった。

 元々が何だったのか、分からなくなったそれらの肉を見て思わずルイズは吐瀉物を吐き出してしまう。

 

 

「……………ッ!」

 

 

 胃袋から込上げる酸性の液体が内側から咽喉を焼いている。遠ざかりかける意識に手綱を付け、倒れ込もうとする身体をルイズは必死で支えた。

 壁にへばり付いている砕かれた脳漿、血溜まりの中には誰とも知れない内臓がプカプカと浮いている。

 始祖ブリミルへ祈りを捧げる神聖な礼拝堂は凄惨な地獄絵図と化していた。

 

 

 この世のものとは思えないほどのおぞましい光景。その残虐さは疑問が割り込む余地などなく破壊大帝の所業である。イーグル号の護衛任務より戻ったメガトロン。まるでルイズの命令に同期するように存分とその破壊をもたらした。何故メガトロンがルイズの命令を受諾したのか、もしかすればルイズが獲得した覚悟と責任を、ルーンを通じてメガトロンも感じ取っていたのかもしれない。

 

 夥しいほどに散らばった肉片、吐き気を催す惨澹を見てルイズは荒い息を吐いていた。

 目の前の光景を生み出したのは全て自らの意思であることをルイズは深く肝に刻んだ。

 背負わなければならない罪に言い訳はしない。

 メガトロンはただ実行しただけでありその意思と責任はメイジである自分が一身に担わなければならないのだ。

 その現実をルイズは受け止めなければならなかった。

 

 

 

 メガトロンとルイズは互いの手を取り合った。身体中が共に血と肉と皮に塗れている。

 全身を朱に染めた鋼鉄の巨人と可憐な少女。互いが手を結んだその光景は美しくそしてどこまでも凄惨だった。

 既存の道徳に泥を投げ掛けながらも、野に咲く草花のように素朴で美しく、大地に張り巡らされた樹木の根のようにしなやかな強さを持っている。

 

 

 

 血に塗れるメガトロンの手を取って、ルイズはその意識を手放した。

 メガトロンを見て安心したのか、それとも皆の命が救われたことによる安堵なのか、はたまた血肉塗れた目の前の凄惨な光景に耐えきれなくなってしまったのか、そのうちのどれかなのかは分からない。力を失った身体は崩れ落ちるようにしてメガトロンの手の中に収まった。

 

 倒れ込んだルイズを見てメガトロンは僅かに目を細める。そして手中のルイズ、壁際にいるキュルケとタバサ、全身が傷だらけとなったラヴィッジをメガトロンは自身の身体に積み込むと、踵を返してウェールズを見据えた。

 

 ウェールズを敬うように恭しい態度で亡骸に接するメガトロン。

 ワルドの一撃によって千切れとんだマントを掴み、ウェールズの亡骸へ丁寧に被せる、そして言った。

 

 

 

「国を思い民を愛する、王族としての誇りに殉ずるといった貴様の声音は震えていたな。滲み出る怖れを隠しきれていなかった。」

「だが言葉の鎧は立派だ、その勇気は賞賛に値する。」

 

 

 

 メガトロンのその視線には人間を見下すような侮蔑の色は一切含まれていなかった。

 無残に打ち倒されたウェールズ、その亡骸から何かの価値を見出すことが出来るものは殆ど存在しない。だがここに一人、何かを見出すことが出来る存在がいた。それが人間でなかったのは高慢な貴族たちへの良い皮肉となるだろう。

 

 血と肉と皮に塗れた鋼鉄の巨人。死と破壊を司る破壊大帝。破壊を本性とするメガトロンだからこそ理解できるものもある。ウェールズの死様にメガトロンは誇りの尊さを垣間見ていた。その誇りの尊さはメガトロンですら壊せない。今もそしてこれからもウェールズが殉じたアルビオン王族としての誇りは燦然と輝き続けるのだった。

 

 

 

 

「見事だウェールズ。このメガトロンが見届けた、貴様の誇りは本物だ。」

 

 

 

 投げかけられたその言葉。

 メガトロンが主従契約を結んでいる少女と奇しくも同様のものだった。

 人型からエイリアンタンクへトランスフォーム、礼拝堂屋根を突破してエイリアンタンクはアルビオンを脱出した。後部の巨大なスラスターノズルが青白い猛火を噴射する。グングンと加速しエイリアンタンクは疾風よりも早く飛行する。

 

 コックピットにはルイズたち三人が折り重なるようにして詰め込まれている。

 少女たちはアルビオンへ出発した時よりも遥かに傷つき疲労していた。しかし、立派に最後まで戦いきったという自負が少なからず影響していたのかもしれない。その意識を取り戻していないにも関わらず、少女たちは何処か満足げな表情を浮かべていた。浮遊大陸アルビオンの姿は徐々に小さくなっていた。

 

 幾多の試練を潜り抜け、ルイズたちは今ここにいる。

 

 ルイズが意識を取り戻し、コックピットから振り返った時にはアルビオンは既に雲の中へ姿を隠していた。風と共に過ぎ去っていく浮遊大陸アルビオン。様々な出来事を齎したその旅路をルイズが忘れることはない。

 

 

 

 

 

 


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