理想郷の皇帝とその仲間たち   作:海豹のごま

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百七十七話 バロンの真意

 

 

 一方、アルスと楓は、造物主の使徒たる(クゥィントゥム)との激戦を繰り広げている真っ最中だ。

されどアルスたちの旗色はよくない。何故ならクゥィントゥムは肉体雷化し、超高速で動き回れるからだ。

 

 

「どうした? その程度か?」

 

「くっ…………流石は造物主の使徒……ってところか……」

 

「これは……、かなりの難敵でござるな……」

 

 

 まるで分身しているかのような速度で動き、強力な魔法を放つクゥィントゥムに、アルスたちは追い詰められていた。

 

 クゥィントゥムはアルスたちから少し離れた前の方でふわりと浮かびながら、彼ら二人を見下ろして余裕の態度を見せる。

 

 アルスはすでにかなりのダメージを負っており、致命傷を受けていないだけマシという状況で、片手を地面につきながらクゥィントゥムを眺める。

それは当然タッグを組んでいる楓も同じであり、膝をついてクゥィントゥムを睨みつけていた。

 

 

「そろそろ終わりにさせてもらおうか。”轟き渡る雷の神槍(グングナール)”」

 

「ナメてもらっちゃこまるぜェ!」

 

 

 クゥィントゥムはもはや彼らにとどめを刺すだけという様子で、ならば最後にしようと”轟き渡る雷の神槍(グングナール)”を作り出して握りしめる。

 

 轟き渡る雷の神槍(グングナール)は雷の魔法で作り出されたかなり長くスマートな形の槍だ。

”魔装兵具”と呼ばれる魔法の一種で、雷系最大の突貫力を有している。

 

 しかし、アルスの目はいまだ諦めてはいない。

ここで諦めるのならば、最初から行動などしていないからだ。

 

 

「行くでござるよ! ”影分身”!!」

 

「ああ! 行くぜ!」

 

 

 だからこそ、この危機的状況でさえも立ち向かう。それは楓とて同じだ。

楓はすぐさま自分と同じほどの気配を持つ影分身を16体ほど作り出し、それとともにクゥィントゥムへと距離を詰める。

 

 アルスもすでに行動を起こし、魔力強化を再び行いクゥィントゥムへと挑む。

そこでアルスは炎属性の魔法の射手を301発ほど即座に作り出し、クゥィントゥムへと発射。

 

 

「魔法の射手? この程度では」

 

 

 されど、クゥィントゥムはそれをたやすく回避し、そのすべては空を切る。

 

 

「……!?」

 

「はっ! かかりやがったな!」

 

 

 だが、そこでクゥィントゥムはふと違和感に気が付いた。

それはアルスの横で影分身していた楓の姿が見当たらなかったのだ。

 

 アルスは今の魔法は所詮ただのけん制だという様子で、ニヤリと笑っていた。

 

 

「”楓忍法! 朧十字”!!」

 

 

 その瞬間、楓は己の分身とともに刀と剣を使い、クゥィントゥムをその多重障壁ごと切り裂く。

 

 

「でもって! ”スターランサー”!! 全部くれてやるゼェ!!」

 

 

 その隙にアルスも即座に術具融合スターランサーの6機の槍を分離させ、クゥィントゥムへと射出。

 

 

「がっ!?」

 

 

 しかし、しかししかし。

その程度では造物主の使徒たるクゥィントゥムを倒すことなどかなわない。

 

 クゥィントゥムにスターランサーが触れる瞬間、クゥィントゥムが消え去り、気が付けばアルスを複数のクゥィントゥムが袋叩きにしていたのだ。

 

 さらにそのまま楓をも攻撃、蹴りや拳が何発も同時に楓へと突き刺さる。

 

 また、クゥィントゥムが影分身しているように見えるが、実際はそうではない。

クゥィントゥムは分身したのではなく、超高速で動き複数に見えているだけなのだ。

これこそ肉体雷化の恩恵。雷と同速で動くことができる強み。

 

 

「なかなかだったが、そろそろ終わりにしようか」

 

 

 そして再びアルスと楓は石畳の床へ転がされ、余裕の態度でふわりと浮かぶクゥィントゥムを見上げる形となってしまった。

 

 クゥィントゥムは当然、先ほどと同じように余裕の表情のまま、再度この戦いを終わらせようとつぶやく。

 

 

「恐るべき強さでござる……」

 

「クソ! 足りねぇって言うのか!!?」

 

 

 楓は膝をついてクゥィントゥムの強さに戦慄し、冷や汗を額に流す。

話には聞いていたが、まさかこれほどの強さだったとは、と。

 

 アルスも転生者としてチートを貰ったはずなのだが、これほどの差があることに悔しさを覚えたのである。

 

 

「では、さようなら」

 

「そうはいかぬでござる……! ”影分身”!!!」

 

「無駄なことを……」

 

 

 そして、クゥィントゥムは握っていた轟き渡る神の雷槍(グングナール)を投擲する構えを取りながら、別れの言葉を述べ始めた。

 

 が、このまま終わってなるものかと、楓は傷ついた体を動かして再び16体の分身を作り出す。

 

 それを見たクゥィントゥムは無表情で無感情のまま、無駄だと一言で切り捨てた。

 

 

「無駄かどうかは、やってみなくちゃわからんぜ? ”スターランサー”!!」

 

「もう一度”朧十字”!!」

 

「何度やっても無駄だ……!」

 

 

 また、アルスも無駄と言われ、そうかな? と反論を述べながら再びスターランサーを作り上げる。

 

 そこへ楓が微動だにしないクゥィントゥムへと、再度朧十字を放った。

 

 されど、クゥィントゥムが動かないのは”今すぐ”動く必要がないからだ。

だからもう一度無駄だと言い放つと、朧十字が命中する直前に姿を消し、楓の背後へと回ったのである。

 

 

「ぐうっ!?」

 

「何度やっても無意味、この程度だ」

 

 

 さらにクゥィントゥムは楓へとグングナールを投擲し、楓はそれを背中からもろに食らい、そのまま石畳へと転がった。

楓の攻撃が完全に不発に終わったことにクゥィントゥムは、どの道無駄だと吐き捨てる。

 

 

「はっ! 余裕だな?」

 

「当然……、っ!? なっ!?」

 

 

 楓がやられたと言うのにも関わらず、アルスは冷静にクゥィントゥムへ挑発を言葉にする。

クゥィントゥムはそう言われるも、それが当たり前だと言う様子で冷徹にアルスを横目で見た、その時――――。

 

 

「……ちーっとばっかし、甘かったな」

 

「ぐっ!? これは……!?」

 

 

 アルスの手元にはすでにスターランサーが消えており、クゥィントゥムを囲うように六つの槍が降ってきたのだ。

そして、アルスは無詠唱でさっと強烈な結界を形成すれば、クゥィントゥムはそれに縛られ苦痛の声をあげるのであった。

 

 

「対竜種用結界ってやつだぜ。流石の造物主の使徒でもこいつはきついだろ?」

 

「ぐぐぐっ……!」

 

 

 その結界はトリスにも用いた強力な対竜種用の結界であり、クゥィントゥムとて簡単には抜け出せるものではない。

 

 アルスが自慢げにそう言えば、クゥィントゥムは悔しそうな表情で必死に結界を解こうともがいていた。

 

 

「そんでもってこいつが今回の切り札、”スタースティンガー”」

 

「な・に……?」

 

「どんな障壁であろうが貫通させる土属性魔法の短剣、()()()()()()()()()()()()()()()()だ」

 

 

 そこへアルスはさらに無詠唱で、一本の銀色に輝くナイフを作り出した。

その名も”スタースティンガー”。それもスターランサー同様、術具融合にて編み出された魔法だ。

 

 それを見たクゥィントゥムは、それで一体どうするつもりだと考える。

そんなクゥィントゥムへと、アルスは生徒に教える教師のように、その魔法の力を説明したのである。

 

 ――――スタースティンガー、その能力は障壁を貫通する土属性の術具融合。

いか造物主の使徒がデフォルトで使用している多重障壁でさえも、貫く能力を付与した障壁突破特化の術具融合だ。

 

 

「それをこうする!」

 

「まさかそれを!?」

 

「想像にお任せするぜ! オラッ!!」

 

 

 スタースティンガーを宙へと浮かせ、射撃体勢へと移ったアルスは、しっかりとクゥィントゥムの心臓部へと狙いを定める。

 

 クゥィントゥムはアルスが何をしようとしているのかを察し、まさかとつぶやく。

 

 アルスはクゥィントゥムが、自分が辿る末路を察したことを感じて一言述べれば、スタースティンガーを発射したのだ。

 

 

「――――っ!? ぐうあっ!?」

 

 

 だが、スタースティンガーを発射した瞬間、アルスの結界がガラス細工のように粉々に砕け散った。

さらにアルスは強烈な衝撃を腹部に感じ、数メートル吹き飛ばされたのである。

 

 

「ハァ…ハァ……、甘かったね……」

 

「抜け出したってのかよ……、自慢の結界だったってのになあ……」

 

 

 その衝撃を受けた場所を前のめりで倒れたアルスが見あげれば、若干苦しそうにするクゥィントゥムが立っていた。

 

 それはつまりクゥィントゥムが無理やり結界を破壊し、脱出したということだ。

さらにスタースティンガーが命中せず、明後日の方向へ飛んで行ったことにもなるということだったのだ。

 

 アルスは今の一撃で強烈な電撃も貰ってしまったためか、体がしびれて動けなくなっていた。

そして、自分のご自慢の魔法が通じなかったことに、もはや諦めたかのような態度を見せ始めたではないか。

 

 

「これでそちらは後がなくなった。これで終わりだッ!」

 

「アルス殿!?」

 

 

 クゥィントゥムもアルスの奥の手がなくなったのを察し、とどめとばかりに雷化した体で瞬時にアルスへと距離を詰める。

 

 倒れて動けない楓は、ただただその光景を見ながらアルスの名を叫ぶだけで精いっぱいであった。

 

 

「はは……、俺ごときじゃあこの程度ってか……?」

 

 

 また、アルスも虚ろな目で迫るクゥィントゥムを見ながら、自分じゃこれが精いっぱいだと声を出す。

所詮は無詠唱と魔力コントロール程度のチート。暴力には抗えなかったか、と。

 

 

「――――なぁんてな」

 

「ぐっ!? がっ!?」

 

 

 ――――が、それは罠だった。

アルスは諦めて負けたふりをしていたに過ぎない。

 

 目の前に現れとどめを刺さんとするクゥィントゥムへと、アルスがニヤリと笑ってそう言う。

すると、何が起こったのだろうか。クゥィントゥムが胸を押さえて急に苦しみだしたのだ。

 

 

「こ……これは……!? 馬鹿な……!?!?」

 

 

 クゥィントゥムは自分の背中へと手をまわし、首を曲げて視線をそちらに向ければ、一本の短剣が背中へ深々と突き刺さっていたのである。

 

 その短剣こそ、先ほど回避されて虚空へと消えたはずの、アルスが編み出した魔法”スタースティンガー”だったのだ。

 

 

「流石に結界を突破されたのにゃヒヤヒヤしたが、ちゃんと二手目も用意してあるんだなこれが」

 

 

 アルスとてあの結界が破られたのには戦々恐々したものだ。

されど、破られる可能性をも考慮し、すでに別の手が用意されていた。

それこそ、今クゥィントゥムの背中に突き刺さったスタースティンガーだ。

 

 最初に()()()()()()()()()()()()()()()()()のも、この一手のための布石。

 

 スターランサーは六つに分裂する雷の槍。

この短剣も複数あるのではないかと、思われてしまう可能性があった。

 

 故に、あえて一本だけ作り出して説明することでクゥィントゥムに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 なので、こっそり二本目を用意して、クゥィントゥムが来る場所を予測。

その死角へと回し、さらに幻覚魔法で隠蔽して、ここぞという場面で打ち込んだのである。

 

 

「ぐおおおおぉぉぉぉ……」

 

(コア)がぶっ壊れちまえば、()()もうどうすることもできねぇだろ」

 

 

 そして、スタースティンガーは全ての障壁を言葉通り貫通し、見事背中からクゥィントゥムの心臓部にある核をぶち抜き、機能を停止させることに成功したという訳だ。

 

 こうしてクゥィントゥムは苦しみもがき苦悶の声をまき散らしたのち、静かになって石畳の床へと倒れ伏せ、完全に動かなくなったのだった。

 

 とは言え、こいつらは倒しても造物主が存在する限り、何度でも復活する再生怪人。

だからこそ、アルスはあえて()()という言葉を使うのだ。

 

 また、アルスは次があるならば、勝てる保証はないと感じていた。

先ほどの戦法は完全な騙し討ちであり、相手の手札を知っているアルスだからこその戦法だ。

こちらの切り札を全部知られたからには、もう二度と通じないとアルスは思うのである。

 

 

「とりあえずやったみてえだな……、っと」

 

 

 アルスはクゥィントゥムが完全に機能停止したことを確認すると、麻痺で動けない楓へとすぐさま駆け寄り治癒を施しにかかる。

 

 

「いつのまにそのような術を」

 

「ああ、()()()()()()()()()()()。ここに来た時にちょいと考案しといたのさ」

 

 

 麻痺から解放された楓はゆっくりと立ち上がり、アルスに今の魔法(スタースティンガー)のことを尋ねる。

 

 その問いにアルスは自分が転生者でこうなることを予想していたことを、嫌な予感とぼかしながら説明した。

 

 何せアルスは彼ら造物主の使徒が頑丈な多重障壁に守られていることを知っていたからだ。

それ以外にもすでにフェイトからの話でアーウェルンクスシリーズが稼働しているという情報を得ていた。

なので、その対策を考えておくのは当然のことだったのだ。

 

 

「拙者ももう少し強ければ……」

 

「いや、あの数の影分身でかく乱してくれたからこそ、こっそりと仕込めたんだ。助かったぜ」

 

「そう言ってもらえると助かるでござる」

 

「いや、事実なんだがなあ……」

 

 

 そうアルスが語ると、楓は少し落ち込んだ様子を見せ始めた。

クゥィントゥムとの戦いで楓は、自分と敵との戦力差が大きいことに少なからずショックを受けていたからだ。

 

 それを慰めるかのようにアルスは、協力してくれなければクゥィントゥムは倒せなかったと言葉にする。

ただ、アルスが言ったことは本気で思っていることであり、あのサポートがなければ自分の戦法がうまくいかなかっただろうと感じていた。

 

 楓はアルスが慰めてくれていることを察し、そういうことにしておこうと考え小さな笑みを見せる。

そんな楓にアルスは、今の言葉は本当だとため息を吐きながらこぼすのだった。

 

 とは言え、アルスとて今の戦いが終わりではないことを理解している。

二人は無言の数秒を過ごしたのち、小さく相槌を打って次の行動へと移るのであった。

 

 

…… …… ……

 

 

 一方、トリスはと言うと、ハルートの一撃を受けて大の字になって石畳に倒れていた。

 

 

「終わったな」

 

 

 ハルートはトリスの状態を見て、もはや立ち上がれまいと考えそう言葉を漏らす。

 

 何せ着こんでいた防御用の青い外套は破れ四散し、インナーとして着ている競泳水着のような紺色のレオタードが露見しているほどだ。

また、トリス自身も気を失ったまま、指一本ピクりとも動かない。

 

 これではもはや戦いは終わったも同然と思うのも普通のことだった。

 

 ハルートはそのまま倒れたトリスを背にし、バロンの元へと駆け付けようと動き出した、その時――――。

 

 

「…………勝手に、……終わらせないでほしい……わね……!」

 

「なにっ!?」

 

 

 後ろから急に、声が聞こえてきた。

それは先ほど戦っていた少女の声であった。

 

 ハルートはその声を聞き、驚いた様子で振り返ってみれば、生まれたての小鹿のように足を震わせながらも、立ち上がるトリスの姿があったのだ。

 

 

「馬鹿な……!? 直撃だったはずだ!? 何故立ち上がれる!?」

 

「ナメないでって言ったはずよ……? この程度で……」

 

 

 ハルートは驚愕した。最大最高の技、ハーケンディストールを直撃したにも関わらず、トリスが立ち上がってきたからだ。

普通ならば死んでもおかしくない一撃だったはずなのに、それでも再起してきたことに表情をこわばらせたのである。

 

 とは言え、トリスとて今の一撃はかなりの大打撃だ。

もはや次に同じのをもらえば、たぶん死ぬだろうと言うほどには全身に大きなダメージを負っていた。

 

 それでもトリスはプライドと強い意志によって、再び自分を奮い立たせ立ち上がったのだ。

 

 

「この程度で倒れるわけ……」

 

 

 そうだ、この程度で倒れている暇などない。

今まさに自分の主であるエヴァンジェリンがバロンと死闘を繰り広げているのだ。

そこに目の前の男を行かせれば、明らかに勝ち目が薄くなる。

 

 

「――――ないじゃないっ!!」

 

 

 だからこそ、この男は自分が倒さねばならない。

それ以上に、このまま負けっぱなしになるなんて、絶対に許さない。

誰が許さないか。それは自分自身が許さない。

 

 故に、トリスは立ち上がって強い意志がこもった目で、ハルートを鋭く睨みつける。

この程度では倒せない。倒れることはないと知れ、と。

 

 

「この女……!!」

 

 

 トリスの凄まじい眼光に、ハルートは一瞬たじろいだ。

まさか、震えながらも立ち上がり、ここまで強い態度を見せれるなど思ってもみなかったからだ。

 

 

「仕方あるまい。……ならば、その身がバラバラになるまで、何度でも叩き込んでくれるッ!!」

 

「やってみなさい?」

 

 

 が、目の前の女の体力は風前の灯火。

もう一度、いや心も体も完膚なきまでに粉々になるまで、ハーケンディストールを叩き込んでやると、ハルートは意気込み槍を握る手に力を入れる。

 

 そう言うハルートを睨みながら、くすりと笑って見せるトリス。

何度もそう簡単にはいかない、そう言いたげな表情だ。

 

 

「――――受けろッ!! ”ハーケンディストール”ッ!!!」

 

 

 やれと言うならばやってやる。

挑発に乗るかのようにハルートは再び高く飛び上がり、槍を高速で回転させ、その技の名を高らかに叫んだ。

 

 

「なっ!?」

 

 

 ――――しかし。

その回転が急に止まったのだ。

そして、その光景を見たハルートは、驚きの声を上げたのである。

 

 

「何ィッ!?」

 

「甘いのよッ!!」

 

 

 その光景とは、なんとトリスの足の武装がハルートの槍を抑え込み、無理やり停止させていたのだ。

これには流石のハルートも声を出さずにはいられなかった。

 

 また、トリスも若干苦しそうな表情を見せながらも、ニヒルな笑みを浮かべていた。

 

 

「何度も同じ技を受けたのよ? 返し技の一つぐらい思いつくでしょう?」

 

「なんだと!?」

 

 

 ハーケンディストールもすでに三度目。

三度も見ればトリスとて、防御の手段の一つでも思いつくというものだ。

その防御手段が、自ら懐に飛び込んで予備動作である槍の回転を停止させるというのは、大博打にも等しい行為と言えるだろうが。

 

 そう、そんな博打めいた行動だったからこそ、意表を突かれたという様子でハルートは驚愕したのだ。

 

 

「今度は私が、あなたを溶かしてあげる!」

 

 

 そして、今度こそ自分の番だと、トリスは自分の右足で抑え込んだハルートの槍の上へと立ち上がり、ハルートを下に見る。

 

 

「行くわよ!!」

 

「ぐおお!?」

 

 

 そこからトリスはハルートへと左足での回し蹴りを食らわせ、ハルートを吹き飛ばした。

ハルートは顔面を武装した足で蹴り飛ばされ、苦悶の声を漏らす。

 

 

「行くわよ……! 行くわよ! 行くわよっ!! 行くわよッ!!!」

 

「うおおおおおぉぉぉぉッッ!!???」

 

 

 さらにトリスはどんどんテンションを上げ、ハルートの周囲を回転しながら高速で蹴りを放つ。

それはまさに、踊りを踊っているかのような優雅さと、相手に何度も鋭い蹴りを叩き込む残虐さを兼ね備えた恐ろしい光景だった。

 

 そして、その回転の速度を上げながら、回し蹴りを苦悶の声を上げるハルートへと、何度も何度も叩き込む。

そうしているうちに周囲には、大海を荒らす大渦が発生しているではないか。

 

 そのすさまじいトリスの猛攻に、ハルートは苦しみ悶え叫ぶ以外できなくなってしまっていた。

 

 

「”弁財天五弦琵琶(サラスヴァティー・メルトアウト)”!!」

 

「ぐおあああぁぁぁ――――ッッ!!!」

 

 

 そして最後の一撃である、とどめと言わんばかりの最大最高に鋭い蹴りが、ハルートの腹部へと突き刺さった。

 

 ――――その宝具こそが『弁財天弦琵琶(サラスヴァティー・メルトアウト)』である。

 

 本来ならば対衆・対界宝具であり、文明に使用してそのコミュニティーの良識や道徳などを全てを溶かし、スライムのように一体化させて最後に吸収してしまうものだ。

 

 だが、ここは電脳世界(SE.RA.PH)ではないため、Fate/Grand Orderの時のメルトリリスのように、物理的攻撃に特化させた対人宝具として使用したのだ。

 

 それを受けたハルートは、大声で叫び声をあげながら弾き飛ばされ、床に何度も打ち付けられて転がり、大の字に仰向けとなって倒れこむ。

 

 

「…………っく……。ハァ……ハァ……。どうよ」

 

 

 されど、トリスも大きなダメージを受けながらも今の宝具を使用したため、疲弊した様子を見せる。

ドバッと汗を全身から流し、辛そうな表情で全身の苦痛に耐えていた。

 

 そんな状態であるが膝に手をついて荒くなった息を整え、足を引きずるようにゆっくりと倒れたハルートへとトリスは近寄っていく。

されど、見せる態度は堂々としていて、勝ち誇った顔で不敵に笑っていた。

 

 

「……………………甘く見ていた、というわけか……」

 

 

 ハルートは倒れながらゆっくりと目を瞑り、自分の行動が甘かったことを察した。

目の前の女を手負いの獅子と考え、ナメていたのだろう。手負いの獅子であるが、獅子には変わりなかったはずだったのだろうと。

 

 ――――この一撃でハルートは、もはや体が動かない程のダメージを受けていた。トリスが渾身の力で、一発で終わらせると言う意気込みで放った宝具だったからだ。

 

 これでまだハルートが立ち上がるのであれば、トリスは敗北していたかもしれない。だが、現にハルートは倒れたまま動けない。それは、トリスが勝利したと言う証に他ならなかった。

 

 

「ハァ……フゥ……そうよ…………。甘かったのよ、……あなたが」

 

 

 そして、後悔して悔しがるハルートへと、息を整えながら勝利を宣言するトリス。

とは言え、先ほどのハーケンディストールのダメージは抜けることはなく、足元をフラフラとさせながら必死に立っているという状況だ。

 

 

「――――無念だ…………。バロン様のために勝利せねばならぬというのに……」

 

「……」

 

 

 ハルートは目をつむりながら、主、いや、親同然であるバロンへの献上ができなかったことを、懺悔するかのように静かに語る。

 

 トリスはそれを眺めながら、何も言わずに少し考える様子を見せていた。

 

 

「……ねぇ、思ったのだけれども、そのバロンは何故ここまで完全なる世界に入れ込むのかしら?」

 

「………………知っていたとしても、お前などには教えん」

 

「まあ、そうよねぇ……」

 

 

 そして、トリスはバロンがどうしてあれほどまでに、完全なる世界に拘るのかをハルートへと聞く。

 

 が、ハルートは当然それを教える気などなく、そっけない態度で教えぬと言った。

ただ、知らない訳ではなく、あくまで話す気がないと言うだけだった。

 

 トリスはそんなハルートの態度を見て、そりゃ当然か、とも思った。

敵対し、先ほどまで戦っていた相手に、自分の尊敬する人の事情など語る訳がないのだから。

 

 

「でも思い当たるフシがあるとすれば、…………前世のこと……とか?」

 

「……!」

 

 

 されど、トリスにもバロンがそうする理由を、自分なりに考えていた。

それこそ、転生神に転生させられる前、つまり前世が原因なのではないか、と。

 

 ハルートはそのトリスの言葉に、目を開いて驚いた様子を見せていた。

 

 

「ふうん、当たらずとも遠からずって顔ね」

 

「…………」

 

 

 そのハルートの表情を見たトリスは、自分の考えが遠くないことを理解した。

 

 また、トリスの言葉を聞いたハルートは、しまったという様子で黙り込んでしまった。

 

 

「私の勘が正しければ、あの男は前世じゃ幸せに生きていたってところかしらね?」

 

「………………そうだ。バロン様は前世では何不自由なく暮らしていた……」

 

 

 ならばと、トリスはバロンについての考察を語り始める。

あのバロンと言う男は、前世では特に不自由もなく幸福な生活を送っていたのだろうと。

故に、急に死んで転生などさせられたことに、バロンは憤りを感じているのだろうと。

 

 トリスの推察を聞いたハルートは、静かに口を開く。

そこまで言い当てられたのならば、その通りだと言うしかないと。

 

 

「あら? 今さっきは教えないとか言ってなかったかしら?」

 

「……お前の勘とやらが的中したのだ。少しぐらい話してやる」

 

「あらあら、お優しいこと」

 

「なんとでも言え」

 

 

 おやおや? 先ほどまで何もしゃべらないとか言ってたのは誰だった?

心変わりの早いことだと、ハルートをからかうようにトリスはそう言う。

 

 ただ、ハルートは別に気持ちが変わった訳ではない。

トリスの勘が的中したからにすぎない。

 

 そんなハルートへ、トリスは皮肉っぽく笑いながら皮肉を突き刺す。

が、ハルートはそんなトリスの態度を適当に流した。

 

 

「……そう、だからこそあの方は絶望しておられるのだ。この世界に来た時から」

 

「絶望……?」

 

「そうだ」

 

 

 そして、ハルートは静かに、バロンが完全なる世界に執着するのかを語りだした。

 

 それはバロンがこの世界に絶望しているからだった。

 

 トリスがそれを聞き返せば、ハルートはすぐに相槌を打つ。

 

 

「あのお方は前世では何不自由なく暮らし……、幸せだった…………」

 

 

 とは言っても、この世界自体に嫌気がさして絶望した訳ではない。

バロンは前世にて、特に不幸もない、むしろ幸福な生活を送っていた。

 

 これはバロンがハルートにしか話していないことだが、彼は結婚して子供もいた。

家族の大黒柱として働き、家族を大切にしてきた男だった。

 

 毎日汗水たらして働きながらも、家族を蔑ろにすることなく生活してきたバロン。

この家族との生活こそが彼の幸福であり、生きる実感であり、生きる糧でもあったのだ。

 

 

「それを転生神とやらによって打ち砕かれ、無理やり転生させられたのだ」

 

 

 ――――それが、一瞬にして砕け散った。

バロンは家族を置いたまま、死ぬことになってしまったのである。

 

 その理由がただの事故だと言うのであれば、許せないものの仕方がないとも感じるかもしれない。

ただし、死んだ理由が神の失敗によるものだったとすればどうだろうか。

 

 しかも、神は特典を与えて転生させるからと言って許しを請うではないか。

バロンは当然、蘇生を頼み込んだ。家族を置いて死ぬなどと、家族の生活を苦しくさせまいとしたのだ。

 

 だが、それは許されなかった。

神の都合がそれを許さなかった。

神は蘇生は不可能とし、転生以外の道を提示しなかったのである。

 

 バロンはその対応に憤りを感じた。いや、転生したものには、バロンのように腹が立ったものもいたはずだろう。

 

 故に、バロンは絶望した。

もう二度と家族に会うことができないことに。

家族を路頭に迷わせて、苦しめてしまうことに。

 

 そして、バロンは誓ったのだ。

あの神と自称する存在を、滅ぼしてやると。

失敗を棚に上げ、許しを請う汚らしい存在を消し去ってみせると。

 

 故に、力を願い力を得た。神を倒しうる力を。

神が作り出した怪物の力を。

 

 

 されど、彼は転生した後にさらに絶望することとなる。

それはあの神が、この世界には存在しないことを理解してしまったからだ。

 

 当然と言えば当然であり、バロンも冷静であれば気が付いたはずだ。

しかし、あの時バロンは心の奥底から憤怒し、頭に血が上っていた。正常な判断が下せなかったのだ。

 

 あの転生させた神がこの世界にいない。

それはつまり、復讐を果たせないということに他ならなかった。

 

 そしてバロンは二度目の絶望をし、生きる道を失った。

生きる目的を失い、徐々に腐っていくだけの生活を送ってきたバロンだったが、そこで知ったのが”完全なる世界”というものだった。

 

 それを教えたのは自分と同じ転生者であった。

彼もまた神の失敗により転生してきたと言う。

 

 そんな彼から”完全なる世界”へと行けば、夢であれ幻であれ、もう一度前世を体験できるかもしれない、と言う話を聞いたのだ。

 

 バロンはすぐさまその話に乗り、”完全なる世界”の一員となった。

そこから彼は”完全なる世界”へと行くために、ひたすらに特典を鍛え上げながら、完全なる世界としての仕事をこなしてきた。

 

 そう、バロンの目的、それは()()()()()()の中で、もう一度前世の家族に出会うことだったのだ。

 

 

「また……オレも、バロン様と同じく転生して絶望したのだ。この世界に……」

 

 

 また、ハルートは自分のことも、目を瞑って過去を思い出しながら静かに語り始めた。

 

 ハルートも前世で幸せであった。不幸はなかった。

だと言うのに神の失敗で死に、転生しざるを得なかった。

 

 そして、この特典を選んだはいいが、いや、選んだからこそだろうか、色々あって孤児になってしまった。

行く当てもなく彷徨い、死んでいくだけとなる程に追い込まれてしまったことがあった。

 

 バロンに拾われていなければ、死んでいたかもしれない。

それを絶望と言わずとして何と言うか。

 

 だからこそ、ハルートはバロンを慕い、バロンのために生きてきた。

そして、ハルートもまたバロンと同じく前世に未練がある転生者だからこそ、その絶望を理解してしまったのである。

 

 

「そして…………バロン様はオレ以上の絶望を感じている……」

 

 

 また、ハルートが急に自分語りをしたのは、バロンがそれ以上に絶望しているということの前振りだった。

 

 

「絶望のどん底で憤りをくすぶらせ、今もその苦しみで心が満たされてしまっているのだ……」

 

 

 ハルートは再び、自分と比べてより一層絶望し、いかにバロンが心苦しい状況にあるかを語る。

 

 

「その絶望はお前のようなものにはわかるまい…………」

 

 

 故に、自分たちが感じた絶望は、トリスのような自由に生きる転生者には理解されないと、ハルートは言葉にし、冷めた目でトリスを見る。

 

 

「――――わかるわよ」

 

「何……?」

 

 

 だが、そこで返ってきた言葉は、ハルートには意外なものだった。

 

 トリスもハルートたちの絶望を、わかる、と言ったのだ。

 

 ハルートは聞き間違えか、適当を言っているのではないかと思い、つい聞き返したのである。

 

 

「別に私だって、今世で幸せを感じたことなんて一度たりとてないもの」

 

「お前のように好き勝手しているものが……か?」

 

「他から見ればそう見られてもしょうがないでしょうけど、私にも悩みぐらいあるわよ」

 

 

 トリスにも、当然前世があり今がある。

前世以上に、この今世に幸福を感じたことがないとトリスは語った。

 

 ハルートはそんなトリスへと、自分がトリスへと感じたことを言葉にする。

目の前の女は結構自由に生きてなかったのではないか、と。

 

 が、そう見せていたトリスとしても、悩みは当然あるものだと言い放つ。

 

 

「別に私も、前世に嫌気がさした訳でも絶望してた訳でもないし」

 

 

 それにトリスとて、前世が不幸だった訳ではない。

とりわけ幸福と言うほどではないが、何不自由なく暮らせていたのだから不幸なはずがないと思うほどではあった。

 

 トリスもそんな生活が続くのだと思っていた矢先に、神によって転生させられたのだ。

 

 

「私にだって当然前世でも親兄弟はいたし、家族を置いて先に死んだのは、はっきり言ってショックだったわ」

 

「…………」

 

 

 また、当然トリスにも前世には家族がいた。親兄弟が存在した。

それを置いて死んでしまったことに、思うことがあるのは当たり前なのだ。はっきり言えばかなり後悔していた。

 

 それを聞いたハルートは、何も言えず黙り込んでいた。

 

 

「こんな特典貰ったのだって、この世界に転生させられることを教えられたからよ」

 

 

 トリスはこの世界には転生者が大量にいることを知って、自分の特典を選んで転生してきた。

それは自衛のためであり、他の転生者から身を守るためでもあった。

故に、このような(メルトリリスの)姿になっている訳だ。

 

 されど、その選択は大きな誤算を招いた。見た目が良すぎたのだ。

それは()()()の”メルトリリス”が「完璧」と評する美しい姿なのだから当然だ。

 

 その見た目で転生者たちの目を引き付けてしまい、むしろ苦労することとなった。

それがトリスにとって多大なストレスであり、今世にて気の抜けない生活を送る理由となってしまったのである。

 

 だからトリスは、幸福などなかったと言う。

特典を選んだのは自業自得でもあるのだが、まさかこんなことになるとは予想していなかったのだ。

 

 そして、トリスは身を守るために本名赤井弓雄で自称アーチャーの転生者と取引をし、完全なる世界の一員となった。

 

 それでも気の抜けない生活というのは変わらず、ずっとストレスにさらされてきたのだ。

 

 だからこそ、今世に幸福を感じたことはない、と語るのだ。

 

 

「そう、私は神とかいうやつに転生させられただけの存在。その程度なのよ」

 

 

 そして、トリスは自分のことを、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言う。

 

 それはつまるところ、神にもてあそばれただけでしかないと語っているに等しいものだった。

 

 

「転生神とやらを恨んでいるというのか?」

 

「当たり前でしょう? くだらないミスで死なせたとか言って平謝りして転生させるとか、正直最低だわ」

 

 

 そのトリスの物言いに、ハルートは転生させた神をよく思っていないのではないかと考え、それを聞く。

 

 トリスはその問いにすぐさま当然と答え、理由を述べた。

その理由は至極真っ当であり、被害者の言い分としては当たり前のものであった。

 

 

「でもね、私は別にあなたやバロンとかいうのほど絶望もしちゃいないわ」

 

「……なぜだ?」

 

 

 されども、トリスはそれでもバロンという男ほど、悲観などしてはいない。

この世界を消し去ってまでして()()()()()()へと沈み、永遠に冷めぬ夢を見続けようと思うほど、トリスは絶望なんかしていない。

 

 そこまで言うのであれば絶望していてもおかしくないのでは? と考えたハルートは、再び問いのために口を開く。

 

 

「何故かしらね……。前世でしたかったこととか山ほどあったし、こっちに来てもいいことなんてあまりなかったけど、そうね……」

 

 

 トリスも、何故かそこまで絶望していない自分を不思議に思っていた。

 

 前世ではやり残したこともたくさんあったし、それを全て置いて行って死んだのは大きく悔いる部分だ。

しかし、死んでしまったのならばしょうがない、と言う達観も少しはあったのかもしれない。

 

 また、この世界で転生して、気が付けば一人になってしまっていたのも、不幸と感じることはあった。

とは言え、一人で生きていけないほどの状況になった訳ではなく、生きていく上で必要なものは揃っていた。

でなければ、一人で生きていくなど不可能だったと、トリスは今でも思っている。

 

 つまるところ不幸であったが、まだ幸せな方でもあったと思っていたのである。

 

 それ以外にも、見た目美少女になれたのは結構悪い気ではないな、と思っている部分もあるし、全てが悪いとまでは言えなかった。

 

 

「私ってもともとポジティブだったから、かしら?」

 

「流されやすいの間違いではないか?」

 

「言ってくれるじゃない」

 

 

 つまるところ、トリスは自分を客観的に分析すると、単純に前向きだったのだろう、と結論付けた。

こんな状況になっても、未だになんとかなるでしょ、と思っている自分がいるのだからそうなんだろう。

 

 しかしそれをハルートは、流されやすい、と評した。

トリスはハルートの評価に少しイラっと来たが、そうかもしれない、と思ってしまったので本気で文句は言えなかった。

 

 

「……そうか。お前もだったのか……」

 

 

 ハルートは、ここではじめて自分たち以外に、転生に憤りを感じ絶望したものがいることを知った。トリスも同じ気持ちを抱いたことがあることを知り、自分たちもまた、愚かだったことを理解した。

 

 絶望し、自暴自棄になっていたのかもしれない。

されど、自分が不幸だからと言って、他人を不幸にしていい訳がないのだ。

 

 バロンが目指す”完全なる世界”、その先にあるのは自分たちの幸福と、その外で起こる不幸が待っていることを、ハルートは知っていた。

 

 それでも、それでもバロンの絶望をどうしても払拭したくて、バロンに協力してここにいる。

 

 

「…………オレは……、ただバロン様に幸せになってもらいたかった」

 

 

 ハルートが望んでいたこととは、つまり()()()()()()()()だった。

バロンが何度も前世を思い出しては寂しい顔を見せるたびに、ハルートはそれを強く願うようになっていた。

 

 そして、トリスはその言葉で、ハルートという男を理解した。

つまりこのハルートは、バロンの幸福のためだけに生きて戦ったのだろう。

バロンが恩人であるからこそ、その恩人の幸せを願ったのだろうと。

 

 

「だが、オレではダメだった……。バロン様の心を癒すことはできなかった……」

 

 

 されど、ハルートは言葉をつづけた。

一番言いたかった言葉とは、幸せになってほしかったということではなく、自分が幸せを取り戻させることができなかったという苦しみだったのだ。

 

 そうでなければ、バロンと言う男は”完全なる世界”に夢など見ない。

ハルートはそれをも知っているからこそ、バロンの絶望を取り除いてやりたかったと言うのもあったのだが……。

 

 そのことを語りながら、ハルートは一筋の涙を浮かべた。

なんという不甲斐ないことか。恩人であり父親のように感じ始めているバロンを、救うことができないなどと。

ハルートはそれを常に心苦しく思い、もどかしさを感じ続けていたのだ。

 

 

「……妬けるわね」

 

 

 だが、そんな言葉を聞いたトリスが、ぽつりと口を開く。

小さくかわいらしい口から出た言葉は、嫉妬あった。

 

 

「妬ける……だと……?」

 

「そう。バロンって人がほんのわずかだけど……、(うらや)ましいって思ったのよ」

 

 

 ハルートはトリスの言葉に信じられないと言う顔で聞き返す。

急に何を思い、そのような言葉が出たのか、まったく理解できなかったからだ。

 

 また、トリスのその言葉の真意とは、つまり羨ましいと言う感情だった。

 

 

「私には……あなたのように支えてくれる人なんて、いなかったから……」

 

「……」

 

 

 何故なら、トリスには自分をそこまで想い、傍にいてくれた人がいなかったから。

自分にもそんな人がいたら、ここまで苦労することもなかっただろうと思ったから。

 

 トリスの語りを聞いたハルートは、もはや何も言えなかった。

確かに自分はまだ恵まれていた方なのかもしれないと。もしかしたら、バロンもまた、そうだったのかもしれないと思ってしまったからだ。

 

 

「……そう……だな……」

 

 

 絶望を感じているのは、何も自分たちだけではなかった。

誰もがそう言う感情を抱くだけの基盤はあった。何故なら転生者の全てが、神によって転生させられた存在だからだ。

 

 それを忘れ、調子に乗って暴れる転生者だけを見て、愚かと感じて見下していた。

誰にもわかる訳がないと苦悩を気取り、冷めた目で見ていたのは自分たちだった。

 

 

「ならば、こいつを持っていけ」

 

「あなた……これは……!?」

 

 

 ならば、償わなければならない。

自分たちの愚かさを、見下していたことを。

 

 だから、ハルートはトリスへと、その魔槍を手渡すよう柄を突き出した。

トリスは急なハルートの贈り物に驚き、なんでこれを渡されているのかわからず困惑したのである。

 

 

「お前などにバロン様を救えるとは思えんが、バロン様を止めるだけならば多少力添えになるだろう」

 

「どういう風の吹き回し……?」

 

 

 自分たちは知るべきだった。

自分たち以外にも、自分たちのように転生をよしとしなかったものがいることを。

前世に未練があり、今を絶望したことがあるものが他にもいたはずだということを。

 

 自分たちは目を向けるべきだった。

”完全なる世界”が成就した先に、不幸になるものがいるだろうということを。

それこそが自分たちが見下していた、自己中心的に振る舞う転生者と同じ行いであることを。

 

 故に、そう故に、完全なる世界に心惹かれるバロンを止めなければならない。

このままバロンを完全なる世界に囚われさせてはならない。それは本当の幸福と言えるかわからないからだ。

 

 だからこそ、トリスに魔槍を送る気になった。

敵対した相手であり信用などできぬが、それでもバロンを止めてくれるならと。

 

 が、トリスは急に魔槍を受け取れと言われ、何で? と言う顔で驚いた。

今しがた戦い、どちらも瀕死にまで追い込まれた。そんな相手に自分の最強の武器を渡すなど、心変わりすぎて逆に不気味だったのである。

 

 

「そのダメージでも、バロン様と戦うのだろう?」

 

「無論、やるわよ」

 

「ならば、持っていくがいい」

 

 

 怪訝な表情を浮かべるトリスの問いをハルートは聞いて、逆に問い返す。

自分を倒したのであれば、次は仲間のところへ駆けつけ、バロンと対峙するのだろうと。

 

 自分の質問を質問で返されたトリスだが、特に気にすることなく当然と言う顔で限界までやると即答する。

 

 そうであるならば、なおさらだとハルートは魔槍をトリスへ渡そうと向ける。

 

 

「後悔しない?」

 

「それはわからん……」

 

 

 そのハルートの行動に、トリスはふいにそう質問した。

敵に塩を送り、恩人を倒させようとするという行為に、悔いなどが出来ないのかと。

 

 ハルートはトリスのその問いに、目を瞑りならが答えた。

この行動に後悔するかは、結果次第でしかない。故に、ハルートも後悔するかもしれないし、しないかもしれないとしか言いようがなかった。

 

 

「だが……、なんとなく……、このままバロン様が進めば、バロン様が救われないと思っただけだ」

 

「あっそう」

 

 

 ただ、ハルートはここで何もせずにバロンが完全なる世界へ囚われてしまう方が後悔すると感じたのだ。

 

 そこでハルートは、敵に塩を送る理由を小さく述べる。

これも全ては恩人バロンのためであり、バロンの幸福のためにお前を利用するだけだと。

 

 そう言われたトリスは、そっけない態度で返事を返す。

とは言え、倒れた目の前の男の意志は強く、本当にバロンの心を案じているのだと理解できた。

 

 

「オレではバロン様を止めることはできない。助力しかできない」

 

 

 ハルートは、バロンを止めることはできなかった。

否、バロンの心の隙間を埋め、完全なる世界を目指すことをやめさせることはできなかった。

故に、こうしてバロンの野望のために協力することしかできなかった。

 

 

「故に、バロン様をお前たちに止めてもらう他ない。だからこそなのだ……」

 

「まあ、言われずともやるわよ」

 

 

 だからこそ、自分ではない他の人間に、力ずくでもバロンを止めてもらうしかないと、ハルートは苦渋の決断をしたのである。

 

 トリスはハルートの語りに、別に頼まれなくともやったと言葉にする。

何度もコケにされてきたのだ。やられたままではいられないというものだ。

 

 

「バロン様の幸福のために……、バロン様を止めてくれ…………」

 

 

 そして、ハルートはバロンのために、バロンへの勝利をトリスに願った。

このまま行けばバロンは、夢の中で前世に酔いしれるだけの存在になってしまう。

 

 それが本当にバロンにとってよいものなのかは、ハルートにはわからない。

わからないが、大勢の誰かを犠牲にしてでも、得るべきものではないと、ハルートは今ようやく思ったからだ。

 

 そしてそれは、バロンが本来最も嫌う行為。

そう、バロンは己の欲のためだけに他者を踏みにじるものをよしとはしていないのだ。

 

 このままでは、バロンがそうなってしまう。

最も嫌う存在にまで、堕ちてしまう。それだけは止めなくてはならない。

 

 今更最低で虫のいいことを言っているとハルートは思ったが、気が付けたものが何とかしなければならんとも思ったのだ。

 

 

「フッ……バロン様のためと言いながら、裏切るような真似をしている……。オレは酷く矛盾しているな……」

 

 

 また、最低なのはそれだけではない。

先ほどまでバロンのためをとバロンに協力していた癖に、今度はバロンのためをと敵に協力しようとしている。

 

 なんという自分勝手なんだろうか。

恩を仇で返しているようで、とても心が痛むのをハルートは感じた。

 

 

「――――してないわよ」

 

 

 しかし、ハルートの今の言葉を聞いて、トリスは静かに口を開いた。

 

 

「矛盾なんてしてないわよ」

 

 

 トリスの言葉は、ハルートの言葉を否定するものだった。

 

 

「誰かのためを想って行動するんだから、その気持ちだけは間違いなんかじゃないわ」

 

「……そう言ってくれるとありがたい」

 

 

 本気で人を想い、そのために行動する。

例えその結果が結ばなくとも、伴わなくとも、その気持ちが本物ならばそれは間違いではないはずだと、トリスは思った。

 

 そう言葉にするトリスは、真剣な表情でハルートの顔を見ながら、魔槍の柄へと手を伸ばし掴む。

すると、ハルートが感謝を述べれば、魔槍の鎧がトリスへと吸い込まれるかのようにして装着されたのである。

 

 

「…………なんかこの姿、懐かしい感じがするわね……」

 

 

 そこでトリスは自分の今の姿をまじまじと見て、昔のRPGゲームのキャラみたいだと思った。

何せインナーに着ていた競泳水着のような紺色のレオタードの上に、銀色に輝く魔槍の鎧と長槍という姿だったからだ。

 

 また、トリスは”Fate/EXTRA CCC”のメルトリリスの能力を貰ったが、腕に感覚がないという訳ではない。

なので、その感覚を確かめるように握った魔槍を軽く振り回して見せていた。

 

 

「魔槍もお前のことが気に入ったようだ」

 

「…………本当かしら? 気休めで言ってな?」

 

「……さぁな」

 

 ハルートは軽快に魔槍を振り回す鎧の姿のトリスを見て、ふっと笑ってそう言葉にした。

 

 されど、トリス本人は、本当にこの魔槍の鎧に気に入られたのかと疑問に思い訝しみ、ジロりとハルートの顔を睨む。

 

 そう言ったハルートは、わざとらしく目を瞑って知らないと言う顔をした。

ただ、気に入られなきゃ勝手に装着されたりはしないだろうと思っているので、気に入られていると言うのは彼の本音だ。

 

 

「じゃあ、行くわ」

 

「無事を祈ってはやれんが……武運を祈っておこう」

 

「そ、じゃあね」

 

 

 そして、トリスはもう行かなくては、と思い、未だ倒れて動けぬハルートへと別れを告げる。

 

 ハルートも次に相手にするであろう、自分の恩師のバロンのことを考え、無事は祈れぬと言いながらも、であれば武運は祈ると話した。

 

 トリスもハルートが言いたいことを理解したので最後に一言残すと、魔槍を強く握りしめ、傷だらけの体を押して風のように消え去った。

 

 

「…………そして、願わくば……、バロン様の……幸せを……」

 

 

 トリスの姿が消えた後、ハルートは高い高い宮殿の天井を見ながら、バロンの幸福を最後に願った。

その願いを言い終えた後、再び静かに目を瞑り、気を失ったのだった。

 

 

 


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