うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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幕間:古儀

 硝石が焼ける臭いというのは特有で、当時は感覚が敏感だった若いコゥーハには鮮烈であった。未だにヒリヒリする耳を垂れ、呼吸器官に入ってくる煙を極力抑えつつも、ただひたすら桶に汲んだ水をぶちまけ続ける。苦々しい、良い顔をしていない彼女に、ディーはコゥーハへ質問してきた。

 コゥーハなら、どう使うか、と。

 水神(クスカミ)の力で消火を続ける彼はコゥーハへ視線を向けず、至って平静な横顔で手を動かしていた。桁違いの炎柱を見せつけられたというのに、全くもって太い神経を持っていると感心さえ抱く。キラキラと目を輝かせている相手に文句を垂れながらも、コゥーハは水面に桶を突っ込む。

「炎の威力よりも。目が眩んだ、瞬間的に発生した光を転用できたら、とは」

「……」

「いかにも、残念そうな顔ですね」

 これでも驚いているのだ、とディーは鎮火した様を眺める。

「そちらへの着想は、持ち合わせていなかった」

 嘘を塗ったような顔をしている、と口を尖らせるコゥーハに、まあ、とディーはからかう口調で後始末を続ける。

「具体性に欠ける回答は感心しないがね」

「一応、構想は考えてみましたが」

 嘘吐きの顔をしている、と笑ったディーに、コゥーハは思わず桶にある水を相手へぶちまける。だが、空間を横切った水は被害者の半歩先で蒸発し、仄かに沸いた熱風と紙の燃え滓が黒白の髪を掠めた。

 全く。と、毅然とした様子でアトゥイは護符を振る。

「二人共に。歳相応の行動をして貰いたいものだ」

 昨日の薬草採取の折に、子供のように嬉々として騒いでいたのは一体誰だっただろうか。小声で囁きあう弟子達に苦悶の表情を浮かべるものの、アトゥイは話題を逸らすようにコゥーハへ紙と筆を渡す。

「書いてみなさい」

 えっ、と呟くコゥーハの手に、アトゥイは強引に握らせる。さも悪戯したかの如く笑いながら踵を返し、周囲に置かれた護符を拾っていく。

「なに。私も光への着目が出来なかったのでな。まったく、頭が固くなりつつあることは、認めたくないものだな」

 歳は取りたくない。屈む白翼の陰で、アトゥイは寂しそうに微笑む。

「強制ではない。()()があるなら、の話だ」

「……」

「後始末は私がやっておくから、心配は要らない」

 その発想はなかった、二人の言葉がコゥーハの中で反芻される。じっとりとした二つの視線は一点を見つめており、身体を走った気は丸まっていたコゥーハの背を伸ばしていく。腕っぷしと記憶力以外の物は常に自分の先を行く彼らから、関心を抱かれている……劣等感を満たすには、十分過ぎた。また、信じていないとばかりに嗤うディーの顔に煽られた事が、二人の鼻をあかしてやろうという稚拙な驕りが、コゥーハの手に筆を執らせた。

 ところで。小屋の中にある椅子に腰を据え、コゥーハはディーに一つ質問を返した。

「貴方なら。どう使用するのですか?」

「む」

 何も考えていなかった。想定外の回答に、コゥーハの筆が一瞬止まった。その隣で腕を組み、考えるようにディーは目を伏せつつ眉を上げる。

「……単純に使用するのは駄目か?」

「対象の物質を一気に焼き尽くすということを目的に?」

 具体性に欠けますね、と嫌味を言われ、訂正する、とディーは素直に謝罪した。

「焼畑を行う際の補助や、食えない家畜の処理方法の一つとして……まあ」

 前者は威力が故に制御が非常に難しいかつ燃えた物が果たして肥料として成立するのか、後者は家畜の葬儀(ハハラ)も地方によって様々であるからして受け入れられるか――一般的にヒトの葬送が土葬がであるからして、否、という二人の見解に落ち着く。

 思いつきで言うものではないか。溜め息を吐き、ディーは窓の外、微かに瓦礫が残る丘へ目を落とす。

「後は。少々異なるが、建物の倒壊に使用する事か」

「丸ごと灰塵に、という意味ですか」

「いやいや」

 あくまで倒壊が目的だ、とディーは強調する。

「発生した炎ではなくて、力の方をだな」

 曰く、建物の最も弱い箇所に使用することで、迅速に建物を倒す――大陸には様々な建築物が存在するが、都といった密集している木造の建物は一定の負荷が掛かると倒壊しやすい構造になっているものが多い。

「つまり。火事が起こった際、延焼を最小限に抑えるための素早い対処の補助に、ですか」

 オンカミヤリューも万能ではない、今も想像以上に疲れているのだ、とディーは己の肩を叩きながら口を曲げる。

「問題は多い。実験を繰り返してみないことには分からないが……強すぎる負荷は、想定外の倒壊を引き起こす可能性が考えられる。これを限りなく零に近づけるまでに全てを落とし込むことを考えると――……頭が痛くなってきた、どうやら私の思考が拒否を示している。改めて、世の火消達は偉大だと思うよ」

「おや。あらゆる対象に興味を持つ貴方らしからぬ発言ですね」

「幅と底が広すぎるあの人と一緒にしないでくれ。言っておくが、私にも好き嫌い、得手不得手というものがある」

 知識は歓迎だが、知恵はそれ程にはそそられない。白状すると、医術は得意ではない――専門分野がある、とディーは言いたいのだろうが、何でも苦労なくこなしてしまう彼が言うと、全くもって嫌味にしか聞こえないのは何故だろう、とコゥーハは心中で独りごちた。

「ああ、解剖学には興味があって些か研究した事があった。一時期は禁忌だったが、遺体に刃物も入れたな」

「……」

 冗談だ、と()()を言って、ディーは微笑む。墨の匂いが立ち上る隣、まじまじと紙面を見つめる彼から目を離し、コゥーハは筆を硯へ伸ばす。

 ディーには、好き好きが存在するらしい。彼の事を一番良く理解する彼がいうのだ、間違いないだろう……だが、妙に付きまとう違和感がコゥーハの心に引っ掛かる。

 二人がアトゥイの弟子となって、これまでやって来た事は本当に様々である。それこそ薬師(くすし)の域を超えたものも存在するし、今回のようにヒトによっては些か眉を顰めてしまうものも少なからずある。だが、ディーは、一つの例外もなく、()()()をしているのだ、とコゥーハは振り返る。どんな事柄にも一定量の関心を抱き、一定水準以上の掘り下げを行う、天才だけあって彼の物の捉え方にコゥーハは感心させらてばかりであるが……楽しかったといいたげな()()()笑顔で今日も終わろうとしている。コゥーハが外で相手へ向けた言葉は、全くもって、冗談などではない。

 彼の名を呼び、コゥーハは筆を置く。いつしかなくなっていた書簡に動じることなく、彼の方へ目を向けるわけでもなく、白く光る黒い池を覗く。

「貴方が本当に好きなことは、なんなのでしょうね」

「――……」

 書簡で顔を覆う先で、ディーが吹き出した様が鏡面に映し出される。窓から吹いた冷たい微風に揺れた水面を撫でるように、彼の子供っぽい嘲笑が抜けていく。

「君は時に、痛い事を言ってくれる」

「それは、失礼を」

「いいや。むしろ気持ちが良いくらいだ」

 顔を上げたコゥーハの目に、ディーの寂しげな横顔が通過する。白い髪と翼が相まってか、顔を隠した背中は、どこかアトゥイを彷彿とさせた。

「オンカミヤムカイでは、一目置かれているようでね。それが窮屈な時もあり、なにより怖い。……私が()()()道を踏み外した時、一体誰が止めるのだろうか、とね」

「……」

 嫌味ですか、とコゥーハは茶化してしまう。笑って相手もそれに乗っかり、話題が逸れた。しかし会話を巡り巡らせ、強引に訊ねられた質問に、ディーはくっと眉を上げて答える。

「確かにアトゥイ様が放棄された研究には関心が尽きない。が、好きと関心は連動はするが、別物だ」

 先程の問いは、先日アトゥイにも言われた――答えられなかったとディーは背中越しに吐き出す。

 これまで見てきたものは全て、自分なりの『答』がすぐ出てしまった。故にか、楽しい、という感覚の認識が曖昧であり、改めて問われると何も思い浮かんでこなかったのだとディーは嗤った。

「だが。二者は繋がっている。少なくとも、彼の研究を行っているときは胸が躍り、心が満たされていく。寝食さえ忘れそうな程に周りが見えなくなることも、しばしばある」

 今までに体験してきたものの中で、一際強い感覚。故に、とディーは相手を見上げるように顔を動かした。

「ソレが本当に好きなことであるのかどうか確かめるためにも。研究を追い求めることを辞めるつもりは全くない」

 意志の強い小声に違わず、精悍な顔つきをしていた。赤みが帯びた黒い瞳は、否応なくコゥーハの心に痛く突き刺さる。返ってきた書簡に触れた刺々しい痛みが更に増幅させ、垂れた前髪の奥でコゥーハは顔を歪ませた。その真下では、黒い鏡面が風で激しく荒立つ。

(――……)

 それも刹那。やって来たアトゥイが書簡に手を伸ばしたところで、風の流れが変化した。二人は自身の顔に手を当て、各々普段通りの微笑みで座り直した。

 

 

 

 

 

 無論。アトゥイが言った事は理解しているつもりでいた。ただ、コゥーハの驕りは当然と言えば当然の如く、真面目な学者達によってへし折られたのは言うまでもなかった。

「構想段階にも限度がある。第一、使用目的が明確でない事は致命的過ぎる」

「何だ。モロロを食い荒らすキママゥを追い払う程度の目くらましか。てっきり狼煙の代用かと思ったぞ……だったら尚更、この量はおかしい。お前は、使用者諸共吹っ飛ばす気か?」

「確かに。護身用か、罠のような設置型なのかにもよるだろう。しかしいずれにしろ小型化する流れになる。それを踏まえて各配合の量を――……っ。控え過ぎだ。どんな計算をした? これでは、光どころか火花すらも上がらないぞ」

「待った。これでは懐へ入れた時点で発動するのではないか? ……ふむ。信じられんというなら、実際やってみるか」

 罵倒にも似た駄目出しも交る部屋、震えるコゥーハの足元では巨大な紙が広げられ、いつしか見慣れぬ『言語』がもの凄い勢いで刻まれていった。最初はオンカミヤリュー族の使用する言語かと思ったが、古代の遺跡に刻まれてい楔形とは明らかに違う。大小異なる円や小さい点、蚯蚓をくねらせて作ったかのようなソレらをびっしりと詰め込んだ文様を、コゥーハは理解することが出来なかった――おそらく時間を掛ければ理解できるのだろうが、完全に置いてけぼりを食らった現状、心情が穏やかではないのは子供でも分かる。

「ソレらは……何でしょう?」

「数式だ」

 彼らの毒気に当てられたのか、どちらが答えたのかコゥーハは思い出せない。しかし、一瞬見せた二人のきょとんとした横顔が、今も高い壁として聳え立っている。さも知っていて当然かのような、不思議なことを尋ねられたかのような反応が……彼らは、違う次元に住む者なのでは、と。

「ああ。これは古代の文字だ」

 遥か昔。嘘か真か、大いなる父(オンヴィタイカヤン)が使用していたと云う文字だとコゥーハは説明された。彼の『言語』は大きく分けて三種類になるが、筆で綴る記号は全てに共通した記号で、数を表している――古い言語を用いるのは、発見されている『言語』の大体が数式でありかつ良く使用するため、機密にしてしまう癖が抜けないからだとアトゥイは笑った。

「なに。此処にあるほとんどは無駄になった過程だよ」

 ぼうっと見ていたコゥーハの頭に、チリチリとした痛みが走る。気怠さが肩を重くし、無情な騒音が耳を強く引っ張る。

(音を遮断する幻術は、とっくに切れているというのに――)

 視界が白くぼやける奥、更に白く彷徨う場所にコゥーハは手を伸ばす。小さく短い指先が、一歩、また一歩と近づくが、髪どころか羽根の先さえも引っ掛る気配はなく、遠ざかるばかり。反比例して、全身に圧し掛かるモノは強く拘束し、コゥーハは思わず膝を折る。急激な吐き気に咽返り、べっとりと濡れた手の平は地を付いた。

 不気味過ぎるまでに、ひんやりとした地面だった。赤黒い汚物の厚い層を介しているというのに、感触は直に伝わってきた。非常に冷たく、異常に固く、至極に白く、格別に無機質な物体。石畳というには滑らか過ぎて、黒曜石(コクユカゥン)というには仰々すぎる、見慣れぬ床。

 不意に、コゥーハの片手はソレを叩く。カツ、と聞き慣れぬ音が茶色の耳を動かし、刹那、頭上から降ってきた物が鈍い音を立てて眼前に横たわる。

 ヒトの手である。目を凝らして、正確に言えば、武人のように筋肉質な成人男性の左腕だけである。当然二の腕から先、心の臓器へ至る部位は無く、代わりにコゥーハのモノよりも多量の鮮血が、素足を濡らす。

 声帯が動かない。否、指先から足の小指の先まで、自由が利かない。動かないとは違う、何故ならば――

(――――)

 コゥーハの指は血溜まりをなぞり、濡れていない白い床にナニかを書いているからである。その手の甲に、冷たい水が滴り、乾いた色に消えていく……ただ一つ、理解出来たことは、それが()()であること。

 

 

 

 

 

※※※

 

 

 

 

 

 変な時間に起きてしまったものだ。自身の寝台に腰を据え直し、コゥーハはぼうっと窓の外を眺める。その真上、パララの寝言に耳を上げつつも微笑んだ。

 トゥスクルの兵舎は、各衆の総隊長と副長を除けば、数人一部屋である。厳密に言えば衛生兵とウマ(ウォプタル)の調教師の扱いは異なるが、基本的に各衆ごとに、小隊は関係なく割り当てられる。無論、女性だけが個室を与えらえることはなく――法改正を行った際の最初の取り決めでは、男女関係なく振り分けられる予定ではあったが、コゥーハが"特殊"な事情を持つことや、エルルゥを始めとした女性達から断固とした反対の意があったという事情があり、女性は女性でという決まりに落ち着いた経緯がある。とはいえ、パララが入隊するまでは女性の一般兵士はコゥーハ一人だけであったし、パララがほとんど私物を持たないこともあってか、実質コゥーハの部屋と化している。書棚に収められている木簡も、常備薬も、筆記具も、鏡も、茶器もハチミツも、コゥーハの私物である。

 共有が嫌というわけではないが……常に高価な化粧道具くらいは、せめて自分で購入して貰いたいものだ。息を吐き、コゥーハは立ち上がる。

「自分よりもあんなに上手く化粧をするというのに。新兵とはいえ、給金は不味くないはずなのですがね。倹約家にも見えませんし……他に散財しているのか、はてさて」

 机にある皿に水を注ぎ、コゥーハは発光石を乗せた。ぼうっと光が灯る皿の側、無造作に置かれた部下の唯一ともいえる私物がコゥーハの目を惹いた。

「ふむ……中々の値打ちものと見受けられる」

 以前手にした際にも思ったが、美しい簪である。茜色の花と蜻蛉の装飾が華やかで、しかし嫌味の無い派手さ、細部まで一厘単位で凝っている様から、制作者のこだわりと実力は測り知れない。よくよく観察すると、大陸中央、丁度シケリペチムの皇都で古くから愛されている紋様が掘られており、おそらく彼の地で作られた物なのだろうと推測する。

 パララに一瞬目を向け、コゥーハは尻尾を揺らしながら簪を手に取る。

(二つあるようですし。異なるようですが、一本位くすねて質屋に――)

 心中で冗談を思っていたコゥーハの手から簪が消える。背後、明かりに翳す簪を眺めながら、寝起きなのだろう、持ち主たるパララが半開きの目で口を開いた。

「ああ……父上の方か」

「……?」

 無造作に広がる茶混じりの黒髪をぼりぼり掻きながら、パララは何処かから取り出した小さな収納箱に簪を納めた。二つの簪に眉を顰めながら、コゥーハは相手に質問した。

「パララの父君は、簪職人だったのですか?」

「まさか」

 パララの目が、大きく見開かれる。

「奴はただの屑だった」

 黒い釣り目の奥に、一切の光は無い。普段とは違う、暗く、まるで汚物を見るかのような目で、彼女はただ一言吐き捨てた。

「すまなかった」

 頬を掻きつつ軽く頭を下げるパララに、コゥーハははっと身体を動かす。欠伸を噛み殺しながら出口へと足を運ぶ道すがら、パララは相手の問いに手を振って答えた。

 厠へ行ってくる。脱力した声そのままに、ああ、とパララは思い出したかのように補足する。

「まーた手紙を書くのは構いやしねえが、ベナウィ侍大将の怒りを買わんくらいには、身体を大事にしてくれ。とばっちりは死んでも御免だ」

 尻尾を上げるコゥーハの隣で、筆記具一式が静かに光った。

「御忠告、感謝致します」

 

 

 

 

 

 何しに来たんだ、と訝しむ同僚に、コゥーハは至極真面目な顔で答える。

「早い朝食を頂きに」

「やらん。帰れ。これは夜勤明けの奴らに配るもんだ」

「いやですねぇ、冗談ですよ。自分めが、そんな卑しい者だと」

 思う。焚き火の上、釜の中身を掻き回す彼に、コゥーハは肩を落とす。

「本当に冗談なのですよ。モロロ粥を作り終えたら、しばらくその火をお貸し頂けないでしょうか?」

 あぁ? と首を傾げる相手に、後始末は自分が行うからとコゥーハは付け加える。疑念の顔が払拭されることはなかったが、相手は了解の意を示した。やがて完成した食事を両手に、後は任せると言い残し広場を後にした。

 時は正しく夜明け前。目の下にある隈とは対照的な眩い光が皇城を照らす。逆行する細い煙が天高く立っている様をコゥーハは仰ぎ、微笑んだ。

(さて)

 コゥーハは背伸びをした後、一つの紙を取り出す。

 未だ墨の香りが際立つ、上等な紙である。書物が好きなコゥーハが選んだ、極上の一品。ふっと横切った数字を投げ捨て、広げた紙面をすっと流し読みする。

 目くらましの件は、結論から言えば、当時は完成に至ることはなかった。というのもコゥーハが途中で倒れ、アトゥイが騒ぎ立ててしまったために他ならない。恥ずかしいことに、コゥーハも今まで記憶の片隅に追いやっていたあたり、おそらくさほど関心もないのであろう。それでも、今更完成させようと思い立ったのは、先日の戦で使用されたモノが原因なのかもしれないと薄く微笑う。

(もったいない、と思ったのでしょうか)

 アトゥイの影響か、コゥーハ自身、何かを発明するという事は嫌いではない。むしろ幾つも手をつけては、試行錯誤を繰り返している――薬品、雑貨、家具、等々。食事を除けば多義に渡るが、ここ十数年……正確に言えば、アトゥイから離れた時から、完成された品は一つとして存在しない。理由など、ごく簡単なものだ。コゥーハが天才ではないからである。

 アトゥイの助言は、実に的確であった。知識量だけはない、特定の点と点を結ぶことが、非常に上手い――そして、自分の苦手とする部分でもあるとコゥーハは俯く。知識が多いということはそれだけ選択肢は広くなる。だが同時に、無数の可能性は、時に正しい経路を踏み外す。幼い頃から書物を読み耽り、世間話とはいえ他者と多く関わってきたコゥーハの知りうる事は莫大。無数の点から選りすぐり、線で形作る労力はコゥーハの処理範囲を超えることは多い……アペエ養伯父に持ちかけられた商売に夢中で、訓練を怠っていたこともあるか、とコゥーハは笑う。

 コゥーハは改めて紙上を眺める。我ながら、信頼できるヒトに見せても恥ずかしくない、良い出来だと胸を張りたいが、アトゥイに言わせればまだまだなのかもしれない――無意識に空を仰いでいたコゥーハの背後で、男の声が響いた。

「ほう。良く出来ているな」

 耳と尻尾を跳ね上げ、コゥーハは咄嗟に紙を隠して振り返る。

「せ、聖上……驚かせないで下さいませ」

「いや、声は掛けたんだが」

 こんな時間に出掛けていたのか? と部下に問われるが、ハクオロはのらりくらりとはぐらかした。彼の関心はそこには無いようで、視線は一点、紙面に書かれている概要へと絞られている。

「ざっと見たところ、閃光弾の設計図のようだが」

「せ、せんこう?」

 ソレの仮名称を言っているのだろうか? 確かに、名前までは考えていなかった――改めて紙を広げたコゥーハの横で、躊躇いなくハクオロは顔を近づけてきた。

「ふむ……成程」

 面白い。笑う彼の横顔に、アトゥイの顔が重なる。

「本当に、面白い――」

 連呼するハクオロに、左様ですか? とコゥーハは身体を竦める。揺れている茶色の尻尾を片方で押さえつけ、受け取った紙を握る手を強くする。

「これはコゥーハが?」

「大半と調整は。ですが、アトゥイ様達から相当の指摘と知恵をお借りしているので、自分が設計したとは言い難いところで御座います」

「それでもコゥーハが完成させた。違うのか?」

 大きな手の平が頭に置かれ、コゥーハは妙に頬を紅潮させてしまう。恥ずかしさから来ているのか、はたまた――

 いいえ。心中に蓋をし、コゥーハはそっぽを向いた。強引に取り戻した紙に皺を作り、赴くままに手放した。

「これは未完成品です、故に」

 ふわりと舞った白い紙は、静かに炎へと吸い込まれていった。焚き火の中で黒くなっていく様を見つめながら、自分に言い聞かせるようにコゥーハははっきり口にした。

常世(コトゥアハムル)にいらっしゃるアトゥイ様にご指導頂くべく、お送りしようと思いまして」

「……そうか」

 コゥーハに目を向けられるが、ハクオロは肩を上下させる。

「構わないさ。第一、私に許可を取る必要は無いだろう」

 ただ。白い仮面の下、怪しく歪んだ口は続ける。

「ソレを応用した物を、仮に誰かが作ったとしても、コゥーハは文句が言えまい」

「勿論です」

 是非も無かった。焚き火の底に灰が溜まっている事を確認し、コゥーハは桶にある水をぶちまける。仰いだ煙はくっと曲がり、微笑んだように霧散した。




補足:
葬送についての記述は、独自設定です。原作のどこかに記載があった気がするのですが……見逃している感じが拭えません。文化や風習は、宗教や場所によってそれぞれであると思うところもあるのですが、補足させて頂きました。間違いありましたら、すみませんがご指摘願います。
謝罪:
一部細かな描写を修正しました(2016/01/27)

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