うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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不壊

 皇都の郊外。主要街道のある賑やかな大通りの喧騒はなく、職人達が集う路地の厳かな空気もない――其処だけ時が止まったかの如く、静かに眠るように存在する場所がある。そこを歩く者達の足取りは粛々としており、持ち寄った花や食べ物を盛られた土や小さな石碑の側に置いて手を合わせている。微笑む者、すすり泣く者、怒りを露わにするもの……遠くから彼らに会釈しつつ、ベナウィは細い道を歩く。

 木が生い茂っているためか、夜が明けて随分経つというのに林道は薄暗く、頬を切る風は肌寒い。しかしかえって心地良く感じるのは何故だろうか、とベナウィは肩を触り、いつもと異なる重さに苦く笑った。

 普段の……侍大将として任を果たす際に身に着けている白い肩当てや胸当ては無い。首元にあるのは紺色の重い外套ではなく、くすんだ青色の軽い外套のみ。そして手には筆や槍ではなく、引き出しのある小さな木箱と二種の花束――紅紫色をした小花が穂状に集まっている花と、細い枝に咲く黄色い花。一個人として、彼らと同じ目的でこの地を訪れていた。

 法要の時期とはいえ人が多い事に心を痛めながら、歩き続けていたベナウィの足が止まる。

 目的地。狭く薄暗い一帯とは異質な、視界が開けた丘陵。その中心、色とりどりの花束に囲まれる形で、大小の異なる白い墓碑二つと、天へと伸びる柱が一本鎮座している。二つの石碑はトゥスクル國建國後にハクオロの意向で建立されたものであるが、そこに刻まれている主旨は若干異なる。ベナウィの身丈より大きい碑は、先の戦――ハクオロ達が蜂起し、ケナシコウルペ國滅亡とトゥスクル國建國の要因となった戦で亡くなった者達を追悼する碑であり、ベナウィが置いた紫の花を始め、捧げられている供物のほとんどが彼の碑に手向けられている。そしてもう一つ、大きな碑の供物に隠れてしまう程に小さな碑の正面でベナウィは膝を折り、黄色い花を捧げようと手を伸ばした。だが――

「…………」

 細い枝が、ふっと上がる。一度は地面と平行になった茶色の木を、垂直に立たせて硬直する己の手を、ベナウィはくっと睨む。が、枝も手も、それ以上動かない。呆れ嘲るような冷やかな風だけが前髪を揺らし、側に立った深淵がその場を支配していく。

 しかし、静寂は一つの侵入者によって一気に瓦解した。

「おや。奇遇ですね」

 やって来た影から、非常に聞き覚えのある……多少の苛立ちを呼び起こす声に溜め息を吐き、ベナウィは相手へ目を向ける。長い茶色の耳に同色の太めの尻尾、平らだが確実に女性の胸と首筋に走る三本の傷を確認し、それがコゥーハであると再確認し、再び溜め息を吐いた。

 心外ですね。と軽く口を尖らせるも、相手は――コゥーハは、立ち上がったベナウィの手にある花を見つめる。

「供養の花として有名な紫の花、裏の花言葉は、謝罪。そちらの手にある黄色い花言葉は、信念を貫く」

 詳しいですね、と相槌を打つベナウィに、お互い様です、とコゥーハは気のない様子で返した。

「前者はアトゥイ様が。後者は知り合いの学士が良く摘んでおりましたから。……いずれも、好き、というには些か違うかと思いますが」

「友人と連絡は取れたのですか?」

 友とは違いますが。と、やや呆けた様子でコゥーハは首を横に振る。

「連絡は未だに。少なくともチェンマにはいないようです」

「……」

 行ったのか。とは、ベナウィは問わない。青い外套で首筋を隠しつつ、露出の少ない服をいじるコゥーハから目を逸らした。相手の反応に対してコゥーハは眉を上げるも、いつもの微笑で空を見上げる。西方へ流れる白く厚い雲を眺めながら、問題ない、と目を細める。

「急ぎの用もありませんし。勿論、使節団の方々の手を煩わせる事などあってはなりません。……研究に没頭しているか、資金集めに奔走しているか。尤も、後者は研究にかまけて良くある事ですので、自業自得ではないだろうか、と思ってしましますが」

「信頼しているのですね」

「信じているとは違います。……おや、妬いているのですか?」

 まさか。とベナウィは呆れる。

「貴女に興味を持った人です。余程の変人なのでしょう」

「貴方が仰ると、乾いた笑いしか出ませんが。興味関心のある分野に限れば変人なのでしょうが、全体的には至って普通かと思います。そう、ハクオロ様のように」

 ハクオロ、という響きに、ベナウィの手に力が入る。

「聖上、ですか」

「ハクオロ様です。……おっと、聖上の事で」

 件の調査報告は、と言いかけた相手をベナウィは制する。意を理解したのか、コゥーハは謝罪し、纏めた物を後日にと小さく付け加え、石碑に花を手向ける。

「貴方が此処をお訪ねになるとは」

「意外ですか」

「そうは申しておりませんよ。孝行な息子に喜ばぬ親はいらっしゃらないかと」

 貴女は何故ここに? というベナウィの問いに、コゥーハの瞳が微かに揺らぐ。

「亡き養伯父の……怖い顔をなさらないで下さい。違いますよ。アペエ養伯父は現在も行方不明、ということになっておりますし。カナァン様よりも下の、放浪中の元義叔父も最近になってようやく連絡が取れましたし。此処で亡くなったカナァン様の御親戚は、チロン様お一人だけ」

 オンカミヤムカイの暦では命日があるのが今期でしたか、とコゥーハは立ち上がり、木の支柱に触れる。

「貴方のお父上と同日に、同じ罪で、当時の(オゥルォ)によって、この場所で処断された、ね」

「……」

 十数年前、ケナシコウルペ國内で起こった謀反後、インカラの父に当たる当時の(オゥルォ)は大々的な改革を行った。その最たるものが、(オゥルォ)政策に意を唱える者達の粛清――ひいては、彼らが追放した皇族の親戚(ウタル)や彼の皇族に仕えていた者達、皇族を支援していた者達の処断である。皇族の親戚たるベナウィも最初は例外ではなかったが、子供だという理由もあり、母親を人質に取られる事を条件に奇跡的に免れた――詳しい経緯は不明だが、ベナウィ以外の親戚(ウタル)も何人か処断を免れた者もいる理由は、謀反発生前のケナシコウルペ國体制から察するに、彼らを全員処断してしまうと國そのものが成り立たなくなってしまうという結論に至ったため、と推測している――とはいえ、家の長たるかつ事の首謀者であるベナウィの父親やチロンは免れるはずもなく、皇太子達を逃がした罪で処刑された。以後この地はケナシコウルペ國滅亡まで罪人の処刑地とされ、トゥスクル建國後ハクオロによって廃止された。

 小さな石碑は処刑された彼らを供養するためのもの。同時に、ベナウィにとっては父親の墓のような存在である。しかしながら、コゥーハにとっても同じ存在とは考えにくいと、ベナウィは口を結ぶ。理由は、コゥーハが初めてチェンマを訪れたのは、ベナウィの父親達が処刑された後であるため。

「顔も知らない相手のお墓参りですか」

「……カナァン様は毎年この時期に此処を訪れておりましたから」

 それに、とコゥーハはゆっくりと柱を撫でる。

「『死者は悼むべきだ。それが誰であろうとも』。破戒僧らしからぬ養父の言葉です。――貴方も同じお考えでは?」

 ピリッとした声が、ベナウィの頬を掠めた。

 コゥーハの視線は響いた声と同様に鋭い。研ぎ澄まされた短刀のようなそれは、正確にベナウィの持ち物である小箱をさす。

 故人が生前好んだ物を墓前に捧げる事は珍しくなく、ベナウィの持参している煙管一式も例外ではない。しかし、屋内用の盆と新品の道具一式からして、ベナウィ自身や両親が煙草を嗜むことはないのでは、とコゥーハは推測する。またベナウィがこの地で箱を開ける気配が無く、かつ数本の花を未だに持っている様子から他にも巡る予定であると予想し、話は小箱から仄かに香る煙草の匂いに及んだ。

「この匂いは非常に独特の物。以前、宮中で同じ物を試させて頂いた事が御座います。そして彼の御子息も同じ物を愛用されていたとか」

 微かに後退したベナウィに、コゥーハは半歩踏み出す。

「何処へいかれるおつもりか。伺っても宜しいですか?」

「聞いて。どうするつもりですか」

 気に入らない、と言いたげなコゥーハの視線には慣れているものの、その奥にある墨色の瞳がベナウィの心を深く貫く。

 相手の言動に対して、自覚のある動揺。顔は隠すことに必死だが、コゥーハにはそれが――おそらくは、これから向かおうとしている場所も解っているのだろう、とベナウィは軽く俯く。そして、自分の立場……亡國の侍大将である立場を鑑みた上で、行くべきではないと訴えかけている。たとえ一個人として、であったとしても。

 彼女の意は正しいのかもしれない。少なくとも無意識に足を引いてしまったあたり、若干の後ろめたさがある事は否めない。しかしその足が更に後退することを許せない。

 解っているのであれば。ベナウィは後ろの足を横に伸ばし、ゆっくりと息を吐きながら姿勢を正した。

「先程の問いに答えましょう。是です」

「……」

「聖上の許可は頂いています。むしろ、『知っておくべきだ』と」

 成程、それで。と両耳を動かした相手を一瞥し、ベナウィは花を石碑へと捧げた。迷いなく置かれた黄色い花弁は冷たい微風にさらされ、この地を後にする冴えない青色の外套と共に靡く。

「貴女は。どうしますか」

 相手の返答は解っていた、故に振り向くこともない。しかし、あえてベナウィは訊ねた。

 

 

 

 

 

 彼の石碑から離れ、ウマ(ウォプタル)に揺られること四半刻。その後、道なき道を歩くこと更に四半刻。木々に囲まれたとある場所で、ベナウィとコゥーハは足を止めた。二人の視線の先、数歩もない先の地に目を凝らし、コゥーハは困ったように眉を下げた。

「予想、通りとはいえ……さて」

 誰もいない、誰も近づかないような場所。そこにひっそりと小さな墓碑が一つだけ佇んでいる。きちんと供養されたと思われる跡が碑に刻まれているが、先程の霊園にあった他のものと比べると小さく質素である。流れる冷たい風が寂寞とした雰囲気を更に強め、此処に眠る者の趣味趣向とは全く違うものだ、とベナウィは息を呑む。

 じっと墓を見つめるベナウィの隣で、コゥーハは手に持つ紅紫色の花を振る。

「優しさ、というべきか、あるいは。とにもかくにも、変わった方としょうするべきですか。ハクオロという御仁は」

 若干の呆れを抱かせるものの、コゥーハの口調に嘲笑の様子は無い。むしろこの状況を呑み込もうと必死であり、今後の己の身の処し方をどうするべきか、と感情滲む瞳で石碑に刻まれた故人の名を見据えながら小さく呟く。

「インカラ(オゥ)のお墓が存在するとは」

 動揺した顔を隠すように俯いたコゥーハをよそに、ベナウィは膝を付く。置いた箱から紅玉(ティ・カゥン)の指輪――火神(ヒムカミ)の力を宿した法具と煙管を取り出し、慣れぬ手で火皿へと煙草を入れ始める。

「意外、でもないでしょう」

「はい。ハクオロ様……聖上らしくてよろしいのでは」

 ベナウィの指に嵌められた法具が紅く発光し、火のついた煙草から煙が昇っていく。

 視界が翳むやや濃い灰色の膜は、盆に渡された煙管を包むようにゆっくりと昇っていく。薄く均一に真っ直ぐに、されど人一人分までしか広がらない、不自然なまでに規律正しい雲煙――不満、窮屈、という彼らの声が鼻腔をくすぐり、一旦は煙管から離れたベナウィの手を再度戻させる。浮かされた吸口は口元へと寄せられ、しかしコゥーハによって下げられる形となった。

 貸してください。攫ったコゥーハの手に迷いはなかった。布を挟んだ口に吸口を当て、わざとらしく粗雑な仕草で吸ってみせた。

 灰色の煙――吐き出されて広がる様は美しくない。むしろ不規則な濃度で漂うソレは香りも非常にきつく独特で、明らかに人を選ぶ香り。喫煙者であるコゥーハの顔も険しい。だが、ベナウィの心は決して悪いものではなかった。

 目に入る強い刺激。謁見の間で、時には書斎で、稀に他の場所で、つい最近まで見られた光景。だというのに、もう二度とやって来ることはないと理解するや否や、ベナウィの胸は締め付けられた。それは、もう民が苦しめられれる事はないという安心とは、また違う感覚。

「懐かしい、のでしょうか」

 ごく稀に走る危うい感情に、花を手向けるベナウィの手が震えた。

 本当に、上手く真似して吸うものだ。ベナウィの一言にコゥーハは鼻を鳴らし、もう良いでしょう、と吸い収めに入った。慣れた手つきで片付ける相手を煙越しに一瞥し、ベナウィはそっと花を置いた。

「失望しましたか」

「私に、自分に訊ねないで下さいませ」

 怪訝な顔で、コゥーハは煙管の各部へと目を走らせていく。

「故人を懐かしむことも自由。故人を恨んで生きることも自由。故人の死は自分のせいだと謝罪し続ける事も自由かと。立ち止まり過去を振り返ることで、その方が生きる糧となるならば、なおかつ前へと進めるのであれば」

 私も似たようなモノです。自嘲気味に微笑むコゥーハの顔は、降りた前髪に隠れる。

「本人がどう捉えるのかは別として。相手は……幸せな事だと思いますよ。自分としては、忘れられる事の方がとても悲しく、寂しく、恐ろしい。自分の――いえ、彼らの存在意義が失われてしまうようで」

 それが故人の遺志だったとしても。その一言を機に、コゥーハは押し流すように言葉を吐く。呻き声の混じる声で。

「國史にアトゥイ様の名が存在しない事は、やはり寂しいものですね。当然といえば当然なのですが。実を申しますと、主治医の職を辞された後もインカラ(オゥ)を何度か診察された事もあるのですよ。相当に嫌われ、散々な嫌味を頂戴しながらも」

「知っていますよ」

 ありがとうございます。溜飲が下がったかのようにコゥーハは息をつく。その様子にベナウィは一瞬微笑むが、すぐに口を固くする。

「此の地の事は」

「勿論。誰にも申しません」

「聖上に事の次第を報告した上で、しかるべき処罰を受けて貰います」

「……受ける事が前提とは」

 当然。という言葉に両耳を下げたコゥーハだが、不平不満や後悔の色はない。むしろ覚悟をしているとばかりの緩い笑みを浮かべ、「聖上であれば、厳しい沙汰を受ける事はないかもしれませんね」と、気の抜けた事を口走る始末。

 この際であるからして数々の罪を証拠と共に計上し、処断を検討して頂くようハクオロに奏上するつもりである事をベナウィは突きつけた。泣き縋ってきた相手を更に突きつつも一通りの謝罪を聞いた後、大半が冗談であることを理解させることで落ち着かせ――コゥーハの目は尚も信用ならないと訴えかけていたが、ベナウィとしては取りあう訳が無いため、見て見ぬふりを決め込んだ――すっと立ち上がった。

 もう良いのか、という問いに、ベナウィの背中が止まる。同時に、彼の影が墓碑の間に真っ直ぐ伸び、深い溝を作る。

 流れる風が木々を揺らし、明滅する陽光が周囲の暗さを薄める――貼りついて揺れない前髪によって、青みを帯びた黒い瞳は見えない。未だに粘つく煙が首を掴む中、沈黙は続いていく。

 コゥーハは何も言わなかった。物音も立てず、呼吸音も小さく、背中を突く無感情な視線も変わらない。只々ひたすらに返答を待っている相手にベナウィは振り返ろうとする。だが、その思考も儚い言葉と共に一瞬で散った。

 柄に乗った左手が素早く移動し、鞘ごと腰から抜いた得物がベナウィの左側で激しい音を立てた。

 軽くない、しかし重くはない攻撃を流し、体勢を直しつつベナウィは相手を一瞥する。殺気と視線が交差したと同時に、勝ち誇ったような相手の男の笑みが歪む。

「舐めやがって!!」

 痛みが掠めるも、ベナウィはいつも通り冷静に捌いた。軽く身体を捻り、数か所から現れた者達の切っ先を叩き落としながら一歩一歩後退し、やがて踵に走った感覚に眉を寄せた。

「今もなお、インカラを庇うとは。貴様も落ちたものだ」

 踵から影が伸びる先、ベナウィのすぐ背後には暗く佇むインカラの墓があった。

 男の言った通り、無意識に動いた身体。その意味をベナウィは胸の内に問いかけるが、答えはすぐに上がってこない。考えれば考えるほど複雑に絡み合ういとが更に締め上げ、己の全てを――足を、腕を、垂れた首をも硬直させていく。喉も枯れ眼も乾き、しかしじわりと気持ちの悪い汗が滲む冷えた背中。その背中の一部に、温い背中が押し付けられる。

 クロウのような、大きく頼もしいものではない。一瞬当てられたそれは小さく骨ばったもので、預ける気には到底なれない代物。だが、温く固い彼女の……コゥーハの背中は、思考を現実へと引き戻した。

 何故、彼女も墓を守るように十数人の相手と対峙しているのか。少なくとも数十人以上に囲まれている現状を把握しつつ問おうとしたベナウィを、コゥーハは遮った。

「腰に見える所持品等から。先日の賊とは違う、もう片方の賊。という推測は間違いありませんか」

「…………」

 トゥスクル國内で悪事を働いている賊の八割は、主に二つの勢力に大別される。一つはインカラ(オゥ)に仕えていた者達で、現(オゥルォ)であるハクオロの政策で建てられた施設や臣下達の屋敷を襲撃しつつ、旧体制を取り戻すべくインカラ(オゥ)の娘を捜しているといわれている。そしてもう一方は、かつてインカラの一族に追われた皇族に仕えていた者達で構成された勢力である。

 國がインカラの一族に取って代わられた後、彼の一族の横暴から民を守ること、という目的の元で秘密裏に作られた組織が存在した。しかし國の傾きが顕著になり始めた頃に分裂、ハクオロ達が起こした戦でより複雑にかつ決定的なものとなる。ハクオロ達の勢力へ加わりインカラを打倒せんとする者、尚も残って民達のために尽くした者、あるいは中立の立場を取る事で己が地を守った者――その中に交っていた過激派の一部、その果てが、現在のトゥスクル國の民を脅かす賊という存在となっている。彼らの目的は一つ、皇族の復興。ケナシコウルペ時代にはインカラを、トゥスクル國建國後はハクオロを(オゥルォ)の地位を奪った簒奪者とし、対象に関わるもの全てを襲う……内乱を起こしてでも復興を、という姿勢の彼らに、もはや民を想う気持ちは無いのだろうか、とベナウィは唇を噛んだ。

「申し訳ありません。巻き込んでしまいましたね」

 全くです。指で頬を突きながら、コゥーハは苦い笑みを浮かべながら左手を自身の鞘へと滑らせる。

「後ほど、埋め合わせを要求致しますよ」

 高らかに見返りを要求したコゥーハの肩をめがけ、切っ先が振られる。が、コゥーハは難なく躱した。複数に及んだ攻撃も器用に避けつつ鞘に収まったままの剣を手を取り、相手の急所へと剣の鞘を叩き込む。

 数人が倒れる地の真上で軽く振られる、もはや抜くことのできないであろう程に折れ曲がったコゥーハの剣。眉を下げつつ佩き直し、素手のまま相手を睨む彼女をベナウィは窘める。

「コゥーハ」

 解っておりますとも。殺気だったコゥーハの小言が、彼女の振り上げた片足と共にベナウィの脇を通過する。直後、コゥーハが足で受け止めた槍が地面に叩き付けられ、彼女の手にすっぽりと収まる。

「素手では加減が全くできませんから。墓前を血の海にするなど、私の……自分の趣味では御座いません」

 穂先を素手で破壊した後。どよめき起こった彼らを眺めつつ、コゥーハは手にある得物を強く握り締めた。心を落ちけるかの如くゆっくりと振り下し、静かに地面を付いた音。その合図が、彼女達が地を蹴り上げると重なった。

 

 

 

 

 

 この場に何人倒れているのか。あれからどの位の時が経過したのか。相手は一体何人いるのだろうか。浅い呼吸を繰り返すようになってから、ベナウィは一旦それらの思考を隅へと追いやった。隙のできた相手に一発打ち込み怯ませ、横からやってきた大ぶりの攻撃喰らわせようとする別の相手の急所へ二発打ち込み気絶させる――一人一人の相手は普段から相手にしている部下達の比ではないが、果てしなくかつ止む気配のなく積み重なる切っ先は確実にベナウィの、特にコゥーハの体力を削いでいった。

 着用していた外套は既に無く、あちこち切り裂かれた部分からは切り口がある。それらと一致する至極浅い傷も垣間見えるが、決して致命傷となるものは一つとして無い。だが、薄ら笑みを浮かべながら棒を振るうコゥーハの動きは精彩を欠いているようだ、とベナウィは攻撃を流しつつ彼女の動きへと視線を走らせる。大雑把な薙ぎに、力任せの受け流し、手持ちの武器に最適な間合いよりも短い距離での立ち回り。何よりも目を引いたのは、疲れ切ったように粗い呼吸とぶれの激しい視線、首元にある古傷の上を走る汗である。流れる量も普段の比ではないが、流れる汗が肌色に濁っているという事。

「――ふっ」

 新たな切っ先を躱し、また一人を退けたコゥーハは汗を拭う。が、折れた武器を投げ捨てる手の甲……化粧の下から現れたそれに気づき、慌てた様子でベナウィから離れた。

 生々しく残されている傷や痣。一箇所ではない、片方の頬や破けた服の奥からは焼け爛れた肌が露出し、汗の通過した後ろ髪の下にはうっすらと刃物で付けられた真新しい傷が見られる。身体全体の至る所にある幾つかは古傷だが、それ以外の新しい傷が多過ぎるとベナウィは眉を寄せる。

 どうだって良い。低い声を発しながら、服の部分を切り裂かれた背中を押しやってきたコゥーハに、現状の打開策はないかとベナウィは努めて冷静に振った。

 相手の質問に、コゥーハは冷笑混じる顔で答える。

「全員。殺してしまうことが理想では」

「……。茶化しますか」

「さて、ね」

 ベナウィの頬にあるかすり傷を睨みつけるコゥーハの冷ややかな微笑は、全く崩れない。拾い上げた相手の槍へと冷たい声音を吹きかけ、感触を確かめるように片手で軽く回転させる。

 その瞳が、金色のモノへと変化する。吐き気を誘う、気色の悪い瞳を。

「これ以上は貴方に付き合いません。何故、貴方が抜かないのか分かり兼ねますが――」

 自身の頬から指を離し、コゥーハは槍を低く構える。

「此処が……貴方にとって今もなお忘れられない主の墓が血で汚されようとも。このような死に方は御免です、貴方も同様に」

「私は――」

「興味ありません、否定でも肯定でも。聖上はともかく、自分にとっては至極どうでも良い話です。ただ、現時点で貴方を失うとトゥスクル國に多大な損失が出るという試算を算出致しましてね。聖上もお許しにならないでしょう」

 後でお聞きになりますか? という質問にベナウィは答えない。代わりに生気の無い金色の目を見据えながら、一言を投げかける。

「"見え"ますか」

 相手の問いに、コゥーハは指を頬に当てて微笑む。底の見えぬ顔で。

「何方の、でしょうか。あまりに視界が"黒く"て」

 向かってきた相手へコゥーハは薙いだ。単調かつ勢いもそれ程ないように映る一振りは正確に相手の腹部を捉える。数拍前であれば、相手が怯み数歩後退するだけの攻撃。だが――

「……――っぐ!?」

 みしみしと、木が悲鳴を上げる音が当事者達の首を掠める。直後、コゥーハの持つ武器が真っ二つに折れた。同時に微細な木片が落下を開始するが、振り切ったコゥーハの見つめる先に相手はいない。数歩、十歩先、二十歩先で宙を飛んでいた彼の躰が、少量の鮮血と共に激しく地面に散った。

 力が上がっているのか、と静かに分析するコゥーハに表情は感じられない。押し殺しているようにも見えない眼は変わらず金色をしており、寒気さえ漂う様は敵味方問わずその場を一瞬硬直させる。

「コゥーハ」

 奮い立たせるように叫んだベナウィに、コゥーハは振り返らない。代わりに背中を……直前で避けた際にばっさり裂けた服の奥、肌色の背中を向けた。

 胸部の晒から下、躰を分断するようにある大きな一本傷。背負い込むように付けられた痛々しい古傷が、ベナウィの視界を覆う。寸分違わぬ呈は過去の様相を思い起こさせ、重苦しい空気が喉を詰める。

(…………)

 しかし、コゥーハの一振りによって刹那に散った。

 一人倒しては折れた武器を捨て、また一人気絶させては使えなくなった得物をコゥーハは地面へ叩き付けた。明らかに無駄が減った動きは確実に向上している。一人、二人、数人を一蹴し、時には微笑さえ浮かべる表情に変化したコゥーハにつられ、ベナウィも微かに頬を緩める。

 だが二人の余裕も、耳に入ってきた彼らの会話によって吹き飛んだ。

「おい……こいつって、ほら、チェンマの奴らに袋にされてた奴じゃねえか?」

「あ、あぁ。集落を全滅させた、バケモノっつて」

 息を呑んだコゥーハの声が、数歩先にいたベナウィにもはっきりと届いた。

 青い顔で手を止めたコゥーハの動きを、彼らは見逃さなかった。肩と手首に攻撃を加えて武器を叩き落とし、すかさず急所二箇所に攻撃を食らわせた。そして、その光景に気を取られたベナウィの武器を絡め取り、上空へと弾き飛ばす。

 地面を撥ねた鞘付の刀の隣で、複数の切っ先を突きつけられたベナウィを男は見下げる。

「言え。御二人は何処におられる」

「私は存じませんよ。それに、御二人は既にお亡くなりでは」

「白を切るつもりか! 少なくともお館様が貴様なら知っていると――」

 眉を動かしたベナウィに、男は押し黙る。が、すぐに刃をちらつかせ、強い態度で相手を木の幹へと追いやる。

 気絶しているコゥーハを縛り上げようとするが、ベナウィには行わない甘さ。焦燥感があり、周囲を時折見渡す彼らの様子に、現状を打破する手は幾つもありそうだ、とベナウィは観察を続ける。同時に感じた己の不甲斐無さを一旦隅に追いやり、指にある固い感触に対して一瞬目を開く。

「仮に。御二人が生きていらっしゃるとして。貴方達はどうするつもりですか」

 皇族の復興。にべもなく答えた相手に、ベナウィは唇を噛む。

「本当に」

 口腔に広がる血の味を噛みしめながら、ベナウィは腹部に力を入れる。

「本当に。御二人はそれを望んでいると?」

 それは否であると。直接言葉を交わしたからこそ、互いに剣を交えたからこそ、彼らが平穏を望んでいると――トゥスクル國の(オゥルォ)たるハクオロが齎す平和を望んでいると、ベナウィは確信している。その想いがベナウィの声を大きくし、狼狽えた相手に話を戻させる結果を生む。

「言え。貴様の彼女が、どうなっても良いのか?」

 男の問いに、ベナウィは目を瞬かせた。

「……。誰の事ですか」

「だから、貴様の彼女が――」

 相手が指し示す先を確認した直後、ベナウィは吹き出し、その日最高の微笑みで答えた。

「コゥーハですか? 構いませんよ」

「――……は?」

 ぽかんと口を開けた一同に、ベナウィは仰々しく瞬きをすることで肯定した。その背後で、指にある法具を確認し始める。

「全く。貴方達に限らず、勘違いも甚だしいことこの上ない。良いですか――」

 堰を切ったようにベナウィから吐き出された文言は、淀みなく流れていく。大筋はコゥーハとの関係を順に説明するものだが、そのほとんどはコゥーハへの愚痴や説教で占められている。それらを聞く彼らの表情には驚きと呆れがありありと感じ取れる――話す側としては、内容が真実であることもあり、きちんと聞いてもらえていない事に不満があるが、とベナウィは心中で吐いた――ものの、気を引くには十分だろう、とベナウィは周囲の状況を把握し、切っ先が離れた首元を確認する。

 すっきりしたこともあり、一段落したところでベナウィは話を終える方向へ持って行く。

「故に、彼女は私の部下です。それ以上の関係は死んでもありえません、宜しいですか、絶対です」

「お……おう……」

 むしろこの地を知ってしまった以上、処置に困っていたところであり――素早く相手の懐へ踏み込み、ベナウィは法具の着用した手を目の前で振った。具現化した微小の火を眼前に向けられ怯んだ相手の腹部へと回し蹴りを一発入れて気絶させ、その勢いを利用して己の刀をコゥーハのいる方角へと蹴った。

 コゥーハが現在どのような状態なのか、ベナウィには分からなかった。故にコゥーハは気絶したままという仮定のもとで、相手の顔面めがけて得物を飛ばした。だが――

(低い――)

 綺麗な放物線を描く武器は、ベナウィの予想よりも低い位置へと飛んでいく。その終着点は目標の首元ではなく、コゥーハの眼前。既に足は地を蹴っていたが、衝突前にベナウィの手が届く距離ではない。

「――……?!」

 ベナウィ大きく息を吸った、ほぼ同時。強烈な突風が周囲を襲った。

 躰が押し戻されそうに感じる荒々しい風にベナウィは俯くが、一瞬で止んだ事もあり顔を上げた。その正面、予期せぬ相手に視線を向けられ、目を見開く。

 金色の瞳に、首元の三本の傷、そして横顔の下から見る事のできる背中の一本傷を持つ女性。毅然と立つ彼女の手には、ベナウィの刀がしっかりと握られており、揺れる三つの尻尾の真下には引きちぎられた縄とコゥーハを拘束していた男達が倒れていた。

 コゥーハだが、コゥーハではない。直感したベナウィに、相手は品に欠ける笑みを投げた。

「黙って聞いておれば。散々な物言いだな」

 独特の、威圧ある声音が、ベナウィを含む全体を支配する。

 返ってきた刀をベナウィは無意識に受け取る。そして、引っ張り出された過去の記憶へと意識を誘わせる。

 

 

 

 

 

◆◇


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