うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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胸襟

 槍で弾いた相手の剣が宙を舞い、乾いた地面へ突き刺さる。同時に、「そこまで!」という声がその場に響いた。

 相手の首筋から切っ先を離し、コゥーハはふっと息を吐いた。軽く汗を拭う正面で悔しそうに膝を折る相手の男に目を遣り、コゥーハの勝ちを宣言する審判の声に耳を上げる。

(少々、危なかったですね)

 一礼し、コゥーハは相手へ手を伸ばす。が、同情はいらんとばかりの表情の男に手を弾かれ、苦く笑った。男は数歩先に落ちた自身の剣を拾い上げ、吐き捨てるように小さく呟いた。

「オタク、強すぎ……」

 ありがとうございます、と、右腕に縛っている額当ての位置を直す手を止め、コゥーハは軽く会釈する。

「貴方も。弓衆(ペリエライ)所属にしては、歩兵衆(クリリャライ)の兵士よりも剣の腕があると思います。さすがは(あお)組隊長補佐殿」

「それは。元歩兵衆(クリリャライ)のウチに対する嫌味っすか?」

「いえ……。他意はございません。気分を害されたのでしたら、謝罪致します。申し訳ありません」

 続けて名前を言いかけたコゥーハを、あぁ、と男は制す。

「スギって呼んでくれ。侍大将以外はみんなそう呼んでるし。ほら、ウチの名前って長いでしょ? んで読みにくい上に何度も噛むわ間違われるわで腹が立つし。ちなみに、朱組のグラァ隊長補佐のあいつも糞長い名前してるけど、同じように頭の二文字とってナカで良いぞ」

 では、お言葉に甘えまして。とコゥーハは襟を正す。

「先日の、カミュ皇女の一件では大変お世話になりました、スギ殿」

「オタクも固いなぁ」

 異動前のことだろ、と笑いつつ、スギは仰々しく肩を上げた。

 歩兵衆(クリリャライ)から独立する形で出来た弓衆(ペリエライ)は、それ故に歩兵衆(クリリャライ)の傘下のような扱いが多く、隊の編成が他の二つの衆とは異なる。人数も歩兵衆(クリリャライ)の一部隊よりもやや多い程度という点もあるが、部隊数が二つ――平射を得意とする(あお)組と、曲射を主とする(あか)組のみという点がある。また、いずれの組に隊長が一人選出され、それぞれ補佐が一人就く。スギは弓衆(ペリエライ)蒼組所属であり、蒼組隊長であるドリィの補佐という立場にある。

「しっかし……弓衆(ペリエライ)へ異動って知ったときには、何でだよって落ち込んだのは良い思い出だわ。しかも降格、一番下ときたら、もう」

 抗議されなかったのですか? という問いにスギは眉を上げ、肩を竦める。

「オタクと違うんです、オタクとは。オタク並みの実力あるとか、侍大将を納得させるだけの明確な理由があったらまた別だったんでしょうけど、ウチはほれ、書き取り試験をすれすれで通ったような馬鹿だし。逆に相手はウチとあの糞生意気な――ナカが弓衆(ペリエライ)の方が良いっていう材料をばっちり揃えてきやがって」

「確か。揃えたのは自分でしたね」

「なっ!? てめぇか! てめぇが黒幕だったのかっ!?」

 給金下がってウチのカミさんにどんだけ絞られたと思ってんだ! と胸倉を掴まれ容赦なく揺さぶってくるスギに、隊長に命令されたのですよ、と言い訳しつつ、彼が現在の立場になった理由を振り返る。

 一つ目は、言うまでもなく彼が弓の扱いに長けていた事である。その実力――距離においては弓衆(ペリエライ)の中でも一二を争うほどで、弓衆(ペリエライ)の兵士不足も理由にあり、彼の衆への異動は即座に決まってしまった。二つ目は、彼が最低限の読み書きと算盤、ひいては書簡整理が出来る事。そして三つ目が、現在もなおスギが彼の立場であり続ける理由として一番重要ではなかろうか、とコゥーハは、やってきた少年達に目を向ける。

 背丈の低さや幼さ顔である事を含めて、青年と言うには些か若い二人である。実際にトゥスクル軍の中では彼らが一番若く、かつ最年少の弓衆(ペリエライ)隊長達である。そして、彼らの容姿で最も特徴的な点は――

(ドリィ様とグラァ様のお顔が似ているとは伺っていましたが、これまでとは。双子……なのでしょう。おそらくは)

 彼らが双子か否かという事は、二人の親しい者達を除き(オゥルォ)と各衆の総隊長しか知らされないため分からない。が、双子だと彼らが主張しても誰も疑問を抱かないであろうと思う程に、二人の容姿は非常に似ている、とコゥーハは頬を掻く。

 やや長い黒髪を高い位置で括った髪型や、大きく見える額当ての上から左右に降りる横髪。先端が白い灰色のふわりとした両耳や、男性にしては珍しく長い、耳と同じ色合いの尻尾。綺麗な肌と並ぶつぶらな瞳や、艶やかで小さな唇……ベナウィよりも女性よりな顔立ち故か、一見すると女の子とも見間違えてしまいそうな二人の容貌に、全く違いを見い出すことができない。装備も形状の同じ茶色の胸当てに、同色の弽と簡素な矢筒は同じ位置。唯一異なる点は、白い服の下にある膝丈の長さしかない袴であり、一方は蒼色、一方は朱色であることのみ。

 二人が所属する組から推測すれば。蒼色の袴がドリィで、朱色の袴がグラァなのだろうが、と思い悩んでいるコゥーハの前に、蒼色の袴を履いている少年が立ち、スギの手を下させる。

「駄目ですよ、八つ当たりなんて。みっともないです」

「いえ。これはですねドリィ隊長」

 コゥーハから手を離し、ぺこぺこと頭を下げつつスギは流暢な口で言い訳を述べていく。その様子を、一歩離れたところからコゥーハはしげしげと観察する。

 驚くことに、スギはドリィとグラァの違いをきっちりと理解しているという。それも彼が現在の立場にある理由の一つではあるが、一番の理由は、彼がドリィの部下として――上官として敬意を払っていることである。明らかに年下である彼らに。

 ハクオロが叛軍を立ち上げた当初からその一員かつ重要な戦力であったドリィとグラァだが、決して恩賞として現在の立場にいるわけではない。実力のある者は種族や年齢、最近では性別を問わずに取り立てるという(オゥルォ)の政策の元、厳正な試験を経た上で、彼らはその実力で地位を勝ち取っている。しかしながら、彼らの若さや(オゥルォ)に近しい関係という点から、横柄な態度を示す者や不満を抱いている者は少なくない。腕は文句の付けようがない――早朝の調練において、彼らが見せた正確かつ速い射撃にベナウィが唸った事を、コゥーハは覚えている――が、それがかえって生意気に見えてしまうのかもしれない、とコゥーハは推測している。故に、ドリィとグラァが隊長になった当初、弓衆(ペリエライ)内の纏まりは決して良くなかった。その中で、スギとナカ――現在の弓衆(ペリエライ)蒼組・朱組隊長補佐の、ドリィとグラァに対する態度は他の者とはやや異としていた。各々に言動は違えど、ドリィとグラァの腕を認めた上で、自身の実力の大きな差を埋めるべく二人に教えを乞うた。その姿に、最初は隊長達に取り入ろうとする輩だと陰口を叩かれていたが、愚直ともいうべき二人のひた向きな姿に弓衆(ペリエライ)内は少しずつ変化している。特にナカは、社交的な性格であることや元歩兵衆(クリリャライ)という面で顔が利く事から、弓衆(ペリエライ)内や各衆との仲を取り持つ緩衝剤的な立場を担っている、というのがコゥーハの見解である。

(度々……話を難しい方向へと持って行くことが、困りますが)

 一通り話終えたのか、言い訳――否、彼のいう理由の結論を、スギは一言で纏めた。

「そう。つまり、男と男の友情を確かめ合っていたんですよ!」

 彼の話を聞いていなかったために話の全体は分からないが、まともに聞いたところで理解できるとも思えない、とコゥーハはこめかみを掻いた。話を終始聞いていたと思われるドリィとグラァもコゥーハと同じ意見を持ったようで、両手を腰に当て「全然意味が分からないです」と見事に息を合わせてスギの言葉を一刀両断した。

 うっすら涙を浮かべるスギをじとっとした目で眺めつつ、朱色の袴の少年――グラァが口を開いた。

「第一……コゥーハさんって、どう見ても女の人ですよね?」

 うんうん、と頷くグラァとドリィに、馬鹿言っちゃいけませんって、とスギは眉を上げつつ、後方にある長槍を指さす。

「大の男が持つのも難しい、あのけったいな重さの槍をコイツは片手で軽々と振ったんですって、さっき。そんな奴がオンナ? ウチは絶対信じませんって! 平らなアレを込みで」

 あれは超絶な筋肉なんですよ、きっと! と指されたコゥーハの胸、服の間から微かに見える谷間へと一筋の汗が流れ落ちる。同時に、槍を持つコゥーハの手に力が入る。

 きりきりと軋む音が響く中、胸を隠したコゥーハをじっと睨みながら、スギは言葉を続ける。

「あれを片手で扱う人といえば、軍の中ではベナウィ侍大将か、力のあるクロウ騎兵衆(ラクシャライ)副長くらいなもんですって。つまり、コイツは男ってことで決定!」

 その結論も色々とおかしいですよ、と呆れる二人の隣で、それに何より、とスギは尚も続ける。

「先の戦で弱っちい奴ばっかり残ったとはいえ、女の雇兵(アンクアム)にも強い奴がいるとはいえ。ここまでで十四勝、次で勝ったら全勝。確実に成績上位者で、後日侍大将との組手が決まっているとか……ちょっと羨まし――反則じゃないっすか」

 是非とも替わって欲しいものだ、とコゥーハは言いかけたが「辞退とか抜かしやがったら、城の蔵から夜な夜な酒とハチミツくすねてる事をベナウィ様とエルルゥ様にちくってやる」というスギの言葉に口を噤んだ。そんな事は致しませんよ、と笑いつつ、件の事をベナウィへ言わないで欲しいとそれとなくスギと――特にドリィとグラァへと頭を下げた。

 そんな都合良くいくまいと承知の上で言ったコゥーハだったが、ドリィとグラァの予想外の返答に目を丸くした。

「ああ……ええっと……大丈夫ですよ。エルルゥ様には、絶対に言いません」

「若様……いえ、見逃している僕達も、同じようなものですし……」

 しどろもどろな彼らの返答に、コゥーハは首を傾げる。事の次第を黙認してくれる疑問も当然あるが……『若様』とは一体誰の事を指すのか、見逃しているとは一体どういう事なのか。そして何より……何故、エルルゥだけには言わないと約束してくれるのか。ベナウィやハクオロにではなく、エルルゥに。

(エルルゥ様であれば、一度は笑って許して頂ける気がしますが)

 一つでも訊ねてみたいとコゥーハは思うが、ドリィとグラァの真剣な――これ以上訊かないでくれ、という言葉がひしひしと伝わってくる表情に息を呑み、感謝の意を述べるに止めた。

 スギも二人と同じ心底真面目な顔で、頑張れよ、とコゥーハの肩を叩く。

「大丈夫だ、問題ない。骨は拾っといてやるから」

「はぁ。それは、一体」

 そのままコゥーハの躰を押すと同時に踵を返し、「そっちよりも。まずは、あっち乗り越えろよ」とスギはコゥーハの後ろへ視線を送る。その方角へ振り向いた先、茶色の外套を風に靡かせ、コゥーハの方へと歩いてくる男が一人。

「よう。待たせたな」

 次の相手である男、クロウの登場にコゥーハは姿勢を正し、頭を下げた。槍を後ろ手に隠し、頬に人差し指を当てながら、努めていつも通りの顔を作る。

「いえ。先程、終わったばかりですので」

「おいおい。そんなちっせえ嘘を吐いてどーするよ」

 笑って返したクロウの口調は飄々としており、掛けられた声援に軽く受け答えする様は正しく普段通りの彼である。

 部下に対してやや厳しいベナウィとは異なり、彼ら一人一人を気遣うように自然な形で手を回すことで隊内を纏め上げるクロウの手腕は見事である。彼が長年騎兵衆(ラクシャライ)副長である事は納得できる、とコゥーハは感嘆している。同時に、自分に接する上官の言動に一つの疑問を抱いていた。距離を置かれた接し方をされているのでは、と。

 持ち前の人当たりの良さから、普段から部下と積極的に交流するクロウだが、コゥーハとは必要最低限の会話しか行わない。コゥーハが女性であること、コゥーハがクロウやそれ以外の同僚達との交流を避けている事が理由には挙げられるが、彼曰く少し苦手という女官達とも多く話している事や、付き合いの悪い部下を強制的に酒の席へ連れ出す光景を度々目撃するため、コゥーハ自身疑問を拭いきれない。

 故に。クロウの態度が変化した事に、コゥーハはすぐさま対応できなかった。

 正に一瞬のことである。スッと音もなく間合いに入り、コゥーハの左肩を叩くと同時、冷徹な目つきでコゥーハを刺した。

「悪いが、俺は大将と違って加減ができねえ。さっきみたいな生温い突きなんかするようなら、その細っい手足を簡単に吹き飛ばすぞ」

 観戦者の談笑の中央で、滑り落ちたコゥーハの槍が地面を撥ねた。

 首筋に巨大な直刀で付けられた痛みに、肩に残る重みと殺気に、コゥーハの笑みが歪む。

 無意識に剣の柄を握っていた事に気が付き、コゥーハは唾を飲み込んだ。カタカタ震える右手を剥がし、滑らかなその指で掬い上げた赤い滴りを口に含めた。

 墨色の瞳の奥で、金色の炎が燻る。

「……っふふ」

 冷え切った脊椎が熱くなる。固くなった筋肉が弛緩する。抑えられぬ昂揚を、疼く痛みの奨励を――怒りにかまけた時とは違う、しかし戦場に近い緊迫感が身体を突き動かし、酔いの如く全身を支配しつつあることをコゥーハは自覚する。

 自分の"能力"がばれても良い、そんな感情さえ脳裏を掠める。

「何年ぶりでしょうかね、この感覚は」

 ですが、と、目を閉じ、コゥーハは転がった槍を拾い上げる。心を鎮めるようにゆっくりと握り、深く息を吐く。

 今回の組手を含め、訓練や演習においてその腕が問われる場面で、悪いとは心の片隅に置きながらも、コゥーハは程々に手を抜いてきた。過去に隠れて兵士をやっていた頃の、目立ち過ぎぬようにという癖が抜け切れていない側面もあるが、同僚達の中でコゥーハの実力よりも上の者はいないという認識が主な理由となっている。事実、先日の演習で相手全員をコゥーハ一人で悉く叩きのめしてしまい、叩きのめされた中の数人が「女に負けた事は恥だ、腹を切る」などと言い出し騒ぎになった。大陸の端まで視野を広げれば、種族の違いを度外視しても腕っぷしの強い女性など珍しくもないとはいえ、同様の事が頻発すれば周囲の同僚や上官……ひいては(オゥルォ)の手を煩わせる可能性はある。故に己の事は二の次、付かず離れずの立ち位置に身を置き、波風立たずにコゥーハは努めている。

 だが同時に、そう長く隠し通せるものでもないと、コゥーハは思っていた。自身よりも地位が高く、腕が立つ――ベナウィを除けば、演習で一度実力を拝見したオボロ歩兵衆(クリリャライ)総隊長。そして、日頃から訓練に書簡整理にと顔を合わせているクロウ騎兵衆(ラクシャライ)副長。彼らから浴びせられる鋭い視線が、見透かされているのではという推測を抱かずにはいられない。

「いつかは、と思っておりましたが……はてさて」

 額から出た汗が、口端の隙間へと流れ込む。

 このまま道化を続けるのか、あるいは。だが、クロウの言った事は本当であろう、とコゥーハは唇を噛む。首から浸透する痛みに、心中で反芻する言葉、何より肌を刺すような殺気には怒りが滲んでいる。力の無い攻撃をしようものなら、左手はおろか心臓さえも叩き斬る勢いがひしひしと伝わってくる。

「それは……困ります。本当に」

 それに、とコゥーハは大きく深呼吸する。

 半壊した吊り橋を渡るような緊張感と、期待と羨望が交ざる大勢の声援と視線。日常に流れるものとは違う、戦とも異なる独特の空間にコゥーハは戸惑いつつも、此処が……自分は、この空気が嫌いではないのだ、と微笑する。注目される事を嫌う自分と矛盾した感情だと嘲笑しながらも、その流れに酔いしれたい、と。己が槍の腕が如何ほどのものなのか、と。こればかりは、なかなかどうして、一旦火が点けばすぐには消すことができないと。

 コゥーハは槍を掲げ、石突きで地面を突いた。固く乾いた音が鳴り響いたと同時に目を開いた先――二十歩先にいる相手へ向かって返す。

「できると仰るなら、どうぞご自由に。一本と言わず、四本でも。何でしたら」

 首筋の赤い傷をなぞり、コゥーハは笑いながら左胸へ手を置く。

「本当に。できるのであれば」

「……」

 砂塵が舞う中、コゥーハを見据えていたクロウが眉を上げる。位置についた審判を横目に手にある刀を構え、呟くように――しかしはっきりと吐き捨てる。

「上等」

 視界が晴れた刹那、審判の合図と共に火蓋は切られた。

 

 

 

 

 

 いつしか観戦する者が増え、周囲は異様な盛り上がりを見せていた。その中心では、コゥーハの槍とクロウの刀がぶつかり合う音が響く。

 始まってから一貫して、クロウが攻めてコゥーハが防戦一方という構図が続いていた。

 間合いだけで言えば、槍を持つコゥーハの方が刀を振るうクロウに対して有利であると思える。だが、初手から一気に間合いを詰められた事が痛いと、コゥーハは口をきつく結ぶ。大きな直刀に、それを振るうに見合う体躯。一撃一撃が重いであれど、それ程早く動けまいと推測した事がそもそもの誤り――甘く見るつもりはなかったが、それ自体甘い事だった、と。

「ふっ!」

 斬り上げるように片手で振ったコゥーハの槍をクロウは難なく受け止め、その膂力を最大限に活かして弾き返した。だが、彼の攻撃はこれで終わることなく、体勢の揺らいだコゥーハを容赦なく襲う。

 低姿勢から繰り出された突きが、動いたコゥーハの左肩すれすれを通過していく。攻撃自体は決して、コゥーハにとっては早いものではないため容易に回避、あるいは防ぐことができるが――

「――っ」

 突きを繰り出す勢いを利用して、クロウは再びコゥーハとの間を詰める。攻撃を躱してから間髪入れずにコゥーハも突きをと試みるが、通過していった直刀が薙ぐようにすかさずコゥーハの首元を真っ直ぐ狙ってくるために、結局はその対処に追われてしまう。何度か捌いて距離を取るも、再び詰められ――同じやり取りが、ゆうに七回。突きの位置も正確で、いずれもコゥーハの苦手とする箇所であるため、一辺倒の対処。どうしたものか、と競り合いながら、コゥーハは槍を持つ両手を強くする。対して、相手の心を知ってか知らずか、クロウは微笑する。

「おいおい。そんなもんじゃねえだろう」

「馬鹿な事を仰らないで下さい。槍の技術や才能に関して言えば、これが精一杯です。才能と努力は、隊長の足音にも及びませんよ」

 キンッ、と澄んだ高音が二人の間を別つ。

 相手の力が緩んだ隙を見逃すことなく、コゥーハは相手の得物を押し返した。クロウとの距離が開いた事に甘んじることなく、次の一手を予測する。その思考が、クロウの取った言動に一瞬停止する。

「大将、ねえ……」

 クロウはその場で構えを解き、己が得物を肩へ置いた。しかし戦意を失った訳ではないだろうと、頬に滴る汗を拭いながら、コゥーハは揺らぎ続ける両目を瞬かせる。

 クロウの行動に動揺と疑問が巻き起こる渦の中心は、依然として張りつめた緊張が滞留している。砂塵交る乾いた風、肌を刺す痛み、ほどばしる熱気――先程よりは距離が離れたとはいえ、槍の間合いでもあり直刀の間合いでもある距離を保ったまま、二人はじっと対峙し続けている。コゥーハが半歩後ずさればクロウが半歩踏み込む、一歩横に踏み込めば適正な角度へと身体を動かす。打ち合う構図ではなくなっただけであり、事態はなんら変わっていない……だが、この――心の懐に入ってくるような気持ち悪さは何だ、とコゥーハは口を歪める。

 否、解っている。解っているからこそ、適切な次の一手をと慎重に考える。

 クロウが構えを解いた瞬間から、彼の両眼は明らかにその標的を変えた。相手の一挙手一投足ではなく、コゥーハ自身へと。コゥーハの過去や現在、"能力"を含めたそれらへの強い関心……純粋な好奇心だけであれば、単なる物好きだと驚くだけだが、彼もまた過去に会ってきた者達と同様に、それを踏まえた未来を見据える――コゥーハを見定めようとする目つき。さながら、檻の中にいる獣に価値があるかどうか、品定めをしているように。

 ただ。紫を帯びた彼の目は、これまで会ってきたその他大勢とは違うと思わせる輝きがある。奇妙なそれに、些かの興味もある。

 しかしながら。現在も尚こうして怯え、自分から飛び込もうとはしない。全くもって成長の感じられない己を嘲笑したい、と唇を噛むと同時に、このような場面でそのような態度を示した者は初めてだ、とコゥーハは一歩踏み出す。反応して一歩踏み出し構えを取るクロウへ向かって片手で薙いだ。

 激しくぶつかり合う音が、その場にいた人々の雑談を吹き飛ばした。

 柄がしなりを上げる正面で、前々から気になっていたんだが、と、刀で槍を防ぎながらクロウは話を切り出した。

「あんたと大将。一体どんな関係よ?」

 ついにクロウ副長が踏みこんだあぁぁ――!! という、非常に気になる声に耳を上げながらも、コゥーハはいつもの調子を装い、にっこりと微笑みながら小さく返す。

「いやですねぇ。隊長とは、現在の配属が決まった際に初めてお会いした、という事になっておりますのに」

「おっと、そりゃ悪ぃ。その事は大将からも聞いてなかったもんで」

 いえいえ、と軽く返し、コゥーハは左手を柄に添え、より力を籠めて相手ごと押し飛ばした。崩れた体勢を立て直しながら、おいおい、と目を丸くしたクロウに考える暇を与えぬように、己の都合の良い距離から素早く突きを繰り出す。

 コゥーハの攻撃を全て正確に受け流しながら、もう一つ、とクロウは笑う。

「実はな。俺と大将は小さい頃、同じ道場に通っていてな。尤も今はもう無いんだが」

 予期していなかった言葉にコゥーハは面食らう。その一瞬に止まった槍の動きを見逃すことなくクロウは直刀を両手で持ち直し、先程コゥーハがやったように――お返しといわんばかりの力で薙いだ。

「まあ、そん時から、悔しいことに大将には全く歯が立たなかった訳だが……ひたすら相手はさせられた。して貰ったっての方が正しいが」

 怯んだコゥーハの横髪の先端を、鋭い直刀が切り裂く。

 先程から受けている物よりも深い場所――己の懐近くから繰り出される攻撃に、コゥーハは歯噛みする。辛うじてそれらを柄で防ぎつつ、甘い攻撃がないかとつぶさに探す。

「何を仰りたいのでしょうか」

 コゥーハの一言に、クロウの顔から笑みが消えた。同時に、鈍った直刀の動きを見逃す事なくコゥーハは槍を短く持ち、相手の得物を絡め取るように相手へ詰め寄る。

 身体と身体がぶつかり合うその谷間で、クロウの声が否応なくコゥーハの耳元で響く。

「あんたの槍の扱い、大将にそっくりなんよ。構え方といい、攻め方といい」

「…………」

 別に、誰から教わったとか聞きたい訳じゃねえ。とクロウは得物を押し上げ、槍を弾いた反動で距離を取る。その間合いは遠くも短くもない。一撃が最も重い、彼が得意とする絶妙な距離。

 片手で低く構える次の手は突きか、あるいは薙ぎか。相手の得物が放つ一閃で判断し、動いたコゥーハの動きに合わせて、クロウの直刀が相手へと迫る。

「ただな。何となく、解っちまうんだよ」

 速い突き。しかし踏み込みが甘いことから、途中で薙ぎ変化するだろう、と予測し、コゥーハは刀を受け止めた直後に槍を動かす。案の定、深く入った刀が横へ逸れ始めたことを確認し、ゆっくりと半歩下がる。

 刹那。クロウの口元が、不敵に上がった。

「コゥーハの姐さんって。ちょいと取っつき難い態度してるが――」

 受け止められた直刀は、素早く槍の柄に沿うように向きを変えた。きりきりと音を立てて滑走し、とある一点で静止する。そこは丁度、コゥーハがクロウの攻撃を一心に受け止めていた箇所――刀で傷つけられ、白い罅がくっきりと見える場所。

 コゥーハの目が大きく見開かれるのと、クロウが大きく踏み込んだのは、ほぼ同時。直後、両手でしっかりと握る直刀が振り下ろされ、コゥーハの槍を両断した。

「本当は。間合いの取り方が、激しく下手なだけで」

 下りていく刀、二つに割れた槍、激しい突風に巻き上げられる砂埃と木屑……墨色の瞳から伝わってくるそのどれもが、時が止まりかけているかの如く、ゆったりとした速度で動いている。だが同時に、コゥーハの動きもまた、緩慢である。刀の軌道が予測できるが、きつく握りしめる右手に突き刺さる痛みを強く感じるが、躰全体が重く思い通りに動かない。己の負けを既に確信しているのか、懐に入られたことを許しているのか……それらを認めたくはないのかもしれない、とコゥーハは笑いながら、心の隅で生じた感情をかみしめる。

(本当に。いつ以来でしょうかね)

 清々しさに包まれた満足感と、右手の痛みに宿る苦い悔しさ、何より自身へ対する腹立たしさ。認識すると同時に、周囲は元の時間を刻み始める。

 風を切る音が砂塵を吹き飛ばし、静かになった会場を駆け抜ける。皆が見つめる視線の先、晴れた視界の真ん中で、クロウの微笑が相手へ突きつける切っ先へ乗る。

「案外、入っちまえば軽い」

「……失礼ですね」

 己が首筋に――奇しくも、最初につけられた傷と全く同じ場所へ真っ直ぐ伸びる直刀を見下げながら、コゥーハは眉を下げた。

「しかしながら。下手という部分に関してならば、仰る通り……慣れていないのですよ、私が」

 コゥーハは笑って、ゆっくりと左手を上げた。参りました、と声を上げながら、両手から落ちた槍が転がる様と地面を濡らす赤い滴を見つめる。

「参りましたね。本当に。……さて」

 どうするべきでしょうか、というコゥーハの呟きは、どっと湧き上がった周囲の歓声に押し潰された。


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