うたわれるもの 琥珀の軌跡   作:ななみ

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表裏

 演習場の端、周囲よりやや高い丘の上。簡素な机と敷物が用意された特別席に、ハクオロは腰を下ろす。右隣には薬箱を抱え心配そうにコゥーハを見つめるエルルゥが座り、左隣では不機嫌な顔で兵士達を見つめるオボロが口を開いた。

「納得できん……」

 小さく吐き捨てたオボロに、ハクオロは苦笑して肩を落とす。 

歩兵衆(クリリャライ)の隊長として、部下の活躍はしっかりと見ておかないといけないだろう」

 それに、と、ハクオロは晴れ渡る空を見上げ続ける。

「その腕だ。相手がクロウならともかく、楽に勝ててしまって張り合いがないんじゃないか」

 楽に、ねぇ。と見下げつつ、オボロは眉を上げる。

「兄者……それは、本気で言っているのか?」

 軽蔑の隠る声に、ハクオロは息を詰まらせた。理由が解らずに視線を下げるが、後方へと体を引っ張られたことに目を丸くする。

 再び青い空を仰ぎ、地面へ頭を打ち付けたその真上から、ムックルとアルルゥの笑顔が覗く。

「おと~さん」

「ア、アルルゥ!?」

 アルルゥは嬉しそうに小さな顔と身体をハクオロに押しつけ、尻尾をパタパタとさせる。しかしその躰のあちこちには擦り傷や、赤く膨れ上がった――発疹よりも大きい、何かに刺されたような箇所を見据えるハクオロの目が鋭くなる。

 アルルゥの怪我に気付いたのか、エルルゥはすぐさま薬箱を開けた。ハクオロもアルルゥが逃げ出さないようにと、両手をしっかりと握り、やんわりと問い正す。

「どうした、アルルゥ。今日はカミュと一緒にユズハの部屋で遊ぶって言っていなかったか?」

「いまから行く。その前に、ハチミツとってきた」

「と、取ってきたって……」

 ハクオロはアルルゥの服の袖を捲りつつ、アルルゥの嬉しそうな顔を見つめる。

 アルルゥのハチミツへ掛ける思い入れはひとしおだと、ハクオロは思っている。

 袋を被り、煙で燻して取る。それが一般的なハチの巣の採り方ではあるが、大の大人であろうと危険は大きい。だがそれを承知で、アルルゥは故郷であるヤマユラにいた頃から一人でハチの巣を採りに行っている。先日も、無断で皇城を抜け出しムックルと共にハチの巣を採りに行った事が発覚し、騒ぎになったばかりである。その事でエルルゥに叱られたというのに、当の本人はけろっとした様子で戦利品をほおばっていた。

 問題は、もう一つある。

 皇城を抜け出した一件の後は、コゥーハを始めとする者達に頼み、アルルゥの元へと定期的にハチの巣を届けさせている。しかし、非常にこだわりがあるのか、半端なハチの巣ではアルルゥは納得しない――受け取って食べるというが、あまり嬉しそうな顔をしない。

『残念ながら。このハチの巣は献上できないですね』

 とある日。文官が持ってきたハチの巣を査定していたコゥーハの言葉である。

 コゥーハ曰くその厳しさはベナウィをも凌ぐらしく、納得のいくハチミツ探しに膨大な時間と、下手をすれば大喰らいなムックルの餌代よりも高い費用が毎回掛かっている。ハチミツが好きなコゥーハが、自腹かつ選びに選び抜いた物であっても、コゥーハ曰くまだまだらしく、以前アルルゥと仲良くなりたいと思っていたカミュにハクオロが渡したハチミツは、奇跡に近い最高の品質だったと漏らしていた。件の騒ぎの後、尚もアルルゥが何回か城を抜け出そうとしては、半泣きの衛士達に止められている光景をハクオロは目撃している。

 物足りない思いが、ハチミツを探しに行こうとする行動へと繋がっているのかもしれない。とハクオロは目を伏せる。

(アルルゥの満足できるハチミツがもっとあれば――……そうか)

 なければ、作れば良い。

 ふっと思いついた政策をひとまず横に置き。ハチの巣を何処で見つけたかと、ハクオロはアルルゥに尋ねた。

 あっち、と広場の隅にある木を指すアルルゥに、ハクオロは頷き、やって来たベナウィへと視線を送る。

 手当をするエルルゥと嫌がるアルルゥの攻防、ハチミツの入った器と(オゥルォ)の表情を見つめた後、ハクオロの意を理解したようにベナウィは頭を下げた。

「……申し訳ありません」

「謝罪は良い。皇城の中にハチの巣があった事なんて、誰にも分からなかっただろう」

 ベナウィは顔を上げ、改めて姿勢を正した。

「皇城内をくまなく調査し、適切な処置をするよう指示致します」

「頼む」

「後の事はオボロに一任するという形で、宜しいでしょうか」

 ああ。と肯定したハクオロの声を、オボロが遮る。

「ちょっと待て。お前は何処へ行く?」

 ハクオロへ一礼し、踵を返して歩き始めていたベナウィは立ち止まり、アルルゥに聞こえない位に小さな声でオボロに尋ねる。

「貴方は、ハチの巣を採った経験はありますか?」

「お、お前はあるのかよ……」

 幼い頃から何度もあります。とベナウィは答えた。残念ながら、という最後の部分を強調して。

「それに。蜂の駆除は軍が請け負う任の一つであり、立派な訓練もあります。刺された際の応急処置の仕方等、蜂に関する知識を有するのはもちろん、場合によっては小規模の隊の編成や作戦の立案などを指揮官は行わなくてはなりません」

 刺されたら唾をつけていれば治る、と言いたげなオボロの顔に、蜂は侮ってはいけないとハクオロは手を組む。

「今回は大事に至らなかった訳だが……エルルゥとアルルゥの様子を見れば、危険な事はわかる。実際、今期に入ってから数人の死者が出ているという報告も今日の朝議で上がっていたな。早く手を打つべきなのだろうが……ふむ」

 とにかく皇城内の巣に関してはベナウィに任せることと、後日蜂を研究している学者達を呼んでおいて欲しいと、ハクオロはベナウィに伝えた。足早に去った彼の背中を見送った後、机にある真っ新な木簡に思いついた事を認め始める。

(とりあえず。知識の擦り合わせのために、養蜂に関して知っている事を簡単に書き出して、と。後は……場所や予算もそうだが、一番重要なのは、やはり理由づけか。自給自足で良いなら大して考える必要はないだろうが――)

 うーむ。と悩むハクオロの隣で、「よしっ、終わりっと」とエルルゥが声を上げた。同時に、エルルゥの手から放れたアルルゥが、机の側に駆け寄る。

 大丈夫なのか? とハクオロが視線を送ると、安心した笑みでエルルゥは首を縦に振った。その様子を遮るようにアルルゥが立ち、照れた様子で手にある入れ物をハクオロへと差し出した。

 木の温もりが伝わる丸い入れ物の中には、数匹の幼虫が蠢くハチの巣がある。

「おと~さんの分」

「ありがとう、アルルゥ」

 入れ物を受け取り、ハクオロはアルルゥの頭に手を置いた。ゆっくりと、優しく手を動かしながら、躰に抱きついてきたアルルゥの肩を撫でる。

 ハクオロの胸の中で、アルルゥの耳がパタパタと動く。

「んふ~」

 満足そうに声を上げながら尻尾を大きく振るアルルゥに、ハクオロは頬を緩ませる。が、隣からやって来た気まずい空気――エルルゥとムックルが頬を膨らませていく様に寒気が走り、目を泳がせた。

「ん?」

 ハクオロが向けた先――机の脚元、無造作に置かれているのは、受け取った物とは別の、大小異なるハチの巣が入った二つの入れ物である。形の輪郭からして、元は自分に渡した物と同じものだったのだろう、とハクオロは推測する。

「後の二つは……そっちの大きいのは、カミュとユズハの分として。そっちはアルルゥの分か?」

「コゥーハおねえちゃんの分」

 コゥーハの? と聞き返したハクオロに、アルルゥは頷いた。

「コゥーハおねえちゃんとアルルゥとカミュちー、ハチ友。コゥーハおねえちゃん、そう言ってた」

「はちとも?」

「コゥーハおねえちゃん、変わったハチの巣、まあまあなハチミツ、いっぱいくれる。たくさんのハチの巣、三人で一緒に食べる」

「ああ」

 ハチミツ友達、いや、ハチの巣友達か。ハクオロは感心しながら、カミュと仲良くなったものだと、アルルゥの笑顔をしげしげと見つめる。

 ハクオロがカミュにハチの巣を渡した一件以来、アルルゥとカミュの仲は大きく進展した。双方共に同年代の話相手が少ないこともあってか、一日中ずっといる程にまで距離が縮まった――意外なことに、ウルトリィやムントはこの件については寛容、否、カミュの勉強に支障が出ない範囲での黙認という形をとっている。こちらとしてはむしろ感謝をしたいために改めて尋ねることはないが、二人の意向にハクオロは少々驚いている――また、前々からアルルゥと交流があったオボロの妹であるユズハとも二人は仲を深め、三人は互いをあだ名で呼び合う仲になっていた。

「今度はユズっちも一緒。みんなでハチミツ食べる約束した」

 そうか、と頭を撫でてくるハクオロに、アルルゥは嬉しそうに尻尾を揺らした。だが、その動きは垂れる両耳と共に止まり、笑顔は俯くと同時にすっと隠れた。

「約束、したのに……」

「どうした?」

「……コゥーハおねえちゃん、忙しい。おと~さんのお手伝いでずっと忙しいから、約束破ってばかりでごめんなさいって」

 頭にある相手の手を握り、アルルゥはハクオロに詰め寄った。咄嗟に身体を引いてしまったハクオロに眉を上げ、やや非難の色を帯びる瞳を更に近づける。

「今日もおと~さん、忙しい?」

 嫌な流れを感じる。と、ハクオロは背筋を伸ばす。

「そう、だな。コレの事もあるし、今日も夜は部屋で――」

「…………」

 沈黙の中に、怒りの調子が混ざる。その矛先は、明らかにハクオロに向いている。

 確かに、ここ最近は忙しかったかもしれない。とハクオロは呻く。ベナウィが持って来る、曰く()()()()書簡の山に加えて、突発的な案件と一時放棄した先日のツケが重なり、アルルゥと一緒に居る時間どころか睡眠時間も取れていない。忙しさに比例するように、仕事を片付けるために臣下を――ベナウィは侍大将という立場もあり忙しいため、他の文官や武官よりも馴染みがあり多少の無理も頼みやすいと考えていたため、とりわけコゥーハを使う回数が昼夜を問わず増えていったのは事実である。とはいえ、普段の調子で軽い不満を垂れながらもコゥーハはハクオロの言われた事を全て成し遂げ、かつエルルゥの補佐も最低限行っていた。

(思えば……あの時、恨みがましい目を向けられていたような。だ、だが。それ程こき使った覚えはないぞ)

 意に反論するが如く、ぞくっとした寒気がハクオロの背中を走った。思わず背を伸ばした白い仮面の下から覗くように、アルルゥは顔を上げた。

「おと~さんがいっぱい難しいこと押しつけるから、疲れたって。おと~さんが休みくれないから、辛いって。休み欲しいって、コゥーハおねえちゃん、泣いてた」

 アルルゥの背に、不敵な笑みを浮かべるコゥーハがいるような気がして。ハクオロは即座に否定した。

「それは嘘泣きだ」

「アルルゥ、ウソついてない。コゥーハおねえちゃん泣いてた」

 僅かに涙の溜まった瞳を相手の身体に押し付け、アルルゥはハクオロの胸を叩く。胸を突く痛い抵抗に耐え兼ね、ハクオロは視線を彷徨わせるが――

(う゛っ)

 叱責の交る、アルルゥが向けるものと同じ、エルルゥの双眸と目が合う。

(ま、待った。これでは、自分が悪いみたいでは――……っ、まさか)

 コゥーハめ。とハクオロは心中で毒づく。しかし、ここでアルルゥ達の意にそぐわぬ決断をしようものなら、アルルゥとエルルゥ、二人との関係が悪くなる事は目に見えている。彼女達を諌めてくれる第三者がいればまた違うのだろうが、適任であろうベナウィは此処にはいない。オボロはオボロで静観を決め込んでいるのか、目が合うなり視線を逸らし、眼下の兵士達をじっと見据えている。ムックルに至っては、事の成り行きを見守ってやると言わんばかりに座り込み、ゆらゆらと尻尾を振りながら、アルルゥを泣かせた事に対する怒りを含んだ目でハクオロを見つめてくる。

 故に、ハクオロに選択肢などあるわけがなかった。

「わ、分かった。コゥーハに休みを取らせるように検討するから」

 あした? その次? と具体的な日時を問うアルルゥに対して、「その内にな」とハクオロが返した直後。アルルゥの表情が一段と険しくなる。

「はぐらかすの、ダメ。……そんなおと~さん、キライ」

 青天に走った霹靂が、真っ直ぐハクオロの身体に落ちた。

 アルルゥが言った最後の三文字がぐるぐると巡り続ける頭を抱え、ハクオロは完全に膝を折った。遠くで失笑するオボロの声など届かない。側に座り、慰めるように顔を擦り付けてくるムックルの様子など目に入らない。折られた膝で立ち上がる気力は無く、震える手は机の縁を掴んだまま離れない。離れたら最後、地に付いた手の平はもう、空へ掲げる事ができないのではと。

「……分かった。三日後だ。悪いが、少なくとも今日は無理だ。絶対にだ」

 ホント? と嬉しそうに顔を紅く染めるアルルゥと、良かったねとアルルゥをそっと抱きしめるエルルゥのすぐ側で。仮面の奥にある黒い目に、静かな炎が点る。

 あいつ、とハクオロは歯噛みし、小さく息を吸う。

(絶対だ――絶対に、使い倒してやる)

 苛烈な瞳を奥にしまい、ハクオロはゆっくりと立ち上がる。腰の鉄扇を佩き直し、隣でクスクスと笑っているオボロへ視線を向けた。

 何だ? と睨むハクオロに、オボロは尚も微笑する。

「いや。兄者も人のこと言えないんじゃないかーってな」

「……先日、ムックルに跨って広場を駆けていたユズハを、一刻近く絶叫しながら追いかけていたお前が言うのか」

 あ、あれは……と口を閉ざしたオボロにハクオロは追撃をかけない。そんな事よりも考えたいことが山ほどある、と頭を切り替える。

 木簡を見つめて考え込むハクオロに、オボロは首を傾げる。

「兄者。怒っているのか?」

「いや。怒ってなどいない」

「……。本当、か?」

 疑問の目で見るオボロを一瞥し、とハクオロは手元の木簡を丸める。

「ああ。そうとも。私は至って冷静だ。冷静に、置いてきた政をどうしようかと考えているだけだ」

「な、に?!」

 雨が降るかもしれん、と一歩後ずさったオボロに目もくれず、ハクオロは今後の()()()()()日程を組み立てていく。

(とりあえずコレの立案と資料の準備及び作成、それに伴う各所への根回しやら交渉。ベナウィに言わせれば三日三晩飲まず食わず眠らずでも倒れないらしいから、仮眠なども必要なかろう。ついでに筆記具の交換や木簡の補充と、茶を――うむ。生かさず殺さず人を使うというのは、案外難しいものだ。そう思うと)

 ベナウィはヒトを使うのが上手い、と感心しかけ、ハクオロは机に額を置いた。それだけは認めてはならないと、言い知れぬ敗北感を必死に抑え込み、小さく息を吐く。

 拍子に、だらりと置かれたハクオロの腕が落ちる直前。その袖を引っ張る手があった。手の主がいる先へ視線を伸ばすと、アルルゥは周りをキョロキョロと見渡していた。

「おと~さん」

 小さい入れ物を持つアルルゥに、ああ、とハクオロは顔を上げた。

「コゥーハは、だな」

 コゥーハがいるであろう先を見つめ、ハクオロは息を呑んだ。

 先程オボロが言いたかったことは、瞬時に理解できた。

 武器を選ぶコゥーハの手つき、そして定める黒い瞳。女相手に浮かれる、組手に参加する者たちのそれとは雰囲気が異なる。端から見ればどれを選ぶべきかと迷うように複数の武器を手に取り振っているように見えるが、一つ一つ手に取る仕草は一定しており、得物の長さや重さ、素材のしなやかさ、振るった時の間合い、陽の光に当てることで刃の形を順に見定めていることが理解できる。

 愛想笑いと不満を書簡と共に重ねる普段とは違う、至極真剣な様子のコゥーハに、アルルゥは細い眉を寄せつつハクオロの服の裾を引っ張った。

「コゥーハおねえちゃん。こわい」

 そうか、とハクオロはアルルゥの手を握った。少しべとっとした、しかし温かいアルルゥの感触が、大きな手に流れ込んでいく。

「でも、あったかい」

「あったかい……?」

 うん、あったかい。とアルルゥはハクオロの手をぎゅっと握り返す。

「似てる」

「ん? 誰にだ?」

「ん~」

 アルルゥは再び周囲を見渡すが、すぐに動きが止まった。ん~……、と不満そうな声をあげつつ、アルルゥは首を傾げる。

「いない」

 いないのか、と呟くハクオロの後方から、アルルゥを呼ぶ元気な少女の声がした。その声に対して嬉しそうに尻尾と両耳を上げアルルゥは振り返った。後を追ってハクオロも視線を向けると、カミュが遠方で手を振りながらこちらへと駆けて来ていた。

「アルちゃーん! お待たせ」

 アルルゥは息を切らすカミュの背中を擦り、相手が落ち着いたところで大きい入れ物をカミュに差し出した。

 すごいハチの巣! と驚くカミュに、ハクオロは軽く手を振った。気付いた相手に微笑むと、カミュもハクオロへと笑い返した。

「あ。おじ様にエルルゥ姉様。それにユズっちのお兄様、こんにちは」

 それにとは何だ、と声を荒げるオボロとそれを宥めるエルルゥに対して、カミュは苦笑いを浮かべた。

「ところで、おじ様。今日はお部屋でお仕事しなくて大丈夫なの?」

(おじ――)

 ハクオロの反応が、一瞬遅れる。

 カミュからしてみれば、アルルゥの父親であるハクオロは『おじさん』であり、呼び方は適切である。しかしながら、ハクオロがいざ呼ばれてみると、歳を取って老けた『オジサン』の認識が否応なく心の片隅に発生する。たとえ丁寧に『様』を付けでも、だ。また、それを助長する要因として、外れない仮面の存在、過去の記憶がないという事実がある。躰の動きや肌の艶、首筋の皺やベナウィの回答などから、自分はまだ若いと思っているものの、素顔が分からない以上、記憶が戻らない以上、若いかどうかを断定することはできない。ハクオロ自身忙しいこともあり、それほど深刻に考えているわけではないが、『オジサン』と言われる度に、それらが痛く引っ掛かる。

(いや。私はそんな歳では、ない。では……ない。……はず)

 おそらく慣れの問題なのだろが、とハクオロは頬を引き攣らせた顔を横に振る。

「訓練の様子を見ることも立派な仕事だからな。別に仕事をやっていないわけではないぞ」

 うんうん、とハクオロは頷いた。心地よく吹く風や鳥のさえずり、全てを取り込むように大きく息を吸い込む。

「そういう姫君も、今日も部屋で勉強ではないのか?」

「うん。今日もお勉強だよ。ユズっちのお部屋で、アルちゃん達と神様のお話のご本を読むの。ちょっと難しい絵本だから、お姉様も一緒なんだけど……ムントはお仕事あるから、一緒じゃないんだ」

 晴れ晴れと笑う二人に、オボロとエルルゥは目を合わせ、首を捻った。

 カミュと会話が弾んでいたせいか、アルルゥは怒った様子でハクオロの手を強く握り、足を踏んだ。

「い゛っ、いだだだだ――」

「ん!」

「ん゛?! あ、ああ」

 突き出された小さな器を手に、涙を浮かべながらハクオロは頷く。

「後でコゥーハに渡しておく」

「約束」

 真っ直ぐな目で自分を見るアルルゥに、ハクオロは小さな頭を優しく撫でる。

「ああ、約束だ」

「ん~」

 ハクオロの胸の中で満足そうな笑顔を見せ、アルルゥはカミュとムックルと共にユズハの部屋の方角へと駆けて行った。明るい三人の背中を微笑しながら見送り、ハクオロはアルルゥから受け取った自分のハチの巣へ目をやる。いつ食べようとかと手を伸ばすが、苛立ちのある視線を感じて、そちらの方向――オボロとエルルゥへと質問する。

「な、なんだ。二人して」

 不機嫌な様子で、オボロとエルルゥはハチの巣が入った入れ物を覗き込む。

「兄者だけ独り占めってのはずるくないか」

「そうです」

 なっ、とハクオロは目を丸くする。

「エ、エルルゥまで……」

 勿論、くれるよな? というオボロの問いに、それは……とハクオロは言葉を噤む。

「そうはいうが……見たらわかるだろうが、ちょっとしか無いわけだし、仕事中に」

「いま食べようとしていたように見えたんだが。……まあ、つまり。俺たちにはやらんと」

 不敵に笑むオボロの一言に、ハクオロは声を荒げる。

「あ、当たり前だ! ちょっとしかないんだし、第一これはアルルゥが私にへと、わざわざくれた物だぞ。いま食べようとしたことは、まあ、否定しないが、それは仕事前だからで――」

 隙あり! と言ったオボロの言葉に、ハクオロは言葉を切る。嫌な予感しかしないと向けた先――器には、案の定、ハチの巣は小さく歪な形へと変化していた。

「なっ――もう半分もな……」

 ハクオロが目を離した隙に、小さな塊がもう半分、一口にも満たない大きさになる。その直前、ハチの巣へ飛ばした主へと目を向け、ハクオロは絶句する。

 口をもごもごさせながら、エルルゥはぷいっとそっぽを向いた。




報告:2013/5/20 に、地の文の一部を加筆修正しました。

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